コナンの世界に転生した少女の物語   作:エリンギどくだみ

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後編――『生きていれば……』

 犯人は九分九厘、マネージャーの寺原麻理で間違いないだろう。

 

 私は目蓋を閉じ、人差し指の先で額の中央をトントンと叩きながら思惟に耽った。

 木村さんの右手に毒が付着した時期は、彼が『血塗れの女神(ブラッディビーナス)』を熱唱してから席に戻るまでの間であり、曲を歌うように仕向けたのはその時中座していた寺原さん自身だ。

 

 これが意味することは、一体何なのか。

 『血塗れの女神』を歌わせることによって、遠く離れた場所からでも毒を仕込むという離れ業を可能にした、という事実を暗に示しているのではないだろうか。

 

 私は、歌の途中で彼の右手が『どこ』に触れていたのか、よく思い返してみた。

 

 記憶を取り違えていなければ、該当箇所は二つ。マイクの取っ手と、()()()()()()だ。

 なぜその二箇所に接触していたのか。前者については言うまでもないだろう。後者は曲の振り付けで、マイクを一旦スタンドに置いて腕を組み、反対側の手で左右の肘を掴むという部分があるのだ。

 

 寺原さんはどちらに毒を塗り付けて、間接的に彼の右手へ移したか。

 

 端的に言えば、取っ手の可能性は無きに等しい。木村さんの御指名で『赤鼻のトナカイ』を歌わされた際に仕掛けを施したと考えられなくもないが、それでは彼女の直後にマイクを握った芝崎さんの利き手にも毒が付いてしまう。

 無関係の人間を巻き添えにするほど狂気的な怨嗟に取り憑かれているとは思えない。あくまでターゲットは木村さんのみのはずだ。

 

 となると、残るは左肘しかない。

 

 おそらく、木村さんが身に纏っていたスタッフジャンパーの()()の左肘に当たる部分にあらかじめ毒を塗付しておいたのだろう。それに袖を通せば、下に着用したシャツの同じ部位の()()に毒が付着することになる。

 後は振り付けに従ってジャンパーを脱ぎ去り、右手で左肘に触れば、彼の命を絶つ『爆弾』が自動的にセットされるという寸法だ。彼の自前のシャツに直接細工することは困難を極めるだろうが、事務所が発注する上着であれば造作もないことだろう。マネージャーとして辣腕を振るう寺原さんであれば、尚更だ。

 

 私は深い思考の海から意識を引き上げて、目を開けた。マイクスタンドの近くに捨て置かれた木村さんのジャンパーに視線を向ける。

 

(もし私の推理通りなら、今もアレに毒が――)

 

 そこまで考えて、私はハッと息を呑んだ。

 自然と足が動いた。既に鑑識が入って捜査を進めているというのに、堂々とお構いなく室内のど真ん中を闊歩していく。その勢いと不躾さにぎょっとして、数人が私を振り返った。

 

「お、おい! 瑠璃君!」

 

 仰天したのは目暮警部も同じだった。無断で現場に立ち入る私を止めようと手を伸ばすが捕まえられず、すぐに背中を追ってきた。

 

 私の鬼気迫る様子にただならぬものを感じ取ったのか、コナンも遅れて追従する。

 

「コ、コナン君まで……。一体どうしたというんだね、いきなり」

 

 困惑する警部を意識の外に追い出して、私は壇上に立った。その場に膝を着いて腰を下ろし、件のジャンパーを食い入るように見詰める。

 思った通りだ。間違いない。木村さんが投げ捨てた時は背中が上を向く形で床に落ちていたのに、今は逆だ。()()()()()()()()()()()()()

 

 私は近くの鑑識官に鋭く尋ねた。

 

「このジャンパーですけど、弄ったりしましたか?」

 

