既に炎は消え去り、けれど未だ2体の暴竜の咆哮とそれを抑えようと吹き荒れる暴風と閃光が木霊する空間の端。
体力を費やし、魔力を費やし、それこそ指一つ動かせなくなった女2人が壁にもたれ、自身の主神の元でステータス更新を行なっている少女達を見つめる。
戦意はない。
殺意もない。
これ以上に出しゃばるつもりも、毛頭ない。
「気分はどうだ、アルフィア」
「………いいと思うか、年増」
「おい、今の私でもお前の頭を引っ叩くくらいの事は出来るのだぞ小娘」
「……ああ。そういえば、私はまだ24だったか。ユキと過ごしているうちに忘れていた」
「その年齢でLv.7に至っているという事実が未だに信じられんよ。その母親としての貫禄もだが」
「……母親、か」
ユキが戦っている。
凄まじい速度で放たれるジャガーノートの破爪による攻撃を、光を纏ったその身体でそれ以上の速度を出して躱し、敵を見失い無防備になったその爪をザルドの模倣した剣撃によって破壊する。
そんな魔法の使い方をしていれば自分の身体にダメージもあるだろうに、それをLv.6並みとなった身体の強度だけで強引に抑え込み、ダンジョンの防衛機能を翻弄している。
さらに同時に残りの安剣を総動員させて反対側で一人で神獣の触手/デルビュネと戦うアイズのカバーまでしているのだから、アルフィアは彼女を素直に称賛するし、何処か誇らしくも思ってしまう。
そしてそれを自覚する度に思うのだ。
やはり自分はどうしようもなく母親になってしまっていたのだと。
自分達の企てていた計画を今打ち壊そうとしている相手を、心の中ではこうして応援してしまう程に、自分はあの子の親になってしまっていたのだと。
けれどそれを何処か嬉しくも思ってしまうのだ。
気を抜けば自然と笑みを浮かべてしまうくらいに。
「エルフ、お前は言っていたな。ユキは7年後の未来からこの世界にきた子供だと」
「ああ、それはロキも神アストレアも頷いていた。まず間違いない」
「……つまり、いずれはこの世界を去るという事か」
「かもしれんし、ユキは去るつもりしかないだろう。元の時代にはユキと恋仲になった私も居るしな」
「その話を聞く度に殺したくなるから2度と話題に出すな糞ババア」
「流石に言い過ぎだろう……」
ユキがジャガーノートの爪を全て破壊する。
足にダメージを与え、機動力を奪う。
ステータスの更新を終えたアストレア・ファミリアもそこに加わり始めた。
近接戦闘が得意な者達がユキの元へ、遠距離が得意な者達がアイズの元へ向かい、Lv.4となったその実力を存分に奮っている。
……ああ、こうしているだけで明るい未来を見せられている様な気持ちになる。正しく優しい心を持った少女達が力を付け、それでもなお心情を変える事なくこうして前へ前へと走っているのだから。
その光景を見ているだけで、自分は一体何を心配していたのかという気持ちにすらさせられる程だ。
「……酷い奴だ、私を助けた所で自分だけは元の世界に戻ろうとしているのか。ここまでした癖にもう親離れするつもりなのか、あいつは」
「この世界のユキには興味はないのか?」
「あるに決まっているだろう、だがそれとこれとは話は別だ。私が娘と認めたのはあいつだけだ、いくら同一人物と言えど私はまだ認めていない」
「ならばこちらの時代のユキは私が保護してもいいのだな」
「駄目だ、絶対に渡さん。お前にも、あの小娘達にも、絶対に渡してなるものか」
「……………はぁ。そういえば、この時代のユキは未だ故郷で母親と暮らしていたらしい。その次の年に女神アストレアと出会い、更に1年後に故郷の村と共に母親が死ぬ。私が知っているのは、ここまでだ」
「!……なぜ教える、その様な事を」
「どうせ私達がどう庇おうとも、お前はオラリオを追い出される身だろう?ならばせめて側に居てやってくれ。恐らくこの世界ではアストレア・ファミリアは壊滅せず、女神アストレアもオラリオを離れない。そうなれば母親の居なくなったユキの側に居てやれるのは、お前だけだ」
「……お前とて、迎えに行きたい欲はあるだろう。それこそあの小娘達もまたそう考えている筈だ」
