EVA マヤとシンジの愛の劇場   作:風都水都

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グダグダな日々 後編

時計の短針は真下に向いつつあったが、西の山々の尾根が、陽を(いただ)くには、まだ早かった。

地軸の歪みにより、日本の四季は夏の天下だ。陽は登るのは早いが、降りるのは遅い。

山が陽の冠をかぶり、茜色のマントをひるがえして辺りを朱に染めるには、まだ小一時間ほどかかるだろう。

 

少し早めに退社を許されたマヤは、ミサトからもらったプレゼントを懸命(けんめい)に運んでいた。

幸い、モノレールに乗せる事ができた為、駅までは楽だった。だが、”それ”を使った事がなかったマヤは、駅からは延々と押して行かねばならなかった。

 

 

(そろそろ……シンジ君の学校辺りかしら……)

 

交差点の所で立ち止まり、一度汗をぬぐう。信号が青に変わった所で、再び押し始める。

信号を渡り切った所で、マヤは二人乗りの自転車とすれ違った。

 

学生服を来た男の子が自転車をこぎ、同じく制服を着た女の子を後ろに乗せている。

横座りする女の子は、男の子の腰に手を回して寄り添い、うっとりとした様子で、男の子の背中に頬を(あず)けていた。

 

マヤは、その後ろ姿をしばし見送ると、軽い溜息を付き、ポツリとつぶやく。

 

「いいはね若い子は……」

 

自転車のキャリアに横座りし、男の子の背につかまりながら通学……十代の頃に一度は夢見た光景だ。しかし、男性と縁のないまま社会人になってしまったマヤに取って、かつて憧れた世界は、もう(うらや)む事しかできない物へと変わっていた。

 

(まあ、24の女が(うらや)む事じゃないか‥…)

 

マヤは気を取り直すと、再び荷物を押して進みだした。

間もなくシンジの学校に差し掛かり、道路から校庭を見降ろす。

 

(シンジ君、もう帰っちゃってるかしら……)

 

手首を返し、腕時計を見る。時刻は、五時過ぎ。

六時間目まで授業があったとしても、四時には終わっているはずだ。残っているのは部活動に(いそ)しむ子たちくらいだろう。

 

(帰っちゃってるわよね……)

 

進む内に、道路は(ゆる)やかな下りとなり、校庭の高さに近付いた。マヤの視界の端に、校舎の隅で男の子たちがたむろしている姿が映った。

気にも留めずに進もうとするが、ふと、マヤの耳に聞きなれた名前が飛び込んできた。

 

「碇、トウジがお前と話があるんだってよ」

 

(碇?)

 

視界の隅に移っていた男の子たち。焦点を当ててみると、一人の少年の前に、二人の男子が立ちはだかっていた。

二人は見覚えのある顔だった。もう一人の少年は後ろ姿しか見えなかったが、マヤにはそれが誰であるか分かった。

 

 

(シンジ君……?)

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

放課後、シンジは、二人のクラスメイトに呼び出されていた。

以前、シンジに暴力を奮ったクラスメイトであり、使徒シャムシエルと対決した時には、エントリープラグの中に取り込んで保護してあげた二人だ。

 

眼鏡を掛けた方は、相田ケンスケ。

そして、以前はシンジを殴り、今はそのシンジの前で何か言いにくそうに突っ立ているジャージ姿の方は、鈴原トウジだ。

 

クラスメイトの名前をまだ覚えきれていないシンジも、この二人だけは、嫌な思い出と共にしっかりとフルネームを覚えていた。

 

「な、何の用だよ……」

 

頬の痛みを思い出し、シンジは少し後ずさった。

その様子に、ケンスケがトウジの背中を軽く叩く。

 

「ほら、碇が誤解してるよ。トウジ、何かしゃべれよ」

 

トウジは、怯えた様子を見せるシンジを見つめると、

 

「碇!」

 

突然、握りしめていた両こぶしを動かした。

パンっと何かを叩く音が鳴る。

 

「しっ……」

 

校庭の外、フェンスの向こう側で様子を見守っていたマヤは、とっさにシンジの名を叫びそうになったが、直ぐに言葉を飲み込んだ。

パンっという音は、シンジを傷つけるものではなく、ジャージ姿の少年の掌が打ち合った音だった。

 

