【ヴェール・ブレス】!!
【福音/ゴスペル】!!
「……マジかよ」
「味方となるとここまで頼もしいものか、静寂」
開始直後に放たれた特大の紫色のブレスを、2人の魔導士が跳ね除ける。
階層の1/3を焼き尽くすほどの獄炎。
視界が一面紫色に染まる程の規模感。
最初の一撃で全てが終わったと思い掛けた。
しかしそれを容易く跳ね除けた2人は、そしてLv.7は、やはりどう見てもバケモノとしか言いようがない。
たとえ疲労していても、病の影響が出始めていても、それでも彼女は圧倒的な冒険者だった。
英雄と呼ばれたその実力は、不利を以てしてもユキを完全に抑え込んだその力は、今なお決して色褪せる事なく絶望の嵐を跳ね除ける。
「行け!アストレア・ファミリア!瞳を狙い、鱗を剥がせ!」
「ま、任されたわ!行くわよみんな!」
頼もしい、任せられる。
暗にそう言われた様に感じて、少しだけ気分を高揚させながらアストレア・ファミリアの精鋭達が走り出す。
鱗が硬いことなど百も承知。
それを突破できる攻撃力が無いという事も分かっている。
だがこの現状、こちらのアドバンテージがあるとするならば敵が巨体である事と、ここがそんな巨体が自由に動き回れるほど広い空間では無いという事だ。
確かにまともに当たれば即死、暴れられれば手が付けられなくなるだろう。決してこちらだけの利点になる訳ではない。
「それでも、目は剥き出しの臓器!そして何より重要な感覚機関!弾かれる事なんてまず無い……って、普通なら考えるわよね!」
だからこそ、本能的に龍は守るだろう。
人が蜂に襲われた時、衣服のない場所を隠す様に。あの龍も徹底的にそこを守るはずだ。
だからそれを利用する。
「輝夜、ライラ!どこでもいいから鱗を一枚剥がしちゃって!リオン、アイズちゃん!貴女達は私と一緒に敵の気を引くわよ!」
「わ、わかりました!」
「任せて」
「他のみんなはその補助と分析をお願い!ブレスの予兆だけは絶対に見逃さないで!絶対に全員で帰るんだから!」
「「「「了解!」」」」
Lv.4に昇華されたこの身体。
速度も力も大きく変わったが、それを慣らしている時間はない。強引にでも意識を合わせる。
しかしその甲斐あって、基本的に攻撃力よりも速度に秀でている者が多いアストレア・ファミリアの面々は、驚異的なスピードと連携で龍へと迫った。
吐き出される小ブレスをアルフィアが吹き飛ばし、その衝撃をリヴェリアの防護魔法が弾く。
【ウィン・フィンブルヴェトル】!!
