Lostbelt No.■ 無価値幸福論 ブロークンファンタズム 特異点Δi   作:ルシエド

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第二幕:告げよ運命、戦争の開幕を

 夜が深まる。

 一人家屋の門の前で立ち続けるモードレッドが、空を見上げた。

 綺麗な月だった。

 今にも姫が降りて来そうな、綺麗な月。

 秋の名月にも迫る今日の月の下であれば、殺人鬼が人を解体しても美しく映ることだろう。

 

「……」

 

 モードレッドはここで一人待ち続けていた。

 魔力の動きは察知している。

 遠くで通信機械の稼働音が鳴り、静かな夜なら彼女の耳はそれを拾う。

 人並み外れた直感スキルは、何が起こったかを遠回しに彼女に囁き続けていた。

 

 それでも、モードレッドはここで待ち続けていた。

 

 残酷に夜が明けるまで。

 

「すぐ帰るんじゃなかったのか、嘘つきの弓兵め」

 

 約束を破ったクソ野郎に貸し一つだ、と呟き、モードレッドは跳び上がる。

 

 世界を救って次にエミヤのハンバーグを食えるまで、許さない。モードレッドはそう決めた。

 

 

 

 

 

 朝日が水平線に昇る。

 

 藤丸立香は海辺の防波堤に腰掛け、海の色彩を眺めていた。

 海の色彩も、空の色彩も、何も汎人類史と変わらない。

 異聞帯の空も汎人類史の空と変わらず普通で、変わらず綺麗で、同じだった。

 ただきっと、星を彩る文明の色彩だけが違うのだろう。

 

「……」

 

 『苦しいならやめていいよ』と、何故か聞こえる。

 一人になると、そんな誘惑が聞こえてくる。

 もちろん幻聴だ。

 それは藤丸立香の弱気と甘え、普通の人間らしさが生む心の声でしかない。

 立香は自分がその声に負けてしまうのが怖い。

 自分の内から湧く声ゆえに逃げられず、その声は魅力的で甘いがために、頑張ろうとする気持ちを萎えさせる。

 まるで、ブラックホールのような誘惑だった。

 苦しいならやめていいと、自分自身が言っている。

 

 けれど立香は、この声に負けたことなど一度も無かった。

 

 綺麗な海のさざめきに耳を傾ける立香の横に、針金のような強さと柔軟さと千切れにくさと美しさを持つ男が、腰を降ろした。

 

「海が好きかね」

 

「ホームズ」

 

「かくいう私は、ここだけの話少々苦手意識があってね。

 ライへンバッハの滝に落ちて以来、底の見えない大きな水を見ると震えてしまいそうになる」

 

「もー、冗談ばっかり」

 

 くすっ、と立香が笑みをこぼす。

 ホームズは不敵に、けれど優しく微笑みかける。

 女を何人も狂わせていそうな微笑みだが、立香ももう見慣れたものだ。

 

 彼はホームズ。シャーロック・ホームズ。ルーラーの霊基のサーヴァント。

 立香のカルデアに常駐する名探偵だ。

 普段は後方から高度な推理にて立香を支援し、時には前線に出て命懸けで仲間を守り、血まみれになることもある。

 その在り方は、確かな知性と善性と傍迷惑さに裏打ちされたもの。

 今回ホームズは自分から名乗りを上げ、立香とマシュの援護に参戦していた。

 

「何があるかわからないしホームズは後方待機でよかったのに」

 

「何があるかわからないからさ。

 トリスメギストスの演算が君達二人なら安全と言った理由も理解した。

 ならば君達二人に援軍を送らない理由もない。

 未だ私にも片鱗すら掴めていないこの異聞帯、その真実を解体してみよう」

 

「この世界の謎……うん、そうだよね。頼りにしてる」

 

「頼りにされよう。ではさっそく」

 

「?」

 

 ホームズは立香の顔を一瞥しただけで推理を構築し、口に出す。

 

「君は今悩みを抱えているね。『わからない』と」

 

「―――ぅ」

 

「ではその悩みの中身を当ててみせようか。今日の朝餉がパンか米か気になるのだろう?」

 

「……え」

 

 一瞬表情がこわばった立香が、ぽかんと口を開けた。

 

