Lostbelt No.■ 無価値幸福論 ブロークンファンタズム 特異点Δi   作:ルシエド

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 刕惢はほどなくしてやってきた。

 一見して変なところはない、いつもの黒髪の少年であったが、見る人が見れば服の下にじっとりと浮かんだ汗に気付いていただろう。

 息を整えてはいたが、「待たせたらいけない」と走ってやってきたようだ。

 

 その斜め後ろ左右に、二人の少女が居た。

 ジャックが色素の抜けた死体のような白髪なら、その二人は陽光に照らされた雪のような銀色の髪の少女達であった。

 

「や、いらっしゃい。立香。マシュ。

 立場上絶妙に歓迎はできないんだけど一番高いお茶と茶菓子は出すよ」

 

「ようこそいらっしゃいました!」

「ようこそいらっしゃいました!」

 

 立香とマシュは驚くとまではいかないが、二人の銀髪の少女に目を丸くしていた。

 その二人の少女の名はジャンヌ・ダルク・オルタ・サンタ・リリィ。

 カルデアで最も長い名前を持ち、最も多くのカルデア職員の舌を噛ませた少女である。

 

 救国の聖女ジャンヌ・ダルクに対し、『そうあって欲しい』とある男が妄想を押し付けた虚構の想像存在がジャンヌ・ダルク・オルタであり、それがサンタになろうとして失敗し、子供(リリィ)になってしまった。

 それが独立存在として、ジャンヌともジャンヌオルタとも別個の存在して確立した、ランサーのサーヴァント。それがこの少女である。

 世界で最も有名な聖女、ジャンヌダルクのマイナーチェンジのマイナーチェンジだ。

 

 そこまで奇天烈な存在のため、同じ姿のジャンヌ・ダルク・オルタ・サンタ・リリィが二人揃って立っているという事態が、あまり見慣れないものになっていた。

 少女二人は刕惢の手を左右から握って、にこにこと無邪気に笑っている。

 

「ジャンヌ・ダルク・オルタ・サンタ・リリィが二人いる……?」

 

「本物のジャンヌ・ダルク・オルタ・サンタ・リリィはこっちの子だよ」

 

「おふたりともなんでそんな早口言葉じみた速さですらすら言えるんですか?」

 

 わざわざフルネームを言う刕惢と立香に、マシュが冷静に突っ込んだ。

 

「片方はナーサリー・ライムだよ。立香なら分かるだろ?」

 

「あ、あー、なるほど」

 

「私が私です!」

「私が私です」

 

「私にはわからないです……」

 

 ジャンヌ・ダルク・オルタ・サンタ・リリィなのは片方だけ。

 もう片方はその姿を真似しただけの、別種のサーヴァントだ。

 

 『誰かの為の物語(ナーサリー・ライム)』。

 彼女は実在した絵本という幻想と、それに向けられた人の思念が成立させたもの。

 世界中の子供達に愛された絵本や物語が一つの総称で一つの存在と化し、イギリスの童歌という殻を被って顕現した存在だ。

 

 その実体は人の姿を持たず、子供の姿を真似た姿で召喚される、歩いて笑う一つの世界。

 エミヤが自分の心を固有結界として世界を塗り潰すサーヴァントならば、ナーサリー・ライムは他人の心を自分に写し取る固有結界であるサーヴァントである。

 今は、ジャンヌ・ダルク・オルタ・サンタ・リリィを模しているようだ。

 だから、同じ幼い少女が二人居るように見えている。

 

「だからジャンヌ・ダルク・オルタ・サンタ・リリィ・ナーサリー・ライムだな」

 

「ジャンヌ・ダルク・オルタ・サンタ・リリィ・ナーサリー・ライム!」

 

「長い! おふたりともなんでそんな早口言葉じみた速さですらすら言えるんですか!?」

 

 この二人の間でだけ通じるノリというものがあって、マシュはついていける気がしなかった。

 

 立香はくすくす笑っている自分に無自覚だった。

 

「お兄さん、ジャックさんをお借りしますね」

 

「お借りされるねー」

 

「ああ、どうぞ」

 

 リリィから刕惢への"お兄さん"という呼称に、立香は首をかしげた。

 汎人類史のリリィが立香に対し使っている呼称と違っていたからだ。

 

「それにしても、ジャンヌ・ダルク・オルタ・サンタ・リリィに、お兄さん?