 その鑑識官は鳩が豆鉄砲を食ったように、きょとんと目を丸くした。

 捜査関係者でもない少女に咎め立てするような口調でそんなことを訊かれるなんて、思ってもみなかったのだろう。彼はうんともすんとも言わず、たじろいだ。やがて、助けを請うような目付きで目暮警部に視線を送った。

 

 警部が仕方なさそうに肩を竦めて、彼の代わりに答える。

 

「いや、まだ現場保存の段階に取り掛かったばかりだから、誰も手は触れておらんよ」

 

 入口の近くで私達の様子を不安そうに見守っている蘭や園子、レックスの面々にも同じ質問を投げ掛けてみた。

 

 彼らは一様に首を横に振る。「ノー」ということらしい。

 

「コレがどうかしたの?」

 

 向かい側から四つん這いの姿勢でジャンパーを隈なく眺め回していたコナンが、顔を上げて私に問い掛けてきた。

 

 私は渋面で首を捻りながら、重々しく口を開いた。

 

「さっきと向きが違うんだ。それと、微妙に位置も変わってる」

「本当? よく見てるんだね」

 

 器用なもので、コナンは片方だけ眉を上げた。どうやら素朴に驚いたらしい。

 木村さんが殺されると既に予知していたから、彼自身や私物の配置に逐一気を配っていたとは口が裂けても言えなかった。

 

 最初はあの騒ぎで誰かがうっかり踏み付けてしまったのかと思ったが、見たところ、靴跡の汚れは一切見当たらない。

 

 コレを手に取ったのが犯人だとしたら、大した胆力だと舌を巻く他なかった。あれほど私が厳命に近いレベルで「室内の物に触るな」と警告していたのだから。

 警察が来るまで各人の動向には十分目を光らせていたつもりだったが、おそらく注意が逸れた一瞬のスキを突いて、素早く行動に移したのだろう。つまり、そのような危険を冒さなければならないほど、このジャンパーに重大な用があったということだ。

 

 それは何か?

 決まっている。()()()()()()()()()()()()

 

 普通であれば、外側ならともかく衣服の内側に毒など付着するはずがない。捜査が進展してその事実が発覚すれば、自分が仕掛けた殺人のメカニズムが洗いざらい解明されてしまうかも、と恐れを抱いたのだろう。

 

 しかし、やろうと思って簡単にできることだろうか。

 その場で毒を綺麗さっぱり拭い去るなんて。

 

 いや、たとえそれを可能にする手段を持ち合わせていたとしても、()()()()()()()

 

 私はジャンパーを掴み、ポケットの中を手当たり次第まさぐってみた。

 今度の目暮警部の慌てぶりは、さっきの比ではなかった。

 

「おいおい! 困るよ、瑠璃君! 現場の品をみだりに物色しないでくれたまえ! ホームズごっこも良いが、時と場所を考えてだね……」

 

 やはり、これほどのおいたになると見逃してはくれないらしい。

 致し方ない。再び名を捨てて実を取るとしよう。私は彼の言葉を遮るように、しーっ、と人差し指を口元に当てて茶目っ気たっぷりにウインクした。

 

 またあの痛々しい探偵気取りである。

 

「警部、どうかお静かに願います。かの名探偵、エルキュール・ポワロ氏のように今、私の灰色の脳細胞が活性化を始めたところなのですよ!」

「……そろそろ本気で怒っていいかね?」

 

(ひーん! やっぱり、逆効果だあ……)

 

 自分は探偵、という意思を明確に示せば多少は大目に見てくれるかもしれない、という甘い賭けに出てみたのだが、やはりそうは問屋が卸さないらしい。むしろ、彼の神経を逆撫でしただけだった。グルグルと唸る犬のようにちらりと歯を剥き出しにして、青筋を立てている。

 

 新一のように確かな実績と武勲を立てた上で知遇を得なければ、とても例外的な捜査権など与えられないということだろう。目暮警部にとって、私はどこまでも『一般人』に過ぎないらしい。

 

「……あれ?」

 

