白海染まれ   作:ねをんゆう

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101. collision

「……もう一度、ゆっくりとお話をする為に。奪い取りに来ました、アルフィアさんを」

 

 

 

 

「……馬鹿な事を言う」

 

何の迷いもなく、言い放つ。

これはオラリオと闇派閥の決戦の地であるというのに、どうしてそんな呑気な事が言えようか。

けれど、その言葉をこの場にいる誰も馬鹿にはしない。

知っているからだ。

その為にユキが今日まで何をして来たのか。

分かっているからだ。

その意思は1日でレベル7を2人も相手にしてでも叶えたいと思った、彼女が表に出すのは珍しい欲望の一つであるということを。

 

「いくら頭数を揃えたところで、Lv.5のお前とそれ以下の愚集で私に敵うと本気で思っているのか?」

 

「いえ、アルフィアさんと戦うのは私だけですよ。他の皆さんには真下にいる怪物を倒すという役割をお願いしていますから」

 

「なに……?」

 

「アルフィアさんを倒すには、私1人で十分ですから」

 

「……少し見ないうちに可愛くない事を言う様になったな、ユキ」

 

「そんな私でも愛してくれますか?」

 

「どうだろうな。だがどうであれ、私がお前達を打ち倒さなければならない事に変わりはない。……雑音も快音も、その悉くの全てを」

 

「っ」

 

アルフィアの纏う気配が変わる。

漂う空気の質が変わる。

瞳を閉じ、明確な殺意を纏い、魔力を漲らせる。

その圧倒的なまでの圧力を、ユキもまた胸を貫かれた様に錯覚する。

 

「途絶えろオラリオ、私が全てを終わらせてやる。終焉がこの地に辿り着くよりも先に、慈悲を込めて天道へと繋いでやる」

 

「途絶えませんよ、オラリオは。何も終わらせませんよ、私は。……繋いでみせますから。過去の全てを、希望のある未来へと」

 

「やって見せろ。言葉だけでなく、行動で」

 

 

「ユキ!」

 

団員の1人が持ってきていた大剣の一つを、アリーゼがユキへと投げ渡す。そして腰の2本を自身の背後に浮遊させながら、ユキはアルフィアへと飛び込んだ。

しかし一方で彼女もまた、自身の背後から1本の武器を取り出していて……

 

「っ、大剣……!」

 

「なに、借り物だ。この武器も、この技術も、全てな」

 

瞬間、全く同じ剣撃が打つかり合った。

練度も精度も変わらない、完成には至らない、原点を持つ男からすれば及第点の2つの撃閃が、2度3度と火花を散らす。

しかしそれは単純なステータスの差か、押されているのは間違いなくユキの方だった。

たったの一振りで分かるその基礎の差。

しかしユキの目の色は変わらない。

 

「救いの祈りを/ホーリー!」

 

「っ、やはりあの時に戦ったのはお前か……!」

 

「1本で足りないなら2本で、2本で足りないなら3本で……!!」

 

「それでもまだ、届きはしない!」

 

浮遊する2本の剣とユキの大剣の一振りを、アルフィアはたったの一閃で退ける。

Lv.7の純粋な力量と、アルフィアが触れた瞬間に一瞬にして霧散させられたユキの魔法。たとえ魔法が解けたとしても勢いは変わらないとは言え、その攻撃が魔法を纏った刺突から単なる投擲に変われば、撃ち落とすことは容易い。

いくら意識を割く事が出来たところで、それまでだ。

これでは彼女の言う通り、その手が彼女の元に届く事はないだろう。

事実、その後にユキが何度も追撃を行うが、それはたった一刀の下に斬り伏せられていた。魔法を付与した攻撃はアルフィアの剣に接触した瞬間に消え失せ、ユキが普段使っている切れ味を上昇させて敵の武器を破壊する戦法が完全に封じ込まれる。

付与魔法が使えない以上、ユキは自身の剣の実力でアルフィアを倒すしかない。それすら今の状態では不可能な程の実力差はあるが。

 

「うっ、くぁっ!?」

 

「この程度か、ユキ。お前まで私を失望させるのか」

 