「私にはまだアイズが居る、今の私にはこれ以上に子供の世話を焼いてやれる余裕がない。それにあの娘達にユキを任せるのは少々恐ろし過ぎる、何をされるか分かったものではない」
「ああ……それは同感だ」
「だからお前に任せたい。お前ならば、ユキを間違った育て方はしないだろう」
瞳を震わせる。
もう一度ユキへと目を向ける。
ジャガーノートの機動力を完全に削ぎ、今やその相手をアストレア・ファミリアへと引き渡した彼女は、今度は最早2本しか残っていない安剣の代わりにアイズの横に立つ。
その顔には、もう曇りは無かった。
あの時見ていた泣き顔も、もうそこには無い。
「……果たして私に、あれほど強く、優しく、そして愛らしい子供に育てる事が出来るだろうか」
「……出来るだろう、お前が娘に理想を押し付けさえしなければ。あのユキは最初の母親と女神アストレアを見て育ったが、こちらのユキは最初の母親とお前を見て育てさせればいい」
「ふっ、ロクな人間にならんぞ」
「ユキは言っていなかったか?お前が母親で良かったと」
「……似た様な事を言っていた」
「ならば問題あるまい、お前はいい母親になる。相談ならばいつでも乗ろう、同じ母親としてな」
「……大切な娘が年の離れた女に誑かされている、どうすればいい?」
「うぐっ、お前が居る限りは未来永劫そういった可能性は無いだろう。生半可な覚悟では確実に殺される」
「やれやれ、これではおちおち命を落とす事も出来んな……噂の聖女とやらならばこの病を治す事が出来ると思うか、エルフ?」
「どうだろうな、だが見せてみる価値はある筈だ。……なに、心配するな。既にフィンがお前は娘を人質に取られて無理矢理従わされてるただけの哀れな女だという噂を街に流している。ユキのおかげでお前からの直接的な犠牲も殆ど出てはいない。多少の滞在は見逃される筈だ」
「……都市の破壊者が哀れな母親になったか。最早滑稽を通り越して顔から火が出そうだ、無様にも程がある」
「何れは感動話にでもして本にしてやる、そうすれば再びこの地を訪れる事も許されよう」
「それこそ、どの面下げてこの街に顔を出せばいいのだ私は……」
神獣の触手が悲鳴を上げる。
放たれた風と光の奔流がその黒い巨体を穿つ。
自慢の娘達が、成し遂げた。
黒色の肉体が崩れ始め、のたうち回る巨体も徐々に灰へと変わり始める。
そして、それと同時に背後でもジャガーノートの身体が崩れ始めた。
アリーゼ達もまた脅威を討ったのだ。
ジャガーノートの脅威と対策をユキに叩き込まれ、実質的には事前練習の様な形になってしまったが。
「リヴェリアさん!アルフィアさーん!」
「………本当に変わらないのだな、お前は」
請い焦がれた平穏。
向けられている満面の笑み。
ああ、お前はいつもそうして顔を汚している。
最初に会った時も、最後に別れた時も、そして再びこうして目と目を合わせた今でさえも。その綺麗な顔をこれでもかと言うほどに汚している。
身体の表面のあちこちに爆ぜた様な、溶けた様な血の滲む跡を付けて、精魂尽き果てた様にフラフラと覚束ない足取りながら一生懸命にこちらに走り寄って来て、何度も何度も死に掛けただろうに、何度も何度も殺し掛けた筈なのに、そんな自分に向かって何の警戒もなく嬉しそうに笑う、愛しい私の愛娘。
目の前に座り込む。
視線を自分と同じ位置にまで合わせてくれる。
膝と膝が触れ合うほどに、こんなにも近くに、居てくれる。
「……また酷い顔をしているな、ユキ」
「え、えへへ……流石に、2体相手はキツかったです。魔力も体力も集中力も、ぜんぶぜ〜んぶ無くなっちゃいました」
「……全く、せっかく綺麗な顔をしているのだから、少しは綺麗にしないか」
「あっ……にへへ」
ユキの顔を拭いてやる。
その頬に手を寄せ、優しく汚れを落としていく。
そうしてやればこちらが蕩けてしまいそうな程に嬉しそうな顔をして目を閉じるのだから、もう意思は揺らがない。
綺麗になったユキの頭を自分の胸元へ引き寄せ、その身体を強く強く抱き締める。
汚れも、汗も、血も、そんなものこれっぽっちだって気にならない。
「……お前をまたこうして抱き締められるなど、夢にも思わなかった」
「そうですか?私はずっとずっと信じてましたよ、こうなる事を」
「ああ、そうだろうよ。だからこそ私は……わたし、は……」
