白海染まれ   作:ねをんゆう

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111.ヒトツミチ

それは、ユキ・アイゼンハートが突如として姿を消してから数ヶ月程が経った頃のことだった。

闇派閥との戦いに一旦の終止符が付き、オラリオにはユキは既に居ないという事を確信したリヴェリア達が、本格的に街の外を探し始めた頃に……その出来事は起こった。

 

「団長!報告です!黒龍が、黒龍が現れました……!」

 

「なっ、そんな馬鹿な!戻って来るにしても早過ぎる!」

 

「なぜこの時期に……!?何の前触れもなく突然過ぎんか!」

 

果たして、それはどれほどの衝撃を世界に齎すであろうか。

かつて大量の犠牲の代償に片目を潰され、この地から追い出された漆黒の龍。

レベル8、レベル9の冒険者を擁するゼウス、ヘラ・ファミリアの連合軍を退け、壊滅に追いやった程の本物の怪物。

三大クエストと呼ばれるモンスター達の中でも飛び抜けて脅威を秘めているそれがこのオラリオの近くで目撃情報が発生したのは、それこそアナンタの悲劇の際に闇派閥によって意図的に流されたその時以来の事だった。

フィン達は体を強張らせる。

ついにこの時が来てしまったのかと。

恐れていた日が来てしまったのかと。

まだあの頃のゼウス・ヘラ・ファミリアの実力にすらも追い付いていないというのに。

 

「黒龍は一体どこまで来ている!?」

 

「そ、それが……」

 

「っ、どうしたラウル。なぜ私の方を見る」

 

「それが………アナンタなんです。昨日の夜に黒龍が向かったとされる、場所が」

 

「アナンタだと!?」

 

机を叩いて身を乗り出したのはリヴェリアだ。

廃都市アナンタ。

かつてアナンタの悲劇と呼ばれた闇派閥による襲撃があった都市であり、地上で初めて反転した精霊が確認された、ギルドによって全てが隠蔽された寂れた都市。

……そしてそれは同時に、ユキ・アイゼンハートが一度全てを失い、そして多くを背負った場所でもあった。

当時のユキの奮闘により彼の都市の住民はユキの事を英雄として讃え、必然的にユキと最も関わりの深い街として認識されている、既に殆ど活気を失ってしまったその街。

どうして黒龍がそんな街に狙いを定めたのかは、どう考えても分からない。

だが、何よりフィンとリヴェリアは何処か確信めいたものを抱いて顔を合わせた。

 

「リヴェリア……」

 

「ああ、間違いない。予想していた通りだ。恐らくユキは……それとクレアは今、アナンタに居る」

 

それは兼ねてより予想していた事。

故に様々な事が落ち着いた今、リヴェリアはフィンに対して一度アナンタを直接訪れる事を提案していた。

フィンもまたそれを了解し、まずは団員の1人をその街へと向かわせる事にしたのだ。

……まさかその団員によって黒龍の目撃情報が齎されるなど、夢にも思わなかったが。

 

「黒龍なぁ……さて、どうしたもんやろか」

 

「ロキ!話は……!」

 

「もう報告は受けとる、それに大体の想像もついとる。ユキたんは間違いなくアナンタに居るやろ。……それにもしタナトスの奴が言うとった話の半分でも本当やったんなら、その黒龍をアナンタに呼び込んだのもユキたんってことになる」

 

「そんな馬鹿な!!」

 

信じられない。

信じたくない。

けれど、ロキは殆ど確信を持ってそう呟く。

もしそれをユキが知ればどうなる?

いや、知ったとしても知らなかったとしても、ユキはこのままではまず間違いなく死ぬだろう。

むしろ今日まで生きていた事の方が奇跡に近いかもしれない。

忙しさにかまけて、今日までまともに探す事のできなかったリヴェリア。

心は常に荒れ狂っているし、睡眠時間もずっと前から殆どまともに取れていない。そんな暇があるのならユキを探さなければならないという強迫観念に突き動かされてきていたからだ。

