「なっ、なあ、俺、人殺しちゃった感じか!?」
俺は情けなく裏返った声で叫んだ。悪魔に身体を乗っ取られている人間に対しての保身が認められているとはいえ、まさか肘鉄一発が殺人を招くとは考えていなかったので、動揺せずにはいれなかった。
「いや流石に……きっと……組織の幹部が憑依体といえど……うん……どうだろ……?」
「ひっ、人殺しか!? 俺!? どうしよう」
前世から数えて俺は暴力とはほど遠い人生を送ってきた。なのにここに来て人殺しになってしまった。どうすればいいのかも分からずに狼狽し、みっともない姿をルスランに晒した。
それがかえって動揺したルスランには良かったのか、先に平静を取り戻した。
「気になるなら降りて確かめてみればいいだろう。ほら、来い」
言われた通りにルスランに近づくと、横抱きにされた。いわゆるお姫様抱っこというやつだ。
ルスランは割れた窓から空中に飛び出し、ふわふわと魔法で空中の速度を低下させながら落下する。何やら複数の術を使いながらの自由落下は高度そうな感じもするが、俺にはその原理がさっぱり理解できない。
「だ、大丈夫ですか~? 死にましたか~?」
「愚昧の僕め……! よもやここまでの策略を張り巡らせていたとは」
「良かった~生きてた~」
「くっ、邪悪なる意思が巡る限り我々は滅びぬぞ……! カハッ……!」
「虫の息だがな。ほら、憑依も維持できなくなったようだぞ」
目の前でイヴリスの憑依は解除され、後には死にかけの貴族服を着た男性だけが残った。俺は自分が人殺しになりたくないという利己的な理由から男性に治癒を施す。
「そうだ、こいつ悪魔崇拝してやがる! 効きがルスランより薄っすいんだが」
「格好といいこの屋敷の主人だろうな。悪魔崇拝に浸り、ついにはイヴリスに身体を乗っ取られたと見える。この館がなぜ組織にいいように使われてきたのか理由が見えてきたぞ。しかし妙だな。なぜ聖女はすぐ殺されず幽閉された……?」
「人が精神すり減らしてる横で考察しないでくれ! こっちは必死なんだよ! っていうか、素直に考えれば聖女の力の悪用だろ」
「たしかに聖女の力は凄まじい。だが、奴等にとっても危険なはずだ。一瞬で祓われてしまう」
「じゃあなんで聖女は自力で逃げずに囚われていたんだ?」
「……! そうだ! 聖女の幽閉! それこそが悪魔ではなく堕天使の関与の証拠となる! そもそもイヴリスは組織の中でも堕天使を従えてきた! なるほど、見えてきたぞ」
「俺は何にも見えてないがな。というかマジに黙っててくれ」
「つまり主導は組織の中でも堕天使陣営な訳だ。それもごく最近に活発化している。その上独断でな。ならば最近堕天した奴が預言や青年のことを知ってイヴリスに伝えたのだろう。これは預言を利用した青年を誘き出すための罠!」
「……で、肝心の罠って?」
「それは……」
言いながら、ルスランは目線を死にかけの男性に移す。確かに組織の幹部が急襲するならば、憑依体といえど青年の力量ではひとたまりもないだろう。
「まさかね……」
「まさかな……」
きっと青年を陥れる凄まじい罠が仕掛けてあるに違いない。俺の肘鉄が堕天使たちの全ての計画を砕き、預言を成就させたとかいうそんなことはないはずだ。
青年が心配だなぁ。罠がこれから青年を待ち受けているはずだ。館をこっそり上がった俺達では気づかなかったような凄い罠があるはずだ。
そう言えば今更だが、イヴリスが姿を隠していたのはなんだったのだろうか。まさか、青年を襲うべく待機していたとか、そんなことはないだろう。
考えごとをしながらの聖句は慣れているので男性は死にはしなかった。が、生死の境を彷徨いながら意識を取り戻したとき、俺を見て
「天使様だ……」
と言いながら再び気絶したのは少々納得が行かない。悪魔崇拝だったんだろお前。手のひらクルクルで聖句がすんなり効くようになったが、心変わりが早すぎるぞ。ルスランもこれぐらい楽なら良いんだが。
さて、男性を治した後、俺達は館を脱出することにした。
