EVA マヤとシンジの愛の劇場   作:風都水都

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逃げた少年

「はあ、はあ……」

 

無人と化した街を、少年は駆けていた。

人々の喧騒(けんそう)も車の騒音も失せ、ただ爆音だけが空気を震わせている。

時おり、巨大な流れ弾がさほど遠くない距離に着弾する。その度に地面が()れ、少年は身をすくませた。

 

震動と爆音に気を取られ、一瞬駆け足を止めては、直ぐにまた駆け出す。

アスファルトの上を霧のような煙が横切り、少年の行く手を(さえぎ)っていた。

自動砲塔のもとから流れてきた硝煙か?それともどこかで火災が発生しているのか?

その煙の中を息を止めて走り抜ける。煙が目に染みた。

 

「はあ……」

 

シンジは立ち止まると、手を(もも)()えて上半身を支え、息を整えた。少年の小さな肩が、大きく揺れる。

シンジの視界に、一枚の標札が入った。標札には大きな矢印が描かれ、『○○公園まで50M』と記されている。

待ち合わせ場所の公園だ。もう直ぐだ。

 

(急がなくちゃ……!)

 

シンジは気を取り直すと、再び走り出した。

周囲は住宅街だったが、既に人の気配はなかった。

 

(学校の子達も、もう無事に避難したのかな……)

 

クラスメイトたちの姿が脳裏に浮かんだ。

エヴァのパイロットである事がバレ、質問攻めにされた時の事を思い出す。あの時は驚いたけれど、少し嬉しかった。

 

(明日、登校したら、第三新東京を守った事、みんな喜んでくれるかな?)

 

委員長の姿が浮かぶ。

 

『碇君、有難う。あなたのお陰で皆救われたわ。さあ、みんな、碇君の健闘を称えましょう!』

 

興味本位のクラスメイトに囲まれた時、みんなを(しか)ってくれた委員長……彼女なら、そんなふうに皆をしきってくれるような気がした。

彼女なら、きっと真っ先に()めてくれるはずだ。彼女なら……あれ……?

 

(そういえば委員長の名前……なんだっけ?)

 

クラスメイトたちの顔が浮かんでも、名前まで思い出せたのは、ほんの数人だけだった。少し気になっていた委員長の名前すら、まだ覚えてはいなかった。

転校してから一週間が過ぎたのに、まだ親しくなれた子は一人もいない。

 

でも、使徒を倒したら、少し思い出せる名前が増えるかも知れない。

携帯の着信履歴に、ミサトさん以外の番号が残るようになるかも知れない。

明日からは、もう少し、学校生活が楽しくなるかも知れない。

 

(委員長も、みんなも喜んでくれるよね?また、みんなに質問されたら、今度は何て答え……)

 

わずかな期待感を称えていたシンジの表情から、急に笑みが消えた。

 

(何て……答えればいいんだろ……?)

 

情報統制がしかれている為、エヴァと使徒の戦闘が報道されない事は知っていた。前回の戦闘では、使徒の存在さえ()せられていた。

クラスメイトたちはエヴァの存在を知っているとはいえ、彼らとて戦闘を見ることはできなかった。

何も見ていない彼らに、一から質問された時、上手く答えられるだろうか?

初戦の時は途中で気を失い、後の事はほとんど覚えていなかった。じゃあ、今回は?

もし、今回の戦闘でも、気を失ったり、錯乱(さくらん)したら……?

それにパイロットでありながら、使徒やエヴァに対する知識が皆無なのも相変わらずだ。

 

(また、初めに興味をもたれるだけで、終わっちゃうのかな……)

 

わずかな不安感が胸の奥から湧き出してきた。それが胸中に(あふ)れ、息苦しさを覚えた始めると……シンジは、次第に速度を落とし、遂には、駆けるのを()めてしまった。

 

駆け足を止め、トボトボと歩き始めるシンジ。

ふと見ると、すぐ横に小さな喫茶店があった。その喫茶店のウィンドウに映る自分の姿を見た時、シンジは完全に歩を()めてしまった。

ウィンドウに近づき、自分の姿を(なが)める。ウィンドウのガラスに映った顔。その頬に小さな青いアザが残っていた。

トウジとかいう、クラスメイトに殴られた時の(あと)だ。

シンジは、そっと頬の傷に触れてみた。少し痛みが走った。

 

(上手く応えられたとしても……みんな、ボクが戦った事、本当に褒めてくれるかな……)

 

『すまんな、転校生。わいはお前をなぐらなあかん。なぐっとかな気がすまへんのや』

 

トウジの言葉が、耳の奥でよみがえった。

 

(それとも、また、殴られるのかな……?)

