「……!リヴェリア!起きたn……!」
「アイズ!女神アストレアを迎えに行け!今直ぐにだ!恐らく今は北の山岳地帯を歩いている!」
「リ、リヴェリア……?いきなり何を……」
「急げ!ユキが手遅れになる前に!」
「!!……分かった、行ってくる」
目を覚ました瞬間に身体を起こし、近くに居たアイズにそう指示を出したリヴェリア。彼女の事を心配し近くに居たアイズとレフィーヤ、そしてロキは驚愕のあまり一瞬身体が停止する。
しかしアイズだけはリヴェリアのその尋常ならざる様子に、直ぐに立ち上がり自分の部屋へ荷物を取りに走った。
「リ、リヴェリア様!まだ立ち上がられては……!」
「離せレフィーヤ!ロキ!ユキは誰かに見張らせているな!?」
「え?ああ、今はアリシアが見とってくれとる筈やけど……」
「今直ぐ場所を移す!レフィーヤ、崩落した町外れの教会の清掃を始めろ!瓦礫を退かし崩れない様に補強するだけで良い!必要なら他の団員の手を借りろ!私の指示だと言えばいい!」
「は、はぃぃ!?わ、分かりました!わ、分かんないですけど!とにかく分かりました!」
「よし……」
その尋常ならざる様子。
けれど、何かを確信している様に、ロキは目を細めて彼女を見る。
けれど、余計な口は挟まない。
きっとユキを救えるのは彼女だけだと、最初からずっとそう思っていたのだから。そのあまりにも慣れた様子に、何か確信を得ていた。
「いけるんやな、リヴェリア」
「無論だ、もう何度も繰り返した。ユキを助けるには、むしろ今この瞬間しか有り得ない。……悔しいが、ユキの母親達の力を借りる必要もある。そうなれば儀式を行う場所は、あそこ以外に有り得ない。可能な限りの少人数で執り行う」
「せか……ほんならそっちは任せたで、リヴェリア」
「ああ、任された」
ロキは笑う、戻って来たと。
ここに来て漸くリヴェリア・リヨス・アールヴが戻って来たと。
どうしてそうなったのか、何が彼女の身に起きたのか、それだけはこれっぽっちも想像が付かなかったが。
リヴェリアがアイズとレフィーヤに指示を出してから30分ほど。儀式の準備は、彼女達が想像していたよりも遥かに早く終わった。
そしてそう、彼女もまた漸くこの土地に足を踏み入れた。
アイズが彼女を探しに行った時、リヴェリアの言う通り、彼女は確かにそこを歩いていた。ヘルメス・ファミリアの従者達を引き連れながら、山岳地帯を。
そんな彼女を何もかも無視して背中に担いで走って来たアイズは、それこそもう風を置き去りにする勢いで走って来たのだ。
間に合うのは必然、そして……
「……来たか、女神アストレア」
彼女が以前にこの街でファミリアを持っていた際には、リヴェリアは彼女自身とそう親しくしていた覚えはない。
しかしそれでも2人はまたこうして出会い、以前とは違う立場を背負ってここに向かい合う。
以前よりもずっと近く、互いに関わりを捨てきれない様な、生涯の付き合いが必要となる立場で。
「久しぶりね、リヴェリアちゃん。あら、ロキは居ないのかしら?」
「ええ、此度の儀式は必要最低限の人間だけで行おうかと思っている。余計な雑念は必要なく、ただユキを掬い出し、救い出す事だけを考えた。ここには私と、貴女しか居ない」
「そう。色々と私が思い描いていた様子とは違う様だけれど、やっぱりロキにお願いして良かったわ。安心した」
「……ユキがこの様な状態になっていたとしても、貴女はそう言うのか?」
「ええ、断言できるわ。だって貴女達は、ユキのためにずっとずっと頭を悩ませてくれたのでしょう?それだけ必死にあの子の事を思ってくれる貴女達の側に居られたのだもの、きっと幸せだったに違いないわ」
「……そこは訂正させて貰おう。ユキが幸せになるのはこれからだ、女神アストレア」
「まあまあ、噂には聞いていたけれど、2人は本当にそんな感じなのね。もしかしたらそんな事もあるかしらと期待はしていたのだけれど、そのお相手がまさかリヴェリアちゃんだとは思わなかったわ」
「うっ……そ、その話はまた後にしましょう。今はそれより、ユキを」
「ええ、そうね。そうしましょう」
一度はアポロン・ファミリアの仕業で崩落したものの、なんとか瓦礫の撤去と即席の補強により、ある程度のスペースを確保する事に成功したこの場所。
