深夜廻戦   作:フールル

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 大変長らく、お待たせしました。
 今夜にて、破編終了でございます。


一三夜目

 

「……誰かいる」

 

 ハルと並び歩いて山道を下ることもは懐中電灯に照らされたソレを見て、足を止めた。

 どうしたんだろう。

 手に持つ懐中電灯の光の先へ、足を止めたこともを見て、首を傾げつつハルも目をやった。

 月明りすら届かない鬱葱とした林道の半ばに小柄な人影が見える。

 どうして此処に……。

 そう、二人の中で疑念が沸き立つのは自然な事。

 日が沈んだこの町で、この山に近づく人はまずいない。

 特殊な磁場によって霊山と化しているこの地に封じられていた怨霊。

 ソレが消えて長い時間が経った今でも、黄昏時を過ぎた時点で、この山を忌避し近づかないようにしていた慣習は薄れることはなかった。

 無論、夜回り少女として夜に慣れた彼女達でさえ、境内の境目を出た時から常に気を張っている状態でいる。

 怨霊が居なくなったとはいえ、霊山には変わりなく、そこらかしこにお化けの気配が犇めいてるからだ。

 滅多に起きない状況に足を止めた彼女たちが、その人影が自分達とそう年の変わらない少女のモノであると分かったのは、光に照らされた彼女が、自ら二人の下へ歩み寄って来たからであった。

 

「こんばんは」

 

 まるで街中ですれ違った知人に挨拶するみたいに声を掛けてきた彼女に対してコトモは表情を固く引き締めて、ハルを背に庇った。

 年下? だけど、何か……おかしい。

 僅かに幼さを残したその身体は中学生の半ば程。

 夜に溶けそうな濃い緑色の髪を一つに纏め、薄手のワンピースに反してしっかりとしたコートを羽織る彼女は、草木の生え茂る山道に適さないサンダルを履いていた。

 ナニかがズレている。

 コトモが一番強く感じた違和感が年相応の未熟さからかけ離れた何処か影を差したような雰囲気である。

 彼女はその異質さに妖しさがあった。

 

「こんばんは……貴女はどうして此処に?」

 

 工場から家に送り届けた少年と同じ境遇であるなんて、思えなかった。

 中身の見えない箱と対峙した言いようもない不安感が胸の内で少しだけ波を打つ。

 お化けと違ってヒトは容易にその中身を覆い隠す。

 ハルに悪意を持つ呪祖師だったら……。

 術式の使えない今のハルは見た目相応の虚弱な少女である。

 ナニカがあれば対処できるのは自分しかいない。

 そんなコトモの警戒心を見透かしたのか、少女は穏やかに笑みを浮かべて両手をあげた。

 

「安心して欲しい。私は夜蛾学長の依頼でハルちゃんを保護しに来たんだ」

「学長が?」

 

 コトモの背から顔を出して、状況を伺うハルの視線と目を合して、彼女は頷く。

 ”コレがその証拠ね”と続けて、ポケットから一つの小さな人形を取り出した。

 とても良い出来栄えの、パンダを模した指人形だ。

 都立呪術高専の学生ではないコトモはソレが何であるかはちっとも分からない。

 ”学長の作った人形だ……”

 呪いは込められていないただの人形。

 ソレが夜蛾学長が手慰みに作る人形であると、高専の生徒であるハルには一目見れば分かるモノだ。

 

「鈴杜コトリです。以後、末永くよろしくお願いします」

 

 警戒心を解き、コトモの背から身体を出したハルにペコリ。

 丁寧にお辞儀をしたコトリにコトモは息を吐いて、身体の強張りを解いた。

 

 

「はぁ……胃が痛い」

 

 高専に急行し、負傷した生徒を送り届けた伊地知は、周囲に誰もいないのを確認した後にずっとため込んでいた弱音を曝け出した。

 今日、あったことを全て忘れて気持ちのいい朝日を見て珈琲を飲むブレイクタイムが恋しくなる。

 現実逃避も甚だしい。

 だが、五条係として日々、呪術界の上層部と軋轢を生んでいる彼の下で振り回され、胃を痛めていた中で、今回の件は当事者ではないにしろ大きな心労を生む事は予測出来ていたからだ。

 

「ぁー……何から手を付けよう」

 

 荒れる。

 彼は断言する。

 間違いなく荒れる。

 最強の呪術師である五条悟の我儘が、何だかんだ呪術界の組織として黙認されていたのは彼自身が起こった火種に対して、火消しを出来る能力を有していたからに他ならない。

 補助監督の立場でしかない彼には、ハルと乙骨憂太を組織の上層部は良く思っていないことが薄っすらとしか感じ取れないことではある。

 そして、その意向を踏みつぶしたのが五条悟であるのは、職務上付き合っていく中で嫌でも分かる事であった。

 五条悟と上層部が今回の件でぶつかり、その中で彼の隣に立つ者として板挟みの辛い環境が待っている事は伊地知には想像に容易い事。

 ”とりあえず、置いてきた五条先生のところに戻らなくては……”

 今回の補助監督の仕事にまだ区切りは付いていない。

 高専に留まって無為に時間を潰すよりは働いていた方がよっぽど建設的な時間の使い方だ。

 車を停めた駐車場を目指し踏み出して、数歩。

 一旦足を止めた彼は、思案顔のまま反転した。

 缶コーヒを一つや二つ、車内にストックしておいた方がいいか。

 時間も遅く、途中コンビニに寄るルートを考えるよりも此処で備えていた方が良いと判断してのことである。

 

「こんばんは、伊地知先輩」

「……お久しぶりです、鈴杜さん」

 

 自販機を前に立つ後輩の姿。

 久しぶりに目にしたその姿に伊地知は目を丸くして立ち止まった。

 鈴杜ユズ。

 伊地知が高専に学生として所属していた際の二つ下の後輩。

 伊地知が呪術師としての志を道半ばで折り、補助監督の道へ転換した事と、彼女が修了過程を終えた後にフリーランスになった事も相まって、長い間、顔を見る機会はなかったのだ。

 フリーランスの彼女がどうして此処に……。

 伊地知の疑念を見透かしてか、彼女は曖昧に笑みを浮かべつつ肩を竦める。

 

