白海染まれ   作:ねをんゆう

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148.寸前

「マルクさん、少し休んでください」

 

「……よろしいのですか?」

 

「ええ、私はさっきまで休んでいましたから。明日が本番なんです、マルクさんにも万全な状態で望んで欲しいと私は思います」

 

「……分かりました、3時間ほどで戻ります」

 

「4時間で大丈夫ですよ、お任せください」

 

馬車を止め、夕食を終え、焚き火を囲い込むようにしてユキは座り込む。

この場を離れたマルクは近くの川で汗を流し、そのまま少しの休息を取るのだろう。彼はレベルはそこまで高くはないが、それでも度々遠征に参加している程度の力と経験はある。睡眠も1〜2時間取れば数日程度は活動に支障はない。それを知っているからこそユキは彼にむしろ万全な状態にすることを望んだ。

例え彼自身は戦わなくとも、何より彼自身が生きて帰るために。

 

「タナトス様は、休まなくてもいいんですか……?」

 

「なに、ユキちゃんは俺のこと心配してくれてるの?」

 

「……そういう訳では、ありませんが」

 

「ははっ、まあ俺のことは気にしなくていいからさ。なんていうの?こういうのを遠足に行く前の気分っていうのかな、眠れそうにないんだよね。明日の期待が大き過ぎて」

 

「……期待」

 

焚き火を囲むように、ユキの対面に座って木の枝で遊んでいたのはタナトスだった。今は馬車の中でタナトスから受け取った精霊に関する書物を読んでいるアストレアはこの場に居ないが、実際、彼女はもう殆どタナトスの事を警戒していないようにユキは見えた。

……そしてユキ自身、今や殆どタナトスを警戒してはいない。

 

「タナトス様は……」

 

「うん?」

 

「どうして、お仕事が好きなんですか?」

 

「仕事が好きな理由?……考えたことも無いなぁ。ほら、俺って真面目な神様だからさ。任された仕事はちゃんとやるし、やっているうちに上手くはやるし、上手くなったら好きになるし。何も特別なことはない、普通の話しか出来ない」

 

「それは、闇派閥に協力してまでする必要があった事なんですか?」

 

「むしろあれは自分へのご褒美みたいな物だよ、ユキちゃん。何千年も天界と子供達の為に働いて来たんだ。これくらいの我儘が許されなかったら、それこそ嘘でしょ」

 

「……たくさんの人が苦しんで、悲しみました」

 

「ユキちゃん、これだけは言っておくけど……俺は改心なんかしないぜ?」

 

「っ」

 

「いや、そもそも改心っていうかさ、俺は元からこういう奴なんだよ。何か理由があってこんなんになったんじゃない。元からこんなんだから闇派閥も利用したし、元からこんなんだから子供達に酷い事もした。だから俺と君は相容れない。だって俺は今もユキちゃんの魂をどうにかして汚せないかってずっと考えてるんだから」

 

タナトスは清々しいほどに爽やかな笑みを浮かべてそう言い切る。

それはもしかしたらタナトスなりの優しさだったり助言だったかもしれないし、単純にユキからの妙な視線や態度を鬱陶しいと思ったからこそ突き放したのかもしれない。

その光が存在しているだけならば面白おかしく見ていられるが、それをいざ自分に向けられると眩しくして仕方がない。だからタナトスはユキに目を合わせない、今のユキと目を合わせる様な疲れることはしない。

 

「ま、これを見届けたら俺はもう天界に帰るからさ。俺を気にかける暇があるのなら今は少しでも戦いに備えてくれると嬉しいかな、言い訳の余地がある戦いは望んでないし」

 

「……こんなに強引な事をしておいて、今更そんな事を言うんですね。タナトス様」

 

「あはは。でもそのおかげでユキちゃんはクレアちゃんと戦える力を得たんだからさ、結果的には全部成功なんじゃない?」

 

「タナトス様、意外と楽観的なお方だったんですね……」

 

「過去は変わらない、未来は分からない、だったら今を何より幸福だと思って生きていくのが人生のコツだぜ?……ま、俺神様だから人生とか分かんないだけどさ」

 

そう言うと彼はユキ達の荷物の中から半ば強引に奪い取った毛布に包まり、焚き火に背を向けて寝転んだ。

 

「正直もう俺はユキちゃんと話すことなんて何も無いよ。だからあまり話しかけないでくれると助かるかな」

 

「……そうですか」

 

「別に嫌じゃないんだけどさ、俺的には今の状態が一番良いんだよね。だからなるべく変化を付けたくない。……ユキちゃんが明日死ぬのか、生きるのか、それは正直もうどうでもいい。俺は君がこの最大の壁に突き当たったその末に、その心をどう染め上げるのか、それだけが知りたいんだ」

