白海染まれ   作:ねをんゆう

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121.闘争の中

「あーあ、雨強くなって来ちゃいました」

 

ヘファイストス・ファミリアを出て帰り際に豊穣の女主人にでも顔を出そうと思っていたユキの前に、遂に本降りになりだした雨天が立ち塞がる。

傘だけならばあるが、これだけ降っているとなるとあまり外を出歩きたくないというのも本音の所。あまりグシャグシャになってホームにも帰りたくないので、今日はもう少し寄り道をしながら帰ることにしようか。実際、色々と寄りたい所はあるし、挨拶に行きたい人もたくさん居る。きっとそんな彼等もホームの中で憂いている様な天候、つまり最適な日だ。これはもう、むしろ行くしかあるまい、行かなければなるまい。

それはユキがそんな風に思い始めた矢先に起きた事だった。

 

「………なんだか、変な空気になって来ましたね。クレアが居なくなってから思念は見えなくなってしまいましたけど、これが勘という物なのでしょうか」

 

そんな抽象的な表し方しか出来ないが、確かに感じる不穏の前兆。フィンの様な勘というよりは、以前は見て判断していた思念の動きが、何となく感覚で感じられる様になったという方が正しいのだろうか。

思念を見る力は失っても、その経験は無駄にはなっていないという事なのか。それとも色々と増えたスキルや魔法の副作用なのかは分からないが。しかしまず間違いなく気の所為ではあるまい。

ユキはため息をひとつ吐いて歩き出す。

 

「お洗濯の準備だけはしておきましょう」

 

雨の降りはより強くなり始めている。

ユキは鍛冶場を出る際にヘファイストスから与えられた頑丈さが売りの剣を背に、帰り道をなるべく端の方へと寄りながら辿っていく。

こんな事なら不壊属性のあの武器を壊さなければ良かったのでは……などという正論を言うのは禁止だ。それはなによりユキ自身が1番そう思っているのだから。

 

 

 

「こんのっ!ふざけるんじゃないよ!」

 

「何だよこいつ等!?どうなってる!?」

 

同刻、オラリオではある組織が動き始めていた。

大陸の殺し屋、セクメト・ファミリアによる元イシュタル・ファミリアの団員達の抹殺。目的は当然、イシュタルが持っていた筈のクノッソスの鍵に関する情報の隠蔽だった。

呪道具を持たされた彼等はその培われた暗殺の技術と数を以てしてアマゾネス達を襲い、少しの容赦も戸惑いもなくその命を奪い取る。それこそ自身の命さえも惜しむ事なく使い潰し、ただ目の前の命を消失させる事だけに魂を燃やす。完全な自己の破壊、完全な目的の遂行、人としての全てを捨てた人形だからこそ発揮される脅威がそこにはあった。

 

「逃げろ!早く!」

 

「くっそ、人手が足りない!こっちはユキの事で漸く一息吐けたと思ってたのに!」

 

そんな彼等をロキ・ファミリアの団員達は散らばりながらも必死に守っていた。

傷付けられれば決して治らない呪道具と、彼等が得意とする呪詛。この2つは相手にしていて恐ろしく厄介な代物である。なんとか必死になって応戦しているが、着実に傷付けられていくアマゾネス達の姿に、彼等は苦い顔を隠せない。こんな風に大々的に行動してくるとは思わなかったのだ、それもこんな大胆な方法で。

 

「ガレスさん!」

 

「ユキ!?お主なぜこんな所に居る!?」

 

「言っている場合ですか!これはどういう状況ですか!?」

 

「くっ、闇派閥の仕業じゃ!元イシュタル・ファミリアのアマゾネス達がクノッソスの鍵の情報を持っておる可能性を潰す為に暗殺を始めよった!呪道具と呪術、加えて命を顧みない数の特攻に押され始めておる!」

 

「っ、闇派閥は本当に……!」

 

今のユキには呪術が効く。

元々それ以上の呪いを背負っていたが故に、他の呪詛を受けても取り込み、石を落とした水面の様に、クレアの呪いの飛沫を相手に返す事が出来ていた。しかし今のユキの内部には既にそう言った物が殆ど残っていない。唯一ある人々の憎悪の念も核となるクレアが消えた事で徐々に霧散しているのが現状だ。異物の精霊すらも完全に同化させてしまっている。

……ただ、そうは言っても何も手段が残っていないという訳でも無かった。故に取るべき行動は一つしかない。

 

「ガレスさん!今一番手が足りていない場所は何処ですか!?」

 

