組織から逃げながらの旅は一ヶ所に留まることを許さず、次の街へ、次の街へと地図と睨めっこしながら旅を続けることになる。青年と出会ってからあっという間に一週間程が経過していた。
俺ら二人が腰を落ち着けたのは大きな城塞都市だった。
ここにしばらく滞在し、英気を養う予定だ。そしてルスランは武器や防具の整備を。俺は厨二病の研究を進めていく。
今滞在しているような大きな都市では当然検問があり、都市に入る人間には常に騎士が目を光らせている。俺は上司から印章と書簡を頂いている。書簡には地元の教会の司祭が判を押した、身元が確かな教会のお墨付きの人物であるという内容の文章が書かれている。だから俺とルスランは基本的に、教会の権力が届く範囲ならばよっぽどのことがない限り通ることができる。
組織とやらがどれだけの権力を持っているのかは知らないが、検問がある以上いたずらに旅をしているよりも安全ではある。
たった一週間と少しだが今までの旅が旅だったので、俺はほっと一息ついた宿屋で気が抜けたあくびをした。利き腕の右手に握っている羽ペンからぽたりとインクが垂れ、インク壺の中に戻る。俺は患者のカルテだけではなく、教会への連絡を兼ねて筆を取った。定期的な連絡は教会の金を使って研究している以上必要だろうし、そうでなくとも出身の教会は俺の実家同然だ。
机で文字を書いている俺の後ろでルスランがベッドに腰掛けている。健康状態の確認のため散々身体を計測されたルスランは、半裸になりながら俺がこの間教えた正しい包帯の巻き方を実践していた。
「やっぱりダメだ。助けてくれ」
振り返るとミイラのように頭から腕まで包帯をぐるぐる巻にしたルスランが困った顔をしていた。
「そうはならんでしょ」
「目の前の真実を受け入れろ」
カッコよさげに声を出してもみっともなさが増しただけで誤魔化せてはいない。ため息を吐いてから絡まった包帯を取る。包帯を巻くよりよっぽどこの作業が面倒だ。
ルスランの腕の傷は前と比べると大分良くなった。痛ましい傷は塞がり、新しい肉がこんもりとついている。予想以上の治癒速度だ。
ならば厨二病が回復に向かっているのか、というとそうでもないだろう。宿を取るときも俺が仲介に入らないと2回に一回はルスランの前世? の名前で記帳してしまうし、3回に一回はめちゃくちゃ長い長文のよくわからん名前で記帳している。名前に独自の暗号を使うな。
なので聖句が効きやすくなったというより、俺の頻繫な聖句によりルスランが本来持ち合わせている自然治癒力が現れてきたと考えるのが当然の流れだろう。
本当は毒の種類を特定し、解毒するという方法を取りたいのだが、ことはそう簡単ではない。この毒の嫌なところは、傷の治癒を阻害する以外の効果がないことだ。明らかに人体に有害ならばそれに応じた聖句があるのだが、この毒の場合だと逆に聖句を見つけづらい。滅多に聖句の使われた記録が残らないので後世に伝えられないのだ。
そして一ヶ所に留まれない以上、専用の機材を揃えて何日かかけて毒を抽出するという手段は取れない。毒の分析のため下手にルスランと離れて行動すれば身が危ないのは俺の方である。もっと嫌なのが、俺を人質にしてルスランを誘き出されることだ。俺は人の足手纏いになることが嫌いだ。もしルスランが捕らえられた俺を放っておける淡白な性格だったらあったかもしれないが、組織に狙われた青年へわざわざ回りくどい手法で警告した彼のことだからそうはいかないだろう。
毒を含んだ体組織を教会の人間や錬金術師に頼んで特定してもらうという手段もあるが、組織の危険な毒をみだりに手の届かないところへ出してしまうことを危惧し反対されてしまった。
包帯を巻き終わったタイミングでルスランからありがとうと礼を言われる。この程度のことでいちいち礼を言われると人生全肯定人間になってしまうぞ、ちょい照れる。ルスランは極度の厨二病だが礼儀は知っているし良識がある。これで厨二病じゃなけりゃあモテただろうに。フードで隠れがちではあるが顔だって悪くないんだしさ。
「ルスラン、そこの荷物取ってくれるか? 手紙に封をするのが入ってるんだ」
蝋などが入った箱を手渡してもらい、赤い染料の入った蝋を蠟燭で温める。