「……何処か草臥れたサラリーマンって感じですね、先輩。お疲れ様です」

 

 それは、皺の付いたスーツを見て言ったのか。

 それとも傍から見ても疲れが浮き出た自分の顔を見て言ったのか。

 それなりに付き合いがあった後輩。

 内心を見透かされたことに伊地知は苦笑を漏らした。

 

「風の噂で元気な事は耳にしていましたが、元気そうですね」

 

 厚手のズボンにライダースジャケット。

 かつて、記憶に残っていた彼女の姿は背中まで伸びた淡い緑色の髪と高専の制服姿に印象的であったが、今はその長かった髪はバッサリと肩程に切りそろえられていた。

 2級呪術師として、相方も付けずに単独で生計を立てる彼女が、高専の持つ情報網とは違うパイプを持っている事を伊地知は、人伝に聞いていた。

 窓との接触すら薄い彼女の拾える情報は僅かなもの。

 そういえば、なんで私はユズさんのことを忘れていたんでしょうか。

 拾った彼女の近況を交えて世間話をする中で疑念が首をもたげる。

 半ばブラック労働に近い補助監督業務であったとしても付き合いの深かった後輩である。

 そんな彼女は、”おぉ……流石の情報網ですね”と素直に感心した様子を見せていた。

 コレは忙しかっただけ。

 日々、時間に追われる生活を長く続けていた所為に違いない。

 予定よりも長いこと足を止めてしまったことに、彼は内心ため息をついた。

 もう少し世間話でもして軋んだ心に安らぎを得たい……。

 だが、旧交を温める時間もそこそこに切り上げなくてはいけない。

 まだ勤めは果たせてないのだ。

 缶コーヒーを片手に伊地知は時計を見る素振りを見せる。

 

「先輩、戻るなら時間を調整して明け方にした方が吉ですよ」

 

 世間話を切り上げよう。

 そう考えて、開いた口はひゅうッと短い息を吐く、

 ナニカを見透かしたような後輩の笑み。

 狐につままれたような錯覚が伊地知の背筋を伝った。

 ゾクリと走った悪寒を取り繕う。

 秘匿性が高いこの業界の仕事内容をフリーランスの彼女が掴んでいることは異常でしかない。

 

「今、夜を迎えたあの町へ先輩が行くのは荷が重すぎますよ」

 

 その一言は、ユズから伊地知へ向けた親切心の現れであった。

 自身が知らないナニカを目の前の後輩は握っている。

 ソレを包み隠す気もないユズを見て、伊地知は手に取った缶コーヒを彼女へと放り投げた。

 

「ユズさん、貴方が何を知っているか教えてくれますか」

「いいですよ、先輩」

 

 ワンコインで収まる安い交渉材料だ。

 今一度、自分の分を買い直した伊地知は、ユズと共に置いてきた車へ向かう。

 誰が聞き耳を立てているか分らない野外よりも車内の方が、このような状況に置いては適している。

 

 

 なお、穏健派の代表格である夜蛾学長が教え子である五条悟と対立するかもしれない依頼をユズに出した事を知った彼は、聞かなければ良かったと後悔の念と共により痛みがました胃痛に悩ませられることになろうとは、この時はまだ知り得なかった事である。

 

 

 

 

『そっか……憂太にいっぱい友達が出来たんだね』

「うん……みんな優しくて、僕よりもずっとずっと凄い人たちなんだよ」

 

 里香と対話を重ねていく中で、話題は乙骨の近況へと移っていた。

 里香を目の前で亡くして高専に編入するまでの事は、あまり語る事はない。

 その代わりに高専で得た呪術師見習いとしての日常は、それまでとは一転して彼にとって輝かしいモノとなっていた。

 自身の術式と向き合い、他人と円滑なコミュニケ―ションを取れずとも優しい心を持つ友人。

 呪力を持たずとも、厳しい業界の中で折れない反骨精神を掲げ、他人を思いやる優しい友人。

 よく分らないけど、パンダであっても人間がめんどくさいと言いつつもなんだかんだ他人を見捨てることが出来ない優しい友人。

 怨霊と化してから乙骨の横に侍っていた彼女だが、その時の意識は曖昧としたモノだ。

 夢うつつに朧げな中で唯一感じ取れる伴侶の暖かさに縋りついていただけの彼女は、長い時間の中で過ぎ去ってしまった過去と現在今の差異を乙骨の話を聞いて感じ取っていた。

 生前の里香と乙骨は、互いがいればそれだけで良いと閉鎖的な交友関係を築いていた。

 それは特殊な家庭環境故に孤立した彼女と当時は病弱で病院に通いがちであった彼が内向的な性格を有してしまったが故の帰結である。

 乙骨自身が持つ、内気で内向的な性質は長い時間を経ても──いや、怨霊になった里香がいたからこそ、変わる事はなく高専編入直前まではより一層拗らせて酷いモノになっていた。

 変わったね、憂太。

 そんな彼が自身以外の友人を表情を輝かして語る様は嬉しいことである反面、少し肌寒い寂しさが彼女の胸の中を吹き抜けた。

 ”里香ちゃん。里香ちゃん”と、互いに欠けた部分を補い合うように共に在った彼は、自分以外の存在に自己肯定の意識を向けるようになっている。

 死んでしまったからこそ、過去の象徴でしかない彼女は、今を生きる彼の変化をしっかりと感じ取った。

 

「ハルちゃんは──」

 

 高専で得た大事な繋がり。その最後の一ピースを語ろうとした乙骨の表情が曇る。

 ユイの術式を通して、見てしまった彼女の過去。

 それを知らずに踏み躙っていた自身に深く突き刺さる棘。

 後悔がジクジクと痛みを訴える。

 

「誰よりも優しくて……みんな、そんなハルちゃんが大好きなんだ」

 

 未だに踏ん切りが付かない過去痛みを抱えているからこそ、他人の痛み悲しみに敏感で、手を注し伸ばす。それを乙骨はハルの持つ特別な優しさと称した。

 今なら分かる。

 縁を見る事の出来る彼女は、自身と里香の関係に──里香が怨霊と化す原因である呪いに心を痛めていた。

 それをずっと、ずっとひた隠しにしていたんだ。

 