 って呼ばれてるの変な感じするね。私はトナカイさんって呼ばれてたけど……」

 

「俺はジャンヌ姉さんの弟だから、リリィの兄ってだけのことだから」

 

「私この幻覚にめっちゃ見覚えある」

「奇遇ですね先輩、私もあります」

 

 そこで、ドアが開きっぱなしの応接間の前を、金髪の美女が通り掛かる。

 半ば反射的に、刕惢とリリィはその女性に好意的な声を投げかけていた。

 

「あ、ジャンヌ姉さん。おかえり」

「ジャンヌお姉さん!」

 

「あら、お客さんですか。ごゆっくり」

 

「私この幻覚にめっちゃ見覚えある!!!」

「私もあります先輩!!!」

 

 金髪の聖女が口元に手をあてて微笑みどこかへ行くのを見送り、立香とマシュはたいそうびっくりして、その背中を見送った。

 そして、何らかの残滓がちょっと残っている刕惢とリリィを見る。

 マシュが苦笑して、立香が口元を抑える。

 

「私こういうのに弱いからなんか思いっきり笑っちゃいそう」

 

「別に笑うなとか」

 

「……。あはは、あは、は……ちょっとね」

 

 そして、立香の笑顔が突然に不格好になる。

 何気なく笑い合う気安い会話の途中に、罪悪感で喉が詰まった。

 

 ふと、思ってしまったのだ。『ダメだ』と。

 そして、「面白くて楽しいところだね、ここ」と言いそうになった。

 立香はそうして、心の底から笑いそうになってしまった。

 

 立香は思う。

 笑ってしまっていいのだろうか。

 この世界を肯定して。彼と笑い合って。

 彼に好かれて、いいのだろうか?

 そうして、もっとこの世界の後押しを得ていいのだろうか?

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()という、邪悪にまで堕ちていいのか?

 

 彼と笑い合うのは簡単だ。

 彼に好かれるのもおそらく簡単だ。

 なにせこんな世界を作り上げた男である。

 大抵の人間の大抵の行動は好感度を稼ぐことになるだろう。

 それに加えて立香は同じ七つの異聞帯の旅路を駆け抜けた共感者だ。

 刕惢にもっと好かれて、もっと簡単にこの世界を殺すことは容易だろう。

 

 その事実を認識していることが、立香の自己嫌悪に繋がっていた。

 そういう思考を持ててしまう自分に、立香はおぞましさを感じる。

 

 刕惢と話し込んで、かつての自分を思い出したばかりの立香には分かってしまうのだ。

 かつての自分は、きっとそんなこと想像もしなかったということが。

 

 ここまでの会話の繰り返しで、立香は自覚を持てている。

 

 この世界の人達は皆優しく、特に刕惢と居る時の会話が、立香は楽しくて仕方なかった。

 久しぶりに昔の自分に戻った気分で大笑いできそうだった。

 笑っていると、立香の笑顔をとても優しい表情で見ている刕惢が見えた。

 刕惢は皆が笑える世界を作った人で、笑っている人が好きで、だから笑っている人も好きで、笑っている立香を好きになり、その分だけ死に近付く。

 だから立香は、自然に浮かべそうになった笑顔を止める。

 

 ―――そうして、つい自然な笑顔の浮かべ方を忘れそうになる。

 

 立香の言葉には、常にごく当たり前の優しさがある。

 褒め言葉は多く、共感の言葉があり、他人の気持ちを慮りながら話しているため、他人の神経を逆撫ですることもあまりない。

 刕惢と話している時、その優しさがどれだけ刕惢の救いになったことか。

 彼の心に立香の優しさを染み渡らせる度、彼は立香に心を許し、この世界は汎人類史に有利な特性を付与するだろう。

 だから立香は、つい優しくしようとしてしまった時、自分を抑える。

 

 ―――そうして、つい他人に優しくする方法を忘れそうになる。

 

 立香がこれまで何気なく振る舞ってきた笑顔が、優しさが、気遣いが、そのまま他人の余命を削り取る刃になっている。

 だから立香は、それらを何も考えずに振る舞えなくなった。

 優しい他人をナイフで切り刻むこともできない少女に、そんなことができるはずがない。

 

 刕惢は微笑んでいる。

 出会って一日の相手でしかないのに、立香を十年来の友のように扱っている。

 おそらく、きっと。

 今、立香がナイフでも突き出せば。

 きっと彼は避けられない。おそらく、そんな想像もしていないから。

 立香は違う。

 今日まで裏切り、騙し討ち、奸計、様々な仕打ちを受けて経験を積んできた立香は、疑いようもなく素晴らしき善人であるが、それでもここまで無防備に胸襟を開けない。

 

 もっと微笑みかければ、もっと優しくすれば、おそらく労せずこの世界は消せるのだろう。

 そんな誘惑に揺れる自分の心を、立香は強く戒めた。

 善人の証明は、聖人のような心を持つことではなく、誘惑に必死に負けない心に宿る。

 

 溶かした鉛を流し込んだような感覚になっている喉を、立香は必死に動かした。

 

「あのさ」

 

 話題を変えようとした。

 楽しい話をしようとした。

 中身の無い話をしようとした。

 思い出話でもしようとした。

 けれど立香が"それでもっと好かれたら?"と思えば、唇が止まる。

 "それも殺すための言葉になるのではないのか?"と思えば、舌は動かない。

 そして結局、何も言えなかった。

 

 立香はいくつもの異聞帯の滅びと死別を、既に何度も繰り返している。

 自分の世界の存続のために他の世界を犠牲にする旅路を自らの意志で続けている。

 けれど、それでも。

 

 笑顔や優しさで他人をたぶらかし、他人から自分に向けられる好意を利用して、その好意に泥をかける形で勝つことなど、まっぴらごめんだった。

 なのに、立香がそれを望んでいないのに――誰も望んでいないのに――、そうなってしまう。

 望んでいないのに自分の優しさを裏切り、彼の好意を踏み躙ってしまう。

 

