Lostbelt No.■ 無価値幸福論 ブロークンファンタズム 特異点Δi   作:ルシエド

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第三幕:愛された娘

 世界と世界の大戦争が始まった。

 双方のサーヴァントの合計数が50を超えるという、聖杯大戦の四倍の規模の大戦争だった。

 これで打ち止めではなく、サーヴァントはまだ増えていくと予想される。

 何の手加減もバランス調整もない、世界の総力をぶつけ合う英雄の大戦争は、人間を巻き込まないというルールに全員が同意していなければ、全てを焦土に変えていただろう。

 

 汎人類史の勝利条件は四つの聖杯を組み込んだ空想樹の切除。

 そして異聞帯の王の打倒。

 これによって、汎人類史を脅かす異聞帯からの上書きは阻止される。

 

 異聞帯の勝利条件はこの世界の汎人類史化までの時間稼ぎ。

 二週間も無い、とされるが、いまいちハッキリしない勝利までの期日を走り切れば勝ち。

 さしあたってはカルデアの戦力を殲滅し、攻略不可能な状況を作ってしまうことが早い、と暫定リーダーのモードレッドは考えている。

 

 汎人類史は侵攻しつつ一定の領域を占拠、四つの空想樹を探したい。

 特異点Δiは敵に土地を押さえられないようにしつつ、カルデアのサーヴァントを撃破し、この世界の剪定を邪魔したい。

 汎人類史が攻めなければ異聞帯は何もしないでも時間が味方してくれる。

 そのため事態の始動は攻める汎人類史側の動きが決定し、戦場の動きはここがホームの異聞帯側が主導権を握るという、やや異聞帯側が有利な流れが出来ていた。

 しかしながら、サーヴァントの総数は汎人類史側が上。

 

 最初の樹が切られるまでの戦場の流れ次第で、今後の戦いの流れが決まるだろう。

 

 一本切るまでに絶望的に汎人類史側の攻め手が尽きるか。

 あるいはあっさり樹が切られて汎人類史側が勢いずくか。

 汎人類史側が連戦連勝なのに樹を見つけられず手詰まりになるか。

 はてさてどうなるか、誰にも分からない。

 

 が。

 それはそれとして、さておき。

 シャーロック・ホームズは、立香とマシュを引き連れ、戦場の中心から遠く離れた夜道を悠々自適に歩いていた。

 

「さて、上手い具合に囮になってくれたようだね」

 

「ホームズ……? え、これ、なに?」

 

「なに、初歩的なことさ。

 こうなることは読めていた。

 推理した通りにアーサー王殿は動いてくれた。

 我々はその隙にこそこそと動いてしまおう、というだけのことだよ」

 

「ええ……」

「ええ……」

 

 夜闇にかつてないほど大量かつ多様な魔力が吹き荒ぶ。

 ホームズは気にしない。

 どこもかしこも魔力が吹き出し、一般人の誰もが気付かない結界だらけの夜の世界に、戦場の空気が舞い降りる。

 ホームズは気にしない。

 宝具の魔力爆発が感じられ、一騎か二騎のサーヴァントが消え去るのが感じられた。

 ホームズは気にしない。

 

 あまりにも他人事な態度で悠々と歩いていくので、立香は呆気に取られてしまった。

 

「あ、そっか。空想樹探し! 流石ホームズ!

