白海染まれ   作:ねをんゆう

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139.小さな喧嘩

「ふぃぃィィィイイイイイン!!!!!!!」

 

「まあまあまあまあまあ、まあまあまあまあまあ、まあまあまあまあまあまあまあまぁあ……!!」

 

病室の中で怒り狂うリヴェリアを、ユキが必死になって宥める。

お昼前頃、未だにユキの目が覚めていないのだと思って少し遅れた時間に見舞いにやって来たリヴェリアが見たのは、同じ様にアステリオスとの戦闘の怪我で治療院に居たベル・クラネルと会話をしていたユキの姿だった。

持って来たユキの着替え等を入れた鞄をその場でドサリと落とし、何やら信じられないといった様子のリヴェリア。そんな彼女にユキが不思議に思いながら軽く手を振ると、リヴェリアは近くを通ったアミッドに声を掛けて……

 

『昨夜、勇者(ブレイバー)がリヴェリア様に伝えておくからと……』

 

直後、沸騰するリヴェリアの血管。

アミッドは普段通りの涼しげな顔にしかし一筋の冷汗を垂らしながら足早にその場を去り、ユキと話していたベル・クラネルも慌てて話を打ち切ってその場から逃げ出した。

残されたユキは逃げ場もなく、逃げられる身体の状態でもなく、ただただリヴェリアの怒りに相槌を打つだけ。

 

「そもそも!お前は、お前はほんとに!何とだな!なぁ!!分かっているのかあ!!」

 

「お、落ち着いてくださいリヴェリアさん!何を言いたいのか全然わかりませんから!」

 

「これが落ち着いていられるものか!!」

 

それはそう。

 

「いたたたたた……!」

 

リヴェリアに思いっきり抱き付かれながら、しかしまあ今回ばかりは、というか基本的にユキが悪いので受け入れるしかない。

状況が状況なだけに仕方なかったとは言え、クレアの精霊が目を覚ましそうだと聞いた時点で周囲に助けを求めずユキが一人で向かったのは、確実にクレアの問題は自分が対処したいと言う身勝手があったからであるし、それで死に掛けた事もまた事実だ。

アステリオスとの戦闘だって、あの時あの場所でやるべき事だったかと言われれば全然そんな事は無かったし、アステリオスのあまりの真剣さに断り切れず、どころか途中からはユキ自身もマインドダウンで判断力が低下していたとは言えノリノリで戦っていた。

その上、最後はダンジョン内で気絶していたと言うし、それ以前に闇派閥の主神とも言えるタナトスの言葉に乗せられて易々と単独でクノッソスへ入っていった愚行。全部素直に話せば、間違いなくリヴェリアの怒りはこの程度では済まないだろう。むしろ彼女が今度は気絶してしまうまである。

今考えればユキ自身もあの時の自分は本当にクレアの半身の居場所を聞かされたり、疲労だったりで冷静では無かったなと思ったりするほどだ。

 

「……一先ず、無事で良かった」

 

「……はい」

 

だがまあ、その一言に尽きる。

言いたいこと全ては、それに集約されている。

 

「それで、何があった?」

 

「ギルドの依頼でゼノスと仲良くなりまして、黒いミノタウロスさんと深層に行ってました。その後はゼノス達を守る為にフィンさんと戦って、今度はタナトス様に会いました。なんでもクレアの半身を持っているのはタナトス様だったみたいで、クレアの精霊の欠片を宿したヴィーヴルが28階層に居ると知らされたんです。それからその精霊を倒して、帰ってくる途中で黒いミノタウロスさんと一戦交えて、ここに居ます」

 

「……いや、すまない。何にも理解出来なかった」

 

「ん、色々ありましたからね……」

 

「いや、そうじゃない。あまりにも情報量が多い上に、一つ一つの情報が常軌を逸している。……本当に待て、紙に書いて整理したい。なんというか、この情報全てを受け入れるには茶を3杯飲む程度の時間では足りない気がするんだ」

 

「大丈夫ですよ、いくらでも付き合いますから」

 

「いや、全部お前のせいだからな?」

 

取り敢えずリヴェリアはユキに言われた事を手持ちの紙に書いていく。ユキの話が進むに連れて青くなっていくリヴェリアの顔色。ユキがダンジョン内で手に入れた深層のドロップ品については全てリューに預けてある為、同じ説明がもう一度必要になるだろうとユキはその紙を今度貸して貰えないかとリヴェリアにも話したが、今はそれどころではないリヴェリアによってその頼みは無視された。

