治療院の廊下で静かに、普段とは異なる雰囲気でアミッド達を待っている2人がいた。
タオルを持って気遣うアイズと、雨に濡れたまま治らない傷を抱え、それでも暗い顔をしたままに眉一つ動かさないベート・ローガ。彼がどうしてそんな暗い顔をしているのか、それは知らなくとも冒険者として似た様な顔を見た事のある者ならば分かるだろう。
「すみません、遅れました」
「ごめんなさい、お待たせして」
「アミッド……ユキも、お手伝いしてたの?」
「ええ、今の私は呪詛を取り込めなくとも祓えますから。魔力はかなり消費しますが、治療魔法は使いませんし」
「ユキさんのおかげで私もかなり節約と時短が出来ました。……とは言え、貴方の体力を見込んで後回しにしてしまった事を謝罪させて下さい。ベート・ローガ様」
汗に塗れ、互いにマインドダウンの兆候が見られ始めている2人。
ユキが来た分、確かに効率は良くなったが、その分救える命も多くなった。節約出来ていても結果的には疲労からは逃げられず、アミッドもユキと同様に少しの休憩を挟んでからここに立っている。
「……生きてたのか、テメェ」
「ええ、地獄の淵から帰って来ました。……私の事は良いので、アミッドさんに。何か聞きたい事があるんですよね、ベートさん」
「………」
「【母の心音/ゴスペル】」
ユキの翳した両手から発せられる一つの柔らかな心音、別室で治療を行なっている医療者達の邪魔にならない様に最小限の範囲に絞って放たれたそれは、ベートの身体に付けられていた呪詛の影響を解し、取り除いて行く。
"ゴスペル"という詠唱文にアイズが一瞬驚いた顔をしたが、ユキが直後に本格的な精神疲労に膝を突いた事でそれどころでは無くなった様だ。
解呪を行ったユキの代わりに今度はアミッドが手を掲げ、治療魔法をかけ始める。
「……こいつが居るって事は、アマゾネス共は生きてんのか」
「救える命は救いました、しかしこの場に来た時には手遅れだった方々はもう……」
「ガキの亡骸はここにいるのか?」
「……救えなかったアマゾネスの方々は、私どもディアンケヒト・ファミリアの方で僭越ながら第一墓地に運ばせて頂きました」
「………」
ユキは知らない、ベートに何があったのか。
アイズに抱えられながらも心配そうに彼を見つめ、静かに2人の話を聞いている。
「襲撃者の正体は大陸の闇と呼ばれるセクメト・ファミリアと断定されました。元イシュタル・ファミリアの団員達が狙われた事からギルドは女神イシュタルに恨みを抱いた一部の女神の犯行だと判断しましたが、彼等は雇い主の事は絶対に口外せず自害を行います。ユキさんが捕まえた方々も拷問に対する耐性があり、口を割らせるのは難しいかと」
「………」
「……治療は終えましたが、この悪質な呪詛は傷が塞がっても直ぐには回復しません。ゆめゆめ無理はなさらない様に……っ」
「アミッド……!」
ユキに続いてまたフラフラと膝を突いたアミッドに、アイズはもう大変だ。
2人が魔法を行使し過ぎているのは明白、回復には少なく見積もっても数時間はかかるだろう。精癒を持っているユキでさえも長時間の手作業の治療による身体的な疲労と集中力の消費が激しい。
2人を両肩に背負いながら歩いて行くアイズ。
そしてそう背負われながらも心配そうにベートを見つめるユキに、ベートはふと一つの質問を投げ掛けた。顔を合わせる事もなく、単に疑問に思った事を。
「テメェは、誰かに復讐した事はあるか」
「……いえ、ありません」
「どうしてだ、テメェも温い生き方して来た訳じゃねぇだろ」
「単純に、復讐を考える余裕が無かったというのもあります。辛い事があっても、次の辛い事が直ぐに来て、それを考える暇もありませんでした」
「………」
「……それに、言ってしまいましたから」
そうしてユキが思い返すのは、ある夕焼けが綺麗な日の事だった。いつもの様に姉と共に見ていた夕焼けの下で、彼女と交わした会話の一つ。
『アタシは絶対、親を殺した賊共に復讐してやるんだ』
『……本当に、するの?やめようよ、良くないよ』
『お前だって分かるだろ、ユキ。お前だって同じ様に家族を賊に殺されたんだ、アタシの気持ちも少しくらい分かる筈だ』
『でも私は、クレアにそんなこと、して欲しくない……誰かを殺す為だけに生きるだなんて、そんなこと……苦しいよ』
『ユキ……』
あの時は心からそう思って言った言葉。