 あれを見つけないと、何するにしてもどうにもならないもんね」

 

「あれも探すがあれはどうでもいい。他の誰かが見つけるだろう」

 

「どうでもよくはないよ!?」

 

 なんてこと言い出すんだこいつ、と立香は思った。

 だがホームズはふざけているわけでも、伊達や酔狂で言っているわけでもない。

 世界一の名探偵。

 人類史最高の知名度を持つ解明者。

 真実を告げる者。

 彼はこの人類史で唯一つの視点を持ち、誰よりも高いところから世界を見通し、ゆえに宿敵以外の誰にも真の意味では理解されない。

 

「いいや、どうでもいい。

 重要ではあるが、相対的にはどうでもいい。

 私は探偵だ。

 私は最も重要な、絶対に明かさなければならない真実を見つけ出すのが仕事だよ」

 

「最も重要なもの? それは何?」

 

「それがさっぱりわからない」

 

「わからないの!? わからないのに探してるの!?」

 

「先輩! 名探偵に必要なのは真実を察する嗅覚と周りを納得させる論理なんです!」

 

「それはわかるけどマシュ!」

 

 ホームズに連れられているというのに、立香もマシュも彼の意図をまるで理解できなかった。

 ただ、ホームズの推理は信用できる。

 結論は無情なこともあるが、真実を突き止める能力は間違いなく人類史最高だ。

 そして真実を見つけることは、選択を間違えないことに直結するのである。

 

「私は考えれば考えるほど違和感を覚えている。

 私は何かに気付いていない。

 気付いていないことにしか気付いていないのだ。

 たとえるなら、一ページ目に真犯人が書いてある推理小説。

 なのに、巧みにそれが隠されていて気付かない。

 ……そういった、最初の答えを見逃している感覚だ。

 こういう感覚は、ジェームズ・モリアーティの企みに似たものがあるが……」

 

 立香はホームズがこういう言い回しを選ぶのが耳慣れなくて、少し驚く。

 ホームズがこういう表現をする時点で、普通の謎、尋常な隠し事ではないのだろう。

 何か、それを知ったことで何もかもひっくり返るような何かがあるのかもしれない。

 しかしホームズですらすぐに答えの見当もつかないなら、それは相当な解明難易度を持つ秘密であるはずだ。

 

 そして、同時にこうも思う。

 "そんな隠し事があるのなら、この異聞帯にとって最も危険な男は彼なのでは?"と。

 

「マスター。

 私は今回、君に極力思考を開示する。

 混乱させるようなことは控えるが、道標はできる限り言っておく。

 以前にも似たようなことを言った覚えがあるが、今回は特にそれを徹底しよう」

 

「え、いいの? 凄く助かるだろうけど……どういう風の吹き回し?」

 

「私が途中で脱落する可能性がある。

 流石にここまでの大戦争となれば事故は普通にありえるだろう。

 そうなれば最悪の場合、真実が闇の中に消え去ってしまう可能性がある」

 

 ホームズは数々の事件に立ち会ってきた名探偵だ。

 嘘、欺瞞、虚飾、捏造……数々の真実を覆い隠す謎と向き合ってきた。

 そして今も、とても大きな謎の存在を感じている。

 謎によって何かがこの世界に隠されていて、それはおそらく、最初からずっと目の前に提示され続けているのだ。

 ホームズはそれを、謎から己への挑戦と受け取った。

 

「真実を何かが隠している。

 鋼の鍵、鋼の謎、鋼の扉だ。

 それら全てが誰かの鋼の意志で出来ている。

 いつだって真実を覆い隠すのは強い意志と、思考力が生む偽装だ。

 この意志は間違いなく……()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……え?」

 

「私が退場しても、君が真実を見つけ出すんだ。藤丸立香」

 

「……よくわかってないけど、もしそうなったら、頑張ってみる」

 

「よろしい。では、現時点での私の推論を話そうか」

 

 マシュが召喚サークルを設置した霊脈上の公園を横切って、ホームズがまだ語らない目的に向けて、遠回りをしながら三人は歩いていく。

 

「君達はいい情報を持ち帰ってくれた。

 ムーンセル。

 本人の霊基に変化はもたらさないが拡大をもたらす世界の何か。

 風魔の彼が調査したデータと突き合わせた結果、私は一つの推論に至っている」

 

「どういうの?」

 

「この世界はムーンセルの模倣を行っている、ということだ」

 

 ホームズは立香に飛びつきそうになっていた虫を、つまんで捨てる。

 