 

『碇君、さっそく正体がバレちゃうなんて、エヴァのパイロットとして失格ね』

 

委員長の軽蔑した声が聞こえる。

 

『碇君、本当に君が使徒を倒したの?本当は、もう一人のパイロットのお陰じゃないの?』

 

『碇、なんでもっと早く使徒を倒してくれなかったんだよ!お前のせいで、逃げ遅れた弟が大怪我したんだぞ!』

 

『一体、どこ狙って撃ってんだよ!お前がぶっ放した弾丸のせいで、道路も公園も無茶苦茶じゃないか!』

 

クラスメイトが、シンジを罵倒する風景が幾度も浮かんでは消える。

シンジは激しくかぶりを振った。

 

(そんな……ボクだって、ボクだって……)

 

「好きでエヴァに乗って戦ってる訳じゃないんだ!」

 

思わず口に出して叫んだ時、突然、サイレンの音が鳴り響いた。サイレンの種類は、さきほどから鳴っている戦闘配置を告げるものだったが、今度は直ぐ近くからだ。

今、シンジが立つ街道に備え付けられたスピーカーから、一斉に発せられていた。

たまらず、シンジは両耳をふさいだ。

 

砂埃(すなぼこり)が立ち上がる。轟音(ごうおん)と共に周囲のマンションと建物が、次々に地下へと沈んで行った。代わって、自動砲塔やミサイルポッドを備えたタワーが地下から浮上する。

この地区も、住人の避難が完了し、戦闘配置に入ったらしい。

シンジは耳をふさいだまま、ふらふらと歩き出した。とにかく、公園に行かなくちゃならない……。

 

 

直ぐ向かい側のビルから、ミサイルが発射された。身をすくめ、中空に残った一筋の煙幕の行方を視線で追う。シンジは息を()んだ。

 

煙幕の終点には、周囲のビル群ほどの大きさを持つ生物の姿があった……。

 

(使徒だ……)

 

シンジの小さな胸が、激しく鼓動した。

胸中にあふれ出していた不安感が、鼓動を乱し、少年を苦しめる。息苦しさに、シンジは耳をふさいでいた手で、自分の胸元を抑えだした。

爆音がとどろく。

使徒に巨大な弾丸とミサイルが衝突し、その体が激しい発熱と煙幕におおわれる。だが、使徒は何ら外傷を負うことなく、平然と突き進んでいた。

何かに誘われるかのようにして使徒が進む先……。

 

(綾波……!)

 

ビル群の向こうから、わずかに零号機の頭部が見えていた。距離にして、十数キロ……いや、もっと近いだろうか?

使徒の触手が舞った。零号機の周囲をおおっていた建物が、あっさりと切断され、大爆発が起きる。爆風の一部が、ここまで襲ってきた。

その場に身を屈め、硝煙交じりの突風に耐えるシンジのその体は、震えていた。

 

(ボクも……あの中に参戦しなくちゃならないんだ……)

 

爆風が静まると、シンジは立ち上がった。しかし、その顔にはもはや、その白い肌をさらに蒼白に染める感情以外、残ってはいなかった。

 

(戦ったって、また殴られるだけなのに……どうしてボクが、どうして、あんな化け物と戦わなくちゃならないんだ……!)

 

使徒と零号機の戦闘を眺めながら、後退(あとずさ)る。シンジは、錯乱したかのように何度もかぶりを振り出した。

 

(嫌だ……嫌だ……嫌だ……嫌だ……)

 

「嫌だ!!」

 

次の瞬間、シンジは公園とは違う方向に向かって駆け出していた。

 

横転した車から出た時、ただ、ミサトさんに命じられたから、公園に向って走っていた。

使徒を倒せば、クラスメイトたちと仲良くなれるかも知れないという小さな期待が、その足を急がせていた。

 

「嫌だ……嫌だ……嫌だ……嫌だ……」

 

だが今、息を切らせながらシンジを駆けさせているものは、期待感ではなく、激しい嫌悪の感情だった。

胸が、心が……(むしば)まれ、黒い闇の中に飲み込まれようとする。それを拒絶し、逃れようとする意思が、深慮も目的もなく、シンジの足を公園から遠ざけ、使命からも遠ざけようとしていた。

 

「はあ、はあ、はあ……」

 

轟音(ごうおん)が響き、再び地面が揺れた。周囲の建造物が激しく振動する。今までの中で、一番大きかった。

 

急に、足元の影が膨らんだ。辺りから陽の光が失せる。

 

「え……」

 

異変に気づき、シンジは上空を見上げた。

流れ弾があたったのか?

それとも、触手以外の使徒の反撃がここまで届いたのか?

それとも、使徒に破壊され爆発した建物の破片が飛来したのか?