思考が薄い。

心が簡単に乱される。

ユキの事はクレアを信じた。

その代わりこの数ヶ月、リヴェリアはファミリアの幹部として努力してきた。

だが、それももう限界だった。

今にも飛び出したい。

今にも走り出したい。

何もかも投げ出して、何もかも投げ捨てて。

今直ぐユキの元へと飛び立ちたい。

ユキの抱えている事情も、体質も、しがらみも、全部全部投げ捨ててしまいたい。

そう思ってしまうくらいに、リヴェリアの思考も視野も今では浅く狭くなってしまった。

愛した恋人が数ヶ月も行方をくらまし、最後に会った時には生きるか死ぬかも分からない状況だったのだ。

こうなってしまっていたのも当然でしかない。

 

「ロキ、僕はアナンタに行こうと思うよ」

 

「っ」

 

「……それほんまに言うとんのか、フィン。行ってもどうせ殺されるだけやで、無駄死にや。今のウチ等では、絶対に勝てへん」

 

「だとしても、アナンタを滅ぼした黒龍がそのまま元の遠方へと帰ると思うかい?あの龍はこの街に恨みがある。……このままでは恐らく、黒龍の被害はオラリオにまで及ぶだろう。だから今は、少しでも勝率のある方法を取りたい」

 

「……つまりそれは、ユキを利用するって事やんな?」

 

「それしか黒龍を追い払う手立てはない。ユキはスキルをフルで使えばレベル6に匹敵する力を持っている、武器を万全に整えればそれすら優に超えるだろう。ヘファイストス・ファミリアの売場にある全ての剣を与えれば、かつてのザルドやアルフィア並みの力は得られる筈だ。だからもし黒龍を相手に僕等がまともに打つかり合えるとするなら、それはユキが生きている今しかない」

 

フィンの指がかつてない程の疼きを訴える。

今この瞬間に何か動きを起こさなければならないという、そんな曖昧な感覚。

けれどそれは、ロキもまた同様の事を感じていた。

それでも彼女が一度フィンに対して確認を取ったのは、それによって多くの犠牲が出る事が確実である為。

フィンでさえも容易に殺されてしまう可能性がある。全滅してしまう可能性だって十分にある。黒龍というのはそれほどの相手だ。

今日まで大切に大切に思ってきた家族達がたった1日目を離したのを最後に全員が命を落としてしまったとか、そんな未来は絶対にゴメンだ。

ロキでさえも、恐ろしい。

黒龍というモンスターが、恐ろしい。

 

『あ、あの!勝手に入られては困ります!め、女神さま方!お待ち下さい!!』

 

「……誰か来た様だね」

 

「この神威は……」

 

扉が放たれる。

部屋の外から聞こえてきた制止の声と、2つの神威と4つの足音。

ロキ・ファミリアの団員達の必死の制止もその女神の側に立つ2人の冒険者達によって沈められ、彼等は強引にこのホームの一室へと押し掛けてきた。

それこそ珍しく、正義を名乗る彼女が力を使って、強引に。

 

「……不法侵入やで、自分等」

 

「あら、まだ準備をしていなかったの?ロキ。少し失望したわ」

 

「ロキ、準備をしていなくとも決意くらいは出来ているわよね?それを聞いたら私とリューはもう行くわ、時間が無いもの」

 

「……ほんま、こういう時に思い切りよく行動出来る自分等が心底羨ましいわ。フレイヤ、アストレア」

 

隠す事のない焦り。

隠す事のない失望。

正義の女神アストレア、美の女神フレイヤ。

必然的にロキと関わりの深くなった2柱の女神が、互いの眷属を側にロキの目の前に立つ。

フレイヤの背後に立つオッタルは既に気配を研ぎ澄まし、アストレアの背後に立つリオンは今にも走り出そうとしてしまう自身の身体を押さえ付ける。

彼等は既に、情報が入って半刻も経っていないにも関わらず、自身がすべき事柄を理解し、その決意を心に定めている様だった。

それこそこうして、動きの遅いロキを直接催促に来るくらいには。

 

「……ほんまに全滅するかもしれへんのやぞ、それでもええんか?」

 

「ユキは私の大切な子供よ、悩む事なんて何も無いわ。それにリューだって同じ気持ちだもの。……私達は今でも、あの頃のあの子に何もしてあげられなかった事を後悔している。だから今度こそは」

 

「……はい、私はユキに何もしてあげる事が出来なかった。闇派閥への復讐に取り憑かれ、そもそもユキが街から消えていた事に気付いた事すらも後になってからでした。私はもう、間違えられない」

