「ユキが……その女の、恋人だと……?」
これでもかと言うほどにアルフィアの目がかっ開く。
「しかもユキが、男だと……?」
そしてあまりの驚愕に身体が震える。
ガシャンと音を立てて大剣を落とす。
「そうなの!私も最初は驚いたのだけど、ユキってばあの見た目で男の子みたいなの!だから私も結婚するならあんな可愛い子がいいなぁって思ったのよ!」
「ま、ま、ま、待って下さい!ユキが男性だと言う事は知っていましたが、こ、こ、こ、恋人!?恋人が居たのですか!?それもお相手はリヴェリア様……!?そ、そんな事が……!」
「あ、いや、それはだな……」
アリーゼとリューの言葉に、リヴェリアは思わず顔を赤らめながらも何とも言えなくなる。
もう剣を振るとかどうこうの話では無いというか、そもそもアルフィア自身がその場に大剣を落として呆然とし始めてしまったというか。
リューもまた何やら深刻そうな顔をしてリヴェリアを見つめている。
「ユキが、男……ユキが、男……男、おとこ……」
「今よ!みんなGOGO!」
「なっ!えっ!?い、いいのですか不意打ちなんて!?」
「早くせんか阿呆妖精!ハァッ!!」
武器を手放した敵。
それが11人掛かりでもボコボコにされる様な圧倒的な強敵。
不意打ちはよろしくないが、この好機を逃すのもまた敵を侮っているとも言える。
……なんて強引な理由付けをしながら、アリーゼの掛け声に合わせてリューはアルフィアに襲い掛かる。
だが、事実そうだ。
ここを逃すなど有り得ない。
というかこうでもしなければ敵わない。
アルフィアの恐ろしい所は近接戦闘も可能と言う事だ。
足元に転がっているあの大剣だけでも奪い取る事が出来るのなら、それだけで戦況は変わって来る。
ここに最早何も言うまいと微妙な顔をしながら言葉も語らないライラも加わり、四方からアルフィアへと突撃する。
その内の一つだけでも当たれば良いと、そんな単純な考えでは有りつつも、考えるだけで何もしないよりマシであると、間違いなく最善の手を選びながら。
『……………ああ、別に男でも構わないのか』
「なっ!」「まずいっ!?」「やべっ!?」「ちょっ、立ち直り早過ぎない!?」
「退け、小娘共」
「「「「ごふっ!?」」」」
全員の武装が彼女の手足によってカチ上げられる。
無防備になった身体。
そこに叩き込まれるのは純粋な掌底。
しかしそれもまた彼女が何処かの誰かから盗み奪った技術の一つであり、四方から突撃した彼等は、その四方に向かって十数mも彼方へと吹き飛ばされる。
彼女等の判断は間違ってはいなかった。
もしもう少しでもアルフィアの復活が遅れていれば、まず間違いなくその大剣を奪う程度の事は出来ていた筈だろう。
想定外であったのは、男性だと判明した所で僅か数秒の思考で『まあ別にそれでも構わないか』と思わせる様なユキの人間としての在り方であって。
「た、立ち直りが早かったなアルフィア……」
「男だろうと女だろうとアレの愛らしさは変わらない。むしろ良い所の両取りが出来て良いくらいだろう」
「……お前、最早完全に母親である事を受け入れているではないか」
「そんな事はどうでもいい」
「ど、どうでも……」
さっきまではあれほど母親で在る事にどうこう言っていた人間とは思えない言葉。
だがリヴェリアにはその理由が分かる。
今どうしてこんな風にリヴェリアに向けて殺意を向けられているのかも分かる。
だってそれは解決していないから。
ユキが男であることは飲み込んだのであろうが、その事実だけはまだ彼女は飲み込めていないから。
そしてそれは、少しばかりリヴェリア自身も後ろめたい気持ちがあるから。
「……答えろエルフ、お前がユキの恋人であるという事は事実なのか」
「ユ、ユキ曰くそうらしいが……だ、だがそれはあくまで未来の話だ!今の私は決してそういった関係では無い!」