そうして彼等が足元へと迫った頃、背後から照射された極寒の極大魔法によって、一時的にではあれど、その巨大な足は動きを止めた。
リヴェリアの第一階位攻撃魔法。
アストレア・ファミリアがその隙を縫って龍の身体を登って行く。
ただ1人の家族を救い出す為に。
【ーーーーー!!!!】
「っ、リオン!17階層に飛び乗って!そこから魔法を打ち込んで注意を引いて欲しいの!アイズちゃんは鼻先を飛び回って、少しでもリオンの負担を減らして!」
「うん、出来るよ」
「分かりました!アリーゼは!?」
「私はユキをどうにか引き剥がせないか頑張ってみるわ!せめて意識だけでも取り戻せば……きゃっ!?」
一気に頭を駆け上がり、全身を這い登る彼等を嫌がる様に暴れ始めた黒龍によって、一瞬振り落とされかけるアリーゼ達。
しかし、問題無い。
鱗にしがみ付いていれば、落とされない。
少なくとも、この龍に厄介な性質はない。
アルフィアが安堵したのはその一点に尽きる。
例えば全身から猛毒を漲らせ、周囲に毒の嵐を発生させる三大クエストの一体ベヒーモスは、その巨体だけでなく様々な驚異的な特異体質を持ち、ゼウス&ヘラ・ファミリアを大きく苦しませた。
もう一体のリヴァイアサンもまた同様だ。
どちらもこちらの全力を出す以前に、あまりに大きな負の影響を押し付けて来る様な輩だった。本体そのものも強大な力を持っているにも関わらず。
……故に、単純な力押しだけというならば対処は楽だ。そして訳の分からない初見殺しが無いのなら、これ以上に思考として楽な事もない。
確かに脅威度としては先ほどまで戦っていた神獣の触手やジャガーノートを大きく超えるだろう。
だが、それだけだ。
それだけなのだ。
それだけならば、可能性はやはりある。
「っ、輝夜!こいつの尾の付け根部分の鱗を剥がす!ここは奴の死角だ!攻撃も分かりやすい!」
「だが、どうやって引き剥がす!鱗一つにしてもオリハルコンと遜色無い強度!力付くでは無理があるだろう!」
「そりゃもう全部試すしかねぇ!オリハルコンつっても所詮は鍛治師に武器として加工されてんだ!地道に隙間開けて引き剥がす!お前は周りの警戒していてくれ!」
「チィッ、アリーゼもリオンもそう長くは気を引けん!手早くだ!」
「分かってらぁ!!」
持ってきた物は多くない。
適した物は確かにない。
だが、やれない事はない。
あとはやるだけだ。
「小娘!とにかくユキを引き剥がせ!恐らく今鱗を引き剥がしたとしても再生する!エネルギー源となっているユキを引き摺り出さねば意味が無い!」
「分かってるわ!今やってるもの!……でも、全然引き抜けないの!意識も戻らないし!これ以上やると上半身だけ取れちゃいそう!」
「チィッ!」
全身の鱗によって物理攻撃は通じない。
魔法攻撃もあまり意味を成していない。
しかし最初の作りを見る限り、あの龍には大凡肉体と呼べる肉は存在していない可能性もある。
鈍重な動き、今にも19階層へと穴を開けてしまいそうな程の見るだけで分かるその重量。そして目以外に鱗で構成されていない部分が全く存在しないという、龍としても異常なその見た目。
「アルフィア、まさかあの龍は……」
「ああ、恐らく肉体の9割以上が鱗と同等の物質で構成されていると見ていい。攻撃力もなく、厄介な能力もない。だが防御力だけがあまりにも突出している、殺す手立てが分からない。鱗を一枚引き剥がしたとしても、柔な部分が見えて来ない可能性が高い」
「しかしそれ程の重量、あの翼があったとしても飛ぶ事は叶わないだろう。むしろ今は下の階層へ落ちて行くことを心配すべきか、一度落ちればその勢いでかなりの下層まで連鎖的に落ちて行くぞ」
「やはりユキを引き剥がすか、鱗を取り外した部分から地道に構成を崩して行くしかあるまい。そもそもユキさえ引き剥がせば、後はいくら下層へ落ちて行こうが問題はない」
「全身が高純度のオリハルコン並みの強度……となると、やはり弱点は膨大な熱量か。私とアリーゼ・ローヴェルが適任だな」