「ムーンセル……この世界とは別の世界の、メルト達の世界の聖杯だっけ」

 

「その認識で大まかには間違いはない。

 平行世界に存在する太陽系最古の遺物。

 全長3000kmに及ぶフォトニック結晶体。

 月そのものと言えるスーパーコンピュータ。

 誰が作ったのかも分からない、星のサイズの聖杯だ」

 

 赤信号の前で三人は止まり、青になったら横断歩道を渡っていく。

 

「私達にも無関係のものではないがね。

 君達二人だけなら絶対に無事だとトリスメギストスが予想していただろう?

 あれのオリジナルがアトラス院の演算装置トライヘルメス。

 つまりはフォトニック結晶……『賢者の石』で出来た、演算装置なのさ」

 

「あー、あー、前にも聞いた気がする」

 

「ムーンセルは無限に近い演算能力を持つ。

 そしてシミュレートした未来へと世界を誘導することもできる。

 どんな世界も、可能性の上では存在するだろう?

 ならば、月のムーンセルはどんな世界でも作れるということなんだ」

 

「ひゃー、凄い」

 

 横断歩道の白いところだけを歩く立香、それを真似するマシュに、ホームズは微笑む。

 

「どんな幻想、絵空事も実現できる。

 なにせムーンセルは全ての可能性を見ているからね。

 その中の一つ、理想世界を選び取れば、その世界は幸福に満ちたものになるだろう」

 

「え、じゃあ、この世界は」

 

「その理屈で幸福な世界を維持していると、私は推理した。

 ……なるほどこれがあったか、という気分だ。これなら世界平和だって叶うだろう」

 

 たとえば、そこに石ころがあるとするだろう。

 そのままだと不幸になる人がいる。

 石ころを前後左右に動かしてもそれは同じだ。

 

 だが、ごくたまに、石をどこかに転がすと不幸が幸福になる人がいる。

 ならば地球上にある何もかもを計測し、全ての可能性を計算したら?

 それら全てのもしもを選び取れる機能があったら?

 これが月のムーンセル・オートマトンが、願望器『聖杯』の名を冠した所以である。

 あまりの機能に、人類の思考形態ではこれを理解することができないという。

 

 ……神ならば、理解できるかもしれないが。

 

「聖杯は魔力で願いを叶える、でいいんだっけ。

 じゃあこの世界は、可能性で存在した幸福な世界を作ったってことでいいのかな?」

 

「ああ、それで合っている。汎人類史のBBの解説を信じるなら、だがね」

 

「BBさんはそこで嘘を付くタイプの人ではないと思います。

 でも確かに、これなら歪みの類は発生しないでしょう。

 魔力で何かを捻じ曲げているわけではありません。

 何かを力で矯正したわけでもないです。

 自然に世界が進む道先の中から、最も幸福が溢れるものを選び取っただけなんですよね?」

 

「剪定されるわけだ。皆の幸福が失われる可能性がなさすぎる。推理するまでもない」

 

 ホームズのはきはきとした声の推論を、屋外の虫の鳴き声が彩っていく。

 

「ムーンセル同様、光そのものをフォトニック結晶で演算装置としているのだろう。

 こんなものを扱えるのは、伝説の賢者パラケルススくらいのものだ。

 "賢者の石"という名でも呼ばれる、現在の地球上では生成できない秘宝だからね」

 

「ええと、つまり?」

 

「この世界にはムーンセルの類がある。

 あるいは無くて、それの権能と言うべき力を模倣している。

 どちらにせよ、していることは同じだ。

 ムーンセルの知識を得たのはBBか、メルトリリスか、それ以外か。

 フォトニック結晶という土台を得たのはパラケルススか。

 それを扱える異聞帯の王……『容疑者』は絞れてきたが、真実は未だ遠い」

 

「はー。ホームズ凄いね。

 刕惢も一言失言で漏らしただけなのにここまでバレて大変だ……」

 