「さて、この僅かな香りは焼き立てのパンだ。

 ミス・キリエライトがトーストを焼いているのだろうね。

 本日の朝食がパンか米かはこれで明白だ。

 育ち盛りの食いしん坊にはよくある悩み、次の食事への期待と不安だ。そうだろう?」

 

「……あはは、大当たり! さっすが名探偵」

 

「初歩的な推理だ、頑張り屋の友よ」

 

 ホームズがわざと推理を外して、立香がそれに乗る。

 そんな気遣いの仕方があった。

 推理で真実を言い当てる名探偵だけがしていいお茶目で、立香は笑って肩の力が抜ける。

 

 ダ・ヴィンチは優しく寄り添うがゆえに立香が隠す苦悩に気付くが、ホームズは怜悧なる頭脳によって理論的に他人の隠し事を解体し、その苦悩を発見する。

 立香が殺人犯ならその秘密を口にしていただろう。

 だが、そうしない。

 暴いた真実を口にしない。

 けれども、その真実に気付いているということは立香に伝える。

 

 ゆえに立香は気遣われている実感を持つ。

 かつ、ホームズに隠し事などできないことを再確認する。

 取り繕わなくていい分肩の力が抜けるが、これは同時に「無理を禁ずる」という遠回しな釘刺しでもあった。

 

 立香に対し踏み込みすぎず、かといって離れすぎず、近づき問い詰めることで立香を追い詰めることを避け、かといって赤の他人の距離感までは離れない。

 ほとんどの事件において事件の一歩外側から自体を見つめ、事件を終わらせる名探偵は、これこそを在り方の正解とする。

 

 ホームズは立香と共に海を眺めながら、人一人分の距離を空けた横に座っている。

 

 苦悩を飲み込もうとしている少女にとって、その距離感が、今はどうにも心地よかった。

 

「召喚の具合はどうかね? この世界は随分と楽だろう」

 

「うん、すっごい楽。

 霊脈見つけるのも楽だし召喚するのも楽。

 何より、魔力があんまり要らないのがいい。

 召喚に成功さえしたら、どこかからサーヴァントに魔力が流れ込んでる……」

 

「そうだろうね。それがあまりにも僥倖すぎて、罠ではないかと疑ってしまうよ」

 

「でも、何もなかったんでしょ?」

 

「ああ、そうだとも。

 ダ・ヴィンチにMr.ムニエル、ミス・ソカリス、キャスターの皆様方……

 誰もが太鼓判を押した。『これ』が罠である可能性は、限りなく0だとね」

 

 本来、立香が契約を結んで全力を出せるサーヴァント数は有限だ。

 サーヴァント達はマスターに召喚され、契約を交わして魔力を供給され、それによって本来の実力を発揮し、一騎当千の働きをする。

 が、平均的な魔術師でも強力なサーヴァントに全力を出させようとすれば魔力が足りない。そこを解決したのがカルデアの召喚システムだった。

 

 カルデアが施設で魔力を生産し、藤丸立香がサーヴァントと契約し、立香の体を通してサーヴァントに魔力を供給する。

 これによって普通の女の子でしかない立香ですら、強力なサーヴァント複数体に全力を出させることが可能であった。

 個人技に頼らない、一般人ですらここまでのことが可能となるカルデアシステムは、ごく普通の女の子でもその心さえ腐らなければ、世界を救うことすら可能とさせるものなのである。

 

 だが、それでも限界はある。

 無限に召喚などできない。

 無制限のサーヴァント同行などできない。

 霊脈の限界もあるが、それ以上にマスターの側に限界がある。

 カルデアがいくら大量の魔力を流しても藤丸立香の体がそれに耐えられない。

 よって立香が一度の戦いで契約できるサーヴァントの数には限界がある……はずだった。

 

 だがこの世界では、霊脈が傷付くほど連続召喚をしなければ、いくらでも召喚できる。

 魔力も立香の体を通す必要がなく、この世界から供給されている。

 立香はカルデアが保持するトランクの霊基記録の数だけ、ここに共に戦うサーヴァント達を召喚することが可能なのだ。

 

 まるで、世界に守護者として召喚され、世界から無制限の魔力の供給を受けている時のエミヤのような、世界のギミックを味方に付けた反則の戦力を拡充を可能とする世界。

 

