白海染まれ   作:ねをんゆう

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125.リューは吐く

「…………すみません、少し吐いてきます」

 

「リューさん!?」

 

久しぶりの先輩からのお言葉は、話を聞くに連れて顔を青くするリューの嘔吐によって始まった。

 

「あ、あの……大丈夫ですか……?」

 

「それはこちらの台詞では……?」

 

「え、私は何も問題ありませんが……」

 

「え、むしろ何処に問題が無いんです?頭の中まで問題でいっぱいの、私にとって災害の様な貴方が今更何を?」

 

「えっと……もしかして怒ってます?リューさん」

 

「これの何処が怒っている様に見えるのですか、ユキ」

 

「……とても顔色が悪いです」

 

「吐いてきましたからね」

 

「す、すみません……」

 

本当に体調の悪そうなリューに、ユキは本当に申し訳なさそうに水を差し出す。

しかし彼女はそれすらも喉を通らないのか、一度手に取って見つめてから、またそれを机に置いた。どころか身体をふるふると震わせ、少し泣きそうになりながらユキの方へと目を向ける。

これまであったことをアストレアの事以外を粗方全て話し終えた今、それ以上に何かを発せる言葉をユキは持ってはいなかった。

故に今はただ申し訳なさそうに顔を俯ける。

 

「……本当に、生きていて良かった」

 

「!」

 

だからなのか、リューがそうしてユキの事を抱き締めた時、驚きのあまりにユキは大きく目を見開いた。

まさかあのリューが、仮にも男性である自分にそこまでするとは思わなかったのだ。むしろ彼女がそこまでする程の事であったと、ユキ自身気付いてもいなかった。

 

「もし私の知らない所で貴方が命を落としていたら、私は本当に心を失っていたかもしれない……」

 

「そんなこと……」

 

「あります、ありますよ……何を言っているんですか、貴方は」

 

「リューさん……」

 

「貴方は私の後輩です、大切な大切な後輩です。……でも、何より私は今、貴方のことを本当の家族だと思ってもいるんです」

 

「!」

 

「家族が自分の知らない所で命を落としていたら、辛いと思わない訳がないでしょう。貴方は、私に残された最後の家族なんですから……」

 

そこまで言われてしまえば、ユキはもうそれ以上何も言うことは出来なかった。

リューの事は慕っていたし、リューが自分のことを可愛がってくれているという事も知っていた。けれど、家族とまで思ってくれるくらいに愛してくれているとは思いもしなかった。思っていても、自覚出来ていなかった。

だから本当に、今になって、何もかもに気付いたのだ。今のリューにとって、自分がどれほど大切な存在になっていたのかという事に。

 

「……私もリューさんのこと、家族だと思いたいです。アストレア様が帰って来たら、リューさんと一緒のファミリアで過ごしたいと、心からそう思います」

 

「ユキ……」

 

「でもリューさんが、シルさんやミアさんと、そして豊穣の女主人で働く方々と、切っても切れない絆で結ばれている事も知っているんです。……なので、こんなのは私の我儘で終わらせてしまっても構いません。ただ、私もそう思ってしまうくらいにはリューさんの事を慕っていると、そう知っていて下さるだけで構いません」

 

「………」

 

「勿論、憧れもあるんですよ。私、見て来ましたから。7年前のアストレア・ファミリアの姿を」

 

「!」

 

ユキがアストレアと共にファミリアを作りたいと言った理由も、そこにある。

何処へ行っても自分の居場所だとは思えなかったユキ、それはロキ・ファミリアでも7年前のアストレア・ファミリアでも一緒だった。

だが、それなら自分で作ればいい。

リヴェリアと旅に出て、世界を回って、それでも最後には自分を迎えてくれる家があって欲しい。7年前の彼らの姿を見て、ユキは心からそう思ったのだ。

もうあのアストレア・ファミリアには戻らなくとも、アリーゼ達の時より、もっともっと活気の溢れた素晴らしいファミリアを作りたいと。

 

「……どうでしたか、私達のファミリアは」

 

「少しも疑わないんですね、私のこと」

 

「疑いませんよ、可愛い後輩の言う事ですから。……それで、どうでしたか?アストレア・ファミリアは」

 

「……とても、楽しい所でした」

 

ほんの数日、1週間も無かったかもしれない。

けれど、そこで過ごした彼らとの生活の日々を、ユキが忘れる事はない。

 

「アリーゼさんは、とてもお熱い方でした。天真爛漫と言いますか、それでも頭の中ではしっかりと周りの事を考えていて、けれどやっぱり自由で輝いていて……団長として、フィンさんとはまた違ったカリスマの様な物があったと思います」

 

