白海染まれ   作:ねをんゆう

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147.理想

「それじゃあ、行ってきます」

 

「……ああ、いってこい」

 

大きな馬車に大量の武器を載せて、ユキはリヴェリアに最後の別れを告げる。

目的地がアナンタの近くの高原とは言え、決してアナンタに行く訳ではない。そもそも本当に街の近くでなど戦えない、そこまで行くにも馬車や外で野宿をする事になる訳だ。だから色々な荷物も入っているし、馬車も一番大きな物を借りている。

そして……

 

「マルク!……ユキと女神アストレアを、頼んだ」

 

「はい、お任せ下さい」

 

馬車を引いているのはユキがこの街にやって来て初めて出会ったロキ・ファミリアの団員であり、門番をしていたあの生真面目な男性。

タナトスも連れて行く旅路、まさか夜の見張りをユキにやらせる訳にはいかない。そしてアストレアを十分に守れるだけの実力があり、尚且つ信頼出来る者を探していた時にロキが思い当たったのが彼であった。

彼は余計な事は話さないし仕事にも真面目な人間だ、そしてよく気が利いて神の戯言にも惑わされない。それになによりユキに対して彼は信頼と敬意を持っていた。彼以上の適任は居ない。ユキとて選ばれたのが彼だと聞いた時には少し安心したようにしていたのだから。

 

「まあ、お前に対して伝えたい事は昨晩それなりの時間をかけて伝えた。今更もう何も言うことはない」

 

「……何も言ってくれないんですか?これが最後かもしれないんですよ、お互いに」

 

「……」

 

縁起でもないことを言うなと、そう言ってやりたい気持ちはある。けれど今言うべき言葉はそれではないだろう、ユキが求めているのはそうではないはずだ。

 

「まあ、なんだ……別に最後じゃないんだ、何も特別な事は無くていいだろう。強いて言うなら、私はお前を愛しているという事をもう一度しつこく伝えておくくらいか」

 

「ふふ、それはもう昨晩耳にタコが出来るくらい聞かされました♪」

 

「私は聞かされていないが?」

 

「……あの、周りに人が居るというか、アストレア様も聞いているんですけど」

 

「だからどうした、私は言えるぞ?お前を愛していると、他の誰に聞かれた所で恥ずかしくもなんともない」

 

「うっ」

 

今も馬車の扉を開けてこちらをニコニコとしながら覗いているアストレア、きっと無口な男マルクだってこの話は聞いているだろう。どころか、ここは都市の入口。様々な人間が聞いているだけでなく、一部のエルフ達もキャーキャーと騒ぎながらリヴェリアとユキの会話を聞いている。……とは言え、リヴェリアにここまで言われてしまったのだ。既にユキの逃げ場はない。

 

「あ……愛してます、私も……リヴェリアさんのこと、愛してます……」

 

「ふふ、よく出来たな。それならちゃんと、帰って来れるな?まさか恋人を残して姉と逃避行など、する訳がないな?」

 

「か、帰ってきます!絶対帰って来ますから!……実はあんまり自信はないんですけど」

 

「まあ、だろうな。素直になったのは良い事だが、そもそも自信を持って勝てると言えるほど容易い相手でもない。そうでなくとも、お前の性格を考えれば容易く勝てる相手にも自信など持てないのかもしれないが」

 

臆病な子だと、弱い子だと、改めてそう思う。

実際、この子は本当に弱いのだから。

最初の母親の白に依存したり。

自分の出自や役割に悩んだり。

頼れる人を見つけるとはしゃいだり。

まあなんと可愛らしいことか、その弱さが今はもう愛おしくて仕方がない。

 

「お前に出来ることをやって、無理そうなら帰って来い。3大クエストの一つが復活したとでも思って、今度は全員で挑めば良い。そうだろう?」

 

「……はい、ありがとうございます」

 

