白海染まれ   作:ねをんゆう

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154.神と子

ユキと話したいということを伝えると、アストレアは直ぐにそれを了承し、機会を設けてくれた。というよりは、手を繋いで隣にいたユキと一緒に空いていた部屋の一室に連れて来てくれた。

今この場所にはアイズもベル達も居ない。

2人でベッドの上に腰掛け、アストレアと手を繋ぎながら首を傾げる小さなユキ。その対面に持ってきた椅子に座り、彼と改めて対面することとなったリヴェリア。

 

……今なら分かる。

どうしてユキが事あるごとに使用人やアストレアに手を引かれながら歩き、ユキが1人で動いている時にはアストレアがあれほど慌てて迎え入れていたのかが。

 

「女神アストレア……その、ユキの左腕は……」

 

「……クレアちゃんとの戦闘で、無くなってしまったの。身体が子供に戻っても、これだけは治らなかった。きっとそういう魔法だったのね」

 

ユキの着ている服の左腕だけが力無く垂れ下がっている。更地で見たクレアと思しき橙色の光の球体はユキのその左腕の部分を中心に浮かんでおり、今の彼女から何かを感じ取ることは何も出来なかった。しかしユキはそんな球体の事を特に不審には思っていないらしく、むしろ時たま顔の近くに飛んでくると、迎え入れる様に頬を寄せる。……記憶になくとも、その繋がりは消えていないのだろう。だとしたらリヴェリアもまた、そうでなくてはおかしい筈だ。

 

「……こんにちは、ユキ。私のことは分かるか?」

 

「……ぅ」

 

「ああ、ええと……私はリヴェリアといって、君とはその……」

 

どういう関係であったと、言うべきなのか。

素直に恋人だと言えば、意味がわかるかどうかはさておき、単に不審な人物だ。ユキにとっては突然現れた女に過ぎず、リヴェリアとしてもここで変な印象を植え付けたくはない。とは言えこれについては嘘も吐きたくなくて。

 

「り、りゔぇ……?」

 

「ん?あ、ああ、そうか、発音が難しかったか。あ〜……それなら"リア"と呼んでくれていい、これならどうだ?」

 

「ん……りあ、さん……?」

 

「ああ、それでいい。私は、うん、君と友人になりたいんだ。私もユキと呼んでいいかな?」

 

「……うん、だいじょうぶ」

 

「ありがとう」

 

……本当に、言葉を交わすほど思う。

こんなにも恥ずかしがり屋で、臆病で、大人しい子がユキだったのかと。役割がなければ、ユキの本質はこういった性格だったのだろう。

戦闘になど身を置くべきではない、戦いなんて出来る筈もない、ただ静かな場所で穏やかに暮らしているべきだと思わせられる様な気質。

それを役割によって強制させた。

彼も責任感でそれを成した。

……きっとその苦しみは、常人の比ではなかった筈だ。その苦しみを忘れてしまったことは、喜ぶべきなのか、悲しむべきなのか。

 

「ユキ、私とも手を繋いでくれるだろうか?」

 

「?……あすとれあさま」

 

「今は彼女のことを見てあげて、ユキ。リヴェリアちゃんはね、ずっと貴方のことを想っていたの。……なんとなく、分かるでしょう?」

 

「………」

 

アストレアから手を離し、そのまま恐る恐ると自分の右手をリヴェリアが差し出している右手に重ね合わせるユキ。リヴェリアはそうして乗せられた手を両手で包むと、そこで漸く胸に一つの熱が灯ったのを感じた。

 

「………っ」

 

「りあ、さん……?」

 

「……すま、ない。少し、少し待っていて欲しい。おかしいな、もう少し綺麗に、出来ると、思って」

 

「っ!?あ、あすとれあさま……!」

 

「大丈夫、そのまま手を握っていてあげて?ユキ。……リヴェリアちゃんも、我慢なんてしなくていいのよ。貴女が今他の誰より苦しくて悲しいなんてこと、当たり前の話だもの」

 

「わたし、は……わたしは、ただ、お前と……」

 

「……ん」

 

「っ」

 

きっとユキは本当に、何も理解出来ていないだろう。突然現れて、手を握って欲しいと頼まれて握ったら、今度はいきなり泣き出してしまった綺麗なエルフの女性。

しかしユキは優しい人間だ。

多少なりとも頭も回る。

だから彼女が泣いてしまった原因が自分にあり、記憶にはないが彼女が自分のことを大切に思ってくれているということが分かる。そうでなくともユキには、目の前で泣いてしまった女性に対して、そのまま放っておくことなんて出来る筈もない。

立ち上がって、リヴェリアの頭を自分の胸に当てる様に蹲み込む。左腕があれば、その腕で彼女の頭を撫でる事だって出来ただろう。抱き寄せる事だって出来ただろう。しかし、今のユキにはそれはもうない。素直に悲しいと感じる。それよりもっと悲しいと感じる何かが、胸の奥にある気もしたけれど。

 

「ユキ……」

 

「わたし……わからない、です。えーぼすさま、いないし。おかあさんも、くーも、いない」

 

「……?」

 

「あすとれあさまも、りあさんも、みんな、しらない……しらない、のに」

 

