Lostbelt No.■ 無価値幸福論 ブロークンファンタズム 特異点Δi   作:ルシエド

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序幕:Garden of Avalon

 

 めでたし、めでたし。

 

 そんな言葉が最後に飾られたから。

 

 もう、彼らに幸せな未来は訪れない。

 

 

 

 

 

 森晶(もりあきら)刕惢(れいすい)は、白磁の椅子に腰を降ろした。

 真っ白なテーブル。

 真っ白な椅子。

 その上に、透き通る赤紫の美しい花びらが、風に吹かれていくつか無造作に乗っていた。

 

 彼の対面に座るは白髪の男、マーリン。

 アーサー王伝説に語られる魔術師。

 伝説のキングメイカー。

 "この世界線における"、現役の偉大なる魔術師(グランドキャスター)

 刕惢と共に、一つの物語を駆け抜けた男であった。

 

「これは夢かな、マーリン」

 

「ああ、夢だね。

 まずはねぎらいの言葉を贈るとしよう、刕惢君。

 人理修復の完遂、おめでとう。

 僕が最後に顔を合わせたのはバビロニアだったからね。

 今日まで中々言う機会がなかったんだ。許してくれるかな」

 

「ありがとう。マーリンさんの助言があってこその結果だと思ってるよ」

 

「ふふふ」

 

 かつて、この星に存在した人類史は全て焼却された。

 下手人は魔術王ソロモンを名乗る者、憐憫の獣ゲーティア。

 人類の歴史そのものが焼滅したが、人理継続保障機関フィニス・カルデアだけは奇跡的に残り、刕惢は()()()()()()()()()()、マシュ・キリエライトらと七つの特異点を駆け抜けた。

 そして、世界を救ったのである。

 

 無数の伝説の英雄たち(サーヴァント)こそが、彼の力であった。

 だからこそ彼は世界の救済を『仲間のおかげ』と言い、仲間達は『彼が頑張ったから』と言い、笑い合って今日を迎えた。

 お祝いのパーティーをして、皆で美味しいものを食べて、刕惢は未成年なのに少しお酒も飲まされて、どんちゃん騒ぎして、胴上げされて、しばらくして、そうして今日を迎えたのだ。

 

 ここは、ハッピーエンドのその後の世界。

 完全無欠の結末の後のエンドロール。

 めでたし、めでたし、で全ての戦いは終わりを告げた。

 だから明日からどう幸せに生きていくか、それだけが重要なことだった。

 

「それで、今日はどうしたん?

 夢の中に現れるのは夢魔の特性……だっけ。

 お祝いを言いに来たというわけではないんだよな?

 それはあくまでついで。でなければもっと早くにお祝いを言いに来ていたはず」

 

「おや、鋭いね。うん、そうだ。僕は君に言わないと告げないことがある」

 

「今更大抵のことじゃ驚かないよ。特異点といいトンチキハロウィンといい……」

 

「この世界は、何もしなければ滅びる。

 この世界の可能性は失われた。

 黒幕が居るというわけじゃない。

 自然の摂理、宇宙の法則の一環として、この世界は剪定される」

 

「―――え?」

 

 これは、ハッピーエンドのその後の世界。

 

「え、あの、言ってる意味が」

 

「平行世界は知っているね? ここまでの旅路で耳にした覚えもあるだろう?」

 

「あ、ああ、まあ」

 

「でもね、宇宙の容量には限りがある。

 無数の並行世界を全て内包していたら宇宙はパンクしてしまう。

 だから『要らない世界』は定期的に剪定され、消滅されるんだ。

 この世界はこの前までは"中心に近い世界"だったけど……滅びることが決まった」

 

「決まった、って……誰が決めたんだ!? そんな、身勝手な……!」

 

「この宇宙さ。

 都合の良い悪役なんて居やしないとも。

 この宇宙はまだ見たことのない未来を知るために在る。

 だから分かりきった結末の世界は要らないんだ。

 資源が尽きて、発展の余地がない世界も。

 人類が全く別の姿に進化してその先が無くなった世界も。

 ある日突然、"この世界に先はない"とされて、世界ごと消えてなくなる」

 

「残酷だ。残酷すぎる。

 それぞれの世界に生きてる生命がいたはずだ。

 そんなもの、一体どれだけの人が不幸に……」

 

「そしてこの世界も()()()()()。君にもそれは分かっているだろう?」

 

「……え」

 

 ハッピーエンドはハッピーエンドだ。

 皆が笑って、幸せになって、それでおしまい。

 その後の余計な物語など、誰にも望まれていない。

 きっと、この宇宙にすら。

 