 

ユキが街から姿を消した後、アストレアとリューは必死になってユキの居場所を探し続けた。だが、彼女達が探していた頃にはユキはアナンタには間違いなく居なかった。そして、見つけ出すことも出来なかった。

だからこれは、チャンスでもあるのだ。

ユキを見つけ出し、連れて帰る。

たったそれだけの、恐らくは最後のチャンス。

 

「……フレイヤはどうなんや、仮にもウチと同じ大量の子供を抱えとる身やろ」

 

「ユキにはまだ返しきれていない借りがある、それは私と子供達の共通見解よ。そもそもあの子が居なければ、私はあの日に天界へと帰っていた身だもの。たとえ相手が黒龍であろうと、戸惑う理由にはならないわ。そうよね、オッタル」

 

「……二言はありません。厄災の日、我々はユキ・アイゼンハートへの借りを女神への愛と共にこの心身へ刻み付けた。これに反するは共に在る忠愛を汚すも同じ。迷いもありません」

 

「…………」

 

「それで、貴女はどうするのかしら、ロキ?勇者はもう覚悟が決まっている様に見えるのだけれど?」

 

ロキはフィンに目を向ける。

彼の心はもう決まっていた。

自分達だけならばまだしも、フレイヤ・ファミリアが総出で協力するという奇跡と言っても過言ではないこの好機。

アストレア・ファミリアは今はリュー1人しか居ないだろうが、彼女の事だ。既に有力なファミリアにはその神望を以て声を掛けているだろう。

それも当然、ロキ・ファミリアとフレイヤ・ファミリアが出陣するという前提で。

……それに。

 

「たとえ僕がここで死んだとしても、黒龍さえ追い払う事が出来たのならば僕の人生の目標の半分は達成される。悔やむは遂に子供を成せなかった事だけれど、そこはまた小人族の宿題として残せるだろう。……少なくとも、僕の他にも有望な小人族は少しずつ出て来ているからね」

 

「……アホ言え。死なへんのが一番に決まっとるやろ、ほんまに」

 

もう今更ここでロキが何を言おうと、フィンは決して止まらない。

そしてそこにユキが居るとなった以上、恐らく多くの団員達も止められない。それくらいには、たった数ヶ月の生活の中でユキの存在は大きくなっていた。

だからロキに出来ることはただ協力することだけだった。

知恵を絞って、側から見届ける。

いつもと同じだ。

けれどいつも以上に、側から見られる。

 

「……わかった。けどそん代わり、今回はウチも一緒に行かせてもらうで?どうせやられるならみんな一緒にや。うちの子達の魂は、他の誰にも渡したらん」

 

「ああ、頼んだよロキ。……ガレス!今直ぐ全員に支度をさせてくれ!物資もありったけだ!だが強制はしないでくれ、何人かはここに残って貰わないといけない!」

 

「うむ、任された!馬車も都市中からかき集めるわい!出発までに半刻もかけるつもりはない、そのつもりで動いておれ!」

 

「フィン、私は……!」

 

「リヴェリアは女神アストレアと一緒に先に現地へ向かっていてくれ。……君の気持ちは分かっている。むしろ今日まで、よくファミリアの幹部として我慢してくれた。だから今は心のままに、走ってくるといい」

 

「……すまない」

 

リヴェリアはアストレアとリューに向き直る。

彼女達は快くリヴェリアを迎え入れた。

大切な恋人だ。

大切な子供だ。

大切な後輩だ。

たとえ相手が黒龍であったとしても、そう簡単に渡してやる事など出来はしない。

 

「ここからアナンタまでどれだけ短く見積もっても1時間はかかるわ。時間がない、今直ぐに走りましょう」

 

「アストレア様は私が背負います。今の私の速度なら、それでもレベルが上のリヴェリア様と同程度の速度で走れる筈です」

 

「……それならば先に向かった方がいいのではないか?」

 

「いえ、私1人では恐らく判断を誤ります。私は元々それほど冷静な性ではありません。きっと今の頭でユキを見れば直ぐに取り乱して、むしろ負担を掛けてしまう。それはリヴェリア様も同じかと」

 

「………否定はしない」

 

「加えて、ユキを救うにはアストレア様が必要不可欠です。アストレア様がユキの為に見つけて来た神具は、神性を持つ者にしか扱えないそうですから。アストレア様を可能な限り早くユキの元へと運ぶのが、今回の肝です」

 

「なるほど、理解した。ならば早く走ろう、門は強引に突破する」

 

「分かりました」

 

「任せたわね、2人とも」

 

話が本当ならば、恐らく既に黒龍はアナンタに到着している。

だがロキが何も反応しないという事は、ユキはまだ生きているという事だ。

今から間に合うかどうかは、それこそ本当にユキの頑張りでしかない。

 

(頼む……!間に合え!間に合ってくれ!!)

