分からない。
ユキをどうすれば救い出せるのか、分からない。
クレアに任せれば、ユキは解放されても黒龍が襲撃に来る。
アストレアの神具を使っても、ユキは助からず、そのまま暴走してしまう。
リヴェリアは以前にあの時と状況が多少違っても、殆ど同じ光景を夢に見た事がある。そしてそれに似た様な夢を、いくつかここ最近にも見ていた。
例えばユキがダンジョンと同化し、世界中の悪意を自身の恒久的な苦痛と引き換えに浄化し始める夢。
例えばユキが黒龍の力に取り憑かれ、2体目の黒龍として生まれ変わってしまう夢。
例えばユキが精霊の力に取り込まれ、穢れた精霊としてダンジョンを解放し、世界を滅ぼしてしまう夢。
どれもこれもが馬鹿馬鹿しく、それこそ夢の様な夢だった。だからリヴェリアは信じなかった。心配している自分が妄想したタチの悪い夢だとしか思っていなかった。
……だが、今なら分かる。
それはきっと、これからの選択次第で確実に生じる可能性のある未来の姿であったのだと。正にこれから自分はそれらの世界も体験する事になると。
何の理由か、誰の仕業かは知らない。
だがリヴェリアは間違いなく、過去に戻っている。
リヴェリアは間違いなく、選択をやり直している。
そこでもし選択を違えれば、夢で見たあの様々な異常な結末に行き着く事になるだろう。
数多あるユキが救われない世界線のどれかを辿る事になるのだろう。
ユキの体内に潜む力は膨大だ。
それ次第で黒龍となり、ダンジョンとなり、精霊となり、魔王にも、英雄にもなり得る。
彼は潜在的に、どんな存在にもなる事が出来る。
そうなり得る力を体内に溜め込む事ができる広大な魂、そしてそれを溜め込んで居てもなお生きていける強靭な魂を持っている。
それこそが彼だ。
それこそがユキだ。
最悪だった。
最悪の組み合わせだった。
それだけは決して有り得てはならない掛け合わせだった。
リヴェリアはアイゼンハートを知らない。
だが何か彼を縛る不可思議な存在があることを知っている。
正解の選択肢が分からない。
何をどうすればユキが助かるのかも分からない。
もしかしたら次に失敗しても戻れるかもしれない。
何度も挑戦が許されるかもしれない。
けれど、情けない事にリヴェリアの心が持たない。
リヴェリアの心は決して強くはない。
こんなにも酷い結末なんて、
こんなにも辛い苦しみなんて、
たった一度味わうだけでも死にたくなる。
2度味わっただけで頭がおかしくなる。
既に何かが割れ、心が折れた。
こうして現実から目を背け、闇の中を揺蕩っている。
分からないのだ。
分かりたくないのだ。
考えたくないのだ。
考えようとするフリをしていても、その実どうすればいいのか考えようとしていないのだ。
ただ助けて欲しいと。
ただ誰かが答えをくれないかと。
来もしない奇跡を待っている。
切り開く突破口を、ただ誰かに求めている。
哀れにも、無様にも、そして……そんな人間にユキのことを任せられるものかと、瞳を閉じて俯いているその綺麗な横顔を、Lv.7の力量で思いっきり平手で引っ叩かれる様に。
「っ!?な、に……」
「殺してやろうか、エルフ。ユキを手籠めにしておきながら、この淫乱女が」
「お前、は……」
意識が引き戻される。
否が応でも、その目を広げさせられる。
どうやったって信じられない。
それどころか、意味すら分からない。
なぜ彼女がここに居るのか。
どうして彼女がユキを知っているのか。
そしてどうして、他の誰でもない彼女がこうして今、自分の前に現れたのか。
それがたとえ夢の中で、自分が都合の良い様に作り出した幻想であると仮定しても、理解が出来ないし納得が出来なかった。
だから固まっていた。
もう一度彼女に平手打ちをされるまで。
「っ、なにを……!」
「立て、糞ババア。無駄に年だけ貪っておきながら、いつまでメソメソと泣いている。気持ちが悪い」
「お前……!」
「泣いている姿などユキだけで十分だ。あれはいくらか愛らしい所もあったが、お前が泣いている姿は心底気色が悪い。その頬を何度引っ叩いた所で気が済みそうにない」
「だから、お前は一体何を言っている!いきなり私の前に現れて、何なのだ一体!なぜお前がユキのことを知っている!お前とユキは一体……!」
「黙れ色ボケババア」
「へぶっ!?」
本当に、容赦がない。
何の容赦もなく引っ叩かれ、何度も何度も地面へ打ち付けられる。
こいつくらいだろう、何の遠慮もなくリヴェリアの顔を引っ叩けるのは。
こいつくらいだろう、至極当然のようにリヴェリアをババア呼ばわりするのは。
彼女は心底苛立っている様だった。
むしろ、ゴミを見る目で、気持ちの悪い様なものを見る目で、彼女はリヴェリアを両眼を開けて見下ろす。
「それほどの歳の差があるにも関わらず私の娘に手を出し、手籠にし……本来ならばこの場で八裂きにして殺してやりたい所だ」
「む、娘……!?ユキが、お前の娘だと!?本気で言っているのかそれは!?」
「曰く3番目の母親らしいがな……全く、浮気者の娘を持ったものだ。それでも、心の底から愛している事に変わりはないが」
「………」
あの才能の怪物が。
あの都市の破壊者が。
何やら信じ難い事を幾度も言葉にしている様子を見て、リヴェリアは思考が停止する。
「ぶへっ!?」