リヴェリアは途中でユキが言いにくそうに誤魔化した所までしっかりと追及し、時間を掛けて細かな部分まで聞き取りを行う。罪人に行う様な徹底的な事情聴取、聞けば聞くほど血の気が引く。

この2週間程度で、ユキは一体何回死に掛けたのだろうか。一体どれほどの奇跡の末に今ここに生きているのだろうか。リヴェリアだからこそ、その意味がとても重く感じる。僅かな可能性を掴み取らなければ現在の人としての生存が確定出来なかった事を知っているリヴェリアだからこそ、今という奇跡の偶然性が認識出来る。

 

「あ、あの、リヴェリアさん……?」

 

「…………」

 

「リ、リヴェリアさん!?」

 

怒るでもない。

叱るでもない。

気付けばリヴェリアは、泣いていた。

もう怒るとか叱るとか、その程度の事で誤魔化す事のできるレベルを完全に飛ばしていたのだ。

 

メモをした用紙を放って、リヴェリアはベッドに腰掛けているユキ腹部に抱き付く。自身の腹部に顔を埋めながら啜り泣くリヴェリアに、ユキは申し訳ない気持ちでいっぱいだった。自覚が足りていなかった、むしろ調子に乗っていたと言ってもいいだろう。今の自分ならある程度は大丈夫、そう思っていたのだ。しかしそう思っていたのはユキだけ、リヴェリアまでそう考えている筈は微塵も無い。

 

「……ごめんなさい」

 

ユキは確かに無茶をした。

けれど、強くならなければならないのも確か。

今回クレアの精霊の欠片と戦ってそれを再認識した。これほどの力を付けても完全体となったクレアにはまだ敵わない。あの時には数多の犠牲によって作られた唯一の隙を突き、神器によって強引に封印を施したが、今回ばかりはそうは行かない。少なくともユキの長文詠唱の魔法も、相手が弱った時に使わなければ恐らく意味を成さない。だからその為には、力がいるのだ。そしてユキが短期間で力を手に入れる為には、単純に無茶をするしかない。

 

「……リヴェリアさん。私は少なくともあと一度だけ、無茶をしなければなりません」

 

「っ」

 

「クレアを救い出す為には、私の魔法を使うしかない。けど、完全体のクレアを弱らせる為には間違いなく命懸けの戦いが必要になります。……そしてその戦いは、ロキ・ファミリアと闇派閥の決戦の日に同時に行うと宣言されました」

 

「馬鹿を、馬鹿を言うな……!それでは私達は……!」

 

「はい、この戦いは私1人で受けなければなりません。闇派閥との決戦でオラリオ側に残しておける戦力の余裕なんてありませんから、当然の話です。そもそも同行者など、明言はされませんでしたがタナトス様は良い顔をしないでしょう」

 

きっとその戦いこそが、ユキという英雄の最後の章になる。勝って綺麗に締めくくれるか、負けて最後まで数多の犠牲を出し続けるのか。ユキがそれに勝てる保証はどこにもない。ユキの数多の敗北を目にして来たリヴェリアだからこそ分かる。むしろ今日までのユキの戦績を見ても、1人で勝てる可能性は限りなく低いだろう。なにせリヴェリアが見て来た中ではユキは敗北ばかりだったのだから。

 

「せめて、せめて私くらいはお前と……!!」

 

「駄目です、クレアとリヴェリアさんでは相性が悪過ぎます。……今の私では、リヴェリアさんを守れる余裕がありません」

 

「それ、は……」

 

最高クラスの精霊の力を持つクレアの大魔法、それから生き延びるには回避以外の手段は存在しない。防御など決して許されない。人間1人が作り出す程度の障壁では防ぎ切る事など到底叶わない。故にそれと戦う際には、ユキの様な、アイズの様な、高速移動による回避行動が求められる。リヴェリアにはそれが出来なかった。否、そんな事ができる冒険者の方が少ないくらいだ。

 

「……アイズは、行かせられない」

 

「アイズさんはクノッソス内でグループの頭としても数えられる人材です、それはリヴェリアさんだってそうです」

 

「だが、そういった人材でもなければ、お前の加勢にはなれない……!」

 

「だから私は、1人で戦うしかありません。……お願いです、リヴェリアさん。私に1人で戦わせて下さい。完全体となったクレア相手には、例えLv.5程度の冒険者が集った所で纏めて焼き払われてしまいます。最低でもLv.6、それでも適した質が無ければ僅かな時間を生き残る事すら許されません」

 

「……お前は、それと戦うのだろう」

 

