『ーー緊急警報!緊急警報!オラリオに所属する全ファミリアはギルドの指揮下に入って下さい!』
「っ!なんだ……!?」
鳴る、ギルド本部の大鐘楼。
都市中に響く大型拡声器による放送。
空気を震わす様な鐘の音と共に発令された緊急警報に、それまでロキ、フィン、ガレス、そしてアストレアと共に今後の方針を話し合っていたリヴェリアは立ち上がった。
このオラリオでも滅多にない警報に、リヴェリアは咄嗟に窓を開けて耳を澄ませる。
果たして最後にこの大鐘楼の音を聞いたのはいつだったか。暗黒期まで遡らなくとも、ほんの少し前。存在しない筈の別世界でリヴェリアはそれを聞いた覚えがある。
リヴェリアがその大鐘楼の音に少しばかり過敏に反応してしまったのはそのせいだろうか。以前はその音と同時に街の一角が地に沈み地獄と絶望が始まった訳だが……
『18階層リヴィラが武装したモンスターにより壊滅!伴ってモンスターの大移動を確認!至急、ギルドは冒険者を編成しモンスターの討伐をーーーえっ?そ、そんな……りょ、了解しました!』
どうやら今回はそういった事情では無いらしい。
リヴェリアは一瞬安堵と共に肺に詰まっていた息を吐くが、とは言え笑っていられる事案でも無いという事は理解しているので気を引き締め直す。
ユキがダンジョンに出て既に10日。連絡は定期的にあるとは言え、そんな中でこの様な放送がされれば恐ろしくもなるものだ。それこそリヴェリアはあの時、ユキの辿る数多の地獄絵図を見せられたのだから。何かの拍子に再びあの選択をもう一度迫られる事になったとしても不思議では無い。
『市民、及び全冒険者のダンジョンの侵入を禁止します!各ファミリアはギルドの指示が出るまで本拠で待機してください!繰り返しますーー』
「………いや、まさかな」
それとは別に、今回の件にユキが関わっていないかと言われるとそう断言出来ないという所もまた恐ろしい。
むしろ現実ギルドから訳の分からない任務で駆り出されて、そのまま誰とも知らない人間と深層まで潜って来るとか言い出す奴だ。元々トラブルに巻き込まれやすい体質をしている彼が巻き込まれていないと考える方が難しい。
「ほ〜ん、なんや色々大変そうやなぁ。どう思う?フィン」
「この段階で闇派閥残党の仕掛けという事はまず無いんじゃないかな?あちらは既に待ちの構え。ヴァレッタとオリバスが居ない今、先走って行動する輩も居ないだろうし」
「だとすると、その関連の怪人共も無関係じゃろうな。しかし、そうなると此度の騒動はなんじゃ?本当にただの事故か?」
「………………第三勢力、と考えるのは些か強引かな。どう思う?リヴェリア、女神アストレア」
「……それを私達に聞くという事は、もう大方の予想は付いているのでしょう?勇者」
「ユキが手紙の中で語っていた、ダンジョンで出来た友人達とやら……まあ、決して無関係とは言えまい。そもそもの発端がギルド、いや神ウラノスからの強制任務だと考えれば、今の放送も合わせて此度の件は恐らくギルド側の不祥事」
「神ウラノスが秘密裏に管理していたものが何らかの事故で表に出てしまった……ロキが聞いていた【ヘルメス・ファミリア】が【イケロス・ファミリア】を追っているという件がそのきっかけになるんだろう」
「……巻き込まれているんだろうな、ユキは」
「リヴェリア、直近のユキからの連絡は?」
「丁度今日の朝。恐らくは【万能者】の作品か、ギルドが隠し持つ何らかの魔道具で連絡を入れているのだろうが、地上に帰って来ようとしているらしい。タイミング的には18階層の騒動に立ち会う事は無いだろう」
「つまり武装したモンスター達と何らかの関わりのある第三勢力の別働隊と共にユキは行動していると考えた方が良いかな」
「とは言え、それも全部想像に過ぎひんけどな」
「想像出来るだけ良かったじゃない。これもある意味ではユキのおかげなのかしら」
「そのユキが何をしでかすか分からない想像不可能な駒過ぎて僕としては頭が痛いのだけどね。……前の時には大きく盤面を動かす事は無かったけれど、果たして今回はどうかな」
敵になる事はない。
こちらの不利益になる事はない。
そうも言い切れない理解不能な未知。
今こうしている間にも勝手にクノッソスに突入していてもおかしくない様な彼の姿に頭を痛めているのは、決してリヴェリアだけでは無かった。
