コナンの世界に転生した少女の物語   作:エリンギどくだみ

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江戸川コナンの独白――『雨谷瑠璃という女』

 オレが瑠璃(アイツ)に初めて声を掛けたのは、高校に入ってしばらく経ってからのことだった。それまでは「ああ、そういえば同じクラスにそんなヤツいたな」という程度の認識でしかなかったのだが、蘭や園子を通じて会話する内にいつしか友好的な間柄となったのだ。

 

 初めて間近で言葉を交わした時、精巧な造りで仕立て上げられた人形、という印象を抱いたのを今でもよく憶えている。

 谷川のせせらぎのように淀みなく流れ落ちる滑らかな黒髪、宝石をそのまま嵌め込んだような清澄の瞳。きめ細かい柔肌は作り物みたいな無機質さを感じさせる。そういった諸々の特徴が『人形』のイメージをもたらしたのかもしれない。

 

 とにかく、ただ純粋に綺麗な子だな、と思った。

 内面も非の打ち所がない。お淑やかであると同時に明朗で、闊達な気質の持ち主だった。誰が相手であっても分け隔てなく接することができるコミュニケーション能力と包容力も備え持っている。園子のヤツとはまた違った意味で快活な女の子だった。

 

 だから、先日蘭が「最近何かに悩んでるみたいで、全然元気がない」と心配そうにアイツの様子を語っていた時は、少なからず戸惑ってしまった。いつもにこやかに笑顔を振り撒くヤツだったから、鬱々と沈んでいる姿がちょっと想像できなかったのだ。

 

 レックスの打ち上げの日を迎えて久しぶりに会ってみると、その元気の無さは予想を遥かに超えていた。口数は極端に少ないし、顔も強張って血色が悪い。悩みを抱えているというより単純に具合が悪いんじゃないかと思って、ぎょっとしたほどだ。

 

 どうしても気になったので、単刀直入に問い質してみた。

 身体の調子が悪いのか、と。

 

 アイツは何でもないように薄く笑って、こう言った。

 

「有名人が目の前にいるから、少し緊張してるだけだよ」

 

 嘘だな、と思った。

 微笑が顔の上に張り付いているだけ、という感じがありありとした。体調に問題がないのは本当だとしても、緊張しているだけ、という主張は明らかな虚言だ。ただアガッているだけなら、あれほど深刻そうな相貌で延々と考え込んだりはしない。

 

 やはり何か心配事を抱えているんだ、とすぐに察しが付いた。

 それも、とびっきり性質の悪いヤツが――。

 

 けれど、具体的にどんな不安か訊いてみても、そう簡単に胸襟を開いてくれそうにない。ならせめて、今日一日だけは可能な限り傍に付いてやろう。

 

 そんな風に考えていた時だった。

 ボーカルの木村達也を狙った毒殺未遂事件が起きたのは。

 

 思えば、あの日のアイツには驚かされてばかりだったような気がする。

 殺人を防いだこともそうだが、何よりその後の完璧な推理と真相に辿り着く速度に仰天した。なにせ、事件発生からほとんど時間が経っていなかったのだ。通常であれば、まだ情報収集に着手する段階のはず。

 

 犯人の目星が付いていなかったオレは終始傍観に徹するしかなく、些か新鮮な気分を味わう羽目になった。

 

 元々、アイツは頭の回転が速い方だった。才女の見た目に違わず聡明で、眼力にも優れている。事件の現場に居合わせた時、捜査の過程でオレが見逃していた点にいち早く気付くのも大体アイツだった。

 

 だが、あの日のアイツはいつにも増して冴え渡っていた。

 推理力も洞察力も、以前より高次のレベルに昇華していると言っていいほどに。

 

 普通なら、よくやったと褒めるべきなのだろう。

 しかし、どうにも釈然としない気持ちを抱えているのもまた確かな事実だった。

 

 生来の負けず嫌いがもたらす嫉妬や対抗心じゃない。

 探偵としての矜持に関係なく、ただ素朴に疑問に思ったのだ。

 

 いくらなんでも()()()()()()()()()()()()()()()()()()ないか?

