Lostbelt No.■ 無価値幸福論 ブロークンファンタズム 特異点Δi   作:ルシエド

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 刕惢・立香・マシュの初対面の印象は、三者三様だった。

 

「なんか知らない漢字多いね……」

 

刕惢(れいすい)だ。れいすい、と読む。藤丸さんは……」

 

「あ、名前そのまんま呼んでいいよ。

 昔学校でそうだったとかじゃないけど、なんかカルデアでそうだったから慣れちゃった」

 

「そうか。じゃあ俺もそうしてくれ。立香は比較的覚えやすい漢字多いな」

 

「そうかな? 小学一年生の時には名前全部漢字書けてお母さんに褒められてたんだよね」

 

「いい親子じゃないか。家族仲良好はいいことだ、うんうん」

 

 なめらかな、初対面同士とは思えないような会話が続いていた。

 

「そういえばこの世界のマシュは? ふふっ、別世界のマシュかぁ……どんなだろ」

 

「マシュは普通の女の子になったぞ。今は芝西校に通ってる。

 ここに住んでるから夕方には帰ってくると思う。推理小説部入ったとか聞いたなあ」

 

「お、それ私が行ってた学校の名前と同じだ。へー、そういう風に繋がることもあるんだ……」

 

「学生の質がいいというか不良少ないしいいよな」

 

「え、私制服可愛いのと偏差値近いからってだけで選んでた……」

 

「お前本当に普通の女の子だな……」

 

 立香は刕惢に、確かな共感と大きな親しみを感じていた。

 別に、顔や性格が異性の好みどストライクだったとかそういうことではない。

 同じ旅路を進み、同じサーヴァントを同じように信頼し、同じようにマシュに感謝して、同じようなところで泣いて、同じ世界を救ったという共感があった。

 鏡の向こうの自分……とまではいかなくて、けれど他人とは思えない、初めて会ったその瞬間からもう親しく感じる黒髪の普通の男の子。

 

 マシュは逆に、二人の雰囲気がほとんど同じであることに気付いた後、すぐに二人の似ていない部分を一つ一つ見つけ出していた。

 誰よりも長く、誰よりも近くで立香と過ごし、誰よりも深い信頼で立香と繋がってきたのがマシュである。そこに疑いの余地はない。

 

 マシュは火傷しても、自分の傷なんてどうでもいいように扱う刕惢を見た。

 火傷をした刕惢に触れ、その痛みを自分のことのように感じ、自分だったらこの痛みは嫌だという気持ちから、とても優しい手当をしている立香を見た。

 そうして気付く。

 

 刕惢は、他人の生のために戦ってきたカルデア最後のマスターだ。

 彼は自分の傷に頓着せず、他人の痛みを何より重く扱う。

 立香は、生きるために戦ってきたカルデア最後のマスターだ。

 彼女は生きようとし、ゆえに他人の生きたい気持ちに共感し、自分が傷を負うのが嫌だから、他人が傷付かないように優しく生きることができる。

 

 藤丸立香はどんなに追い込まれようと、最後の最後には「生きていたい」というごく当たり前の気持ちで立ち上がれる。

 そんな尊敬できる先輩である。

 そんな彼女がマシュに教えてくれた『人間としての当たり前』が、マシュ・キリエライトを"人間にしてくれた"のだと、マシュは信じている。

 だから―――『自分の生』が軸にある藤丸立香と、『他人の生』が軸にある森晶刕惢が、マシュには全然違う人間に見えるのだ。

 

 ただ、マシュは一つ疑問を持っていた。

 それは感覚的なものではなく理論的なもの。

 視覚的には分かりにくい刕惢の警戒心の薄さだ。

 マシュの視点から見ると、無防備な事が多い藤丸立香と比べてもなお目につくこの警戒心の薄さは、どうにも不可思議に見える。

 マスターは弱者だ。

 例外を除き、ほとんどのマスターは下位のサーヴァントにも勝てない。

 