 目暮警部に応対しながら内ポケットの中を探っていた私は、本来あるはずの手応えがないことに違和感を覚えた。ジャンパーを逆さまにして、何度か上下に揺さ振ってみる。

 

 やはり、ポケットの中身は空だった。『例の物』が落ちてこない。

 

 さすがと言うべきか、私の一連の動作でコナンは察したようだった。

 

「もしかして、無くなってるの? 木村さんのライター」

「……うん」

 

 そう、彼は喫煙者でライターを所持している。

 打ち上げの最中、しきりに内ポケットから取り出して煙草に火を点ける姿を何度も目にしてきた。使用した後はテーブルの上には置かず、いつも決まってポケットの中に仕舞い込んでいたはずなのに、今は影も形もない。所在不明になってしまった。

 

(そうか……)

 

 全て合点がいった。なぜあの時、寺原さんはわざわざジャンパーを脱去して外に退出したのか。そして、完璧に毒を取り去った方法も。

 

 これなら消えたライターの謎も説明が付く。

 

 どこかに潜り込んでしまった可能性を考えたのか、コナンは辺りの物を片っ端から引っ掻き回そうとした。

 

「コナン君」

 

 そうする前に、私は彼の肩に腕を回して、そっと胸元に抱き寄せた。目暮警部に話を聞かれないように互いの頭をくっ付け合い、ヒソヒソと耳元で囁く。

 

「たぶん、ライターは出てこないと思うよ」

「どうして? 犯人が持ってるとか?」

「そのまさかだよ。これから私が犯人に問い詰める」

 

 一瞬何を言っているのか理解できなかったのか、コナンは一呼吸置いてから目を瞠った。

 

「……ええっ!? もう分かったの!?」

 

 驚愕するのも無理からぬ話だ。彼ほどの猛者であっても、今はまだ情報を掻き集めて、推理の筋道を構築していく段階のはずだから。

 言ってしまえば、私は徒競走でフライングを決めているようなものだった。皆、事件が発生した時は『ゼロ』の状態からスタートなのに、私だけ『七十』の辺りから始まっている。反則を犯しているのと同義で、決して威張れたものじゃない。

 

 だが、真実の究明に勝ったも負けたも卑怯もないだろう。

 任せろ、とばかりにニヤリと口の端を吊り上げて、コナンの頭をそっと撫でる。

 

 目暮警部が後ろでパンパンと手を叩いた。

 

「とにかく! 皆さん、一度署まで足を運んでいただけますかな? 詳しい話はそれから……」

「ちょっと待ってください、目暮警部」

 

 私は立ち上がり、入口へ引き返そうとする警部を呼び止めた。

 

 彼はまだ何かあるのか、と言いたそうなしかめっ面をこちらに振り向けてきた。

 さしたる功績もない少女の探偵ごっこにかなり辟易しているらしい。

 

 私は質問がある、と木村さんを名指しした。

 

 木村さんは最初こそいきなりの指名に戸惑ったものの、すぐに快く応じてくれた。どうやら、幾らかショックから立ち直ったらしい。まだどこか気落ちしている様子で、かつての居丈高な態度は見る影もないが、微かに笑みを湛えた。

 

「いいぜ。アンタは命の恩人らしいしな。何を訊きてえんだ?」

「あなたが愛用するライターのことなんですけど、いつも使った後はジャンパーの内側のポケットに仕舞っていましたよね? どこかに放っておかずに」

 

 木村さんはやや滑稽なほど驚いてみせた。

 

「よく見てるな。その通りだよ」

「でも、さっき私が調べた時、ライターはありませんでした」

 

 それを聞いて、彼は「おかしいな」と不思議そうに首を傾げた。

 

「放り投げた時に、どこかに吹っ飛んじまったのかな?」

 

 私は横目にちらりと寺原さんの様子を窺った。

 ついさっきまで特に取り乱した感じもなく私達の会話を傾聴していたのに、今の彼女は医者に余命を宣告された時のようにスウッと青ざめて、その場に立ち尽くしていた。

 