「……私は一度戦っています。それに私1人が相手であれば、クレアも内側から加勢してくれます。1人で戦うとは言いましたが、本当は2人です。だから何も気にしなくて大丈夫なんです」

 

「そんな、取ってつけた様な……」

 

そうでもなければ、あの頃のユキがあの様な怪物相手に生き残ることが出来ていた筈がないのだ。実際今のユキでも敵わないと断言出来る相手ではあるが、クレアによる内部からの妨害があれば僅かながらも可能性はある。確かに100%勝てる戦いでは無いし、実際どれだけ高く見積もっても100回やって1回勝てるかどうか。それでも勝てる可能性は確かにあるのだ。ならばもう、それ以上は望むまい。

 

「リヴェリアさんに心配をかけてしまいます、私はいつもリヴェリアさんに不安をさせてばかりです」

 

「……分かっているのならするな」

 

「……なので、約束します。この戦いが終わったら、もう2度と、リヴェリアさんに心配をかける様な事はしません。リヴェリアさんと一緒の時にしか、ダンジョンにも潜りません」

 

「……信用できない」

 

「リヴェリアさんは信じられないかもしれませんが、私だって本当は戦いたくないんですよ?」

 

「それは絶対に嘘だ、初々として深層に行くような人間が何を言う」

 

「本当です」

 

「信じない」

 

信じられない。

リヴェリアはユキのことを愛している。

けれど、信じてはいない。

自分が側で見ていなければならない。

絶対に目を離してはならない。

その思いは今回の件でも更に強くなった。

きっとリヴェリアはそういう意味でユキを信じられる事はもう無いだろう。部屋の中に閉じ込めるくらいしなければ、絶対に。

 

「お前は絶対に、これからも戦い続ける。例えクレアの件が解決した所で、それは変わらない。ダンジョンで異変が起きれば向かうだろうし、黒龍が出現すれば真っ先に飛んで行くだろう。私がこれだけお前を想っていると知っている癖に、簡単に他人の為にその命を賭けるんだ。私はそれを知っている」

 

「………」

 

「……私はもう、お前と旅をしたいのかどうかも分からない。お前と幸福な生を送りたいのであれば、外になど出る事なく、お前をずっと私の腕の中に閉じ込めておくしかないのではないかと最近は思うんだ。ずっとお前を閉じ込めて、何処にも行かせず、私だけのものにする。そうでもしなければ、お前は私だけのものになってはくれないだろう?お前をこの世界から奪い取るには、そうでもするしかないだろう?」

 

リヴェリアは壊れている。

壊されてしまった。

他でもない、ユキ自身に。

もしかしたらもう、エルフの森でユニコーンに懐かれる事はないかもしれない。それほどに彼女は変わってしまった。変わらざるを得なかった。

 

「……私のために、お前は全てを捨てられるか?」

 

「……」

 

「私のために、世界を、クレアを、そして英雄としての役割を、お前は捨てられるか?」

 

「……」

 

「例え黒龍が現れても、例え世界に未知の脅威が押し寄せても、お前はその全てを無視して私の側に居てくれるか?答えてくれ、ユキ」

 

何れダンジョンは真の姿を見せる。

何れ黒龍は再びこの街に訪れる。

その時にユキが取る行動、そんなことは決まっているのだ。仮にも英雄と呼ばれた彼が取る行動など誰もが知っているのだ。

だからリヴェリアは言う。

その全てを捨てる事は出来るのかと。

世界より自分を取ってくれるのかと。

 

「……できません」

 

「っ」

 

そうだ、そんなことは絶対に出来ない。

 

「私に最初に与えられた役割は、"英雄"です。誰かの"恋人"ではありません」

 

神エレボスから与えられたその役割。

神エレボスから与えられたその祝福。

神エレボスから与えられたその呪い。

正にそれこそがユキの根幹であり、運命であり、全てだ。だからこそ、それからだけは絶対に、逃れられない。後からその上に乗っただけである役割では、退かす事など決して出来ない。

 

「……お前は、私より名も知らぬ他の誰かを優先するのか」

 

「優先、します。そこに困っている人が居るのなら、見捨てられません。それでも、私がこの世界で一番に愛しているのはリヴェリアさんです。それだけは変わりません」

 

「……傲慢だ、それでは私が苦しいばかりではないか」

 

「だから……もしリヴェリアさんが私を嫌ったり、閉じ込めたりしてしまっても、それは仕方ないと思います。それでも私はリヴェリアさんが大好きで、他の誰かの為に戦い続けますが」