「なに、今回は助手が皆優秀でいい情報をくれるからね。

 ……それを言うならば、敵の側の人材も随分と優秀であるのだが」

 

「あの、ホームズさん。実はちょっと気になることが……」

 

 マシュがおずおずと、口を出す。

 

「ほう? 何かね、ミス・キリエライト。言ってみたまえ」

 

「気のせいかもしれないんですけど……モードレッドさんを、中庭で見ていたんですが」

 

「ほほう。ミス藤丸とミスター刕惢が話し合っていた時のことか」

 

「モードレッドさんに、あんなに空を見上げる癖があっただろうか……と思ったんです」

 

「……ふむ」

 

「中庭は建物の一部ですが、空が見える場所です。

 何か根拠があるというわけではないんですが……何か、気になって」

 

 ホームズは堂々と夜を歩く。

 見えないものを見えるようにする。

 不明なるものを解き明かす。

 謎の闇を照らし出し、何もかもを見えるようにする光たるホームズに、世界を包む闇そのものが怯えて逃げ出しているようにすら見えた。

 

「空、星、月。加え、まるで(そら)が不在であるかのような信仰の虚無」

 

 ホームズは立香にもマシュにも分からない言葉を呟き、考える。

 

「……この天蓋(そら)の謎を解くには、あまりにも何もかもが足りなすぎる」

 

 しかしその明晰な頭脳をもってしても、まだ答えは遠く高い。

 

 届かない答えに手を伸ばすのをやめ、ホームズは"絶対に殺されないことが保証されている探偵"の立ち位置に入った立香に、できる限りの推論を残す作業を続けた。

 

「話を続けよう。そしておそらくこの機能は、我々の影響で機能不全を起こしている」

 

「機能不全……?」

 

「この世界は、世界の骨子が汎人類史と反発する力があまりに強い。

 地獄による発展を否定し、幸せな楽園を求めた果てだ。

 言うなれば、地獄の可能性を捨て、その分の多様性を失い、進化を鈍化させている」

 

「……」

 

「しかし、『皆』の幸せを願ったというのがミソだ。

 マスターへの世界の後押しも見て確信した。

 この世界の基本構造は、汎人類史の我々の幸福も願ってしまっている。

 『皆の幸福』の定義が揺らがせられないのだろう。

 だから我々にも干渉しようとして不具合を起こし、幸福の理論を果たせなくなっている」

 

「!」

 

「そうでなければ、幸福が保証されたこの世界では誰にも勝てなかっただろう。

 幸福が保証されたこの世界の住人は、この世界では必ず勝つだろうからね。

 エミヤ・オルタもゆえに……いや、これは今度でいいだろう。

 我々は汎人類史の理に生まれた。

 その理に今も生きている。

 それがこの世界に満ちる『幸福論』を、強制的に無価値化させているんだ」

 

「幸福論を……無価値に?」

 

「この世界はムーンセルを模倣した機能を持つが、本物には遠く及ばないのだろうね」

 

 幸福論。立香はそれを聞いたことはあったが、詳しく知っているほど聞き慣れてはいなかった。

 

「私達の近くでは、彼らは幸福を保証されないのだろう」

 

「汎人類史の理が、幸せを打ち消すってこと? ホームズ、それは、なんていうか」

 

「先輩……」

 

「いいや、違う。

 マスター、その理解は正しくない。

 邪魔されるのは森晶刕惢の心から生まれるシステムだけだ。

 幸福を打ち消してしまう力など汎人類史の法則性には無い。

 幸福は否定されない。世界に満ちる幸福論を、汎人類史の理が否定しているのだろう」

 

 "お前のその考えを否定する"。

 

 汎人類史で生まれた全ての生命は、この世界の幸福を否定する理を存在に持っている。

 

 竜の概念を埋め込まれて生まれてきたアルトリアに、一種近いところがあるだろう。

 

「幸福論……って、なんだっけ。マシュ知ってる?」

 

「はい、先輩。

 幸福論とは幸福と人生について考えるものの総称です。

 幸福とは何か?