 あの反応。間違いない。

 今この時に至るまで、彼女は毛ほども気付いていなかったのだ。自分がとんでもないミスを犯したことに。知らず知らずの内に、自らの犯行を示す決定的な証拠を抱えてしまったことに。

 

 もはや焦りを包み隠す余裕もないのだろう。

 彼女は早口に捲し立てた。だいぶ声が上擦っている。

 

「あ、あの、警部さん? 警察に伺う前にお花摘みに行ってもよろしいかしら? 申し訳ないんですけど、我慢できそうになくて……」

「えっ? ああ……。婦警が付き添うことになりますが、それでもよろしければ」

 

 事件の容疑者とはいえ、尿意を辛抱できそうにないと訴え掛けられたら、さすがの目暮警部も首を縦に振るしかない。彼は婦警の随伴を条件に許可を出そうとした。

 おそらく、この機に乗じてなんとか証拠を隠滅する腹積もりなのだろう。そのままむざむざと背中を見送るわけにはいかない。私は「待ってください」と掣肘(せいちゅう)を加えた。

 

「それは私の推理を聞いてからにしていただけますか? 犯人の寺原麻理さん」

 

 この場にいる全員が「ええ!?」と悲鳴に近い声を上げて、驚愕の色を浮かべた。

 きゅっと唇を噛み締める彼女に視線を注ぐ。

 

 危うく殺され掛けた木村さん本人も、信じられないといった面持ちで唖然と目を据えた。

 

 しばらく衝撃に打ちのめされていた目暮警部は、やがて「何を荒唐無稽な……!」と非難がましく反論を展開した。

 

「寺原さんに犯行は無理だよ、瑠璃君。忘れたのかね? 木村さんの右手に毒が盛られたのは、彼が『血塗れの女神』を歌ってから席に戻るまでの間。彼女はその時期、ずっと外で電話を掛けていたんだぞ」

「確かに一見すると、寺原さんに犯行は不可能と思えます。しかし……」

 

 私は心の中で自分に落ち着け、と言い聞かせた。

 人前で推理を披露するのは初めてのことだから、思った以上に身体が強張っている。中身の整合性もそうだが、話の進め方、間の取り方も説得力を持たせる大事な要素のひとつだろう。女ホームズを名乗った時のように、大袈裟で堂々としているくらいがちょうど良い。

 

 大丈夫。私の推理は間違っていないはずだ。

 

 咳払いをして、まるで舞台を演じるような調子で先を続ける。

 

 最初から最後まで、順序立ててよく説明した。

 『血塗れの女神』をリクエストしたのは寺原さん自身であること、振り付けを利用して最終的に毒を右手へ付着させたこと、証拠の隠滅を図ったこと、丸ごと全部。

 

 その間、寺原さんは激しく言い募ることはなく、伏し目がちに自分の足元を見ながら黙々と耳を傾けていた。

 

 目暮警部は「うーん」と渋い顔で唸った。

 まだこの程度では、一から十まで納得するというわけにはいかないらしい。

 

「たしかに彼の左肘やジャンパーの内側から毒が検出されれば、君の推理を裏付けるものになるかもしれないが……。でも、そのジャンパーについては犯人が証拠の隠滅を図ってしまったんだろう?」

 

 私は足元のジャンパーを拾い上げ、皆に見えるように掲げてみせた。

 

「ところが、よく考えてみてください。毒なんてそう簡単に跡形もなく消去できるものでしょうか? この場でやるには、事前にそれなりの準備が必要になるでしょう」

「それは、まあ……」

「仮にそれを完璧に実行できる手段を持ち得ていたとしても、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。私は皆さんの動向に注意を払っていましたから。ほんの少しの間目を離したスキに、一瞬だけジャンパーを手に取るぐらいはできるでしょうが」

 