 よってほとんどのマスターは経験を積めば積むほど、立ち回りに警戒心が備わっていく。そういう傾向があるのである。

 マシュは現在、サーヴァントの力を持った人間、立香の近衛だ。

 だがその前はカルデアでもトップクラスに優秀なマスターであった。

 マシュはマスターとサーヴァント両方の蓄積があるという非常に稀有な存在であり、だからこそ他の誰もが気付かない微細な違和感にも気付けたのである。

 森晶刕惢は、戦士と言うにはあまりにも柔らかな佇みをしている少年だった。

 

 が、現段階でいくら考えても答えは出ない。

 マシュは発言を抑え、刕惢と立香の会話に耳を傾けることに注力し始めた。

 

「俺も君と同じ旅路を進んだんだ。

 その最後に、お前の世界は剪定事象になったと言われただけで」

 

「刕惢も、私も、ゲーティアに立ち向かい、七つの異聞帯を越えた」

 

 マシュと立香の視点の置き所は違う。

 かつて日本の平和な学校で過ごしていた時の懐かしさを感じさせる少年は、立香の心を癒やし、また同時に、かつて本当にごく普通の女の子だった頃の彼女の気持ちを、思い出させていた。

 

「ああ。走って、走って、走って。

 ああ、終わった。日常に帰れる。そう思ってた。

 でもそんなことはなかった。本当に全部終わっちまったんだ。

 剪定事象。汎人類史。異聞帯。……知りたくなかったなぁ、こんなの」

 

「……あの、ごめ」

 

「辛かったろ、立香」

 

「……え?」

 

 立香は何を言われているのか分からなくて、呆気に取られて思考が止まる。

 罵られると思っていた。

 怒られると思っていた。

 責められると思っていた。

 何を言っても否定されると思っていた。

 どんな悪口を言われてもおかしくないと思っていた。

 

「ごめんな。

 さっさとこの世界を消す道でも選べてたら。

 俺が、諦められてたら。

 いっそ割り切って悪役でも演じられたら。

 ……皆を好きにならなかったら。

 ……皆に幸せになってほしいって願ってなかったら。

 立香の苦しみを、一つ減らせたかもしれないのに。

 でも、俺は。

 まだ誰も傷付けたくないけど、俺の世界の人達を死なせたくもないんだ……」

 

「え……え」

 

「ごめんな。

 苦しませてしまって。

 ……君が苦しんでるのは、俺が皆の幸せを願ったからだ。

 それがこの世界を剪定事象にしてしまった。本当に、ごめん」

 

 立香は何を言われているのか分からなくて、視線も定まらない不安定な様子で、とにかく口を開いて言葉を返す。

 "皆の幸せを願ってしまってごめん"と謝る彼を見て、マシュの広げた手が拳になり、痛々しいほどに強く握られていた。

 

「私を責めないの?

 責めていいんだよ?

 いや、というか、なんで謝るの?

 わかんない……何言ってるのか、全然わかんない」

 

「他人の気がしないんだな、立香についてのあれこれ。だから責めたくないんだよ」

 

「―――」

 

「逆の立場なら立香は俺を責めない気がする。

 ってか、俺に謝ってきてる気がする。

 いや全然話してないしなんとなくの直感でしかないんだけども。

 それならさ、俺も立香を責める言葉は絶対に言っちゃいけないだろうな、って思ってる」

 

 立香とマシュは違う。心は一つにできるが、考え方は違う。

 

 立香は耳を疑った。

 そして返答に迷う。

 『世界を滅ぼさせてごめん』と、面と向かって言ってくれる敵など、これまでいなかった。

 異聞帯との戦いが始まってから、『君の苦しみを減らしたい』と言ってくれる人など、一人もいなかった。

 立香を支えてくれる人は何人か居たけれど、どの誰の心とも彼の心は違って、違うと同時に、立香と同じものを抱えた心でもあった。

 