 

走る、走る、溜めに溜めた想いを原動力に。

我慢も何もかもを爆発させて。

気付けば涙が流れていた。

この数ヶ月、ずっとその身を無自覚に焼かれていた。

無力な自分への怒りと、こんな状況になってもファミリアとの天秤に掛けてしまう愚かな自分への怒りに。

でもそれも、これで最後だ。

間に合えさえすれば、もう一度顔さえ合わせられれば、必ずや自分はまたあの幸福な日々に戻れるのだから。

あの自分が心から愛してやまなかった彼の笑顔に、もう一度向き合う事ができるのだから。

 

 

 

 

 

「……なんだ、この雰囲気は」

 

「アストレア様、これは……」

 

「黒龍とは、ここまでの存在だというのかしら……まだ街までかなり距離があるというのに、漂ってくる瘴気が尋常じゃない」

 

まるで世界全体を呪っているかの様な濃密な瘴気の風。

近いのはユキが英雄被願望のスキルを解放した際に放たれる、あの異様な雰囲気だろうか。

恐らくここから街に近づいて行く程にそれは酷くなり、そのうちにユキの恩恵を解放した時の様な、神々でさえも吐き気を抑えられなくなる程の凄まじいレベルのものへと化すのだろう。

 

平原の草木は生気を失い、

差し込む陽の光は弱まり、

動かす身体が何処か重く感じる。

生物やモンスターは何処にも居なかった。

もう既に逃げてしまったのかもしれない。

付近の村では黒龍の鱗を使う事でモンスター除けをしているという。

だとすればこの周囲にはそれこそ本当に自分達以外の生物は存在していないのかもしれない。

 

「見えました!アナンタです!……っ、煙が!」

 

「これほどの距離でも地響きが!?あの場で一体何が起きて……!」

 

現在地点からまだ遠く、街が遥か遠くに僅かに見える程の距離にも関わらず、それでも伝わってくる衝撃と振動。

豆粒程の街からは煙が立ち上がり、幾度も幾度も閃光が放たれる。

しかし近付くにつれて思考を妨げる程に不快を感じさせるこの雰囲気、リヴェリアは防護魔法をかけて速度を上げる。

 

「これではフィン達は間に合わない……!」

 

「2人とも走って!最悪私が神威を使って引き寄せるわ!絶対に、絶対にユキだけは回収するの!」

 

「くっ、今度こそ絶対に間に合わせる……!!」

 

遠い、長い、普段ならばそう遠く無いと思える様な距離と時間。

レベルを上げた今、この程度の直線距離ならば数分もあれば辿り着くというのに……その数分がどうしてこうも長く感じるのか。

 

近付くにつれて濃くなる瘴気、そして向かい風の様に阻む爆風と地揺れ。こういった時こそ、自身の細身の身体が嫌になる。

もし自分にガレス程の巨体や筋力があれば、この様な状態に於いても何にも阻まれる事なく進めただろうに。

 

結局、最早門の意味を成していない程にボロボロになった巨壁の前に3人がたどり着いた時には、既に彼等がオラリオを出てから1時間半余りが経っており……その瞬間、

 

「っ、光の柱!?」

 

「今のは……!ユキ!!」

 

街の中央から打ち上がった極大の光の柱。

同時にリヴェリア達がいる方向とは逆側に飛び去っていくあまりに大きな黒い影。

それが何かは分かる、だが今はそんな事はどうでもいい。

その一度の突風の後、周囲から瘴気は完全に消え失せ、阻む物の一切合切が無くなった。

しかしリヴェリアの表情はむしろ焦りに染まる。

瘴気が消え失せたその瞬間、同時に他に何か大切な物まで消えてしまった様な気がしたからだ。

 

