149話を先にどうぞ。
あれから果たして、どれほどの月日が流れただろうか。
ユキが旅立った後、オラリオでは様々なことが起きた。
2度の闇派閥との対峙。
多くの命が潰え、デュオニソス・ファミリアは完全に潰えた。フィルヴィス・シャリアは命を落とし、レフィーヤ・ウィリディスはそれを乗り越える。
フレイヤ・ファミリアやヘスティア・ファミリア、果てはゼノス達の力まで借りて、今このオラリオには漸くの平和が取り戻された。
……守り抜いた。
帰って来るべき場所を守り抜いた。
リヴェリア・リヨス・アールヴもまた、勝利の喜びを噛み締めた。
それなのに、彼だけがまだ帰って来ない。
ユキ・アイゼンハートだけが、帰って来ない。
「……疾風の、リュー・リオンの恩恵はまだ消えていない。女神アストレアは生きている。なのに何故、帰って来ない?」
風の噂で、アナンタ近郊で巨大な災害が発生し、一帯が完全な荒野になってしまったということを聞いた。広大な山林が跡形もなく消えてしまい、後には何も残っていなかったという。
……もし怪我なりなんなりして彼が止まっているとすれば、それは間違いなくアナンタの街だ。あの街は仮にもユキを英雄として扱っている。ならばそこに問題はない。
リヴェリアの頭にユキが負けたという可能性は一切無かった。当然、彼だけが死んでしまったという可能性だって存在しない。絶対にそんなことはありえないから。絶対に戻って来ると、他ならぬ彼自身が強く望んでくれたのだから。
「アナンタに行くのかい?リヴェリア」
「ああ、そろそろただ帰りを待つのにも飽きた。構わないだろう?私が居なくとも」
「困る……とは言いたいけど、これ以上君を引き止める様なことはしないよ。行ってくるといい。彼を早く連れて来てくれ。そうでないと打ち上げをすることも出来やしない」
「ああ、任せてくれ」
リヴェリアは簡単な荷物を持ち、早速街の入り口へと歩く。ギルドの外出許可については、もう既に貰っていた。というより、この件に関してはリヴェリアの好きにすれば良いと言われており、許可がなくとも外に出られる。
……それくらい、ユキがしに行ったことはギルドとしても重く捉えていたのだ。アナンタからの噂話が聞こえて来たのが今日の朝、ギルドとしても状況確認のために人員の手配をしている頃だろう。
だがリヴェリアとしてはそれより早く出て、状況を確かめたいという欲があった。独占欲のようなものかもしれないが、待っていたいという欲もありつつも、迎えに行くのなら自分が最初が良いという欲もある。矛盾しているが、矛盾していない。だから迎えに行くと決めれば後の行動は早かった。馬車が無ければ走っていけばいいと、リヴェリアは本気でそう考えていた。
「ん、揉め事か?……いや」
街の入口の方に小さな人集りが出来ている。
そんな物を見てリヴェリアの脳内に浮かんで来た思考は、当然ながら一つしかない。
「まさかユキが帰って来たのか……!!」
リヴェリアの頭の中にあるのはそれだけだ。
全ての思考がそれに直結する。
外聞も何もかも捨ててリヴェリアは走る。