「ふふ、泣いてるんですか?お母さん」
「ば、ばかを言うな。わたしは、おまえと違って泣くなどと……」
「じゃあ、泣いてくれないんですか?お母さん」
「……卑怯者め。泣いてしまうに決まっているだろう、この馬鹿娘が」
何年記憶を遡っても、リヴェリアは彼女のこのような姿は見た事がない。もしかすれば妹が命を落とした時にも涙を流したかもしれない。もしかすればファミリアが壊滅した時にもこうして嘆いていたのかもしれない。
けれどそれでも、彼女がこんな風に誰かに縋り付いて涙を流す姿というのは、きっと無かった筈だ。
それだけは、リヴェリアでも分かる。
「ふふ、長生きしてくださいね?お母さん」
「……ああ、するとも。お前がそう望んでくれるのならば、私はいつまでも……」
「絶対、絶対ですからね?」
「ああ、約束する。今度こそ、この約束だけは、守ってみせる」
アルフィアに釣られて、ユキやそれを見ていた何人かまで涙を流し始めるのだから、それはもう酷い有様だ。
勝鬨を上げたりは出来なかった。
けれど、こういう終わり方もいいのかもしれないと思った。
しんみりと、感動的に。
最後に笑っていれるのなら、それでいい。
「やれやれ、結局いい話にされてしまったか。宣言通り本当にこちらの計画を滅茶苦茶にしてくるとは、恐れ入る」
「っ、エレボス……!」
「あー下がってろ小娘共、もう流石に何もするつもりもない。手下もあの通り、全員拘束されてしまっているしな」
そんな空間に一柱、この空気を壊しかねない神がアストレアに付き添われながら歩いて来た。
手下も部下のヴィトーも他のメンバー達によって捕らえられ、彼もまたアストレアや団員達に監視されているため、余計な事は何も出来るはずもない。
今回の黒幕。
全ての元凶。
男神エレボス、自称『絶対悪』。
全ての計画が破綻した彼は、けれど今も笑っていた。けれどそれは何かを企んでいた笑いではなく、むしろ何処か満足したような表情で。
「……軽蔑するか、エレボス。私のこの様な姿を」
「する訳がないだろう、アルフィア。どんな形であれお前は自身の役割を果たしてくれた、その末に何をしようがお前の勝手だ。……そもそも、そんな心配をするくらいならば迷いを見せたあの日に俺はお前を切り捨てていたからな」
「……それなら、これで貴方は満足したのかしら、エレボス」
「ああ、アストレア。どうせ地上も今頃は勝負が決し始めた頃合いだろう。当初想定していたよりも被害は少ないだろうな、ユキ・アイゼンハートという戦力がオラリオに増えた事で」
「……エレボス様も、オラリオに試練を与える為に動いていたのですか?新しい英雄を産む為に」
「そもそもそれをアルフィア達に持ち掛けたのは俺だからな。お前を見つけた時には肝が冷えたものだ、まさか別世界のお前がアイゼンハートの名を持ってこの地に現れるとは思いもしていなかったからな」
「っ!なぜそれを!?」
エレボスの言葉に驚愕したのはユキだけではない。
リヴェリアも、アストレアも、それこそアルフィアでさえも動揺を見せる。
知らない筈だからだ。
知らなかった筈だからだ。
少なくともユキが初めてエレボスと出会ったあの時には、知る事など出来ない筈だったから。
「いいや、知っている。俺はお前のことをよく知っている。お前の出自も、生みの親も……それこそ何故その様な奇妙な因果を持っているのかもな」
「奇妙な、因果……」
「分かるだろう?この戦いの最中でも、ダンジョンの防衛機能が2つも発動し、そのどちらもが本来想定されていたよりも強い力を持っていた。全てお前が原因だ、アイゼンハート」
「っ!!」
その言葉は刃だった。
表面を塗り固めただけのユキの心に突き刺されば即座に粉々に出来てしまう様な、そんな恐ろしい凶器だった。
アストレアとアルフィアの圧が増す。
この期に及んでユキの心を責めに来たのかと、そう思ってしまう。
だがそんな2人に向けて、エレボスは誤解だと言うように手を振るった。
彼女の心を攻撃するつもりなど自分には無いと、そう言うように。
「ここからは舞台終わりの種明かしの時間だ、ならば話すとしよう。人の欲望から隠れ潜んだ一族と、彼等が祀った神々すら知らない繋ぎの英雄の話を」