「だから、僕はハルちゃんに謝らないといけない。誰よりも僕と里香ちゃんの事を思っていたのに、僕はそれを撥ね退けてしまったんだ」

 

 鏡合わせの様な存在。

 お互いに幼少期に大事な友達を亡くしてしまった。

 同じ悲しみを抱えて、共に在りたいと願った。

 それでも誰よりも優しい彼女は大事な友達が呪いで歪む事を否定し、自ら縁を切った。

 ”あの時の僕には……そんな事出来ないよ、ハルちゃん”

 優し過ぎる友人の強さに同じ境遇に置かれても、里香を呪い、怨霊として引き留めた彼は、より強い尊敬の念を抱く。

 

『憂太……』

 

 それは、同時に里香とのお別れの決意でもあった。

 一度は揺らいでしまった解呪への決意。

 だが、ユイの術式の補助でちゃんとした形で里香と意思疎通を行った彼は、大事な人を怨霊という形で歪ませてしまった事実を今、深く受け止める。

 ずっと愛した存在が傍に居ると思っていた。

 愛されていると。そう感じていた。

 だが、怨霊である里香と幽霊の里香は、共通点は多くてもやはり別物であったのだ。

 彼を見つめる里香が抱いたのは、長く続いた──続いてしまっていた歪んだ関係の終幕に向ける切なさにも似た寂しさである。

 いずれ来るであろうその時の到来を、今彼女は予期して胸を痛めた。

 

「ユイさん、ありがとうございました」

 

 深々と頭を下げる乙骨にユイは、そこまで感謝の意を向けられるとは思っていなかったのか面を食らった面持ちで、両手を振る。

 

『私は……感しゃされることなんてしていないです』

 

 全てはハルが積み重ねてきたモノだ。

 ユイがしたのは、その意図を目に見える形で教えただけの事。

 ハルを大事に思う友人である彼が、ハルと仲直りして、その関係を維持してくれるのであれば、それで良いのだ。

 

『おっこつ君、ハルをよろしくお願いします』

「……はい」

 

 縁が切れてしまっているが故に二度と会うことも出来ずに置き去りになったハルの過去思い出。

 自身がもう親友と共にある事が出来ないからこそ、親友の幸福を願う祈りを、乙骨に託すしかない少女。

 自身と似た境遇に置かれつつも変える事の出来ない関係の帰結を迎えたその姿を里香は、じっとその目に焼き付けた。

 

 

「ハルの保護なんだけど……もう少し、待って貰うことは出来ないかな?」

「こともちゃん?」

 

 脇を通り過ぎかけたハルの袖を掴んで引き留めつつ、こともはコトリにお願いをしてみた。

 名前しか聞いたことのない学長と彼の人の依頼によって派遣された呪術師。

 こともの知らない界隈のゴタゴタの中心に保護対象であるハルがいることは、現状でも容易に想像が出来る。

 百足神社の巫女として席を置いている彼女であったが政に関しては姉──ともこに一任していた為に、呪術界におけるハルやその友人である乙骨憂太の立ち位置について見識がなかった。

 二人の衝突がどのように見られるのか。

 そこに組織、大人がどのように関与してくるのか。

 何もかもが分からない中で、大事な友人がその渦中にいる。

 このままハルの仲直りを先延ばしにするのは良くないよ。

 時間が経つほど、喧嘩は拗れるもの。

 姉からのメールで、裏山を降りて少し歩いた”空き家”を前に姉とハルの友達が待っていることを知らされた彼女は、ホテルへと帰る前に寄り道しようと考えていたのだ。

 

「……残念だけど、此処が分水嶺なんだ。こともさん、此処からハルさんの側に立つ人が貴女か私で、大きく未来が変わってしまうから。今、貴方達に付き纏う存在から貴女達を守るには此処で別れるのが最善の選択になる」

「……何を言っているの?」

 

 こともの提案に対して、首を横に振ったコトリ。

 彼女が発した言葉を呑みこむ事も出来ずにただ戸惑う他なかった。

 分水嶺。未来。選択。

 まるで幾つもの未来を見てきたかのような発言だ。

 

「信用出来ない? ……だけど、貴女だとハルさんは守れない」

 

 指を伸ばしかけた携帯電話。

 ソレが今、僅かに振動する。

 ──こともの意図を断ち切る様に。

()()()()()狙いすませたように携帯に着信を送られた。

 どうして、知っているの。

 自身の電話番号を。自身の手の内を。

 動揺が表に現れ、顔を青くすることもをコトリの冷静な目が見つめる。

 先んじて対処されている。

 自身がハルを守れないことを裏付けるように。

 

「今じゃなくてもハルさんは必ず仲直りするよ。それに──」

 

 他の誰にも聞かれないように、コトリがこともの耳元で言葉を紡ぐ。

 それを聞いたこともは、その内容を訝しんだ。

 自身では輪郭も掴めず、薄っすらとボヤケタ存在。

 この町の夜を騒がせた外部からの異物。

 その正体を彼女は掴んでいた。

 

「君の安全は保障するよ。私の妹は私よりもずっと頼りになる存在だから」

 

 その言葉をこともは真摯に受け止めた。

 コトリの手から鈴を一つ受け取り、自身を見上げるハルに視線を合わせたこともは、内心の不安を払拭させる様に笑みを零した。

 お別れは何時だって明るいモノが良い。

 泣きはらした目で夜の町を歩いていた昔日の友達を思い起こして、何時だって同じように彼女は再会を祈って別れを告げる。

 

「またね、ハル。またこの町に来ることがあったら連絡してね」

「うん、こともちゃんも元気でね」

 

 大事な友達が自身の側から離れていくことを少しだけ惜しみつつも、こともは笑顔のまま、軽く手を振って見送った。

 ハルとコトリ、二人の姿が夜の闇へと消えるのをその場で見送った彼女は軽く息を吐いた。

()()()()()