最近の彼女は以前よりも自分の評判というか、そういったことに無頓着になってしまっている。それよりも大切なことが出来てしまったのだから仕方ないことではあるのだが、周りのエルフ達は驚くばかり。特に彼女とユキ・アイゼンハートがそういう仲であるということは既に周知の事実であり、未だ男性であるということが殆ど広まっていないこともあり、この2人の話題はオラリオでも止むことのない熱い話題になっている。以前よりも注目が増している現状、リヴェリアの行動一つが彼等の勢いを助長する。
「……あれは、ヘスティア・ファミリア?」
やんややんやと騒ぎ立て、それが一体何事かと集まる人々。しかしそれも当然というか、最近オラリオでも名を上げて来た彼等が昼間からこうして街の入口で何かを言い合っていたら、それは注目の的にもなる。
それこそ先日の戦いで盤外の駒としてエニュオに対して有効に動き、士気の向上に加えて、彼等自身の各々に特徴的な技能によってリヴェリア達は助けられた。だからリヴェリアとしても彼等に対して感謝の念もあるし、先を急ぎたい身ではあるが、声を掛けるくらいはしておく気にもなった。
「何を騒いでいるんだ、ベル・クラネル」
「え?……あ、え、リヴェリアさん?」
「あー!君は確かロキのところの……!!」
「先の戦いでは世話になった、改めて感謝をしたい。女神ヘスティア、それとヘスティア・ファミリア」
「え?あー、うん。……ま、まあ?感謝の言葉くらいは受け取っておこうかな?」
「ヘスティア様は何もしてないですけどねー」
「なにおう!?」
「おいおい、だからこんな所でやめろって……」
「春姫殿!ヘスティア様を抑えて下さい!」
「ステータスがあるのに負けそうです!!」
人目も気にせず戯れつく彼等。
この新興ファミリア特有の空気感というのか、和気藹々としたこの雰囲気がリヴェリアは嫌いではない。それに彼等は皆若く、真面目で有望な冒険者達だった。彼等こそ将来のオラリオを背負っていくに相応しいとも言えるほどにリヴェリアは考えている。
……ただ、そんな中でどうしても気になっているのが、ベル・クラネルの妙に暗い雰囲気だった。否、暗いというよりは心配している?彼の表情はあまり浮かない。
「……ベル・クラネル、顔色が悪い様だが。先程から騒いでいた原因は君にあるのか?」
「その、えっと……」
「あー、聞いてくれよエルフくん。ベルくんがオラリオの外に行きたいって聞かないんだ」
「オラリオの外に?」
知っての通り、ベル・クラネルは自らルール違反を犯したり協調性を乱す様な人柄ではない。彼の普段とは異なる様子に彼の仲間達も何処か困惑し、しかし同時に心配もしているように見えた。確かに彼がここまで頑なに何かをしようとしているのなら、そこにはそれほど確かな理由が存在しているのだろう。それとも感覚か。
「……何かが、変わってしまった様な気がするんです」
「変わった、というのは……?」
「その、それが自分でもよく分からないんです。ただ、どうしてもその感覚が抜けなくて……」
「さっきからずっとこれなんだ。オラリオから出て確かめに行きたいって言うんだけど、具体的に何を確かめに行きたいのか分からない。……でも、どうしても行きたいんだろう?」
「はい……どうしても、確かめに行く必要があるって思うんです」
「そうは言っても、ファミリア丸ごと外に出るなんて許されないだろ。一回ギルドに行って、手続きなり交渉なりしないとだな……」
リヴェリアは思考する。
何かが変わった?