最後に身体を抱き寄せて額にキスを落としてから、背中を押してユキを送る。

もう決めたことだ、もうこうすると決めていたことだ。今更どうこう言うつもりもなければ、言うべきではない。むしろここで無理に引き伸ばしても苦しいだけだ。だから後は女神アストレアに任せるしかない。……恨むのならば、そうならざるを得ない状況を作った相手と、そうならざるを得ない状況に追い込まれた自分達。

 

「いってきますね!リヴェリアさん!」

 

「ああ。……無事に帰って来い、ユキ」

 

その分、ユキが帰ってこられる場所は絶対に守り抜くから。それを言い訳にして、リヴェリアはユキに背を向ける。

良い予感なんて欠片もしないし、何なら嫌な予感しかしないけれど……やれる事はもうやった。これ以上はもう、天命に任せるしかない。

 

 

 

 

「やあやあ、約束通り来てくれたね。想像していたより人数は多いみたいだけど、まあいいかな」

 

「タナトス……」

 

「まさか正義の女神まで出しゃばって来るとは思わなかった……とは言わないよ。好きにすればいい、俺は見たいものが見られればそれでいいからね〜」

 

地上に存在するクノッソスの出口の1つ。未だ都市側の人間には見つかっておらず、タナトスがユキだけに伝えていた秘密の通路。タナトスはその入口に1人の護衛も伴う事なく立っていた。その手に持っていたのは例の神器と一冊の手作りの書物だけ。これからの旅路に際して、彼は本当にそれだけしか準備をしていない様だった。ユキが見た限りでは、それこそ武器の一本すらも隠し持っていない。

 

「ユ〜キちゃん、ほら」

 

「えっ!?なっ、投げっ!?」

 

馬車に乗っていたユキに向けて、タナトスは突然その神器と書物を投げる。それが彼の行末を左右する物であると知っている筈なのに、本当にそんな事には何の興味も抱いていない様に所有権を手放す。

我が物顔で馬車に乗り込み座り込む彼の姿に、ユキもアストレアも、それこそマルクすらも戸惑うばかりだ。それこそ今正に拘束してもいいというのに。

 

「その神器、解放するには俺の血が必要だよ。他には何の仕掛けもしてないし、約束通り精霊に関する情報も渡した。解放する場所はユキちゃんが選んでくれればいいよ。護衛も追手も計画してないし、むしろこれは俺の独断だからさ。今頃闇派閥も戸惑ってるんじゃない?まあ、どうでもいいけど」

 

「「「……………」」」

 

「はははっ。うん、予想通りの反応だ。いいね、やっぱりそれくらい白くないとやり甲斐がない」

 

マルクが眉を顰めながらも馬車を進め始めると、タナトスは高級な馬車の揺れの少なさに感心をしながら笑みを浮かべる。

彼の視線の先にあるのはユキだ、それは今も変わらない。

 

「……一体、何を考えているの?タナトス」

 

「何って、これは俺が俺なりに考えた最善策に決まってるじゃないか。俺が俺の目的を果たす為に考え抜いた最善の手段」

 

「それは、どういう……」

 

「約束を守った相手に対して、ユキちゃんは裏切る事なんて絶対に出来ない」

 

「!!」

 

「いや、相応の理由があればユキちゃんだって他人を裏切るかもね。けど俺がここまで君の為に働いて、約束以上の協力を君にしている。場を整えている。そんな俺を、君は裏切る事は出来ない」

 

「……私は、そんなに良い子じゃないですよ」

 

「じゃあユキちゃん、お願いだ。この通り。どうか君とクレアちゃんの終わりを俺に見せて欲しい。それさえ見られるのなら、俺は君にどんな情報だって売ってもいい。こうして頭を下げてもいいし、なんなら君の靴を舐めてもいい」

 

「や、やめてください!頭を上げてください!そんなことをされても困ります!!」

 

「……そう、困るんだよ。君はそう、神からの真摯な頼みを断れない」

 