「いやあの、こんな所になるくらいならもっと早く教えて欲しかったですよ!フェルズさん……!」
『すまない、まさか私もここまでの事になるとは……』
一方でダンジョン深層に居たユキはと言えば、一度45階層に辿り着いた後に引き返し始めて居た事もあり、アステリオスと共に18階層に向けて走っていた。
フェルズに持たされた通信機が光り始めたのはつい30分ほど前。その連絡が来た時からユキはアステリオスの後ろにつきながら最短距離で階層を登り続けている。
「ゼノスを狩るイカロス・ファミリア、竜女(ヴィーヴル)の少女を保護したヘスティア・ファミリア、そして仲間を奪われた事でゼノス達が18階層を殲滅ですか……死者は居るんですか?」
『ゼノス狩りに関係していた者達くらいだ』
「それでも、そんな事は何も知らない冒険者達には関係ありませんからね。このまま地上に出たら不味いですよ?仮にイカロス・ファミリアが闇派閥と関係していた場合、クノッソスに招かれでもしたらもっと不味いです」
『分かっている、だからこそ対処はガネーシャ・ファミリアとベル・クラネルに一任した。私も先行してダンジョンに入っている。お前達はいつ戻って来られる?』
「地形の不慣れから私個人では走れないので、このままアステリオスさんに案内してもらっても18階層まであと30分はかかるかと。せめてリドさん達を地上には出さない様にお願いします、ロキ・ファミリアが出て来たら今度こそ本当に終わりです……!」
『分かった、とにかく急いでくれ』
それを最後に通信が切れ、ユキはまたアステリオスの後ろをついて行く。
フェルズからの報告にはユキも知っていたゼノス達がイカロス・ファミリアの狩りの犠牲になったと聞いている。その中には20階層でよく懐いてくれたハーピィのフィアも含まれているというのだから、怒っているし、許せないし、生きている事をただただ祈るしかない。
……だが、自分がこう思っている以上にゼノスの彼等の悔しさは深いという事も知っている。故にユキは今回の一件に苦言を呈す事はしないし、仕方のない事だと、当然の事であると理解している。
むしろ本当に関わった人間にしか危害を加えていないだけよく我慢しているくらいだろう。彼等からすれば人間への印象など悪い事ばかりだろうに。
「……アステリオスさん」
「言う必要はない」
「!」
「ただ走る、同胞達の為に」
「……分かりました。27階層から先は私も道を記憶していますから、そこからは先に向かおうと思います」
「構わない」
「私は、ゼノスの皆さんを助ける為に全力を尽くします。ですからアステリオスさんにも、出来れば無関係の方の命までは奪わない様にして欲しいです。……最後にはまたみんなで笑い合える様に」
「……承知した」
アステリオスの淡々とした返答。
けれど言葉少ない彼がそれでも内心多くの事を考えているという事をユキは知っている。戦闘時以外では物静かな彼が、その内にどれだけの感情を潜ませているのかを知っている。
故に、もう言葉はそれだけで良かった。
アステリオスの案内によって27階層にまで辿り着いたユキは、アステリオスに残り少なくなったポーションのうちの2本を渡して向き直る。
この10日に渡る生活の中で無茶な事ばかりして来た2人の姿は、それはもう酷いものだ。互いに新たな強さを得た代わりに相当の疲労を抱え、ベストコンディションとはとても言えない状態。
物資をケチりにケチりながら戦い続けた事もあり、治療も殆ど応急処置。この時点でポーションが4本も残っていることがその証左。
そして2人はこれが最後だからとそれ等を悩む事なく飲み干し、自身の身体へと振り掛けた。減りに減って残り3本しか無い剣も腰に付け、もうすっかり空になってしまった鞄をユキは投げ捨てる。
「アステリオスさん、先に行ってますから」
「……必ずや追い付く、必ず」
「ええ、待ってますね」
ユキが差し出した拳にアステリオスもまた軽くコツンと拳を打ち合わせると、瞬間全身に魔法を付与したユキが目にも止まらぬ勢いでダンジョンを駆け降りていく。
恐らく単純な実力としてはそう変わらない筈の人間の少女。けれどこの旅路の最中、アステリオスはウダイオスでの一戦以外で彼女に対して心の底から勝利を実感した瞬間は一度たりとも無かった。