 最後の最後に「あの優しさは俺を利用するためだったのか?」なんて言われたら、立香は自分の心にヒビが入らない自信がない。

 楽しかった会話の時間を嘘にしてしまう苦痛は、きっと心に深く刺さるから。

 

 好かれることが裏切りの罪になるという、最悪の構造。

 多くのサーヴァントに好ましく思われる善良な立香は、ごく当たり前に好かれやすい。

 好かれやすいということは、裏切りの威力が強まるということだ。

 

 かといって、刕惢に打ち明けたらどうなるか。

 現在、立香の戦力拡充はほとんどこの世界の特性に依っている。

 仮にそれが打ち止めになれば、現在揃えられた戦力も軒並み消失してしまうだろう。

 ならば、それは汎人類史への裏切りになると言っても過言ではない。

 現在見えている勝利への道筋を半ば放棄するような選択になるからだ。

 

 選択肢は二つ。

 どちらを選んでも、苦しみからは逃れられない。

 生まれて初めて、立香は『好かれていることに罪悪感を覚えていた』。

 

 胸の奥で、心臓を炎で炙られているような地獄の苦しみが、大きくなっていく。

 

「立香、どうした?」

 

「ううん、なんでもない。本題に入っていいかな、刕惢」

 

「ああ」

 

 今と比べれば以前は、何も考えなくてよかった。

 特異点を巡って人理を修復していた頃は、現地の人間と何気なく言葉を交わしていた。

 亜種特異点を走り回っていた頃は、気兼ねなく皆と仲良くできていた。

 けれど、今はただ仲良くすることすら、罪悪感と躊躇がある。

 

 藤丸立香がごく自然に発した言葉を、好きになってくれる人がいる。

 ありのままの彼女を好きになってくれる人がいる。

 何も考えないで振る舞って、それだけで好きになってくれる人がいる。

 

 それが嬉しい。

 それが苦しい。

 それが地獄だ。

 

 ありのままの自分を好きになってくれる刕惢が好ましくて、彼がこれ以上自分を好きになることが嬉しくて嫌で、ありのままの自分を見せるのを必死に抑える。

 立香は懸命に表情を取り繕って、自分でない自分になろうとした。

 効果はきっと、大してない。

 

「本題……ああ、昨晩戦闘があった件か」

 

「そう、それ。それなんだけど。

 私の召喚したエミヤが二人消えてるの。

 いつも個人行動してる二人だからそれはいいんだけど……

 ほら、私達の場合、異聞帯で使うサーヴァントの状態ってまちまちじゃない?」

 

「そうだな。

 一時召喚しか使えなかったり。

 一時召喚も使えなかったり。

 サーヴァントが同行できたりできなかったり。

 倒されたサーヴァントが座に帰ったり、カルデアに帰ったり」

 

「うん。この世界の状態だと、倒されたサーヴァントは戻るだけ。

 倒されても座に帰ったりするわけじゃないから別の個体になるわけじゃない。

 だからすぐ召喚して事情聞こうとしたんだけどね?

 なんだかよくわからないんだけど霊基の治りが遅くて呼べないって言われちゃった」

 

「こっちもそうだ。

 エミヤが再召喚できてないから何があったか分からない。

 戦ったことは確かなんだろうが。

 えー、実はそれに関して、こちら側のキャスターが調べてて、分かったことがあって」

 

「何か分かったの?」

 

「この世界の……ええと、アレなアレ。

 ごめん、説明できねえ。

 アレとしか言えないけど、こう、雰囲気で分かってくれ……」

 

「いやうんいいよ、そういうの話せない事情はちゃんと分かってるから」

 

 立香の隣で、黙って話を聞いていたマシュが、密かに含み笑いをする微かな音が聞こえた。

 

「アレがアレでな。霊基にあれで。

 つまりそのムーンセルの……クソ!

 笑い話にできない嘘は苦手なんだ!

 ええいとにかく、しばらく倒されたサーヴァントは影響を受ける! こっちもそっちも!」

 

「つまり?」

 

「つまり今回の聖杯戦争において、敗退したサーヴァントは再召喚されない」

 

「!」

 

「敗退した後は、どちらかの世界が滅びるまで、何もできないってことになる」

 

「……そうなんだ」

 

「これは予想外だった。

 今の世界のシステム完成させてから、倒されたサーヴァントなんていなかったから」

 

 刕惢は四苦八苦しながら、とにかく正確に伝えようとする。

 加えて、不手際と予想外のことが起こったことに頭を下げた。

 

「いやすまない。

 俺こういうの始めてなんだ。

 やったことないんで運営の不手際、重ねてお詫びする」

 

「そんなサバフェスの合同誌の初主催者みたいな」

 

「大丈夫か? 初めて訪れる世界に慣れなくて衣食住で辛い思いとかしてないか?」

 

「大丈夫だから、なんでこんな聖杯戦争開始前に相手の心配してるの」

 

「いや、心配は……してないぞ。やらなきゃならないからやる。お前が教えてくれたことだ」

 