「……失望なんかさせません。その為に私は今日の今日まで、肉体よりも心の方を研ぎ澄ませて来たんですから。一人で相手をすると決めた以上は、絶対にここから引いたりはしません!」

 

「!」

 

何らかのスキルが発動した。

アルフィアはそう直感する。

それは雰囲気や圧力からではなく、その一瞬で吹き飛ばされた体勢が突然発揮された純粋な筋力によって立て直されたからだ。

だが、それだけでは届かない。

スキルによるブーストだけではまだ届かない。

しかしそんな事はユキとて承知している。

だからもう一つ、その覚悟をして来た。

 

「……アルフィアさんは、悪い人です」

 

「今更何を……」

 

「私はそれを信じられませんでしたし、信じたくありませんでした。……ですが、そこを受け入れなければ私は勝てない。アルフィアさんを、奪えない!」

 

「っ、まだ言うか……!」

 

理由付けならいくらでも考えて来た。

心の主張ならいくらでも変えてやる。

それが自分の目的を果たす為ならば。

たとえそれが白色に見合わない酷く汚れた欲望に満ちた主張であったとしても。汚れた自分なんかより、今ここで母親を奪い取れない様な自分の方がもっと嫌いだから。

だから……!

 

「勇者でも英雄でも何でもいい!私は彼女を倒してオラリオを守ります!彼女と言う大悪を打ち倒して未来を繋ぎます!だから今だけは、何でもいいから力を寄越せ!!その代償は後でいくらでも払うから!」

 

「っ、お前は一体何がしたいんだ!!」

 

「そんなこと、私がずっとずっと知りたかったんですよ!!」

 

「!」

 

Lv.7のステータスを持つアルフィアでさえも本気で迎撃しなければならない程の凄まじい速度で、ユキは彼女に肉薄する。

飛び散る火花は先程の比ではなく、どころか純粋な力量だけで言えば既に互角の域に達しており、互いに耐久の無いステータスを考えるに、間違いなく必殺の一振りが何度も何度も打ち付けられる。

既に下層から這い上がる化け物は近い。

だがそれに気を割く余裕は既に2人のどちらにも無い。

リヴェリアは手元の袋に入れていた20本余りの剣を地面へと突き刺し、アルフィアの相手を完全にユキへと任せ、大敵との戦闘に向けて用意を整える。

ただ耳だけは、そして少しの思考だけは、どうしても背後で叫ぶユキの声を掴んで離すことが出来ずにいた。

そしてそれは他のメンバーもまた同様だった。

 

「私はずっと分からなかった!自分が何をしたいのか!自分が何になりたいのか!私の持っているものは、全部全部貰いものだから!!」

 

「っ、だからどうした……!!」

 

「白色になりたいなんて嘘っぱちだ!私が本当になりたかったのはお母さんだった!アストレア様だった!でも他人になるなんて無理だから!だから2人の様な真っ白な人になりたかった!その人そのものになれるのなら、なりたかった!」

 

「他人に成るなどとあまりに愚かしい!成った所で何をする!そこに一体何の意味がある!お前が他人になった所で喜ぶ者など居はしない!!」

 

「無理だって分かったから!意味がないと知ったから!だから白くなりたいって思ったのに!その願いは矛盾だらけだった!願っても!努力しても!そこに辿り着く事が出来なかった!真っ白になりたいって願った瞬間に、私の心の全てが否定されてしまった!」

 

「当然だ!貴様も、貴様の母親も!女神アストレアも!私の妹でさえも!完全な白色などではなかった!そんなものあり得るものか!完全な白色など、この世界には存在しない!そんな容易く汚れるその様な存在など、当然の欲でさえも色として見做してしまう惰弱な存在など、この汚らしい世界にあってはならない!」

 

「でも、便利だったから!私は勇者なんかじゃない!英雄なんかじゃない!私がなりたいのは白色なんだって!心が白ければ助けたい人を助けても良いんだって!そう言い訳するのに便利だったから!だから私は縋り付いたんだ!その重荷から逃げる為に!重荷を背負う怖さから逃げる為に!自分の醜い心根を誤魔化す為に!その考えそのものが!これっぽっちも白くなんか無い癖に!!」

