白海染まれ   作:ねをんゆう

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一先ずここで書き溜め終了です。
また溜めが出来たら解放します。
ユキちゃんが幸せになれるのかどうかはまだ分からない、ということで……


145.最後の息抜き

『リヴェリア!ユキの、ユキの部屋にこれが!タナトスがユキを呼び出したって!誰にも伝えたら駄目だからって1人で……って、リヴェリア!?大丈夫!?』

 

急ぎ足で向かったユキの部屋の前でティオナからそう伝えられた時、リヴェリアは思わずその場に座り込んでしまった。

ユキが残した置き手紙、いつどこでタナトスからの接触があったのかは知らない。しかし手紙の文面を見るに、その際に他言する事を禁じられていたのだろう。それでもこうして手紙だけは残したのは、きっとリヴェリアにああ言われたからだ。これがユキにとっての最大限の譲歩。タナトスが約束を破った事に怒り、クレアの封印を解かずに天界へ帰ってしまう可能性だってあったのに、それすら飲み込んでリヴェリアを大切に思うばかりにこれを残した。

 

……ああ、本当に、ほんの少し目を離していただけでこれだ。ほんの少し目を逸らしていただけなのに、彼は居なくなってしまう。何かに巻き込まれてしまう。

 

「リ、リヴェリア!私が今からダンジョンに行って様子を……」

 

「……いや、私が行く」

 

「で、でも……あっ、リヴェリア!!」

 

もう、ただ静かに帰りを待っている事なんて出来なかった。正直に言ってしまえば、どんな行動が正しいのか分からない。フレイヤの言う事が必ずしも正しいとは限らないだろうし、かと言って間違っているとも限らない。リヴェリアの選択が正しいのかどうかは後になってみないと分からない上に、優柔不断なリヴェリアはもう既に何度も何度もブレている。……けれど、何度も何度も間違えたが故に、分かる事だってあるのだ。何度も何度も選択肢を変えたが故に、けれどそれでも変わらなかった芯が見えてくる。

 

ユキは恐らく、昼頃に身体慣らしの為にティオナ達と潜っていたダンジョン、もしくは地上に戻って来た際にタナトスの手先と会っていた可能性が高い。そして一度何事もなく部屋に戻って来てこれを書き、そのまま出て行ったのだとすれば、既にホームを出て3時間以上は経過している筈だった。

 

(ダンジョン……否、ユキはクノッソスに居る?だとすれば本当にどうすればいい、人造迷宮のマッピングは決戦の際に行う予定。今は入口すらも地上の物と18階層の物しか分からない。となれば、まずは何よりギルドで情報収集が先か……?)

 

ギルドに来ているかどうかで、再びユキがダンジョンに入ったからどうかが分かる。そうなれば先ず18階層に向かえばいいだけだ。しかしギルドにすら来ていない様なら、ダイダロス通りに向かっているという事になる。……しかし問題はリヴェリアにクノッソスへ入る鍵が無いこと、流石にそれを今この状況で貸してくれるほどフィンも優しくは無かった。

そうなってしまえば結局、リヴェリアは待つことしか出来ない訳で。その待つ場所が何処であるのかというだけで、出来る事はそう変わらない。

 

「エイナ!ユキは居るか!?」

 

『リヴェリア様!?ど、どうしたんですか!こんな時間に!?アイゼンハート氏なら、今はウラノス様とお話をされておりますが……」

 

「っ、神ウラノスと……!?」

 

「ええ、つい先程またダンジョンから戻られまして。そのままギルド長にウラノス様との面会を求められたので、ウラノス様に確認をしてお通ししました」

 

「ユキは無事なのか!?怪我とかは……!」

 

「そ、そこは大丈夫でしたよ?夕方頃に入って行った時と特に変わらずで」

 

「そ、そうか……良かった」

 

「?」

 

どうやら、既に何もかもが終わってユキは各所に報告を始めていたようだった。……出遅れたというのは分かっていたが、それでも本当に自分の行動の遅さにうんざりする。エイナがリヴェリアの尋常ならざる様子を心配そうに見ていたが、リヴェリアの内心は今大いに荒れ狂っており、彼女の事を気にしていられる余裕は無かった。

当然、そんなことは心配されているユキもすら知るところでは無かったのだが。

 

「リヴェリアさん……?」

 

「ユキ……!」

 

「あ、アイゼンハート氏。ウラノス様とのお話はもうよろしかったのですか?」

 