 練習してきたのだろうか。

 昨日よりは敵らしく振る舞えている刕惢の拙い縁起に、立花の口角が動く。

 『嘘ばっかり』、と立香は思った。

 自分がその時微笑んでいたことに、立香は自覚がない。

 

「でもよかった。異星の神のリンボが裏で何かしてたのかと思ってたから」

 

「……異星の神のリンボ?」

 

「リンボは……うん。話しておいた方がいいかな。ちょっと前に……」

 

 立香は一人の男について語ろうとする。

 

 なのだが、そこで。

 

「ちょっとれーちゃん! また私の部屋勝手に掃除したでしょ!」

 

「あっ」

 

「勝手に部屋に入らないでって言ったよね!? (わたし)世界(へや)は聖域だよ!?」

 

 もう一人、部屋に殴り込んできた。

 

 

 

 

 

 立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花。

 その言葉に最も正しく体現できるサーヴァントは彼女だと、刕惢は思っている。

 さらりと流れる綺麗な黒髪、よく整った容姿、異性に緊張感を与えない柔らかな目つきと声、ちょっと頑張って勉強した跡が見える姫らしい上品な所作。

 やや肉感的な体型も合わせて、漫画で非常に人気が出たメインヒロインの和風お姫様をトレースしたような容姿と服装、そして振る舞いを兼ね備えている。

 

 名を『刑部姫(おさかべひめ)』。

 クラスはアサシン。

 日本でも上位層の知名度を持つ化物が、人の形で召喚された者である。

 

 正座のように正しい姿勢を取れば綺麗で。

 ちょっと媚びたような所作を取れば可愛く。

 肩の力を抜いて何気なくぼーっと景色を眺めているだけでも美しい。

 カルデアのサーヴァントの、"和風美人"というカテゴリの中では、汎的感覚における『美人』の正解の一つとすら言えるだろう。

 

 ただ、刕惢からの認識は、あくまで"体現できる"止まりであった。

 

「部屋にはね?

 見られたくないものがあるの。分かる?

 いや、あのね、そんな大したものはないけどね?

 本当は見られても平気なものしか置いてませんけど?

 見られて困るものなんて乙女だからないし?

 でも踏み込まれたらプライバシー侵害じゃない?

 それなら気を使ってくれてもいいんじゃない?

 いや、見られて困るものはないけど、そこはこう気を使ってね?」

 

 なのになんでこんなにお笑い芸人みたいな振る舞いしかできないんだろう、と刕惢は思った。

 「おさかべー」「あそぼー」と群がってくるジャック達をちぎっては投げちぎっては投げ、刑部姫はマスターたる刕惢の襟元を掴んで力いっぱい揺らす。

 顔がほんのり赤かった。

 ほんのり赤いに留まっているあたり、"見られて困るもの"は見つからなかったようだ。

 

 刕惢はできる限り優しい声を作って、刑部姫に微笑みかけた。

 

「おっきーさ、最近のおっきーの部屋で、ゴキブリが繁殖してる疑惑があるんだよね」

 

 さあっと、刑部姫の顔色が悪くなり、目線が横に泳いだ。

 立香とマシュが席を立ち、刑部姫の反対側の部屋の端に無言で移動した。

 ジャックと二人のリリィは、刑部姫の服からゴキブリが出て来る可能性に身構えた。

 

「ち、違うの!

 世界が平和になったから!

 あー楽になったなーって!

 もう酷使されないなーって!

 そういう気の緩み? そうそう油断!

 そういうのがね? 部屋を荒れさせてね?

 でも違うの! 確かに先週ゴキブリ見たけどまだ疑惑止まりだから!」

 

「ま、他のゴキブリ居なかったしね、おっきーの部屋。見つけても森に逃してたけど」

 

「い……嫌っ……ゴキブリの幸せまで願わないでっ……殺してくださいっ……!」

 

「あのね。ゴキブリだって生きてるんだよ? 人を殺すわけでもないんだし……」

 

「その慈悲をゴキブリに向けないでー!

 人だけに向けてー!

 できれば(わたし)にだけ向けてー!」

 

「また今度ね。なので俺が掃除しました。だからこまめに掃除しなさいって言ったのに」

 

「母親か!

 (わたし)に分かりやすい配置で置かれてたんですー!

 あーあ、片付けられちゃってどこに何があるか分からなくなっちゃったー」

 

「ああ、ごめんね。でも毎日言ってるのにおっきーが掃除しなかったからね」

 

「母親か!

 やる気はあったんですー!

 はー、れーちゃんにそう言われるたびにやる気なくなっちゃうんだよなー、あったのになー」

 

「ごめんね。じゃあ今晩のご飯、何か一品お詫びにおっきーの食べたいもの作ろうか」

 

「なんでもいいよ」

 

「こらおっきー! そういうのが一番困るからやめなさいって言ったろ!」

 

「母親か! 本当になんでもいいから!

 そういうこと話してるべき世界の情勢じゃないでしょ!

 世界! 戦争! 汎人類史! 異聞帯!

 なんでいつも通りの近くに居るだけで幸せになれそうなれーちゃんなの!?