「封蝋ってなんかよく理屈は分からんがカッコ良いよな」
ルスランがポツリと言った後、あこれ厨二病の言動だから突っ込まれると警戒した顔をする。しかし俺はルスランの意見に賛同した。それも強く頷く。
「良い……分かる。なんだろうこの良さ。こういうちっちゃなことでもファンタジー世界に生きてるんだなって思うわ」
俺は腕を組みながら遠い前世を回想する。
「封蝋なんて前世でもあったけどさぁ、使う機会なんてないし。無駄にファンタジー感じるのは多分ハ◯ポタのせいだよな。実際やろうと思えば梟の使い魔と契約できる世界だし。こうやって印章使ってみるとさぁー感じるわー」
「なんだか言動がブッ飛んでいないか? もしかすると俺よりよっぽど重度のちゅーにびょーなのでは」
「うっ……その言葉は刺さりすぎて串刺しになるわ……」
俺は弱いところを突かれたことをはぐらかすように、胸に手を当てて大袈裟に苦しげな演技をする。前世からの記憶があるということや、俺が異世界に生きていた人間であるということはこの世界の誰にも証明できないのだ。厨二病と言われれば特大の厨二病と言えるだろう。
それでも俺は前世を含めた“俺”を肯定する。“俺”でなければ敬虔な信徒になれていたかもしれぬジュリアの存在を抹消し、本来ならありとあらゆる生物が向かう死を踏み越えて。一体全体俺って存在はどういうもんなのかは自分でも分からないが、それでも。
だって俺はこれまでの人生でそこまで悪いことした覚えねーもん。それに大それた過去とかもないし。地味ぃーに堅実に与えられてきた生を全うしてきただけだし、これからもそうしてやっていくだけだ。
俺の大袈裟な反応が妙に引っかかったのかルスランが眉をひそめた。
「どうかしたか?」
ここで空気を読まず素直に聞いてくるのがさぁー、ルスランって感じだよな。
「いいや。……それよりほら、厨二病の研究をするから手伝いを頼む。これからするいくつかの質問に素直な気持ちで答えていってくれ」
そう言って俺が夜なべをして書き上げた、チェック欄が用意されている紙を取り出す。
厨二病って俺が言ったって明確な基準を炙り出せなければただの仮定の病に過ぎない。これはそのデータを取るための質問だ。
「神についてどう考えてる?」
「神……か。フッ……この愚かな世界を生み出した大罪人だろうな」
ニヒルにキメてカッコつけて答えているが、半裸なのも相まってただの変態にしか見えない。
「じゃあ信仰していない?」
「信仰していないわけじゃない。しかし俺のような堕ちた者に神の加護が得られないのは当然だろうな」
そう言って瞳の奥に陰りを見せながら寂しげに笑う。その様子は気になるが、質問のリストがある以上次の質問に移ることにした。
「漆黒の堕天使とかそういう言葉をどう感じる?」
「なぜ俺の前世が堕天使だと知っているんだ!? やはり貴様、前世の記憶があるのではないのか!」
「えぇー……天丼は勘弁してくれ」
半裸で詰め寄ってくる傷だらけの男の絵面に顔が引き攣る。諸手を挙げて降参のポーズを取り、首を振って何も知らないアピールをすれば不承不承で引いてくれた。
「なに、漆黒の堕天使なの」
「堕天使は翼が闇に染まるゆえに皆漆黒だ」
「前世漆黒の堕天使のルスランさん」
「うっ……なぜだ、背中がなぜかむず痒い……?」
「そりゃ厨二病の自覚症状だから重畳だ」
「俺は堕ちた前世を恥じているというのか……? だからちゅーにびょーに罹ってしまったというのか!? それを気づかせるための質問だったというのか! ジュリア!」
「あー、うーん? そういう方向性で行くの? 前世のことを恥じないで生きていきましょう? 的な?」
「さすがはシスター! 全てわかっていた上で俺に自分で気づかせるよう誘導するとは! 素晴らしい手腕だ!」
一転してテンションが上がり、希望に満ちた瞳で俺に感謝を伝えてくるルスラン。
……これで厨二病が治るわけない、よな? でもまあ当人のコンプレックスが一つ解消に向かっているみたいだし水を差す必要はないか、と乾いた笑いで見守った。
しかしルスランがうるさくて宿の人が文句を言いにやってきたし、半裸のルスランと俺を見てそういう関係だと誤解されて生暖かい視線を送って帰っていきやがる。鬱。シャツを顔面にぶん投げてやったがルスランは普通に投げて渡してくれたと勘違いして受け取ってやがるし。殺意。