 

「馬鹿を言え……!お前が重荷から逃げられる筈が無いだろう!お前はその恐怖から逃げなどしないだろう!お前が頭でいくら英雄の試練から逃げようと考えようとも!いざ目の前にすれば決して逃げる事など出来ないだろうに!いざ苦しむ人間を見れば見捨てる事など出来ないだろうに!」

 

「逃げたい!怖い!関わりたくない!私が関わればまた要らない犠牲が出てしまう!私ではない他の人ならもっと上手くやれた筈なのに!他に私より凄い人が居ればもっと沢山の人を救えた筈なのに!それなのにどうして!どうしていつもそこには私しか居ないんですか!どうしてリヴェリアさんやアルフィアさんが!そこに居てくれなかったんですか!!」

 

「ぐっ、ぁっ!!」

 

押し切る。

純粋な剣撃で、ついにユキがアルフィアを上回る。

もう既に魔法は使用していない。

意味がないと知っているから。

純粋な大剣による近接戦闘だけで打ち勝った。

ステータスでさえ追い付ければ、それまで延々と近接戦闘をメインに鍛錬と死線を潜り抜けてきたユキが勝つのは明白だった。

勿論、その精神性を考慮しても。

 

「戦うのはいつも私だった!私しか居なかった!だから必死になった!でももし、もしそこに他に誰かが居てくれれば!もしアストレア様も戦えたなら!」

 

「うっ、このっ……!」

 

「こんな世界!知りたくなかった!ずっとずっとお母さんと村で生きていたかった!ずっとずっとクレアと夕陽を見ていたかった!それなのにどうして!どうして!!どうしてみんな!!!私に戦いを求めるんだ!!!!」

 

「しまっ……!」

 

「私は本当は!!!誰とも戦いたくなんてないのに!!!!」

 

「っ!!『福音/ゴスペル』……!!!」

 

「がっ!?!」

 

打ち付け、斬り付け、殴り付け、

そうして一瞬の隙を突いてアルフィアの大剣を弾け飛ばした直後、アルフィアはついにそれまで秘めていたその魔法を使用した。

魔法:サタナス・ヴェーリオン。

音の塊を相手にぶつけるという、本当に単純なそれだけの魔法。

だがそのたった一言で、それまで優勢を保っていたユキは容易く大きく吹き飛ばされた。

 

「ユキ!!」

 

思わずリヴェリアが振り返る。

この日の為に音波を遮断する効果を持った指輪型の魔道具を与えている。そうでなくともリヴェリアは自身の持っている魔法を軽減する首飾りと衣服を与えている。

致命傷にはなり得ない。

だが、それでも心配で仕方なかった。

それまでユキが叫んでいた事を聞いていた身としては。

 

「……ああ、そうだとも。悪いのは我々だ、ユキ。お前が嫌だと拒んでいても戦わざるを得なかったのは、全て力を持たない私達冒険者のせいだ。仮に我々があの時に黒龍を打ち倒していれば、そうでなくとも後達共が我々以上の力を身に付けていれば、お前は涙を流しながら戦う必要はなかった。お前は今頃何処かで平凡に暮らせている筈だった。今更それを言い訳するつもりはない」

 

「っ……」

 

「ああ、そうだとも。だから私は許せない。今日まで力を伸ばす事もせず地位の盤石だけを求め続けた愚かな冒険者達を。そして何より自分達の力に慢心し、最後には敗北という結果しか残す事の出来なかった無様な自分達を。……故にもう一度、この世界は絶望しなければならない!絶望し、追い込まれ、地獄を乗り越える力を付けなければならない!次こそ必ず!この世界から全ての絶望を完全に拭い取る為に!」

 

「…………」

 

 

 

 

 

 

「でも私、人には恵まれたんですよ。アルフィアさん」

 

 

「!!」

 

 

そう言って大剣を地面に突き刺し、ユキが静かに立ち上がる。

それまでの悲痛な叫びとは一転して、表情だけは見えずとも、涙も悲しみもない普段通りの声で。魔法の直撃を受けても、そう大きな損傷を受けておらず、むしろ再び闘気を漲らせる様に。