「ええ、そうでしょう。私達はアリーゼのそんな所に惹かれた同志でもありましたから。彼女でなければ私達は集まらなかった。彼女が居たからこそ、私達はアストレア・ファミリアとして走り続ける事が出来た」

 

「輝夜さんは、すごくお強い方でした。実力は勿論、人としても、何より自分という物を強く持っていました。少し怖い所もありましたが、なんだかんだと優しくしてくれて……現実主義に少しの寛容もある輝夜さんだからこそ、アリーゼさんの補佐として副団長が出来ていたのかなと、今は思います」

 

「輝夜は……まあ、私もよく口喧嘩をしていましたが、それでも彼女の言う事に間違いは無かった。まだ未熟だった私に厳しい事や希望の無い事を言う彼女は、確かに私達のブレーキ役になってくれていた。輝夜が居なければ、私達は理想論を語る集団にしかなり得ていなかった」

 

「ライラさんは、割と苦労人気質だと思いました。ライラさん自身もユーモアに溢れているのに、アリーゼさんの言動や、時々暴走する輝夜さんやリューさんを上手いことカバーしていた様に見えました。……私の行った7年前では、フィンさんと食事の約束が出来たそうですから。きっと今は幸せに笑えているのだろうなぁと思います」

 

「それは……素敵な話だ。彼女は常々勇者の嫁になるのだと言っていましたから、そうなる世界があるのだと言うだけで私も嬉しくなる。ライラは小人族でも珍しいランクアップを果たした冒険者である前に、環境に負ける事なく貪欲に上を求める逞しい人物でしたから。彼女に教え込まれた知恵や知識は、今でも私の力になっています」

 

ああ、確かにそれは自分の知っている彼女達であると、リューはユキの言葉を聞きながら頷く。

ユキの言葉を聞くだけで想像できる。

ユキの行った世界の話を。

ユキの話した彼等の姿を。

ああ、自慢だった。自慢の先輩達だった。

彼等が居たならば7年前にユキが一人で迷い込んでしまったとしても、心配など無いと。そう断言出来てしまうくらいには心強い彼等の姿。

だから嬉しい。

だから幸せを感じる。

自分の大好きだった彼等を、自分の大切な後輩が、こんなにも慕ってくれたという事に。こんなにも良い所を見つけて話してくれたという事に。

どうしようもなく、満たされる。

 

「……昔の私の姿だけは、あまり貴方に見せたくは無かったのですが。それだけが少し残念に思います」

 

「そんな事ありません、昔のリューさんも変わらず素敵でした。髪が長いリューさんというのも新鮮でしたが、なにより本当に真っ直ぐな心を持っていて……」

 

「そ、それ以上はいいですから!……ああ、もう。私にも意地というか、後輩にあまりかっこ悪い所を見せたくはなかったのに」

 

「私の目にはいつもリューさんはカッコ良く映っていますよ、憧れの先輩です」

 

「……そう素直に言われると困りますね、恐らく嘘ではないというのがまたタチが悪い」

 

「嘘ではありませんからね、当然です」

 

ユキの気持ちは何もかもが本当だ。

リヴェリアへの気持ちとはまた違うが、ユキがリューを大切に思っているのは間違いなく、慕っているのも事実だった。

それに、ユキはあの世界のアリーゼと約束している。

自分達の居なくなってしまったリューを、よろしく頼むと。言われなくともそのつもりだったが、言われればより心は動く物。

だからこそ、彼女をこれほどまで心配させてしまった事を申し訳なく思う。今の話で少しは気分が和らいだ様だが、それでもまだ彼女の顔は青い。

 

「……私、もう大丈夫ですから」

 

「ユキ……」

 

「あの世界に行って、強い方々や自分の心と戦って、少しは強くなれたと思います。自分の心の弱さを知って、殻に籠ってばかりだった自分を知って、少しは成長出来たと思います。……だから、前より少しだけ、大丈夫です」

 

「……貴方の心の中から、あれほど大切に思っていた姉が居なくなってもですか?」

 

「いつか絶対に助け出します、今は少しだけの我慢です。一生会えないという訳ではないのなら、どれだけでも我慢しますよ」

 

「……これから先も、貴方には正義や英雄を求める声が止む事はありませんよ。それでも大丈夫なのですか?」

 

「英雄の役割を重く感じるのは変わりませんが……それでも、その役割を担ってなお前に進む人達を見て、憧れました。その人の子を名乗る以上は、私ももっと頑張りたいと思います。前に進む事だけは得意ですからね」

 

心配ではある、この子が大丈夫と言って大丈夫だった試しがないのだから。不安でもある、この子は年中幸せそうにしているが、基本的に不憫な子だから。無理をしないで欲しい、この子は直ぐに無理をして怪我をするから。