 

「……私は、分かりません。私はもう、そこまで白くない筈です。絶望もしましたし、怒りも抱きましたし、恋もしました。私と他の人で何も違う事なんて」

 

「君はもう一度自分の異常性を自覚すべきだよ。……存在だけで生物を汚染する様な極大の災厄を半分も取り込んでおいて、多少の色はあれど変わらず未だに善性を抱いている。それはもう間違いなく普通の範疇には無い」

 

「それは……」

 

「ちなみに俺の予想は"引き分け"、"相討ち"かな。どちらも負けて、どちらも救う事が出来ず、救われたのはこの世界だけ。ユキちゃんがそれをどう思って、どう色を変えるかまでは、流石に分からないけどね」

 

それ以降、彼は何も喋る事なく静かな夜に火花の跳ねる音だけが聞こえていた。

……タナトスの嘘偽りのない言葉、否、最早嘘偽りをする意味も無い彼の言葉に、ユキは頷く以外にすることがない。なぜなら彼の語った言葉は多かれ少なかれユキが自覚したことのある話でしかなく、彼の語ったこの物語の結末も概ねユキが想像している光景と一致しているからだ。

ユキはこの戦いに勝てない。

倒せたとしても、まともな姿では帰れない。

それは最初から覚悟していたこと。

その中でどれだけの物が掴み取れ、どれだけの物を掬い取れるか、正直に言えばそこが今回の戦いの要点だ。

 

(……うん、そうだよ)

 

何としてでも精霊を倒す。

何としてでもクレアを救う。

何としてでもアストレアとマルクを無事に帰す。

そして、出来ることなら、願うことなら、叶うことなら……

 

(足の一本でも、腕の一本でも、取られたって別に良い。ただどれだけの怪我を負っても、もう一度、もう一度だけ……)

 

オラリオに帰って、リヴェリアに会いたい。

抱き締めてもらいたい。

そう思っているのに、タナトスの言葉を断り切る事が出来ずにこうしてわざわざ危険に向かっているのだから、矛盾も甚だしい。しかしそんな矛盾に苛まれながらも最後にはこの道を選んで、この道以外を選ばなかったのだから、やはりユキは愚かで救い様がない。……救う方法もなければ、救う価値すらないのかもしれない。

 

--

 

「ここは……」

 

ユキとアストレアの案内に従ってマルクが辿り着いた場所は、四方を深い森林に囲まれた一際大きな山の頂上だった。

それほど標高が高い訳ではないが、基本的に平地の多いこの付近ではあまりに良く周囲が見渡せる。加えて周辺は妙にモンスターが少なく、少ないにも関わらず地上に居るにしては妙に力の強い存在ばかり。アナンタの街もこの山から見える位置に存在しているが、この辺りの生態系はどうにも様子がおかしい様にマルクは思った。ロキから都合良く様々な事を頼まれる性質上、よく街の外に出るマルクだからこそ、それを強く感じられる。

 

「……全て、1年前の事件の影響よ」

 

「1年前、と申されますと」

 

「アナンタが襲撃を受けて、クレアが穢精霊となった時のこと。あの時にこの周辺に住み着いていたモンスター達は全てが遠方に逃げ出して、唯一残っているのはクレアの圧に耐えられた様なモンスターだけなの。だから今はこの辺りは、基本的にとても平和」

 

「それほどの存在なのですか……?」

 

「リヴェリアちゃん達が59階層で戦った精霊の事は聞いているかしら?」

 

「はい、私も待機していたとは言え遠征には参加しておりましたから」

 

「クレアはそれと同等かそれ以上の存在を、自身の少しの欠片で作り出せるわ」

 

「!?」

 

「ただの精霊じゃないの、アレは。数千、数万の子供達の憎悪と怨念、そして呪言と死肉で形作られた神罰どころか人罰。人が人に下した……否、人が神に下した最大級の憎罰」

 

まだ夜明け直後、ユキは荷台の方で眠っている。タナトスは起きて窓から外の風景を見ているが、話に入ってくることはない。彼にしてみればそれについてはそれほど興味の湧く話ではなく、むしろ誰よりも業に染まった子供達を見てきただけに、誰よりも納得してもいる事なのかもしれない。

そもそも、それに加担したのが彼であるのだから、理解しているのは当然の話ではあるのだが。むしろ会話に割り入ってきたらアストレアは彼を殴り飛ばしていたかもしれない。未だに手をあげていない事を褒められてもいいくらいだ。

 

