木の板を激しく叩く音がして、二度寝をしようとしていた俺は強制的に意識を覚醒させられた。こんな風に訪ねてくるような人物の心当たりは一人しかいない。
寝ぼけ眼を擦り欠伸をしながら扉を開けると、珍しく焦ったような顔をしたルスランが立っていた。肩には白い鳩を止めていて、その鳩はくちばしに手紙を挟んでいた。
「なんだ、鳩でも飼ったのか」
「冗談はよせ」
当然、俺はその鳩がなんなのか知っていた。教会だけが契約を許される使い魔であり、俺も先日厨二病に関しての手紙を持たせて放ったばかりだ。鳩はルスランから俺の肩へ渡ってくる。
返事の手紙が来るにしては早すぎる気もするが、大人しく鳩から手紙を受け取ると鳩がクルッポーと鳴いて喜ぶ。
そういやまだ来ないと思って、油断して窓を閉めていたんだったな。おおかた先に起きて窓でも開けたルスランの部屋に鳩が飛び込んだのだろう。
「ずいぶんと余裕だな」
「余裕? なんのことだ?」
「その手紙、強い封印がかけられている。君以外では触れることすら叶わないだろう。そして何より差出人だ」
「差出人?」
言われて手紙を見ると、明らかに紙が上質のものだった。そして封蝋に刻印された模様は、どう考えても生まれ育った教会のものではない。
無駄に豪華なその模様は、教会に所属する人間ならば誰だって知っていて当然のものであり、なおかつそこから手紙が届けられるという事態が飲み込めない俺は、情け無い声を上げた。
「へっ!? きょ、教皇!? なんで!?」
それは全ての聖職者の頂点に立つ人間からの手紙だった。流石に直筆ではなく代筆だろうが、刻印は手ずから押されたものであることは間違いないだろう。
「心当たりはないのか?」
「あっ、あるわけないでひょッ!?」
舌を噛んで痛い。涙目になりながら訴えると、ルスランは顎に手を当てて考え込む。
「ならばおかしいな。教皇といえど、そこらのシスター相手にそこまでの強力な術を手紙にかけるか? よっぽどの機密文書でなければここまではやらんだろう。組織からの罠かもしれんな」
「まっまままマジ? じゃあルスランが処分してくれ」
「もし本物だったらどうする? 流石に教皇からの手紙を燃やすのはマズいだろう」
「神を大罪人って言ってたのに教皇の権力には屈するのかっ」
「じゃあ燃やすか? 俺は構わないぞ」
「ごめんなさいやめて下さい」
「俺が見ていてやるから早く開けろ。俺は朝早くにそいつに起こされるし叩いても君は簡単に起きないしで今寛容じゃない」
「はい……開けます……すみません……」
薄目にして手紙を持ち、覚悟を決めて一気に開ける。
「……なにも起きないな」
「つまりホンモノってことなのか……うわーすっごい読みたくない」
しかし読まないわけにもいかない。肩に止まった鳩に見守られながら手紙を読み始める。うわ、この紙透かし加工がしてあって、朝日で教皇の刻印が浮き出てくる。ますます偽物なわけがないので、半分脅されているような気持ちで読み進めていく。
手紙は長々と書かれているので読むにも時間がかかり、どんな内容なのか気になっているルスランの視線が刺さる。
「……ふぅーっ、なるほどな」
俺が読み終わると手紙は鳩と共に空中に溶けるように消えていってしまった。うわーファンタジーだなぁ。このメッセージは自動的に消滅するって奴の魔法バージョンって感じじゃんか。
「で、手紙が来た理由を俺が聞いても構わないのか? それとも答えられないか?」
「言っても大丈夫だと思う。ってかこれ俺一人だと手に余るわ。ルスランにも無関係じゃない感じだし、良ければ手助けして欲しい」
どうやら俺がのんびり過ごしている間にとんでもないことが起きていたらしい、ということが手紙から分かった。
「まず、この都市にいま教会関係者は俺しか居ない……らしいんだ。他の教会関係者は皆こつぜんと姿を消しているらしい。とにかく気をつけるようにと書かれていた」
