皆を助けるヒーローに
皆が憧れるヒーローに
皆が称賛するヒーローに
俺はなった
いや、世界がそう……変えられた
ある日願いが叶った。だがそれは、今までの努力が報われたとか、そういうおめでたい話ではない。ただその時考えていた気紛れな思いつきが、強制的に実現させられた。ただ、それだけの話。
甥っ子に付き合って幼児向けの、どちらが悪いのか分かりやすい勧善懲悪なアニメを見ているときだった。
たいした意味などない、ただの気まぐれ。
「勇気は将来何になりたい?」
こんなアニメを見ている時に聞けばどう言うか分かりきっていただろうに、なんとなしに聞いてみただけ。
「アン○ンマン!!」
予想して然るべき返答に、笑顔で頭を撫でてやる。
「そうか、なら将来はみんなを助けるヒーローだなカッコいいぞ」
そう言うと、笑顔の裏にある投げやりな、とりあえず褒めておけという汚い大人の考えなど想像もしないのだろう。
照れ臭そうに体をくねらせニヘヘと笑い声を上げる。
子供の無邪気な夢だ。横槍を入れようと思えばいくらでもできるだろう。曇りのない笑顔なんて浮かべられなくなった自分を正当化するように、そんな否定的な言葉ばかりが沸いてくる。
アン○ンマンは正義の味方らしい。だが、世の中どれだけ良いことをしても必ず批判する奴は生まれる。こんな、みんなに称賛されるヒーローなんてどうやったって成れるわけがない。といっても、そんな夢の無い言葉を子供に言う分けにもいかないが。
「寛は?」
えっ?
「寛は将来何になりたいの?」
予想外の返しで言葉に詰まる。
「そ、そうだなー、俺もアン○ンマンかな~」
咄嗟に出た言葉はこの場では無難な、他の人に聞かれれば痛々しい目標。自分で言って自嘲してしまえる。
「え、寛も! じゃあライバルだな」
だが、競争だーなんてはしゃぐ勇気の姿を見ればそんな考えもなんだかバカらしくなる。
なんだかんだと、変に考えすぎたかな。
目の前ではまだテレビの中で正義の味方が絶賛勤務中である。悪を倒して称賛される。先ほど自分で否定した、あり得ない非現実的なヒーロー。正義なんて人の数だけある曖昧模糊なこの世界で、はっきりとした形のある絶対の正義だなんて、そんなものがもしあるのならきっと誰もが手を伸ばすだろう。
「あ! アン○ンマーン、悪い奴なんてやっつけちゃえー」
ああ、本当にそんな風に悪い奴をやっつけられる世の中になれば……なんて下らないことを考えていたのが悪かったのか。
《願いが叶いました》
悪魔の声が聞こえた。
─────────────────────
『ヒーローありがとう!』
『貴方のおかげて助かりましたー!』
暗い部屋の中、場違いな歓声がテレビのスピーカーから垂れ流される。
今、ニュース番組で流れているのは俺の活躍だ。
地面が抉れビルは倒壊し路上に停められた幾つかの自家用車がスクラップにされている。現場で発狂したように叫んでいる一般人を撮すカメラマンは、毎回よくこんな人間を見つけるもんだ。
いや、そんな人間しかいないんだったな。
俺に悪魔の声が聞こえた日、世界は一変した。
突如、怪獣と呼ばれる謎の化物が東京のど真ん中で暴れだしたのだ。
当時、その声を神の声だなんて思っていた俺は、言われるがまま怪獣を倒してヒーローになった。
それっきり声は聞こえなくなったが、その内また聞こえるだろうと大して気にしなかった。
『いやー、ヒーローはまた皆を助けてくれましたね! 流石ヒーロー』
最初の内は良かった。ちやほやされて、まさに人生の絶頂だ。俺を中心に世界は回っていると思っていた。だかそれは、ただの思い込みで……あってはくれなかった。
『ええ、ヒーローはいつも皆を救う人のことですから、これくらい朝飯前ですよ!』