それが彼女にとって救いとなったかどうかは分からないし、もしかしたら苦しめる事になったかもしれない。
けれど、その言葉がユキの記憶に残っている限り、それを言われたクレアがこの世界にいる限り、ユキ自身がその言葉を違える事など出来やしない。
「私は、復讐を考えていた姉の生き方を否定しました。その事実がある限り、私は復讐の道を歩めません。許せないって思ったり、怒ったりすることはありますが、それを人生の主目的に置く事は絶対に出来ません」
「……復讐の為に生きる人間は滑稽ってか」
「復讐を考える事は否定しません、そうなる気持ちは分かります。……ただ、それを一番に考えるのは悲しい事です。復讐したい気持ちと、人生を楽しく生きる事は、きっと両立出来ると思うんです」
「……復讐で頭狂ってるやつが、楽しくなんか生きられるかよ」
「……少なくとも、私の最初の母は願ってくれましたから。私が復讐に生きる事よりも、私が幸せな人生を歩める事を」
それ以上は互いに何も言わなかった。
続く言葉は何も無かった。
ただ、2人のそんな会話が刺さったのは、ユキを支えている彼女にもそうだった。
「こうしてお話しするのは、初めてでしたね、ユキさん」
「ええ、私が意識を失っている時にたくさんお世話にはなってしまっていたんですけどね……お礼に行こう行こうと思っても、ついつい機会を逃してしまって」
「構いません。それに、精霊の胎児に関しては私は何も出来ませんでしたから」
ベートとの会話の後にアイズに休憩室へ放り込まれた2人は、うつらうつらと仮眠をとる態勢に入りながらもそんな会話を交わしていた。
襲ってくる眠気を少しだけ感じながらも、今日こうして互いに互いの事を知り始めた2人。この日この時間を無駄にする事は、互いになんとなく勿体無い気がして憚らない。
「……貴女を見ていると、女神アストレア様を思い出します」
「……それは、容姿の話ですか?」
「いえ、それもありますが……手際や治療に携わる際の雰囲気がよく似ていました。もっとも、貴女は本来戦う側の人間なのでしょうけれど」
「誰だって何時も何処かで戦っています、役割が変わってもそれは変わりませんよ。私が1人を救う間に、アミッドさんなら10人は救えるんでしょうし」
「しかし私が10人を救っている間、貴女はその手で100人を救えるでしょう。ここを襲撃しようとしていた暗殺者達がその例です」
「羨ましいですか、私の事が」
「ええ、救える貴女が羨ましいです」
「私も羨ましいですよ、アミッドさんのこと」
それはきっと、互いが互いの持っていない手段で多くの物を取りこぼして来たからこその言葉だろう。
戦える力が欲しかった。
人を癒せる力が欲しかった。
無かったからこそ、救えなかった。
いつだって、救えなかった物ばかりに目が向くのだ。
だってそれは、自分の無力の証明に他ならないのだから。
「……貴女と共にダンジョンに潜れば、私のレベルも少しは上がるでしょうか」
「アミッドさんが私と一緒に潜ったら、多分とんでもない物を引き当ててしまうと思うので、やめた方がいいと思います。あらゆる困難の難易度が軒並み下がってしまいますからね」
「……?良く分かりませんが、そこまで言うのでしたら考え直します。ただ、貴女が使っていた医療技術は後ほど教えて頂きたいものです。横目で少しだけ見ていましたが、いくつか私の知らない知識もありました」
「ええ、それくらいでしたら。私も受け売りばかりですので、アミッドさんに咀嚼して頂けると助かります」
それから、2人は全く同じタイミングで欠伸をする。
そろそろ眠気も限界だった。
瞼がどんどん開かなくなる。
「……よろしいのですか、彼の加勢に加わらず」
「人には人の、物語があります。今回の主役は、ベートさんですから。……これは決して、私の物語では、ありません」
「信じているのですね、彼を」
「ええ……それに、野暮じゃないですか。男が1人、男を張りに行ったのに……それを、邪魔したら……」
もう限界とばかりに、それっきり静かに寝息を立て始めたユキに、アミッドもまた眠気のままに身体を休ませた。
この世界でも7年前でも、ヴァレッタ・グレーデを倒すのはユキではない。打ち倒すのは、そのヴァレッタ達に誰よりも苦しめられたフィン達でいい。
それに……復讐の為に生きるのではなく、生きる為に復讐するのであれば、ユキでさえもそれを引き止めるつもりはなかった。