「なるほど、昨日の襲撃者は俺を追った組織の者かと思ったが君を狙っていたんだな。どうりで脇が甘いわけだ。合点がいった」
「昨日? 襲撃者? ちょっ、聞き捨てならないんだが」
「ああ。言ってないからな」
「待て、待て待て。次々に発覚することが多すぎて頭が追いつかない。とにかくそれについては後で問い詰めるから続きを言うぞ」
「わかった」
「で、教会関係者が消されている理由……ここからが話の肝というわけだ」
コホン、と咳払いをしてから話を続ける。
「今代の聖女が見つかった。そして聖女の力を狙った都市の代表が聖女を幽閉している可能性がある」
聖女とは、この世で唯一神の言葉を直接聞くことができる存在だ。大抵は天使を通じて天意は示されるが聖女だけは別であり、神の代理人として尊ばれる。それだけでなく聖女は失われた聖句を紡ぐことすら可能であり、現在、過去、未来、のありとあらゆることを知ることすら不可能ではないという、神に寵愛を受けた存在だ。その力を狙う存在がいることも不思議ではない。
「……なるほど、それは大事だな。しかしそんな手紙がなぜ君の元に届く。そして俺も無関係じゃないとはなんだ?」
「俺もよくわからない部分が多いんだ。多分教皇も分かってない。なぜかっていうと、教会は最近発見された先代の聖女の預言を基に動いているからだ」
恐らくこのタイミングで意図的に発見されるよう先代の聖女によって仕組まれていた預言は、教会に大混乱を招く結果となった。巧妙に隠された教会関係者の失踪の判明、聖女の登場、そして幽閉。
本来なら教会は即座に聖騎士を動員して聖女の救出に向かうはずであった。
「ただ、この預言の一節を聞けば分かると思う。『神光を宿す剣を以って囚われし聖女は解放される』……これってルスランが前襲った青年の剣のことだよな」
「気づいていたのか」
「そりゃシスターやってりゃな」
教会はまだ青年のことについて知らないようだ。ルスランがどうやって青年について知り得たかは聞かないが、正に“鍵”を握っていたって訳だ。
「教皇は俺に聖女を救出しろって言ってるんじゃない。聖女が無事であるかを確認して事態を報告するように求めている。……もっとも出来ればって感じで期待されてはいないみたいだがな」
「預言通り彼に助けられるまで見守っていろということか。ハッ、馬鹿らしい。だから神は愚かなのだ」
「じゃあ止めるか?」
「……いいや、実に不本意ながら教会と俺の方針は同じだ」
「じゃあ聖女の無事を確かめにいくってことでいいな?」
ルスランは心から嫌そうに頷く。今回ばかりは信仰心のなさを注意することは出来ない。この世界には誰の目にも明らかに神の恩恵があるものの、前世のように神が実在することを信じるのが信仰ではないからだ。実在してしまうからこそ信じることはできない。厨二病などと侮ってはいたが、きっとルスランの信仰心のなさの本質はそこにある。それさえなんとかなれば若干カッコつけた虚言癖のある人間に……それはそれで問題あるわ……。
「こんな時だが一つ聞いていいか?」
「何だよ」
「なぜ俺の服を着ている」
「あっ」
しまった。寝間着から着替えて扉を開けるのを忘れて出てしまった。
この服はルスランが青年に斬られた時に着ていた服で、もう使えないから捨てる予定だったものだ。俺は俺に似合うかわいーい寝間着しか持っていないので、利便性というものを考えていなかった。だからシャツを見た時に寝心地の良さを優先してうっかり着てみたところ、なかなかによく眠れたのでそれからも時々着ていた。
はっっっっずい。寝間着なんて絶対バレないだろうから着ていたのに。男物のシャツはやっぱ楽だなって着てただけで彼シャツ的な格好する俺ってばエロくねって邪さは断じてないのであってあばばばば。
こうなったら開き直ってペースをこちらが握ってしまえば勝ち! 先手必勝!