アストレアもリヴェリアも、この場所を知っている。この場所に思い入れていた人間達をよく知っている。
だからこそ、ここ以外には有り得なかった。
ユキを救う為には、この場所以外には。
「……アス、トレア……さま」
「クレア、また貴女がユキを守ってくれていたのかしら?」
「……元々の、原因は」
「それを決めるのは貴女とユキだもの、ここで私に話しても仕方のないことよ。貴女はただ、いつもと同じ様にユキを想ってくれていた。今はそれだけで十分」
「…………」
厳しいのか優しいのか、よく分からないアストレアのそんな言葉に、乗せられた台の上でクレアは苦痛に顔を歪ませながら無言で頷く。
この二人は間違いなく、まだ彼女に肉体があった頃にも言葉を交わしている。
なんとなくアストレアが他人行儀で無い理由が、そんな所からも理解出来た。
「クレア、ユキはどうだ」
「分からナい、まだ奥で眠っタままだ」
「そうか……女神アストレアが持ち込んだ神具を使えば、恐らくお前が今抱えている苦痛は軽減されるだろう。だが、それでユキが起きてこなければ意味が無い。お前とユキの、所謂主人格が交代してしまえば失敗だ」
「……ダから、一つだけ、考えガある」
「考え……?」
そうして彼女が提案したのはこうだ。
アストレアが神具を使って除去するのは、タナトスによって植え付けられた方の精霊ではなく、クレアの人格と共有している光の精霊の方にするということ。
そもそも、ユキはその気になれば自身の中にあった精霊の存在を、これだけ力を付けた今ならば抑え込み、排除する事が出来るという。
黒龍の力の一端を封じられる程の神具、精霊の胎児という小さな物を封じるよりは、ユキの恩恵と共に成長したクレアの精霊を封じた方が確実にユキの身体は楽になる。
一緒に封じられていた人間達の憎悪の念も、核となっていたクレアの存在が消えた事で次第に霧散し始めるだろう。
そうなれば胎児の除去はよりスムーズに行える筈だ、と。
「しかし、それではお前がユキの中から消えることになる。ユキはもうお前を一生抱える覚悟を決めているんだ、お前が消えてしまえばあの子は悲しむ」
「……ユキもそろそろ、姉離れノ、時間だ。そして私は、もう十分ニ、生き過ぎた」
「クレア……」
「……アストレア、さま。封印さレたら、どうなる?」
「……はっきりとは分からないわ。けれどこの神具の効果は単純に、封じ込めた負のエネルギーを長い時間をかけて正のエネルギーに変換し、放出する。ただそれだけ。だからきっと……」
「何十年、何百年と閉じ込メられたまマという事か……それは少し、堪エるな……」
「………」
クレアは、ずっとずっとユキの中に居た。
痛みに耐え、苦痛に耐え、偶に外に出ながらもユキの手助けをし、その脅威となる存在を排除し続けて来た。
だが、きっとこれから味わうであろう封印は、それの比ではない。
誰の為でもない、ユキの為でもない。
そうして耐えたとしても、外に出た時にユキとまた出会える可能性は限りなく少ない。
そもそも、生者として出てこれるかどうかも分からない。
そしていくらなんでもそれを肯定する事は、リヴェリアもアストレアもしなかった。クレアも一つ返事で頷くことはできなかった。
……だから。
「これは私からの提案なのだけど」
「なン、だ……?」
「貴女を一度封印し、ユキにも覚悟と準備が出来たその時に……封印から解き放つという事にするのは、どうかしら」
「そんな事、出来ルのか?」
「これだって、そんなに新しい神具じゃないもの。壊す事くらいは出来るし、無ければ他の方法を探せばいい」
「だ、だガ、私はユキの外に出レば、どうナるか分からない……モしかすれば、また暴レ出す可能性も……」
「その時に貴女を倒すのか、それともまた封じるのか、それはその時のユキと貴女の判断で行えばいい。ただ、この方法なら貴女の主人格権をユキに戻して、貴女自身もまたいつかユキと顔を合わせる事が出来る。後回し後回しにしてしまう様だけれど、今より余裕が出来た状態で貴女の事を考える事が出来る。……少なくとも、貴女とユキがもう2度と会えないという事は無くなるわ」
女神アストレアはそう言う。
だが、彼女も言った様にこれは今ある全ての問題を後回しにし、とにかくユキを掬い出す事を考えるだけの方法だ。
何よりリスクも一つある。