「それが……それが言い訳になると思っているのかこの年増がぁ!!」
「と、年増!?」
「貴様自分が一体幾つだと思っている!?未来の自分の話だと!?ならば少なくとも今より7つも歳を貪ったお前とユキが恋人関係だと言う事ではないか!!貴様の年齢を言ってみろ!!」
「そ、それは……」
「100は間違いなく超えている糞ババアであろうが!!」
「ハ、ハイエルフとしてはまだ若い部類だ!!ババアと呼ぶのはやめろ!それに私だって話を聞いた時から気にしていたんだ!」
「恥ずかしくないのか!!」
「ユキから話を聞く度に十分に恥ずかしい思いをしている!!」
アルフィアが猛烈な勢いで大剣を振り下ろすのを、リヴェリアはアリーゼ達の助けを借りながらも必死に避けて逃げ惑う。
この話には流石のアリーゼも口を挟めない。
それは完全にアルフィアの地雷だからだ。
何よりアルフィアには思い返せば納得出来る記憶が大いにあったのも問題だった。
ユキが自分で買って来た何処となく目の前のハイエルフを思い起こさせる様な衣服。
エルフが好んで食べそうな野菜のスープ。
そして度々言っていた、大切な人という言葉。
思い返すだけでイライラする。
自分が好んだあのスープが、元はこのエルフを喜ばせる為にユキが作っていたというその事実が。
「殺す……!!」
「お前っ、それは都市の破壊とは全く無関係な殺意だろう!!」
「私の娘に手を出した年増のババアなど!この手で必ずやその息の根を止めねば大人しく死んでもいられるものか!!」
「完全に娘と言っているではないか!!危っ!?」
リヴェリアの顔面目掛けて福音/ゴスペルが飛んでくる。
アルフィアの攻撃は徐々に猛烈さを増していく。
威力も速度も、アリーゼ達がこれだけ必死に量で抑え込もうとしても次第に抑え切れなくなってきて……
「フィィィィン!!!どういう事だぁあ!長期戦に弱いってのはなんだったんだぁあ!!こいつ弱くなるどころか手が付けられなくなってんぞぉぉお!!」
「ユ、ユキとも相当な長時間戦って居た筈なのですが……!!私達も手加減など少しもしていないというのに!!」
「あ、愛の力ね!きっとそうね!うん!でもこれどうしよう、困っちゃうわ!私達の方が先に体力が尽きてしまいそう!というかもう疲れてしまっているのだけど!」
「言っている場合か!抑えろ!抑え込め!疲労は確実に体内に蓄積している筈だ!一度崩れれば直ぐにでも瓦解する筈だ!こっの……!」
アルフィアには病がある。
だから長期戦に持ち込めば必ず優勢に持ち込める。
そう断言したフィンの言葉も虚しく、むしろ勢いを増していく彼女に皆必死だ。
リヴェリアも流石にこれ以上は体力的に苦しい。
「言えぇ!貴様はユキを愛しているのか!」
「あ、愛しているのはこっちの私ではない!!」
「愛していないのかぁぁあ!!」
「どちらを言っても怒るではないかお前は!!」
最早これから引き起こす惨劇に目を閉じていた女は何処にもいない。
ただ目の前の事実をその目で確かめようとする母親だけがそこに居る。
見下ろしていた男神は笑う。
嗤うのではなく、笑う。
それが自分の想像していた形では無くとも、子供達の様々な感情や主張の混沌を、心の底から面白がる様に。
「くくくっ、ふははははっ!なんだそれは、なんだこの光景は!くくく……ダンジョンを這い上がろうとする2つの災厄が存在しているこの空間で最も燃焼しているのが恋話だと?ああ、本当に面白くて仕方がない。お前もそうは思わないか、アストレア?」
「……エレボス、これが貴方の見たかったもの……な訳ないわよね。それは流石の私にも分かるわ」
「ああ、俺の思い描いていたものはこれほど滑稽な物ではない。正邪の決戦、最終防衛戦。37階層より神の力に反応し這い出た『神獣の触手/デルビュネ』と過去の英雄であり現代最高の壁となり得る『静寂のアルフィア』。これに加えて何の因果かダンジョンによって呼び出された過剰な防衛機能である『ジャガーノート』。あれが出た瞬間に正義の眼には絶望が宿ると思っていたのだがな。やはり子供達は常に俺達の想像を簡単に上回るらしい」