「思考を止めるな、年増」
「貴ッ様……!先程から黙っていればババアだの年増だのと!」
「事実だろう。少なくとも80以上年下のガキに手を出しておきながら、何を今も呑気に眠っている。恥ずかしくないのか?ユキは泣きながらでも絶望の淵から這い上がり、全ての脅威に打ち勝ったというのに」
「!」
彼女が何を言っているのかは、今もまだほんの少したりとも理解出来ていない。
しかし、これだけは分かる。
ユキは今もどこかで戦っている。
リヴェリアと同じように戦っている。
そしてユキはもうそれに打ち勝った。
泣きながらでも、苦しみながらでも、最後にはそれに打ち勝ったのだ。
そうして見ると、確かにアルフィアの言っている事の理由がよく分かった。アルフィアが怒っている理由もなんとなくだが理解は出来た。
まだ17のユキがこうして立ち上がったのに、なぜ最初に手を出したそれこそ80以上も長く生きている自分がどうして立ち止まっているのか。
前も向かず後ろも向かず、ただ下を向いて俯いているのか。
そんな事をしている時間すら勿体ないというのに。
本当に助けたいと思うのなら、自分の心の動きや動揺など、そんな事を無視して、壊してでも、必死に足掻くべきだったのに。
「……アルフィア、お前は知っているのか。ユキをどうすれば救い出せるのか」
「知るか、私は私の役割をもう終えた。後はお前の仕事だろう」
「ユキの体内に潜む2体の精霊、そして人間達の憎悪、黒龍の欠片……一体どれを取り除けばいい?混入した異物によって他の全てが暴走している、異物だけを取り除いてもバランスが元に戻る事はない。どうすればいい」
「お前が考えろ、私の知ったことか。それを考え実行する事こそ、お前の役割ではないのか」
「アルフィア!!……………頼む」
「…………」
どれだけ頭を下げても、この女が自分のために動いてくれるとは思えない。
けれど、自分が冷静でない事は知っている。
分かっている、こんな乱れた思考では思い付かない事は。
だからせめて、せめて何か手掛かりの一つが欲しい。
乱れた水面に、一つの大きな石を投げ込んで欲しい。
そうして無理矢理にでも治めて欲しいのだ。
ユキを救うために。
ユキを救う自分を作り出すために。
「……ユキの中に潜む黒龍の力は、私とザルドが滅ぼせる」
「!!」
「暴れ狂う4つの力、しかしユキはかつてその内の3つを押さえ込んだ実績があるのだろう。いくら弱っていようとも、2つまでなら抑え込めるのでは無いか」
「……!確かにそれなら……クレアの精霊は、駄目だ。クレアを押さえ込んでしまえばユキの苦痛を肩代わりする者が居なくなる。人間の憎悪だけでは駄目だ、ユキが精霊を2つも抱える事になる。……だが、いやだが、たとえ異物を取り払った所で、それで解決するのか?私は知っている、たとえそれを取り除いたとしても、滅びる未来があると。その選択肢を選んでなお、失敗した未来があるという事を。だとしたらなんだ、だとしたらそれを満たす条件は、失敗する条件は何だ。足りていないあと一つ、異物を取り除いても失敗する理由は……」
「…………」
ハッと、リヴェリアは頭を上げる。
思考が戻ってくる。
我ながら愚かしい事に、もたらされた突破口に惹かれるようにして、奥底に隠れていた心と頭が飛びついて行く。
アルフィアは先程、自分とザルドがユキの中の黒龍を打ち倒すと言った。
だがもし、もし彼等がそれに失敗すれば?
もし今戦っているというユキが敗北すれば?
たとえこちらで何をどうしようとも、それは失敗に終わるのでは無いか?
リヴェリアは立ち上がる。
アルフィアと視線を合わせて言葉を紡ぐ。
こここそが、全ての分かれ道だと悟って。
「……アルフィア。あと一つだけ、聞かせてくれ」
「……なんだ」
「お前達は……勝てたのか?お前達は、ユキは、ユキの中に潜む困難に……打ち勝てたのか?」
「…………」
アルフィアは黙る。
妙に深刻な雰囲気を顔に出して。
リヴェリアの額に汗が流れる。
夢か現か分からないこんな空間でも、妙に鼓動が響いて聞こえる。
そして……
「フッ」
アルフィアが、笑った。
「当然だろう、負けると思うか?大切な娘を人質に取られて、この私が」
「……!ということは、ユキも……!」
「ああ、勝ち取ったとも。私の最愛の娘だ、当然だ」
リヴェリアの瞳が揺れる。
そして思わず、笑みが溢れる。
遠く離れた所でさえも、ユキは頑張ったのだと。厄災を打ち破ったのだと。
そう誇りに思えて。
「……もう行くのか、娘の母親に挨拶の一つもなく」
「娘を私に下さい……などと言っても、お前はくれはしないだろう?」
「ああ、当然だ。本音を言えば今直ぐにでもお前をこの場で殺してやりたいくらいだ。……だが、そうしてしまえばユキが悲しむ。せっかくこれから幸福を掴むのだ、その邪魔はしたくない」
「……子供が居れば、こうまで変わるものなのか?人間とは」
「貴様とて1人の母親だろう。……幸せにせねば殺すからな、呪いで」
「それは勘弁して欲しいものだが……幸せにしてみせる、この命に賭けても」
さあ、起き上がろう。
最愛の人間を迎えに行くために。
さあ、立ち上がろう。
もう2度と恋人を手放さないために。
見送る女の背中に、静寂は息を吐く。
その手に緑の宝石の首飾りを握り締めながら。