 推理力に秀でているだけの問題じゃないような気がした。妙に察しが良いというか、勘が鋭いというか――。

 

 それに、注意力も敏感に働き過ぎている。事件が起きた後ならともかく、その前からジャンパーの位置を寸分の狂いもなく正確に把握していたり、一見すれば何でもない他人の動作を緻密に熟視していたり。観察眼に優れていると言えば聞こえは良いが、ここまでくると、もはや病的と断ずるに相応しいレベルだ。

 

 やはり、腑に落ちない。

 ほとんど最初の内に犯人の寺原さんをマークしていたようだし。

 

 ――ひょっとして、アイツにはだいぶ前から分かっていたんじゃないか?

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と。あの時は咄嗟に舞い降りた第六感で殺人を防ぐことができた、なんてうそぶいていたけど。

 

 どういう経緯で掌中に収めたのかは不明だが、おそらくアイツは事件発生の可能性を示唆する有力な情報を握っていたのだろう。だから、あんなにひどく青ざめた顔していたんじゃないか。

 

 深く悩み込んでいたのも、事件を食い止める策を必死に模索していたからだ。

 そうとしか考えられない。

 

 意を決して、全部尋ねてみようかと思った。

 が、結局思い止まった。なぜかというと――。

 

「はああああああああぁぁぁぁ……」

 

 深く長い溜息を吐きながら、探偵事務所の来客用のソファに身体を横たえる当の本人の姿が目の前にあったからだ。額に手の甲を当てて、じっと天井の一点を見詰めたまま微動だにしない。すっかりしょげ返っている。

 

 瑠璃は今、また別の理由で意気消沈していた。

 いや、やさぐれていると形容する方が適当か。こんな有様だから、追い打ちを掛けるように根掘り葉掘り質問攻めするのはさすがに気が引けたというわけだ。

 

「元気出しなよ、瑠璃姉ちゃん」

「そうよ、瑠璃ちゃん。瑠璃ちゃんらしくないよ」

「……はあい」

 

 オレも蘭もコイツを励まそうとずっと耳元で声を掛けているが、何を言ってもぬかに釘だ。言葉がただ耳に入って素通りしているだけ。取り付く島もない。

 今が冬期休業でちょうど良かった。この体たらくでは、授業に身が入らないこと請け合いだ。学業に差し支える。

 

 どうやらあの事件以来、連日この調子らしい。見るに見兼ねて、今日はウチに一泊させようと蘭が無理やり連れ込んだのだ。明日はそんな瑠璃の気分転換のために、園子も交えて四人で遠出する予定だった。

 

「……おい、蘭。その小娘を何とかしてくれ。鬱陶しくて仕事にならねぇ」

 

 デスクに腰を落ち着けたおっちゃんが、顔の前に広げたスポーツ新聞の陰からしかめっ面を覗かせて苦言を呈した。片耳にイヤホンを突っ込んでいる。競馬中継に耳を傾けているのだろう。騒がしい実況の声がダダ漏れだ。

 

 蘭は口を尖らせて、声高に言い返した。

 

「何言ってるのよ! 仕事そっちのけで競馬に夢中になってるくせに!」

「しゃーねえじゃねえか。暇なんだからよ。年の瀬が近くて依頼人なんて来やしねぇ」

「だったら、瑠璃ちゃんがここにいてもいいじゃない!」

 

 あえなく言い負かされて、じゃあ三階にでも上がっとけよ、などとブツブツ呟いていたおっちゃんは、唐突に「あー! また負けた!」と悲鳴を上げて新聞紙を机の上に叩き付けた。悔しそうに頭を掻き毟っている。

 

 馬券が紙屑と化したのだろう。いつものことだけど。

 

