『一先ず、私は地上に戻って様子を見て来ようと思います。フェルズさんの通信機はアステリオスさんが使って下さい、他のゼノスの方々の様子も見て周って来ようと思いますので』
例の騒動から1日が経ち、十分な休息を得たユキはそう告げて地上に戻った。フェルズから受け取った魔道具は持ったまま、一度宿屋を取って地下の臭いを落とした状態で路地裏を走る。
「ダイダロス通りを中心に冒険者達が何かを探している……やっぱりゼノスの皆さんを探しているんですね。フィンさんの指示か、そもそも神様方が何かを察して指示しているのか」
ロキ・ファミリアの冒険者だけではない。滅多に人の寄り付かないこの場所に今日ばかりは異常な数の冒険者が居ることに、住民達も少なからず不安を抱いているように見える。
「この場所にはクノッソスへの入口もありますし、通信機で聞いた限りでは殆どのゼノスがまだ地上に居る……逃す為にはもう一騒動が必要とは言え、闇派閥との三つ巴になると最悪ですね」
それだけは避けたい、避けなければならない。
特に今回の件、ゼノスはベル・クラネルが率いるヘスティア・ファミリアと手を組んでいる。仮にこの場で闇派閥が現れれば、彼等も意図せずそれに巻き込まれる事になるだろう。
……ユキはまだファミリアに戻る訳にはいかない、極力目撃情報も無くすべきだ。つまり今回ばかりは表向きの支援はヘスティア・ファミリアに任せ、ユキは姿を隠して裏から活動する以外にない。
「フェルズさんの魔道具があって本当に良かった……」
一先ずはヘスティア・ファミリアと意思疎通を交わす必要があるだろう。ただしそれはユキ・アイゼンハートとしてではなく、ザルドの剣撃を使う謎の剣士として。その件をフェルズに伝え、ユキは指定された場所へと走った。
「……正座」
「はい……」
なおその数時間後、ユキは捕まっていた。
あまりにみっともなく座らされていた。
あれだけ威勢良く飛び出したというのに。
その表情は最早泣き顔にも近かった。
彼を捕まえたのは現役の冒険者ではない。
フィンではない。
リヴェリアでもない。
アストレアでさえもなかった。
出来る限り他人の目に入らない様に行動していたにも関わらず、ほとんど奇跡的にバッタリと出会ってしまった人物。それは……
「あの、その、本当にもう隠し事はないです……リューさん」
「信用できない、他には何をしたのですか?」
「いえ、あの、本当に、本当にこれ以上はまだ何もしてなくて……」
「これから何をするつもりだったかも吐きなさい」
「はい……」
近くにあった廃屋の中に強引に連れ込まれ、正座をさせられて、睨まれる。完全に怒りを抱いていた彼女に、ユキは逆らうことなど許されない。逃げ出すこともできない。ステータスだけでは覆せない力の差というものがある、それはスキルや魔法ではなく先輩と後輩という関係そのものであった。
「あ、あの、リューさんは何故こんな所に……」
「街中でミノタウロスと共闘していた冒険者がザルドの剣技を使っていたという情報をアンドロメダから聞きました。加えてユキは今はダンジョンでギルドの依頼を受けていると聞いていましたから」
「確信して、探しに来たと……」
「また余計な事に首を突っ込んで!!ロキ・ファミリアと事を成すとは何を考えているんだ貴方は!!それどころか勇者と剣姫を相手に正面から戦おうなどと……!!」
「ちゃ、ちゃんと誰も怪我をしないように気を付けました!」
「怪我をしているのは貴方でしょうに!!肩に勇者の槍を受けたという事も知っている!いいから傷口を見せなさい……!!」
「いたっ、いたたたたたっ!リューさん待って!本当に痛いですって!!」
レベルによる力の差などものともせず、ユキはリューに服を乱される。流石に脱がされるまでには至らずとも、リューの執着に負けたユキはおずおずと自分の左肩の部分だけを彼女に晒すことになってしまった。
(うっ……)
瞬間、リューの心に湧き出るのは良くない情である。
左肩だけを出そうにも、ユキの服装的にはどうしても胸元が緩くなってしまい、首からうなじ、鎖骨に掛けてまで彼の綺麗な素肌が露わになっていた。恥ずかしそうに顔を赤く染めながら背けるその姿は、妙な色気の様なものを醸し出していて、ここが人目につくこともない廃屋という密室空間だということもリューの心を揺らしてくる。
「え、えっと、ポーションは使って貰ったみたいなんですけど……まだ完全には治ってなくて……」
「…………」
「リューさん?」
「!……あ、いえ、そ、そうですか」
「?」
一度自分の頬を手で叩いて意識を戻してみるものの、やはりユキの方へと目を向けてしまえば自然と彼の素肌へと目線は惹き寄せられてしまって、またもや心を揺らされてしまう。
(こ、これ以上は本当に不味い……!)