それはクレアが肉体から離れた際に、主人格権がユキにではなく同様に残った精霊の胎児に移ってしまった場合。
それこそあの夢の様に破壊を楽しむ様な人格が表に出て来てしまうだろう、必ずしもユキが浮き上がってくるとは限らない。
そもそも、クレアを本当に出せるのか、出した所でどんな状態で出てくるのかも分からないのだから、これならまだクレアの人格をそのままに、精霊の胎児を植え付けられる前の状態にしておいた方が安全策と言えるだろう。
夢の中のアルフィアの言葉を信じるならば、黒龍の破片は既に除去されている。以前よりは2人の身体はマシになる筈なのだから。
普通ならば、そちらを選ぶべきだ。
元の形に戻るだけなのだから。
「……分かっタ、それにしよう」
「っ、本当にいいのか!クレア!」
「構わなイ、これでユキの身体が苦しミから解放されるノであれば」
けれどクレアは、その賭けをする事を選んだ。
ユキを解放するために、自分が封印される道を選んだ。
だって、なぜならそれは……
「ただ、一つ願いガある」
「願い?それは可能な限りは聞くつもりはあるが……」
「アタシの為ニ、一つ肉体を、用意しテ、欲しい」
「!」
「人形でモ、人で無くてモいい。ただ、ただアタシはもう一度……ユキの顔ヲ、正面から、見たイんだ」
その願いが、叶う可能性があるのだから。
もう一度ユキと顔を合わせて、話を出来る可能性があるのだから。
クレアの願いは、ただそれだけだった。
それがもう一度出来るのなら、そんな夢をもう一度見れるのなら、たとえどんな苦痛にだって耐える事が出来ると思ったのだ。
彼女の決意と願いの想いは、それだけ強い。
「……分かった、必ずなんとかしよう。アルテナにだろうとエルフの里にだろうと何だって頼って、必ずお前の為の肉体を用意しよう。これは約束だ。私とユキのではなく、私とお前の……恋人の姉と交わす、絶対の約束だ」
「……ありガとう、リヴェリア」
主人格権がどうなるかは、今は確かに分からない。
だが、そんな輝かしい未来を掴める可能性があるのなら、またユキが最愛の姉と笑顔で笑い合う事が出来る日が来るのなら、その賭けをするには十分な理由になり得た。
「大丈夫よ、2人とも。……ユキは、生まれたばかりの赤子に意識を奪われる様な弱い子じゃないもの。それに貴女が自分の中から居なくなったと分かったら、必ず飛び起きて来るわ」
「アストレアさま」
「だって、あの子は本当に貴女の事が大好きなんだもの。きっと凄い勢いで戻って来るに違いないわ、貴女の事を探して」
「……慰めは、お願イします」
「ええ、任せて頂戴。絶対にまた前を向かせて見せるわ、約束する」
その言葉に、クレアはまた小さく微笑んだ。
ユキの顔をしているのに、その向こう側にユキとは全く違う微笑みをリヴェリアは見つけた気がした。
方針は決まった。
決心も決まった。
アストレアは鞄からランプの様な形をした神具を取り出し、クレアの直ぐ隣に置いた。
ここからはもう、リヴェリアの出来る事は何もない。
「……いイのか?恋人以外の手など握っテ」
「別に構わない。それよりお前を一人で送り出した時にこそ、私がユキに怒られてしまいそうだ。……これから先、否が応でも長い付き合いになる義理の姉。少しでも距離を縮めようと努力している私の頑張りも認めてほしいものだ」
「ふっ、本当ならユキを渡シたくなど無い……が、後は頼ンだ、リヴェリア」
「ああ、任された」
アストレアが神威を発揮し、その神具の取手に触れる。
輝き出したそれは狙いをユキの身体に定め、何か光の様な物を吸い出し始めた。
すると次第にリヴェリアと視線を合わせているクレアの瞳から、生気とも言える様な光が消え始めて……
『あぁ、またお前と夕暮れを見たいな……ユキ……』
「……見させてやるとも、必ず」
その言葉を最後に、儀式は終わった。
ユキの身体からクレア・オルトランドを核とした精霊の力が抜き取られ、ただそれ一つで神具の容量はいっぱいとなり、神具は再び休眠状態に入った。
……ユキは、直ぐには目を覚ます事は無かった。
けれど確かに、精霊の胎児に人格権を奪われる事も無かった。
クレアが封印された神具はアストレアが所有し、守り続ける。
この日漸く、ユキを縛っていた枷の一つが消えたのだった。それは枷と言うにはあまりにも彼にとって大切過ぎる物だったのかもしれないが。