案内も滞りなく済んで、私達はとある一室に通されていた。
私が田畑さんに「例のチェスを上から十分に見渡せる部屋はありませんか?」と尋ねて、案内してもらったのだ。
インテリアに気を使ってある客間だけあって、煌びやかな内装だった。
また子供達のテンションがうなぎ上りだ。私は声を鋭くして三人に呼び掛けた。
「こぉら、少しはおとなしくしなさい! さっきも言ったけど、よそのおうちなんだからお行儀よくしないと。また庭師さんに怒られちゃうよー」
「ほーい!」
相変わらず、打てば響く太鼓のように返事だけはすぐ返ってくる。
やれやれ、これはヒヤヒヤものだ。備品を壊して損害でも発生させたら目も当てられない。毎度引率を担当する博士の精神的疲労は察するに余りある。
当の博士は田畑さんと肩を並べて、部屋の前を適当に往復しながら仲睦まじく談笑している。
私と『雨谷瑠璃をお世話し隊』の二人は、部屋の真ん中で作戦会議を開いていた。
双方とも変わらず全面的なバックアップを出し惜しみしない姿勢を見せている。なら、身を粉にして働いてもらおう。
まずは灰原さんが発言した。
「そろそろ今回の件に関する雨谷探偵の考えを聞かせてもらおうかしら。なんだかあなただけどんどん先を行っているみたいだし?」
「だな」
二人とも険のある目付きでじっと私を見つめる。
口の先を尖らせたり、ぷくっと頬を膨らませたり。置いてけぼりを食らって拗ねている子供みたいで、なんだか微笑ましかった。
私は周囲にさっと目を配った。
今も息を潜めて、じっとこちらの様子を窺っている可能性は高い。
しかし、会話の内容までは聞き取れないだろう。周囲の喧騒が今は良い方に作用している。ここで私の考えを披露しても問題はないはずだ。
が、結局やめておいた。
まだやるべきことが残っているのにそれを一から説明するのは時間が掛かるし、それに私がこれまで行ってきたことは、厳密には『推理』ではなく『推察』。既知の事実や証拠から導き出した確かな結論とはまだ言えない。
その代わり、これだけははっきり伝えておいた。
「コナン君には高確率で
さすがにコナン君は察しが良かった。今の一言だけで私の要請する仕事がどういった種類のものか、概ね理解したみたいだった。一気に表情が引き締まった。
知識不足を補うとか、拙い推理を横から補佐するとか――彼が担う役割は様々なんだろうけど、何よりも
最初は緊張が走ったような険しい顔付きだったけど、コナン君はすぐにニヤリとした。
「任せろよ。誰だろうと、おめーには指一本触れさせやしねえ」
頼もしい限りだし、改めて惚れ直したわけだけど、もう平然とアタシをお前呼ばわりしていることにはツッコまない方がいいのか。またそのうち『瑠璃』って言い出すんだろうなぁ。灰原さんも匙を投げたのか、さっきみたいに注意することもなく、ただジト目でコナン君を見るだけだった。
私はこれからの調査について、チェスの謎を解き明かす『解読班』と塔の火事を調べる『調査班』の二手に分かれようと提案した。暗号の解読は、もちろんコナン君の担当。調査は引き続き私が請け負う。
「キミは財宝の行方を追ってくれ。言っとくけど、単なる宝探しじゃないよ。この城で起きた悲劇が例の宝に起因するものなら、その正体を探ることも立派な調査の一環だと思わない?」
コナン君が私の案に難色を示したので、私は彼を辛抱強く宥めるに至った。
彼はまだ憮然としていて、首を縦に振ろうとしなかった。
「そりゃオレも同意見だけどよ。けど、そばにいなきゃ守れねえってのに別行動なのかよ?」
彼の意見はもっともだが、もちろん考え無しにこんな作戦を立案しているわけじゃない。
私は事細かに説明した。
「たしかに別行動ではあるんだけど、ちょっと違うな。アタシは
直接現場に出向いて調査しようにも許可が下りるはずがないし、万が一可能になったとしても、あの老婆の存在がある。迂闊に出歩けない、というのが正直なところだった。
とにかく、ヤツがどこに潜んでいるか分からない。それが最大の懸念であり、不安事項だ。
もし本当に地下通路があるとしたら、入口ははっきりそれと分かる形で開放されていないだろう。相当巧妙に隠されている。まだまだ新参の部類とはいえ、この城に何年も腰を据えている人達がその存在を全く把握していないからだ。勘付いてすらいない。