「とは言え、いくら熱で硬度を下げたとしても、それをどうにかする程の攻撃力が我々にはない。ザルドやあのドワーフ並みの力があればいいが、ここに居るのは女ばかりだろう。鱗一枚剥がすのにも難儀するのは間違いない」
時間はない。
一度足を踏み外してあの龍が下層に落ちれば、その時点でユキの救出は格段に難しくなる。
しかし龍の鱗に囚われているユキを助け出すには、どうしても時間が必要だ。
それこそオリハルコンでさえも一撃で破壊出来るような強大な力が無ければユキを捉えている鱗を引き剥がす事も、敵の動きを止める事もできないだろう。
流石のアルフィアと言えど、あのオリハルコンの塊を撃ち破るには火力が足りておらず……
『火力ならあるだろう、ここに……!!』
「っ……ようやく来たか!」
天から響く強烈な破壊音。
遥か最上から降り落ちてくる2つの影。
十数の床を天床を破壊し、あらゆる障害を吹き飛ばし、ダンジョンを文字通り掘り進めて辿り着いた、決戦を終えた強者達。
来る事など分かっていた。
来ない事などあり得ないと知っていた。
欠片と言えど黒龍を元にした力。
その暴走を前にして、この男が易々と死に行く事など絶対に無いと確信していた。
たとえその身がいくら死に近づいていようとも。
「待たせたな、アルフィア」
「待ち望んだぞ、ザルド。……答えは得たか、十分に?」
「ああ、全て納得した。アレを殺して、終わりでいい」
「……そうか」
全身の黒鎧が大きく破損し、その紅い大剣さえもボロボロとなったその様でも。頭から激しく出血し、既に死んでいてもおかしくないと思えるその状態でも……男はこうして背を伸ばして敵を見る。射抜く。
死など超越しよう。
病や毒など蹴散らそう。
アレを前にして、あの力を前にして、立たない理由が何処にある。
立ち上がらない理由が何処にある。
「……アレを潰せば、この戦いは完全勝利と言えるのだな。九魔姫」
「オッタル……!ああ、そうだとも。邪悪な黒龍を打ち倒し、その額に囚われた麗しい姫を救い出すのが此度の英雄譚の締めくくりだ。今宵我々はこの難関を乗り越え、英雄達の僅か末端に名を並べる事となろう」
「……いいだろう、今ばかりはその口車に乗ってやる。何より我が女神の威神を示す為に」
手札は十分。
手順も十分。
あとは命を燃やすだけ。
アイズとリューが必死になって時間を稼いでいる。
ライラと輝夜が鱗を剥がそうと反撃をいなしつつ懸命に働いている。
それは決して無駄では無い。
絶対に無駄になどなりはしない。
いくら力があろうとも、出来る役割には限りがある。
「一撃だ、それで全てを終わらせる」
「ああ……"オッタル"、まさか半死人の俺に劣る様な無様な一撃は見せまいな」
「!……馬鹿を言うな、俺は確かに示した筈だ。この都市の最強が誰であるかを」
「ユキ……今こそ私はお前に返そう。これまでの借を、そしてお前への感謝を。お前は必ず、未来の私の元へ返す」
都市最高峰の4人の魔力が膨れ上がる。
満身創痍の4人。
それまで互いを削り合った2人と2人が、残った全てを賭けて敵を滅ぼさんと刃を向ける。
各々の全力、その全てをこの一撃に込める。
そして込めるのは、何も魔力や筋力だけではない。
1人は愛しい娘への嘘偽りのない愛を。
1人は別世の自分が恋した少年への感謝の念を。
1人は自身の剣を継いだ直向きな少女の生存を。
1人は自身の女神が望んだ完全なる勝利を。
願い、乞い、想い、望む。
今宵振るのは一振りでいい。
ただ撃ち破るのは、目の前の鋼の塊だけでいい。
【祝福の禍根、生誕の呪い、半身喰らいし我が身の原罪。禊はなく。浄化はなく。救いはなく。鳴り響く天の音色こそ私の罪。神々の喇叭、精霊の竪琴、光の旋律、すなわち罪禍の烙印。箱庭に愛されし我が運命よ砕け散れ。私は貴様を憎んでいる!代償はここに。罪の証をもって万物を滅す。哭け、聖鐘楼】
【父神よ、許せ、神々の晩餐をも平らげることを。貪れ、獄炎の舌。喰らえ、灼熱の牙!】
