白海染まれ   作:ねをんゆう

133 / 162
133.勝っても負けても

『ふぅ……ここまで、来れば……大丈夫、ですかね……」

 

「……休め」

 

「あ、あはは……流石に、頑張り過ぎました……少し、寝ますね……」

 

「………」

 

地下の通路、水路の深く。

逃げ込んだ先で眠りについた人間の寝顔を、アステリオスは静かに見つめる。

思い返せば深層への旅路の最中、ろくな休憩を取る事もなくここまで来た。いくらポーションを使ったとしても、アステリオスでさえ身体に重度の疲労を感じるほどの騒動だ。その中で延々と走り回り、最後には相手陣営の最大戦力と戦闘を繰り広げたユキが疲れているのは必然の話でしかなあ。

壁を背に寝息を立てる彼女。

左肩には最後に受けた傷があり、今もそこからは夥しい程の血が流れている。しかし反面、アステリオスにはこれといった大きな怪我という物は無い。せいぜいアイズとの戦闘の最中で付けられた小さな傷がいくつもあるくらいで、それも放っておけば勝手に治る程度の物でしかない。

 

「………」

 

ここに、手当ての出来る物は何も無かった。

むしろ不衛生によって傷は悪化するかもしれない、そしてアステリオスには他者の傷をどうこう出来る程の知識もない。目の前にいる彼女ならば他人の傷を治すことも出来たかもしれないが、他者を癒す術などアステリオスは持ち合わせてはいなかった。

どうにかしてやりたいとは思う、しかし何も出来る事がないというのがもどかしい。

 

「……」

 

結局、アステリオスは見張りに終始することにした。それくらいしか出来る事が無かった故に、自身の疲れも後回しに周囲への警戒だけに集中する。それは諦めでもあったし、とは言え彼女なら大丈夫だとも思っていた。そう簡単に死ぬ人間ではないと、そんな信頼もあったのだ。

 

「へぇ、何処に行ったかと思ったらこんな所に……偶然だよね、ほんと」

 

「!」

 

そしてそんな気怠げな声をかけられたのは、アステリオスが見張りを初めて1時間ほど経った頃だった。疲れを隠し切れないアステリオスは僅かに近づくその存在への反応が遅れてしまったが、即座に斧を構えてこの空間への侵入者に殺意を向ける。

 

「いやいや、待ってくれよ。別に邪魔しに来た訳じゃないんだって、本当。ただその子の為にポーションを持って来ただけだから、ほら」

 

その侵入者は、神だった。

アステリオスだってそれくらいは分かる。

黒いローブを纏った男か女かよく分からないそれ、しかし明らかに邪神の類であるとアステリオスの勘は囁いている。

 

「別に毒だって入れてない。単純に困るんだよね、今その子に死んでもらうと」

 

自身でポーションの一滴を試す様に飲み込むと、それは何の躊躇いもなくアステリオスへと投げ渡す。『本当に言いたいことはそれだけで、ここへ来た目的もそれだけだった』とでも言うのか、それ以降その神はただの一言もアステリオスに投げ掛ける事なくその場を去っていった。

アステリオスも試しに一滴飲んでみるが、それは確かにダンジョンでユキに渡された物と変わらない。素人なりに見てみても、特に何かおかしな部分も見当たらない。……あの神の思惑がどうであれ、使える物は使うべきだ。どうせ自分では何もする事が出来ないのだから。アステリオスはゆっくりと腰を下ろし、ユキの左肩の傷口にそれを振り掛け始める。

 

「……ん」

 

傷は順調に治り始めた。

ユキの顔色も良くなり始め、ポーションの効果が発揮されているのか、寝息もより安らかなものへと変わっていった。傷に関してはもう問題無さそうだった、手遅れになっていたという事も無かったらしい。多少血が足りていないのか若干まだ辛そうではあるが、止まった以上は何も問題はないだろう。

 

「………」

 

果たして、自分はいつまでこうしておくべきなのか。仲間は、ゼノス達は無事にしているのか。それこそ近くにフェルズとの通信機があるというにも関わらず、アステリオスはそんな事を考えながら警戒を続けるのだった。

 

 

 

 

 

「……思ったよりギルド側の戦力が大きい」

 

「ああ、そうだな……まあ、今はそれより気になることがあるが」

 

「どんだけ落ち込んどるんじゃ、フィン」

 

「う……」

 

「珍しいなぁ、そない落ち込んどるフィンを見るんは」

 

一方その頃、ロキ・ファミリアの執務室では幹部3人とロキがいつもの様に一連の出来事について話し合っていた。しかしその日、何より普段と異なっていたのは、フィンのあまりに素直な落ち込みようだけ。

 

「ザルドの忘れ形見……最後の方はワシも見とったが、確かにあれは当時のザルドに匹敵するな」

 

「ほ〜ん、直接やり合ったガレスが言うんなら間違いないんやなぁ」

 

「まあ、フィンの気持ちも分からなくはない。当時のオッタルが成し遂げた偉業、今の自分ならばどうかと考えた事くらいは私とてある」

 

「その結果があのザマだよ、今なら勝てると思ったんだけどね……」

 

「慰めはせんが、ワシももう少し早く事を終わらせておれば同じ事をしたじゃろう。それにしてもザルドの忘れ形見とは、ギルドも面白い物を隠しておったのぅ」

 

ガレスの目に宿る明らかな興奮、そして隠し切れない嬉しさ。それを見ればリヴェリアは呆れるばかりだし、なによりフィンも自分が真っ先にそれを成そうとしただけに笑うしかない。

……しかし、状況が笑えないという事は確かである。先ほども言った様に、今のギルドの戦力は明らかに異常だ。

 