シンジが見上げたそこには、今まさに、崩れ落ちようとするタワーがあった。

日がおおわれ、タワーの陰がシンジを飲み込む。コンクリートの断片と粉塵が辺りに降り注いだ。

一瞬、何が起きたのか分からなかった。

ただ、鼓膜が激しく振動した事と、視界が暗転した事だけは覚えていた。

とっさに頭を(おさ)え、うずくまる。目を閉じ、押し寄せる恐怖から逃れようとする。

 

 

数秒後、鼓膜が正常な活動を取り戻した時、シンジは目を閉じたまま、自分の鼓動を確認した。

恐怖感で心臓が高鳴っていた。でも、停止していなければ、弱ってもいない。少なくとも命は取りとめたらしい。

(まぶた)を下ろしたまま、全身に意識を巡らせる。どこにも痛みはなかった。

頭を抑えていた手で、自分の両腕が無事である事を確かめる。屈んだ姿勢のまま、両足を抱きしめ、五体満足である事を知る。

シンジは、固く(つむ)った目をおそるおそる開いた。

 

(た、助かった……)

 

砂埃に()き込む。

視界が(せま)く、辺りが薄暗かった。だが、その原因は直ぐに分かった。

どうやら落下してきたコンクリートの残骸に、閉じ込められたらしい。

奇跡的にも、降り注いだ瓦礫(がれき)は一片たりとも、シンジを傷つけてはいなかった。最初に落下した巨大なコンクリートの破片が、シンジに(おお)いかぶさってくれたお陰で助かったのだ。

 

薄暗がりの中、近くに陰を払う日溜(ひだま)りを見つける。一筋の陽の柱が、地表からコンクリートの残骸を貫いて、空に伸びていた。

 

シンジは、出口……残骸(ざんがい)の隙間を見つけると、慌てて瓦礫(がれき)をよじ登り出した。

大人二人分程度の高さだ。良かった、直ぐに抜け出せそうだ。

だが、つかんだ瓦礫は崩れ易く、シンジは途中で足を滑らせた。勢い良く地面に膝を付き、直ぐにまた立ち上がってよじ登ろうとする。

 

「痛っ……」

 

足首から走る痛みに、シンジは顔をしかめた。

滑り落ちた時に、少し足を(くじ)いたらしい。でも、大した怪我じゃない。登る分には問題は無かった。

だが、痛みを感じた途端、シンジは手を止めてしまった。

体に問題は無くとも……シンジの心には問題があった。

 

「いや、登らなくてもいいんだ……」

 

自分に言い聞かせるようにつぶやく。

シンジは登るのを止め、地面に降りてしまった。

 

(そうだ……ここでずっと救助を待ってればいいんだ……)

 

仕方がないんだ。事故に巻き込まれて、足を挫いてしまったんだから……。

エヴァに乗るつもりだったけれど、不幸にも、身動きが取れなくなってしまったんだ。

もう歩けない。ここでじっと、救助を持つしかないんだ。

その間に、きっと綾波が使徒を倒してくれるはずだ。

もう、逃げなくたっていいんだ。こんな状況なんだ。ネルフの人だって納得してくれるはずだ。ミサトさんだって、きっと怒らないだろう。

 

(仕方ないんだ……)

 

シンジは、その場にうずくまると、自分の両膝を抱いた。

 

(仕方ないんだ……怪我しちゃったんだ……)

 

どれくらい時間が経っただろうか?

既に、サイレンの音は鳴り止んでいた。今は、規則正しい砲声と不規則な爆音だけが辺りにこだましている。

コンクリートの瓦礫越しに聞こえるそれは、何だか、ずっとずっと遠くで起きている出来事のように思えた。

何だか、TVのディスプレの向こう側で起きているような、非現実なものに。

 

シンジ……シンジ君……。

 

どこかで自分の名を呼ぶ声が、聞こえた気がする。でも、直ぐに砲声の(とどろ)きの中に(かす)み、それが気のせいなのか、聞き間違いなのか、本当に自分を呼んでいるのか、分からなくなってしまう。

いや、どうだっていい……どうだって。

 

(綾波……まだ戦ってるのかな?)

 

シンジは、うずくまったまま、ちらりと腕時計に視線をやった。

デジタル時計の数字は、まだ一桁目が五度入れ替わっただけだった。その下の小さな数値が、秒を刻みながら激しく動いている。

息を(ひそ)ませながら、既に一時間は待ち続けた気がするのに、現実はまだ五分にしかならない。

 

(綾波……ごめんね。でも、ボクは怪我しちゃったんだ。行っても足手まといになるだけだよ……)

 

 

秒を刻む、小さな液晶画面を見詰め続ける。

一秒って、こんなに遅かったっけ?

一分って、こんなに長かったっけ?

 

心は、爆音も使徒も不安も速く去ってくれる事を望むのに、時は、なかなか進んではくれなかった。いつもは短く感じていた一分一分が、とてもとても長く感じられた。

遠くで、使徒の咆哮(ほうこう)が聞こえた。シンジは目を閉じ、固く身を(ちぢ)めた。

 

(仕方ないよ……。走ったせいで、体力だって残ってないんだ。ほら、頬だって、あいつに殴られたせいで怪我したままなんだ……これじゃ戦えないよ……)

 

体が震える。

 

(だから綾波……君が戦ってよ。ボクは怪我して……)

 

ふと、シンジの脳裏に、ギブスと眼帯を付けた少女の姿が浮かんだ。使徒との戦闘で重傷を負った、全身を包帯でおおわれた痛々しい綾波の姿。

シンジは、ハッと顔を上げた。

 

(そういえば綾波も……怪我してるんだった……)

 

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