「ええ、夜分遅くに申し訳ありませんでした。明日から都市を一時的に出る事になってしまいましたので、また色々手続き等でご迷惑をおかけしてしまうと思いますが、よろしくお願いします」

 

「明日から、都市の外に……?」

 

驚愕するリヴェリアに、ユキは申し訳なさそうにしながらも笑みを浮かべ、リヴェリアに一先ずギルドを出る様にと促す。

それからもう一度ユキはエイナに礼を伝えると、リヴェリアの手を取って彼女を外へと連れ出した。あのリヴェリアの手を自然と取って、リヴェリア自身もそれをすんなりと受け入れた様子にエイナは酷く驚いたが、今それを指摘する事はなかった。

 

ギルドを出て、夜の人気の少ない中央広場で腰掛ける。2人の手は繋がれたままだ。ユキはリヴェリアの肩に頭を乗せ、甘える様に身体を預ける。これももう、慣れたものだ。……慣れてしまったものだ。

 

「えっと、タナトス様から場所の指定がありました。……アナンタ近くの高原です、オラリオの外で待っているから向かえに来る様にと」

 

「……だから素直に、明日この街を出るということか」

 

「アナンタまでは1日程度かかりますから。時間を誤魔化して、嘘をついて、『やっぱり封印を解くのは止める』なんて言われてしまえば困りますからね。……それに、私が居ない間は闇派閥側にはタナトス様が居ないという事です。フィンさん達も少しは楽になると思います」

 

「……そうかも、しれないな」

 

けれど、出発時間が早まるということなど、ユキ自身も想定していなかった筈だ。実質的に準備に費やせる時間が1日減った。リヴェリアがユキのために用意しておいた物も、間に合わない物の方が多くなる。

これが偶然にせよ敵の策略にしろ、ユキ自身冷静ではないはずだ。なにせ死ぬ可能性の高い決戦の前に、仲間達と過ごせる時間が1日も減ったのだから。……そう、死ぬ可能性の高い決戦の前に。

 

「……すまなかった、ユキ」

 

「リヴェリアさん……?」

 

リヴェリアはユキの肩を抱く。

自身の頭を、ユキの頭の上に乗せる。

繋ぐ手を逆側に変え、ユキをしっかりと繋ぎ止める。

 

「きっと、お前が私に求めていたのは、こういうことだったんたろう」

 

「っ」

 

「決戦までの残り10日間、何も探さなくていい。準備なんかしなくていい。ただこうして側に寄り添っていれば良かった。それだけだったんだ」

 

「リヴェリアさん……」

 

「お前も、怖かったんだ。いや、怖くないはずが無かったんだ。自分が死ぬ可能性の方が高い賭けを、これからしなければならないというのに」

 

その言葉に、ユキは俯く。

今浮かべているその表情を、決してリヴェリアには見せない様に。それでも彼の身体は何よりその心を雄弁に物語っていた。少しだけ震える肩が、リヴェリアの言葉を肯定していた。

 

「……リヴェリアさん」

 

「なんだ?」

 

「本当のこと、言ってもいいですか?」

 

「ああ、言ってくれ」

 

 

 

「……わたし、本当は"怖い"です」

 

 

 

「……ああ」

 

ああ、そうだろう。

そうに決まっている。

繋いだ手が、より深く握られる。

 

「命を賭けてなんて、戦いたくない。この場所から、本当は離れたくない。死にたくない。生きていたい。リヴェリアさんの側に居たい……」

 

「……ああ」

 

「だって私、ようやくリヴェリアさんの所に帰って来られたのに……ようやく、生きていてもいいんだって、分かったのに……」

 

「ユキ……」

 

それが本心だ。

それが誰が感じたものでもない、誰が想像した物でもない、紛れもないユキの本心だ。フレイヤでも、ヘファイストスでもない、神々すら知り得ないユキの心の声。

 

「憧れとか、役割とか、リヴェリアさんの前では色々と格好付けた事を言いましたけど……そうでもしないと、誤魔化せなかったんです。実を言えばクレアの分身体と戦った時、あと一瞬間違っていれば私は死んでいました」

 

「っ」

 

「そうしたら、なんだか急に怖くなってしまって。だからアステリオスさんに戦いを挑まれた時にも、それを誤魔化す為に必死になりました。……だって結局、アステリオスさんは私を殺す事はないって知っていたから」

 

