登るに連れて、音が聞こえてくる。
歩むに連れて、声が聞こえてくる。
男と男が、魂と魂が、その身をかけて打つかり合う、そんな衝撃が。
「ハァァァア!!!」
『グォオオオオオ!!!!!!』
圧倒的な体格差、けれど互角。
右腕がない、ダメージを受けている、それでも猛牛はそれすら気にせず斧を振るう。力が足りない、技術も足りない、それでも白兎は只管に必死に前へ前へと踏み込む。
「……邪魔をするのは、野暮ですね」
ダンジョン1階層。
クノッソスを経由し、ギルドへの帰還報告を行うために漸く戻って来たこの場所で、ユキは偶然にも彼等と遭遇した。
しかし彼等の目にユキは映らない、ただ目の前の好敵手との戦いに全身全霊を捧げている。
なぜ味方陣営であるはずの彼等がこうして対立しているのか、それはきっと仲間割れでもなんでもなく、それもまた一つの運命の様なものなのだろう。
(でも、今回は……)
いくらアステリオスが腕を失っていようとも、いくら彼が数多の強敵達との戦闘を潜り抜けた後だとしても、今のベル・クラネルではまだ彼には及ばない。
ーーーーッ!
決着が付いた。
勝ったのはアステリオスだ。
しかし彼はベルの命までは取らず、彼に少しの言葉を投げ掛けて、足を引き摺りながらも背中を向けて歩き出す。
その先に居るのはユキだ。
存在に気付いた彼は一度眼を見開き、あまりに酷い状態の彼の姿を上から下まで確認すると、こちらへ来るようにと手招いてくる。会話をするにしても、ここではないという事なのだろう。ユキも素直にそれに着いていった。
「……それほどの敵が、未だダンジョンに」
「ええ、ダンジョン28階層に闇派閥が隠していました。まともに戦っていたら、武器が足りずに負けていたかもしれません。……ごめんなさい、アステリオスさん。今回の件、何も協力出来ませんでした」
「構わない、全ては終わった」
それ即ち、ゼノス達は無事に逃げ延びることが出来たということなのだろう。
果たしてどの様な経緯の果てに彼等がそうして勝利を掴むことが出来たかは定かではないが、何より今こうして静かに語り合えている。それが全てには違いない。
「……ユキ・アイゼンハート」
「はい、なんでしょう」
「今一度、挑戦の機会を」
「!」
途端に、彼の雰囲気が切り替わった。
もしかしたら彼は最初から、否、ここでユキと偶然にも出会ったその時から、決めていたのかもしれない。
「ベルとは1勝1敗、しかし」
「……私にはまだ負けたまま、そういう事ですか」
「雪辱を果たしたい」
「お互いに、こんな有様ですよ?」
「だからこそ、言い訳はない」
既にアステリオスの中で、それは決まっている。初めて会った時のリベンジ……それはベルへの挑戦を行い勝った今だからこそ、ユキに対してアステリオスは望む。
ベルが生涯最大の好敵手であるのならば、ユキは超えるべき壁だ。ユキの手の内については深層への探索も含めて殆どを把握したはず、今なら負けることはない。負けてはならない。むしろそこまでしたからこそ、勝たなくてはならない。もう言い訳は出来ないのだから、最初の戦いの時の様な不意打ちは無いのだから。
「……しかし互いにこの怪我です、武器はありますか?」
「……無い」
「それなら条件を付けましょう。私が2本剣を持っていますから、これが破壊された方の負けです。剣は使ってもいいし、身体に身に付けているだけでもいい。……この剣こそが、私達の命という事で」
今やもう懐かしさすら感じる、彼女との条件付きの争い。しかしこの条件はアステリオスにとってかなり有利なものだった。
そもそもアステリオスは素手でも戦える、むしろ身体そのものが最高の武器だと言っても過言では無い。一方でユキは体術こそ出来ても、武器にはならない。剣で戦わなくてはならないし、その剣の命を消費して戦うのが彼女だ。これでは全く対等ではない。
「…………」
「……魔法は使いません」
「っ」
「というより、使えません。実はもう精神力的に限界でして、マインドダウン寸前なんですよ。最近覚えた魔法の燃費が悪くて」
「……ならば」
「十分です、これで」
「っ」
「少年君と戦ったばかりで、片腕のないアステリオスさん。マインドダウン寸前とは言え、ポーションを1本飲んでいる私。むしろ私の方が有利なくらいだと思いますよ、個人的には」
それは挑発なのか、それとも自信なのか。彼女の思惑をアステリオスでは図ることは出来ない、それを知りたいのならすべきことはひとつだ。その言葉を否定したいのならば、アステリオスはその剣を取るしかない。
「……これは"再戦"ではない」
「………」
「"挑戦"を。今一度、自分は"冒険"をする……!!」
「っ!!!!」
地面が爆ぜる。
階層が揺れる。
ただ一度の衝突は、意地が宿っていた。
そして……そのたった一度の交わりをした瞬間から、アステリオスはユキの一つの変化を感じ取っていた。
(剣が、重い……!!)