『あんたがやったんじゃないやろ! なに偉そうにしてんねん』
テレビから笑い声が響く。
現場の映像を見て、皆は疑問を持たない。
潰された車の中で、倒壊したビルの下に、クレーターの真ん中に赤い何かがいた痕がべっとりと残っているのに。死体は黒い靄になって空気に消えていく。その後に残った痕跡など残されたものたちには大したことには思えないらしい。
『おや、もうこの時間になりましたね。皆さんお待ちかね、礼拝の時間となりました』
また、奇妙な時間が始まった。悪魔の声が聞こえた時間、世界が変わった時間。丁度その時間になると皆は俺に向かって手を合わせお辞儀をする。
『……』
先ほどまでの騒音が嘘のようにテレビからは何の音もしない。これはテレビだけでなく、恐らく世界中で一つの例外もなく起こっている現象だ。世界中の皆が俺が何処にいるのか分かっているように、俺に向けて頭を下げる。
この儀式は俺がやらせた訳ではない。なら、やらせているのは悪魔なのだろう。これは俺に向けてのメッセージだ。皆は感謝の言葉と気持ちを送っているのだろうが違う、そうじゃない。お前はいつも見られているぞ、そんなストーカー紛いの気持ちの悪いメッセージだ。
ヒーローなんて、ほんとうはもうやりたくない。だが、怪獣だなんてものをこの世に創ってしまったのは俺の軽率な願いが原因。俺が投げ出す訳にはいかない……そう俺自身に思わせるのがこの奇妙な儀式の目的だろう。この想像が当たっているならそりゃ大成功だ。
何度も逃げようと思った。だが、俺が躊躇っているときでもお構い無く皆は頭を下げる。怪獣が暴れていようと、踏み潰される寸前でも、礼拝を続ける。そんな映像がテレビで流れる。そこには悲鳴も怨嗟の声もなく、怪獣の壊すコンクリートとビルの砕ける無機質な音だけ。本人たちにそんな気はないのだろうと分かっていても無言の懇願にそれでも背を向け続けることは、俺にはできなかった。
『……』
静寂が部屋を支配する。この世にはもう俺一人しか人間がいないんじゃないかと思えてくる。
皆を助けるヒーローか……
悪を倒し、皆に称賛されるヒーロー。俺はきっとそんな存在になっているのだろう。皆の常識や、本能ですらも塗り潰す程の絶対のヒーローに。それこそ、助けられなかった人たちの方が悪かったとでも言うようにこの世から消えてしまう程に。だが、なんでだろうか、皆を助ける筈のヒーローの俺はこんなにも惨めな気持ちになるのだろう。
『いやー、何回やってもいいもんですねー礼拝というのは。ヒーローにせめてもの感謝を伝えられますし』
魔法が解けたように再び番組が始まる。
『皆を助けるヒーローは……』
お決まりのセリフが聞こえてくる。
ああ、そうかそんな簡単なことだったのか。
突っかかっていた疑問がふと、ほどけるように溶けていく。皆を助けるヒーロー、その〈皆〉の中に俺は、ヒーロー自身は含まれていなかった。ただそれだけのことなんだ。
『現場の熊谷さーん、そちらはどんな状況でしょうか』
『はい、現場の熊谷です。こちらは怪獣に壊された建物の残骸で酷く足元が悪く……』
テレビ画面に再び壊れた街が撮される。その上空に黒い靄が集まり、形作られる。何も見えていないように進む番組を尻目に俺は走り出した。
流れる景色が、こちらに笑いかけ手をふる人々が、色褪せて見える。惰性と義務感で作られた虚飾のヒーローを俺はまだ演じ続けている。
もし、本当に一人残らず何もかもを救えるヒーローが、俺のような作られた紛い物でない本物が、世界の、どこかに居るのなら。クズでのろまでどうしようもない、つい自己保身を考えてしまう言い訳ばかりの、本当は何もかもを壊してしまった俺が、俺では、救えなかった人たちを……どうか、どうか本当の意味で救ってくれよ。
「ヒーロー……」