 今でこそ『眠りの小五郎』のおかげで鳴かず飛ばずだったこの迷探偵も一躍時の人だが、根元の本質は一切変わっていない。今も酒やタバコ、ギャンブルに余念がないダメオヤジぶりを遺憾なく発揮している。

 

 なんとか心を落ち着けたおっちゃんは早速タバコを一本吹かして、少し興味深そうな視線を寝転がっている瑠璃に投げ掛けた。

 

「で? なんだってソイツはそんなに無気力なんだ?」

「うん、それがね……」

 

 蘭が事のあらましを説明する。

 

 瑠璃がこうなった原因は二つあって、ひとつは『ガス欠』だった。要するに、あの日の事件に全身全霊を捧げたせいで精根尽き果ててしまったというわけだ。

 あれから数日、疲れが抜け切らないらしい。あれほど頭をひねくり回して事件を推理したり、大勢の視線を一身に浴びながら論理が破綻しないように詳説したのは初めてのことで、とにかく神経を使ったと本人は後に述懐していた。

 

 探偵の沽券に関わると思ったのだろう。ただの女子高生が一縷の手落ちもなく事件を解決したことがよほど気に食わないらしい。

 おっちゃんは心底面白くなさそうな顔で吐き捨てるように言った。

 

「へっ! 素人のガキが慣れねえことすっからだよ!」

「もう、度量が狭いんだから! 瑠璃ちゃん、凄かったのよ。ねー、コナン君?」

 

 同意を求める蘭に対して、オレは素直に「うん!」と頷いた。

 たしかに気になる点はいくつもあるが、人命を救い、事件を解決に導いたのは紛れもなく瑠璃自身の功績だ。

 

 そして、最大の問題はもうひとつの原因の方にあった。

 本人曰く、より甚大な精神的ダメージを負う羽目になったのはこっちのせいらしい。

 

 事の発端は、事件が終結した直後の目暮警部とのやり取りだった。

 警部はそれまで邪険に扱っていた非を詫びて、功労者である瑠璃を手放しに褒め称えた。

 

「お見事だったよ、瑠璃君! 殺人を阻止するだけでなく、犯人まで特定してしまうとは! いやあ、本当に恐れ入った!」

 

 ところが、これ以上ない賛辞を受けた当の本人は特に愉悦に浸ることもなく、そんなことはどうでもいいとばかりに『あること』を警部に固く約束させた。反故にしたら承知しないというくらいの勢いで、念を押すように何度も何度も――。

 

 雨谷瑠璃の名を決して世に公表しないでほしい。

 警察の独力で事件を解決したことにしてくれ、という内容だった。

 

 妙に既視感があるな、と思ったら、自分の姿と重なって見えたのだ。

 もしオレが工藤新一として電話越しに事件の解決に当たっていたとしたら、きっと同じように血眼になって頼み込んでいたことだろう。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――。

 

 目暮警部は了承しつつも、瑠璃の必死な哀願に困惑した。

 

「それは別に構わんが……一体どうしたというんだね? あれほど令和の女ホームズだとか言って派手に自己主張していたのに、さっきとはまるで逆じゃないか」

 

 瑠璃は慌てて付け足すように弁明した。

 

「そ、それは、そのう……! あ、ほら、アレですよ! 私は普段、闇の裏世界に身を潜める謎の名探偵ですから! 世間の人々にその名を轟かせてはいけないのです!」

 

 警部はしばらくの無言の後、すげなく「あ、そう」とだけ呟いた。瑠璃を見る目がかつてないほど冷やかだった。所謂『中二病』というのだろうか。中学生的な痛々しい正義感に酔い痴れる格好付けたがりと認識してしまったらしい。

 己の失策に気付いた瑠璃は「やらかした……やらかした……!」と念仏を唱えるような調子で同じ言葉を繰り返し、がくりと項垂れた。

 

 そういう経緯があって、半ば不貞腐れるように落ち込んでしまったというわけだ。

 

 話を聞き終えたおっちゃんは、フッと鼻で笑った。

 