「……そうか」

 

「私、駄目なんですよ。英雄失格なんですよ。だっていつも、本当は、その場から逃げ出したいって、ずっと考えているから。……クレアを助けないといけないのに、本当は怖くて、行きたくないって思ってる。それを誤魔化すために、色々と言い訳を作って、それらしい事を言って、必死になって、頑張っている間は、誤魔化せたから」

 

アストレアの眷属として。

その街で一番の実力者として。

他者を守れる力を持ってしまった責任として。

常に最前線で戦い続けて来たユキは、けれどやはりヘファイストスが言ったように、根本的に戦いに向いてはいなかった。

 

死なないと分かっていれば、いくらでも走り回る。堂々と前に立てる。けれど一度死を目の前にしてしまえば、途端に怖くなって、恐ろしくなって、恐怖に呑まれそうになる。変わらない、ずっとそうだった。7年前に居た時も、ユキはずっと自分が死ななければならないという事に怯えていた。……クレアがその心から居なくなってからは、それを隠す事すら難しくなってしまった。クレアという存在は、例えどれだけの苦痛が伴おうとも、やはり紛れもなく、ユキにとっての支えだったのだ。死への恐怖に打ち勝つために、必要な存在だったのだ。

 

「……戦いたくない」

 

「っ」

 

「もう嫌です……もう、剣なんて持ちたくありません……死にたくない、誰かが死ぬ所なんて見たくない……どうして、どうして私なんですか?どれだけ憧れても、どれだけ凄いと思っても、私は……自分が、ザルドさんやアルフィアお母さんみたいに、なれると思えない」

 

後世のために、自身を悪役に仕立ててまで命を費やす。それを決心し、貫き通す。その在り方は美しいと思った、素晴らしいと思った、そうなれるのならなりたいと思った。それは真実だ。

……だが、ユキの根底に眠るのは臆病。

小さな村で母に縋り付き、知らない相手に会えば直ぐに隠れてしまうような、そんな幼い子供がいる。

どれだけ取り繕って、どれだけ外見を着飾る術を覚えても、ユキは誰かの側に居なければ駄目なのだ。誰かが側に居てくれなければ、耐えられない。死と向き合う事なんて以ての外だ。孤独になればなるほどに、心が歪み始めてしまう。リヴェリアには"どうしてお前なのか"と言われたが、誰より"どうして自分なのか"と考えていたのはユキ本人だ。

 

『リヴェリアさんは信じられないかもしれませんが、私だって本当は戦いたくないんですよ?』

 

嘘なんかじゃなかった。

それを疑ってしまった。

あの時ユキは、強がりの中からほんの少しだけ本音を見せてくれていただけだった。それはきっとリヴェリアが思わず漏らしてしまった嫌味と同じような物だったのに、リヴェリアはそれをただ否定するばかりで……

 

「……それでもやはり、私は行けない」

 

「っ」

 

リヴェリアのその言葉に、ユキと繋がる手により一層の力が込められる。分かっているとも。言いたくても、言えないということは。ユキは口が裂けても絶対に『ついて来てほしい』なんて言えないということは。

 

「私がいなくなれば、エルフの部隊が機能しなくなる。私がいなければ、精霊の分身体の1体を対処する事が出来ない。それにまだ私が抜けるには、ファミリアの状況が整っていない。……私はまだ、お前だけを取る事が出来ない」

 

「……分かっています」

 

それだけは変えられない。

いくらユキを愛していても、ファミリアを、そしてオラリオを壊滅させることを見過ごす訳にはいかない。なによりユキの帰ってくる場所を守る為にも、どうしても一緒に行く事は出来ない。

リヴェリアだってこのザマだ。最後にはユキを取ると何度も明言しておきながら、結果こうして全てを取ろうとしている。捨てられないでいる。心に決めていても、いざその時となればそれを突き進める事が出来ない。どれだけ言い訳を思い付こうとも、その申し訳なさと愚かさが消える事はない。本人の心から無くなる事はない。

 

「……ユキ。もしお前から英雄としての役割を剥奪出来るとしたら、お前はどうする?」

 

「私から、ですか……?」

 

「ああ、お前はそれに抵抗するか?それとも受け入れてくれるか?」

 

「それは……」

 

