コナンの世界に転生した少女の物語   作:エリンギどくだみ

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プロローグ
雨谷瑠璃の決意


 私、雨谷瑠璃(あまやるり)は所謂『転生者』だ。

 

 その事実に気付いたのは、ほんの数日前のことだった。

 ふと何の前触れもなく、どこにでもいる普通の勤め人だった前世の記憶が呼び覚まされ、現在に至る。

 

 そこまではまだ良い。驚きはしたものの、すぐに割り切ることができた。

 築き上げた社会的地位は平凡そのもので、似たような毎日をただ漫然と過ごす退屈な生涯だったから、人生のリセットという意味ではむしろ喜ばしいことだと思ったんだ。

 

 問題は、転生先となった世界――

 

 東京都米花市米花町在住、私立帝丹高校に籍を置く二学年の女子生徒。

 それが今の私。

 

 そう、現実には存在しない創作の世界、しかもあの『名探偵コナン』だ。

 

 全て合点がいった。

 異常な頻度で勃発する犯罪も妙な治安の悪さも、全ては推理物という作品の都合というわけか。

 

 頭を抱えたのは言うまでもない。

 なぜよりによって、行き着く先が犯罪の跋扈(ばっこ)するあの米花町(べいかちょう)なんだろう。これは夢だ、という希望的観測を全面に押し出して現実逃避に終始するも、やがてそれが詮無いことだと痛感してしまう。十七年の記憶はしっかり脳内に刻み込まれているわけだから。

 

 唯一得したことは、容姿かな。

 前世の『私』が来るまでは自分の見て呉れなんて歯牙にも掛けていなかったけど、今は言ってしまえば比較対象ができたわけだ。そのことを認識した上で鏡を見てみると、その差は一目瞭然だった。

 

 端正に整った顔立ち、ボブカットの艶やかな黒髪、生まれ立ての赤子のように瑞々しい雪肌。

 一言で形容するならば、大和撫子といったところか。

 

 社会の荒波に揉まれて擦り切れまくった『私』とは何もかも大違いだった。

 肌は大荒れ、毛先はボロボロ。容姿はこれといって目立つ点もなく、平凡そのもの。

 

 若いって素晴らしい、と悦に浸る。

 

 ただそれだけ。虚しい。

 いつ凶悪事件に巻き込まれるかわからない恐怖を考えると、容姿の美醜なんて些末(さまつ)な事柄に思えた。死ねば何もかもが無に帰してしまうわけだから。

 

 そんなこんなで、ここ最近は鬱屈とした日々を送っていた。

 

 

 

 

 

 

 放課後、()()は速やかに帰路に就いた。

 雑居ビルや商店が立ち並ぶ米花の街中をてくてくと歩く。

 

 クリスマスシーズンのこの時期は落陽が早い。遠方の空はすっかり茜色に焼けていた。

 これからディナータイムに入る飲食店が多いのだろう。にわかに一帯が活気付いて、夜の賑わいを見せ始めている。私達と同じように下校する生徒や仕事帰りの会社員もちらほら目に付くようになってきた。

 

「はあ……」

 

 そこそこ大きい溜息を吐いてしまった。

 『米花いろは寿司』とか『米花総合病院』とか、名前に米花の二文字を冠する建物を目にすると、否が応でも自分がこの町の住人であることを実感する。

 やっぱり夢じゃないんだ――

 

「ちょっと、瑠璃? るーりー?」

「うえぇ!?」

 

 街の景観をぼんやり眺めていると、耳元で呼ぶ声がして、私は現実に引き戻された。

 素っ頓狂な声を上げてしまったような気がする。

 

 声がした方に頭を振り向けると、前髪をカチューシャで留めた茶髪の女の子、学友の鈴木園子(すずきそのこ)が怪訝そうな顔付きで私を見ていた。

 

「うえ、じゃないわよ。話があるからずっと呼んでるのに、ボケっとしちゃってさ」

 

 彼女は最初こそむくれてみせたものの、やがて心配そうに眉をひそめた。

 