「リヴェリア、一つ聞きたいんやけど……ユキたんがギルド側に付いとる可能性、どんくらいや?」

 

「100%だな」

 

「お、おお、言い切るんか……」

 

「間違いない、むしろその確信がなければ神ウラノスもわざわざユキを強引に引き出す事はしなかっただろう。加えて、今ユキと共に深層に潜っているのは間違いなくあのモンスター達の仲間だ」

 

「……人間と手を取り合う事が出来るモンスター達、か」

 

あの時のミノタウロスとザルドの剣撃を扱う男の動き、あれを最初に見た時の彼等の驚きは果たしてどれほどのものだったろうか。最初から少しだけ感じていた妙な違和感、それが明確な形となったのも正にあの瞬間であった。

 

「……ほんなら、ユキたんがウチ等と敵対する可能性は?」

 

「……仮に私達が引き続きあのモンスター達を狙うとするのであれば、100%だ」

 

「それは笑えないね、本当に」

 

「アルフィアの魔法を持ったユキたんに、ザルドの後継者たる謎の男、それに加えてアイズたんと互角のミノタウロスに、少なくとも魔道具を作れる程度の存在がもう1人……」

 

「実質、ザルドとアルフィア、加えてアイズとアンドロメダが敵に居る様なものよ。アルフィアの方はまだ本来と比べると優しい部類じゃろうが」

 

「つまり、オッタルを呼んで来るでもしなければ勝てない布陣という訳だ」

 

「ちなみにリヴェリア、もしユキたんと敵対することになったらどうするん?」

 

「ユキにつく」

 

「「「……………」」」

 

「とは言え、そうならない様に上手く立ち回るつもりだ。ただ本当に敵対する事になれば、私は迷わずあの子に付く。私はそう決めている」

 

何の迷いもないリヴェリアの言葉に、他の3人は何とも言えない顔をし合う。

ユキはあの日目覚めた時から何かが変わった。しかし他の者達も薄々と勘づいていた様に、リヴェリアもまたあの日以来何かが変わっている。それは執着というか、欲というか。

 

「変わったなぁ、リヴェリア」

 

「……例え他の全てが上手くいったとしても、最後に本当に大切な物が守れていなければ意味が無い。それを思い知ったというだけの話だ」

 

「それが君にとってのユキ、ということかい?彼はもう僕達が守る必要なんてないくらいに強くなったと思うけど」

 

「馬鹿を言うな、フィン。あの子は死ぬ、本当に些細な選択の違いで簡単に。だからこそ私はあの子を片時も離したくなかった、それなのにギルドと神ウラノスは……!!」

 

握り締めたリヴェリアの右手の拳がメキメキと音を立てる。そこには以前の様な神ウラノスに対する敬意など欠片程度も残っておらず、ただフィン達でさえも触れられないほどの明確な怒りが存在しているだけ。

しかしロキ達には分からなくとも、リヴェリアにはユキがどれほど簡単に命を落とすのかということをその身に痛いほどに刻まれている。あれは本当に、本当に簡単に死ぬのだ。"死から遠ざかる"などというスキルを保持していながらも、驚くほどに少しの選択の違いで。

もしかしたら今この瞬間にも、敵から受けた傷がポーションの不足で影響して死に至っているかもしれない。もしかしたら今この瞬間にも、疲れから眠りに付いてしまった所を闇派閥に見つかり殺されてしまっているかもしれない。もしかしたら今この瞬間にも、ダンジョンに突如として現れた異常な存在に襲われているかもしれない。あの子に関しては本当に、どんなあり得ない事だってあり得るのだ。

……実際、確かに彼の身に何かがあれば別室にいる神アストレアが気付く筈ではあるのだが、そうだとしてもリヴェリアは何よりユキを優先する。次もやり直せるとは思えない、もう2度と失う訳にはいかないのだ。

 

「……すまない、少し頭を冷やして来る。何かあれば言ってくれ、必要が無ければそれでいい」

 

そうしてリヴェリアは溜息を吐きながら部屋を出ていく。彼女のその言葉に頭を抱えるのはフィンであるし、ロキとガレスは苦笑いを浮かべるだけだ。これでユキが同じファミリアの人間ならば問題はないが、彼は実際には現在アストレア・ファミリアの人間。将来的にも長く近い付き合いになる組織であるとしても、別の組織の人間である事はそれだけで色々と問題は出てくるものだ。

 

「……本格的に、リヴェリアとユキを自由にする事を考えないといけないかな」

 

「そう難しく考えとるのはお主だけじゃぞ、フィン」

 

「せやなぁ、リヴェリアが言うとるんも"最後には"ユキたんを取るっちゅう事やし。結局ウチ等も最善を選び続けられる訳やあらへんから、ユキたんみたいに間違いなく善性の自由人が居るんは結果的には良えんかもしれん」

 

「結果的には良くても、それに一番振り回されるのはボクだって分かって言ってるだろう、ロキ」

 

「アストレア・ファミリアが本格的に独立し始めたらそんな事も言っとれんぞ、今度は主神も団長もあれじゃ。間違いなく集まってくるのも相応の奴等ばかりになる」

 

「勘弁して欲しいね、頼もしくはあるけれど」

 

かつてのアストレア・ファミリアを思い出す。

果たして次に生まれるアストレア・ファミリアは、彼等の様に正義の名の下に人々を救うのか。それとも……

 

「ま、フィンは出来ることをやればええんよ。ウチ等では手の届かん所は、ユキたんが見てくれとるんやから。……まあ今は丁度深層から帰って来ようとしとる所やろうけど」

 

その言葉が全てである。

そして盛大な勘違いでもある。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。