その言葉の意図は分からないし、想像も出来ない。
……ただ、一つ思い当たることはある。
それはベル・クラネルという人間が、ユキが自分と同類であると言っていた点だ。女神ヘスティアはともかく、ロキや他の神々でさえも何かの異常に勘付いている節はない。しかし同類である彼ならば、もしユキに何かしらの異常が起きていた時に気付くことが出来るのかもしれない。
確かめてみる価値は十分ある。
「ベル・クラネル。例えば君がこれからオラリオを出るとして、何処へ向かうつもりだ?」
「えっと……あっちの方、ですかね」
「……!」
「あっちって……ベル様、それは流石に大雑把過ぎませんか?」
「北西……なんかあったか?あっちの方向」
「う〜ん、正直オラリオの外の地理にはあまり詳しく……」
リヴェリアの予想は当たっていた。
オラリオから見て北西の方角。
それは間違いなく都市アナンタが存在する方角だ。
……ベル・クラネルは何か感じ取っている。
ユキに起きている何かしらの異常を。
何かが変わってしまったという、重要な事実を。
「女神ヘスティア、少し提案がしたい」
「提案?なんだい?」
「これから私はここから北西の方角に位置しているアナンタという都市に向かうつもりだ。その旅路にベル・クラネルの同行を認めて欲しい」
「な、なんだって!?」
「「「!」」」
リヴェリアのその言葉に、ヘスティア・ファミリアの者達もようやくベルの言葉が何か重要な事実を示していることに気付き始めた。
……偶然ではない、冗談でもない。リヴェリアがそんなことを言う人柄でないことは、ヘスティアも含めて理解している。そして彼女がここまで神妙な顔付きで言うのだから、それは決して笑い事で済ませられる話でもないということ。
「……僕はアナンタという街のことは知らないけど、君はそこに何をしに行くんだい?」
「ユキ・アイゼンハートを迎えに行く」
「ユキさんを、ですか……?」
「ああ。私達が闇派閥と対峙していた間、あの子もあの子で強大な敵と対峙していたんだ。そして恐らくだが、その決戦の地としてアナンタが選ばれたと考えていい」
「……最後の決着」
「ん?」
「前に話した時に、ユキさんが言ってました。勝たなければならない人がいて、負けたら世界が滅びるって」
「おいおいおいおい、また物騒な話になって来たな……!」
やはりユキはベルに対しては事前に自分の事情を打ち明けていたらしい。しかし現時点で世界は滅んでいない。つまりクレアは敗れたということは確定している。
ヘスティアは難しい顔をして考え込んでいた。
そんな場所にベルを送り込むということに、不安を感じていたからだ。事情を聞くにただごとではないと分かるのだが、最近のベルの命懸けの連戦。ヘスティアが多少神経質になっていても仕方ない。
「……エルフくん、それに僕も連れて行ってくれることは可能かい?」
「ヘスティア様!?」
「違うよサポーター君、これは巫山戯て言ってる訳じゃない。もしベルくんや君の言うその話が本当だとしたら、1人くらい神が居た方がいいと思っただけだ。僕はロキやヘファイストスほど頭は回らないけど、君達に見えないものが僕には見えるということもある。……きっと普通じゃないんだろう、そのアナンタって街は」
ヘスティアとて知っている。
ユキ・アイゼンハートという冒険者の存在を。神会で何度も名前を聞いたし、神々の間で広がっている噂話だって知っていた。
……それに、これは私的な思いではあるが、もう待っているだけというのは嫌だった。多少危険があったとしても、地上でくらいはベル達と共にいたい。共に見て、共にその思いを分かち合いたい。その危険や恐怖でさえも、共にしたいのだ。
「……分かった、ギルドには私からも説明しよう。他はどうする?流石にファミリア全員で来るというのも違うだろう」
「リリは行きますよ、ユキ様にはお世話になりましたし。一度くらいお返ししないと気が済みません」
「あー、俺も行きたいな……ちょっと気になることがあんだよ。まあ割と個人的な理由なんだが」
「それでしたら私達が留守番ということになりますね、春姫殿は構いませんか?」
「ええ、そのユキ様という方とは面識がありませんし……あまり大勢で押しかけるのも良くないかと」
「うん、じゃあ決まりだね!よろしく頼むよ!……あー、リヴェリアくんだったかな!」
思いもよらぬ同行者に出発が少しだけ遅れることとなったリヴェリアだが、この時間が無駄であるとは思えなかった。むしろなるべくしてなったというか、こうなることが必然だったというか。
加えて……
「……ところで」
「?」
「どうしてヴァレン何某くんまで馬車に乗って来るんだい!?ギルドに交渉に行った時には居なかったじゃないか!!」
「……私も、ユキを迎えに行きたいから。追い付けて良かった」
「むむむむむむ〜!!!」
「ま、まあまあ神様!落ち着いてください!」
アナンタまでのそう長くない旅路は、想像していたよりは騒がしいものになりそうだった。