「戦力が大いに越したことはないし、安全ならいいんじゃない?」

 

「そう、その結論が正しいのだろう。

 だが、その後に誰もが匙を投げた。

 誰もが()()()()()()()()()()()()()()()を突き止めることができなかった」

 

「それは……うん、なんだか怪しいよね」

 

 全てのサーヴァントに魔力が注がれているのに、どこからどこを通って魔力が供給されているのかわからない。

 それは、"蛇口から水が出てるのに流れ落ちていく水がどこから来ているのか分からない"ということに等しい。不気味にもほどがある。

 

「神域の魔術師達も技術者達も時間が欲しいと言ってきた。

 世界の形を巧みに暴いてきた彼らが手こずる?

 ならばそれは汎人類史の世界の真理の類ではない。

 それはおそらく、謎解きの分野の問題だろう。

 真理の形を調べる研究ではなく、真実を見つける推理が必要になったのだ」

 

「そっか、だからホームズが来たんだ」

 

「ああ。なので私は君が"これ"を利用することに反対しないが、賛成もしない」

 

「うん。これなら、私もサーヴァントを二十人でも三十人でも召喚できる気がする」

 

 立香は刻まれた令呪(マスターのあかし)輝く右手をさすって、ふと疑問に思ったことに首をかしげて、腕を組んで考え始める。

 ちょっとした動作が、何気なくかわいらしかった。

 

「でも、なんでこんな、敵である私にこの世界が有利に働くんだろう。

 刕惢も多分ここまで私に有利だとは思ってなかった……思ってなかった、よね?」

 

「……明白な事実ほど、誤られやすいものはない(There is nothing more deceptive than an obvious fact.)

 

 ホームズは、クソデカため息としか言いようがない特大のため息を吐いた。

 

「へ? なんて? 自慢じゃないけどカルデアに来る前の私の英語は五段階評価で三だよ?」

 

「いや、重要なことではないさ。現役時代の事をいくつか思い出しただけだ」

 

 ホームズは"明かす者"。

 謎があり、悩む者が居れば、彼は答えを提示する。

 が。この案件に関しては、汎人類史の勝利に関する部分以外のところまで解き明かすのは、あまりにも悪趣味に感じられて、ホームズは語る内容を選ぶ。

 "今はまだ語るべき時ではない"ということだ。

 

推理小説(ミステリー)の三論点を知っているかい?」

 

「ミステリー?

 あ、マシュから聞いたことあるよ。

 誰がやったのか(フーダニット)

 どうやったのか(ハウダニット)

 なぜやったのか(ホワイダニット)

 ……だよね? うん、たぶんそうだ」

 

「次からは英語の授業もミス・キリエライトの言葉と同じくらい真面目に聞きたまえ」

 

「……はい、ホームズ先生。反省します」

 

 笑い声を口の中に含むように、ホームズは上品に笑った。

 

「さて、これはホワイダニットに分類される謎だ。

 誰、でもなく。どう、でもなく。なぜ私に有益なのか、ということだね」

 

「なるほど? うん? よし、わかんない。サレンダーします」

 

「その思い切りの良さは好感が持てるが、次からは自分でもちゃんと考えるといい」

 

「はい……」

 

「何、小難しいことはない。初歩的な推理だ。

 この世界の人間としての主は森晶刕惢。

 彼は罪悪感を抱き、この世界の未来を奪ったと悔いていた。

 ならばこの世界は彼の願いの果てなのだろう。

 この世界は彼の心の願いに追従する。

 ならば彼は思ったのではないかな?

 『彼女の苦痛が取り除かれ、仲間に支えられ、苦難は終わり、皆に守られますように』と」

 

「え」

 

「この世界が異聞帯という名の彼の夢ならば、彼が君が苦労をしない未来の夢を見た」

 

 海がざぁ、ざぁ、と波間に音を立てている。

 

 もう永遠に誰も溺れることの無い異聞帯の海を見つめ、ホームズは淡々と真理を語る。

 

「彼は未だに君を、敵ではなく被害者だと考えているのだろう。

 それがこの世界が君の味方をする理由になっている。

 森晶刕惢がこの事象を知っているのか、気付いているのかまでは、分からないがね」

 

