「な、なんか前よりも敵が強くなってねーか?」
「ほっほっほっ! 前回の反省を活かして思考ルーチンに手を加えたからのう。まだまだこんなもんじゃないぞ」
「すごい、すごーい!」
「いやいや、ゲーム初心者のために難易度は自由に選べるようにしましょうよ」
「おい、コナン! 次はオレだぞ!」
リビングの一角では五人による
モニターが一台、画面には派手なフォントの「GAME OVER」の文字が踊っている。
向かい合う形で唖然とするメガネの少年。
その華奢な手にはゲームパッドが握られている。プレイ内容は散々もいいところで、見る見るうちに残機を減らし続ける体たらくだった。彼の操作技術が拙いのもあるのだろうけど、まあ単純にゲーム自体が難しいんだと思う。
そんな彼のすぐ側で勝ち誇るように高笑いを上げる中年の男性が一人。
百歩譲ってマイルドに表現するなら、肉付きが良い。はっきり言うなら単なるメタボオヤジ。頭頂部はすっかり禿げ上がっていて、僅かに残る毛髪も全て白に変色しているから実年齢よりも老けて見られがちだ。
阿笠博士と工藤新一君――いや、江戸川コナン君。
私を拾ったお人好しの博士と、私と同じ境遇にある小さな探偵さん。
他の三人は同じ帝丹小に通う少年探偵団の子供達。
紅一点の吉田さんはとにかく目をキラキラさせて盛り上がっている。対照的に円谷君は現状の問題点を冷静に指摘していて、いかにもガキ大将といった風貌の小嶋君はしびれを切らしたのか、工藤君の手から乱暴にコントローラーをひったくろうとしている。
大体はこんな感じだ。皆が賑やかにワイワイやっているのを、私は一歩引いたところから
別に彼らとの交流を億劫に感じているわけじゃない。私の方から一言二言発することは結構あるし、世間話に応じるのもやぶさかではないと思っている。
単純にこういう距離感の方が楽だった、というだけの話だ。
暗い海の底を生きてきた私にとって、太陽の光が降り注ぐ水面はあまりにも眩しい。
彼らは今、博士が近々配信する予定のインディーズゲームをプレイしている。
今日はそのテストプレイに招かれていて、今回が二度目の開催になる。
一連のやり取りに耳を傾けていた私は、後ろの背もたれに深く身を預けながらため息混じりに独りごちた。
「あれじゃダメね。完全に本来の目的を見失ってる。下手に子供達が攻略し出したら、またさらに難しくするわよ」
ギャフンと言わせたことで憂さが晴れたのか、博士はすっかりご満悦だ。
「調子に乗るな」と一喝したいくらい恵比須顔で有頂天になっている。
初回が初回だったから、ある意味では詮無いことなのかしら。私でも余裕があるくらい簡単で、ある程度ゲーム慣れしている子供達からは当然「退屈」「つまらない」と酷評の嵐。
それが開発者としてのプライドに火を付けたのか、博士は変にはりきってしまった。売ること自体が目的なら万人受けしやすいようにバランス調整が必要なのに、今ではすっかりブレーキの壊れた暴走車両と化している。
同じ『少女』の括りでも吉田さんより年はだいぶ上で、工藤君とは同級生。私とは一つしか違わない。
「レビューでボロクソに叩かれるのが目に見えるね。光彦君の案が一番良さそうだから、自己満足で終わらせないように私達からも釘を刺しておかないとね」
そうして、また二人の間で沈黙が落ちる。
彼女とはいつもこんな感じだった。こうして隣か、あるいは向かい合う形で同じテーブルに腰を落ち着けることが多いのに会話の発生自体はごく稀。あったとしても今みたいに二、三のやり取りですぐに終わってしまう。華々しいガールズトークには程遠い。
なのに、
それは、たぶん向こうも同じなんじゃないかしら。まあ彼女の場合はそれすらも感じる暇がない、という方が正しいのかもしれない。
そうっとバレないように、首の動きを最小限に止めながら横目に彼女の様子を伺ってみる。
彼女はずっと俯きがちにこうべを垂れていた。といっても、別に具合が悪いとか落ち込んでいるわけじゃない。手元には隣の工藤邸から拝借してきた古書があって、視線の先は完全に紙の上に留まっている。
彼女は読書に耽っているわけだ。
この子――雨谷瑠璃は本の虫だった。いつ何時でも本が手放せない、というくらいに。