自身の角で受け止めたユキの一撃。しかしその一撃が以前食らったもの、あるいは見たものと比べて、あまりにも重過ぎる。
「ッ……!ウォォオオオオオ!!!!!!」
「うっ……!くっ!」
拳を振るう、頭を振るう、ただそれだけのアステリオスの攻撃は全てが敵にとっての致命傷になる。加えて彼は進化していた、より強さを学んでいた。今ではただ一つの拳の振りにさえも意味がある。ただ一つの距離の詰め方にさえも思考がある。マインドダウンによる思考の鈍足化、そして全身に広がる火傷による強烈な痛み。僅かでも集中力を切らした瞬間に負けるという予感がユキにはあった。しかし同時にアステリオスにも、この攻撃を緩めた瞬間に負けるという確信があった。
剣を振るう、それを避ける、返しに拳を打ち込み、それを強引に逸らされる。真正面からの打ち合い、殴り合い、ユキの言う通り2人は今この状況において全くの互角だった。
アステリオスの傷は深い。
そもそもがダンジョンの深層帰りで騒動に巻き込まれ、その後にロキ・ファミリアと2度の闘争。2度目の際には左腕を失う怪我を負ったが、直後に出会ってしまったベル・クラネルと更に連戦をし、その際にもいくつか身体に大きな傷を受けてしまった。体力も限界に近い、今やあるのは闘争心と意地だけだ。
一方でユキの傷もまた深い。
大魔法を受けたことにより全身に火傷を負っており、壁を縫って漏れ出た光の柱によって腹部や肩などを貫かれ焼かれている。その上、23本もの剣を全力消費させられた上に非常に効率の悪い長文詠唱を発動し、精神力は底が見える。今少し気を緩めただけで眠ってしまいそうな状態で、彼は闇派閥とタナトス、そしてモンスター達に襲われない為に虚勢を張ってここまで上がって来たのだ。
……互いに、そんな空っぽの状態で、それでもまだ自分の中に残っている物を残す事なく打つけ合っている。どれだけ殴って、どれだけ剣を振るっても、相手は絶対に倒れてくれない。
これは死闘ではない。
これは戦闘ではない。
競争だ。
我慢比べだ。
そして、争いだ。
深層で何度もした。
何度も何度も繰り返した。
だから、これが最後のそれなのだ。
彼等は互いを知っている。
互いの強さを知っている。
だから自分がどれだけ本気で打ち込んでも、それくらいでは死んではくれないと分かっている。
「うぅぅうっっつ!!!!!」
「ッグォオァッ!!?!?」
ザルドの真似事が、変わっていく。
あの時、ザルドはユキに対して告げた。
模倣が出来るのはそこまでであり、そこからは自身の手で切り開いていくのだと。それが剣であり、故に本物は模倣を上回るのだと。
深層でのペアでの探索、そこで相手のことを見ていたのはアステリオスだけではない。ユキもずっと見ていた。力ある者の武器の振るい方、力ある者の肉体の動かし方。それが真に桁の違う存在であるからこそ、学べる事があった。
「やぁぁあああ!!!!!」
「ゥグゥォアッ!!!」
ユキの攻撃を、アステリオスが遂に剣を使って防ぎ始める。先程まで猛攻を仕掛けていたアステリオスが、今や逆に防御をさせられている。既にユキの中からは思考が爆ぜてしまっていた、マインドダウンによる思考の剥奪は限界まで来てしまっていて、殆ど完全に本能のままに剣を振るわざるを得なくなってしまっていた。
……だからこそ、生まれる。
人が思考を放棄し、本能だけで振るった時にこそ、振るい続けた時にこそ、その人間に最も適した動きを体現する事が出来る。