「むっ……!!治療院、治療院へ急げ!今あそこには多くのアマゾネス共が運ばれとる!奴等が狙う可能性は高い!」

 

「分かりました!【救いの祈りを/ホーリー】!」

 

ガレスの指示に従い、ユキは光を纏って上空へ飛び立つ。

レベルが6に上がり、自身の体に魔法を付与した移動に負担が殆ど掛からなくなったユキは、最早本当に空間を最高速度でも無い限りは自由自在に動き回れる様になっている。未だ防御力が急激に低下するという弱点はあるものの、それでも単に移動という面で言えば、その有用性は今やアイズを超えているだろう。

ガレスはそんな様子に一瞬呆けたものの、またもや襲い掛かってきた暗殺者達の迎撃を始めた。ユキがそこから少し離れたディアンケヒト・ファミリアの治療院へ到着したのは、それから僅か数十秒とかからないうちの事だった。

 

「ぐはっ!?」

 

「全く、まさか本当に治療院にこれだけの戦力を割いているだなんて。……もう簡単に帰れるとは思わないで下さいね?みんなしっかりお仕置きするんですから」

 

「「「「!?」」」」

 

「これでお終いです……【救いの祈りを/ホーリー】」

 

呪具として与えられた武装が爆発する。

治療院を襲撃しようと企んでいた10名余りの暗殺者の前に突然1人を気絶させて現れた見知らぬ女。再び消えたと思ったらまたその場に現れ、女が一言短文詠唱を紡いだ瞬間、自分達が持っていた全ての武器が小規模の爆発を引き起こして砕け散った。

暗殺者達の動揺は激しい。

しかし、その爆発によって手や足に火傷を負い、武器まで失った彼等は、それ以上の戦闘など出来るはずも無かった。

その上、これも恐らく全て目の前の女の仕業。

この女に自分達が勝てる可能性は、万が一にも無い。

 

「全員……」

 

「自殺はさせませんよ、見てましたから」

 

「むぐっ……!?」

 

そしてまた、いつの間にか自分の背後に立っていた女。

周りの仲間達が次々と意識を失い倒れて行く。

歯に仕込んだ毒薬を噛み砕こうとした自分の口元に布を詰め込まれて押し倒される。

その綺麗な顔をした女は、しかし見た目からは考えられないバケモノの様な力を持っていた。彼女の顔が自分の顔の横にまで迫り、耳元で小さく呟かれる。

 

「やるだけやって自殺して終わりだなんて、そんなの許す訳ないじゃないですか。ちゃんと生きて償って下さい。……大丈夫ですよ?何も心配する事なく更生して頂いて。貴方を消して隠蔽を図ろうとする方々も、私がちゃんと全員捕まえますから」

 

そんなあまりに優しい女の言葉。

しかし何故か背筋に寒気が走る。

この女はやる。

本当にやるし、やる力がある。

そもそもこんな風に気絶させられるのなら、わざわざ一度武器を破壊する必要も無かったのだから。わざわざこんな風に見せつける様に破壊したのは……抵抗する気力を奪い、そもそも抵抗する事など無意味だと言う事を見せつける為。

 

「私、実は少し怒ってるんですよ?そうなる様に育てられ、そうなる様に指示された貴方方に怒っても仕方ないと分かってはいるのですが……殺しはいけません」

 

「っ」

 

「とは言え、これではクレアの事を言えませんからね。ちゃんと学んで、更生して、生まれ変わって来て下さい。……牢屋の中で」

 

その瞬間、暗殺者の意識が沈んだ。

何か触れてはいけない物に触れてしまった様な気がしたが、その頃には既に言葉の一つも発する力は残っていなかった。

 

「……嫌な雨ですね、本当に」

 

なんとなく最後に聞こえたその言葉も、それが果たしてどういう意味を孕んで発せられた言葉なのか、理解することは出来なかった。

 

 

 

 

 

「ユキ!ここに居たのか!」

 

「リヴェリアさん……?少し待ってて下さい、もう直ぐ終わりますので」

 

諸々の事情を把握しディアンケヒト・ファミリアの治療院に飛び込んできたリヴェリアがそこで見つけたのは、アミッドと共に額に汗をかきながらアマゾネス達の治療を行っているユキの姿。

魔法で治療を行うアミッドに対して、解呪以外は全てその手で治療を行なっているユキは、借りている白衣を血に濡らしながら足りていない人手を少しでも補っている。

 

【母の心音/ゴスペル】

 