爛々と輝く目、にんまりと弧を描く口元。上から下、右から左へ、目が紙の上の文字をひっきりなしに追っている。ここまで楽しそうに本を読む人を私は見たことがない。
今時珍しい子だと思う。
スマホやPCばかりに熱を上げる現代の若者像には程遠い。しかも、アニメ調の美少女や美男子が描かれたライトノベルじゃなくて堅苦しい感じのサスペンスやミステリーがお好みだというのだから、なおのこと驚きだ。
そんなわけで、彼女は頻繁にこの阿笠邸を訪れる。
大体は休日や放課後に。隣家は他の子達にとっては埃が被る退屈な場所でも、彼女には秘蔵の宝が眠る宝庫になるらしい。
なるほど、工藤君と意気投合するわけだ。
趣味嗜好が合う、彼の補佐役が務まるくらいには頭がキレる。こんなヤツ本当にいたんだ、とは本人の弁だ。
工藤君は
「アイツはクリスティー派だから、たまにケンカになる時がある」
と在りし日の頃を懐かしそうに振り返っていた。
ほんの少し、慎重に慎重に――数ミリ程度の感覚で体を寄せて、下から覗き込むように彼女の顔を眺めてみる。
引き締まった鼻筋に程良い厚さの健康的な唇、端正に整った目元。読書の間だけ、漫画に出てくるようなバカでかい丸メガネを掛けている。
レベルの高いそれぞれのパーツがバランス良く顔の中に収まっているから、客観的に見ても美人の分類だ。クラスでもさぞ人気があるのだろう。黒髪はたった今コーティングされたばかりみたいに色艶やかで、電灯の光を力強く反射している。
それにしても――
私はごくりと息を呑んだ。
視線を頬から首、鎖骨へどんどん下ろしていくと、今度は自己主張の激しい胸の膨らみ二つが目に飛び込んでくる。
一体何を食べたらこんな風に実り育つのかしら――?
私も自分のスタイルにはそこそこ自信のある方だけど、これはあまりにも規格外だ。
そこらへんの不平不満を彼女がいない時にぽつりと口にしてみると、工藤君は
「アイツは結構な大食らいだけど、脂肪は腹回りじゃなくて全部胸の方に行くようになってるんじゃねーか?」
とヘラヘラ笑った。
そんな冗談めいたバカな話をクラスで言い触らしたりしていないか、本気で心配になった。
クラスの女子達が聞いたら怒り狂って一揆にでもなりそうだ。
穴が空くほど見つめてしまったせいなのか、彼女は私の視線に気が付いた。
「んー?」
顔を上げて、にっこり破顔しながら小首を傾げる。
「なあに?」とでも言うように豊かな表情だけで私に語り掛けてきた。
ドキッとして、私は咄嗟に彼女から目を逸らした。まったく、あなたの体の一部分を嫉妬混じりのイヤらしい目で観察していたとは口が裂けても言えない。
頭の中の雑念を振り払うように首を振って、ひとまずティーカップの縁に口を付けた。とにかく心を落ち着かせるべきだ。
それにしても――
私はもう一度、今度はじろじろと眺め回さないように細心の注意を払って彼女を見た。
つくづく奇妙な間柄だ、私達は。
話は弾まない、お互いにこれといった用もない。なのに、いつもこうして身を寄せ合うことが半ば暗黙の了解となっている。二人で同じ場の空気を共有している。
思えば、彼女の方から話のタネを持ち込んできたことは今まで一度もなかった。
簡単そうに見えて、実はとても高度なことをやっていたりする。
即座に手短に、簡潔に――返しの内容も実に的を射ていて不満を覚えたことがない。しかも読書の片手間にこれをやっているわけだから、本当に大したものだと思う。これ以上ないくらい優れたコメンテーターだった。純粋に頭が良いのだろう。
本当に、彼女は私に対して『話し掛ける』というアクションを一切起こさない。
出身地はどこかとか博士とはどういう関係なのかとか、そういう詮索の類すらもなかった。馴染みの知り合い宅に見知らぬ女の子がいきなり住み着いていたら――普通は気になって仕方がないはずなのに。
単純に無関心なんじゃなくて、むしろ関心があるからこそあえてそうしているのだ、と私は程なくして気が付いた。
思わず肩を揺らしてフッと笑ってしまう。まったく、気味が悪いくらいできた子だ。
私がそうしてほしいと望むこと、それはやめてほしいと忌避することがこの子には概ね理解できている。まだ出会って間もないというのに。