勢いよく合掌したトウジは、シンジに頭を下げていた。

 

「碇、この前は、二つもどついたりして、すまんかった!」

すかさず、ケンスケも後を取る。

「碇、俺からも謝るよ。俺たち、碇がどんな大変な思いしてるか何にも知らなくて……ごめんな」

 

予想外の展開に、シンジは戸惑った。どう反応してよいのか、分からなかった。

 

「え、え~と……」

 

別に気にしてないからと、月並みな言葉を返すべきか……いや、頬の痛みは忘れていなかった。気にしてないなんて嘘になってしまう。

じゃあ、それはもう水に流して、これからは仲良く……いや、そう簡単に割り切れる自信はなかった。

じゃあ、怒るべきか?……いや、謝っている相手に怒るのも違うだろう。

 

返す言葉に迷うシンジの思いを断ち切るかのように、トウジは、最も単純な解決策を叫んだ。

 

「碇、ワシの事もどついてくれ!」

「え?」

「頼む、せやないとワシの気がすまんのや!」

「そ、そんな事できないよ」

 

躊躇(ちゅうちょ)するシンジに、

「碇。トウジは、こういう恥ずかしい奴なんだ」

ケンスケもいう。

「一発でいいから、殴ってやってくれ。それで、余計なもの引きずらずに、お互いスッキリできるんだから」

 

「でも……」

「はよう、殴ってくれ!覚悟決めとる男を待たせんなや!」

 

そういうと、トウジは少し震えながら目をつむった。本当に、殴られる覚悟らしい。

 

「じゃ、じゃあ……そこまでいうなら……」

 

戸惑いながらも、シンジはトウジの解決策を受け入れる事にした。

足元に落ちていたものを拾い、それで拳を固め、スイングのポーズを取る。

 

両眼をつむっていたトウジは、チラリと片眼を開けた。そして、捨て置けぬものを目撃した。

 

「おいおい、ちょっと待てや、碇!」

「なに?」

「なにやあるか!なに、さりげなく石握っとんねん!」

 

「いや、ボク非力だから、致命傷与えるには、これくらい……」

「なんで、殺しにかかっとんねん!」

 

横で腕組みしながら眺めていたケンスケも、見兼ねてシンジに注意する。

 

「碇、今やらなくったって、どうせ漫画版の方でトウジに留め刺しちゃうんだからさ……あ、じゃあ、今やっても一緒か」

「お前は、黙っとれ!」

 

トウジは、ケンスケに怒鳴ると、

 

「碇、男やったら素手で来い!素手で!」

 

シンジには凶器を捨てるようにうながした。

 

「冗談だよ。冗談」

 

シンジは笑うと、石を後ろに投げ捨てた。背後から「痛っ」という女性の声が聞こえた気がするが、気のせいだろう。

 

「で、本当に……殴っていいの?」

「もちろんじゃ、はよせえ!」

 

(そっか……)

 

シンジは、今度は素手で拳を固めると、眼を閉じた。

これからクラスメイトを殴る……人を殴るなんて初めての経験だ。今までは殴るどころか、喧嘩ができる相手すらいなかった。

 

(今日、この拳で、またボクは一つ変わるんだ……)

 

シンジは意を決すると両眼を開き、トウジを見つめた。

今日、初めて人を殴る。そして、今日、初めて友達ができる。

 

「よっしゃ、こんかい!」

 

友達ってのは、共通の趣味とかを切っ掛けに出来るものだと思っていた。でも、こんな形で始まる友達もいいかもしれない。

気まずい思いをしたまま、時間を掛けて、互いに掛ける言葉を探しながら、相手の顔色をうかがって仲直り……そんな慣れな事をするよりも、“一瞬で済む”、もっと不慣れな事をする方が、ずっといい。

 

少し笑顔になりかけた表情を引き締めると、シンジは、拳を振りかぶった。

 

「やっ!」

 

小さな掛け声とともに、まさに繰り出そうとした時、

 

「待った!」

 

突然、トウジはシンジを静止させた。

 

「え?」

「ケンスケ!例のもんを」

「了解!」

 

トウジの声に、ケンスケは鞄の中からポータブルDVDを取り出した。同時に『新世紀エヴァンゲリオン4巻』のDVDも取り出し、セットする。

 