 マシュは彼を憐れんだ。

 立香の運命を蝕む世界の残酷さを呪った時と同じように、彼を包む残酷を呪った。

 他人の幸せを願ったことを後悔する彼を見て、憤りを覚えた。

 皆の幸せを願った自分を否定するしかなくなった彼を見て、悲しみを感じた。

 マシュは人を守る時こそ強い少女である。

 始まりに盾ありき。その盾をもって、マシュは人と人理を守り続けた。

 けれど心は守れない。守れなかった心を見る度に、心優しきマシュは悔いる。

 きっと、今も。

 

 刕惢は謝って、自分が謝ったことで何か空気が悪くなったのを感じ取ったのか、目に優しい柔らかな微笑みで二人に笑いかける。

 彼は笑える。

 笑えるのだ。

 きっと、最後の最後まで。

 おそらく、この世界が終わるその時であっても。

 何度泣いた後になるかはわからないが、それでも笑える。

 

 マシュは少しだけ、彼への評価を修正した。

 森晶刕惢は、『最後まで他人のために笑えるマスター』である、と。

 『最後まで生きようとすることができるマスター』である、藤丸立香と同じように。

 与えるためだけに在るこの笑顔にこそ、この世界が剪定される理由の根源が在る。

 

 "ああ、だからこの世界は()()()()()()()()()()行けたんだ"……と、立香は納得し、テーブルに隠されて見えない角度で、スカートをぎゅっと握り締めた。

 

「今日明日何かが滅びるわけでもない。

 俺と少し話さないか?

 つまらないことから、面白いことまで。

 ああ、そうだ、特異点の旅路の話でもするか?

 俺達に共通の話題の代表格って言ったらそれだもんな。

 ……何の決断もできてない、情けない男の先送りって言われたら、まあそうなんだけどさ」

 

「……うん」

 

「おお、ありがとう。スーパーで買ってきた茶葉とお菓子だけど、口に合うといいな」

 

 頬を掻き苦笑して、マシュと立香の分の紅茶と茶菓子を用意し始める刕惢。

 その目は立香を慈しむ感情に満ちている。

 その声は異聞帯切除の苦しみを背負う立香への気遣いに満ちている。

 その手は立香のふざけたような大声で火傷していて、火傷の跡は見ているだけで痛そうで、けれど立香を責めることなく。

 

 並べられたお菓子の多くがチョコレートで、"ああチョコ好きなんだこの人"と立香は思う。

 "客人もてなすのに自分の好きなお菓子多めに買ってきたの?"と立香は気付く。

 それがなんだかおかしくて、直前までの自分の気持ちが少しだけ和らいで、立香は思わずくすっと笑みをこぼしてしまっていた。

 

「紅茶に砂糖はいくつ入れる派ー? 俺は紅茶花伝と同じ味になるまで入れる派」

 

「……一つで。マシュは?」

 

「私は最初は何も入れずに……あ、私が入れます!

 不肖マシュ・キリエライト、マスターのお二人の雑務は手早くこなせると自負しています!」

 

 優しくて、暖かで、嬉しくて、救われた気持ちになって、居心地の良い空気に包まれて、森晶刕惢という少年と絶対にいい友達になれるだろうという確信があって。

 

 だから。

 

 地獄だと、藤丸立香は思った。

 

 

 

 

 

 始まりの特異点Fから始まり、ゲーティアの作り出した人類史を終わらせる七つの特異点の物語を話し始めて、最初にあったのは共感だった。

 次にあったのは、驚愕だった。

 最後にあったのは、尊敬だった。

 

「俺と君、歩いてきた旅路はほとんど同じなことに改めて驚いてる」

 

「うん、私も驚いてる。違いを挙げたら数え切れないけど……本筋がほとんど同じだよね?」

 

「召喚したサーヴァントの順番は結構違うんだな。

 召喚したサーヴァントのメンツはかなり近いのに。

 知ってる思い出と知らない物語が混ざってて不思議な気持ちだ」

 