 第一、れーちゃんが作るんなら(わたし)本当になんでもいいし……いいし……」

 

 めっちゃ甘やかすじゃん……と、立香は思った。

 

「先輩、気付きましたか?」

 

「刑部姫の耳?」

 

「ですね。狐の耳があります?」

 

 ぴょこぴょこ動く刑部姫の頭部の狐耳を見て、立香とマシュはひそひそ話す。

 

「霊基パターンはほぼ同じ。私達が知っている汎人類史の刑部姫さんと同じです」

 

「じゃあコスプレで耳付けてるだけ?」

 

「刑部姫さんは元々変幻自在の大化生です。

 私達が知るのは蝙蝠の彼女でしたが、狐の伝承が主流でした。

 霊基パターンに変化が無いなら……ホームズさんに相談すべきかと」

 

 ひそひそ話す立香とマシュに、ずんずんとイキり刑部姫が歩み寄ってくる。

 

「ちょっと、そこのちょっと可愛い娘御達?

 (わたし)をコスプレって言った?

 ちくしょう近い! あってもなくても同じだし!

 でもねでもね、これには……あれ。あ、あの。

 その右手にある真っ赤な紋章もコスプレでしょうか……?」

 

「令呪だよ。カルデアの」

 

「……汎人類史の、マスター?」

 

「はい、汎人類史のマスターです」

 

 イキりが死んだ。

 刑部姫は全世界のゴキブリが憧れの目線を向けるような動きで、カサカサと凄まじい速さで床の上を駆け、刕惢の後ろに回り込んだ。

 そして刕惢を盾にするようにガッチリ抱きしめ、そこから声を張り上げる。

 

「帰れ! 帰れ! ここは(わたし)たちの世界、侵略者はお呼びでないのよ!」

 

「俺を盾にしてなければ凄くカッコよかったと思う」

 

「え、そう? 今からやったら(わたし)のこと好きになったりする?」

 

「今も好きだよ。多分期待されてる好きじゃないだろうけど」

 

「ぐえー、いけず……」

 

「敵同士だから無礼を謝らなくていいけど、気を付けてねおっきー。

 敵だからって失礼なことしてもいいわけじゃないから。

 自分がされたら嫌なことは敵にもするんじゃないぞ、おっきー。分かる?」

 

「いや自分がされたら嫌なことを相手にするのが戦争の常識でしょれーちゃん正気?」

 

「いや……まあ……それはそうなんだけど……俺はそのへん別に……」

 

「おのれ汎人類史……! 残酷に綺麗に殺してあげる! (わたし)の仲間がね!」

 

「自分で来ないんだ……」

「自分で来ないんですか……」

 

 刑部姫は、日本を代表する『城化物』。

 すなわち、城から出ない。

 城の中ではほぼ無敵。

 そして伝承のほとんどが城の中に集中する、『城という一つの独立した世界』の支配者だ。

 

 外に害を及ぼすことなく、狭い自分の世界を守る。

 自分のためだけの理想郷の中ならば無敵。

 自分の世界の外側に興味はないが、外の世界から踏み込んできた敵は許さない。

 刑部姫の世界に踏み込み、刑部姫に許されなかった命は、息絶える。

 

 伝承にそう語られるがゆえに、サーヴァントの彼女は根幹からそういう存在として成立する。

 

 サーヴァントのほとんどは外向きだ。

 冒険、侵略、探索、開拓。

 外へと向く強いエネルギーが、その存在を英霊たらしめる事が多い。

 対し刑部姫は外向き(アウトドア)ではない、珍しい内向き(インドア)のサーヴァントである。

 彼女は閉じた世界の内側でのみ、己の伝承を紡ぎ上げる大化生。

 

 外界から来て自分の世界を踏み荒らすよそ者を、刑部姫は決して許さない。

 

 ただ今は、ちょっと情けなくてちょっと臆病なヘタレ超美人でしかなかった。

 

「今、異星の神のリンボの話をしてたところなんだ。ちょっと部屋の隅っこで黙ってて」

 

「れーちゃん酷い! グレてやる! ……ん? 異星の神のリンボ?」

 

「一回話が中断しちゃったけど、順を追って説明するね。

 マシュ、必要なら補足お願い。

 異星の神が従える三騎の使徒。その中でもアルターエゴ・リンボは……」

 

 立香は順を追って話し始めた。

 

 アルターエゴ・リンボが、異星からの侵略者、異星の神の手先となっていたこと。

 そして数々の悪意ある陰謀を仕掛けて来たこと。

 リンボは神の目的を助けるだけでなく、自分の目的のためにも動いていたこと。

 数え切れないほどの人達がリンボのせいで死に、あるいは不幸になったこと。

 その正体が芦屋道満の悪性より生まれたもう一人の自分(アルターエゴ)だったこと。

 

 聞けば聞くほど気分が悪くなるような話ばかりであった。

 アルターエゴ・リンボなるものは悪辣で、邪悪で、醜悪な精神面を持ち、それによって他人を次々と不幸にしていったという。

 他人にとっての価値あるものが滅びる時、リンボは至高の歓喜を覚えていたとか。

 

 リンボの企みは、空想樹という、異聞帯を汎人類史に定着させるものを使ったもの。

 この世界には平安の男が訪れ、それがもたらされたという。

 この世界はリンボの陰謀に巻き込まれているのだと、立香は主張していた。

 

 それを聞き、刑部姫は納得した様子で椅子に座る刕惢の肩をぽんぽん叩いていた。

 

「はっはーん、読めたね。やっぱりそういうことだったんだ」

 

「おっきー?」

 

「いくらなんでもさー、ちょっと悪意的だとは思ったんだよね。

 自然にここまで残酷なことある? みたいな。

 いやだって、ここまでどうにもならないことなくない?