「それほどの相手に、本当に勝てるのですか?」

 

「………」

 

アストレアは答えない。

彼女もまたそれに答えたくないのだろう。自分が言葉にしたことが、その通りになってしまいそうな気がして。

 

「ユキを起こして来るわ、マルク君は拠点作りをお願いしていいかしら?……そうね、位置はあの辺りでお願い。あまり風通しの良い場所に作ってしまうと吹き飛ばされてしまうかもしれないもの」

 

「承知しました」

 

アストレアは荷台で寝ているユキの方へと歩を向ける。そうして覗いてみれば、彼は小さく寝息を立てながら寝相良く穏やかに眠っていた。

……これからそんな彼を起こし、命を賭けた戦いに背を押さなければならない。そう考えてしまうと、ここに来てもアストレアの差し出した手は遂にユキの肩に触れることは出来なかった。ここでその肩に触れて揺らして起こしてしまう事そのものが、ユキを殺してしまうことの様にも思えてしまって。

 

「……もう、着いたんですね。アストレア様」

 

「!……ユキ、起きてたの?」

 

「タイミング良く、と言いますか……起こしてくれたのかもしれませんね、クレアが」

 

目を覚ましたユキは、そう言いつつ自身の隣に鎮座していた2つの神器を撫でる。自身の半身が隣に居るという事を知っているのか、放っておけば磁石の様にピタリと引っ付くそれ等は、今は何の変哲もなく静止したままで、けれどユキが記憶にあるよりもユキの方へと動いている様な気もしている。眠る前には寝相で壊してしまう事がない様に少し離れた位置に置いていた筈だが、今はユキの腹部に潜り込む様にして存在している2つの神器。少し目をズラせばユキの鞄の中に入っていた筈のクレアの魔石すらも飛び出していたのだから、それは単なる馬車の振動の偶然で片付けることなど出来ないだろう。

 

「どうやら私は、期待されている様ですね。クレアに」

 

「……そうね」

 

本当に、それだけだといいけれど。

もしかすれば完全体になってもなお、クレアの精霊は満足せず、ユキの中に入り込もうとするのではないかと。この様子を見ているとそんな不安も湧いて来てしまって、アストレアの顔は曇る。凄まじいほどの執念、執着、それは今回ばかりは良い方向に働くとは限らない。

 

「そういえばユキ、荷物はどうするの?目的の平原まで少し距離があるけれど」

 

「武器は全部私が持てますし、その為に小さな荷車も借りてあります。何も問題ありませんよ。ですからアストレア様はマルクさんとタナトス様と一緒にここに残っていて下さい」

 

「……そう」

 

「あまり時間を掛けても仕方ないですし、少ししたら出ようと思います。準備もして、睡眠も取って、これ以上なにか出来ることもありませんから。場所はアナンタから山を挟んだ辺りがいいでしょうか、多少木々が生えていてもどうせ更地になりますし、変わらないでしょう」

 

淡々とそう語りながら身体を起き上がらせ、準備をし始めるユキ。アストレアは分かっている、だって誰よりも近くに居た家族であるのだから。今のユキが本当は戦いを恐れていて、それでももう決めた事だからと、自分がしなければならない事だからと、恐怖を飲みこんで無理矢理に平然を装っているということなど。

だってユキは、もともと戦いなんて得意じゃなかったのだから。

 

「……ねぇユキ、覚えているかしら。私が最初に貴方に剣の使い方を教えた時のこと」

 

「?……確か野犬と戦わされたと記憶してます。あの時は、えと、ボロボロにされてしまった覚えがありますが」

 

「そうね、戦う以前に貴方は生き物を傷付ける事が出来なかったもの。それに本当に怖がりで、野犬に勝てるようになったのはそれから何日経った頃だったかしら」

 

「日にちまで具体的には覚えていませんが、直ぐ後に吐いてしまったことは覚えていますよ。生き物を初めて切った感覚が本当に駄目で、あの時に一度諦めるという話もしましたね」

 

「ええ、だって無理だと思ったもの。こんなに優しくて臆病な子、いくら戦いに向いた魔法を持っていても絶対に戦場には出せないって」

 

「それが今はこんな風になってしまいました、やっぱり向いていたんですね」

 

「向いているのは今も昔もステータスだけよ。もし過去に戻る事が出来るのなら、私は過去の私を必死になって説得するわ。この子に戦い方を教えないで!医療者としてオラリオで育てて!って」

 

「ふふ、オラリオで医療者としてですか。それはなかなか大変そうですね、でもやり甲斐はありそうです」

 

「その方がきっと、ユキに向いているわ」

 