例えば、
というわけで、物陰や死角はもちろんのこと、壁際に近付くことも忌避したい。
単独行動は絶対に避け、部屋に留まる時はなるべくこうして中央付近に立つ。今更言うまでもないことだが、ここはヤツの根城。地の利は当然向こうにある。ならば、細心の注意を払って然るべしだ。
――他の皆は大丈夫だ。たぶん襲われることはない。
狙われるのはアタシだけ。
あの老婆の瞳に宿っていたのは、地の果てまで追いつめてやるという狂気じみた執念。他の者は眼中にない。箸にも棒にも掛からない。
大丈夫。行動は制限されても、それ相応のやり方がある。なにも現場に赴いて犬のように嗅ぎ回ることだけが調査じゃない。連載当時の時代背景ならそれも難しかったかもしれないけど、
私は話を続けた。
「灰原さんはこっちの調査班に就いてもらう。能力不足のアタシをサポートするのがメインだけど、無茶をしないようにお目付け役としても、ね?」
灰原さんの両肩に手を置いて、後ろからにっこり微笑み掛ける。
知恵袋と言っていいほど知識がパンパンに詰まっているし、化学や医学の方面にも明るい。場数を踏んでおり、冷静さも兼ね揃えている。
コナン君にも決して劣らぬスーパーハイスペック美少女だ。
まあ本音を言えば、巻き込まれないように灰原さんも向こうに追いやるのが理想だ。
とばっちりが行かないように、私一人でやりたい。だが、二人とも断固としてそれを許さないだろう。猛反対されるのは目に見えている。
彼女もまた、私を見上げながらフッと笑った。
「殊勝な態度ね。ご自身のことがよく分かっていらっしゃる。まあ、元よりあなたに言われなくても最後まで付き纏うつもりだったけどね」
これなら文句ないだろうと思ったが、コナン君はなおも渋った。
「いや、でもなあ……」
ああもう、じれったいなあ。相変わらず過保護なんだから。
親鳥がヒナを翼の下に入れておくようなものかね。いい加減、巣立ちの時を見守ってもらわないと。
仕方ない、これで行くか。
「とにかく、キミは自分の仕事に当たってくれ。
私は挑発的にコナン君を煽った。
負けず嫌いの性分を利用して焚き付けて、その気にさせようってわけだ。
ところが、彼の反応は予想とはだいぶ違っていた。
ムッとして、それから不敵に笑った後に「誰に物言ってやがんだ?」というような勇ましい姿を期待していたのに、今の彼は食あたりでも起こしたような顔をしていた。表情が凍り付いて、滝のような汗を滴らせている。
え、なにこの反応――?
私も大いに困惑した。なんとも言えない沈黙が両者の間に流れた。
埒が明かないと判断したのか、灰原さんが横から口を挟んだ。
あからさまに「はあ」と大きな溜息をついている。
「雨谷さん。あなたやっぱり、江戸川君の正体にとっくに気付いてたのね?」
「え゛っ」
変な声が出た。
出会い頭の先頭打者ホームランみたいなもので、とぼける暇さえもない。驚きがそのままダイレクトに顔に出た。
「東の高校生探偵って言ってたわよ、あなた」
おおう。マジですかい、奥方。
いつかやらかすんじゃないかと自分でも思っていたけど、ついにボロが出たか。アタシのバカ。
灰原さんが「揃いも揃ってどこか抜けてるわよね」と呆れ気味に私達を見ている。
反論しようにも事実その通りなので、ぐうの音も出ない。私とコナン君はぎこちない笑みを浮かべて互いに顔を見合わせるしかなかった。
「まあ、私も工藤君もある程度は予想していたのよ。あなたほど鋭い子ならとっくに見抜いていてもおかしくはないだろうって。あなたも知っての通り、この人はわりと隙だらけなわけだし、ね?」
コナン君は「ハハハ……」と渇いた笑いを上げて、灰原さんの厳しい視線から逃れた。さしもの彼も灰原さんの前では防戦一方だ。
「で? 当然私のことも察しが付いてるってわけね」
私は「まあ……」と目を泳がせながら、いくらか言い淀んだ。
「やけに大人然としてるし、年上のお姉さんみたいに色々と世話焼いてくれるし……ねえ?」
感謝したわけではなく――いやまあ、もちろん日頃から感謝はしているんだけど。それ以上に「そう言う灰原さんもわりと迂闊だよね?」というメッセージを言外に込めると、曲解せずに正しく受け取った灰原さんはしかめっ面に顔を歪めた。わずかに目が殺気を帯びた。
「やんちゃで危なっかしい妹の面倒を見るのが、姉としての責務ってわけよ。なんか文句ある?」