 でも納得。これは状況打開不可能に見せかけた、どっかの誰かの計画だったわけ」

 

 刑部姫は得意げに語る。

 

「れーちゃんがそいつぶっ飛ばせば万事解決! 多分!

 諦めなければなんとなる気がしてきた!

 今までだってボス倒せばとりあえずいい感じにはなってたし!

 黒幕って言うなら、そいつを捕まえたら今後の解決策を吐かせることだって……」

 

 藤丸立香は困ったように曖昧に笑みを作って、"そうだったらよかったのにね"と思う。

 

 刑部姫の希望を砕く言葉を口にするにあたり、舌がとても重く感じられていた。

 

「ううん、違うよ」

 

「え、違う?」

 

「あってるのは悪意的って部分だけ。

 うん、この状況はリンボによって作られたのは間違いないと思う。

 でもね、剪定と編纂は宇宙のシステムなんだって。

 リンボは宇宙の形に沿って陰謀の仕込みを置いていっただけ。だって……」

 

 始まりは人の悪意でも、今はもう止められない世界の摂理。

 そういうものがあることを、藤丸立香は知っている。

 

「全ての黒幕だったアルターエゴ・リンボはもういない。平安京で私達が倒してる」

 

「―――へ?」

 

「言いたくない、けど。

 これはもうどうにもならないんだよ。

 倒せば全てが解決するラスボスはいない。

 異星の神も、リンボも、ただ強いだけ。倒したら終わり。

 でも、私達が戦うのは……それとは関係のない、宇宙の決まりごとなんだって」

 

 ふぅ、と立香は深いため息を吐く。

 誰よりも近くに、自分の右隣にマシュが居てくれることが、ささやかな心の救いだった。

 

「酷い話だよね」

 

 万感の思いがこもった、藤丸立香の不屈と絶望が混じり合った一言だった。

 

「私達はリンボと戦ってきた。

 だから分かるんだ。

 あいつがここで何を企んでいたか。

 多分あいつは、平安京と同じことをしようとしてた。

 私達は平安京で仲間だったサーヴァントと戦わされた。

 リンボが、私達の苦しむ顔を見るために。

 この世界と同じように、平安京でも異星のものじゃない空想樹があった。

 リンボはそれで大きな力を作って、それを最終的に自分のものにしようとしてた」

 

 ここは、立香らが戦った平安京のプロトタイプか、あるいはその先だったのだろう。

 基本構造だけを見れば、カルデアのマスターに仲が良かった仲間をぶつけて殺し合わせ、異星の神が関わらない空想樹を育てさせたのは、平安京であったという戦いそのものだ。

 

 ただし中身は極めて悪意的で、リンボが自分の最終目標に最初の挑戦を行う予定だったのが平安京なら、立香とカルデアを苦しめることだけに特化したのがこの世界なのだろう。

 この世界は丸ごと一つ、藤丸立香に消えない傷を付けるためだけの異聞帯。

 

 汎人類史に勝てばよし。そのままリンボの大望は躍進する。

 負けても少女に傷を付けるならよし。

 汎人類史のカルデアに揺さぶりをかけられるし、何よりリンボの気分がよくなる。

 この世界は既に滅びたアルターエゴ・リンボにとっては、見ていて楽しい見世物が行われる娯楽小屋としての側面を持っていた。

 負けてもともと、勝ってもよし、その程度の薄い期待。

 

 主役(カルデア)に、Δi(ゴミ)が勝利すると予想する者など居ない。

 

「先輩、補足をします」

 

「うん、お願い」

 

「記録によれば、リンボは平安京の戦いの最後に逃げる予定だったようです。

 あくまで推測になりますが、この世界は逃げる先の候補の一つだったのでは?

 空想樹の亜種がここには育っています。

 おそらくですが、ここでリンボは力を取り戻すという備えがあった。

 この世界を喰らい尽くす予定があったのかもしれません。

 亜種の空想樹が四つあるということは……ここは、一種の食料貯蔵庫だったのでは?」

 

「ああ、そうか。

 一回使うだけなら一本でいいもんな。

 俺達の世界を汎人類史にぶつけなければ、ゆっくり成長するのが四本残る。

 これをパワーソースにもできるし、緊急事態には回復リソースにできるのか」

 

「はい」

 

「……そういうことか。少し、納得できた」

 

 呆然とする刑部姫の内側に、憤りと、困惑と、焦燥と、絶望と、悲嘆が少しずつ満ちていく。

 

「え? じゃあ……何?