 

「私の人生は、それだけは胸を張って言えるんです。本当に人に恵まれているって」

 

「なに、を……」

 

「他人から貰った物に縋り付き、矛盾を抱えているのに目を逸らし、重荷や負担から逃げる事ばかり考えていた私のこの最低な人生。こんなもの本来なら誰かに話せる物でも無ければ、私自身全部全部消してしまいたいとすら思っています。……ただそれでも、出会いの良さだけは誇れるんですよ。だって最後にはこうして……私は最後にはいつもこうして、確かに、笑えているんですから」

 

「っ!?」

 

笑っている。

笑えている。

ユキは今、笑っている。

間違いなく、嘘偽りなく。

彼女は今心の底から笑えている。

 

「っ……!なぜ、なぜ笑えるんだ!お前は……お前の、お前の立場ならば!他の誰かを恨んでも良かったろうに!力の無い奴等や!何も出来なかった私を!お前は怒り憎んでも良かっただろうに!!」

 

理解ができない。

意味が分からない。

アルフィアはユキが何に悩んでいたかを知っている。

それがどれだけ彼女を苦しませていたのかも知っている。

それなのにどうして笑える。

何故立ち直る事が出来る。

何があれば欠片の憎悪すら抱く事なく生きていられる。

どうしたらそんな風に、この期に及んでさえも、お前は私にそんな愛おしげな表情を向ける事が出来る。

 

「そんなに疑わしいんですか、私がアルフィアさんの事を少しも憎んでいないという事が」

 

「!」

 

「そんなに信じられないんですか、私がアルフィアさんの事を心の底から少しの嘘偽りもなく好いているという事が」

 

「…………!」

 

「それなら、証明して見せますよ。私がどれだけアルフィアさんの事を想っているのか、この身を以て」

 

背後の空間から巨大な黒色の首が現れる。

凄まじい爆炎と共に、その巨大な身体が姿を見せる。

けれどそれにユキは見向きもしない。

アリーゼ達が吠える。

リヴェリアもアイズも全ての神経を目の前にだけ向ける。

この空間は今や完全にユキとアルフィアだけのものとなった。

2人の間で交わされる言葉とやり取りに、最早耳を傾けられる者はここには居ない。

今からされる全てのやり取りは2人だけのものだ。

ユキは自身の持っていた剣を3本とも地面へと突き刺し、アルフィアに向き直る。そうして瞳を閉じ、何かを迎え入れる様に立ち塞がった。

あまりに無防備に、そしてあまりに無警戒に。

彼女に対して、ただ穏やかな微笑みだけを返す。

 

「魔法を撃って下さい、私に」

 

「っ……本気で言っているのか?」

 

「ええ、そうして証明してみせます。私の考えている、全ての事を」

 

「……後悔するぞ」

 

「しませんよ、断言します」

 

「最早加減はしない、全力で放つぞ」

 

「構いませんよ、私は生き残りますから」

 

「……お前のせいで、私の計画は滅茶苦茶だ。本当にお前さえ居なければ、私は全てをこの戦いに賭ける事が出来ていたと言うのに……!」

 

ああ、それは本当にそうだろう。

ユキさえ居なければアルフィアは目的を見失う事なくただ遂行する事が出来た筈だ。

だがユキと出会ってしまったせいで、結局今日の今日まで直接的に1人たりとも殺す事すら出来ず、どころか全ての行動において他ならぬユキに邪魔をされてしまっている。

怒りは沸く。

冷静さを失っている。

 

『福音/ゴスペル……!!』

 

許せなかった。

妹以外にこれほど自身の心を乱すユキが。

理解出来なかった。

色々な意味で裏切った自分を相手に、ここまで誠実に向き合ってくる娘の事が。

最早怖くもあった。

自身を汚い人間だと言う目の前の少女が、アルフィアにしてみればどうしてそこまで綺麗であれるのかと理解すら出来ない事が。

 