 薄っすらとぼやけて居るが、ねっとりと絡みつくような薄気味悪い視線を感じる。

 お化けの注意が自身に向けられるのは、深夜徘徊をする中では慣れたモノ。

 だが、今感じているソレは慣れ親しんだモノとは別。

 この町でも隣町でもない夜のモノ。

 そんな異物の意識がどうやらハルから自身に向けられたらしい。

 背中にソレを感じながら彼女はゆっくりと下山を再開した。

 接触する場所は聞いている。

 そこを目指して、コトモは先に下りたハル達と合流しないようにゆっくりと歩みを進めた。

 

 

 ”弄ばれてる……”

 山道を下り、夜の街道を歩く中でこともは足を止めて自身の置かれている状況を冷静に分析した。

 姉の待つ合流地点は、裏山の入口からそう遠くない場所にある。

 隣町とはいえ、既に幾年も歩き廻った場所だ。

 とっくのとうに辿り着いてもおかしくない筈だったが──こともは夜道を()()()()()()

 知り尽くしている筈の夜道が、まるで自身の知らない表情を見せていた。

 どうして、こんなにも心細いのだろう。

 夜道を、闇を、懐中電灯を片手に歩くことを、今更のように不安に思うことなんて何時振りだっただろうか。

 

「……」

 

 止めていた足を動かす。

 足音を忍ばせたこともの歩みに遅れて響く乾いた靴音。

 背後。10メートルも離れていない位置。其処に居る。

 似たような存在をこともは熟知しているが、背後の存在は自身の知り得るお化けではないと断言出来た。

 彼らは誘蛾灯に誘われる蟲の様に視える存在に近寄っては来るが、此処までじっとりと粘着する様に、此方を嘲笑うように──悪意に満ちた絡み方はして来ない。

 

「……貴方がハルちゃんを弄んだんだ」

「ソレは言い掛かりだよ、お嬢さん。彼女たちは成るように成っただけ。私はソレを早めただけさ」

 

 振り返ったその先。

 ひっそりと建つ街灯の下に呪霊は居た。

 紳士服に身を包み、烏を想起させるような真っ黒な外套と、顔を覆い隠す嘴のようなマスク。

 こんな普通に見える存在なのに、呪霊なのか。

 仮装したヒトにも見間違えそうな出で立ちだ。

 だが、纏う不気味な雰囲気が視覚で得た情報を否定する。

 

「この町も君の町も面白いくらいに歪んでいるね、お嬢さん。誰もが夜を恐れている。ヒトは光を以って闇を遠ざける術を時代を経て身に着けた筈だというのに……」

「私にナニか用ですか? 急いでいるので帰して欲しいです」

 

 どうして、コイツは“今日は良い天気ですね”みたいな空気で世間話を広げようとしているのか。

 こともを知らない夜に閉じ込めているのは目の前の存在だ。

 世間話に付き合う素振りを見せずに帰してくれと言っても帰してくれるわけがない。

 そんな事を承知の上で、彼女は呪霊の反応を注視しながら携帯電話の画面に指を伸ばした。

 

「……やれやれ、昨今の若年者は老獪の長話に付き合う姿勢も無いとは──まぁ、私はヒトではないからね。無理もない。……お嬢さん、私は一つ君に問いたいのだよ。ヒトである君が、既に理由もないのに、夜を廻る必要なんてあるのかい?」

「……」

 

 どうしてソレを知っている。

 自身の内側を見透かす様な問い。

 昔日のこともは、大事な者と引き換えに廃れた神社の主に呪われた。

 取られてしまった右目。

 その眼が移す異形の気配。

 夜に怯え、揺らめく影から逃げる様に彼女は、日々夜を奔走した。

 安息の領域を探して。

 ”そんなものはなかったけれど……”

 だけど、それはもう解決した話。

 廃神社の主が祓われた今、呪霊の言葉通り、彼女はもう夜に怯えることはない。

 だから、理由は別にある。

 脳裏に過ったのは、今日家に送り届けた少年の安堵した表情。

 

「夜に……帰る方法が分からずに彷徨う人が居るから」

 

 この町は人に優しくはない。

 誰かが手を差し伸べなければ、途方に暮れる人もいる。

 一番最初にコトモが手を差し伸べたのは()()だった。

 今になっては遠い日の出来事だったが、それでも鮮明に思い出せる。

 夜回りさんに追い詰められていた彼女を救う為に石ころを投げた事。

 夜の商店街で共にお化けから逃げる為に手を握り駆けた事。

 あの時、コトモは自身が夜に怯えるヒトの助けになれる事を知った。

 ただ恐れ逃げる以外に夜を廻る理由を見出したのだ。

 

「夜を彷徨って光を探す人が居るなら、私はそんな人達の光になって夜を遠ざけたいの」

「──故に、私は君を穢さなければならないのだよ、お嬢さん」

 

 その言葉は悪意に満ちていた。

 後ずさることもを驚かせるように呪霊は両腕をあげる。

 鳥が羽ばたくように外套が広がった。

 ナニカが来る。

 そう判断した彼女は、ポケットへ忍ばせた携帯電話の画面をなぞろうとした。

 

「良いのかい? 逃げることは簡単かもしれないが……それは、取りこぼしたモノを諦めるという事に他ならないよ」

「っ!!」

 

 何を言っているの。

 たった一つ。ほんの少しだけ指を動かせば、こともはこの閉じ込められた夜の街道から、眼前の呪霊から逃げ果せることが出来る。

 その筈なのに、虚を突かれ、呆然と立ち尽くすことも。

 じわじわと言いようがない喪失感の恐れが胸に満ちていく。

 呪霊は高説を説く。

 

「呪術戦のイロハを知らない可愛いお嬢さんに、自己紹介から始めよう。ありふれた物語の恐怖(ストーリー・テラー)、私という存在を指す名前だ。覚えてくれると嬉しいかな」

 

 振る舞いは紳士的に。

 姿勢を正し一礼した呪霊をコトモは戸惑うしかない。

 この焦燥感はなんだ。

 まるで幼子のように揺れる心。

 何処か既視感すら覚える様な不安感。

 恐怖(テラー)の言葉は間違いなく、戸惑うこともを嘲笑って喜悦に溢れたモノだった。

 

「時間を掛けて、お嬢さんと会話をしたお陰で漸く拾い上げることが出来たよ。では、紡ごう御話を。夜を照らす光に成ろうとする者を穢してこそ、私の呪霊冥利が尽きるというモノだ」