早送りし、途中で一時停止させると、

「碇、良く見てろよ」

 

ケンスケは、シンジにポータブルDVDの画面が良く見えるようにかざしてみせた。そして、再生ボタンを押す。

 

画面に映し出されたのは、新箱根湯本駅の前でたたずむ、シンジ、トウジ、ケンスケの三人の姿だった。

 

『碇、二発もどついたりして悪かった』

『ワシの事もどついてくれ』

『そんなことできないよ』

『頼む、せやないとワシの気が済まん』

『こういう恥ずかしい奴なんだよ』

『ま、それで丸く収まるなら、殴ったら』

『でも……』

 

画面の中で、ほぼ同じやり取りが行われていた。

 

『じゃあ、一発だけ』

『よし、こんかい』

『待った!手加減なしや』

 

シンジが思いっきりトウジを殴った所で、ケンスケはDVDを停止させた。

 

「さすがワシや。原作でも堂々としとるの」

 

なぜか、トウジは誇らしげにはにかむと、シンジに向き直った。

 

「どや、碇。満足したか?」

「は?」

「なんやお前、今の場面見てへんかったんか!」

 

トウジは呆れた様子で肩をすくめると「しゃないの。ケンスケ、もう一回見せたれ」ともう一度、同じ場面を再生させた。

 

「どや」

「いや、どやって……こっちのボクは、まだ殴ってないだろ」

 

「原作の方では、既に殴っとるやろうが!」

「こっちのボクが殴らなきゃ、意味ないだろ!」

 

シンジの言葉に、二人は驚いた様子で顔を見合わせた。

「え……碇君って、そんな子だったの?」

 

トウジも信じられないという顔で、シンジを見返した。

 

「い、碇……お前、何でも暴力で解決させな気が済まんタチか?」

「いや、ふざけんなよ」

 

初めての経験と共に初めての友達ができると思っていたのに、この二人は何をふざけているんだろうか。

 

(せめて軽く一発!)

 

納得いかず、シンジは、再び拳を振り上げた。

が、その拳を支える手首は、何者かに掴み止められてしまった。

 

「だ、誰だよ……!?」

 

シンジの拳を制したのは、同じクラスメイトの少女だった。

 

「さっすが委員長……やないな」

 

一瞬、委員長が止めに入ったのかと思ったが、彼女ではなかった。

ギブスをはめた右手をつかわずに、左手一本だけでシンジの拳を掴みとめた少女は、エヴァのパイロットで、かつヒロインの一人でありながら、このSSにはほとんど出番が無かった少女……。

 

「あ、綾波……」

 

綾波レイだった。

レイは、無表情でシンジを見つめたまま、

 

「鈴原君……ちょっと、碇君を借りてもいいかしら?」

 

トウジの方を振り返りもせずに言った。

 

「ああ、はいはい。どーぞ、どーぞお好きに」

 

「ちょ、ちょっと綾波!今、取り込み中だから」

 

シンジは抗議の声を上げたが、レイは気にせずにシンジの手を掴んだまま、引きずるように引っ張って行った。

 

 

シンジは、強引に校舎の方へと連れていかれながら、レイに耳打ちする。

 

「綾波……設定間違えてるよ。僕のこと『碇君』って呼ぶようになるのはヤシマ作戦以降……」

「いいから黙って付いてくる!」

「は、はい……」

 

レイは、ドスの効いた声で黙らせると、シンジを校舎の中へと引っ立てて行った。そして、廊下まできた所で、シンジを乱暴に壁に押し付けた。

 

「綾波……さん。もしかして、怒ってます?」

「怒ってるわよ」

 

TV版や劇場版では感情表現をほとんどしなかったレイが、なぜか怒気をはらんでいた。

レイは、シンジを睨みつけたまま息を吸い込むと、

 

「碇君」

 

いわゆる壁ドンの姿勢を取って、顔を近付けた。

いつものシンジなら、間近に迫る女の子の顔に赤面する所だろう。しかし、目の前の剣幕に圧倒されたシンジは、赤面の代わりに蒼白の色を浮かべていた。

 

「な、なんでしょう……綾波…さん?」

「この前、どうして遅れてきたの」

「この前って?」

 

