メガネのヲタと長髪のヲタに荷物を預けたマヤは、マンションに帰ると、残りの衣装を片付けた。掃除機を使って真空パックに圧縮し、それを平たい段ボールに詰め、自分のベットの下に押し込める。
「さあ、後はお料理の準備をしておくだけね!」
DVDに焼く作業も、同人誌の処分も、衣装の始末も終わった。残りは、明日の歓迎会に備えて、料理を用意するだけだった。
明日は土曜日。
シンジが、ネルフの食堂で朝食を取った後、八時にはマヤのマンションに来る予定だ。
その後は、マヤが周辺を案内しつつ、必需品を買いがてらのデート。昼までにはマンションに戻り、歓迎会をする手はずになっている。
慌てて準備をせずとも済むように、今夜中に料理の下準備をしておきたかった。
エプロンを着けると、マヤは張り切った様子で腕まくりをする。食材をキッチン台の上に並べ、自信満々に包丁を手に取った。
※ ※ ※ ※ ※ ※
ぷるるるるるる……ぷるるるるるるる
携帯電話の音に、眠っていたリツコは目を覚ました。
わずらわしげに、枕元の時計に視線を向ける。既に夜中の二時を回っている。
(こんな夜中に……)
もし、ネルフからの緊急の呼び出しならば、携帯ではなく部屋のブザーが作動するはずだ。
(どうせ、ミサトが酔っ払って掛けてきたんでしょ)
リツコは寝返りを打つと、無視を決め込んだ。だが、携帯が静まると、今度は部屋の固定電話が鳴りだした。
(ミサト……うるさいわよ)
これも無視する。
着信音が静まると、自動的に留守録に変わった。電話のスピーカーから、留守録にメッセージを残そうとする相手の声が聞こえた。
『先輩!先輩!お願いです!電話に出てください!助けて下さい!』
(マヤ……?)
リツコは電話の相手が後輩だと分かると、起き上がった。電話を手に取り、応答する。
「どうしたの、マヤ?」
『先輩、それが……明日、シンジ君を歓迎しなくちゃいけないから……お料理の準備してたんですけど……』
「それで?」
『良く考えたら……私……私、お料理できません!』
受話器の向こうから、マヤのすすり泣く声が聞こえた。
リツコは溜め息を吐くと、もう一度、時刻を確認した。
(ミサトが相手だったら「出前でも頼んだら」で済ますんだけれど……)
しばしの沈黙後、リツコは言った。
「……今から、そっちに行くわ」
※ ※ ※ ※ ※ ※
時計の短い針が真横に
『マヤ!』
「先輩~!」
涙目のマヤが慌ててリツコを迎え入れる。
リツコは、この真夜中にどこで買い込んできたのか、食材を詰め込んだビニール袋を両手に持っていた。そのままズカズカと台所に向う。
台所には、デタラメに切られた野菜と、肉が焦げ付いたフライパン、封を切られたレトルト食品、そして、料理の本がおいてあった。
呆れた様子で、リツコは肩をすくめた。
「あなたが料理できないなんて、意外だったわね……」
「家事は普通にできるんです。でも、お料理はいつも簡単なものしか作ってないものですから……」
「その割には、野菜すらまともに切れてないみたいだけど?」
明日の朝……おそらく、あと四、五時間もすれば、シンジがマヤのマンションに移ってくるはずだ。
可愛い後輩に恥をかかせない為にも、それまでに何とかせねばならない。
「とりあえず、今日の所は私が手伝うから……夜は外食するなりして誤魔化しなさい。明日からは……ネルフの技術局に空いてる食堂があったでしょ?昼の休憩時間を利用して、そこに来なさい。しばらくの間、私が色々仕込んで上げるわ」
「先輩、有難うございます!」
涙目のまま、マヤは、コクコクと
「で、その前に確認するけど、マヤはどの程度までなら出来るのかしら?」
「ええと……」
「『サシスセソ』は?」
「も、もちろん、心得てます!あ、あれですよね……」
リツコは、いぶかしげな目を向けた。
「じゃあ、聞くけどサシスセソの『サ』は?」
「サ、サラダ!」