「……貴方は滑稽に思うかしら、そんなあの子達を」
「まさか、むしろ予想を超えた行動や現象にこそ俺達は胸を躍らせるものだろう?……そういう意味では俺はお前にも驚きだ、アストレア。まさかこんな所にまで来るとはな」
「正義と悪の決戦に、貴方がいるのに私が居ないだなんて有り得ないでしょう?ヘルメスに無理を言って送って貰ったわ」
「くくく、苦労人だなあいつも」
「そうね、彼にはいつも無理を頼んでいるわ」
「ああ、俺も天界ではよく頼んでいた」
「……ねぇエレボス、もう余計な言葉は要らないかしら」
「ああ、必要ない。語るのは全てが終わった後でいい。最早お前には隠す必要もないだろう、全てを」
「……ええ、そうね」
神々は見下ろす。
子供達の行く末を。
そして、子供達の選ぶ道のりを。
【祝福の禍根、生誕の呪い。半身喰らいし我が身の原罪ーー】
「長文詠唱!?3つ目の魔法!?」
「嘘でしょ!?このタイミングで!?全部リヴェリア様のせいじゃない!」
「言っている場合か!早くアレを止めろ!!」
アルフィアの魔力が急激に高まる。
リヴェリアを襲っていた彼女がその足を止め、その色の違う両眼でしっかりと彼等の事を捉え、その尽くを滅さんと詠唱を呟く。
【禊はなく。浄化はなく。救いはなく。鳴り響く点の音色こそ私の原罪】
「ざっけんな!長文詠唱してても動き全く変わってねぇじゃねぇか!」
「くっ!?反撃まで!?魔法使いとしての技量の桁が違い過ぎる!」
「全員急げ!あれこそがアルフィアが海の覇王(リヴァイアサン)に止めを刺した最後の魔法!全てが吹き飛ばされるぞ!」
【神々の喇叭、精霊の竪琴。光の旋律、すなわち罪過の烙印】
止まらない。
止められない。
アルフィアの動きが止められない。
ユキはアイズと共にあの2体の竜を相手にするのに手一杯。
しかしリヴェリアでもあの動きはどうにもならない。
このままでは吹き飛ぶ、このままでは本当に砕け散る。
それこそこの階層そのものが。
【箱庭に愛されし我が運命よーー砕け散れ!私は貴様(おまえ)を憎んでいる!!】
「ライラァ!あれはいけるのか!?」
「一瞬しか触れてねぇから分からねえ!もう全員障壁と岩塊の裏に隠れとけ!詠唱止めるのは無理だ!!」
【代償はここに。罪の証を持って万物を滅す】
「全員リヴェリア様の元に走って!!ライラ!お願いだから成功させて!」
「それはあたしじゃなくて万能者と単眼の巨師に言いやがれ!くっそがぁあ!頼むぞ盾野郎ぉ!」
全員がリヴェリアの障壁の元へと集う。
再びリヴェリアは魔力を掻き集め、障壁を強化する。
しかしこんなのでは止められない事は分かっている。それは万全の状態でも無理だ。
だから全てはライラの盾次第だ。
アスフィと椿に作らせた、ゼウスが持っていたと言われる"魔除けの大盾(アイギス)"を元に作られたそれは、触れた魔法の効果を盗るという効果を持っている。
これを使えばアルフィアの魔法を無効化する効果を逆に与えられる筈なのだ。
ただ問題はその盾をアルフィアの拳による攻撃の一瞬しか当てられていないという事であり、それだけでは十分な量の魔法を奪えていたのかが分からないという事。
元々その無効化の付与魔法の下から福音/ゴスペルによる音魔法を放っていたアルフィアだ。
半端な量では軽減させる事は出来ようとも、彼女の最大火力の魔法を完全に打ち消す事は難しいと考えられてしまう。
【哭け、聖鐘楼】
「「「「!!!」」」」
咆哮が放たれる。
世界の全てを滅ぼし、
災厄の一つを消し飛ばし、
一度は世界を救った極大のその魔法が。
【ジェノス・アンジェラス】
(っ、発動しねぇ……!?)