ユキは目を細めて困惑する。

それを聞かれても、分からなかった。

ずっと捨てたかった物、しかしそれを捨てればもう憧れた英雄にはなれないという事も意味している。そしてそれを捨てるという事は、世界を救うことをやめるに等しい。救える筈だった人々を見捨てるに等しい。だから内心どれだけ恐怖を感じていても、どれだけ弱音を吐いても、ユキがそれを捨てる決断は出来ないだろう。臆病なユキには、そんな事は決して出来ない。……他に何か良い言い訳でもなければ、出来る筈もないのだ。

 

「私は決めた……いや、決めていた筈だったんだ。お前から英雄としての資格を奪い取ると」

 

「!」

 

「お前から、英雄も、神の恩恵も、全部全部奪い取って、元の普通の人間に戻してやる。私はそう大神ウラノスに宣言していたんだ」

 

「ウラノス様に……」

 

それは誓いだ。

神どころか大神にそれを口にしたという事は、決して嘘にしてはならない絶対の約束。いくら今の彼等に神力が無いとは言え、その誓いを破っても彼等が気にする事は無いとは言え、本来それほどの覚悟がなければ許されない。リヴェリアはそれをした筈だったのだ。

 

「だからユキ、私は再びここで宣言したい。……私はお前から全てを奪い、ただの人間に戻す。そしてお前を私の夫とし、生涯私に寄り添わせる。他の誰にも目を向けることは許さない」

 

「……そんなに私のこと、奪いたいんですか?」

 

「ああ、お前をこの世界からも奪い取りたい。お前を本当の意味で、私だけの物にしたい。お前がどれだけ嫌がっても、英雄の座から引き摺り下ろしたい」

 

それはきっと、ユキにとって負担になってしまう可能性もある言葉だったろう。フレイヤにあれほど言われておきながら、それでもリヴェリアはここでそれを口にした。道を提示するのではなく、押し付けた。誤魔化す事なく、叩き付ける。

 

「……でも私は、リヴェリアさんのその考えを肯定する事は出来ません」

 

そしてユキは否定する、拒絶する。沢山の地獄を見て来たからこそ、今こうして力を持ったからこそ、これを使って人々を救わなければならないという考えがユキの中に強くあるから。彼がそう答える事は当然だった、しかしリヴェリアだってそれは分かっていた。臆病なユキは、臆病だからこそ、それから自分で逃げる事は出来ないということを。

 

「だから、私は抵抗します。それでも、リヴェリアさんはきっと諦めてくれないですよね……?」

 

「……ああ、当然だ」

 

そんな風に恐る恐るに尋ねれば、本当はそれを期待していると言っている様なものだろうに。

 

「だったら、これは勝負です。本当にリヴェリアさんが私から英雄の役割を奪えたのなら、私はリヴェリアさんに私の全部をお渡しします」

 

「ほう、それが出来なかったら?」

 

「え?え、えっと、それが出来なかったら……ど、どうしよう……」

 

勝負などと言いながらも自分が負けることしか考えていなかったユキに、リヴェリアはより強くその愛らしさを感じながら、同時に責任という名の重圧を感じる。

こうまで言っておきながら、ユキから英雄の役割を奪い取る方法なんて分からない、見当もつかない。それはこれから探す事でもあるし、もしかすればそもそもが不可能だという可能性だって十分にあるのだ。……しかしそれでも、リヴェリアはこの道を進むと決めた。もう引き返せないし、引き返さない。この芯だけは、絶対にブレてはいけない。

 

「ならばもし私がこの約束を破ったら、私の全てをお前に捧げる」

 

「……え?」

 

「何をするにも、何処に行くにも、私がお前に着いていってやる。例えどれだけ実力を離されようとも、死ぬ気でお前を追い掛けて、最期のその瞬間まで隣に居てやる」

 

「リヴェリアさん……」

 

「だから……もう、怖がらなくていいんだ」

 

リヴェリアが鞄の中から一つの小箱を取り出す。何処か高級な雰囲気を感じるそれからリヴェリアはユキに見せない様に何かを取り出すと、ユキを抱き抱える様にして彼の左手を取った。

 

「……本当は、ただの贈り物として買っておいた物だったんだが。例え仮の物であったとしても、私との繋がりを意識させるには十分だろう」

 

「ぁ……」

 

ユキの左手の薬指に嵌められた指輪。

緑色の宝石が中央で存在を主張するそれの意味が分からぬほど、ユキは子供ではない。その文化については、アストレアから聞いてユキも知っていたから。むしろそうして思いを誓い合った者たちを見て、羨ましさを感じた事もあったから。エルフの文化であったのかどうかは定かではないが、なるほど確かにこれならば忘れる事はあるまい。決して意識から離れる事はあるまい。なにせ最も感覚が過敏な指に付けられるのだから。

