バイトは恐怖した。それは彼のこれまでの人生、そしてこれからの人生の中で経験することのない異質の恐怖。
つい2ヶ月ほど前、友人に誘われる形で渋々都内でも有数の心霊スポットに訪れた。その時も確かに彼は恐怖に襲われたが、
それは、明確な死の恐怖。
その日、その恐怖は平穏な彼の日常に突如現れた。ファミレスで接客をする彼。お昼時になりそろそろ混んできたと言う頃に、1人の客が入店してきた。着物姿の珍妙な男。人当たりの良い笑顔を浮かべ、フロア担当のバイトが席まで案内する。自分はその時対応しなかったが、その男が入店してから彼は先も説明した明確な死の恐怖を感じ続けている。
着物姿の男は1人だというのに4人がけの席に腰をかけている。店長は混んでいる時間に1人で4人生に座り、さらに中々注文しないその客に苛立っている様子。
誰かが注意してこいという空気になり始める。
勘弁してくれ!!
あの席に行ったら間違いなく死ぬ。
根拠は無いが彼には確信があった。4人の義妹を持つ彼。その療育費を少しでも稼がなくてはならない。だから今までバイトのブッチなどしたこともなかった。
だが、
んなの、死んだら元も子もないやろがい!!
「店長!俺今日でこのバイトやめます!」
必要なことだけを端的に。ありがとうございましたもお世話になりましたもなく、それだけ叫ぶように言うと彼は店の出口へ一目散に駆け出した。店長の呼び止める声も意に返さず、自動ドアの前に立つ。自動ドアの開閉がひどく遅く感じる。
いてもたってもいられず、彼は自動ドアが開き切る前に身体をねじ込むようにして店を出ていく。
と、その時
どが
若干の鈍い音を立て、彼は尻餅をつく形で転んだ。原因は店の入り口に立つ男。たった今入店してきた新たな客だろう。割と勢いよくぶつかったのに尻餅をついたのは自分だけで、入店してきた男は微動だにしていない様子。
それもそのはず。ぱっと見ただけで服の上からでも鍛えているのがわかるがたいだった。
身長は180後半、いや190にも届くか。鍛えているのがわかると言っても身長の高さも相まってすらっとしたスタイルをしている。
なんてやってる場合か!!
彼はハッとしてその男に謝り、一目散にその場を後にした。バイトの彼がその男に会うことはもうないだろう。しかし、バイトである彼は心の中で何度も謝罪を繰り返していた。
「なんだったんだ今の」
たった今自分にぶつかり、しかしそれどころではないと言った様子で走り去っていった男の後ろ姿を見て、そう彼は呟く。多少の訝しみはあったが、興味はすぐに薄れ、店内に向き直る。
「お客様1名様でよろしいでしょうか」
「はい、1名で」
「かしこまりました。すいませんお客様。店内ただいま混み合っておりまして、こちらに名前を書いてお待ちください」
平日とはいえ都会のお昼時。それも立地のいいファミレスとくれば混むのも無理の無い話だった。
言われた通りに彼は名前を書く。
"ミツマタトオル"
人数 1
大人 1
禁煙
必要事項を手早く書き、彼は、透は待合席に腰をかけた。
「遅いなぁ」
透がそう呟いたのは名前を書いてから15分後のこと。15分。混み合っている店での待ち時間としては特段長いわけではない。透は特段気が短い方ではない。むしろ温厚とまで言える。が、そんな彼でも腑に落ちない理由があった。
原因は視界に映る着物姿の男。2人がけのテーブルをくっつけ4人席にし、しかしかけているのはその男1人。みたところ注文すらしていない様子。流石の彼も思うところがあった。
気になり出したらその思いは募り、やがてその男しか視界に収めなくなった。
「すいませんお客様。もう少々お待ちください」
透を気にした店員がそう声をかけてくる。
「いえあの。大丈夫なんですが、えっと、あちらの席のお客さんは待ち合わせとかですかね?」
「えっと、いいえ」
しまったと透は思った。この店員さんを困らせてしまった。別にイライラしているわけではないが、関係のない店員さんを巻き込むのは絶対に違う。しかし、
「13時半か…」
透は時計を確認する。次の予定が迫っている。もともとファミレスでさっさと飯を済ませて出ていくはずだった。他の店に変えようか。しかし今出て行って他の店で食えるだけの時間があるだろうか。
少し悩んだ末透は口を開いた。
「すいません。あちらの方の席、2人がけの方譲っていただけないでしょうか」
「えっと…」
またもや店員が困った顔をした。透はいたたまれなくなったが、こちらも急がねばならない理由があった。
「あ、僕お願いしてみます」
透は席から立って、男の方へ歩み出した。
「困りますお客様。万が一お客様同士のトラブルになりましたら」
「大丈夫です。頼んでみるだけですので」
心なしか気温の高い店内を進み、なにやら1人でボソボソ話している男の下までたどり着いた。
「あの、すいません。出来ればでいいんですが、もしよろしければそちらの席、ゆ」
ゴウッ!!!!