 

 恐信奇譚

 

 恐怖(テラー)が指を鳴らす。

 乾いた音。

 それが何か悪い前触れのような――嫌な予感が、ゾクリとこともの背を撫でる。

 同時に自身の背後からナニカを引きずったような不気味な足音がするのをこともは感じ取ってしまった。

 ナニカ……後ろに居る。

 ゾッと怖気立つ気配にこともは振り向いた。

 先ず目に映ったのは、血に染まって渇いてしまった黒く紅い5本の指先。

 ソレが虫の様に地面に這って直立している。

 視線を上げれば、手首から先は黒い靄で覆われていて、そこに一つだけポツンと存在する大きな眼球がじっとこともを見つめている。

 嘘だ。どうして、コレが……。

 トラックを優に超える巨大な手を前に、こともはたじろぐ。

 互いに見つめ合って、数秒。

 ぬっと迫りくる過去のトラウマを前に彼女は、即座に反転し、恐怖(テラー)のことなど脇目もふらず、駆け出していた。

 

「どれだけ時が経とうとも、精神が熟し、恐れを克服したとしても……私の術式は心を塗り直す。読み直した本からは得れない最初だから味わえる心の機微。飽きさせるなんて、とんでもない。私が描く脚本は何時だって、新鮮な未知と恐怖に揺れる心を取り戻す」

 

 走り抜け、小さくなる少女の背中をありふれた物語の恐怖(ストーリー・テラー)見つめる。

 そうして、暫しの時間を無為に捨てた呪霊は駆けて行った少女の下へ歩みを進める。

 自身と相反する彼女の意思が穢れたところを一目見よう。

 とびっきりの悪意(脚本)を用意した。

 即席で粗が残るそれはそれは、何処にでも掃いて捨てるような質ではあるが、泣き崩れる光の姿を脳裏に描いて、ほくそ笑む。

 ご機嫌な鼻唄を夜の闇へと紛れ込ませて、彼は暗闇の中へと姿を消した。

 

 

 

 

 駆ける。

 夜の街道はいつの間にか人の手から離れ、荒れ果てた参道へと変わっていた。

 何も。何も変わらない。

 鬱蒼とした森の中を拓いて敷いた石段。

 何かの儀式を彷彿させるように幾重にも重なる鳥居も。

 あの時、私を守ってくれた祠も。

 こともは息を弾ませて、足を踏み外さないように気を張りながら、だけど踏み出す足のペースを落とさないように駆け上る。

 失った左目が映す蠢く影達の気配に震えそうな口を引き絞って、歯を噛み締めた。

 怖い。

 久しく意識していなかった恐怖がこともの心を蝕み、軋んだ音を立てさせる。

 ”あぁ……そうだったね”

 夜は怖かった。

 見知った筈の町が、慣れ親しんだ空気が、昼と夜で見せる表情を変えていく。

 先が見えない闇の中に潜むモノを想像するだけで足が竦む。

 幼い頃の自身はそれでも目尻から涙を流してたまるものかと、歯を食いしばって夜を駆けた。

 ただ一人の肉親である姉が母と同じように自身の前から消えて居なくなってしまうのが何よりも恐ろしかったからだ。

 お姉ちゃんに会いたいな。

 彼女は唯一無二の肉親が、今たまらなく恋しくなった。

 滲む視界を腕で拭って、駆ける。

 コレはあの呪霊──ありふれた物語の恐怖(ストーリー・テラー)が見せる夢、幻なのだろう。

 人から忘れ去られてしまったこの空間の寂寥感。

 視界いっぱいに蠢く無数の手のお化けも。

 昔日を想起するように揺れる自身の心の動きも。

 

 ”あの頃とは何もかもが違うかもしれないけど──”

 

 お化けを退けた百足の御守りはこの手にはない。

 それだけではない。

 あの時のこともは折れそうな心を繋ぎ止める為にただ我武者羅なまでに姉を頼りにしていた。

 昔を振り返っても、当時の心境を取り戻すことはもう出来ない。

 それでも足が前に進むのは、自身が積かせねて抱いた願いの為。

 

 ”──私は乗り越えなければいけない”

 

 呪術師ではないこともは、その現場に立ち会うこともなく救われた。

 廃神社の主。

 歪んだ土着信仰が産んだ醜き存在。

 人々から捨てられ忘れ去られた呪霊()

 姉を取り戻した後もこともの左目を奪い取り、呪い続けた怨敵。

 その最期をこともは看取れていなかった。

 ハルには助けて貰ってばかりだ。

 窓すらマトモに調査できないこの町で、長らく放置されていた呪霊が祓われたのは、親友の働きかけがあったからだ。

 こともが石段を駆け上る最中で、脳裏に浮かび上がった小さな友達。

 何時か近いうちにこちらから電話を掛けよう。

 仲直り出来たのか。とか、助けてくれて、ありがとう。とか。

 とりとめのない話をしよう。

 彼女を思って、幾つものやりたいことをこともは自身の中に列挙させていく。

 その為にも――。

 震えていた心は、乱れていた呼吸は、落ち着きを取り戻している。

 石段を上り終えた先、本殿を前に座す廃神社の主。 

 遠い過去に置いてきた障害を乗り越える気持ちを確かなモノにして、彼女は息を整えて本殿の前へと辿り着くことが出来た。

 

「え……」

 

 目に映ったモノに呼吸が止まる。

 本殿前にまるで供物にするように捧げられている一匹の白い犬。

 白くふわふわとした柔らかそうな毛並み。

 ああ、見間違えるものか。

 それは彼女が残した過去の痛み。

 

「ポロッ!!」

 

 返事がない。

 震える心のまま、こともは我を忘れて大事な家族の下へ駆け寄った。

 

「お願いっ、起きて! そっちに行かないで! ポロ!」

 