「……」

 

「彼が君を心の底から敵だと思うまで、君は全ての制限を取り払った最強の状態というわけだ」

 

「……それは、外れるかもしれない推理? 絶対にそうだっていう名推理?」

 

「森晶刕惢自身に聞かなければ確定はしない。

 だが、私はそれ以外の可能性はほぼ無いと考えている」

 

「そっか」

 

 立香の生き方は、平均的な人間から見れば情に溢れすぎている。

 普通の汎人類史の人間は異聞帯の人間と関わろうとはしない。

 汎人類史を残す以上、異聞帯は切除され、異聞帯の人間は全て死ぬからだ。

 ならば必要最低限の交流でいいはずだ。

 何もかも無駄で、心に嫌なものが残る繰り返し。

 ならば、異聞帯の人間に優しくすること自体が間違っている。

 

 それでも立香は出会った異聞帯の人間それぞれと、等身大の人間として向き合った。

 憎しみをぶつけたことはない。

 いずれ殺す塵芥として扱ったこともない。

 危なければ守り、殺されそうなら救い、友人として仲良くし、笑い合って。

 最後には異聞帯切除によって、死に別れた。

 その度に負う必要のない傷を負い、サーヴァント達はその不器用過ぎる優しさに、誰よりも人間らしい在り方に、心を痛めていた。

 

 優しい彼女のその生き方が、この世界でとうとう目に見える形で結実した。

 

 立香はいつものように歩み寄り、刕惢との共感、二人で交わした言葉の数々で、ほんの少しばかり救われた気持ちになった。

 それは、刕惢も同じだったことだろう。

 ゆえに、世界に反映される。

 だから、藤丸立香をこの世界が助ける。

 この世界が刕惢の理想と願いの世界なら、間違いなく刕惢は立香の幸福を願っている。

 

 世界に反映されているのだからごまかしようがない。

 地獄を進む立香が、少しでも楽であってほしいと、誰かに守られて傷付かないでほしいと、苦難に苦しめられないでほしいと、彼は思った。だからこうなった。

 立香の優しさが無自覚に刕惢の未来を削り、立香の未来を補強する。

 彼が立香を好きになればなるほど、立香が勝って彼が死に果てる確率が上がる。

 彼女の優しさが、彼女の未来を救う素晴らしき補助輪を成してくれたのだ。

 

 おそらくは、彼女が最も望まぬ形で。

 

 ただの善意で手向けた少女の優しさは、少年の心臓に突き刺さる剪定の短剣となっていた。

 

「海は、広いね。ホームズ」

 

 ぼんやりと、力の無い言葉で、立香はつぶやく。

 

 自分の中にあった善意に毒が染み込んでいくような感覚に、少女は苦しみを覚えた。

 

「ああ、広いとも」

 

「私、うんと子供の頃、海の向こうに素敵な世界があると思ってたんだ」

 

「ほう」

 

「小さい頃は、素敵な世界があるって思ってた。

 ちょっと経って、アメリカっていう素敵な国があると思ってた。

 今は……そういうことを思ってたことさえ忘れてて、今思い出した」

 

「海は夢を見せてくれるからね。そういう人も少なくはないさ」

 

「いつからだろう。なんでだろう。

 私は遠いところに理想郷なんてないって、いつから思うようになったんだろう……」

 

 それは立香が知ればそれだけで傷付く真実であったが、これからそれを利用して戦う以上、ホームズがマスターに絶対に伝えなければならない真実だった。

 戦場の真ん中で知って動揺されては致命傷になってしまう。

 ホームズは自分が大苦手とする"優しい言葉で上手いこと励ます"というミッションを前にして、ちょっとどう言えばいいのか迷ってしまう。

 

 と、そこに、新たな者達が会話に加わってきた。

 

「マスター、朝食の時間です。

 心中お察ししますが、食べましょう。

 どんなに心が疲弊していても、食わねば戦うことはできません」

 

「うふふ。母が取り分けてあげますからね。たんとお食べなさい」

 

「アルトリア、頼光さん」

 

「一通り街を回ってみましたが、私の直感スキルに引っかかるものはありませんでした。

 おそらく敵は約束を違えるつもりはない。今夜0時まで戦うつもりはないと思われます」

 