【銀月の慈悲、黄金の原野、この身は戦の猛猪を拝命せし。駆け抜けよ、女神の真意を乗せて】
【間もなく、焔は放たれる。忍び寄る戦火、免れえぬ破滅。開戦の角笛は高らかに鳴り響き、暴虐なる争乱が全てを包み込む。至れ、紅蓮の炎、無慈悲な猛火。汝は業火の化身なり。ことごとくを一掃し、大いなる戦乱に幕引きを。焼きつくせ、スルトの剣――我が名はアールヴ】
最大火力、最高威力。
単純、それでいい。
たとえどんな防御力があろうとも、たとえどんな力を持とうとも、ベヒーモスを打ち倒し、リヴァイアサンを消し滅ぼし、そしてそれに肩を並べようと足掻いた彼等の後進達との力が及ばない事など、決してあり得はしない。
(……名は知っている、存在は知っている。だがお前が何をし、何を思い、何を抱き囚われているのかは興味もない。知るつもりもない。それでも、女神は言った。『あの泣き顔の娘を救い出せ』と。あの方にしては珍しく、勝利を命じた時と同等の真剣な声色で。ならば俺がすべき事はただ一つ、全力を以て貴様を抱える災厄を打ち倒す。そして俺はこの戦いに幕を下ろし、女神に完全なる勝利を捧げよう。あの方の憂いは、今日この日に全て消し去る)
(お前を知った、お前の知った私を知った。だが私は、私になるまでは踏み出せなかった。それでも、私が踏み出した理由を理解した。お前と出会って、きっと私は変わるだろう。そしてこうしてお前と出会い、アイズを理由にお前を手放す事を、きっと将来私は後悔するに違いない。だがそれでいいんだ、私はお前を助けたい。私はお前に幸せになって欲しい。私なんかを心の支えにしてくれる、誰よりも強くあろうとしたお前に笑っていて欲しい。私の望みは、今はそれだけでいい……!)
(分からなかった、最後まで。お前が何を考え、何を思い、この俺の前に2度も立ち塞がり、その優しさを持ちながら何故俺の剣を知ろうとしたのか。何故立ち直れた、何故剣を取れた、そして何故お前はそれ程の物を抱えながらも戦い続けることができた。……ああ、認めよう。俺はお前と言葉を交わしたかった。お前の思いを、お前の歩みを、俺はアルフィアの様に穏やかに言葉を交わして知りたかった。だがそれは最早叶わぬ話、苦悩するアルフィアを知り、己からその未来を拒んだ。後悔していると言ってもいい。……故に、俺のする事は全て同じだ。お前に行動で、生き様で見せる。そして理解しろ、僅か2度の交りで、この俺がお前をどれだけ認めていたのかを。この生涯最後の一振りをお前の為に使い、お前の為に見せるという事にどんな理由があるのかを。焼き付けて刻め、その瞳に、その心に……!)
(母親だ、私はお前の。大切な娘だ、お前は私の。今なら自信を持ってそれをお前に伝えられる、自信を持って私は自分にそう言い切る事が出来る。たとえお前が元の世界へ帰ったとしても、その事実は変わらない。私がお前を愛しているという事実は変わらない。妹によく似たお前を、それでも私は自分の娘だと言い張ろう。他の誰よりも、お前の以前の母親達にも勝るくらいに愛していると、誰よりも声高く宣言しよう。誰よりも優しいお前を、世界を超えても誰よりもお前を愛していよう。絶対に救い出す、絶対に助け出す、お前がもう一度心から笑える世界へ連れて行く為に。……愛しているんだ、お前の事を。それだけなんだ、それだけでいい。この一振りに込める心は、ただ1つ。お前に対する愛情だけでいい……!)
「全員降りろ!急げ!巻き込まれるぞ!!」
見えているか、見えているだろう。
聞こえているか、聞こえているだろう。
ああ知っているとも、知られているとも。
心の準備も出来た筈だ、私はもう出来ている。
放て、破壊の奔流。
穿て、渾身の絶技。
滅せ、破滅の業火。
崩せ、殲滅の烈波。
その瞳には何が映っているだろうか。
この光景は見えているだろうか。
見えていなくても見るがいい。
100年に1度の奇跡の一撃、最硬を滅ぼす最後の光。
【ジェノス・アンジェラス】!!