「君が召喚に成功した『王』。

 君以外なら誰も召喚には成功しなかっただろう。

 彼を召喚できてしまったことが、最大の幸運にして不運だった。

 誰も知らず、誰もが知る王。

 想念の器の模造にして唯一無二の空。

 君が彼を召喚できたことで、君はゲーティアとすら和解したが……未来を失った」

 

「……?」

 

「君はこの世界を()()()()()()()んだろう。

 この世界は完全無欠の世界、にはまだ遠い。

 でも、皆が笑って、皆が幸せになれるようになってしまった。

 だからこの宇宙にとってはもう要らないんだ。

 それは見たことのない結末を作り出すようなものではないからね」

 

「おかしい……おかしいだろ……」

 

 マーリンは飄々と語り続ける。

 刕惢なる少年の表情はどんどん絶望に染まり、顔色は悪くなっていく。

 これは希望に満ちた未来の話ではない。

 困難を乗り越えるための状況説明ですらない。

 

 ただの、死刑宣告だ。

 

「本のお話でよくあるだろう?

 続編に次ぐ続編。

 敵を倒してもまた新たな敵。

 ハッピーエンドに見せかけて続編でビター。

 よくある話さ。

 そうすることで幸福と引き換えに、未来は分からなくなる。

 この宇宙が汎人類史に求めているものとは、そういうものなんだろうね」

 

「でも、俺達は生きてるんだ。

 それぞれの世界に人は生きてるんだ。

 その要望に応えてたら世界は地獄にしかならない。

 誰かが不幸になったり踏みつけにされる世界を、変えることもできない……」

 

「そう、それも間違いではない。

 だが宇宙は人間の倫理など慮ってはくれないのさ。

 みんなが幸せな人類世界は、この宇宙に存在を許されない。

 全ての地獄の頂点に立つ地獄の世界。それが在るべき世界の姿ということになる」

 

 可能性に満ちた世界とは、何もかもがある世界だ。

 幸福も、不幸も。

 生存も、虐殺も。

 笑顔も、泣顔も。

 希望も、絶望も。

 戦乱も、平和も。

 だから『汎人類史』となる世界は地獄となる。

 平和を求めても続かない。戦乱を求めてもいつかは終わる。

 希望を抱いて絶望に終わり、絶望の中から希望で再起する。

 

 まるで、虫かごの中で子供の玩具にされる虫のような生涯を、皆が繰り返しているようで。

 人生とはそんな残酷な世界の中でか細い幸せを見つけることだと、皆が妥協するように世界に折り合いをつけた在り方を見つけていく。

 可能性の無い一本道の天国の対極、無限の地獄が広がる多様性の地獄である。

 

「すまないね。僕が気付けていたなら何か別の未来もあったかもしれない」

 

「……いや。

 マーリンさんには、何度もお世話になったからな。

 文句とか言う気にはなれない。

 むしろこのことを教えてくれて、いや、辛い気持ちもあるけど、感謝してる」

 

 飄々とした微笑みを浮かべるマーリンが口だけで謝って、刕惢が椅子に座ったまま深々と頭を下げてお礼を言う。

 少年が見ている間、飄々とした微笑みを浮かべていたマーリンが、彼が頭を下げたことで視線が途切れたその一瞬だけ、憤りと悔いを顔に浮かべた。

 刕惢が頭を上げた頃には表情は元に戻っていて、何の痕跡もそこにはない。

 

「そうか。うん、殊勝な心がけだね。僕のせいにしないのはいいことだ」

 

「俺が何か上手くやってたら。

 いや、この世界のカルデアのマスターが俺じゃなかったら。

 どこかで何か違う選択肢を選んでいたら、違っていたかもしれない。

 マーリンさんが力を貸してくれたのに、何もできなかった俺の方が、むしろ……」

 

「……まったく。

 僕を従える人達はいつもこうだ。

 何もかもを自分のせいにすればいいと思っている。

 国も世界もそんな簡単なものじゃないし、軽いものでもないのにね」

 

「え」

 

「いやはやすまない。関係の無い話をしてしまった。過去(むかし)ではない現在(いま)の話をしよう」

 

 この世界は奇跡の世界である。

 どこか、御伽噺じみた奇跡と幸運が連なって、誰も知らない結末に辿り着いた。

 人類はハッピーエンドを迎え、かつて抱えていた問題や絶望を克服しようとしている。

 だから―――もう見るべきところはない。

 