「っ」

 

「ユキちゃん、頼むよ。俺の下界最後の頼み、聞いてくれないかな?」

 

タナトスは床に手を付いて頭を下げているのに、ユキは今逆に追い詰められている。

本当ならばここでタナトスから血液だけを採取し、彼を拘束してオラリオに戻るというのが正解なのだろう。

しかしタナトスの言う通り、ユキにはそんなことが出来ない。出来る筈がない。これが他の人間ならば、もっと普通の人間ならば話は別だったろうけれど。

 

「ア、アストレアさま……」

 

困ったように助けを求めるユキに、アストレアも思考を巡らせる。ここでユキに対して強引にそれを指示して、タナトスを捕らえる事は容易い。しかしそれをしたとして、果たして本当にそれで全てが丸く収まるのか。

……ユキの安全を取るのならば、拘束を選ぶべきなのは間違いないが。

 

「……ユキ、行きましょう」

 

「い、いいのですか?」

 

「別にタナトスに配慮している訳じゃないの。……ただ、今ここでタナトスを拘束してオラリオに帰ったら、貴方はきっと後悔するでしょう?そうなったらたとえ他の協力を得たところで、貴方はクレアに勝てなくなる」

 

「そ、そうなんですか……?」

 

「貴方にとって、神との約束を破って願いを踏み躙るというのはそれくらい重い話なのよ。そういう話をしているの、タナトスは」

 

「うんうん、流石はアストレア。ユキちゃんを育てただけはある」

 

「むしろ貴方はどうしてそんなことまで知っているのかしら、タナトス」

 

「それは当然、俺がユキちゃんの大ファンだからに決まってるだろ?」

 

アストレアはそう決断した。

ユキにはここで戦わせるべきだと、そう判断した。

幸い、アストレアが見た限りでも、タナトスが本当にクレアとユキの戦いと行末を見守りたいという事だけは確かだと分かる。むしろ彼はもう、オラリオの壊滅と人間の死には殆ど興味が無いようにすら見える。それこそ、闇派閥という組織に関わる全ての人間に今回の件を知らせる事なく、唯一隠していた地上への出口すらこうして教える様な真似をしたくらいには。

 

「ユキ、貴方は荷台の方に行って少し休んでいなさい」

 

「で、ですが……」

 

「大丈夫よ。マルク君も居るのだし、貴方も何かをするつもりなんて無いのでしょう?タナトス」

 

「ああ、無いよ。むしろもうここから目的地までは食って寝て景色を楽しんでいようと思っているくらいだからさ」

 

「……分かりました。それでは、お言葉に甘えて」

 

渋々と言った感じで荷台の方に歩いて行くユキを見送り、アストレアはタナトスに目を合わせる。彼はそれに対して首をすくめるが、少なくとも話を拒否するような姿勢は取らなかった。つまり彼にとっては、アストレアが先程の判断を下した以上、もう本当に怖いものはないということ。

 

「闇派閥が今回計画していることを教えて……というのは、流石に無理かしら」

 

「それは流石に無理があるだろアストレア。いくら闇派閥を捨てたとは言え、別に作戦を成功させてくれるのならそれはそれで俺はいいんだから」

 

「じゃあ、貴方がそこまでユキに拘る理由は教えてもらえるのかしら?」

 

「それくらいなら構わないかな。まあ、と言っても話は単純に俺が仕事神様(ワーカーホリック)って事に尽きる訳だけど」

 

タナトスという神は、死と転生を司る。天界では下界から昇って来る子供達の魂を真っ白に漂白して送り返す仕事をしていた。様々な色を持って帰ってくる魂を掃除して、真っ白な状態に戻して行く所謂清掃業。彼はその仕事が好きであったし、なにより本当に真面目にこなしていた。

 

「だから俺はオラリオがダンジョンとモンスターを封じてから、死ぬ子供達が減って退屈してた。それで闇派閥に加担して以前の状態に戻そうとしたんだよ、あの良き時代に。子供達がもっと簡単に死んでた時代に」