「……じゃあ、『シ』は?」
「……シーチキン?」
「……『ス』は?」
「ス……?」
マヤは小首を
「ス……鈴木さん?」
「鈴木さんって誰かしら?」
「シェパード飼ってる近所のおじさんです」
「……『セ』」
「セロリ!!」
なぜか、これだけは自信満々に答える。
「……“ソ”は?」
「ソ……ソフトクリーム?」
リツコは額を抑えた。
「じゃあ、マヤ……。煮物をする時は、鍋に、サラダ、シーチキン、鈴木さん、セロリ、ソフトクリームの順番に、ぶち込めばいいのかしら?」
「えっと、その……。サラダやシーチキンは用意できますけど、鈴木さんの方はお願いしてみない事には……」
「……」
なぜ黙り込むのは分からず、マヤは心配げにリツコの顔を覗き込んだ。
「あの、先輩……。鈴木さんに電話してみましょうか?鈴木さんは優しいので、お願いすれば案外……」
リツコから溜息がこぼれた。真夜中に来てみれば、手伝い所のレベルではなかったらしい。
「先輩……。もしかして……セロリ以外、間違ってました?」
さらに深い溜め息を付いたリツコは、かぶりを上げると、
「まあ、サシスセソなんて、ほとんどの料理じゃ関係ないし……」
「取り合えず、出来る事から!その内、あなたでも作れる料理を教えてあげるわ!」
※ ※ ※ ※ ※ ※
リビングの床に陽の帯が広がり、辺りが白みだした頃には、リツコは自分の車のキーを回していた。
後輩と共にシンジを出迎えようかとも思ったが、自分が手伝った事がバレるかも知れない為、止めておいた。
リツコが車に戻った時、それとすれ違う形でシンジはマンションに到着していた。予想よりも来るのが速かったのは、ミサトがシンジを送ってくれたからだ。
リツコはエンジンの始動を感じながら、マンションを見上げた。シンジが鳴らすインターホンに応え、直ぐに扉が開く。
マヤはエプロン姿のまま、シンジを出迎えていた。
(マヤ、今日からアナタが保護者なんだから、しっかりするのよ……)
心の中で声援を送り、リツコはアクセルを踏み掛けたが、親友がサイドガラスをノックする音に気づいた。
「リツコ、お早う~。どうしたのよ、マヤちゃんの手伝い?ご苦労な事ね~」
「アナタの方こそ……最後の保護者の勤め、ご苦労さま」
ミサトは、マンションを見上げた。
「あの二人、上手く行くといいわね……。マヤちゃん、ちょっと頼りないけど大丈夫かしら?」
「大丈夫な訳ないわよ。いろいろ苦労する事になるでしょうね」
「あら、それなのに任せちゃったの?」
「私は、シンジ君の面倒を見る事で、マヤも成長してくれる事を願っているのよ」
エンジニアとしては
だが、少女は、その才能を自分の為には活かそうとしなかった。その能力を上司であるリツコの為に使い、自己解決できる能力を持ちながら「先輩」とリツコを頼る事を好んでいた。
(マヤ……これからアナタは、頼る側ではなく頼られる側になるのよ。どうか、シンジ君を守ってあげる事で、自分の能力が他人を救う事もできるって事に気づいてちょうだい……)
「ミサト、良かったら、これから飲みにでもいかない?」
「ええ、マジで?朝っぱらからリツコに、そんなこと言われるなんて意外だわ」
「行くの行かないの?」
「行くに決まってっしょ!」
ミサトが嬉々として自分の車に戻ると、リツコは再びマンションを見詰め、今度はシンジに心中で告げた。
(シンジ君……歳は離れていても、マヤもアナタと同じ弱さを持った子なの。あの子は、私の後輩として働く事を生き甲斐にしているわ。でも、それ以外には、あの子にはまだ目的も何もないの。時たま、何をすべきなのか分からなくなって
シンジ君、よくマヤの姿を見るのよ。これから先、マヤは自分の弱さに
あなたは、マヤという自分自身を見詰めながら、自分には何が出来るのか、自分は何をすべきなのか……一つ一つ探し、切り開いて行かねばならないわ。どうか頑張って……)