「現状、サーヴァントで組んだ即席の小隊は問題なく動いています。

 母はおそらく戦闘では前に出ますが、彼らはあなたを守りきるでしょう」

 

「うん、ありがとう」

 

 アルトリア、と呼ばれたのは剣士の少女。

 名をアルトリア・ペンドラゴン。

 伝説に語られるアーサー王であり、セイバークラスの代表格だ。

 彼女の直感は未来予知の域にあり、奇襲や罠といったものの存在を直感的に感じ取り、こういった集団戦の聖杯戦争においては所属集団への搦手のほとんど無効化してしまう。

 

 頼光、と呼ばれたのは武家の装いを身に纏った豊満な女性。

 名を源頼光。

 日本最高位の格を持つ、平安時代最強の神秘殺し。

 数多くの怪異を殺し尽くした、平安を代表する人理の守護者だ。

 個人としても最上位の強さを持つが、アルトリア同様人を率いて戦った経験が豊富で、こういった集団戦の聖杯戦争においては、アルトリア同様に将としての役割も果たせる。

 

 両者ともに、通常の聖杯戦争で優勝を狙える上級サーヴァントであり、今回の形式の聖杯戦争では大活躍を見込める英霊の将であった。

 

「そういえば聞けばアルトリアさんも私と同じ、産んでいない実子を持つ母だとか」

 

「いえ、あの、その、頼光殿、それで同じにされても困るのですが」

 

「あらあら、ご謙遜なさらないで。子を愛するのは母の本能のようなものです」

 

「……。マスター、この人私が反応しなくてもずっと一人で話しかけ続けてくるのですが……」

 

「頑張って、アルトリア」

 

「がんばります……」

 

 が、相性はそこまで良いわけではないようだ。

 立香が指示した集合時間が迫り、続々とサーヴァント達が集結していく。

 三人のエミヤが戦場から消えてから、既に14時間近くが経過していた。

 

 また一人、今度は少年の忍者が馳せ参じる。

 

「主殿、ホームズ殿。風魔小太郎、ただいま帰還しました」

 

「あ、小太郎おかえりー」

 

「宝具を解除しよう。成果はあったかね?」

 

「あったかなかったかもよくは分からなくて……

 ホームズ殿、こちら集めたデータをまとめたものです」

 

「よくやってくれた。ダ・ヴィンチの方に回してみよう」

 

 彼の名は風魔小太郎。日本で知名度の頂点に立つ忍者達の一人だ。

 アサシンの霊基で召喚された彼は、暗殺者として以上に諜報員として活躍している。

 調査・警護・侵入・戦闘、なんでもござれ。

 その分戦闘力は強力なサーヴァントと比べるとやや見劣りするが、あまりにもできることが多いため、むしろ戦闘力まで備わっていることがおかしい有能なサーヴァントであった。

 

 どんな世界でもカルデアは、戦闘力のみを重視するなどという隙を持たない。

 凡人が最後のマスターになったとしても、システムの補助に加えカルデア職員の生き残りやホームズにダ・ヴィンチなどが知恵を絞り、最適な采配によって隙を埋めてしまう。

 小太郎のような脇を固める多芸な駒がいることもまた、カルデアの強さであると言えよう。

 

「『初歩的なことだ、友よ(エレメンタリー・マイ・ディア)』、解除」

 

「ありがとうございます」

 

 加え、サーヴァントをガンガン動員できる今回の聖杯戦争は、通常ではありえないようなコンボがどんどん成立する。

 その一つがこれだった。

 

 『初歩的なことだ、友よ(エレメンタリー・マイ・ディア)』は、名探偵シャーロック・ホームズの逸話と物語を、強制的にこの現実に形と成す宝具である。

 具体的には、どんな謎でも真実に辿り着くための手がかりや道筋が『発生』する。

 どんな難事件でも。

 解決不可能な事件でも。

 証拠品を魔術で全て消し去っても。

 ホームズがこの宝具を発動していれば、真実に至る証拠が必ず見つかるのである。

 

 これは仲間への強化付与という形でも使えるため、ホームズは小太郎にこれを使い、彼を『ホームズの代わりに調べる者』と定義し、ステータスを強化し、調査に向かわせた。

 宝具は、伝説をなぞるモノ。

 コナン・ドイルの原作で、彼は助手や仲間が集めた情報から真実を見出してきた。

 