 

「………」

 

「けどさ、あの日あの時あの場所で、ユキちゃんを見てからずっと思ってたんだ。……どうしたら最初の白さをここまで保ったままに出来るのか、って」

 

それは正しくタナトスにとっても運命の出会いだったのかもしれない。仕事に対する思い、プライド、彼はその瞬間に強くそれらを刺激された。

 

「今までは考えたこともなかった。いや、あったけど何も変わらなかったから考えごと打ち捨てた。……けど、元々ユキちゃんだって俺が漂白した魂の一つなんだ。それなのにどうしてユキちゃんだけがここまで白い?俺は一体その時、どうやって漂白した?この数年間、俺はずっとそれが気になってた」

 

ユキの生まれや育ちのせい、本当にそれだけで解決出来る話なのだろうか?否、タナトスはそうは思わない。数多の美しい魂と汚れて帰って来た色の多い魂を見てきたタナトスだからこそ分かるのだ。

 

「……ユキちゃんは間違いなく、俺がとにかく美しい魂に仕上げようと努力していた時の1つさ。けどそれがいつの段階の話なのかは分からないし、そもそもその時の俺が気付いてなかった。けれど間違いなく、今日までの間に成功はあった。ユキちゃんという成功例が見つかった。……ああ、本当に下界は面白い。俺が何千年と繰り返してる仕事にも、こうして新しいやり甲斐を教えてくれるんだからさ」

 

タナトスは笑う。

本当に面白そうに。

本当に楽しそうに。

それこそ闇派閥に居た時よりも、ずっと楽しそうに。

 

「……それで、ユキとクレアの行末を見たい理由は何かしら」

 

「そんなこと、漂白に成功した魂が結局は汚れて還って来るのか、それとも最後まで何が起きても白いままで居られるのかを知るために決まってるだろ。今日までの試練の中でもユキちゃんは白いままで居続けた、多少の色は混じってるけどね。だからこれは俺からの最後の試練なんだ。これを終えた後のユキちゃんの魂の色を俺は知りたい」

 

「けど、それは結果的に貴方から仕事を奪う事にもなる。ユキのような人間が多く生まれれば、貴方の仕事は無くなるわ。その矛盾には気付いているのかしら?」

 

「気付いてるさ、これが全部成功すれば結果的に俺は仕事を失うだろう。……けどさ、そもそも将来の事を考えて仕事に手を抜くなんて馬鹿げてるだろ?仕事は常に全力で、より最高のパフォーマンスで最高の成果を出すべきだ。そして俺はこの数百年停滞し続けていた自分の仕事に、新しい伸び代を見つけた。これは素晴らしい事だ、喜ばしい事だ。だから俺はこっちを選んだ。……量より質を。俺は将来の虚しさより、今の悦びを選んだんだよ、アストレア」

 

アストレアの記憶の中にある彼よりも幾らか饒舌なその様子。近くにあった箱から勝手に果物を取り出して食べ始めた彼は、こうして表面を見るだけでは分からないが、なるほど、その心の内ではどうやらこれ以上にないほど興奮に満ち溢れているらしい。

これ以上何かを話そうとも有益な情報は何一つ聞き出せないと判断したアストレアは、一つ溜息を吐いてクレアの半身が入っている2つの神器に目を向ける。

本当にユキが戦ったというヴィーヴル以外に分割は行っていないように見えるそれ、それこそヴィーヴルからユキが持ち帰った魔石も加えいれれば、間違いなくアナンタを襲ったあの災厄が完全な形で復活する。……これならばむしろ、少しくらい分割してくれていた方が良かったのではないかとすら思えてしまう。ユキにクレアとの戦いを促した以上は、そんな事は口が裂けても言う事は出来ないが。

 

「天気が、良いわね……忌々しい程に」


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