 (わたし)達の世界は……

 必要だから、とかじゃなくて。

 求められたから、とかじゃなくて。

 奇跡が重なったから、とかじゃなくて。

 どっかの悪党が避難地にするため?

 あるいは力を取り戻すおやつにするため?

 そのくらいの理由で、虫飼い箱みたいに、ここにあったってことなの?」

 

 悪に利用されるも、最後に悪を討つ物語は汎人類史にのみ許されている。

 リンボという悪役がいて、それを倒せばいい物語は汎人類史にのみ許されている。

 絆を紡ぎ、最後に未来を勝ち取る物語るは汎人類史にのみ許されている。

 

 ここは試用の異聞帯。悪を討つ主役の世界でもなんでもない、美しき肉食獣の喰い残し。

 

 邪悪なるリンボが目をつけなければ、そもそも残る未来が絶対的になかった世界。

 

 汎人類史が地獄の頂点ならば、この世界は悪の餌と言えるだろう。

 

「……悪党が死んで、俺達は悪党が置き忘れていった玩具……か」

 

 刕惢はそう呟いて、苦笑した。

 苦笑の仮面だった。その奥にある感情を隠すための偽装だった。

 刑部姫は名探偵ではない。

 ちょっとしたことから他の者が辿り着いていない真実に辿り着く者ではない。

 

 けれど、己のマスターに関しては、人一倍敏感だった。

 

「あの、刑部姫さん」

 

「帰れ」

 

「え?」

 

「……れーちゃんに、要らないことを聞かせて……!」

 

「!?」

 

 それは八つ当たりに近いものだったが、『汎人類史』というものに対し、この世界の者達が抱いている鬱憤のほんの一部でもあった。

 許すまじ、汎人類史。

 出ていけ、汎人類史。

 消え去れ、汎人類史。

 そういった、この世界に今はひっそりと渦巻き、やがては皆が持つようになる感情の渦。

 それが"刑部姫の特性"と噛み合い、非常に珍しい刑部姫の攻撃性として発露する。

 

 伝承の中で、刑部姫は己の(せかい)に踏み込んだ無礼者を、一瞬にして即死させた。

 

「帰れ、帰れ、帰れ!

 正しいとか間違ってるとか知らない!

 勝手に入ってくるな!

 勝手に踏み荒らしに来るな!

 私の世界(へや)から……出ていけッ!!」

 

 マシュが一瞬にして戦闘態勢に入り、立香を庇うように立つ。

 刑部姫は本来一対一の戦闘に向いたサーヴァントではない。

 だがマシュが一瞬目配せしてもジャックやリリィは援護に動く様子もなく、刑部姫を心配している様子もなかった。

 不可思議な現象が起こり、刑部姫の気配が変わらないまま変わっていく。

 

「この霊基パターンは……!?」

 

 マシュが身構え、刕惢が割って入って止めようとしたその時。

 

 赤い衣服の少女が素早く割り込み、割って入ろうとした刕惢を安全な位置に押し退け、刑部姫の顔面を思い切り殴りつけた。

 

「こんのクソアホ。デブ候補姫。食っちゃ寝してる内に忘れたのか? 今夜0時、だ」

 

「あいだ、あいだだだだだだ……! も、モーちゃん……」

 

「まだ起きてたのか。じゃあもう一発、時計型麻酔銃!」

 

「それただのパンチじゃんぎゃー!?」

 

 モードレッドの時計型麻酔銃が刑部姫の脳天にヒットし、今度こそ刑部姫は眠りの刑部姫へと成り果てた。

 強力なパンチで気絶したとも言う。

 

「手綱ちゃんと握れよレイスイ。

 こういうやつは怒り方を知らねえんだ。

 激怒慣れしてないやつのやらかしはこえーぞ」

 

「完璧に俺の失態だ。悪い、近くで控えててくれたのか」

 

「オレはお前の騎士だからな。さて、こいつは後でどっかに捨てておくとして」

 

 モードレッドは刑部姫を肩に担いで、ちょっとした小話を始めた。

 

「昔さ、くっそくだらねえ国があったんだよな。ブリテンって国がさ」

 

「……モードレッドの故国じゃん」

 

「そうだ、汎人類史のマスター。

 ブリテンは神秘の残る島だった。

 けれど世界は神秘を駆逐していく真っ只中。

 だから世界はブリテンを滅ぼすことにした。

 食糧難。災害。尽きない侵略者。滅びの運命。

 『お前は要らない』って世界が言ってきてたわけだ。ハッ、笑えるだろ?」

 

「……」

 

「ま、オレはそのブリテンを滅びに導いた一人だけどな。

 ……途中までは、そういうブリテンを必死に守ってた。

 世界から否定されたとか知らなかった。オレは父上の治世に力を貸したかっただけだ」

 

 かつてブリテンという国があり、それを収める偉大なる王、アーサー王が居た。

 モードレッドはそのアーサー王の遺伝子から作り出された人造人間であり、アーサー王の子という自認識を持ってはいるが、アーサー王に子として認められてはいない。

 子を認めない親。

 親に認められない子。

 最終的にはその関係と確執が、ブリテンに破滅をもたらしたという。

 

「オレは異聞帯がどうのと聞いて、運命だと思ったぜ。

 オレのブリテンは世界に負けた。

 『お前は要らない』と言われ、父上もその運命に負けた。

 そして今度はこの世界が要らないと来た。

 分かるか?