 

「お前は最低だ、恋人として」

 

「そうかもしれません。自分の為にリヴェリアさんの気持ちを利用している自覚はあります、リヴェリアさんの気持ちを知っていながら無視してもいます」

 

「どうして私は、お前なんかを選んでしまったんだろうな」

 

「本当に、どうして私なんかを選んでしまったんですか?リヴェリアさんなら私なんかより、もっとずっと良い人と出会えていた筈なのに」

 

気付けばユキも自分の瞳から一筋の涙を流していた。心が苦しい、胸が痛い、けれどリヴェリアは自分のこれよりも何倍も辛い苦しみを味わっている。それでも止められない、見過ごせないのだ。いざその時になれば、言葉でいくらリヴェリアを騙していようとも、絶対に自分は危険な場所に走って行ってしまう。そこに居る人たちを救い出す為に。そうなることを、誰よりもユキ自身が知っていたから。

 

「……私は、私はお前がいいんだ、ユキ」

 

「リヴェリアさん……」

 

「お前以外なんて、考えられないんだ。お前以外を愛する事なんて、嘘でも絶対にすることが出来ない」

 

「……ごめんなさい、本当に」

 

「どうして、どうしてお前なんだ。せめてお前がもう少し弱ければ、せめてお前がもう少し心の弱い人間であれば、私はこんな思いをしなくても済んだのに……」

 

「………」

 

「分かっている、私が我慢すればいいんだ。それで全部が解決する。私が辛い思いをしながらお前の帰りを待てばいいんだ。それでこの問題は無くなるし、お前も何も気にせず死地に飛び込める」

 

リヴェリアの嫌味に心が打たれる。

これはリヴェリアのせめてもの抵抗だ。

こうしてユキが帰って来るたびに言葉で責めれば、もしかしたらやめてくれるのではないかと。けれど、それはそれを言葉にした瞬間に間違いだと気付いた。そうして彼を傷付け、追い詰めるほど、ユキが安心して帰って来られる場所はなくなり、疲れ果てたユキは何れ必ず何処かで命を落とす。間接的に、他でもないリヴェリアが彼を殺す事になると。

 

「ん……」

 

リヴェリアはユキをベッドに押し倒す。

甘える様に抱き着き、涙を流す。

本当に、我慢するしかないのだ。

そうでなければ、強くなって、彼の側に立ち続けるしかないのだ。

これだけ抱き締めて、追い縋っても、彼を部屋に押し込めておく事なんて出来はしないのだから。

 

「……ユキ、愛している」

 

「私もです、リヴェリアさん」

 

「さっきは嫌味を言って悪かった」

 

「私も心配をかけて申し訳ありませんでした」

 

「もしかしたら、今後も言ってしまうかもしれない。私はユキが思っているよりも陰湿な人間だ」

 

「私も、今後もリヴェリアさんにたくさん心配をかけてしまうと思います。私はリヴェリアさんが思っている通り、最低な人間ですから」

 

「……それでも、最後にはどうか私の所に帰って来て欲しい。生きて帰って来て欲しい。それ以外は望まない、それだけでいいから、だから」

 

「……それでも、最後まで私のことを愛していて欲しいです。こうやって私のことを抱き締めて欲しいです。それ以外には何も要りませんから、だから」

 

恋人同士、喧嘩くらいする。

けれど2人の喧嘩はそれは可愛らしいもので、それは重苦しいものだった。

愛している。

この想いを表せる言葉がそれしかないから呟くばかり。

もしこの重苦しい想いをそのまま相手に伝える事が出来るのなら、相手は果たしてどんなことを思うのだろうか。

愛というには黒く塗れ過ぎた執着、そこには相手を本当の意味で自分の物には出来ないという憎悪の念すら存在している。

愛というにはあまりに歪な二股、そこには片方を取る事が出来ない故の恐怖と罪悪感が入り混じり、微かな諦感すらも存在している。

今はこれで済んでいても、少しのしこりを残すだけで済んだとしても、これから先もこのまま丸く収まることなどないだろう。きっといつか爆発して、その時こそが彼等の関係を確かな物にする日となる。終末か、永久か、それを決めるのは彼等のこれからの日々が決めていく。

 

……もしユキが2度と戦う事が出来なくなる程の大怪我でも負えば、リヴェリアももうそんな心配をしなくても済むのに。そうなればきっと、彼女は悲しい表情の下に満面の笑みを浮かべてユキの側に寄り添う事だろう。それもまた歪な物ではあるが、確かな愛の形だ。


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