 私は一度、ここで説明を中断した。

 一気に喋り過ぎたおかげで、喉がカラカラに渇いている。息を整える必要があった。よくもまあ、コナンは毎回他人の口調を真似ながら、あれほど流暢に弁舌を振るえるものだ。

 

 ごくりと唾を飲み込んで、続きを再開した。

 

「しかし、たったひとつだけ、ほとんど時間を掛けずに毒を除去する方法があるんです」

「なんだね、それは……?」

 

 警部はいつの間にか引き込まれているようだった。

 身を乗り出して、次の二の句を待っている。

 

「簡単です。()()()()()()()()()()()()()()()()()()んです。これならただひょいと拾い上げるだけだし、毒の痕跡もその場から綺麗さっぱり無くなります」

 

 警部は拍子抜けした様子で、そんな馬鹿な、と私の推理を一笑に付した。

 

「も、持ち去ったって……。現に今、君が持っているじゃないか。第一、ジャンパーくらいの大きさの物を抱えていたら、すぐに分かって……」

 

 レックスのメンバーを順に見回していた目暮警部は、不意に電池切れを起こしたおもちゃの人形のようにピタリと止まって、言葉を切った。見る見る内に顔色が変わっていく。

 

 ようやく、彼も真実に行き着いたようだ。

 

「ま、まさか……」

「そう、持ち去っただけじゃない。自分のと()()()()()んです。つまり、私の手元にあるのは元々犯人が着用していたジャンパーで、木村さんのものは犯人が今も身に纏っているというわけです」

 

 目暮警部は「なるほど」と得心した。

 

「スタッフジャンパーで色と柄も全く同じだから、袖を通していても、すり替えに気付かれることはないというわけか」

 

 私は死んだように黙りこくる寺原さんに語り掛けた。

 

「だからあの時、ケータイを取り出すふりをしてジャンパーを脱いで行ったんですよね? そのまま手放さずに脇挟んでいたのも、後のすり替えをよりスムーズに行うためだ」

 

 依然、彼女はがなり立てたり、気色ばんで反論に打って出ることはなかった。何か重い物でも圧し掛かっているかのように背中を丸めて、ただ下を向いている。

 反駁しても詮無いことだと観念しているのだろう。『アレ』を抱えている限り、生存への道は閉ざされたも同然だ。

 

 目暮警部は寺原さんに一歩詰め寄った。

 

「寺原さん、そのジャンパーを調べさせていただきます。例の箇所に毒が見つかれば、言い逃れは……」

 

 私は彼の言葉を遮った。

 

「いや、毒が検出されても、それはもう決定的な証拠には成り得ないでしょう。彼女は部屋に戻った時、木村さんの身体に触れていましたから。その手でジャンパーを着たのだから、毒が出てきても不思議ではないという主張が成立してしまいます」

 

 私は彼女のある部分を指差して、それより、と続ける。

 

「内ポケットの中身をさらってみてください。もっと確実な証拠が出てきますから」

 

 目暮警部は一瞬、ためらいがちに逡巡したが、やがて意を決したように「失礼!」と襟元の辺りを掴んで捲り、内ポケットに手を突っ込んだ。

 

 中から顔を覗かせたのは、金属製のオイルライターだった。

 

 警部は目を見開いた。

 

「こ、これは……!」

「そう、行方不明になっていた木村さんのライターです。それがポケットに入っているとは知らず、彼女は入れ替えを実行してしまったんですよ」

 

 瞬間、寺原さんは激しく身を捩った。今まで大人しく頭を垂れていたのに、ジャンパーを掴む警部の手をハエでも叩き落とすかのようにぞんざいな手付きで払い除ける。

 

 二、三歩後ずさり、凄まじい剣幕で喚き散らした。

 半狂乱に陥ったみたいだった。

 

「違う! 犯人は私じゃない! そのライターはただ床に落ちていたのをたまたま拾っただけよ! すぐに達也のだと分かったから……後で……返そうと……」

 