……そう心配するくらいなら、早くに決断を下すべきなのだろうと、誰だって分かるのに、それでも。

 

「……もう少しだけ、もう少しだけ待ってください、ユキ」

 

「リューさん……」

 

「私はまだ、結論を出せない。どうするべきなのかも分からない。それでも、私が何を求めているのかは、なんとなく分かっているんです。でも、今の私ではまだ、戻れない……」

 

「……待っていますから。いつまでもは、待てませんけど」

 

「ええ、分かっています」

 

まだ、その決心はついていない。

まだ、そうなるに相応しい自分になれていない。

こうして見守っている間にも凄まじい速度で成長していく後輩を尻目に、自分は7年経っても成長していないと思ってしまう。

だからせめて、せめてこの憎悪にはけりを付けたい。7年前から引き摺り続けたこの憎しみを置き、それからでなければ戻る事など考えられない。たとえ目の前の後輩を見守っていく立場になるとしても、その立場に居られる相応しい自分でありたい。

 

「……さて、そうとなれば私もいつまでもうかうかとしていられませんね」

 

「え?」

 

「ユキ、少し鍛錬に付き合って下さい。私も久し振りに身体を思いっきり動かしてみたくなった」

 

「それは構いませんが……大丈夫ですか?」

 

「私は問題ありません。あ、貴方の方がまだ本調子ではないという事なら別に無理にとは言いませんが……」

 

「あ、いえ、そういう事ではなく……ほら、私今素のステータス的にはアイズさん達と変わりませんから。ある程度慣れたとは言え、まだ細かい力の操作には不安がありまして」

 

「ああ、なるほど。そういう………なる、ほ、ど……?」

 

「?」

 

「剣姫と、変わらない……?」

 

「ええ……あれ、私お話ししてませんでしたっけ?レベルが上がったこと」

 

「え、聞いていませんが……」

 

「あれ」

 

そこで漸くリューは、自分が勘違いしていた事を知る。そしてユキの説明がいつも通りにかなり足りていなかったことを知る。

ユキが7年前でザルドやアルフィアと戦っていたという事は聞いていたし、ユキがレベル5になったというのも知っていた。だからきっと彼等の病とユキのスキルによって何とか戦えていたのだと理解していたし、そこは別にまあ流石は自分の自慢の後輩だと聞いていた。

けれどそう、よくよく考えれば分かる筈なのだ。

短期間とは言えそれ程の経験を積み、そこにユキの成長促進のスキルが掛け合わされば、彼のレベルが6まで上がるという事もまた当然の事なのだと。

 

「ユキ……」

 

「は、はい……なんでしょう……」

 

「私が言いたい事は、もう分かりますね?」

 

「は、はいぃ……」

 

「ふぅぅぅぅぅ……」

 

何かを察し、身を縮めて俯くユキ。

怒られるのは分かっているのだろう、そんな大切な事はまず一番に話すべきだったのだから。

リヴェリアにも常々言われている。

どんなにとんでもない事でも、聞かれるまで言わないその癖はやめろと。まず自分から全部報告してくれと。

それだけはユキの悪い所だ。

次第に改善してきているとは言え、今回もこうして聞かなければ知らなかった。知らないままに、何の対策も用意できなかった。

ユキのためにも怒るべきなのだ、リューは。

 

「ただ、まあ……もういいです、今日は」

 

「へ……?」

 

「貴方が無事にこうして帰って来た、私はその事実だけで今日はもうお腹いっぱいです」

 

「リューさん!」

 

「ほら、そうとなれば早く次の神会に向けた対策でも練りましょう。以前の神会から既にレベルが2つも上がっているとなれば、生半可な理由では通りませんから」

 

「は、はい!ありがとうございます!リューさん!」

 

なんて言いながら結局こうして甘やかしてしまうのだから仕方がない。つくづく自分は後輩には甘い性だったのだと、リューは自分の事ながら自嘲するのであった。

 

 

 

 

「それでは、また来ますね!リューさん!」

 

「ええ、また直ぐにでも。……ふぅ」

 

今日の報告が終わりユキが笑顔で部屋を出て行くと、リューは漸くと言った様にしてため息を吐き項垂れる。

疲労した顔、ガンッと机に頭を突く程の勢い。

それは決してユキとの関わりが嫌だったからではない。

そしてユキからの報告によるストレスによるものでもない。

確かに今回のユキからの報告はこれまでとは違い相当にハードなものだったし、今も考えれば頭が痛くなる様なものばかりだ。それでもリューはこうしてユキと話す事を楽しみにしているし、その問題を自分には何一つ隠す事なく話してくれているという事実を嬉しく思っている。