 ブリテンを要らないって言った世界が、宇宙に要らないって言われたんだとよ!

 こいつはお笑いだ! 笑いすぎて腹の肉が捩れるね! 無様の極みってやつだ」

 

 世界はブリテンを否定し、ブリテンを守ろうとしたアーサー王を否定し、それまでのモードレッドの尽力を否定し、予定通りにブリテンを滅ぼした。

 世界への敵意が無いと言えば、嘘になるだろう。

 

「父上を超える。

 そのために挑戦するべき試練かなんかに見えるくらいだ。

 ブリテンを滅ぼした世界を、更に滅ぼそうとする宇宙。

 『お前は要らない』といくら言われようが、今度こそ滅びてなんかやるもんかよ」

 

「かっこいいぜ、モードレッド。俺の誇りの騎士」

 

「だろ? まあ、任せろ。いつものことだ。お前がオレに任せれば、オレは必ず勝ってくる」

 

 刕惢とモードレッドが、どちらからともなく笑い合う。

 その二人の間に、マシュは強い絆を感じた。

 マシュと立香の間にあるような、長き戦いを共にした戦友にのみある絆。

 

「滅びたら無価値。

 否定はしねえよ。ブリテンをそう言う奴も居る。

 素晴らしいものが無価値に成り果てるってのは最悪に残酷だ。

 じゃあ、オレ達のブリテンはみじめだったのか?

 オレはみじめだったと思うが、そうじゃないと言う奴も居る。

 ……少なくとも、今召喚出来る父上(アルトリア・ペンドラゴン)なら、みじめだなんて言わねえはずだ」

 

 滅びた世界はみじめなのか。

 滅びた国は無価値なのか。

 忘れられたものは消え去るのか。

 宇宙に、世界に、否定された者達の末路は悲惨にしかならないのか。

 

 モードレッドは『これが現実だ。諦めろ』と訳知り顔で行ってくる人間に鍔を吐きかけるタイプの騎士である。

 ゆえに、諦めは心にない。

 

「そういうもんだろ、マスター。

 それと、汎人類史のマスター。

 世界は残酷なのが当たり前だ。

 だけどな。

 一つだけ最高に気に入ってることがある」

 

 モードレッドは獰猛な獣のように笑い、強く握った拳を立香に向け突き出す。

 

「―――勝ったやつが総取りだ。オレは総取りするぜ。くたばれ、汎人類史」

 

 それは、モードレッドなりの宣戦布告。汎人類史への挑戦だった。

 

 汎人類史はいつも不利だった。

 いつも挑戦者だった。

 汎人類史という強力な土台を持ちつつも、敵地で待ち受けられ、常に不利な戦いを強いられた。

 立香はいつも不利であり、弱者であり、挑戦者だった。

 

 それが今、モードレッドという挑戦者に宣戦布告を告げられた。

 

「……私達は、戦うよ。戦わないで投げ出すことだけは、絶対にしない」

 

「ハッ、心の芯が強い女だな! 汎人類史のマスター!

 気に入った! うちの優しさ以外取り柄のないもやしマスターより見込みがあらぁ!」

 

「見込みがなくて悪かったな。ほら、おっきー連れてって」

 

「お、嫉妬したか? 悪いな、お前の騎士は浮気性でな」

 

「浮気なんてしたことのない忠誠があるくせに」

 

「オレの忠誠を疑わない銀河級の大馬鹿野郎がそうそう居てたまるか、バーカ」

 

 そう言って、モードレッドは時計型麻酔銃で眠った刑部姫を抱えていった。

 

「立香」

 

「……ん、なに?」

 

「俺達の世界を玩具にしてた悪党を、君はもう倒してたんだな。カッコいいぜ」

 

「そうなんだよね。いやー、長かったよ」

 

「ありがとうな。頑張って悪党を倒した奴は、褒められるべきだと思う。皆、行こう」

 

 そう言い、刕惢も去っていく。

 ジャックや二人のリリィも去っていく。

 

 立香とマシュは二人部屋に残され、立香はぽつりと呟いた。

 

「……別に。リンボを倒してたって……この世界は……何も……」

 

「……先輩」

 

 表情があんまり取り繕えなくなっていた立香の顔を、立香の両手がパァンと叩く。

 

 気合いが入って、頬が少々赤くなり、立香は平時の自分を取り戻す。

 

「行こう、マシュ。確認したかたったことは確認できた。アルトリア達と話さないと」

 

「はい。行きましょう」

 

 それぞれの人間が居て。

 

 それぞれの考えがあり。

 

 それぞれの願いを掲げて、この聖杯戦争へと臨む。

 

 けれど、最後に残る世界は唯一つ。

 

 皆が口にしたそれぞれの想いの中で、最後に残るものは多くない。

 

 

 


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