 だが、その勢いも次第に尻すぼみとなる。

 私が黙って見詰めていると、彼女は臆したように言葉尻を呑み込んだ。

 

 私は最後の一撃を見舞った。

 

「なら、そのライターからあなたの指紋が出るはずですよね? まさか、それを拾うためだけに手袋をしていたわけじゃないでしょう?」

 

 彼女は「あ、う……」と喘いだ。

 まだ逃げ道を模索しているらしい。頭の中で必死に言い逃れの算段を立てているのが分かった。キョロキョロと虚ろな視線を宙に彷徨わせ、何か言い訳の言葉を紡ごうと何度も口を開くが、声が出てこない。

 

 やがて、彼女は地面に吸い込まれるようにがくりと膝を落として、力無く座り込んだ。

 白旗を上げた瞬間だった。

 

「しかし、なぜ彼女は木村さんを……」

 

 いかような動機があって今回の凶行に及んだのか、気心の知れた間柄でもない目暮警部には皆目見当も付かないようだった。無論、それは原作知識がなければ、私にも当て嵌まることである。

 推理を披露する内に、だんだん思い出してきた。この事件がすれ違いの末に生まれた痛ましい悲劇であるということを。本当に今更だけど。

 

 なぜ今の今まで忘れていたのだろう。

 

「許せなかったのよ……」

 

 寺原さんは蚊の鳴くような声で呟いた。

 やがて、それは空気を裂くような怒号に変わる。彼女は目に大粒の涙を溜めて、恨みがましい目付きで木村さんを見上げた。憤怒に顔を歪めながら、内に溜め込んだ感情を洗いざらいぶちまけた。

 

「あなたのことをずっと信じてた……! 愛してた……! だから……許せなかったのよっ!!」

 

 

 

 

 

 

 寺原さんは、ぽつりぽつりと一言ずつ噛み締めるように動機を自供した。

 

 彼女は木村さんを愛していた。

 アマチュアのバンドで共に活動していた頃から、ずっと――。

 

 ある日、音楽制作会社のお眼鏡に適って、彼がプロの世界に足を踏み入れることになった。

 自分が想いを寄せる男性の華々しい門出だ。喜ばしいことではあったけど、同時に心にポッカリ穴が空いたような喪失感を覚えずにはいられなかった。彼と共に過ごす至福の時間も極端に減るだろう。ふと、陰鬱な気分になってしまう。

 

 そんな時だった。

 「マネージャーでも良いから、俺と一緒に来てくれないか」と誘ってくれたのは。

 

 嬉しかった。本当に。

 「ひょっとして、彼も私のことが好きなんじゃないか」と淡い期待を胸に秘めたくらいだ。

 

 が、現実はそう甘くないとすぐに思い知らされた。

 彼は人が変わったように、突然態度を一変させた。彼に相応しい女性になると決意して整形までしたのに、ブスなどとひたすら容姿をあげつらう。いつしか顔を合わせれば自然と口論するようになり、彼の方から辛く当たってくることも日常茶飯事だった。

 

 なんてことはない。夢見る女の馬鹿な妄想だったのだ。

 愛を注いでいたのは、自分だけ。いい気になって、勝手に舞い上がっていただけのことだ。

 

 きっと、仕事のストレスの捌け口として傍に置くことにしたのだろう。

 そうに違いない。結局、彼にとってその程度の役割に過ぎなかったということだ。

 

 ――許せなかった。信頼や愛情を裏切った彼を。

 

 だから、殺すことにしたのだ――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 違う。

 木村さんもまた、寺原さんに愛慕の情を抱いていた。

 

 素直になれなかったのだ。

 意固地でぶっきらぼうな性格が災いして、本心を上手く伝えることができなかった。

 

 整形なんてする必要はない。

 在りのままの自分でいてくれたら、それで良い。

 人目なんて気にすることはない。

 早く元のお前に戻ってほしい。

 