「……でも、実際にそうはなりませんでしたから」

 

小さな荷車に全ての剣と物資を詰め終えて、ユキは白のコートを羽織る。結局防具は持って来ず、これを持って来た。母の白さを思い出し、人の黒さに負けずに輝き、自分にとって最も着慣れているこの服装で。

 

「実際には、こうなってしまいましたから。だから私は、最後まで私のすべきことを成します。……クレアを救い出して、オラリオに連れ帰る。全員無事に、タナトス様にも罰を受けて貰わないといけません」

 

「ユキ……」

 

「いってきます、アストレア様」

 

腰に装着された二本の剣、"最後の鎖(last chain)"と名付けられたそれが鈍い光を伴ってユキに馴染む。

アストレアはもうそれ以上、何も言うことは出来なかった。無理矢理に話を伸ばして、引き止めることも出来なかった。それを誰よりも望んでいないのが、ユキ本人だと分かってしまったから。この会話を最後に相応しいものにしたくないと、ユキが思っていることに気付いてしまったから。だからこれは何の変哲もなく、世間話の延長のようにして、ユキは当たり前のように歩んでいく。

……もう何度、こうして彼のことを見送ったことだろうか。そして何度、傷付き帰って来た彼を迎えたことだろうか。果たして今回も帰ってきてくれるのか、それとも今回こそ本当に帰って来ないのか、それはいつも通り分からない。ただ願うしかない、ただ信じることしか出来ない。いつもそうだ、いつだってそうだ。それが力のない自分が置かれた立ち位置であり、子供達を死地に送っている自分達への罰だった。

 

「お願い、無事に帰って来て……」

 

神は神に祈らない。

強いて言うならば、この世界の流れに祈る。

けれど、祈らざるを得ない。

人も神も、結局のところ変わらないのだ。

変わらず、無力を噛み締めて、頼るだけ。

 

「おっ、ユキちゃん行くのかい?」

 

「ええ、タナトス様もあまり前の方で見ない方がいいと思いますよ。余波で吹き飛ばされてしまいますから」

 

「いやいや、これを最前席で見るために来たんだぜ?吹き飛ばされるのもファンサービスみたいなもんだよ」

 

「そうですか。……タナトス様、最後に一つだけ聞いてもいいですか?」

 

「ん?なんだい?」

 

「生まれ変わった時、次に生まれる先をあらかじめ決めておくことって出来るんですか?」

 

「……仮にそれが出来たとして、そんな不公平を世界が許すと思うかい?」

 

「まあ、そうですよね。すみません、つまらないことを聞きました」

 

「ま、もし生まれ変わってもその時は俺が丹念に磨いて白くしといてあげるよ。特別に時間を掛けて、懇切丁寧に」

 

「ふふ、そうですか。良い約束が出来ました、ありがとうございます」

 

今やもう、ユキの中にタナトスに対する怒りの感情はほとんどない。それはタナトスによって大きな被害を受けたクレアやロキ・ファミリアの者達への裏切りにもなるかもしれないが、ユキはもう理解してしまっている。何もしなくともタナトスはこの後、天界に還ることになるであろうと。むしろ彼を無理矢理連れて帰ろうとしても、彼はそれを拒否し、それこそ自分とクレアの戦いが終わった瞬間に自ら自害して天に戻ろうとするであろうことを。

タナトスの顔を見るのもこれで最後だ。

アストレアとつい先程交わした言葉は早速一つ嘘になる、なんて幸先の悪いことだろうか。それを知っていて言葉にしたのは自分であるが。

 

「ユキさん……」

 

「マルクさん……」

 

そして最後に言葉を交わすのは彼だ。

ただ、それほど多くは語らない。

彼はそれを許してくれるし、それだけで彼は分かってくれる。

 

「アストレア様を、お願いします」

 

「必ず、お守りします」

 

「他の何よりも、それこそ私よりも優先してお願いします。私に何かあっても、駆け付けるのではなく、アストレア様を連れて逃げて下さい。それだけが私の願いです」

 

「……承知しました」

 

「ありがとうございます。本当に感謝しています、マルクさん」

 

最後に彼に1本のナイフを渡して、ユキは歩き始めた。近寄ってくるモンスターは居ない、むしろユキと神具達が近付いてくる度に生き物の気配そのものが逃げていく。森は覚えている、この2つの気配を。そして察している、これから起きる惨劇を。

 

「アナンタへの余波はそこまで大きくないと思うけど、多分あの人たちは気付いちゃうんだろうなぁ……気にしないでくれるといいなぁ」

 

またそんな不可能に近い願いを抱きながら、ユキは森の深くへと消えて行った。

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