「僕もこういうことは言いたくないけど……

 ()()()()()()()()()()、汎人類史には相応しくない。

 醜さが足りない。

 生き汚さが足りない。

 地獄が足りない。

 苦しみと絶望が無い分、多様性も可能性も無い。

 ただただ、人々が幸せなだけだ。

 『誰もが笑顔で終われた世界』なんてものは……この宇宙においては、無価値なんだよ」

 

「……」

 

「君が手に入れた幸福は、未来と引き換えだった。

 勝利を手に入れるということは敗北を手放すということだ。

 僕はそういうのが嫌いじゃない。君はとても綺麗な(せかい)を見せてくれた」

 

 マーリンはテーブルの上の花びらを一つ拾い上げ、器用に指の上でくるくる回す。

 泥は泥。

 いくら踏まれても泥のまま。

 花は花。

 踏まれれば潰れ、散り、花びらは風に乗って誰かの手の上に辿り着く。

 汚いものは壊れることなく、美しいものは必然に壊れる。

 それが花の世界の理だ。

 

 マーリンと少年は、窓から見渡せる外の世界、無限の花畑を虚しげに眺めていた。

 

「君が生きてきた世界はいずれ、誰も傷付かない世界に至るかもしれない。

 君がそれを望んでいるからだ。

 君が顔も知らない人々の幸せも願うような少年であったからだ。

 君が召喚した『この世界の王』がそれを叶えるからだ。

 この世界は悪性ではなく、綺麗事によって滅びる。

 だから忘れてはいけないよ。

 君のその心根に惹かれてついていった英霊が居たという、一番大事なことをね」

 

 マーリンには『それ』を告げ、自覚させる義務があった。

 森晶刕惢には『それ』に気付き、自覚する責任があった。

 告げたくなくとも。

 気付きたくなくとも。

 逃げ出すことなど、許されない。

 

「俺のせいですか」

 

 『皆の幸せを願った罪』で、彼と彼の愛した世界は裁かれる。

 

「俺の望みが。

 俺の願いが。

 俺のこの心が。

 この世界の未来を奪ったんですか?」

 

 マーリンは困ったような表情で、首を横に振る。

 何も言えなかった。

 何も言うことはできなかった。

 何も言えることがなかった。

 マーリンには少年に対しありきたりな慰めの言葉を投げかける優しさはなく、君は悪くないと嘘をついて救ってやる気もなく、真実を隠して平穏に終わらせてやる気もない。

 

 バッドエンドが嫌いなマーリンが望むことはただ一つ。

 この世界の美しい一枚絵(にんげんたち)の未来を、継続させることだ。

 

「カルデアが来る。

 君のカルデアではない、本物の汎人類史のカルデアが来る。

 この世界を刈り取りに、だ。

 この世界は特異点にして異聞帯だ。

 白紙化された汎人類史がどんな形であれ蘇るには、邪魔にしかならない。

 彼らの世界のためにこの世界は消し去られるだろう。君はどうしたい?」

 

「どうしたい、って……」

 

「平安京の魔人の胡散臭い話に乗ってこの世界に楔は打った。

 それはこの世界を継続する一手。

 転じて汎人類史を脅かす一手だ。

 僕はグランドの霊基にて、それをここから維持している。

 汎人類史のカルデアはそれを許さないだろう。自分達の世界の未来のために、ね」

 

「え、それって」

 

「汎人類史から来たる者達を討ち滅ぼせば、この世界は生き残るよ。

 この世界は元々中心に近い世界だ。

 この世界が汎人類史の代わりに、現在最も可能性に満ちた世界として残るだろう」

 

「!」

 

「生き物なら自分以外を犠牲にして生き残ることは罪じゃないんじゃないかな?」

 

 マーリンは柔らかな物言いでさらりとのたまう。

 その言葉は少年に指針を提示するものでありながら、新たな苦悩を与えるものであり、選ぶのは少年でなければならないがゆえに、どこまでも苦しみしか生まないものだった。

 マーリンは微笑み、刕惢は髪をくしゃくしゃにかき混ぜる。

 どんなに苦悩しても、絶望しても、それしか生存の道がなくとも。

 

「それは……それは……」

 

 ()()()()()()()()()()という、あまりにも致命的な欠点が、彼を蝕む。

 

「他に方法があるはずだ!

 他に……何か……

 できるわけがない!

 他の世界を剪定してまで生き残るなんて……!

 他の世界にも人は生きてる!

 大事な人だって居るはずだ!