「興奮したか?」
胸元を摘み上げてシャツを着ていることをアピールしてみる。男物のシャツは俺には大きくぶかぶかだが、胸元は違う。そして胸元が裂けているから下乳が覗いているし、なかなか叡智なんじゃねぇの?
「いいから着替えてくれ」
「ちょっ、マジでそんな冷たい声で言わないで」
寝起き最低機嫌悪い系男子の脅しに屈した俺は即座に着替えようとシャツに手をかける。
「ここで着替えるな!」
「なんでだよここ俺が借りてる部屋だぞ」
「……っ!」
するとルスランは顔を真っ赤にして扉をバンと閉めて出て行ってしまった。これは俺の勝ち、で良いのか?
しかし昨日襲撃があった件を聞く前に出て行ってしまったってことは結局負けってことじゃないのかと気づいてしまった俺は、ベッドに転がりながら落ち込んだ。
※
どうやら俺はふて寝してしまったらしい。またもや夢の中で“ジュリア”と睨み合っている。冷たい金色の瞳は、俺の戸惑いを含んだ視線を映していた。
このままいつものように目が覚めるまで睨み合いを続けるのだろうと思うと、疲労感がどっと押し寄せてくるが、女はなにも変わらない。いつもと同じ格好をして、いつもと同じように俺を下に見て睨んでくる。
しかし、今日ばかりはいつもと違うことが起きた。
あれだけ俺が何を言っても口を開かなかったのに、当たり前のように女が口を開いたのだ。
「もうすぐ終わるわ」
透き通った綺麗に響く声だが、その言葉には簡単に言い表すことのできないような憎しみや嘲りが含まれていた。
「なにが終わるんだ。この夢か? それとも他の何かか?」
俺が問いただしても女はなにも言わない。まるで虫ケラをみるようにして俺を否定し続けている。
「……それはもしかして聖女ってのに関係することか?」
「ふふ、ふはは、あははははは!」
女の笑い声に呼応するかのように突風が巻き起こる。吹き飛ばされそうになった俺は地面に手を置いてうずくまり、必死に抵抗する。
「いけないわ。わたくしったらこんな笑いかた。笑いたいのをずっと堪えていたせいね。……ふふふ、アナタのことはとても嫌いですけれども、哀れに踊る様は嫌いではありませんわ」
「哀れ? 俺が?」
「男の癖に女の真似事をして、必死になって自らを繕い……なんと醜いのでしょう」
歌うように紡ぐ言葉は呪いそのものだった。俺のコンプレックスを穿たれ、初めて女の前で顔を歪めてしまう。
女は、当たり前だが、ずっと"ジュリア"であり続けている。しかし俺は違う。ここに初めてやってきた時はまだ子供の時代で、しかし俺の外見は前世の姿だった。それから何年もかけて少しづつ自意識が変化して、数年前にようやくジュリアの姿として確定された。時にジュリアであったり、時に前世であったり、実に不安定な姿であったことは女も知っていることだ。
「たしかに俺は未だに自分は女だって心から信じ切れてはいないのかもな」
姿はジュリアになったが、まだ男だった前世の心のままでいるつもりでいる。男と恋愛なんてごめんだって思っていることからもそれは明らかだ。だから女にとっては精神世界といえるこの場所で、ジュリアの姿でいる、ということは偽りなのかもしれない。
「俺を恨むといいさ、憎んでいればいいさ! だがどれだけ否定しようが、残念ながら今の"ジュリア"は俺だ! これだけは覆しようのない事実だ!」
俺は吠えるように、自分を守るように叫んだ。
「ふ、ふふ、ふふふふふ、ほぉら、哀れに踊ってるわぁ」
女は人差し指と中指を地面に向けて、脚に見立てて踊らせた。女にとってはアレが俺なのだろう。
「じゃあね、ジュリアちゃん。次会うときは……ふふ、楽しみにしていて。それまで死んじゃやーよ?」
突風が強まり、ありえない力で身体が吹き飛ばされる。俺は初めて追い出されるようにして覚醒したのだった。