「いいえ、ございません」
私も少しは成長している。こういう時の彼女に逆らってはいけない。
妹は姉に頭が上がらないものだ。
「私達の身に何が起こったか、詳しくは訊かないわけ?」
「訊いて素直に答えるとは到底思えないし、そっちの事情に首を突っ込む気はさらさらないよ。キミ達がしていることにアタシは一切関わらない」
「それでよろしい。百点満点の回答ね。頭の良い子は好きよ」
私は平然と嘘をついた。
もうすでに、私の意思とは関係なく例の組織と関わってしまっている。
二人がそれを知ったら大層たまげるだろう。目の色を変えるに違いない。
私が
それでなくとも、たった数度とはいえ工藤君の推理の手助けをしたという過去の実績がひどく重荷になるかもしれない。今の私の活動がヤツらの知るところとなったら、少々――いや、
全く関わりないように見えて、実は意外なほど私と連中は近いところにいる。
「?」
急に黙り込んだ私を、二人が不思議そうに見ている。
おっと、いけない。将来の不安よりも今は目先の事件だ。
「とにかく、そっちは頼んだよ。こっちは灰原さんがいるんだから、心配いらないよ」
「わかったよ」
勢いで無理やり説得して、コナン君はようやく渋々ながら了承した。
別れ際に、彼はビシッと私を指差した。
「まだまだオレの足下にも及ばないってことを教えてやるよ、瑠璃」
彼ははっきり私の名前をそのまま呼んだ。気兼ねする必要がなくなったおかげなのか、まるで枷が外れたように活き活きとしている。勝手に挑戦状を叩き付けて、こっちの反応を見るまでもなく張り切ってさっさと持ち場に就いてしまった。
私はにっこりした。
ほんっと、負けず嫌いなんだから――
★
簡素な造りのテーブルが一つあったので、私達はそこを調査本部とした。
コナン君は窓際に陣取って、床に直接座り込んでいた。
真剣な眼差しでスマホの画面とにらめっこしている。どうやら私達が田畑さんの許可を得ている間に、チェスの全体を撮影しておいたみたい。
席に着く途中で、灰原さんが尋ねてきた。
「それで、どうするの? ここから一歩も出ないで調査するって言ってたけど」
「これを使う」
私は自分のポケットからとある端末を取り出した。
スマートフォン。略してスマホ。私もこれに頼ろうと思う。
便利な世の中になったものだ。この小さな機械一つで、情報はいつでもどこでも簡単に手に入る。当時はまだまだネットが普及し始めた頃で、完全にそれが社会に根付いていたとは言い難い。少なくとも携帯端末で気軽に通信なんていうのは、しばらく先の話だ。
思えば十数人規模の死者が出たという情報を耳に入れただけで、それ以上のことはまだ知らない。もう少し詳しく調べていこうというわけだ。これだけの大火災なら、各報道機関も大きく取り上げたことだろう。
なぜだか灰原さんが気持ち悪いほどニヤニヤしている。
何かを隠し持っているのか、後ろに手を回してその場を行ったり来たり。ぐっと首を伸ばして、瞳の中まで覗き込むように私の顔を見ている。
勝ち誇っているというか、してやったりというか――そんな表情だ。
彼女がなんのためにそうしているのかさっぱり理解が及ばなくて、私は「うっ」と呻いた。
なんなのよ、さっきから。
灰原さんは「じゃじゃーん」と満を持して後ろにあるものを取り出した。
彼女もまた、スマホを握り締めていた。
「あなた達二人が考えを進めている間に、こっちで例の火事の詳細を調べておいたのよ。後で必要になると思ってね。かつての名家で起きた大規模な火災だけあって、当時の新聞紙上でも大々的に報じられたみたい。お姉さんに感謝しておきなさい」
ニュース記事が開かれた画面を見せ付けながら、ドヤ顔で「フフン」と鼻を高くしている。
いや、これに関しては本当にお姉様と呼んで崇拝したいくらいの仕事ぶりだ。なんか移動の合間にやたらスマホをポチポチしてるなって思ってたけど、そういうことだったのか。おかげで手間が省けた。
あまりにもシゴデキ――!
椅子に腰を下ろして、私はさっそく灰原さんに訊いてみた。
「何か耳寄りな情報はあった?」
「ええ、とびっきり目に付くのがね。他にも興味深いものはいくつかあったけど」
彼女は途端に真面目な顔付きになって、重々しく口を開いた。
「どうやら例の火事、