【レア・アムブロシア】!!
【ヒルディス・ヴィーニ】!!
【レア・ラーヴァテイン】!!
破断の源、破滅の原液。
その一つでさえも大敵を破壊するに十分な大技が、更にその四重。
獄炎、撃音、爆砕、豪却。
アストレア・ファミリアの者達が全速力で距離を取る。
アイズやリオンもまた17階層の端へと全速力で退避する。
穿つは体心、身体の中央。
動きの鈍い黒龍、防御に振った堅黒龍。
しかし、きっと思いもしなかっただろう。
それすら貫く刃が、この世界にあるなどとは。
【ーーーーッ!!?】
鱗が溶ける、鱗が爆ぜる、割れる、砕ける、ひび割れ、削られ、穿たれる。
巨体の中心、その腹部。
あまりに凄惨な紅い大穴。
オリハルコンを文字通りの粉々にした、過去にまで遡っても最大級の破壊の一撃。
龍を貼り付けにし、削り、貫き、それでもダンジョンの壁を掘り進み、更にその奥にあった"もう一つのダンジョン"の内部へと入り込み、爆破する。
崩れ落ちる2人、膝を突く2人。
けれど、もう十分だ。
これ以上のことは成した。
あとは1人、ただ1人。
残った彼女の仕事だ。
驚異的な拡散した熱量によって、全身の鱗の硬度が下がった。
その異常な破壊によって再生すら追いつく事なく、ついにピクリとも動かなくなった黒龍。
あとは一つ。
すべきことはたった一つだけ。
【炎華/アルヴェリアァァァアア!!】
全身全霊、全身全焼。
鱗の隙間に挟み込んだ剣から、その身を焼く程に強烈な熱量を、爆破させる様に流し込む。
限界なんて打ち破って。
「アリーゼ!もう少しの我慢だ!鱗の撤去のコツは掴んだ!あと少し……だぁっ!!」
「ふんぬぬぬぬぬぬぬ!!!」
溶解していく鱗。
そこからまとわりつく剣ごと手足を引き抜いて行くライラ。
剣のおかげで黒鱗と同化している部分は少なく、十分な熱量とライラの様々な工夫によって引き抜くのは難しくはなくなっていた。
1本1本とユキの体が解放されていく。
黒龍の再生は始まっている。
けれど、もう勝ちは確信していた。
だってここまで来て、赤く燃えたぎるアリーゼの正義の根性が、力尽きる筈など絶対にないのだから。
「せぇぇえのぉぉおっ!!!」
「っ!?……ぬ、抜けた?抜けたぞ!!アリーゼ!よくやった!お前はやっぱり団長だ!よく頑張った!成し遂げたぞ!」
「や、やったぁぁあ!!私頑張ったぁぁあ!!っていうか熱いぃぃ!疲れたぁぁあ!!いや、それより痛い!火傷が痛い!あ!服燃えてる!?嘘でしょ!?ちょっ、熱い熱い熱い!」
「ユキ!ああ、息がある、無事だ!流石ですアリーゼ!ライラも!本当に!」
「今回ばかりはお前もだ、リオン。よくやった」
「「「いえーい!!」」
「ま、待って!私の服が燃えてるのだけど!?だ、誰か消して!助けて!熱い熱い熱い熱い熱い!!」
「……やれやれ」
「全く、元気な奴等だ」
リヴェリアに肩を貸され、しかしその両目をしっかりと開けて騒ぎ立てる彼等の姿を見つめるアルフィア。
黒龍の鱗は次第に灰になり始めている。
供給源を断たれ、単体では復活出来ぬ程に破壊され、恐らくこのまま灰となって消えるのだろう。復活する気配もない。
あまりにもあっさり?