 伝えたいことは山ほどあるはずなのに、変なプライドとくだらない見栄が邪魔して、いつも心ない言葉をぶつけてしまう。本当はそんなこと、望んでいないのに。

 

 だから、歌にすることにした。

 自分の得意分野なら、嘘偽りなく気持ちを表現できる。

 

 ソロデビューの暁に披露する予定だった新曲。

 

 『素顔の君に伝えたい』にメッセージを込めて――。

 

 

 

 

 

 

 彼の真意を知った寺原さんは、もう怒ることも笑うこともしなかった。

 

 表情が消え失せている。蝋人形のように平べったい顔付きで、空虚な目はどこを見詰めているのかも分からず、枯れ果てた一筋の涙の跡が頬に残るだけだった。魂がどこかに飛んで、抜け殻だけが残ってしまったようだった。

 

 重苦しい空気の中で、私達は目暮警部に背中を押されて連行される彼女の姿をただ見守ることしかできない。不用意な言葉を口にしてはいけない感じがした。

 

 木村さんは、話が終わった後からずっと俯いていた。現実を直視できないように。

 拳をわなわなと震わせている。きっと、手の中は鮮血で滲んでいるのだろう。噛み締めた唇の先からも血が滴り落ちている。

 

 自責の念に苛まれているのだ。

 ここまで寺原さんを駆り立てたのは、他でもない彼自身だ。もっと早く歩み寄っていれば、もっと素直に底意を打ち明けていれば、こんなことにはならなかったかもしれない。いらぬ誤解を与えて、愛する女性を犯罪行為に走らせてしまった。

 

「麻理……」

 

 木村さんはようやく顔を上げて、声と肩を震わせながら寺原さんを呼び止めた。

 彼女は振り向きはしなかったものの、ぴたりと歩みを止めた。

 

「すまねえ……」

 

 彼は絞り出すような声で、そう言った。

 

「今更許してもらおうなんて、虫の良いことは思っちゃいねえ……。ただ、言いたいこと、言えなかったこと、たくさんあるんだ……! だから……!」

 

 ほとんど叫ぶような感じだった。

 

「帰ってきてくれ、必ず! 何年、何十年経ったっていい! ずっと……ずっと、待ってる……!」

 

 寺原さんはやはり、振り向きも答えることもしなかった。

 

 ただ、華奢な頭が傾いた。縦に、こっくりと――。

 

 彼女は再び歩き出した。

 木村さんは遠ざかっていく背中を、いつまでも見守っていた。

 

 ふと、私は彼らの未来を案じた。これからレックスはどうなるのだろう。この騒動で、木村さんのソロデビューはお流れになってしまうのだろうか。

 日々特ダネを求める詮索好きなマスコミは、こぞって今回の一件をトップニュース扱いで取り上げるに違いない。色々、あることないこと書き立てるところもあるだろう。マネージャーが起こした不祥事だから、おそらく世間も厳しい目を向ける。彼らの行く道は前途多難だ。

 

 だが――。

 

 私は、哀愁漂う木村さんの顔にちらりと視線を向けて、もう一度こう思った。

 

 ()()()()()()()

 

 生きていればなんとかなる、と――。

 

 




※木村達也

レックスのボーカル。カラオケボックス殺人事件の被害者。
粗野な言動でマネージャーの寺原麻理を貶していたが、本当は彼女を愛していた。
しかし、すれ違いの末に誤解を与え、勘違いから彼女に毒殺されるという悲惨な末路を遂げた。

※寺原麻理

レックスのマネージャー。カラオケボックス殺人事件の加害者。
木村達也から日々耐え難い罵倒を受け、彼に嫌われていると思っていたが、実は両想いだった。
勘違いから彼を毒殺してしまい、真意を知って深い後悔の念に苛まれるも時既に遅く、一生彼の十字架を背負って生きていくことになった。

※レックス

目下売り出し中の若いロックバンド。
原作二十巻では、小五郎の口から後に解散したことが明かされた。


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