基本的にこちらから聞かなければ教えてくれないユキが、自分にだけは自ら全てを伝えてくれるのだ。その立ち位置に居るのがリヴェリアを含めても自分だけという事に少しの優越感だって感じている。

……そう、問題はそれだった。

 

「……間違いない、ユキの魅了の効果量が確実に増大している。今日は本当に危なかった」

 

勢い余って抱き着いてしまった程の衝動。

いくら先輩と後輩、半家族の様な間柄とは言え、人によっては、それこそ貞淑なエルフにとっては不貞とも取られない行為だ。誰にも見られていなくて良かったと心から思うし、むしろそんなギリギリの状態になってしまっている事を嫌でも自覚させられてしまう。

 

「ユキの魅了の効果は本来ならば本当に微量なもの……とは言え、私とユキは少々相性が良過ぎる。今はまだ家族愛で済ませる事が出来ているが、一瞬でも足を踏み外せば終わりだ。途端に私はあの子の幸せを奪ってしまう存在になってしまいかねない」

 

そんな事は自分自身望んではいない。

リューの願いはユキが幸福に過ごす姿をその近くで見ている事だ。決してユキの邪魔はしたくないし、そんな幸福なユキを見て嬉しく思えない自分にはなりたくない。

 

……だが、これ以上は本当に不味いのだ。

このままでは本当に自分は、あの大切な後輩のことを好きになってしまう。それだけは絶対にあってはならない、たとえどれだけ強い魅了に晒されようとも、避けなければならない。

 

「単純な解決方法は私自身のレベルの上昇、何らかのアビリティで耐性が出来れば更にいい。だがアストレア様に私がまだ会う準備が出来ていない現状、もう一つの解決方法は……ユキではない他の誰かに強烈な恋愛感情を抱く事くらい」

 

むしろそちらの方が難易度が高い気がしてしまう悲しい女、リュー・リオン。レベルを上げるよりも恋愛をする方が難しいと感じてしまうのは、未婚のエルフへの道の第一歩である。

とは言え、リューが仲の良い男性など本当に片手も要らないくらいしか居ない上に、その内の1人は大切な親友の想い人。手を触れる事が出来たり、単純に好感を持っているだけに可能性はあるだろうし、まあ悪い気はしなくとも、手を出す事はそもそも許されない。

 

「……やはり、レベルを上げるしかない」

 

経験上、レベルが1つしか離れていなかった頃ならまだ耐えられた筈だ。今の様に2つも離されてしまうと、もうその笑顔だけでドキドキとしてしまうし、色々な感情がより強く反映されてしまう。

今アストレアと会えば直ぐにでもLv.5になれる。流石のユキであっても容易くLv.7に到達する事は無いだろう、そこはかつての最強と今の勇者達が行き詰まっている場所だ。1年も余裕があれば追い付ける自信はある、多少の無茶を覚悟すれば。

 

「……本当に、7年前に会っていなくて良かった。あちらの私はさぞかし大変だったでしょう、あの頃の私がユキを好きにならない筈がない。そもそもその感情を止める必要性も無い」

 

そう考えると、少しだけ羨ましいと思ってしまうのもまた毒されてしまっているというか……よろしくない、本当によろしくない。

まだ7年前の時点ならばユキがリヴェリアと恋人関係でなく、それならば何の憂いもなく……なんて、そんな考えは間違いなく足を踏み外す一歩目だ。頭から振り払って引き返さなくてはならない。

けれどこれは魅了なんかではなく、本当は自分の気持ちなのではないか……などと一瞬でも頭の中に浮かんでしまえば、もうお終いだ。その気持ちを少しでも誇りというか、尊く思ってはならない。どうやったって捨てなければならない感情なのだから。

それならばこんな感情は魅了の効果によるもので、これっぽっちも尊いものではない。そう考えた方がずっと健全と言える。

 

「全く、どうして私の周りの触れる事が出来る男性達はその悉くが恋人持ちなのか。……いえ、クラネルさんは違いますが。駄目ですね、完全に頭が恋愛脳になりかけている」

 

そうして一度顔を洗って来ようと、リューはゆっくりと立ち上がって部屋を出た。

これならばどこぞの女神の様にハッキリと目に分かる程に強い魅了をかけられた方がずっとマシだろうと思ってしまう。こんな自分の気付かない所からゆっくりと浸食し、本来の気持ちの成長を促す様な形で立ち上ってくる魅了など……

 

「仕事、仕事、仕事をしなければ……」

 

その日のリューはそれはもう良く働いたという。それと同じくらいミスもして怒られたが、本人的にはそれはそれで良かったとかなんとか。


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