「ね」

 

 二人共あえて口には出さなかったが、どの出来事よりも『本当に悲しかった出来事』が同じであることが、二人で思い出す悲しみと、胸の奥を暖かくする共感を呼んでいた。

 二人は違う喜びを多く抱えていて、けれど抱えた悲しみはほとんど同じだったのだ。

 

 悲しみの違いは、オルガマリーやロマ二など、立香が大切な仲間との別れに終わった部分が、信じられない奇跡で覆されていたこと。

 絶対的な死別の数だけが、明確に違っていた。

 

 立香は、その奇跡を尊敬し、「すごい」と素直に思う。

 刕惢は「そっか、誰にでも訪れる奇跡じゃないのか」と思い、その奇跡に繋げてくれた旅路の仲間達に改めて感謝する。

 彼にとって彼女は仲間の価値を改めて教えてくれる素晴らしい人で、彼女にとって彼はありえなかった可能性で夢を見せてくれる人だった。

 

「そういえば立香はセプテム辛かったんじゃないか?

 女の子だから大変だったろ?

 奴隷が盛んなローマで売られたら男でもマジで難儀した覚えがあるんだが……」

 

「え゛。なにそれ、知らない」

 

「え?」

 

「え?」

 

「ローマで召喚されたコロンブスに奴隷として売り払われなかったのか?」

 

「し、知らない……苦労してるね……その手の苦労は無かったかな」

 

「うっそだろ?」

 

 あるある、あったあった、あそこ辛かったよね、あそこはワクワクしたな、といった風に言葉を交わしていると、たまに知らない話が出て来る。

 すると一気に盛り上がる。

 なにそれ、おもしろい、すごい、やばいじゃん、おかしい、と言葉が繋がっていく。

 話が盛り上がって、二転三転して、また元の話題に戻って、自然に笑って話してしまう。

 

「ええ……俺そのロンドン知らない……

 いや待って。

 魔術協会の信認印、第四特異点で貰わなかったのか?

 人理修復した後それでどうやって乗り切ったんだ?

 魔術協会がめちゃくちゃに口突っ込んで来なかったのか?」

 

「めっちゃ来た……」

 

「だろうな……」

 

「うるせ~ほっといて~何もしない協会さん達~って内心ちょっと思ってた……」

 

「いやまあ俺もその立場ならそう言うと思う……」

 

 マシュは二人の盛り上がる会話を眺めながら、紅茶を口に運ぶ。

 そして思う。

 この時がずっと続けばいいのに、と。

 

 だが、それはこの時間が何よりも楽しく幸福なものであるからではない。

 この先に待つものをマシュは忘れていないからだ。

 手を取り合う結末など無いことを、マシュは知っているからだ。

 

 マシュは永遠を求めてなどいない。

 ただただ、幸福だった刹那を忘れない。

 今ここにある須臾なるものの価値を信じている。

 そんなマシュが、この時間がずっと続いて欲しいと願うほどに―――この後に待つ残酷は、絶対的にどうしようもないものだった。

 

「刕惢さんは最初に召喚したサーヴァントモードレッドだったんだ、へぇー」

 

「キャスターのクーフーリンが立香の最初の味方って滅茶苦茶心強くないか?

 俺の時は第五特異点でケルトのフィンを普通に倒しててめっちゃかっこよかった」

 

「言われてみると確かに最初の仲間なのに頼りがい半端なかったかな……!」

 

「話してて懐かしいのに新鮮だな。

 "あああったあった"ってなるのが九割。

 "なにそれ!?"ってなるのが一割ある感じだ」

 

「うんうん、そんなかんじ。

 ……なんか、こそばゆいね。

 鏡の向こうの私を見てる感じじゃない。

 でも赤の他人って気もしない。理解者、ってのが一番近いのかな」

 