「どうしたの? 悩み事? それとも具合でも悪いの? ここんとこずっとそんな感じじゃない」

 

 園子は鈴木財閥の御令嬢だ。

 準レギュラー的な立ち位置で、それほど出番が多い方じゃない。お転婆を絵に描いたような娘で、金満家の生まれとは思えないほど感覚が庶民的。育ちの良さを鼻に掛けたところが全くなく、お調子者でやや軽薄な面が目立つけど素直で良い子、という認識を『私』は抱いていた。

 

 親友としての私も、全く同じ人物評で一致していた。

 こうして真から私の身を案じてくれている。

 

 私はひらひらと手を振った。

 

「だいじょーぶ! ちょっと考え事してただけだからさ」

「考え事? あ、まさか……」

 

 園子は何か閃いたのか、急に「むふっ」と恵比須顔になった。

 なにやら目の前で小指を立てながら、手首をグルグル回している。

 

 こういう時の園子は決まって何かくだらないことを考えているんだよね。

 

「なになに? ひょっとして、レコ? 恋煩いってヤツかしらん?」

 

 ほら、やっぱり。

 しかも「レコ」とか、それなりに年を食った中年オヤジでも今時口にしない言葉と思う。

 

 私は口の先を尖らせて、脇腹の辺りを小突いてくる園子の肘をやんわりと押し遣った。

 

「違うよ! んもう、園子は相変わらず他人の色恋沙汰に敏感だよね」

 

 彼女はすっかり肩透かしを食った様子で、なあんだ、と心底つまらなそうに嘆息した。

 それからニヤニヤと口元を綻ばせて、無二の親友である毛利蘭(もうりらん)を見遣った。

 

「少しは蘭を見習いなよ。なんたって、もう未来の旦那様を確保してるんだから」

「ちょ、ちょっと、園子!」

 

 『彼』との仲を茶化す園子と、頬を赤らめながら「そんなんじゃないわよ!」と憤慨する蘭という構図は実に見慣れた光景だ。読者としても友人としても。

 

 私はそんな微笑ましい二人のやり取りを傍から静かに見守る。

 

 毛利蘭。メインヒロインにして、武勇の誉れ高い空手の有段者。

 名探偵コナンに詳しい方ではないけど、彼女の存在は知っている、という諸兄姉も多いんじゃないかな。

 

 この作品はやたらと戦闘力の高い御仁が多い。

 蘭はその筆頭だと思う。とにかく高校生離れした身体能力と卓越した格闘センスで大の大人を圧倒する。

 

 私が蘭と園子の知己を得たのは、高校に入学してまだ間もない頃のことだった。

 だから取り立てて長い付き合いではないけれど、私自身は懇意な間柄だと勝手に思っている。

 

 それでも、前世の記憶を想起してから一度、二人との関係を断つべきじゃないか、と考えたことがある。

 

 それはなぜか?

 一番の理由は、まあ保身だった。

 

 やっぱり推理物のヒロインとその親友だけあって、両者は事件に遭遇する頻度が非常に高い。今までも、そしてこれからも、命の危機に瀕する場面がたくさんあるはずだ。

 そんな二人と友誼(ゆうぎ)に厚い関係を続ければ、どうなるか。想像に難くない。いずれ巻き添えを食い、五体満足ではいられなくなるんじゃないか、という不安が頭をもたげてくる。

 

 二人はまだ良い。

 当人達は知る由もないだろうけど、蘭と園子には作者という強力な後ろ盾がある。

 

 作品のメインと準レギュラーだから、先日の包帯男の事件のように――ちなみに私は他に予定があって不参加だった――多少恐ろしい目に遭ったりすることはあっても、命を落とす事態にまでは至らない。作者がそうさせない。

 

 反面、私はどうだろう。

 雨谷瑠璃という人間は本来存在し得ないはずのイレギュラー、完全に独立した存在。つまりどういうことかというと、命の保証などは皆無に等しい。

 

 まあ結局、篤い友情を捨て切れずに今まで通りの関係を続けているわけだけれど。

 