近すぎず遠すぎず――この絶妙な距離感がちょうど良かった。
もしこれがベラベラお喋りするタイプだったり、お節介な世話焼きだったとしたら、私はすげなく彼女を別の場所に追い払っていたことだろう。想像しただけでウンザリする。
私に対する行動はそれが最適なのだと、この子は分かっている。
雑な言い方をすれば、常に受け身で、ただそばにいるだけの彼女を私は良いように使わせてもらっている。
それだけで心にぽっかり空いた穴をわずかに埋めることができる。孤独や疎外感を覚えずに済む。最愛の姉を亡くし、周囲の環境までガラリと変わってしまった私にとっては、それが何より重要なことだった。
「ねーねー! 瑠璃おねーさんと灰原さんもあっちでゲームしようよー」
向こうが一段落したのか、子供達が一斉に駆け寄ってきた。
吉田さんからの誘いを受けた彼女はなぜか「むふん」と鼻息を荒くして、勢いよく本を閉じた。待ってました、とばかりの得意げな顔だった。おもむろに立ち上がり、片腕をグルグル回しながら子供達の前に進み出る。
「よーし! おねーさん、久々に本気出しちゃうぞー」
たぶん、クリアに手こずった子供達が瑠璃お姉さんを頼りにしてきた、とでも思ったんじゃないかしら。
ところが、三人は冷ややかな目付きで彼女を見た。
「まるで今までは本気じゃなかった、みたいな口振りですね……」
「瑠璃おねーさんだけクリアできなかったもんね。あの時はまだ簡単だったのに」
「すっげーヘタクソだったもんなー」
当然の反応ではある。
子供達が言うように一人だけ
微塵もあてにされていないことを知った彼女は苦笑いで頬を赤らめた。
「う、うるさいな…」
最初から戦力として期待していないのになぜ彼女を招致したのかというと――まあ、単純に「瑠璃お姉さんとゲームがしたいから」なんだと思う。
その一言に彼女の面倒見の良さや人望の厚さが詰まっているような気がして、私は思わずそっと微笑んだ。
まったく、頼りになるんだかならないんだか――
「ほら、灰原さんも」
「ええ、そうね」
円谷君に促されて、私も腰を上げた。
仕方ない、付き合うとしよう。さすがの私も、なんでも誘いを突っ撥ねるほど非社交的なつもりはない。
やや遅れて、彼女の後ろ姿を眺める形で歩を進めながら考えた。
まあ要するに、私はもっと感謝しなくちゃいけないってことなんだと思う。
色々と便宜を図ってくれているこの子に対して――
「……ねえ」
「うん?」
袖口をつまんでクイクイ引っ張ると、彼女は振り返って肩越しに私を見た。
礼を言うなら今だと思った。思い立ったが吉日、グズグズ先延ばしにしていると永遠に機を逸してしまいそうな感じがしたから。
妙な沈黙が流れてしまう。私は自身に問い掛けた。
ごくありふれた五文字の言葉を口にするだけなのに、何を躊躇しているのよ。
生来の気質によるものなのか、肝心なところで素直になれない。困ったものだ。視線を何もない宙に投げたり、かと思えば次の瞬間には足元に下ろしたり。挙動不審のレベルがどんどん上がっていく気がする。
いつもと違って、今回の静寂ははっきり居心地が悪かった。
自分から呼び止めておいてなぜか言葉に詰まっているわけだから、当たり前といえば当たり前かもしれないけど。
「ありがと」
やっと、そう言えた。言葉尻はしぼんで四文字になってしまったし、プイっと顔を背けたままの状態ではあったけれど。
そこはどうか勘弁してほしい。
これでも精一杯、あなたに感謝の意を伝えている方だ。
そろりと目だけを動かして彼女を仰ぎ見ると、きょとんとするのも束の間、彼女は次第に頬を緩めた。
さっきみたいな一面に明るい花が咲くような満面の笑みではなくて、どこか悲しい、今にも泣き出してしまいそうな切ない笑顔だった。
それを見て、ああ、全部伝わったんだなって思った。
つっけんどんな言い方でも、言い終わるのに数秒と掛からない短い言葉でも、この子にはすべて――
彼女は囁くようなか細い声でこう言った。
「どういたしまして」
大勢でゲームに興じている間、私はふとこう思った。
もっと、この子と色々話し込んでみるのもいいのかな――