 震える身体は冷たい。

 今にも消えて無くなってしまいそう。

 突き付けられる愛犬の死。

 確固たる意志も未来への希望もかなぐり捨てて、こともは涙を流しながらその身体にしがみ付く。

 お願いします。ポロを……愛犬を持っていかないでください。

 鼻を突く濃い鉄の匂い。

 背後から迫る圧迫感に、振り向いた彼女は懇願するしかなかった。

 幾重にも重なる苦悶の表情。

 朽ち続ける幾つもの人間の身体を組み合わせて形作られた異形。

 ヒトを呪いながら、されどヒトを切り離すどころか、自身がヒトによって体を成す化物。

 憤怒の表情を浮かべた廃神社の主を前に彼女は何も――成し得ない。

 自分のせいで死んでしまった愛犬が、もう一度殺されてしまうなんて、そんな残酷な現実を受け入れることが出来ない。

 いっそ、ポロの代わりに自分が生贄になれば。

 それは、本来の彼女であれば決してしない愚かな祈りであった。

 ごめんね……ハル。

 奪われていく体温が、麻痺していく指先の感覚が、何故か遠い世界の出来事のように思え、再会の約束が果たせない事を彼女は悟った。

 膝から力が抜け、地に伏せる。

 頭を地に擦り付け、許しを乞う唯人のように。

 零れ落ちている滴が縋りつく愛犬にぽろぽろと落ちている。

 翻弄されて揺れる心を意識すれば、するほど昔日に忘れ去っていた筈の恐怖が今、顔を覗かせた。

 幼いこともは恐怖に屈することなく、廃神社の主に立ち向かう勇気を携えていた。

 我武者羅でも姉を救い、姉と共に帰ると確固たる意志があったのに、今のこともはただ成す術も無く崩れ落ちている。

 腕に抱く愛犬が夜のイキモノになってしまっていることを知っているから。

 それがどれだけ脆く、容易く消える存在である事を知ってしまったから。

 姿が見えなくてもずっと側にいて、自身を守ってくれていることを知っていたから。

 そんな何時切れてもおかしくない細い繋がりでも、こともにとってはかけがえのないモノだから。

 ナニモノかの悪戯で、それを取り上げられることに彼女は耐えられなかった。

 じわじわと廃神社の主が迫る。

 ”あの時はどうしてこの化物に立ち向かえたのだろう……”

 怖いもの知らず? いいや、違う。

 こともの胸中の自問自答など答えを探すまでもなく出ている。

 無垢にも等しいあの頃は。

 姉を救う。

 ただそれだけで。

 ──それだけで、姉を救えた。(私を差し出した)

 何も。何も変わらない。

 こともはあの時、自身を捧げて見逃された。

 時効を紐づけられて、姉の代わりに左目を奪われただけ。

 自分の本質がただ奪い取られるだけの弱者でしかないことを、姉に、ポロに守って貰わなければならないだけの幼い頃から何も変わっていないことをこともは再認識した。

 だから、今一度立ち向かわなければいけなかったのだ。

 記憶の再現、夢、幻だとしても過去に残した瑕と向き合い、乗り越えて夜を照らす光になる。

 そう思っていたのに──こともは動けなかった。

 

 

 

 高く透き通った音が廃神社の境内に、こともの耳に、心に響き渡る。

 

「……誰?」

 

 倒れ伏した自身の傍らに温かい人の気配をこともは感じ取った。

 振り向く事すら億劫な状態のこともの肩にそのヒトはただ手を添えて、鈴を鳴らしている。

 寒い、寒い、静謐な死が立ち込める空間の中で焚火に当たったように広がる清らかな音。

 

 

 

 

 

 鈴の音が何度も何度も響き渡る。

 温かみを感じるその音で失われた体温を、麻痺していた五感をこともは取り戻していく。

 こともを助けてくれたその人は優しい声色で、鈴の音と共に諭してくれた。

 

「足が竦んで動けない時、声も出せないくらい心が凍えてしまった時にね、心の中に一つ鈴を作ってみるの。ソレを何度も何度も心の中で鳴らす。そうすれば……ほら──」

 

 差し伸べられた手を握り、こともは身体を起こす。

 異常なほどに心が凪いでいる。

 地面をしっかりと踏みしめて、こともは傍らに立つ女性へ面を向けた。

 火が着いていないタバコ。

 夜に溶けるような暗いライダースジャケット。

 精悍な顔立ちの彼女は、起こしたこともを一瞥した後、その視線を廃神社の主へと向ける。

 

 

 

 鈴の音が鳴り響く。

 

「もう、怖くないでしょ」

 

 タバコを挟んだ指が指すのはこともがなす術もなかった過去の瑕。

 その指の先を吸い寄せられるように視線を向けたこともの心は、以前として凪いだままである。

 不自然な程静寂を保つ心の動きに目をしばたたかせることもを見て、彼女は悪戯が成功したように笑う。

 

「怖いものを怖いと思うから……より怖くなる。けど、落ち着いて見つめ直すと実は案外怖くなかったりもする。まあ、今回はちょっと質が悪いモノだったから君みたいなヒトでも揺さぶられちゃったみたいだね」

 

 こともが憮然とした態度のまま、見つめられた廃神社の主は夜に霧散されるように形を崩して昇華されていった。

 余韻を味わう時間も惜しいと言わんように一瞬で廃神社は夜の街道へと姿を変える。

 

「ホント……趣味が悪い」

 

 口にタバコを咥え、ポケットからライターを取り出した彼女は、鬱屈した感情と共に煙を空へ吐き出す。

 それを傍から眺めていたこともは呪術、恐信奇譚の一端を漸く理解した。

 この空間は誰かが怖いと思っているモノを映し出すのだ。

 夜の街道が昔日に忘れ去った廃神社の参道へ姿を変えたのも、ことも自身がソレを思い出してしまったから。

 姉の代わりにポロの姿が其処に居たのも……。

 周りを取り囲む環境が夜の街道へ姿を戻したのは、こともが嘗て抱いた恐怖を乗り越えたからだろう。

 それを成し遂げることが出来たのは、耳にするだけで心を落ち着かせる鈴の音のお陰である。

 

「あの……助けて頂いてありがとうございます」

「ん? いや、気にしないで。本当はもう少し早く見つけれれば良かったんだけど、この術式は後手に回ると対処が難しくてねー……でも、間に合ってよかった」

 

 ペコリと頭を下げることもに対して、彼女は手を振った後に頭を掻いた。

 少しだけ申し訳なさそうに。

 それは偶然彼女がその場に居合わせたのではなく、必然として意図を持ってこともを助けた事を示していた。

 