 数日悩み通した結果、半ば捨て鉢気味に「ウジウジ考えていても仕方がない。この十七年間、何も知らずにそこそこ安寧の日々を送れてきたのだから、この先もなんとかなるんじゃないか」という答えに行き着いた。

 

 もうなるようになれだ、こうなったら。

 今更二人と絶縁なんて考えられないし、考えたくもない。

 

 ケガさせたくないしね。

 私の働き掛けで危機を回避できるなら、そうした方が良いに決まってる。あくまで重要なフラグをへし折らない範囲ではあるけれど。

 

 それを聞いた『私』は「お気楽なもんねー」と半ば呆れ気味。

 一方の私は「うっさいなあ、黙っててよね」と理知的な反論も放棄して『私』を一蹴する。

 

 事件の現場に遭遇した経験は何度もあるから、死体を目の当たりにしても気が動転することはまずないと思う。肉体の一部が欠損するような惨たらしいものは、さすがに勘弁してほしいところだけど。

 

 園子と些細な口論を繰り広げていた蘭は、あらかた捲し立てたことでスッキリしたのか、一息吐いてこちらにくるりと向き直った。

 

「でも、本当に無理しちゃダメだよ、瑠璃ちゃん。ただの考え事ならいいけど、体調が悪いんなら大人しく安静にしてないと……」

 

 不安そうな面持ちで私の顔を覗き込んでくる。

 

 私はそんな蘭の物憂げな表情を、何を言うでもなくただじっと見つめた。

 いざという時は彼女の類い稀な膂力(りょりょく)に頼ることになるだろうと、他力本願なことを考えながら。

 

 「ん?」と小首を傾げながら微笑む蘭の両肩に、私はポンと手を置いた。

 

「頼りにしてるよ、蘭。いや、ほんっとーにマジで……!」

「えっ?」

 

 直前の会話から、もしもの時の看病を依頼されたんだ、と勘違いしたのかもしれない。私の切迫した事情など露も知らないはずの彼女は、戸惑いながらも「任せて!」と威勢良く応じた。

 

 特に誤解を正す気がなかった私は、話の矛先を園子に向けた。

 

「それで? アタシに何か話があるんじゃないの?」

「あ、そうそう! 今度の日曜なんだけど、予定空いてる?」

「暇だよぉ。どこか出掛けるの?」

 

 園子は「よくぞ訊いてくれました!」と興奮気味に声を張り上げ、立て板に水のようにその日の予定を話し始めた。

 

「私達、お父さんのコネで『レックス』のライブの打ち上げに参加することになったのよ! ボーカルの木村達也(きむらたつや)に会えちゃうってわけ! ねえ、瑠璃も一緒に行こうよ! 場所は駅前のカラオケボックス! こんな機会滅多にないわよ!」

 

 よくもまあコネがあるとはいえ、目下売り出し中のバンドに有象無象の女子高生を捻じ込むことができるな、と感心する。

 日本有数の資産と権力を誇る鈴木財閥の手に掛かれば、それぐらい造作もないってわけか。

 

 芸能関連の知識に疎い私でも、レックスという名前だけはたしかに聞き覚えがあった。飛ぶ鳥を落とす勢いで破竹の快進撃を続ける新進気鋭のロックバンド、という触れ込みで連日ニュース番組に取り上げられている様子をよく目にするからだ。

 生憎、私は音楽にほとんど関心がないから、メンバー構成やどういった曲をリリースしているか、というところまでは全く知らない。園子に「今時の女の子らしくないわねぇ」なんて苦言を呈されてしまいそうだ。

 

「まあ、特にすることもないから別に出席してもいいか……な……」

 

 よく考えもしない内にOKの返事を出し掛けた私は、ある可能性に思い至って、はたと言葉に詰まった。恐る恐る、といった調子で蘭に尋ねてみる。

 

「あ、あのさ……もしかして、コナン君もその打ち上げに参加するの?」

「えっ? うん、そうだけど……」

 

 やっぱりー!?