 理解者。

 そう、それが一番正しいのだろう。

 同じ旅路、同じ困難、同じ絶望、同じ目標、同じ人間。

 ……にも見えるけど、ちょっとだけ違って。

 似た旅路、似た困難、似た絶望、似た目標、それを二人の人間が駆け抜けた。

 だから互いのことを理解できるけど、互いが違うとしっかり認識できてもいる。

 

 『この人は私じゃないけど、私と同じくらい私のことを分かってくれている』。

 そう思える他人なら、その名称は理解者と呼ぶのが妥当に違いない。

 

 いつも我慢しがちで、笑顔でごまかしがちで、人に言えないことをぐっとこらえて、部屋で一人泣いた数は数え知れない、そんな二人は……ここで、運命と出会ったのだ。

 

「正直に言うけど、似てるからこそびっくりするんだよね、私。

 いやこの世界はマジでどうやったらこんな風になるの……? みたいな」

 

「ええと、君達で言うところの……

 この世界の『異聞帯の王』。

 それにあたる存在の力が大きいんだ。

 彼の疑似第二宝具、『慈悲なる神の幸福論(エル・エウダ・エモニクス)』っていうのが……」

 

「え、ちょ、待ってよいいの!?」

 

「え? 何が?」

 

「宝具名とかその内容とか解説したら私達に負けるよ!?

 宝具や真名隠さないとすぐに弱点突かれてどうにもならなくなるでしょ!?」

 

「……あっ。い、今のなしでお願いします!

 ち、違うんだ。

 今日の俺は世界の命運が肩に乗ってるから緊張してて?

 普段はこんな抜けてないから……な、舐めんじゃねえぞ……」

 

「調子狂うなあ……」

 

「先輩」

 

「なぁに、私のマシュちゃん」

 

「先輩もたまにあんな感じですよ」

 

「うっそでしょ?」

 

 そうだっけ? と首を傾げる立香。

 そうです、と呆れた顔で頷くマシュ。

 汎人類史のマシュは結構タフだな、と刕惢は思って、話を続けた。

 

「汎人類史のことは四苦八苦して情報集めしてたんだけどな、俺達。

 実際聞くとあんま情報得てなかったやつだこれ。

 立香凄い頑張ってるな……

 俺なんてアメリカで三回足挫いてエリザにめっちゃネタにされてるのに……」

 

「足場悪かったよねアメリカ……

 うんうん、私も分かる。舗装路面の真逆だよアレ。

 って、いうか、そう言うってことは知ってたこともあったんだ。」

 

「……ん。まあ。そうだな。ちょっと聞いていいか? 立香」

 

「急に歯切れ悪くなると怖いなあ。ん。いいよ、答えられる範囲なら」

 

「マシュに盾じゃない、敵を倒す武器を持たせようってなった時、どう思った?」

 

 一瞬。空気が凍った。

 

 マシュ・キリエライトは、藤丸立香のサーヴァント。クラスはシールダーだ。

 その名の通り攻撃には向かず、仲間の盾となって勝利を導く者である。

 しかし、現在のマシュは戦力不足を補うため、機械製の霊基外骨格をゴテゴテと付け、盾にはパイルバンカーの類を追加し、現在に至っては『天寿の神殺し』まで積んでいる。

 かつて盾だったそれは、今や他の異聞帯に恐れられる神殺しの大砲だ。

 

 刕惢がそこに何かを思う人間であることが、立香は本当に嬉しかった。

 

 立香はまっすぐに刕惢の目を見る。嘲りや好奇心といった意図は見て取れない。

 森晶刕惢の瞳は、マシュと立香の二人を見つめて、かつ二人のことを案じていた。

 立香は一度深呼吸して、嘘偽り無い気持ちを口にする。

 少女は心を吐息と共に吐き出した。

 

「生きるために何でもしようとするのって、本当に辛いなって思ったよ」

 

「……だろうな。ごめん。答えにくいことを聞いちまった」

 

「ううん。不思議なことに、声に出したらちょっとスッキリしたかな」

 