ああ、それは先に行くだろうとも。
彼女はずっと自分の前を走っていたのだから。
結果としてこの数日では彼女に追い付けなかったのだから。
『待っている』などと言いつつも、決して立ち止まって待ってくれはしない彼女をアステリオスは見送るしか無い。
それは単純な実力だけではなかった。
生き方が違った。
考え方が違った。
感じ方が違った。
彼女は自分より遥かに技術で劣るアステリオスからでさえも、より多くの事を学び取ろうと一切の嘲笑や慢心も無く視線を向けていた。
自身の体格を理由にせず、自分に足りない純粋な力というものをどう引き出すかを、この数日常にアステリオスを見ながら考えていた。アステリオスもまたそれに気付いていたし、アステリオスが最初にユキの一挙手一投足を逃す事なく見て学ぼうと考えたのは他でもなくそれが原因だ。
『本当に強くなりたいのなら、本当に勝ちたいというのなら、手段ややり方など選んでいられない』
食事を取っている際に彼女が話していたその言葉は、決して『勝つ為ならばどんな卑怯な手段でも取る』という意味ではなく、むしろ『勝つ為ならばどんな力でも身に付けるし、その手段を身に付ける為ならばどんな泥でも飲む』という意味であるという事を知った。
素手でもそれなりに戦える彼女。
目や耳などを閉じていてもそれなりに戦える彼女。
水の中でも最低限生き残る術を身に付けている彼女。
一体どこでそんな技術を身に付けたのか。
むしろ何故そんな技術を身に付けようと思ったのか。
アステリオスは素直に疑問に思ったし、そんな技術を身に付けるくらいならば、もっと自分の長所を伸ばすべきだとも考えた。
けれどその結果がこれだ。
通算1勝5敗。
様々な制約を課したダンジョン攻略はアステリオスの大敗に終わった。どころかその内の一戦は闘技場(コロシアム)と呼ばれる無制限にモンスターが沸く地点を使用した、何の制約もない単純なモンスター狩りだ。
様々なモンスターとの乱戦を単純な拳だけで突き破ろうと藻搔いていた自分とは異なり、様々な術を用いて、けれど決して小手先だけではなく十分な力も保持しながら淡々とモンスターを処理していた彼女。
確かに正面から当たれば勝てるかもしれない。
潜在的なものはさておき、ダンジョンで見た限りの能力ならば、今日まで高めて来た分の力を発揮すれば十分に勝つ事が出来る。
冒険者とは違い、アステリオスはモンスターだ。質の良い魔石を喰らえば単純な力量は上昇するし、何よりここ数日は技術的な伸びが凄まじい。技術が最初から身に付いていて、恩恵の更新をしても然程能力の上がらないユキとの差は確実に埋まっているし広がっている筈。
……だがそれでも、それでもアステリオスの中の何かが叫んでいるのだ。
『自分はあの女に勝てていない』と。
『自分はあの女にまだ勝てない』と。
恥ずかしげもなく敗北を悟り、弱い自分を否定してくる。その勝利は決して自身が抱く情景とは関係の無い存在であると言うのに。
「………」
飛んで行ったユキの背はもう見えない。
恐らくこのまま進んだとしても、アステリオスが着いた頃には彼女が騒動を終わらせているだろう。
……だとすれば、アステリオスが今出来る事は。
『闇派閥の拠点はこのダンジョンを囲む様に、18階層かそれより少し下辺りまで作られています。壁はアダマンタイトで覆われていて、それより遥かに硬いオリハルコンの扉の開閉は鍵が無ければ行う事が出来ません』
(…………)
『何の手段もなく敵地に入ればまず負けるでしょう。傷を治せない呪道具や特殊なモンスターが居る事も考えれば、単純な力押しで攻略するのは難しい。秘策となるモンスターも複数居る筈』
(………だが)
『それでも、そこに囚われているゼノス達も居る筈なんですよ。だとしたら、アステリオスさんが誰の指示を受ける事もなく出来る事はただ一つ。むしろあの壁を破壊できる今のアステリオスさんにして欲しい事はただ一つ』
(ああ、そうしよう。今はただ)
『安全圏で迷宮を破壊しまくる、嫌がらせです♪』
18階層の壁を吹き飛ばす。
可能な限り、大きく、盛大に、2度と入口を隠そうなどと考えられない程に。ただこの力を持って、仲間達の逃げ道を、切り開く。