いや、むしろアレほどの攻撃を受けてなお、原型が残っただけ驚異的だ。
2人の目の前で倒れ伏している2人の剣士。
ザルドはまだしも、オッタルもまた限界に近い状態であったのだろう。
それでも彼等は誰より早くこの場に現れ、残りの力を全力でぶっ放した。
流石は最強を奪い合った者達でもある。
仰向けになって完全に意識を失っているオッタルと、今も少しだけ目を開けて天井を見つめているザルド。
そんな彼に、アルフィアは小さく語り掛ける。
これがかつての戦友との最後の言葉だと、当然にそれを理解して。
「……悔いは無いのだな、ザルド」
「ああ……全て、見届けた。オッタルにも、託し終えた。あの小娘も、生きていけるな……?」
「ああ。私達が思っていたより、オラリオは強かった。そして、未来があった」
「そう、だな…………エレボスは、居るか?」
「……?ああ、今こちらに歩いて来ている。少し待て」
なぜ最後にあの神と話そうとするのか。
理由は分からないが、アルフィアは視線をアストレアと共に歩き近づいて来る彼へと向ける。
すると彼もまた何となく察したのか、少し足早にザルドの元へと駆け寄って来た。
その最後の言葉を聞く為に。
「……どうしたザルド、お前の最後の言葉を聞くのが俺の様な胡散臭い男神でいいのか?」
「ふっ、俺とて……最後ならば、女神がいい。だが、一つだけ、聞きたいことが、ある」
「ああ、なんだ?」
「……俺の愚かな主神は、今、何を、している?」
「多少は調べたが、やはり田舎の片隅で神威を隠しながら例の子供と生活をしている様だ。あの色ボケジジイが自分から畑を耕してな」
「……そうか。その子供は、元気か」
「ああ、問題ない。病も怪我もなく、まあ多少ゼウスと父親の助平は感染るかもしれんが、順調に育っているらしい」
「それならば、いい……」
それを最後に、全身から力を抜いたザルド。
視線だけを動かし、アルフィアに向けて何かを訴える。
そして彼女はそれに頷き、少しの笑みを溢した。
「安心しろ、私はこれからある子供を探しに行く。世話をする子供が1人増えようと、2人増えようと、何も変わりはしない」
「………ああ」
それが最後の言葉だった。
瞳を閉じ、剣を手放し、命の火を消したザルド。
その死に泣く者はいない。
声を出す者はいない。
アルフィアもまた、ただ静かに目を閉じるだけ。
けれど、それでも1人だけ、涙を流している者も居た。
その場に辿り着くのが遅れた、彼女だけは。
「ユキ……」
「………ずっと、見ていました。意識は朦朧としていても、見えてはいたんです。皆さんが私を助ける為に、頑張っていてくれた所を」
アリーゼとリオンに肩を支えられ、そこへと近付いてきたユキ。救い出された後に意識を取り戻し、けれど全くの力が入らずフラつく事しかできないその身。
ザルドとは、本当に刃を交えただけだ。
それこそ出会ってから殺し合ってばかりで、アルフィアの様に私的な会話は殆ど無かったと記憶している。
……それでも。
「泣くのだな、お前は」
「……どうしてでしょう、この戦いではもっと大勢の人が亡くなっているのに。その原因の1人であるザルドさんの時にだけ涙が出るなんて、おかしいですよね」
「……いいんだ、別に。泣きたい時に泣く自由が、お前にはある」
「情けないなぁ、私……」
そう言うユキの頭に、アルフィアはポンと手を乗せ、撫でる。
情けなくなどない。
情けないと思っている人間など、ここには誰も居ない。
ただ、伝えたいのは一つだ。
きっとザルドがユキに伝えたい事も、一つしかない。
「……英雄を、嫌わないでくれ、ユキ」
「!」
「英雄は辛い、それは私もザルドも知っている。だが、それでも英雄を嫌わないで欲しいんだ。たとえ英雄にならなくとも」