「風魔ワトソンくん、お疲れ様。マスターとして鼻が高いよ」

 

「風魔ワトソンの集めた情報から真実を見つけられるといいのだがね」

 

「風魔ワトソン……???」

 

 小太郎は、わけがわからず困惑するしかなかった。

 しかしながら、その有能さはホームズも認めるところである。

 

「君は一人でベイカー街遊撃隊(Baker Street Irregulars)をやっているような有能な諜報員だ」

 

「光栄です。確かベイカー街のストリートチルドレンの集まりの名前でしたね」

 

「そうだね。

 スコットランドヤードの警官1ダースより彼ら一人の方が有用だった。

 彼らのリーダーはウィンギンス少年……ああ、思えば君と少し似ていたかもしれない」

 

「そうなのですか?」

 

「ああ。私は彼らから学ぶところが多かった。

 子供でも必死に戦う、必死に抗う、必死に生きているというのは、その最たるものだね」

 

 ホームズはデータを持ってダ・ヴィンチと連絡を取りに行こうとするが、その前に立香に声をかけていく。

 

「ああ、マスター。先程の話を忘れずに」

 

「? どれ?」

 

誰がやったのか(フーダニット)

 この異聞帯、どうも役者が揃っていない。

 ミステリーで言うところの『真犯人』が登場している気がしない。

 どうやったのか(ハウダニット)

 どうこの世界を成立させたのか。

 成立過程がまるで想像できないのが怪しいにもほどがある。

 なぜやったのか(ホワイダニット)

 無数の"なぜ"がうごめく中に、おそらくこの世界の心臓がある」

 

「謎を解く、ってこと?」

 

「真実を掴め、ということさ。

 謎を解くことと真実を掴むことは少し違う。

 私自身、それに気付いたのは大分後になってからだったがね」

 

 ホームズはそれだけ言って、どこかへ行った。

 アルトリアと頼光は先程からずっとマスターをもしもの時に守れる位置で、これから先の戦略を話し込んでいる。

 立香と小太郎は朝食を作っているマシュの手伝いに回った。

 

 厨房のマシュの手足となって、立香と小太郎は話しながら皿などを先に並べていく。

 

「森晶刕惢殿、ですか。聞いた話だけで判断するならば、戦乱の世には向かない人物ですね」

 

「うーん、そういう感想になっちゃうか、やっぱり」

 

「主殿もそうですが、平穏が似合う人物の方がよいと思いますよ。

 戦いに向いているということは褒め言葉とは限りません。

 戦いが似合わない人間が溢れる世を作ることもまた、武家と忍者の務めですから」

 

「……そっか」

 

「しかし、刕惢とは……

 現代でそういう名前を見るとは思いませんでした。

 意外と主君を失い江戸に流れたという風魔の子孫かもしれませんね」

 

「え? なんかあるの?」

 

「なにかあるというほどのことではありません。ただの言葉遊びですよ」

 

 小太郎は近くにあったケチャップで、皿に『刃』の文字を書いた。

 

「主殿は『刃』という漢字の成り立ちをご存知ですか?」

 

「全然知らない」

 

「これは『刀』を表す字です。

 刀に書き加えたこの真中の斜めの線は、刃の位置を表します。

 つまり刃にあって刀にないこの線は、刀の鍔と同じ意味を持つのです」

 

「おー、豆知識だ。クラスでちょっと話盛り上がりそう」

 

「僕は忍、風魔の忍です。心ある刃、主君の道具、ゆえに忍」

 

「ふむふむ……あ、ちょっとまって。

 刕は刀三つ。惢は心三つ。

 刀が刃で……ああ、だから子孫かもって思ったんだ」

 

「はい、そうです。

 それとこの名前にはもう一つ意味があります。

 主殿はずっと、"刕惢と言っている"でしょう?」

 

「?」

 

「『刃と心と言う』……『認』。

 『認める』ということです。

 『この子と出会いその名を呼ぶ人が、この子を認めてくれますように』ということ」

 

「……おおー!」

 