世界が白と黒に染まる。
色が消え、音が消え、時間が止まる。
アイギスの盾は発動しない。
足りなかったどころではない。
むしろ、奪えていなかった。
あの一瞬の拳を受けただけでは奪えなかった。
もしくは、あの瞬間アルフィアは付与魔法を解いていた。
障壁が砕けていく。
世界がめくり上がっていく。
まるで全てが紙の様に。
空間の一つ一つがパズルのピースの様に。
この身体のあちこちにある細胞が一粒一粒粉々にでもされていくかの様な、錯覚に陥る。
海の覇王を殺したその一撃。
受ければ死ぬ、間違いなく。
Lv.3どころか、Lv.2しかないライラは間違いなくこの世界に肉片一つ残す事も出来ずに消えてしまう。
……せっかく、デートの約束をして来たというのに。
(死亡フラグで終わらせてたまるかよ、死んでたまるかよ……!!)
目を見張る。
必死に堪える。
抵抗しようとする。
まだ1秒すら経っていなその刹那で、ライラが出来たのはその程度の事だ。
障壁を張るリヴェリアよりも前に立ち、眼前にまで迫った破滅の光に歯を食いしばる。
ライラは諦めなかった。
その光の先に彼の姿が見えた様な気がしたから。
だから……
【母の心音/ゴスペル】
「信じてたぜユキぃい!!」
背後から放たれたその魔法。
ライラは盾を大きく宙へと掲げる。
時間はない。
何も考えずに盾の効力を思いっきり目の前へ向けて打ちかまし、何もかもを時の運に任せる。
出来た後輩だ。
自分とて必死だろうに、こうして2度も助け舟を出してくれた。
ならばもう負ける事はない。
後輩に支えられっぱなしの先輩など、みっともないにも程があるからだ。
「いっけぇぇぇえええ!!」
「っ!?馬鹿な!!」
本来のユキの魔法では打ち消すには足りなかったそれを、アイギスの盾が二重に増幅させて打ち破る。
消えた色を取り戻し、重なる2つの心地の良い柔らかな心音が割れた世界を修復する。
ライラは笑った。
勝ちを確信して。
アリーゼ達は走った。
こうなる事を信じていて。
「走れ!ここしかない!奴に攻撃を当てるには、必殺を切った今しかない!」
「リオン!!」
「アリーゼ!行きましょう!!」
詠唱は既に終えている。
最高速で走る炎と風の2本の線が混じり合いながらアルフィア目掛けて疾る。
眼にも止まらぬ全速力。
この一撃に全てを込める。
そうでなければこの怪物は倒せない。
打ち倒して、返してやるのだ。
この女が本来居るべき場所へ。
この女を本当に求めている後輩の元へ。
「まだだ、まだ負けはしない……!!」
アルフィアは動きの鈍い身体を強引に動かして大剣を振り被る。
彼女の身体はもう限界だ。
気力だけでここまで能力を強引に保たせて来たが、必殺まで費やした今、もう引き出せる力は存在しない。
だがそれでも、残り滓じみた筋力とこの身に写した技術を使えば、片方を叩き潰す事くらいは出来る筈だった。
それでも、アルフィアは気付けなかったのだ。
酷く眩しい二つの炎風の背後に、一つの影が追随していたことを。
『居合の太刀・五光』
「っ、お前は……!」
「忘れて貰っては困る、私もお前の娘を狙っている1人だ」
アルフィアの大剣が宙を舞う。
疲労したアルフィアでは見切れない程の技術の結晶が彼女の手を打ち隙を作る。
確かに輝夜は目立つ技は持っていない。
だが、持っていなくともリューと張り合える程に研ぎ澄まされた技術がそこにある。
リオンとアリーゼの派手さがあるからこそ、彼女の盤石たるその強さがよく生きる。
「これで!」「終わりよ!!」
「!?」
【炎華/アルヴェリア!!】【ルミノス・ウィンド!!】
そうして、都市の破壊者になろうとした女はその歩みを止められた。
未だ20にもなっていない様な未熟な少女達の奮闘によって。