 どうすれば幸福になれるのか?

 万民の幸福とは何か?

 誰にとっても幸福なこととは何か?

 何が幸福の邪魔をするのか?

 なぜ万民が幸福になれないのか?

 それについて考えた学問・哲学・研究の総称で、三つ代表的なものがあると言います」

 

「幸福についての考えそのもの……」

 

「2000年以上ずっと、人類は幸福論について論じてきたそうですよ」

 

「に、2000年以上……!?」

 

「理論があって法則ができる。

 法則を世界に敷いて初めて世界が変わる。

 この世界に敷かれた法則には、一人の人間が抱いた幸福論がある」

 

「……」

 

「これも推測になるがね。

 おそらく森晶刕惢は、『皆のための幸福論』を考えることにおいて、天才だったんだろう」

 

 ホームズのその言葉の意味するところを、理解できない二人ではない。

 

「クリプターには大なり小なり才能があった。

 カルデアで成績最優秀チームに選ばれる能力があった。

 それぞれに『他の誰にもない何か』があった。

 この世界の森晶刕惢にも、それがあったのだろう。

 彼にはどんな人間よりも『他人の幸福を考える才能』があったというわけだ」

 

 立香の中で、刕惢への好感と、それが引きずり出す苦痛が、両方同時に大きくなった。

 運が悪かったら、優しいだけの人間として死んでいただろう。でも、そうはならなかった。

 他人の幸せを願うことだけは得意な少年を、周囲は普通の子と扱い、けれど大切にした。

 

 会話中、周りの人が言ってほしいことを言ってくれる少年。

 してほしいことを言わなくてもしてくれる少年。

 辛い時に欲しい言葉を最適にくれる少年。

 幸福になるために邪魔になる己の中の苦悩を、時間をかけてでも取り除いてくれる少年。

 他人の幸福のことばかり考えている少年。

 子供をちゃんと大切にする少年。

 

 『こうしたらその人は幸せになれる』を考える能力が誰よりも高いだけの人間が、それ以外に何も無かった人間が、走り抜いた先がこの世界。

 

「この幸福論を無価値にできることが、我々の現在最大のアドバンテージと言える」

 

 世に満ちる幸福論ゆえに、誰もが本来は宇宙の神が相手ですら無敵の世界。

 

 その幸福論が存在しない汎人類史は、その無敵を貫通できる。

 

 "世界はそんなに優しくないんだよ、夢を見るな"というルールを強要できるのだ。

 

「現状、推測に推測を重ねた話しかできない、が。

 この世界には手がかりが残っているはずだ。

 Mr.小太郎が集めた情報の断片からもそれは明らかだ。

 おそらく、バビロニアで完成を見た……

 でなければMr.小太郎が見たサーヴァントに説明がつかない……だとすれば……」

 

「バビロニアで刕惢が何かしたってこと?」

 

「いや、そうではない。そこはまだ語るべきではない」

 

「ええー、またそれ?」

 

「肝心なパーツが足りていないのだよ。最大の謎があまりにも大きすぎる」

 

「最大の謎?」

 

「ああ。それもまだ語るべきではない」

 

「マシュ……いつものホームズが帰ってきたよ!」

「はい! 有能感を出しつつ小説の最後まで真実を引っ張るホームズさんです!」

 

「君達ね」

 

 無理をして普段のような会話をしているような、どこかぎこちない空気があった。

 

 すいすいと真実を突き止めていくホームズは、未知という敗北要素を殺し尽くす。

 『知らなかったがゆえの敗北』は、この男の前では死ぬしかない。

 情報が勝敗を左右しやすい近代以降の闘争において、虚飾を砕き真実を暴くこの男は、味方に置くにはあまりにも強すぎる。

 突き止められた真実は、次なる一手を致命傷へと押し上げる。そういうものだ。

 