……故に、それはこの行き詰まった心の停滞を打開する為に放った一撃だ。

怒りだけではなく、困惑と悲痛、そして理解の出来ない自身の感情と相手の存在。その全てによって混乱し切ったアルフィアが言葉と勢いに任せて放った、静寂とは対極に当たる様な心の動きによって打ち込まれた音の弾丸だった。

……正直に言えば、自ら放った直後に目を見開いて動揺したのは隠し様のない事実だった。いくらユキであっても、いくら装備を整えていたとしても、無防備な状態では致命的になってしまう程の威力がその魔法には込められていたからだ。

倒さなければならない。

けれど殺したくはない。

そんなアルフィアの複雑な2つの感情が正に表に現れた瞬間だった。

そしてだからこそ、次の瞬間に起きたその出来事に、彼女はあまりにも衝撃を受ける事になり。

 

 

 

 

 

 

 

 

『母の心音/ゴスペル』

 

 

 

 

 

 

 

「なっ……」

 

トクン、と。

 

ユキのその小さな口から放たれた聞き覚えのある言葉と共に、微かな心音が響き渡った。周囲のあらゆる騒音を、その一瞬だけは完全なる静寂へと変えてしまう様な。

 

「今の、は……」

 

 

 

『母の心音/ゴスペル』

 

 

 

たった一言。

何より短い超短文詠唱。

誰よりも知っているその詠唱文。

 

それを呟いたのは自分ではなかった。

それを使ったのは正面の少女だった。

 

一瞬の心音。

広がる微風の様な圧力も音も存在しない心地の良い灰色の波。

 

アルフィアの渾身の魔法が消滅する。

全てを破壊する音の塊が霧散する。

その灰色の波が、破壊の痕跡を一つ残らず解きほぐし、静かで心地の良い音の響きへと染め変えていく。

 

雑音が消えた。

静けさだけが周囲を包んだ。

耳に残るのはたった一つの心音だけ。

アルフィアは思わず目を見開いた。

そして目と目があったユキは、自分が頭で想像していたよりもずっとずっと優しい顔をしていた。

それこそ本当に、今やどちらが母親なのか分からなくなるくらいに。

 

「その、魔法は……」

 

「『平穏の園(エデン・オブ・アタラクシア)』……私がついこの間発現した魔法です。詠唱式は【母の心音/ゴスペル】」

 

「それは、その魔法は……!」

 

「恐らくこれは、アルフィアさんへの想いが形になったものです。詠唱式は勿論、魔法を打ち消したこの効果でさえも、きっとアルフィアさんの物なのでしょう?」

 

「!」

 

ユキの言う通り、アルフィアにはまだ見せていない【静寂の園(シレンティウム・エデン)】という付与魔法がある。

見せていると言うよりは、常に周囲に張り巡らせ魔法を打ち消す鎧として機能させているものだが、それについてユキが知る機会は無かった筈だ。

それこそついさっき、剣に宿った魔法を打ち消した時以外には確実に教えてはいない、知っている筈もなかったというのに。

 

「でも、きっとこの魔法の効果は偶然です。ただ私にとって何よりも福音として相応しかったのが、そしてこの心に平穏を齎してくれたのが、他でもないアルフィアさんの心音だったというだけで」

 

「!!」

 

「……なんて、本当はこの場で使うまで私自身もあまりこの魔法の事について理解出来て居なかったんですけどね。解釈を間違えていたら吹き飛ばされてしまう所でした。想像していた通りの効果で良かったです」

 

「なっ」

 

もう、どこから文句を言えばいいのか分からない。

叱ってやりたい、怒ってやりたい。

どうしてそんな無茶をするのだと。

なぜもう少し試す様な事をしてこなかったのかと。

……けれど、今は何より動揺してしまっている。

全てが全て、ユキの言う通りだったから。

こんな魔法を見せられては、納得するしかなかったから。

この少女は本当に、心の底から、今でさえも、あれだけの事があり、あんな風に裏切った自分の事を、母の様に慕ってくれていると言う事が。

 

「………」

 