ミサトが
※ ※ ※ ※ ※ ※
シンジを迎え入れたマヤは、昨日、紙の友人たちを退去させた部屋に少年を案内した。
「うわ、広い部屋ですね……」
「ミサトさんの所より?」
「はい、ミサトさんの所は、部屋の数は多かったけど、一つ一つのスペースは小さくて」
「良かった。遠慮なく自由に使ってね」
さっそく、届いていたシンジの荷物……段ボール箱を開けると、マヤは収納を手伝った。
昨日まで、シンジには絶対に見られる訳にはいかない衣装が入っていたクローゼットと小ダンスに、シンジの衣類をしまう。
思ったほど時間は掛からず、一通り荷物の収納と配置は完了した。
「お布団は、予備のものがあるけど……シンジ君は、床とベットどっちで寝るタイプ」
「どっちでも別に……」
「遠慮せずに!」
「ミサトさんの所で、初めて畳の上で寝ましたけど……ベットよりも良く寝れました」
「じゃあ、せめてフローリングの床に敷ける物くらい、私が買って上げないとね」
「あ、お給料なら出てます。自分で……」
断りかけた所で、シンジは言葉を切った。急に、マヤが顔を目の前に突き出してきたからだ。
「だ~め!それはシンジ君の学費と将来の為にね。敷物くらい私が買ってあげる」
マヤの可愛い顔を間近に見たシンジは、少し顔を赤らめて視線をそらした。
「あ、じゃあ……」
シンジは、赤面した顔を
「ミサンさんの所じゃ、お金の管理は任せてたんです。僕はお小遣い制で……」
マヤは通帳を受け取ると、中を確認した。
「私が管理すればいいのね。お小遣いは幾らだったの?」
「五千円です」
通帳には、そこそこの額が振り込まれていたが、お小遣いらしき額が一度引き出された切りだった。
「ミサトさんに色々買ってもらった?」
シンジは、うつむいたまま
「ミサトさんの所に来た時、僕の荷物は段ボール箱二つだけでした」
それ以外は、全てミサトが負担したという事だ。
(ミサトさんも、案外太っ腹ね……)
「分かったわ。こっちでも私が管理します。でも、私、ミサトさんよりは、お給料少ないと思うから、あんまり
マヤは、からかうように言いながら、またシンジに顔を近づけた。
「も、もちろんです。僕の物を買う時は、そこから引き出して下さい。あ、家賃だって、幾らか負担させて下さい」
年上のお姉さんに顔を近づけられただけで赤面する少年。どこまでも
「うん、その内、お願いするかも」
(本当は、ITの特許幾つか持ってる私の方が、ミサトさんよりもはるかに貢げるんだけどね)
マヤの保護者としての最初の項目に『シンジ君の為の貯蓄』が加わった。
マヤが、受け取った通帳と印鑑をしまいに部屋を出て行くと、シンジはその場に座り込んだ。
「ミサトさんは大人っぽい美人だったけど……」
間近に見たマヤの顔。
「マヤさんって……可愛いな」
先日の使徒襲撃の際、瓦礫の中から助け出してくれた時のマヤの手と、そして、傷口をなめてくれた時の感触が一度によみがえった。
シンジは、熱くなった顔をパタパタと手で仰いで冷ました。
シンジの通帳を自分のタンスにしまったマヤは、ふうと溜め息を吐くと、胸を抑えた。なぜか、こっちも顔を赤らめていた。
学生時代は、合コンに誘われても男性とは一言もしゃべれなかった。でも、今では、同僚の日向や青葉と親しく話せる間柄だ。男に対する免疫はあるつもりだった。ましてや相手は少年だ。
(……でも)
心臓がドキドキする。
(……貞本義行先生が、「シンジ君の顔は、ナディアからまつ毛を取っただけ」って言ってたけど)
『サークル ブルー&サン』は、元はナディアの同人サークルだ。マヤは、その頃からのサークルのファンだ。
(マジで、ナディアそっくりじゃない……)
憧れのアニメの美少女・ナディア……それが男の子になって自分のマンションで同居……。
(やばい、やばい……)
少女と少年は、落ち着くまでしばしの時間を有した。