その判断が下せたのは最後の救いだった。
「いったぁぁあああ!?!?」
バシーンッと傷口に叩く様にしてハンカチを当てられ、その上からとにかく適当にポーションをぶっ掛ける。
「早く服を着なさい!はしたない!!」
「脱がせたのはリューさんですよね!?いたた……」
彼から顔を背け、持ってきた治療具を自分で処置しろと押し付ける。ユキは痛みに顔を歪ませつつも素直にそれを受け取り、一先ず素直に治療を始めた。
こんな事を考えている場合ではないというのに、なんと呑気なことか。しかしやはり今のリューではユキの魅了を引き離す事は難しいらしく、リューは認めないが内心満更でもなく思っているのがまたその影響を強くしてしまっている。
治療が終わり、ゴソゴソと服を直したのを確認してから、リューは視線を戻した。こうして見るとやはり傷は相当に深いものだったのか顔色は普段ほど良くなく、確かな疲労の色も見えている。軽く話してはいるものの、必要に迫られたとは言え、やはり世話になった相手と剣を交えるというのは精神的な負担も大きかったらしい。体調はあまり良く無さそうに見えた。
「……そこまでして、守る必要がある相手だったのですか?」
「えっと、ゼノスの方々のことですよね?」
「ええ、貴方も分かるはずです。例え彼等に人並みの意識があったとしても、彼等の存在は許されない。彼等が受け入れられる事はなく、彼等が地上で暮らせる未来は今の世界ではあり得ない」
「………」
「彼等はこの世界において毒にしかなりません、彼等としても地上で生きるよりダンジョンで生きた方がよっぽど安全だ。そして今回の件も、それを証明する結果になってしまったではありませんか」
リューは尋ねる。
そこまでユキがする必要があったのかと。
そうまで傷ついても動く必要があるのかと。
しかしユキの表情は変わらない。
リューが予想していた通り、考えは変わらない。
「肌が黒いから別物、耳が長いから別物、要はそれと同じですよ、リューさん」
「……そうでしょうか」
「僅かな理解を経て、少しの受け入れを得て、その後は時間が解決する問題です。今の人達が受け入れられなくても、その子供達が受け入れられないとは限りません」
「随分と先の長い話をしますね」
「先の長い話でも、まず始まらなければ何も変わらないんです。私から見た感想ですが、彼等の内面は人と何も変わりませんでした。それも人格としては、あまりに善良に寄っている」
「…………」
「いくらモンスターの容姿を持っているからとは言え、それが善性を持つ相手を迫害する理由になりますか?家族を奪われ、殺され、辱められ、それに怒った彼等を責めるのは正しい事ですか?彼等をこの世界の毒にしているのは私達です、彼等が毒なのではありません」
「……だから、ロキ・ファミリアと事を構えてでも貴方は彼等に協力すると」
「フィンさんはきっと薄々ゼノス達の正体に気付いています、けれどそれを踏まえた上で見逃すつもりは無いでしょう。それなら私は協力出来ません」
「最悪の場合、貴方が追放される事になります。責められ、糾弾され、冒険者として活動出来なくなるかもしれない。その大きなリスクを覚悟してでもやるんですね?」
「……私のせいでロキ・ファミリアの評判を落とすかもしれない事は本当に申し訳ないです。それでも、私にも譲れないものはあります。仮に他の誰もが未来永劫彼等を受け入れられなくとも、私は彼等と仲を深めたい。これはただそれだけの話です」
「……」
向けられた強い視線に、リューは心を撃ち抜かれる。目を合わせられず視線を逸らすが、高鳴る胸の音だけは誤魔化せない。
リューだって最初から知っていた。
それを踏まえても彼はそう言うのであろうと。
しかし実際に目を合わせて言われてしまうと、なかなかにダメージの大きいものだ。その意志の強さは、あまりにも眩しい。
「……最後に、貴方にとってモンスターとゼノスとやらの違いはなんですか?貴方だってモンスター相手であれば命を奪っているでしょう、それと何が違うのですか?」
「……もしかしたら今日まで私が倒してきたモンスターの中にもゼノスである存在は居たかもしれません。ただ、知ってしまいましたから、共存出来る可能性のある存在を」