 

瓦礫の合間を登り、瓦礫の死体の山と道を走る。

一面に広がる人間であった筈の何か。

その一つたりとて生命の動きを感じられない。

何をどうすればこれ程の破壊に至るのか。

街一つが文字通りに壊滅している。

精霊の事件の際にも街全体の建造物類が半壊し、人口も大きく減ってしまったという。

しかしこれはその比ではない。

全滅、そう全滅だ。

ネズミ一つ残らない程の完全な死滅。

残り、復興し始めていたこの街は、僅かな外壁を残して完全に壊滅した。

 

柱の昇った場所へと走る。

確かその場所は街の中心地、精霊事件の際に住民達が避難した地下施設のある場所だ。

そして同時にそこは、他でもない彼が命を賭けて守り抜いた最後の砦でもあった筈で……

 

「ユキ!!」

 

地下施設は、粉々になっていた。

そこに避難していた筈の人々も、皆瓦礫の山に潰されていた。全身をズタズタにされ、血の池を作り出していた。

 

そしてそんな場所の、恐らく入り口があった筈の付近に……彼は倒れていた。

大きめの瓦礫を背に、その瓦礫を自身の血と内臓で真っ黒に染め上げ、辛うじて原型を見れる程度には残している右手の先に、本来ならばヘファイストス・ファミリアにある筈のあの2本の剣が今正に灰に変わり始めている。

 

「ふざけるな、ふざけるな!!こんな事が、こんな事があってたまるものか……!!」

 

駆け寄る、引き寄せる、抱き寄せる。

左腕が吹き飛んでいる、右の脇腹があまりに大きく抉れている、骨が粉々になる程の攻撃で両足が完全に潰れている。

魔力なんて、これっぽっちも残っていなかった。

息でさえも、もう既に止まりかけていた。

彼からはもう、あの不快な瘴気さえも、消えていた。

 

「………りゔぇ、りあ……さん……」

 

「ユキ!待っていろ!今直ぐ、今直ぐにエリクサーをやる!直ぐにアミッドを連れて来てやる!そうしたら、そうしたらまた……!!」

 

「むり、です……もう……」

 

「そんな事を言うな!絶対にもう大丈夫だ!大丈夫なんだ……!せっかく、せっかくこうしてまたお前を見つけられたのに……これが、最後の別れなど!あるものか!!」

 

「…………」

 

何度も何度も血を吐いたであろう口元を小さく動かし、彼は微笑む。

分かっている、分かっているとも。

いくらエリクサーでも無理がある。

これだけの甚大な損傷……体内の内臓の大半が外部へ吹き飛ばされているこんな状態を治すことなど、たとえ万能薬であったとしても出来やしない。

アミッドを待つなど論外だ、それまでこの状態のユキが持つはずもない。今生きている事すらもスキルの効果が無ければ有り得ないのに、これ以上の事などどうして望めるだろうか。

 

「ユキ……!!」

 

「………」

 

手分けして探していたリューとアストレアも追い付き、座り込む。

絶望の表情を浮かべるリュー、何処か分かっていたのか悲しげな表情を隠さないアストレア。

決断が遅かった、僅かに。

あと十分でも早ければ、変わっていたかもしれない。

変わっていた未来も、あったかもしれない。

それが必ずしも幸福なものであるかは分からなくとも。

 

「ユキ……!貴方まで私を置いて行くのですか!どうして、どうして後輩の貴方が!私より先に……!」

 

「リュー、さん……」

 

リューのその言葉に顔を歪めるユキ。

けれど、そんな顔をさせたい訳ではない。

させたくないのに、ぶつけずにはいられない。

この悲しみを、悔しさを、口に出さずにはいられない。

 

「?………っ、ユキ!貴方!」

 

目から光を失い始めたユキが、チラと自分が背負っていたその大きな瓦礫の方向へと目を向ける。

アストレアはそれに気付き立ち上がり、瓦礫の裏側を覗きこむと、そこには意識を失い倒れている子供が3人ほど、ほとんど怪我をする事も無く隠されていた。

そして漸くアストレアは気付く。

どうしてユキがこの大きな瓦礫に背を向けて倒れていたのか。

どうしてこれを必死に守っていたかのように、彼の内臓が打ちまけられていたのか。

ユキはこの瓦礫の向こう側に隠れていた、この街の唯一の生き残りである彼等を守りたかったのだ。

否、守っていたのだ。

 