「アルフィアさん……」
「……私達は、カッコ悪かったか?」
アルフィアのその言葉に、ユキは思い切り首を横に振る。
そんな筈がない、そんなわけが無い。
最後のあの瞬間、目の前に立っていた4人の英雄達。
彼等の姿は本当にカッコいいものだった。
あんな風になりたいと、そう思える程に素敵なものだった。
そして誰しもが偉大な人達だった。
たとえ英雄にはなりたくなくとも、この人達みたいにはなりたいと、そう思えるくらいには記憶に焼き付いた姿だった。
それだけは絶対に間違いない。
「ユキ……お前は、英雄にならなくてもいい。だがそれでも、英雄の事を嫌いにはならないでくれ。きっと、それだけでいいんだ。それだけで私達は、十分だ」
「………」
でも、もしかしたらそれが答えなのかもしれない。
英雄にはなりたくない。
英雄にはなれない。
英雄になるのは、とても辛い。
……けれど、あの時あの瞬間の4人の姿に憧れるのは、あの英雄達の姿を目指すのは、間違っていないのではないだろうか。
あの瞬間のあの姿に憧れて、あんな風になる為に努力するのなら、たとえその道がどれだけ辛くても、前を向いて歩き続ける事が出来るのではないか。
目に、脳に、心に焼き付いたあの光景を思い浮かべる度に、そう思える。
「……アルフィアさん」
「どうした」
「私……英雄になります」
「!!」
「でも、ただの英雄にはなりません。なれません。なりたくありません。……私にとっての英雄は、憧れは、アルゴノゥトでも、アイゼンハートでもない。アルフィアさん達なんです」
「ユキ……」
「だから、私はアルフィアさん達みたいなカッコいい大人になるという意味で、英雄になります。アルフィアさん達に恥じない自分になるという意味で、英雄になります。……私は、私がそんな風に憧れたカッコいい英雄さん達を目指します」
「……辛い道になる」
「分かってます、所詮は同じ意味であるという事くらい。……でも、その末にアルフィアさん達の様になれるのなら、その先でアルフィアさん達が待っていてくれるのなら、少しくらいは我慢できると思うんです」
英雄にはなりたくない。
それは今でも変わらない。
けれど、アルフィア達の様になりたいと思った。
それは矛盾だ。
けれど、その矛盾があれば生きていける。
その矛盾があれば一度は拒絶した辛いその道のりも、我慢する事が出来る。
今日まで矛盾を抱え生きてきた、矛盾から目を逸らして生きてきた。
けれど、今日からはその矛盾を受け入れながらも進んでいく。
英雄になる為の道を、歩いていく事が出来る。
「……きっと、私は全てを守ることなんて出来ません。これから先も、多くの物を取り零すのだと思います」
「ああ、だがそれは私達も同じだった。多くの物を救えなかった。ザルドもまた同じだ」
「それでも、同じくらい沢山の人を救いますから。ザルドさんがベヒーモスを倒した様に、アルフィアさんがリヴァイアサンを倒した様に、きっと沢山の人を救う事を成し遂げますから。だから……」
ユキはアリーゼとリューの元を離れ、ふらふらとアルフィアに近寄り、抱き締める。
少しずつ金色の粒子を放ち始めた自分の身体の変化に気付きながらも、それでも。
「ずっと、私の憧れたカッコいいお母さんで居て下さい……」
「……ああ、約束だ」
透けていく、溶けていく。
金色の粒子へ変わっていく。
それでも、最後までこの温もりを味わっていた。
ずっと求めていたこの温かさを感じていたい。
そうしてユキは、消えていった。
満足そうに、そして寂しそうに。
最後まで母に縋る子供の様にしながらも、その内に1本の確かな芯を持たされて。
「ユキ、愛している」
『……私も、愛しています。お母さん』