なるべく穏便に済ますよう話しかけた透の体は、突如、発火した。
「あちち。困るよ漏湖。騒ぎを起こされちゃ」
ケホケホと咳き込みながら夏油は言った。
少し前からこちらをチラチラみていた男のことは知っている。しかしその様子と呪力から呪霊が見えていないことは明白だった。しかし何かを不審がっているそぶりを見せているあの男。とうとう店員と何かを話し、こちらに歩を進めてきた。
しかしなんだ?この男少し奇妙だ。見れば見るほど、近づけば近く程に、この男からは毛程も呪力を感じない。素質がないなんてもんじゃない。ここまで呪力がないことがあり得るのか。
夏油は漏湖と話しながら、少しの興味をその男に向けていた。が、その男がとうとう自分の下までたどり着き、何かを話したところで漏湖は指を立て、あっけなくその男は燃えた。少しあったその男への興味はすぐに消え失せた。
「心配はいらん。騒ぎが起こることはない」
漏湖はそう言うと同時に指をピッと動かした。その瞬間店内に居た人々が次々と発火していく。
漏湖はそういう奴だ。いかにも呪いらしい性格をしている。
「獄門彊をワシにくれ!五条悟はワシが殺す」
漏湖が興奮するのも無理はない。獄門彊はそれ程レアな呪物。コレクション癖のある漏湖には堪らないものだろう。漏湖は十分に強いが、それでも五条悟に勝てるとは思わない。いや、勝負にもならないだろう。しかし、ぶつけてみるのも面白いと夏油は思った。
と、そのタイミングで、夏油は違和感を覚えた。漏湖の背後で先程喋りかけてきた男が燃えている。いや、それは別におかしいことじゃない。問題は、まだ、立っている。
どう言うことだ。まさかたったまま死んでいるのか。普段閉じられている夏油の目が訝しげに開かれる。
他の者と変わらず燃えている。しかしやがてはその火も落ち着き、だんだんと小さくなっていく。煙を立てながら徐々に小さくなる火。その中から現れたのは最早見慣れた黒焦げの焼死体
などではなく。
ユラっと、死んでいるはずの男が動く。倒れるでもなく、膝をつくでもなく、その手を上げ、夏油に向け、指を指した。そして、口を開く。
「お前…スタンド使いか?」
この男は一体なにを言っているのだと、夏油らの心情は一致した。元より呪霊の漏湖らは知る訳もなく、夏油もそう言った類のものとは離れた人生を送ってきていた。故に、何故生きているのかと言う疑問以前になにを言っているのかという疑問が先行した。
「昔からジャンプが好きだった。ジャンプを読んでジャンプに憧れては、そんな非日常はこの世界にはないのだと絶望したものだ」
そしてその疑問が解決するより前に、唐突に男の自分語りが始まった。
「しかしある時から俺は知った。起こるはずもない超常の現象。ああ、この世に非日常はあるのだな、と」
「フン」
漏湖は話を遮り、先程より更に上がった火力でもって男を燃やした。だが
「そしてその現象に巻き込まれるうち、あることに気がついた」
「へえ」
男は、透はまるで何事もなかったかのように話し続けた。
「ふっ、そんなに気になるか?」
そしてあろうことか先程の夏油の驚嘆を自分の話への相槌だと勘違いしていた。
「それはな。その超常の現象は大きく分けて2つ。スタンド使いと虚によるものだ。俺はたまたまジャンプを読んでいたからわかった」
違う。何もかもが違う。しかし漏湖らや夏油はまずそれがなんなのかすら知らなかった。
(スタンド使い?虚?私の知らない概念だ。一体この男なにを知っている)
「そしてこのパターンは明らかにスタンド使い。しかもお前これ、魔術師の赤じゃねーか!」
「君は一体なにを言っているのかな」
困惑は悟られないように。あくまで平常心で男に問う。漏湖にはまだ殺すなとアイコンタクトを送っておいた。
「まあ、とぼけるのならそれでもいいが、生憎俺はお前に二回燃やされてる。その借りは返すぜ」
「いやだなぁ。誤解だよ」「一発は一発だかんな」
話を聞かず、男は拳を放った。呪力のもたない人間。それも呪具すらないのなら、話にならない。どうしてやろうか。手首を飛ばそうか。いっそ腕ごと持っていってしまおうか。そんな思考を夏油が抱く。が、
「ぐっ!」
一瞬夏油は自分の身に起こったことを理解できなかった。ただ、夏油の視界に映るのは眩しいほどの日光。そして遅れてやってくる左頬の鈍痛。何が起きた。何が。何が。
混乱する頭を整理して、体を起こしてようやく理解する。
「やれやれ。本当に一般人なのかな?」
透の放った拳は夏油の頬に当たり、夏油を弾き飛ばし、あろうことか店の壁をぶち破っ
たのだ。人の身を遥かに凌駕する防御力を有する彼が、左頬に走る鈍痛に顔を歪ませる。
「やっちまった。店に穴開けちまった。でもまあここに放火魔いるし、修理費お前持ちでいいべ」
開いた穴からゆっくり出てくる男。
「何者だ貴様!」
傍らでは漏湖が男に向けて火を放つ。最早手加減を感じさせないその火力は、しかしなんとその男を燃やすに至らない。そして相変わらず、男は漏湖が見えていないようだった。
「また燃やしやがったなてめえ。あと一発だったのに後二発になったぞ」
すこしちゃんとやろうかな、と夏油が身構えた時、男の姿が消えた。そして次に視認した時には、男はもう目の前まで来ていた。
更に夏油は吹っ飛ばされる。視認できない。殴られた痛みで初めてどこが殴られたのかを理解する。
こんなことがあり得るのか。一般人の身で特級呪術師の肉体である夏油を。
理論上はありえはする。しかし、とても信じがたいことであった。気づけば夏油は人目のつく通りまで出ていた。
「漏湖、花御、ここは一旦引くよ」
「なにぃ!?臆したか貴様!」
「これ以上騒ぎを大きくしたくない。今高専の連中に見られるのはまずいからね」
言うと同時に夏油は姿を消す。漏湖と花御も後に続くように姿を消した。
「あ。あと一発残ってんのに…」
残された男は人がわらわらと集まってきた人混みの中でそう呟いていた。