アストレアの驚愕の表情に、ユキは微笑む。

 

「えいゆう、なれませんでした……」

 

「……!そんなことないわ!貴女は守った、守れたの!貴方は英雄になれたのよ、ユキ!」

 

「わたし、かえれません、でした……」

 

「何を言う、お前はこうして帰って来ただろう!私の元に!確かにこうして、私が迎えに来ただろう!お前のことを!」

 

「……くれあにも、りゅーさんにも、めいわく、かけて……」

 

「そんなことはない、そんな事はない……!貴方が居てくれたから、私は、私は……!!」

 

ユキの身体の中に、もう姉の力の残滓は残っていない。

姉も、精霊も、憎悪も、魔力も、体力も、全部全部使って、使い果たして、それでもこの結果しか残せなかった。

けれど、ユキは間違いなく偉業を達した。

あの黒龍を追払い、生存者を3人も出した。

頑張ったのだ。

そんな事は、誰にでも分かる。

 

「りゔぇりあ、さん……」

 

「なんだ、どうした、ユキ……!」

 

「すき、ですか……?わたしの、こと……」

 

「好きに決まっているだろう!愛しているに決まっている!お前の事を考えなかった日など1日たりとも有りはしない!私は今日までずっとお前の事しか考えていなかった!だからお前の事を!……なによりも、優先すべきだったのに!!」

 

ユキはリヴェリアのその言葉に、小さく首を横に振る。

これで良かったのだと、何も間違っていなかったのだと、彼女にそう言い聞かせるように。彼女のその後悔を振り払うように。

 

「だき、しめ……て……?」

 

「っ、ユキ……!!」

 

もう言葉を発するのも辛いだろうに。

もう意識を保つ事すら難しいのだろうに。

それでも伝えられた最後のその願いを、リヴェリアは唇を噛み締めながら実行する。

 

耳元で、緩やかな吐息が聞こえてくる。

それは肺の中の空気が全て吐き出される様な音。

全身の力が抜け、体温が急激に下がって行く感触。

リヴェリアの腕の中で、静かに愛した人間が消えて行く。

それでも、リヴェリアは抱き締め続けた。

せめて最後の最後くらい、安心して、安堵していて欲しかったから。

 

「……なぜだ。なぜ、こうなる」

 

空が曇る。

黒い雨がこの地へ注がれ始める。

誰しもが泣いていた。

アストレアでさえも顔を俯かせていた。

流していたものが、涙かどうかも分からない。

ただその表情はこれまでに無い程に歪み、誰にも見せる事が出来ないくらいに悲痛に染まっていた。

命を終え、生を終え、ただの肉の塊となった愛した人間を抱えたまま、リューとリヴェリアは声を漏らす。

3人しかいなかった。

聞いている者は、3人しか居ない。

きっともう、どれだけ声を出し嘆いてもいいだろう。むしろここで泣かなければ、生涯泣く事は無いのだろう。

けれど悔しい事に、リヴェリアは泣けたのだ。

みっともなく、無様に、人並みに泣く事が出来た。絶望する事が出来てしまった。この世界に。

 

「ユキ……ユキ……!私は、私はお前さえいれば!それで、良かったのに……!」

 

リヴェリアは瞳を閉じ、顔を落とした。

流れ出る涙をそのままに、血が出るほどに噛み締めた唇をそのままに、瞼の裏に映る愛した人間の笑みの記憶を辿って行く。

いつしか雨の音は聞こえなくなっていた。

リューの啜り泣く声も耳に入らなかった。

目も、耳も、閉ざしてしまった。

そして……

 

 

 

 

 

 

 

「………?どうした、リヴェリア」

 

もう一度目を開けて前を向くと、ベッドの上で上半身を起き上がらせ、不思議そうにこちらを見つめるユキの姿が、あった。




条件1.衰弱
その肉体が衰弱によって死の危機に直面した時、役割は最後に特大の爆弾を運んでくる。その命を引き換えに処理可能な最大規模の災厄。仮に対処に失敗しても構わない、本来の未来よりも犠牲が少なく済むのであれば。
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