「共存出来る相手であれば手を差し伸べるということですか。しかし、人は愚かな生き物です。卑劣な人間も多い。貴方にとって人間とゼノスの違いはなんですか?」
「多分、見た目以外に変わりはありません。もし彼等が言葉が通じても悪性を持つ者であれば、私もこの道は選びませんでした。……そう考えると、やっぱり何もかも私の我儘ですね。私が助けたいから助ける、仲良くしたいから仲良くする。こんな私の我儘ですが、リューさんは認めてくれますか?」
そこまでを聞いて、リューは息を吐いた。
そこまで言うのならもういい、どうせ止めることなど出来やしない。そうしたら後はもう支えるだけだ。余計な手出しをして邪魔になるくらいなら、徹底的に手伝って好きにさせるしかない。
「……分かりました、私も手伝います」
「本当ですか!?」
「ええ、それにクラネルさんもこの件に関っているのでしょう?思う所はありますが、手を貸します」
「ありがとうございます!」
まあ大切な後輩のためなら悪くない。それにベルもゼノス達に関わっており、つい先程アスフィからもヘルメス・ファミリアとして助力を頼まれたところでもあった。リューとしてはゼノスの存在と扱いについてはまだ納得出来ないところもあったが、大切な者達が関わっているこの案件、協力するのは実際のところ最初から決まっていた様なものだ。
「それで?一先ず私は何をすれば?」
「えっと、取り敢えずは物資が欲しいです。クノッソス経由で帰って来たのでギルドにまだ帰還報告はしていませんし、リヴェリアさん達には私はまだ深層に行っている事になってますからね。都合が良いので私が帰って来ている事は隠しておきたいんです」
「また隠し癖ですか、リヴェリア様の苦労が目に見える様で………ん?」
そこで時が止まる。
何かこう、聞き流してはいけない言葉が聞こえたようで。
「深層?」
「えっ、あれ、言ってませんでした?今後の遠征の下見のためにアステリオスさん……つまり、あの黒いミノタウロスさんに深層を案内して貰ってたんですよ。自身の鍛錬も兼ねて」
「いえ、あの、確かに聞いていた話と時間的な違和感はあったとは思いましたが……」
「ドロップアイテムも色々と回収して来たんですけど、これはまだ換金出来ませんし。手持ちのお金もそうないので、本当に申し訳ないのですが貸していただいたり出来ませんか……?あ、ドロップアイテムと交換とかでも全然構わないのですが」
「いや、だから……」
「?」
『何をしているんだ貴方はぁぁああ!!!!!』
「ぴぃっ!?」
この後めちゃくちゃ怒られた。
まさかその上、武器や魔法を縛りながら探索を進めていたなど絶対に言えなくて。ユキは引き続き星座で反省をしながら、それを隠す事にした。
「……それで?あれは一体誰なんだい、ウラノス?あれほどの戦力を隠し持っていたなんて、聞いていないぜ?」
「…………」
ギルドの地下空間、ウラノスの間で、ヘルメスは半ば問い詰める様に言葉を強める。
それに対してウラノスは何も答えない。
……というより、答えられない。
だってその戦力は別にウラノスの物では無いのだから、そうは言っても自分の物だと誤解させておいた方が色々と楽ではあるのだが。
「ザルドの忘れ形見……あり得ない話ではないだろうが、Lv.7に匹敵する人間が今日の今日まで誰の目にも一切触れられず存在するとは考え難い。本当に何者なんだ、あれは」
「……ザルドの忘れ形見にして、アルフィアの子」
「"静寂"に子供が居たのか……!?」
「私が彼に聞いたのはそこまでだ、そして彼はそれに相応しい実力と人格を持っていた。加えて言うのであれば、彼は私の戦力ではない。ゼノスの協力者だ」
それ以上の情報は明かされない。
ただ、ヘルメスはそれに対して強い興味を抱いた。一度はこの都市を崩壊に導いた"静寂"と"暴食"の関係者、あのフィン・ディムナを煙に撒いた確かな実力。ヘルメスの頭の中にあるのは、"英雄"の2文字だけだ。その人物もまた"英雄"足り得る人間であるのか。それを確かめる事が、彼の全てと言ってもいい。