 

「ずっと……お前が私の物だと分かるような、そんな装飾品を与えたいと思っていた」

 

「……はい、知ってます」

 

「だから時々、時間を見つけては探していたんだ。そして案外、気に入った物は直ぐに見つかったんだがな、肝心の手渡す勇気が私にはなかった。なにせ指輪だ、最初に渡すのは婚姻を結ぶ時の方が適切ではないかと思ったんだ」

 

これ一つで、普通の冒険者では手が出せないような値段がする。そして本当に自然に、リヴェリアが指輪を渡す側になっている。けれど、そんなことは気にしていない。むしろリヴェリアが贈りたいと思った、リヴェリアから申し込みたいと思っていた。だからこれが正しい、こうあるべきなのだ。少なくとも、彼等2人の間柄では。

 

「予約だ」

 

「っ」

 

「これを見る度に、私を思い出せ。そして自覚しろ。例えこれから先何が起きようとも、お前は私の伴侶となり、誰より幸福な人生を送るんだ。……お前が英雄である前に、お前が冒険者である前に、何より私の恋人であるという事を思い返せ」

 

ユキの顔が赤く染まる。

実質的なプロポーズ、つい先程まで感じていた恐怖など簡単に塗り潰されてしまった。自分でも気付かない間に涙が溢れ出して来て、嬉しさと驚きでどうすればいいのか分からなくなってしまった。

 

「わ、わたし……あの、その……」

 

「なんだ、嫌だったか?」

 

「そ、そんなことなくて!う、嬉しくて……!でも私、なにも返せるもの、なくて……」

 

「お前が私を選んでくれるのであれば、それ以上は何も要らない」

 

「うぅ……」

 

「お前は人気があるからな、その中で私を選んでくれたと言うだけで十分だ」

 

「……リヴェリアさんだって、」

 

「この歳になっても未婚の生娘なのにか?」

 

「……絶対、狙ってる人は多いと思います」

 

「どうだかな」

 

「もう、私はずっと怖かったのに。いつかリヴェリアさんの前に、私なんかよりずっと、素敵な人が現れるんじゃないかって……」

 

そう言いながらもリヴェリアから貰った指輪を胸元で大切そうに握り締めるユキ。リヴェリアが自分の事を心から愛してくれているという事など知っている。それでももし、自分よりリヴェリアに相応しい人が現れてしまったら、その可能性が十分に考えられるほど彼女は名のある人物だ。例えば1国の主でさえも機会があれば彼女に求婚を申し込む事だってあるだろう、リヴェリア自身そう言った経験がない訳ではない。

だから……

 

「私……頑張ります。絶対にクレアを取り戻して、帰って来ます。今でも怖いのは変わらないですけど、リヴェリアさんの隣に居るのに相応しい人間になりたいから」

 

「相応しいとか、相応しくないとか、お前にそう気にして欲しくはないのだがな。だがそれで頑張れるというのなら、それでもいいか」

 

帰って来なければ。

その隣を誰かに取られたくないと思うのは、ユキだって同じだ。相応しい人間になりたいと思うのは、ユキだって同じだ。帰って来たいと思う場所が、人が生きる上での糧となる。何より待っている人間が居るという事が、人の最後の希望となる。

 

「……それに、その、予約されちゃいましたし。私、そういうのはまだ早いかなぁって思ってたんですけど」

 

「まあ、実際お前と会ってからまだ半年も経っていないからな、信じられんが」

 

「特に私は眠っている期間も結構あったので、あんまりリヴェリアさんとの思い出が作れてない気がして……」

 

「??……ああ、そうか。私の感覚がおかしくなっているのか。しまった、完全に失念していた。お前にとっては急が過ぎる話だったか?」

 

「ん〜、確かに個人的には婚約する前にもっとリヴェリアさんと色んなところに行って、色んな思い出を作ったりしたかったです♪」

 

「うっ……ま、まだ仮約束だからな。本物を渡した訳でもなければ、しっかりと言葉にもしていない」

 

「それじゃあ!今から思い出作りに行きましょう!」

 

「は?」

 

ユキが立ち上がる。

リヴェリアの手を引いて、強引に。

 