「この異聞帯においては、先入観を捨て何らかの例外存在の存在を想定した方がいいだろう」

 

「聖杯戦争でよく見るやつだね、ホームズ」

 

「ふ。手慣れた様子で実に頼もしいな、マスター。大いに結構」

 

 彼らは海辺の防風林、さざなみ寄せる海、その狭間の堤防に沿う道路を歩いていく。

 森が月明かりで長く長く影を伸ばしていて、海風がささやかに森を揺らしている。

 空の月と星、海の満ち引き、それらを何気なく観察しささやかな違和感を得るのは、名探偵だけに許された能力であった。

 

「私は仮説をいくつか立てているが、最後のピースが足りていない。

 風魔の彼はとてもいい仕事をしてくれた。

 この推理を一区切りさせるために、この世界の強力なサーヴァントを観察したい」

 

「強力なサーヴァント……」

 

「我々の知る異聞帯には通常ありえない存在が多く存在した。

 キリシュタリアに至っては三騎の神霊サーヴァントを契約で従えていた。

 『その異聞帯にのみ存在するサーヴァントの類』……

 これまでの異聞帯を見てきた限り、これこそが世界の特異性と直結している」

 

「! 霊基は同じだけど、何かが違う刑部姫……」

 

「それとそれを止めたモードレッドだ。さて、戦場を俯瞰して見つけたいところだが」

 

 これまで彼らは、多くの特異なサーヴァントと戦ってきた。

 普通の歴史とは違う歴史を生きたサーヴァント。

 何らかの改造を受けたサーヴァント。

 クリプターのサーヴァントに、異聞帯の王。

 それらは後から振り返ってみると、「ああ……なるほど」と納得することが多い『特異個体』であるが、全てが分かるまでは謎が多いことも多々だ。

 

 ホームズはそこをとっかかりにしようとしているのである。

 

「気になることはまだあるが後でいいだろう。今は二者の戦いが見た―――」

 

 やがて、T字の道路が見えた頃、そこで。

 

 

 

「行って、ジャバウォック。わたしたちはナーサリーのお友達」

 

 

 

 二つの影が、ホームズとマシュに突っ込んだ。

 

「!?」

 

 一つの大きな影が、ホームズを掴んだまま海の方に転がっていく。

 砂が爆裂するように飛び散り、海が爆弾を投げ込んだように弾けた。

 海の水が、高く高く舞い上がる。

 

 小さな影が、マシュを斬りつける。

 マシュがその一撃を防いだことに、小さな影は驚いた様子だった。

 後ろに必死に跳躍して距離を取ろうとしたマシュだが、そこに追撃の飛び蹴りが当たり、浮いた体を森の中に放り込まれてしまう。

 

 かくして、あっという間に二人のサーヴァントは立香から引き剥がされてしまった。

 

 ホームズは海の中で立ち、むせこみながら構えを取る。

 相対するは、筆舌に尽くし難い形状の、されど絵本から飛び出してきたような大きな怪物。

 マシュは顔にくっついた落ち葉を投げ捨て、盾を構える。

 相対するは、夜に女性を殺す戦いであれば屈指のサーヴァント……ジャック・ザ・リッパー。

 

 不思議そうに、可愛らしく、ジャックは小首を傾げる。

 

「……なんで防げたの? わたしたちのこれ、防げないのに」

 

「あなたは私達のカルデアでも戦ってくださってくれたサーヴァントです。

 問答無用の先制攻撃、対処を許さない暗殺。

 複数のスキルが複合し、即時暗殺を完了させるあなたはあまりに恐ろしい。

 私の装備は今回の聖杯戦争にあたり、各アサシンへの対策を実装されています」

 

「そう。偽マシュは色んな改造がされてるんだね」

 