「なにが令和の女ホームズだよ。ダサいっつーか、安直っつーか……。もっとマシなネーミングなかったのかねぇ」

 

 嘲笑の的になった瑠璃は「うっ」と呻いて、瞬く間に顔中真っ赤になった。嗚咽を堪えるように口元はくしゃくしゃに歪み、目には大粒の涙が溜まっている。

 おっちゃんの容赦ない一言を受けて、すっかり拗ねてしまったようだ。ぷいっと顔を背けて寝返りを打った。焼いた餅みたいに頬がぷくっと膨れている。

 

「い、いいもん、別にっ……! どうせ私は痛い子ですよ……ダサいですよっ……! でも、私には私なりの事情があるんだもんっ……!」

「お・と・う・さ・ん?」

 

 蘭は鬼の形相で血管が浮き出る拳をわなわなと握り固めた。

 四十近い立派な大人が年頃の少女を辱めているわけだから、ひどく立腹するのは当然の話だ。せっかく元気付けるために自宅の敷居を跨がせたのに、おっちゃんのせいでより一層悪化してしまった。

 

 さすがのおっちゃんもあまりの怒気に怯んだらしく、これといった反論の余地も見出せないまま聞き苦しい申し開きに終始した。

 

「オ、オレはただ本当のことを言ったまでで……!」

「少しはオブラートに包みなさいよ! ったく、もう!」

 

 父親への叱責もそこそこに、蘭は身を屈めて瑠璃に優しく囁いた。

 

「ほら、元気出して、瑠璃ちゃん。今日は腕によりを掛けて御馳走を振る舞ってあげるから。瑠璃ちゃんの大好きな目玉焼きハンバーグもあるよ」

「……えっ? 御馳走!? ハンバーグ!?」

 

 すると、今までヘソを曲げていたのが嘘のように、瑠璃はカッと目を見開いて元気良く飛び起きた。どんよりと曇っていた顔は花が咲いたようにパアッと明るくなり、目は爛々と輝いている。

 

 意外とコイツはかなりの健啖家なのだ。食事を摂るという行為に目がない。大量の料理を胃に放り込んでも括れたままのウエストを見事に維持しているので、あの豊満な胸に栄養と脂肪が全部流れ込んでいるんじゃないか、なんて嘘みたいな冗談がクラスメイトの間で囁かれている。

 

 瑠璃は勢いそのまま蘭に抱き付いて、ぴょんぴょんと飛び跳ねた。

 まるで餌を待ち焦がれる犬みたいだった。

 

「チーズ! チーズも入れて!」

「分かった、分かった。よしよし」

 

 蘭は呆気に取られつつも、正に犬をあやすように瑠璃の頭を撫でた。

 

(ハハ、現金なヤツ……)

 

 オレもおっちゃんも、この切り替えの早さには苦笑いするしかない。

 まさか好物一発で本来の調子に戻ってしまうとは。うんうん唸りながら上手く励ます方法を思案していたのが馬鹿みたいだ。

 

(ま、いっか……)

 

 オレは安堵の息を吐いて、無邪気に戯れる瑠璃を微笑ましげに眺めた。

 明るく活発で、普段は大人のように泰然としているけれど、時折妙に子供っぽいところがある。そんな瑠璃がやはり一番瑠璃らしい。

 

 色々事件について物申したいことはあるが、そんなことはもうどうでもいいと思えてきた。

 

 せっかく瑠璃が元気になったのだから――。

 

 

 

 

 

 

 あれ以来、瑠璃は高校生らしい平穏な毎日を過ごしていたらしい。

 

 オレの方は相変わらず事件の対処に忙殺される日々だったが、まあそれ以外は概ね平和だったと言ってもいいだろう。

 

 だから、今回ばかりは瞠目を禁じ得なかった。

 オレも瑠璃も、あんな()()()()()()()()に巻き込まれるなんて思いもしなかったのだから――。

 

 


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