「刃と心を合わせて『忍』。

 我々忍を示すこの言葉が初めて使われたのは石清水八幡宮焼き討ちだと言われています。

 延元3年3月……1338年3月です、マスター。そんな露骨に分からない顔をしないでください」

 

「れ、歴史は授業範囲外はそんなに……」

 

「覚えていてもあまり役に立つような知識ではありませんからね」

 

 小太郎は赤毛で目元を隠し、子犬のような笑みで立香の歴史成績の話を煙に巻いた。

 

「心なき忍はただの刃でしかありません。

 ゆえに我らは心を捨てない。

 主君のどんな命令に従いながらも、心だけは捨てないのです。

 なればこそこの漢字は戒めとなる。心だけでも、刃だけでもだけなのだ……と」

 

「忍、か。戦うことも、優しいことも必要、そんな意味の漢字一文字……」

 

「『木を隠すなら森の中』。

 一なるものは三なるものの中に隠すべし。

 然らばそれは裏に隠されし真となる。

 かつての時代に刕惢などという名を見たなら、僕はまず忍であることを疑っていましたね」

 

「はー、なるほどね」

 

「ですが現代でそういうモノである、ということもないでしょう。

 古くからある家系か、親に相応の学が備わっていたかだと思います。

 刃が三つの漢字は存在しないからと、同義の刀が三つの漢字をあてているのもそつがない」

 

 刕惢の名前が『認』と同時に、『忍』であるのなら。

 刕惢は『刃を捨てる』ことで、『心』で世界を救ったと言える。

 刃をもって戦わねば彼はその名を体現できないだろうが、彼がそれを決断しきれない人間だからこそ、ここまで優しい世界を維持できたとも考えられるだろう。

 

 忍たる小太郎に説明されてようやく、立香は小太郎が刕惢の名前に引っかかりを覚えた理由を理解した。

 心のみの忍に近い、刕の無い惢。ゆえに、この世界が出来た。

 

「親は『この子を認めてあげて』と祈りを込めた。

 それが宇宙に認められない剪定事象の最後のマスターとなるとは、なんたる皮肉。

 マスター。

 同情は要りません。

 それはあなたの刃を曇らせます。しかし……

 この世界を介錯してやる時は、せめて痛みも苦しみもなく、どうか一瞬で終わらせましょう」

 

 だからきっと、風魔小太郎のその言葉に悪意はない。

 

 救われぬ者にトドメを刺して救ってやろうとすることもまた、優しさゆえに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 約束の開戦まで、あと13時間ほど。

 立香とマシュは一つ確認するために、再度刕惢達の改造カルデア拠点に赴いていた。

 応接間でマシュは落ち着かない様子で、立香は背もたれにゆったり体を預けている。

 

 マシュは戦いを前にして、感覚が鋭敏に研ぎ澄まされていくのを感じている。

 立香は戦いを前にして、重圧で感覚がだんだん麻痺していくのを感じていた。

 

「……なんだか、落ち着きませんね。先輩」

 

「そう?」

 

「先輩は落ち着きすぎです。開戦前の敵地ですよ」

 

「そうかなぁ。でも、確認しておかないといけないことがあるから」

 

「気を付けていきましょう、先輩。

 あのホームズさんが、謎解きのためだけに一番前に出て来ているんです。

 この世界には分からないことが多すぎます。

 何気ない所に存在する何かの意味を見落とさないように気を付けましょう」

 

「ん、そだね。そこはマシュが正しいと思う。気を引き締めて行こう」

 

 プレッシャーがよりのしかかっているのは立香なのに、気を引き締めるよう促しているのはマシュで、なのに会話を通していい感じに両方のメンタルが調整されるのは、この二人が名コンビである証だ。

 立香はフラットに近付いた精神状態で、応接間の隅っこにある不思議な箱を見つける。

 

「あれ? これなんだろう」

 

 いくつか並んでいる箱の中で一つだけ、記号が書かれた箱があった。

 箱の中には袋が入っているが、中身は空っぽだ。

 記号は二つ。『Δi』。

 子供の落書きのような殴り書きで、立香もマシュもそこに秘められた意味が分からない。

 

「おそらくスラングの一種だと思いますが……」

 

「三角形とアイ?」

 

「デルタとアイかもしれません」

 

「愛があるってことかな?」

 