レイは、シンジを押し付けた壁を蹴った。

 

「シャムシエルが現れた時に決まってるでしょ!」

「あ、あの時は迎えの車が大破したから……」

 

「本当に、それだけが遅刻の理由?」

「う……」

 

「逃げようとしたんじゃ、ないでしょうね?」

「……」

「あともう少し遅れてたら、私は死んでたかも知れないのよ?」

 

レイは、本当に怒っている様子だった。

 

「ヒロインが死んだら、どうするつもりだったの?」

 

血走った眼で凝視され、シンジは戦慄を覚えた。

 

「で、でも、綾波はクローン見たいなものだから ……」

 

何とか恐怖感を紛らわそうと、シンジは無理に笑顔を作った。引きつった笑顔のまま続ける。

 

「最悪、死んじゃっても代わりが……ぐへ」

 

シンジの鳩尾(みぞおち)に、レイのギブスをはめた右手がめり込んでいた。

 

「それ、ヒロインに対していう台詞!?」

「ご、ごめんなさい……」

 

レイは溜め息を吐くと、カブリを振った。

 

「確かに、原作の私には代わりはいるわ。水槽の中に、わんさかとね」

 

(ふところ)に手を入れ、何か取り出そうとする。

 

「でも、このSSじゃあ、オーデションに受かったのは私一人だけなの」

 

レイは懐から、三冊の小冊子を取り出した。

 

「お陰で、私一人で、三役やらされてるのよ」

 

『台本』と書かれた小冊子には、それぞれ「ナオコにぶち殺される綾波」「自爆前の綾波」「自爆後の綾波」とタイトルが振られていた。

 

「こっちの私は、代わりはいないの。私一人死ぬだけで、綾波が全滅しちゃうのよ」

「そ、そうなんだ……」

 

レイは、シンジの肩をつかんだ。その手に痛いほどの力が込められる。

 

「前回は、間に合ったし、使徒を倒せたから見逃して上げるわ。でも、こんど遅刻したら……」

 

廊下の向こうから、他の生徒の足音が近づいてきた。

レイは、声を落とすと、シンジの耳元にささやいた。

 

「……」

 

足音の主が、廊下の角から姿を現した。

 

「あら、碇君に綾波さん、なにしてるの?」

 

委員長・洞木ヒカリだった。

 

「碇君と鈴原君が揉めてたから、碇君だけこっちに連れてきたんです」

レイは、原作通りのキャラに戻っていた。

 

「ああ、やっぱり。鈴原君や相原君に呼び出されてる所みたって聞いたから、探してたのよ」

 

委員長は腰に手を当てると、校舎の外にかぶりを向けた。直ぐに、ケンスケとトウジを見つける。

「もう、とっちめてやるんだから!」

 

委員長がトウジ達を注意しに去って行くと、レイは無表情のままシンジにポツリと告げた。

 

「碇君、さっきの台詞ちゃんと聞いた?」

 

シンジの耳元で、ささやいたレイの台詞。

シンジはガタガタと震えながら、何度もうなずいていた。

 

「そう……じゃあ、それを忘れないでね」

 

でも、こんど遅刻したら……の後に、小声でささやいたレイの台詞。

 

『あなたは死ぬは……私が殺すもの』

 

しっかりとシンジの耳に残っていた。

こっちの綾波は、武闘派だった。

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※

 

 

結局、委員長の立ち合いの元、トウジ、ケンスケ、シンジの三人は和解した。

拳を奮う事なく、無理やり握手させられ、

 

「はい、過去の事は水に流して!今日から三人…いえ、私も含めて四人とも友達ね。分かった?」

 

スッキリとはしなかったが、気まずい思いをすることなく、彼らは友人になる事ができたのだった。

 

「じゃあ碇!また明日な」

「先生、パイロットやからって無理すんなや!」

 

二人と分かれたシンジは、うつむいたまま、トボトボと校庭を後にした。

 

(疲れた……)

 

別に何もしていないが、あの二人とのやり取りだけで疲れてしまった。

追い打ちをかけるように、その疲れた脳裏にレイの台詞がよぎる。

シンジは身震いした。

 

これから先も、レイは皆の前では原作準拠のキャラを通しつつ、シンジに対しては陰で地を出してくるのだろうか?