『グォオオオオオァァアアアアアア!!!!!!!!!』
たまりかねたアステリオスが反撃を仕掛ける。ハンデだのなんだの、もう言っていられる余裕はない。互いに、醜いほど、みっともないほど、ひたすらに剣をぶつけ合う。壊れていくのは当然2本の剣だ。衝突の度にヒビ割れ、欠け、死んでいく。それでも2人は手を止めない、止められない。
どれだけ破片が自身の身体を傷付けても、どれだけ衝突の度に自身の身体が悲鳴をあげても、何より負けたくなかったのだ。
……これは競争だ。
これは、我慢比べだ。
勝った先には、何もない。
何もなくとも、勝ちを得たい。
アステリオスは雪辱を晴らすために。
ユキはこれを乗り越えて更なる強さを得るために。
2人の見る未来に、2人の姿はない。
2人の見る道の先に、互いの顔はない。
互いの顔が見れるのは、ただ今この時この瞬間だけ。
(ユキに勝ち、そしてベルに勝つ……!より高みに登るための強さを、今ここで手に入れる!!)
(今のままじゃ勝てない、クレアに勝てない!だから強くなる、力を得る!アステリオスさんに勝って、今ここで!!)
勝った方が強くなれるという事でもないのに。
恩恵も、モンスターの身体も、そんな風には出来ていないのに。
……もう、2人とも考えなんて無いに等しいのだ。
優しいユキも、意外と思慮深いアステリオスも、今ここには存在しない。ここに居るのは負けたくない、否、勝って目的の為の力が欲しいという本能のみで動いている男達だけ。体力も精神力も何もかもを犠牲にして、思考も理性も感情も全部吹っ飛ばして、ただ叫び、ただ剣を振り……ぶつけ合う。
「ぁぁあああああああ!!!!!!!」
『ガァァァアアアアアアア!!!!!!!!』
剣が、砕け散った。
砕け散った剣は、2本あった。
先に限界を迎えたのは武器だった。
『ルガァアァァア!!!』
「やぁぁああああ!!!!」
……それでも2人は、止まらない。
当初から決めていた約束事が終わっても、止まらない。
アステリオスが殴り付ける。
ユキが蹴り付ける。
ユキが圧倒的に不利だと思われた肉弾戦、当然ながら押しているのはアステリオスだ。それでも片腕のないアステリオスより手数の多いユキが的確に彼の首に蹴りを当てている事で、ダメージを負っているのはアステリオスだった。
体がふらつく。
視界が暗くなる。
もう限界だ、身体が信号を発していた。
互いに同時に現れたその症状に対し、互いに選んだ決断は奇しくも同じもの。
「ーーーーっ!!」
『ーーーーッ!!』
……振り被り、殴った。
それが、最後の一撃となった。
互いに。
「………身体、大きい、です」
『………見事、だ』
アステリオスの首に入ったユキの拳。
一方でユキの顔面スレスレを通っていったアステリオスの拳。
視界や平衡感覚すらまともに機能していない中で放った拳は、あまりに当然の事ながら、身体の大きい相手には当たりやすく、身体の小さい相手には当たりにくい。互いの勝敗を分けたのは、ただそれだけの事でしかなかった。
……アステリオスが崩れ落ちる。
それに続いてユキも彼に覆い被さる様に倒れ伏す。
ここに決着はついた。
けれど互いに寝息を立てながら重なる様にして眠っている彼等のその姿は、それまで無意識にでも命を賭けて戦っていた者達のものとは考えられない程に晴れ晴れとしたものだった。