アルフィアの表情が苦しく歪む。

ユキが魔法にまで現れる程に自分の事を考えていたと言う事実に、胸が酷く痛みを訴える。

目の前の少女が綺麗で誠実な程に、自分の弱さと醜さが浮き彫りにされる様で。その献身性に少しも報いる事が出来ない自分という存在の意味が分からなくて。

どうして自分が今ここでこうして立ってしまっているのかと、またオラリオに来る前に定めていた決意にヒビを入れられてしまう。

 

「……愛していたんだ、お前の事を」

 

「!」

 

「愛してしまったんだ、お前の事を」

 

「アルフィアさん……」

 

俯き額に手を当てるアルフィアが、まるで告解でもするかの様にそう呟く。

少しでも吐き出さなければ。

口に出してこの感情を整理しなければ。

心が膨張して弾けてしまいそうだったから。

弾けて、出すべき物ではない物まで曝け出してしまいそうだったから。

それを秘める様に、閉じ込める様に、歯を食い縛りながらも、それでも少しずつ彼女は語り始める。

 

「最初は、妹に似ているからだった。だから気に掛けた、少しくらいならばと。最後に責任を持って、この手でその命を奪うのならばと。そう言い訳をして、お前に手を差し伸べた」

 

「……嬉しかったですよ、本当に」

 

「だが、いつの間にか私の情は一時の親子ごっこをするには過剰になり過ぎていた。それこそ本当の娘の様に、お前の事を大切に思ってしまった。……この手でお前の命を断つなど、あの夜に何度考えても出来なかった。そして愚かしくも私は逃げ出した。己の約束した責務から」

 

「……アルフィアさんとの生活があったからこそ、私は今生きていられるんです。もしあの時ああして外との接触を勧めてくれなければ、私は今でも絶望したままでした」

 

「最初に半端な事をした、故に私は今日まで何もかもを半端にしか出来ていない。最初にすると決めた事でさえも、今でさえもそうだ……!都市の破壊者としても、お前の母親としても、私はどちらにも成りきれずに半端な気持ちでここに立っている!」

 

「……だから奪いに来たんです。あの夜だけじゃない。私は貴女と本当の家族になりたい」

 

「っ!!」

 

心が揺れ動く。

半分にせめぎ合っていた片割れが引き寄せられ、もう半分がそれを行かせまいとヒビ割れながらも必死になって食い止める。

アルフィアがユキによって吹き飛ばされた大剣をもう一度その場で拾い直し叩き付けたのは、きっとその心の現れだ。

これ以上その言葉を聞いていたら、本当に絆されそうになってしまうから。

 

『……やはりお前は冒険者だな、アルフィア』

 

何処かからエレボスのそんな声が聞こえて来る。

だがもうそちらに目を向けるつもりはない。

そんなことは分かっている。

自分はどこまでいっても冒険者だと。

良い女に、良い母親になど、なれはしない。

目の前のこんなに出来た子供の母親になど、自分は決して相応しくはない。

 

「……私は、お前を傷付ける。ああ、そうだ。言い訳の余地もない程にお前を傷付ければ……もう2度と母親などと名乗れない程にお前に害を与えれば……私は真実引き戻す事などできなくなる」

 

「させませんよ、そんなこと。それにそんな事で私が諦めると思われているなんて、それこそ心外です」

 

「構えろ、ユキ。これが一番分かりやすい。私はお前を傷付けて母親という責務を下ろす、お前は私を傷付けて都市の破壊を食い止める。これはただ、それだけの話でいい」

 

「……やっぱり私のことを、殺してくれはしないんですね」

 

「っ、もうこれ以上私の心を乱してくれるな!ユキ!!」

 

再び2つの剣撃が衝突する。

勝たなければ掴めない。

勝たなければ捨てられない。

けれどそこにユキの言う通り、相手を殺さなければならないという思考がまず頭に無い事は……今でもアルフィアの中に確かにユキに対する愛が残っている事の、何よりの証拠となってしまっているのだろう。

そんな事実すらも思考から飛ばし、考えることを捨てて、こうして剣を振るっているその様子は……本当になんと彼女らしくない事か。

それすらも彼女自身が一番よく自覚してしまっているのも、今こうして彼女を追い詰めている要因の一つとなっているのだが。


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