 自分の世界を滅ぼされたくないから戦う人の気持ちは分かる。

 俺がずっとそうだったから……過去の俺の在り方を否定するようなもんじゃないか……!」

 

 マーリンは彼を、奇跡中の奇跡と考える。

 究極の奇跡と至高の幸運があって初めて、彼は人理修復を成し遂げたと思っている。

 何故なら、森晶刕惢はここまで、誰も犠牲にしてこなかったからだ。

 それで全てを乗り越えられたことが奇跡で、だからこそもうこの先を生きる能力(ちから)がない。

 

 輝かしい奇跡の世界は、その奇跡ゆえに終わりを避けられない。

 

「俺はどうでもいい。でも、マシュや皆、他の人達には生きてほしくて……」

 

「君自身は、生きたくないのかい?」

 

「生きられるんなら生きたい。

 でも、そんな理由じゃ頑張れなかったんだ。

 一人じゃ頑張れなかった。

 皆のためだから頑張れた。

 それが全てだった。

 自分のためなんて軽い理由じゃ戦えなかったから……」

 

「……だろう、ね」

 

「一回でも他人を犠牲にできてたら。

 他人を容赦なく踏み越えてたら。

 俺は多分、皆と一緒に人類史を救う旅を、最後まで走り抜けられなかった」

 

「だから僕らは滅びの宣告を受けたのかもしれない」

 

 世界と世界、個人と個人、生存競争には多々あるが、最も必要なものは分かりきっている。

 

 『自分は生きたい』という、生存本能の究極の一(アルテミット・ワン)だ。

 

 これがあればこそ生命は生存競争を勝ち抜き、生き残ることができるのだから。

 

「君は結局、最後の最後まで、自分が生きるために戦うことはなかった」

 

「っ」

 

「でも、それなら、君の友達のマシュはどうなるのかな」

 

「―――」

 

「君と共に戦ったカルデアの仲間達はどうなるのかな」

 

「それ、は」

 

 マーリンの言葉に、少年は言い淀む。

 何も言えない。

 何も決められない。

 決断と殺意が同義であるがゆえに、少年は止まる。

 決められるはずがない。自分の意志で虐殺をする決断、だなんて。

 

 世界を救う旅は終わった。

 世界を殺す戦いが始まる。

 森晶刕惢は、偽物のカルデアの代表として、この世界全ての命を背負い、本物のカルデアと戦って、もう一つの世界の人間を殺し尽くさなければならない。

 

 他人のためにしか頑張ってこなかった少年に突きつけられた難題は、他人のために他人を殺しその罪を自分で背負うという地獄解のみが在る。

 

 『誰もが笑顔で幸せな世界なんて存在してはいけない』と、宇宙は常に囁いている。

 

 『地獄を継げ』と、虚無の底から声が響く。

 

「君の自由にするといい。

 君は奇跡中の奇跡で、()()()()()()()()()()()()()()()人類史を救った。

 それは人理焼却にも並ぶ大偉業だろう。

 だからこそ、ここで君に迫られる選択肢は一つだ。

 君は汎人類史と呼ばれる編纂事象と、僕らの世界の剪定事象、どちらを取るか」

 

「……」

 

「一応言っておくけど、この世界を捨ててもいいんだよ?」

 

「え?」

 

「なに、少なくとも僕は文句言ったりしないさ。

 君が殺したくないならそれでいい。

 そんな君だけが救えたのがこの世界だ。

 殺したくない、大いに結構。

 僕が嫌いな悲しい別れを、君は一度も見せなかった。

 あまりにも優しくて暖かな物語を貫いて、世界と一緒に滅ぶのも悪くないと思うんだよね」

 

「だけど……だけど! 皆、生きていたいはずだ! なら、なら……!」

 

 少年の叫びは、魂から絞り出したような声だった。

 声は震えている。

 込められた感情は悲惨だ。

 声帯だけではなく、声の通り道の肉が振動するような音の響き。

 肉を、魂を、心を削っているような声色。

 ここが夢の世界でなかったら、彼はとっくに嘔吐していたかもしれない。

 

「世界を救った人間には、世界を滅ぼす権利があってもいいと僕は思う。

 国を救い守り続けてきた孤独な王様には、その国を滅ぼす権利もあっていいと思うんだ」

 

「……俺は、無いと思う」

 

「そう。でも、じゃなきゃ世界を救うなんて偉業の対価に釣り合わないと思うよ」

 

「それでも、俺は人をたくさん殺す権利なんてないって……信じていたい」

 

 少年は世界を救ったかもしれないが、世界は少年を救わない。

 

 少女が国を救っても、国は少女を救わないのと同じように。

 

「他の道は、無いんですか」

 