 刕惢と立香があははと笑っているのを見て、マシュは二人の前で立ち上がる。

 

「その……先輩を責めるつもりならやめてください。

 これは私が望んでそうしてもらった力なんです。

 盾だけでは駄目でした。

 守るだけでは駄目だったんです。

 守るだけの戦いは終わって、私達は他の世界を滅ぼす旅路を始めた。

 だから、私が私の大切な人を守るためには、盾だけでは駄目だったんです」

 

「ああ、悪い。そういう風に受け取られちまったか」

 

「うーん、しょうがない。マシュは察せない時は察せない罪な女だもんね」

 

「え? 先輩じゃなくて私が貶められる流れになってますか?」

 

 立香が何かを言われる前にフォローしようとしたのに、その立香に"もーだめだなあ"と言わんばかりの表情を向けられ、マシュはむすっとして眼鏡の位置を直した。

 

「筆頭はベディヴィエールあたりだろ、立香」

 

「おお! さっすがカルデアのマスター。やっぱ最初に思っちゃうのはアレだよね」

 

「お前は仲間の言葉をちゃんと覚えるいい子だと思ってたよ、カルデアのマスター」

 

 二人の男女は、どこにでもいる悪友同士のように、お互いに対し挑発的に笑った。

 

「マシュにだけ言ってたことも多かったみたいだけどね、ベディ。それも後から聞いたけど」

 

「『白亜の城は持ち主の心によって変化する』。

 『曇り、汚れがあれば綻びを生み、荒波に壊される』。

 『けれどその心に一点の迷いもなければ、正門は決して崩れない』」

 

「『貴女は敵を倒す騎士ではないのです』。

 『その善き心を示すために、円卓に選ばれたのですから』」

 

「そうそう。なんかあれだな」

 

「うん、間違い探しみたい」

 

「「 ……ぷっ 」」

 

 勇将レオニダスにすら讃えられるマシュの守護の在り方だが、それは膨大な魔力や、比類なき天性の才能、強靭な肉体に支えられたものではない。

 その護りは、その心に起因するもの。

 心が無垢で綺麗であるがために、マシュの護りは壊れない。

 人を傷付ける事を好まず、人を守る盾であるからこそ強い。マシュはそう評されていた。

 

 だが、今のマシュは、人を盾で守ること以上に、敵を銃で撃ち殺す役割を求められている。

 

 "しょうがない"という言葉でごまかしながら、マシュの心の柔らかい部分を刺す針がある。

 

 汎人類史の立香達は、始まりの日から本当に随分と遠い所まで来てしまっていた。

 

 なんてことのない祈りがあった。

 叶わなかった願いがあった。

 立香も刕惢も同じだ。

 マシュを大切に思い、慈しみ、戦いが終われば戦いから離れてほしかった。

 普通の女の子になってほしかった。

 普通に幸せになってほしかった。

 平穏の中で、ただ安らかに、殺し合いから遠い場所で、笑っていてほしかった。

 二人のカルデア最後のマスター達は、マシュにそんな未来があることを願った。

 

 滑稽な話だ。

 全てが皮肉で、全てに無慈悲な運命がこびりついている。

 

―――……だから言ったんだ。

―――彼女は勇敢な戦士でもなければ、物語の主題でもない。

―――ただの、ごく普通の女の子だったんだよ、と。

 

 最後の敵にさえそんなことを言われて、二人は自分自身に誓ったのだ。

 マシュが普通の女の子として幸せになれる未来を掴み取ることを。

 そのためならなんだってできる気がした。

 そのためならどんな困難も越えられる気がした。

 そのためなら如何なる地獄でも頑張れる自信があった。

 

 その果てがこれだ。

 

 普遍の幸福のために未来を失ったのが刕惢ならば―――未来と引き換えに幸せを失っていっているのが立香なのだろう。

 

 どちらがより地獄なのか。あるいは、どちらも比べようもなく地獄なのか。

 