「右から左に読んで『あいさんかっけー!』とか……?」

 

「わっ、いいねマシュ。流石メガネかけてるだけある」

 

「メガネは知性の証明ではないですけど……? ふふっ、私、推理小説が好きですから」

 

 ああだこうだと話しても、どうにもしっくりこない。

 ただの落書きだ、暗号だ、文字の意味を持たない目印だ、と刕惢を待つ間立香とマシュはやんややんやと語り出す。

 その二人の会話に割り込むように、突如小さな少女が現れる。

 

「それ、おかあさん(マスター)が学校で一番の友達と作った言葉だよ。箱はゴミ箱」

 

「「 !? 」」

 

 "アサシンの気配遮断だ"とマシュが気付いたその時には、発見不可能なほどに気配を消し去った小さな白髪の少女が、マシュと立香の後ろに立っていた。

 二人はこのアサシンの名を知っている。

 今、もしこの少女に殺意があったなら、自分達が殺されていたことを痛感している。

 

「マシュ、お客様?」

 

「ジャックさ……いえ、異聞帯のジャック・ザ・リッパー?」

 

 其は恐るべき殺人鬼、ジャック・ザ・リッパー。

 世界で最も有名な殺人鬼。

 幼い少女の形をした殺戮の形。

 マシュは異聞帯のジャック・ザ・リッパーが自分に無垢な笑顔を向けてくる理由が分からなかったが、すぐに彼女が勘違いしているということに気付いた。

 

「マシュ……?」

 

「……いえ、違います。

 私はマシュ。マシュ・キリエライトで間違いありません。

 ですがあなたの知るマシュではないのです。ごめんなさい」

 

「? ? よくわかんないや。おかあさん(マスター)に後で聞くね」

 

「はい。そうしてください。それと、この記号が言葉だということですが……」

 

「うーんとね、おかあさん(マスター)には大事な友達がいたんだ。

 そのお友達と一緒に作ったんだって。

 さんすー? すーがく? それで、こういう言葉を作ったんだって」

 

 ジャックの言葉を聞いて、専門的な知識で教育されているマシュはピンと来た。

 

「なるほど。分かりました、先輩」

 

「え、マシュ分かったの?」

 

「はい。ここまでヒントをいただければ可能でした」

 

 マシュは箱の表面の『Δi』を指で指し示す。

 

「数学の世界には、特定の概念をアルファベットで表し組み込むことがあります」

 

「円周率のπとか?」

 

「はい。Δとiも非常によく使われるアルファベットです。

 iは虚数。虚数空間の定義に使われる概念。

 Δは微小量。大源(マナ)に対する小源(オド)の計算などに使われます」

 

「なるほど……?」

 

「ですが、虚数にはスラングとしての使い方があります。

 虚数が生み出されたのは16世紀。

 しかし当時、0、マイナス、虚数は無価値とされていました。

 使い方が分からなかったのです。

 想像上の数(nombre imaginaire)と呼ばれた虚数は、()()()を示すスラングになったのです」

 

 かつて、この世界を悪の徒が訪れた。

 名を、リンボ。

 アルターエゴ・リンボと言う。

 曰く、平安の悪意より生まれた美しき肉食獣。

 リンボは多大なる悪意をもって、この世界に自分が使わんとした『亜種空想樹の試作品』を提供し、この世界を特異点にして異聞帯である世界になるよう仕向けた。

 

 元より剪定事象となる運命の世界だ。

 刕惢は平安の男がリンボと名乗っていることすら知らないが、感謝している。

 胡散臭いとは思っているものの、リンボと会えば心の底からの感謝とお礼をするだろう。

 そんな刕惢の世界に対し、アルターエゴ・リンボは一つの名前を付けた。

 

「じゃあマシュ、Δiっていうのは……」

 

「Δiが示す意味は一つ」

 

 リンボが付けたこの世界の名は、『特異点Δi』。

 

 森晶刕惢の大切な友との思い出を勝手に使い、勝手に付けた世界の異名。

 

 

 

「『価値のない微小なゴミ』という意味になるということです。先輩」

 

 

 

 その名前は。

 

 あまりにも残酷で。

 

 あまりにも悪意的で。

 

 あまりにも的確だった。

 

 

 


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