 ジャック・ザ・リッパーは、夜には無条件で先制攻撃が成功する。

 ジャック・ザ・リッパーは気配を消せば、攻撃するまで発見できない。

 ジャック・ザ・リッパーは、女性を問答無用で殺してきた伝説を再現できる。

 夜のこの時間、マシュ・キリエライトに、ジャック・ザ・リッパーに一対一で勝つ道筋はほとんどないと言っていい。

 

 かつて敵として戦い、やがて召喚に成功し味方になったジャック・ザ・リッパーの強さと能力を知るがゆえに、マシュの服の下にじんわりと嫌な汗が流れた。

 

「ま、待ってください! 私は人間です。そしてジャックさんを害する意志は……」

 

「? 人間じゃないでしょ、偽マシュは」

 

「―――え」

 

 けれど、その汗も引っ込んだ。

 

「私は人間です。何を言っているんですか?」

 

「わたしたちのマシュは人間。

 別の世界のマシュは違う。

 わたしたちのお友達のマシュはサーヴァントを抜いたら人間だった。

 普通の女の子に戻って普通に暮らすようになった。

 でも偽物のマシュは違う。

 もう何も自分の中に入ってなくてもサーヴァント。普通の人間じゃない」

 

「私は……人間です! そうで、あるはずです……」

 

「違う。

 何も中に入ってないのに、サーヴァントと同じ。

 それはもう人間じゃないよ。

 わたしたちのマシュは人間。

 わたしたちが大好きなマシュは人間に戻ったの。

 でも偽物は違う。偽マシュは、人間が絶対に死ぬ攻撃でも死なないもの」

 

「私はっ……!」

 

 人間を殺してはいけない、というルールがあり、それに対する同意があった。

 

 刕惢は見誤っていた。

 彼は立香とマシュの殺害を望まず、また他世界のマシュにも慈しみを持っていたから。

 立香も見誤っていた。

 彼女はマシュという一人の人間を、ずっと普通の女の子としても大切にしてきたから。

 マシュ自身ですら見誤っていたと言える。

 三者三様に、マシュが人間だという考えに疑いも持っていなかった。

 

 この世界で、ごく普通の女の子に戻っていくまでのマシュを見てきた幼い子供なら、サーヴァントが体から抜けてもなおサーヴァントと戦えるマシュを、人間扱いしなくてもおかしくない。

 欺瞞のつもりはない。

 悪意的なルールの穴を突いた行動でもない。

 ジャック・ザ・リッパーはただ、マシュが人間に見えていないだけなのだ。

 だから『人間を殺したらいけない』という刕惢からの言いつけを、破っているつもりもない。

 

「マシュは普通の女の子。

 おかあさん(マスター)もそう言ってた。

 わたしたちだってそう思う。

 マシュはサーヴァントと一つになっただけの、頑張ってただけの女の子。

 あなたみたいな、サーヴァントと離れてもサーヴァントと戦えちゃうばけものさんじゃない」

 

「―――」

 

「わたしたちのマシュの盾には、そんな武器は入ってなかった。

 あなた本当にマシュ?

 違う。マシュはそうじゃない。

 そんなに機械でごてごてにしてマシュを無理に戦わせて……そっちの世界、酷いんだね」

 

「違います! 私達の世界は、私に戦う力をくれた人達は―――」

 

 マシュは必死に動揺を抑えようとするが、この世界のマシュを知り、この世界の形を知り、世界の切除への迷いがぶり返し、既に数え切れないほどの動揺を抑えてきたマシュには壁が高い。

 この動揺は、揺れが強すぎる。

 ギラリと鈍く輝く盾の杭が、今はとても悪趣味に見えた。

 

 かくして、戦いは始まった。

 

 刕惢からの心遣いに感謝するマシュと、刕惢の幸せのために戦うジャックが、『マシュの苦しみは少なくあってほしい』という、刕惢の願いを踏み躙る形の開幕だった。

 

 

 

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