「……先輩、気にしていらっしゃったんですか?」

 

「うん、ま、だから、私はやっちゃいけないことに同意しちゃったかなって思うわけなの」

 

「いや、それはない」

 

 刕惢が立香の発言から間髪入れず即座に否定してきたものだから、立香は少し驚いた。

 

 かつての祈り、願いを鑑みれば、立香が悔いる気持ちを抱えているのも妥当だ。

 

 だが、刕惢から見れば、それは。

 

「だってそうだろう。俺の世界は剪定の対象に入ったんだから」

 

「……あ」

 

「マシュの幸せを願うことは。

 平和な世界を生きてほしいと思うことは。

 戦いのない場所で笑っていてほしいと祈ることは……正解じゃなかったんだろう」

 

「待って、それは」

 

「そう思いたくない。分かる。俺もそう思いたくない。

 そんな現実を受け入れたくない。

 だから汎人類史と戦って、俺達が汎人類史になりたいんだ」

 

「……」

 

「立香、君を尊敬する。

 君の世界が汎人類史だ。

 君はマシュの未来を救った人なんだ。俺と違って。

 マシュに武器を与えて共に戦うという正解を見つけた君を……

 マシュが未来に幸せになれる世界を宇宙に認めさせた君を、尊敬する」

 

「……私だって、マシュのこと本当に大切に扱うあなたを、すごいって思うよ」

 

 この世界のマシュは幸せだ。

 もう二度と彼女が戦うことはない。

 平和な世界の中で笑って、なんでもないことに必死になって、つまんないことに右往左往して、一人の女の子として恋をして……あるいは、もうしている恋を成就させて。

 そうして、普通の女の子としてもっともっと幸せになっていくだろう。

 

 けれど、剪定される世界の幸福に、意味はあるのか?

 

 汎人類史のマシュは、今も戦っている。

 人を守っていればよかった日々は終わり、誰かの生きる世界を潰す日々が続いている。

 心優しき少女の心を反映した円卓の盾は、引き金を引く度に命を奪う砲となった。

 戦いがいつ終わるのかも、いつ報われるのかどうかさえも分からない。

 

 汎人類史のマシュは、剪定事象の命で無いというだけで、幸せになれるかも分からない。

 

 二つの世界に優劣があるかどうかなんて、立香と刕惢には判断できない。

 けれど、互いに対する尊敬があった。

 『マシュを救ってくれる』目の前の人への感謝があった。

 それは感謝であると同時に、相手を見る度に自分の内側に生まれる苦しみでもあった。

 

 二人は互いが互いに『理想の世界を掴んだ者』である。

 立香はマシュへの慈しみゆえに、彼を尊敬する。

 「ああ、マシュをそう扱ってくれるんだ」と思い、感謝しながら苦しみを得る。

 刕惢はマシュの未来と生存を勝ち取ったがゆえに、彼女を尊敬する。

 「ああ、マシュが生きられる未来がこれなのか」と思い、感謝しながら苦しみを得る。

 嫉妬は無い。

 憎しみは無い。

 逆恨みも無い。

 

 『私にはできなかった』と、『私の大切な人を大切に扱ってくれてありがとう』だけがある。

 

「……剪定は俺の選択の結果決まったことだ。

 やらかしたのは俺だ。

 マシュの未来を失わせる大失態だ。

 まだ諦めたわけじゃないが、本当に情けない。

 俺はマシュに守られてばっかだったのに……マシュを守れやしない、ゴミだったんだ」

 

「そんなことはありません!」

 

 先程、立香の自罰的な自虐に、刕惢は間髪入れず即座に否定した。

 お前は悪くない、と。

 だがここで、刕惢の自罰的な自虐に間髪入れず即座に否定したのは、マシュだった。

 あなたは悪くない、と。

 

 世界は救えなくても、人は人を救える。

 人が人を救えても、人に救えない世界はある。

 だけど、それでも。

 たとえ最後には虚しく、無意味になるとしても……手を差し伸べることをやめない者。

 人はそれを、『優しい人』と呼ぶ。

 

「幸せを願われることは、嬉しいんです!