「さあ、どうだろうね。

 あるかもしれないしないかもしれない。

 僕は無いと思ってるよ。

 これはたった一つの椅子を取り合う生存競争だからね」

 

「……」

 

「汎人類史のカルデアが、『本物』が来る。

 僕らの世界と物語を、偽物にするために。

 僕らも本物なんだけどね。

 でも汎人類史以外は偽物であり、滅ぶもの……この宇宙はそういうものなのさ」

 

 勝った世界が残り、負けた世界が全て滅ぶなら、これもまた当たり前の定義があてはまる。

 

 勝った世界だけが本物で、負けた世界は全て偽物だ。

 

 積み重ねた、愛も、信頼も、友情も、物語も、旅路も、全て(ゴミ)と成り果てる。

 

「ここは星の内海、物見の(うてな)

 君から何よりも離れた理想郷、孤独の楽園だ。

 僕は冠位(グランド)と成り果てたがために異聞を知った。

 冠位(グランド)であるがゆえにまだ君を救いには行けない。

 ここで冠位(グランド)として成すべきことを成そう。

 罪無き者よ。

 誰も踏み躙ることなく走り抜けた奇跡のマスターよ。

 君には理想郷への扉を通る資格があった。君の物語は祝福に満ちている」

 

「そうやって祝福してくれた人のこと、一秒だって忘れたことはないよ、マーリン」

 

「そうかい、そうかい。花の魔術師冥利に尽きるというものだね?」

 

 気取った喋りをしたと思ったら、すぐに気の抜ける軽い語りに移って戻る。

 この問題児ながらも楽しい男が、刕惢は好きだった。

 

 彼はマーリン。

 魔術師マーリン。

 偉大なる魔術師にして、アーサー王を導いた花の男。

 永遠の理想郷、楽園の庭(ガーデン・オブ・アヴァロン)に住まうもの。

 

 ふと、何かに思い至ったように、刕惢はマーリンの方を向く。

 その体は揺らいでいて、夢から目覚める朝が近いことが見て取れた。

 

「マーリンさん、もしかしてもう会えなかったりする?」

 

「ん? ああ、そういうこともあるかもしれないかな。

 楔は君達の理想の世界(テクスチャ)を縫い止め、地上に在る。

 僕はここから、星の内側からそれを引っ張る。

 楔は強く固定され、この世界はしばらくは固定されたまま消えなくなるって寸法さ」

 

「それじゃ……」

 

「しばらく忙しいからね。

 すぐ会うのはまず無理だ。

 しばらく後でも……ううん、どうかな。分からないや。

 僕に頼みたいことがあるなら今の内に言っておいた方が良いかもね」

 

「頼みたいことはない……けど。伝えておくべきことはある」

 

 夢から覚める直前の、おぼろげに揺れる体を抑え、頭を下げて少年は言う。

 

「ありがとうございました、マーリンさん。

 あなたに限りない感謝を。

 俺にとって、あなたは偉大な戦友で、大事な友達だった。今度一緒にサイゼリヤに―――」

 

 そうして、少年は消えた。目覚めと共に、夢は消える。

 

 予想外にお礼を言われたマーリンは、少し驚いて呆気に取られた。

 少年の言葉がどこかで聞いた覚えのあるような台詞だった気がして、気のせいだったということにして、微笑む。

 もうこの世界に先はない。

 未来を勝ち取れても罪が食い込む。

 汎人類史の資格を得ても、この宇宙がいつまでそれを許すかは分からない。

 汎人類史を滅ぼした後、かの少年が笑えているかも分からない。

 何も分からない。

 確かなことなど何もない。

 殺す方法は知っていても、救われる方法は何一つ確かなものがない。

 けれど。

 それでも。

 剣よりも宝石よりも花を愛する心を持つマスターを、救ってやりたいとマーリンは思う。

 それは花の魔術師として、そして一人の人間としての矜持だった。

 

「僕は僕らしくもなく祈ろう。……願わくば、君が君の理想郷を守れますように」

 

 マーリンは杖を額にコツンと当てて、彼の道先の幸いを願った。

 

 かくして、次なる生存競争は開始される。

 

 滅ぶ世界は一つ。残る世界はただ一つ。幕が上がるは、屍山血河の聖杯戦争。

 

 おためごかしはあろうとも、ハッピーエンドはありえない。

 

 これより奪い合うは地獄の称号。地獄の頂点に立つがゆえの汎人類史。

 

 理想を捨てることなど敵わず、ゆえに理想郷は消え失せた。

 

 ―――これは、とても、とても、しあわせなおとぎばなし。

 

 

 

 


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