 

 頭の天辺に大きなタライがゴーンと落ちてきたような衝撃だった。

 

 なんてことだ。この作品の主人公である『彼』――工藤新一(くどうしんいち)こと江戸川(えどがわ)コナンも一緒に参加するというのであれば、その打ち上げで殺人事件が発生する可能性を考慮しなくちゃいけない。

 推理漫画という作品の性質上、主人公の赴く先で事件が起こるのはごく当たり前のことだ。その事実を知らない目暮警部などは、彼を『死神』などと揶揄しているけれど。

 

 私は必死に脳をフル回転させた。

 精神統一するように、意識を思考の深部に沈めていく。

 

 工藤君が世間的に蒸発して行方知れずとなったのは、つい最近のことだ。

 さほど日は経っていない。

 

 つまり、もし本当にそのカラオケボックスで凶行が起こるとするならば、それは原作の初期に収録されている事件のはずだ。

 

 どういう内容だったか。

 レックス、木村達也、カラオケボックス――

 

 断片的で心許ない情報を頼りに、記憶を隅々まで探ってみせる。

 

 やがて、私は愕然とした。

 ダメだ、全然思い出せない。これといった心当たりさえなかった。

 

 被害者の人数は一人か、あるいは複数か?

 どのような方法で殺害されるのか?

 動機は? 凶器の種類は?

 

 そういった諸々の概要すら何ひとつ思い出せない。

 こんなことならもっと原作を読み込んでおくべきだった、と後悔した。

 

 私は名探偵コナンに造詣が深いわけじゃない。

 熱狂的なファンには程遠く、かといって全くの無知でもなく、そこそこの知識を有するありきたりな一読者に過ぎない。そんなヤツに最初期の話を思い出せ、というのは土台無理な話だった。月影島や前述の包帯男のように、印象深い事件ならともかく。

 

(ヤバい、どうしよう……! カラオケボックスで起こった事件なんてあったっけ?)

 

 警察に話を持ち掛けても、まともに取り合ってくれないだろう。

 

 門前払いにされるのは目に見えている。

 一応、実績と信頼がないわけじゃないんだけど、工藤君のそれに比べれば微々たるものだ。彼らの重い腰を上げさせるほどじゃない。

 

 いや、相談くらいなら乗ってくれるかも。

 『殺人』というワードを耳にすれば、きっと彼らも心中穏やかではいられない。耳を傾ける価値はあるんじゃないか、という考えに至るはずだ。

 

 だけどその後、事件が起こると分かった理由をどのように説明すればいい――?

 未来予知のような力を持っているから、あらかじめ予測できました、とでも言えばいいというのか。そもそも本当に事件が起こるか、それすらも定かではない。

 

(あ、頭痛くなってきた……)

 

「……瑠璃ちゃん、大丈夫? 顔真っ青だよ? やっぱり本当は具合悪いんじゃない?」

 

 どれほどの間、黙りこくっていたのか。

 不意に肩を揺さぶられて顔を上げると、硬い表情で眉尻を下げている蘭と園子の姿が目に入った。

 

 私は二人の心配を和らげるようにフッと笑って、ゆっくりかぶりを振った。

 

「大丈夫。ちょっとここ最近、寝不足気味でもあったからさ。今度の日曜だっけ? それまでにちゃんと睡眠取って、体調崩さないようにしておくよ」

 

 園子は「ならいいけど……」と安堵の息を漏らした。

 

「じゃあ、当日夜七時に現地集合ね!」

 

 正式に約束を取り付けて、しばし足を止めていた私達はまた歩き出した。

 

 最初から『断る』という選択肢はなかった。

 二人を殺人が起こるかもしれない現場に向かわせて、私だけ安全なところでぬくぬくと羽を伸ばしているのは――違う気がした。どう考えても寝覚めが悪い。

 

 それに――

 

 直接現場に乗り込めば、事件そのものを未然に防ぐことが可能かもしれない。

 最悪それが不可能でも、なんとか殺人を『未遂』に終わらせることができれば――

 

 そんな虫の良いことを考えてしまった。

 

 

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