 

(武闘派の綾波って……じゃあ、アスカが登場するようになったら、地獄じゃないか……)

 

レイに突き込まれた鳩尾(みぞおち)辺りがキリキリと痛んだ。

 

校門で、うつむいたまま溜め息を吐くと、シンジはマンションに向って歩き出す。

 

「シンジ君」

 

突然、背後から名前を呼ばれ、シンジはビクリとした。

一瞬、またクラスメイトが声を掛けてきたのかと思った。だが、考えてみれば、自分の事を下の名前で呼ぶ人なんて、ネルフにしかいない。

シンジは、ゆっくりと後ろにカブリを向けた。

 

「マヤさん?」

 

その名前を口にし、そして、その顔を見た時、シンジは心から安堵した。

 

(そうだ。ボクには、マヤさんがいるんだ)

 

「マヤさん……もうお仕事終わったんですね」

 

「ええ、シンジ君たちがネルフに来ない日は、早出、早定時だから」

 

そういうと、マヤは、ネルフからここまで延々と押してきた物を前に出した。

 

「シンジ君、これミサトさんからのプレゼントよ」

 

マヤが運んできたそれは、アシスト自転車だった。

 

「シンジ君。良かったら乗って帰って」

 

マヤは微笑むと、シンジに自転車を進めた。

 

「え、マヤさんは?」

 

「わ、私はいいのよ。歩くの好きだから……」

 

ミサトから自転車をプレゼントされた時、マヤは引きつった笑顔でお礼をいう事しかできなかった。まさか、自転車にすら乗れないとはいえなかった。

 

二台買ってくれようとしたミサトに、一台で十分ですと告げ、マヤは、シンジに直接渡そうとここまで押してきたのだ。

 

「私の事は気にせずに、乗ってって」

「いえ、それなら……」

 

シンジは、鞄の中から体操着を取り出すと、自転車のキャリアの上に折り畳み、紐で固定する。

「これくらいじゃ、痛いかも知れませんけど」

 

そして、シンジは前かごに鞄を入れると、自転車にまたがった。

「直接座るよりは増しだと思います」

 

シンジの言葉の意味が分からず、一瞬、マヤはきょとんとしていたが、

 

「マヤさん」

 

振り返りながら、親指でキャリアを指し示すシンジの仕草に、

 

「え……」

 

マヤは、ようやく理解した。

キャリアに結び留められたシンジの体操着に触れ、少し戸惑いながら尋ねる。

 

「わたし……乗って大丈夫?」

「まかせて下さい。これでも男ですから!」

 

シンジの返答に、マヤは少しムッとなる。

 

「体操着をお尻に敷いても大丈夫かって話よ。私は、ほら」

 

キャリアの上に横座りする。

 

「この通り、軽いから!」

 

シンジはペダルをこぎだした。

 

「本当だ。マヤさん、軽いですね……あ、危ないから、つかまって下さい」

「うん」

 

マヤは、そっとシンジの腰に両手を伸ばした。

マヤがつかまると、シンジは少し加速する。

 

郊外の西。山は、その頂きに陽の冠をかぶり始めていた。茜色のマントを第三新東京一杯に広げ、いつしか、二人の帰路を(いろど)っていた。

(あけ)に染まる中、自転車の加速と共に心地よい微風(びふう)()でて行く。

 

「いい風……」

 

マヤは、シンジにもたれかかると、その背に頬を預けた。シンジの鼓動が少し高鳴るのを感じる。

 

「ちょっと、マヤさん……くっ付きすぎですよ」

「ごめんなさい。疲れてるの……もう少し、このままでいさせて」

 

男の子がこぐ自転車のキャリーに乗せられながらの通学……かつて憧れた光景の中に、今、自分がいる。

 

24歳の女が憧れる光景じゃないと思っていた。青春だとかいう歳じゃない。

 

でも、自転車をこぐ彼は14歳だ。14歳の少年が見る青春の景色の中に、年上のお姉さんがいたって、少しもおかしくはない。

 

マヤはウットリとした様子で、シンジの背にもたれ続けた。

 

(でも、体操着敷いたくらいじゃ、お尻は痛いわね……)

 

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