「私、鈴杜ユズ。こともさん、貴女の安全は私が保証するよ」

 

 ”私の妹は私よりもずっと頼りになる筈だから”

 鈴杜。

 ハルを預けた同じ苗字を持つ奇妙な少女の姿を、こともはユズの名を聞いた際に思い出した。

 

 

 

 

 

「こともさんも感じてたかもしれないけど、お姉ちゃんはどちらかと言うと()()()寄りの存在なんだ」

「やっぱり……そうなんですね」

 

 夜の街道を先導するユズの後ろを歩きながらこともは、納得の相槌を打った。

 鈴杜コトリ。

 夜に潜むモノ。闇の中に生きるモノ。

 日の下からかけ離れた存在が持つ独特の妖しさ。

 彼女の持つ雰囲気はヒトの持つソレとは一線を画くしてしまっているのを記憶に強く残っている。

 そんなこともの表情を見て、”ちょっと複雑な事情があったんだよねー”と、努めて明るく、軽く姉の抱える事情をどうともないような素振りを見せた。

 本人がそう扱うなら、ことももそこまで配慮する必要もないのかもしれない。

 姉と妹。

 片や、怪異に身をやつして。

 片や、呪術師として、共に夜を生きる。

 絶対に明るくも、軽くもない事情があることが知り合って間もないこともでも察していた。

 

「けど、この業界では稀有なくらい義理高く人情味あるんだよ? 今回だってお姉ちゃんの言葉がなかったら、此処に私は居なかったんだし、それに――」

 

 そこで、ユズとの会話は途切れた。

 いや、途切れさせられた。

 あえて耳に響くように鳴る革靴の音。

 夜を嗤う邪悪な存在が奏でる音。

 

「こんばんわ、お嬢さん方。良い夜だね、そう思わないかい?」

「無粋な貴方が居なければよりそうなるねっ」

 

 

 

 ぬっと闇の中から姿を見せたありふれた物語の恐怖(ストーリー・テラー)を向い打つように鈴の音が響く。

 こともを背に庇うように立つユズの表情は剣呑を露わに、眉を上げるモノに変わっていた。

 怖いくらいに睨まれた呪霊は肩を竦めて立ち止まった。

 二十メートル程。

 それが鯉口を切って構える両者を隔てる距離である。

 

「私は平和主義でね……そう殺気立って欲しくないのだが。お嬢さん、君もそう思わないかい?」

「答えなくていいよ」

 

 

 ユズの後ろに立つこともへ対話を呼び掛ける呪霊に対して、鈴の音が再び鳴り響く。

 呪術師ではないこともには何が起きているのか、さっぱりだ。

 だが、こともが口を開く前に鳴り響いた鈴の音を聞いた呪霊が肩を落とす様を見ると、ユズが予め何らかの手段を用いて、呪霊の試みを挫いているようである。

 

「呪術、恐心奇譚は展開された領域内で対象の抱く恐怖を原初の形で追体験させる術式でね……君とは些か相性が悪過ぎるようだ」

「うん、そうだね。趣味の悪い術式だよ、ほんと」

 

 術式の開示。

 縛りを付ける事で出力が増幅した呪術を、鳴り響く鈴の音がピシャリと遮断する。

 それなのに術式の開示程度では相性の不利を覆せないと悟る呪霊の様子は、未だに余裕な様子である。

 不気味だ。

 対峙している呪霊をユズはつぶさに観察しながら、背後に庇うこともの様子を見る。

 縛りを持って出力が上がった呪術に晒された影響を鈴の音が打ち消している為、今のところ平常心を保っているみたいである。

 呪霊が両手をあげて、拍子を鳴らす。

 閑静な夜に響き渡る幾重にも重なる渇いた音。

 それがただの手拍子ではないのは、目に映るお化けが否定する。

 一つ打てば二つ。

 二つ打てば三つ。

 夜の闇から顔を覗かせるお化けの数が倍々と増えていく。

 ヒトの顔をした犬。

 炎々と燃え続ける焼死霊。

 落書きのような子供の影。

 腹を大きく膨らませ、一つの大きな口が顔を埋めた餓鬼。

 ありとあらゆるお化けがユズの視界を埋めつくす。

 

「舐めてるの? 塵を積んだところで、所詮塵よ」

「無論、私は出来ることしかしないさ」

 

 下級の呪霊にすら及ばないお化けを集めたところで、呪力を練る事が出来れば子供でも処理出来るモノ。

 文字通り、吹けば飛ぶような塵の山を築いたところで無為な行動である。

 脆弱な子供騙し。

 それが数によるモノなら容易に対応が出来るというモノ。

 ユズがポケットから取り出したのは、携帯電話のアクセサリーサイズ程の小さな案山子。

 一つ。二つ。三つ。

 点が線に成り、角を成せば陣と成る。

 鎮魂の術式を込めて作った簡易的な結界をお化けは越えることが出来ない。

 これは呪術師であるユズではなく、数で囲まれて身動きの取れないこともを守る為のモノ。

 護衛対象を狙って隙を生み出させようとしても無駄。

 あっさりと捌いたユズに対して、こうなると分かっているとでもいうように感心する様子を見せた呪霊は、不気味というよりも不可解だ。

 まるでこの行動こそが重要な手札の一枚を切ったように呪霊の行動の意図が何処までも見えない。

 

「幾つか歳を取った先達者からの余計なお節介を一つ振る舞おう若い呪術者さん(お嬢さん)。特異な土地には、ソレに相応のモノが住み着く。私と君の間にあるのは夜を深く知る経験の差だ──」

 

 お化けに紛れていた一つの影が陣を乗り越えて、ユズに迫る。

 明らかに呪霊ではない。

 お化けでもない

 なら、ヒトである。

 手に持つのは鋭利な凶器。

 刺されば一溜りもない。

 

「もう、なんなのよっ!」

 