ルスランが心配する罠とやらがあるのか確認したいところだが、騒ぎは大きくなっているようで今を逃せばとても脱出など出来なさそうだからだ。
しかし青年と聖女の預言にもあるため大丈夫だろう。少々身勝手だが、さすがに騎士団が動員されている様を前に呑気にはしていられない。
ルスランは隠していた鎧を着込んで、俺はメイド服をある程度整えて、無事に脱出した。
「あのイヴリスの奴のこと、元上司って言ってたよな」
「イヴリスは組織の上層部であり、堕天使の転生者であった俺直属の上司だった」
「なに、四六時中一緒にいたとか?」
「四六時中とまでは言わないが、前世を含めてかなりの時間を共にはしたな……。俺の忌まわしき記憶だ」
「良かった。忌まわしきとは思ってくれてるんだ。あの喋り方をカッコイイとか言ってたらぶっ飛ばしてたわ」
「3、4年前の愚かな俺は、あの喋り方に憧れて真似をしたものだった……」
「それ組織内で言葉通じてたん? 連絡に不自由ありすぎるだろ」
「実際あったな。だがそれをいかに汲み取り、行動するかが大事なわけだ」
「うわ……引くわ。なんだその組織」
「天上の主人もまた明確な答えを下さらないお方であった。近かったイヴリスにとっては特にな。それが当たり前のことであったのだろう」
「ねえ、予想以上に重い事情にツッコミ入れられないんだけど。神様ってパワハラ上司なわけ?」
「ジュリアがそんなことを言っては治癒の力を失ってしまわないか?」
「大丈夫大丈夫、不敬なことを考えたのはこれが初めてじゃないけど変化したことはないから」
ルスランは目を見開いた後、どこか遠くを見つめながら悩みだした。
「むう、信仰とは一体どのようなものなのであろうな」
「さあな。俺の前世じゃ神様が実在するってことが信仰だったんだが、この世界じゃ神様の存在は明らかだ。その上の信仰ってやつは、案外俺もよく分かってないんだわ。ただ、神様の与えるチカラってのは敬うに値するものだと心から信じてる」
「しゅーへーという奇妙な名前からも思ったんだが、ジュリアの前世は異世界か」
「ああ。そういう前例とかってあるのか?」
「さあ、俺は知らんな。……ただ異世界があるのは天使の職務上知っていたから、前例の可能性はあるとは思う。でなければ異世界について知る術もないだろうしな」
「ふぅん、そういうもんなのか」
「そういうもんだ。堕天してから数十世紀も経っているし、人間に転生してるから情報は定かではないが」
「そっか」
「淡白だな。もっと前世の異世界のことについて知りたがると思ったんだが」
「んー、今の俺はジュリアだしなぁ。ルスランだってそうだろ?」
「確かに気持ちは分からなくはない、な」
お互いどこかむず痒い気持ちになって話を打ち切った。前世のこととか、きっと厨二病なルスランでなければ他人に一生話すことはなかっただろう。
俺の心の奥底にしまってあることを、こんな風に雑談で消化してしまうことが、自分自身とても意外だった。ルスランも同じ気持ちのようで、顔を合わすことなく前を向いて歩いている。
俺達は宿屋に帰ってくるまで言葉を交わさず、どこか変な空気になりながら帰路についていた。
教皇への手紙なんて初めて出すので書式とか全く分からないんだが、普段の報告書みたいにして大丈夫だろうか。調べられない以上どうしようもないので大人しく書き進める。ああ、G〇〇gleが恋しい。しょうもない、いかがでしたか? タイプの記事が引っかかってそうだが。
ほどほどにルスランのことはぼかしつつ、ただの患者兼協力者として名を残す。見るからに怪しい気もするが、他に手段もない。それに悪意のある嘘は聖職者の制約に引っかかるから、向こうが信じてくれることを期待しよう。
白い鳩を使い魔として呼び、手紙を持たせる。これで俺の任務は完了だ。
手紙がやってきた時はヒヤヒヤしたが、終わってみれば楽な仕事だったじゃないか。これで昇進待った無しだな。
俺は全ての仕事を終わらせた後、晴々とした気持ちで背伸びをした。
「なあ」