 生きていてよかったと思えるんです!

 私を大切にしてくれる人を好きになれるんです!

 その人を守りたいと思えるんです!

 そう思えた時、私は人間だと感じられるんです!」

 

「……マシュ。俺は……」

 

「この世界の私が分かってないはずがありません。

 絶対に絶対に、あなたの気持ちは届いてます。

 なら、何があってもあなたをそんな風には思いません。

 たとえどこかで無価値に死んだって、その時あなたに感謝します。

 私なら、どんな世界でだって、私を愛してくれた人と一緒に、明日を……! ―――あ」

 

 声に熱がこもる。

 語調が少しだけ荒くなる。

 いつも落ち着いた丁寧口調のマシュらしからぬ声だった。

 けれど、その言葉は途中で止まる。

 

 熱くなってしまったがゆえに飛び出してしまった言葉。

 言わないようにしていた言葉。

 優しさゆえに彼に聞かせないようにしていた言葉。

 『どんな並行世界のマシュでも、大切な人と未来を生きていたいと思う』だなんて、優しい子が言えるはずがないのだ。

 それが偽りのない本音であったとしても。

 

 マシュは言葉を途中で止めて、その言葉の続きを言わず、なんとか取り繕った。

 

「す、すみません。こちらの世界の私でもないのに、なんと差し出がましいことを……」

 

「マシュはどんな世界でもいい子だなあ。いいよなこの子。な、立香」

 

「いいよね……深く深く分かる……」

 

「も、もうっ」

 

 マシュは顔を赤くして、席を立つ。

 照れをごまかすように、マシュは二人から離れた。

 

「……先輩、私、ちょっと頭冷やしてきます」

 

「行ってらっしゃい」

 

 出発前の未来の演算予測を信じるなら、ここでマシュが少し離れても立香に何かがあるということはないだろう。

 マシュは恥ずかしい話の流れから逃げるように、護衛についているらしいモードレッドの方に向かう。モードレッドはマシュと何度か共闘していて、マシュも気持ち話しやすい相手だ。

 会話から情報を得る相手としては申し分ないだろう。

 

 照れて離れていったマシュのとても人間らしい姿に――会ってすぐの頃のマシュであれば絶対に見せない姿に――、立香と刕惢はぽかぽかと暖かい気持ちになって、笑い合っていた。

 

「戦わない、戦わせない。

 それは時に美しいかもしれない。

 でも戦う者の方が強いんだよな。

 "手を汚す"って言うだろ?

 だけどあれさ、手を汚さないと死んだりすることも多いって思わないか?」

 

「何の話?」

 

「戦うと決められること。

 敵をちゃんと殺す覚悟を決められること。

 それができるってことが、『強い世界』ってことなのかなって……ま、いいか」

 

 何の話? だなんて返答を返したけれど。本当は、何の話か分かっていた。

 

 本当に無駄で、些細で、意味のない、"その話をしたくない"という少女の抵抗だった。

 

「世界の命運を決める話をしようか、立香」

 

 これは、たった一つの未来を奪い合う物語。

 

 最後に残る勝者は一人。

 

「舞台はこの街。隠された聖杯は四つ。それが今、この異聞帯を世界に貼り付けている楔だ」

 

「!」

 

「聖杯戦争をしようぜ、立香。―――俺達は、世界の皆のために、殺し合わないと」

 

 戦いたくない。

 

 殺したくない。

 

 好ましい人だから、一緒に生きていたい。

 

 そう思ったのは、果たして二人の、どちらであったか。

 

 そんな願いは、万能の願望器たる聖杯に願っても、叶わないというのに。

 

 叶いようがない願いを掲げて、運命の相手と出会い、最後に別れで終わる。

 

 聖杯戦争とは、そういうものだと……誰かが言った。

 

 

 


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