 フリーランスの呪術師の肩書は伊達ではない。

 幾つもの鉄火場と死線を乗り越えてきているから、ユズは此処にいるのだ。

 迫りくる凶器を、携えた存在ごと蹴り飛ばす。

 呻き声もあげることなく地面を転がったのは幽鬼のように揺れるみすぼらしい女性だった。

 呪祖師ですらないソレに。

 唐突に現れた理解が出来ない存在に困惑するユズをありふれた物語の恐怖は嗤う。

 見せる札一つ、一つに翻弄されてくれてありがとう。

 拍手でもするように蹴り飛ばされ、転がる舞台道具の一つに歩み寄った呪霊は不可解で底が知れない。

 コレが時間稼ぎであったことを彼女が悟ったのは、全てが終わった後である。

 

「──それでは、御機嫌用。また会おう」

 

 一瞬のことであった。

 呪霊は傍らに置いた女性ごと喰われた。

 

「は?」

 

 黒く大きなイモムシ──いや、よく見ればソレは黒くうねる触手の群体である。

 正面にあるのっぺりとしたお面は顔だろうか。

 お化け、いや、呪霊とも言えない奇妙な存在が引きずるように持つ三つの袋。

 そのうちの一つに呪霊は捕らえられてしまった。

 度重なる予想外の乱入者。

 予測も対策もしていないソレに敵意を向けて良いものなのか。

 万が一がないように拳をユズは拳を構えるが、その表情は内心の困惑を素直に表へ出しているモノであった。

 

「え、ナニアレ?」

「よまわりさんです」

 

 うじゃうじゃと集まっていたお化け達はよまわりと呼ばれる存在が姿を見せた途端に蜘蛛の子を散らすように闇へと消えてしまった。

 姉の話にも上がらなかった奇特な存在。

 一応の警戒心を向けるユズに対して、こともは見慣れた様子で首を振ってユズの背後から側へと進み出る。

 安堵の表情すら見えるその表情にユズは構えた拳を下げて、事の成り行きを見守ることにした。

 

「……」

 

 じっと見つめ合うこともとよまわり。

 やがて、頑として視線を逸らさないこともに根負けしたようによまわりは闇に溶けてその姿を晦ました。

 お化けの気配が失せたただの夜道。

 少女は二人、同じタイミングで息を吐いた。

 どうしたものか。

 ユズは夜空を見て耽る。

 いつの間にかずいぶんと時間が経っていたようだ。

 月は大きく傾いた位置にあって、少しだけ空が白みを帯び始めている。

 

「先輩への手土産なくなっちゃたなー」

「どうしたんですか」

「うーん? ちょっと困ったことになったなって」

 

 少しだけ軽く苦笑を見せるユズの様子にこともは首を傾げた。

 強力な後ろ盾を得たとしても、横柄な自由人の教え子を拉致る以上、首級をあげて置きたかっただなんて、小話にするにはつまらない内容だ。

 それが鈴杜コトリとユズの画策。

 

「こともさん」

「はい」

「ごめんなさい、また何時か会いましょう」

「──え?」

 

 呼びかけに答えて、向ける顔。

 合わせた視線。

 黒く黒く吸い込まれるような黒い黒い黒い──瞳。

 蠢くように黒く黒く黒く──。

 

「アレ? 私、誰と話していたんだっけ?」

 

 ポツンと佇む街灯の下。

 不自然な記憶の欠落に一人佇む少女は首を傾げた。

 

 

 

 

 そして、夜は明けた。

 真希の連絡を受けて、下山した乙骨は耳にした情報を頼りに道を歩き、ポツンと佇む()()()を前に合流を果した。

 そこに探し求めた小さな友人の姿はいない。

 

「ごめんなさい」

「いえ……謝られることは、ない……です」

 

 落胆がないと言えば、それは嘘になる。

 己の過去にしっかりと向き合い、清算することを決意した彼は、ハルにいち早く謝りたかったからだ。

 

「こともさんが言うには、学長の指示で動いた呪術師(協力者)がいるらしい。……けど、なんで呪いなんて掛けたんだ」

 

 頭を掻いて、不機嫌な様子を隠さない真希の疑問も最もである。

 彼女から見れば、その呪術師が顔を合わせることを嫌った意図がちっとも見えないからだ。

 こともに掛けられた忘却の呪術。

 姿を眩ませた存在に不信感が積もっていく。

 

「とりあえず……僕たちも一端、先生の下へ戻って学校に帰ってみます」

 

 都高専に帰れば、ハルに会える。

 申し訳なさそうに謝ることもにそこまで気を病まないようにと、返した乙骨、真希の二人は並んで帰路に着いた。

 気落ちした様子で歩く乙骨の背を真希が軽く叩く。

 

「仲直り頑張れよ」

「勿論。ちゃんと、ハルちゃんに謝るんだ」

 

 ”ハルちゃんをよろしくお願いします”

 謝りたい、そう大事に思う彼女の友人にも託されている。

 一夜を超えて、たくさんの事を知った彼は心を改めて前を見つめた。

 

 

 だが、彼の思いとは裏腹に都高専に戻った彼らに言い渡されたのは、ハルとの接触禁止指令であった。





 本文書くことで割とヘロヘロなので後書きによる補完は後日、入れるかもしれません。
 追記
 
鈴杜■■ ユズ (夜廻三) 25歳
 作者の思う夜廻史上最上級にぶっ壊れの少女。
 行くとこ、行くとこで怪異を辻ヒールするが如く静めていったやべーやつ。
 ただ逃げるだけの無印。外付けの深夜と比較しても、なんなのよとしか言えない。

 本作でも過分なく出していきたいところを自嘲。
 術式は鎮魂。乱れてしまったモノを鎮める。(なお……)
 家入さんよろしく、生粋の反転術式使い。
 精神医療は出来る。……が、そっちに従事しようとは考えてもいない。
 間違っても、フリーランスに埋もれて旅行道楽に浸っていい存在ではない。
 
鈴杜■■ コトリ(夜廻三) ??歳(見た目15歳)
 コトリとして怪異になってしまったお姉さん。
 存在の定義としては、神に隷属する存在にして式神。(なお……)
 生前は術式は獲得していないが、人間を辞めると同時に術式を獲得した。
 術式は回帰。
 死に戻りである。


 ご愛読ありがとうございました。
 今後もちまちまと書き連ねていきますのでよろしくお願いいたします。
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