ルスランに呼ばれて振り返る。
「前は組織のことについて知る必要がないと言っていたが、今はもう知らなくてはならない段階だろう。イヴリスに顔を知られたのが不味い」
「……やっぱり俺、結構ヤバい立ち位置にいる?」
「それも一連の騒動の中心に近い、な。教皇が直接手紙を渡してきたというのにまだ普通のシスターでいたつもりか」
「うわーっ、やだーっ、教会に帰りたいーっ」
「このまま教会に帰っては余計に迷惑がかかるぞ。諦めろ」
「なぜこんなことに……? ただ厨二病を治そうとしていただけなのに」
「異世界人の記憶を持った普通のシスターなぞ、一連の騒動を抜きにしても異端だろう。ほら、話をするから座れ」
「うう……分かったよ……従いますよ……」
とぼとぼとルスランと向かい合うような形で椅子に座る。
修道服ではなくメイド服を着たままなので、足元がスースーしておぼつかない。座ると露わになる太ももが肌寒い。
「話はそう──今から二十万年、いや四千年前だったか。すまない。前世の記憶は曖昧でな。とにかく、謀反を起こす前のイヴリスは様々な名前で呼ばれていたんだ。だから何て呼べばいいのか。ああ、聖書にはこう書かれていたな。ルシファーと」
「──え、マジ?」
「そう。ルシファーは神に最も愛され、最も近い存在だった」
「あんな野郎が!?」
「ああ。ルシファーだけが神に直接会って言葉を交わすことができる権能を有していた。だが、何を思ったのか傲慢のまま神に謀反を起こし、堕天した」
「どこからが厨二でどこからがガチなのか、線引きが全くつかねぇ」
「そのルシファーの権能は4つに分けられ、4人の天使に与えられた。ミカエルに剣を。ガブリエルに短剣を。ウリエルに弓を。ラファエルに槍を。そして何を隠そう、青年の持つ剣こそミカエルの剣だ」
「そんなやべぇもんだったのかと驚けばいいのか、イヴリスの持ち物だったんかよとツッコめばいいのかわかんねぇ」
「堕天使が青年を狙う理由は言わずもわがなだろう。青年の剣は堕天使陣営を率いるイヴリスの権能の断片だ。奴としては自分のものを取り返したいだろうな」
「取り戻すとマズいのか」
「一つ取られた程度では、堕天使陣営の戦力が大幅に増強されるに留まるだろう。──だが4つ揃えば、堕天使が神に触れることを許してしまう。一体どんな風に世界が変質してしまうか。想像すらできない」
「じゃあその4つを守り通すのが人類の使命ってわけか?」
「どころが、だ。その4つが今、1人の人間が所有していると言ったらどうする?」
「へっ!? ……それはつまり、あの青年が全部持ってるってこと?」
マジかよ。アニメなら1、2クールかけて出す情報が一気に迫ってきて処理できねぇ。
「青年はミカエルの転生者だ。ミカエルは天界で騒ぎを起こし、他の3つの権能を奪い人間に変わった。一体何が起きたのかは、その時既に堕天していた俺には分からない。だが何かが起きて、ミカエルはそのような凶行に走ったのだろう。真面目な奴だったからな……」
ルスランにしては珍しく、穏やかで何かを懐かしむような顔をしていた。
「幸いなのは、ミカエル自身が権能に鍵をかけていたことだ。今青年はミカエルの剣しか使うことができない。だから組織が本格的に青年に手を出すのは、4つの権能の鍵が全て無くなってからだろう」
「その鍵ってのはなんだ?」
「精神的なものか、物質的なものか、はたまたその両方か。情報はミカエルしか知り得ないだろう。だからこその鍵だ」
「……あれ? 今気づいたんだけどヤバくね? 青年、もしかして天使からも狙われてる?」
「……聖女が青年の味方である以上手は出せないだろうが」
「つまり預言は天使達への牽制も含むってわけだ」
「だろうな。だから現状天使は争いに手を出すことはしないはずだ」
「……考えれば考えるほど神の作為を感じる」
「人間が神の意思を図ってはならないと教会で教わらなかったか?」
「そりゃ、そうだけどよ」
溢れる厨二病の波に脳が追いつかないまま、夜がやってきていた。