最小規模で最大出力の魔法行使。

魔法と呪詛効果を打ち消すユキの新たな魔法は、しかし広範囲に広がってしまう為そのままではアミッド達の邪魔をしてしまう。かといって呪詛の中でも相当な妄執に囚われたこの呪道具の効果は生半可な威力では祓えず、消耗は激しいがアミッド以外に唯一解呪が出来る人間としてユキは重宝されていた。

そうでなくとも魔法を使わない医療技術だけなら一線級。中々に酷い有様になっているが、それでも他のディアンケヒト・ファミリアの団員達が思わず目を剥く程には彼はこういった状況に慣れている。

 

「全く驚かされた……あれだけ血塗れになって何が起きたのかと、あんな事まで出来たのかお前は」

 

「あれ?……あ、そっか、こっちのリヴェリアさんにはまだ見せていませんでしたね。私は治療系の魔法は持っていなかったので、必然的にこういう術を身に付ける必要があったんですよ。幸い、アストレア様を含めて先生には恵まれましたので」

 

「あれだけ手慣れていたのも、その旅の際の経験か?」

 

「あとは7年前に行った時にもここのお手伝いをしていまして、人や配置も大きくは変わっていなかったので助かりました」

 

「そうか……一度はその世界を見てみたかった気持ちもあるな」

 

粗方治療魔法の使い手達の手が空き、アミッドと共に何より優先して行なっていた解呪が一通り終わった段階で、ユキは治療室に置いてある小さな椅子に座り休憩を行っていた。

まだ手に入れてから間もない魔法、細かな操作をしようとすればどうしても大きなロスが生じてしまう。どの程度ならば解呪出来るか分からない程の強力な呪い。失敗をして2度3度と掛け直す暇が無い現状、ユキはその全てを全力で放つ以外に選択肢が無かった。血に濡れた衣服は処理したが、今も髪が濡れる程の大粒の汗を流して息を切らす。精神的な限界は、なかなかに心身共に負担が強い。

 

「それにしても、ゴスペルと来たか」

 

「ふふ、良い魔法だと思いませんか?とても優しくて」

 

「ああ、その元の使い手にそういった印象はあまり無いがな」

 

「そうですか?……まあ、あまり人に聞かせられる詠唱ではないかもしれませんね。この世界では」

 

「そうだな……だがこの世界の7年前にお前は居なかった、仕方のない話を気にするな」

 

「はい……」

 

そう言って俯きながらも暗い顔をするユキの頭をポンポンと叩くリヴェリア。

昼に目を覚ました時にはいつの間にかユキは館を出ており、やきもきしながら執務に励んでいればアマゾネス襲撃の騒動を聞き、急いでアミッドの所へ向かってみれば突然十数人もの気絶した暗殺者達をディアンケヒト・ファミリアの団員達に押し付けられる始末。

それをしたのがユキだと聞き、『目覚めて直ぐにそんな無茶をして』と説教しようと思っていたのだが……治療を手伝おうと中に入ってみればこの状態だ、もう文句の一つも言う気が無くなってしまった。

 

「ん……精癒の効果で魔力もあと一回分は回復しました。アミッドさんと一緒にもう1人分治療に行かないとです」

 

「もう1人?」

 

「ええ、私も久しぶりに会うんですけど……リヴェリアさんも何かする事があるんですよね?私はもう大丈夫ですから、また後でお会いしましょう?」

 

「!」

 

「ここに来るまで、暗殺者さん達の処理以外にも、アリシアさん達と何かしていたんじゃないですか?多分アマゾネスさん達を闇派閥から隠す為の算段か何かだと思いますが」

 

「……そこまでバレていたか。まあ、いつまでもお前にここの守りを頼る訳にはいかないからな」

 

「そちらはお任せしますね、リヴェリアさん」

 

「ああ、任された」

 

2人はそうして一度互いの体を擦り合う様に当てがってから、静かにその場を離れる。艱難辛苦を乗り越えて、それでも未だゆっくりとしていられる時間はない。もう一度2人であの平穏な日常を取り戻すには、あと少しだけ走らなければならない。

これはそれまでの辛抱だ。

我慢ならもう何度もして来た。

たかだか数日気を張るくらいであの幸福な日々を手に入れられるなら……これまで味わって来たどんな状況よりも、それは生温い。

 

「アミッドさん」

 

「ええ、こちらはもう大丈夫です……少し待たせてしまいました、行きましょう」

 

いつも会う時にはユキが気絶しており、意外にも実際にこうして話すのは初めてなこの2人。

しかし方法は違えど医療の戦場を経験した彼等は、肩を並べて何の迷いもなく前を向いて歩く確かな医療者の風格を伴っていた。


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