※
上機嫌のルスランを引っ提げて、活気に満ちた都市の商店街を練り歩く。揃えなければならないものは色々とあるが、今日の目的は服だ。青年との戦いでルスランの服は裂けてしまったし、俺もシスターとして組織にバレてしまったから身を隠せるような服が欲しい。
人通りの多い場所に出ると、たまに他人の無意識の視線が刺さるのを嫌でも感じる。それは顔だったり、胸だったり、スリットの入った太腿にだったり。
俺は好きでこんな格好をしているが、それは自分でそういう格好をするのを楽しむためであって、見ず知らずの男に見られたいがためじゃない。俺も元男として気持ちは分かるから、見られるだけならなんにも言わないし好きにさせるがよ。
逆にルスランが俺に興味がなさすぎじゃないか? あれでもそういうことに興味がある年齢だろうに、俺の下着を見ても全く興味を示さないとかどうかと思うよ。
ふと買い物をしているルスランを見ると、とんでもないものを買おうとしていた。それは黒い皮で作られたグローブで、指の部分が作られてない。
「うわあああ指抜きグローブだ!」
「ん? このカッコよさげな手袋を知っているのか?」
「厨二病が進行するぅ!」
バッと手にしたものを奪って店の陳列棚に戻すと、不満げな顔をされた。
「ダメだ。さらに言えば黒いコートも禁止だし、用途もないような銀色の装飾品、鎖なども言語道断。袖がないものも不可。あと絶対に白と黒以外の服をチョイスしろ」
「白と黒の色をした修道服を着た人間がそれを言うか」
「これは仕事着だろ。とにかくダメだったらダメ! ぜぇーったいに禁止だ」
「でもカッコいいだろう?」
「無難な服を選べ! 大衆のセンスに屈しろ!」
ルスランはまくしたてる俺に対し、珍しく全面抗争の構えを見せた。睨み合い、まるで熟練の商人同士のような交渉が始まる。
「銀細工はわかった」
「何が欲しい」
「黒のコート」
「袖は」
「長袖」
「丈は」
「全身を包む程度」
「それなら服は譲れない」
「わかった。ジュリアが選んだのを買おう」
「よし、黒のコートだけだな」
取引成立の合図に握手をして戦いは終わった。ルスランが黒のロングコートを購入し、俺がモブ御用達のような目立たない服をルスランに購入した。これならコートさえ脱げば完全に一般人として人混みに紛れることができる。
ルスランの買い物はすぐに終わったが、俺はそうはいかなかった。
俺の服選びには大変な問題が潜んでいた──
「なあ、これ良くないか?」
清純な白のワンピースを試着した俺は、クルリとその場を一回転してみた。そう、なんでも似合うのが困りものなのだ。何を着ても似合うから、何を買えば良いのか分からない。美人に産まれるのも困ったなぁーっ! かーっ! 困った困った!
「そんなに服選びに悩むなら、シスター服を隠せる上着を買えば良いだろう」
「えーやだー」
「じゃあそれでいいから買ってくれ。何時間試着してるんだ」
「対応が適当すぎる」
んだよ。美人が次々とオシャレして笑いかけてるんだから、少しは目を奪われちゃってもいいんじゃないの? 試着を手伝ってくれている店員のお姉さんはあれが似合うこれも似合うって出してくれるって言うのによ。
「じゃあルスランが俺に似合う服を選んでくれよ」
「俺が?」
「さっきは俺がルスランの服を選んだし、ちょうどいいだろ?」
仕方なし、といった様子でルスランが選んだのは紺色の落ち着いたワンピースだった。
「これでいいだろう。ほら、さっさと行くぞ」
「なぜこのセンスの良さを自分の服で発揮できない?」
なんて少々悪態をついてみたが、自分に似合ったものだとは思う。俺は色素が薄めのぶん、淡い色合いの服を着てしまうと太って見えてしまう。
紺のワンピースは俺の身体のラインをハッキリと出しているし、胸元にアクセントとしてつけられているレースも上品さを感じさせ、シスターの普段着としての品格を保っていた。
さっさと店を出て行こうとするルスランを追いかけながら、案外しっかり俺を見てたんじゃないのかと胸のつっかえがとれて自然と笑っていた。