「ま、待てユキ!お前は明日旅立つんだろう!?その準備とか、そもそもしっかり寝るべきだ!」

 

「大丈夫です!準備は終わってますし、外に出る用意もウラノス様にお願いしました!それに明日出る必要はありますけど、別に夜でも大丈夫です!」

 

「大丈夫な訳……ってこら!待たないか!」

 

「待ちませ〜ん!!あはは!」

 

「!」

 

もしかしたら、初めて見たかもしれないユキのこんなにも晴れやかな満面の笑み。ただの笑みではなく、心からの嬉しさを隠す事なく発散させた様な、本当にただの子供のような、むしろこうまでしてしまう程に舞い上がってしまっている様な……。

 

「まったく……それで?何処へ行くつもりなんだユキ!」

 

「高い所に行きましょう!なんだか今なら飛べる気がするんです!気のせいかもしれませんけどー!」

 

「それは絶対に気のせいだ!」

 

「翼が生える気がするんですー!」

 

「それも絶対に気のせいだー!」

 

リヴェリアの顔も自然と綻ぶ。

滅多にない大声を出し、声を掛け合う。

暗闇の広がる街の通りが、今だけは星々に彩られた美しいトンネルの様にも感じられた。

そして、ユキの背中から広がる真っ白な光。

浮かび上がるユキの身体。

 

「生えましたー!」

 

「いや……いやいやいやいやいやいや!待て待て待て待て待て待て待て!!!!」

 

「飛べましたー!!」

 

「おかしい!それは絶対におかしいだろう!ちょ、ちょっと待て!私を連れて行くな!アイズでもないのに、空を飛んだ経験すら私には無いんだぞ!」

 

「あはははは!そうだ、バベルに行きましょう!一番高い所です!きっと綺麗な星空が見えますよー!」

 

「星空どころか私の目の前は真っ白だからなー!!!」

 

リヴェリアは知らない。

今のユキが翼なんか無くても飛べる事を。

リヴェリアは知らない。

ユキのその翼は魔法で擬似的に形を作り出した光の塊でしかないという事を。

つまり、ただの幻想だ。

全部全部冗談だ。

……それでも、そんな冗談が今のユキにとっては何より楽しく幸福な物だった。まるで自分が天の使いになったようで。まるで自分がリヴェリアを攫ってしまったようで。そして想像する。正しさだけを追い求めていた天使が、地上に降り、見惚れ、恋に堕ちた。初めて行った悪い事が、それだ。自分は今、悪い事をしているのだ。けれどその悪い事が、こんなにも楽しいのだ。英雄という役割を忘れ、英雄にあるまじき行いをしている。馬鹿みたいに笑って、馬鹿みたいに飛び回って、私利私欲のために魔法を使って、大好きな人を困らせて。

 

「あはははは!まるで空に落ちてるみたいです〜!」

 

「離すなよ!絶対に私を離すなよ!いくら私でもこの距離から落ちたら確実に死ぬからな!!」

 

「リヴェリアさーん!!」

 

「なっ、ななっ、なんだー!?」

 

「神様達のー!ばーーーーか!!!」

 

「っ!?」

 

「世界は守ってあげますけどー!私のことはー!リヴェリアさんが助けてくれますからーー!!いつか絶対にー!助けてもらいますからー!!」

 

「ユキ……」

 

「だからこの世界はー!最後は自分達でなんとかしてくださーーい!自分で作った世界なのにー!管理出来ないのはおかしいと思いまーす!!」

 

「……ああ、そうだな」

 

「あはははははー!」

 

夜空に声が消えて行く。

もうどこまで登って行くのか、落ちて行くのかも分からない。流星の様に飛んでいきながら、落ちては消えゆく真っ白な羽根を溢して。それでもそんな美しい光景を、オラリオの街の様々な者達が見ていた。

そんなユキの言葉を、そんなユキの本音を、聞くことが出来た存在は稀かもしれないけれど。それでも降り注いで来る光の残滓は、確かにこの世界を美しく彩り輝かせる。

 

「……全くその通りね、ユキ」

 

フレイヤは嗤う。

バベルの屋上、遥か彼方へ飛んで行った真っ白な光を見続けながら。

 

「飛びなさい、誰よりも自由に。跳びなさい、誰よりも高く。この空も、この世界も、貴方の好きになさい。誰より美しい今の貴方は、きっと誰よりもこの宙に相応しいわ」

 


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