顔を上げたリヴェリアに、今度はユキが頭を預けた。驚くリヴェリア、けれど反射的にそれを迎え入れ、自分の膝の上へと乗せる。ユキはそのまま、先程までの警戒もなかったかのように、リヴェリアの腕の中に収まって……

 

「……ここが、いい……です」

 

「……!」

 

ユキが一体どの時点までの記憶を保有していて、むしろ彼がどの様な過去を持っているのか。いまはそんなことはどうでもいい。

間違いなく。

残っていると分かったから。

……女神ヘスティアの言う通りだった。

ユキの中から何もかもが消えた訳ではない。

崩れたそれまでの繋がりは、今でもまだユキの奥深くに残骸として残っている。何もかもがリセットされて、無くなってしまった訳ではないのだ。

リヴェリアが愛したユキは死んでいない。

まだここに生きて、求めてくれている。

 

「ユキ……やはり私はお前を、愛しているみたいだ」

 

「……ねむたい、です」

 

「ああ、好きに眠るといい。お前が起きるまで、私がずっとこうしていてやる」

 

「…………」

 

静かに寝息を立て始めた子供。

頭を撫で、背中をさすり、思い返す。

リヴェリアには一つ恐れていた事がある。

それはユキが子供の姿となり、その側にいることで、自分がユキの母親になってしまうという可能性だった。リヴェリアはそんなことは望んでいない。より離れてしまった年齢など関係なく、リヴェリアはユキの恋人でいたい。だから母親になるくらいならば、離れているべきではないかと考えていた。

……だが、少なくとも自分が今こうして彼を抱き寄せていて感じるのは、アイズを育てていた時に感じていた気持ちとは違っていた。そういえば床を共にする時も、ユキはこうして抱き寄せて背中を摩っていると簡単に眠ってしまっていたなと。そんな記憶が蘇るだけ。

 

「悲しい再会には、ならなかったかしら」

 

「……何もかもが消えていた訳ではない、それを再確認する事が出来た。ユキは死んでない、まだ生きている」

 

「これから、どうするの?」

 

「ユキの恋人で居続ける、たとえどんなズルいことをしても。そしてこの子を守り続ける、争いからかけ離れた静かな場所で」

 

「そう……それなら近いうちにオラリオを出ないといけないわね」

 

「ああ、貴女はどうするつもりだ?私とユキに付いてくるというのなら、私はそれでも……」

 

「……まだオラリオでやり残したことがあるの。ユキばかりに構っていると、きっともう1人の家族が寂しがるわ。けどもう私も必要ないということなら、一緒に行かせて欲しいかしら」

 

「私としてはその方が助かる。やはり明確な母親が1人居てくれると、私の目的も果たしやすい」

 

「ふふ、悪くなったわねリヴェリアちゃん」

 

「目的のためなら手段は選ばない。否、手段を選ばないくらい欲しい物があるというだけだ。……今更ユキを他の人間に渡すつもりはない、ようやく自由になれるのだしな」

 

リヴェリアのその心意気はともかく、見ようによってはこんな幼い子供を恋人にしようと本気で企んでいる女というのはかなりヤバい人間に見えているのではないだろうか?

一瞬脳裏を過ってしまったそんな考えを捨てて、アストレアは笑みを返した。

こんなもの、ここまで彼女を虜にしてしまったユキが悪い。全て自業自得だと考えて受け入れて貰うべきだろう。

……そう何もかもが上手くいくとは思えないけれど。少なくとも、ユキはもう戦う必要はない。それだけは救いで、それだけでリヴェリアもアストレアも同様に安堵している。

 

ーー

 

「ユ、ユキさんが本当に小さくなってる……」

 

「ユキ、あ〜ん……おいしい?」

 

「こ、これが男の子って本当なんでしょうか……ちょっと可愛すぎません?」

 

「いや、それもそうなんだが……普通に精霊が具現化してることの方がヤバくないか?精霊の血を引いてるってだけで色々言われんのに」

 

「……人の子って、こんなに可愛いものなんだね、アストレア」

 

「そうね、ヘスティア。私もそう思うわ」

 

「………」

 

次の日の朝、全員が会した朝食の席で、ようやくユキと他の同行者達との接触は行われた。とは言え、彼等の様子はリヴェリアの時ほど悲壮感の漂うものではない。

小さくなったユキを妹の様に甲斐甲斐しく世話を焼くアイズに、多少は同じような気持ちを抱いているのか少し顔を赤らめながら様子を見つめているリリ。しかしヴェルフはそれよりも精霊の方に気を取られており、ベルはそもそもユキの現状にただただ困惑していた。

まあ、普通に考えれば色々と有り得ない話だ。

後者の男性陣の反応の方が正解と言える。

 

「一先ず、一度オラリオに戻ろうか。ギルドやロキへの報告は……まあここまで付き合った仲だ、僕も付き合うよ」

 

「ありがとう、ヘスティア。ベルくん達も、できれば今回のことはなるべく人に話さないようにしてくれるかしら?……仮にも神の力が使われたとなると、色々とね」

 

「は、はい……あの、ユキさんは大丈夫なんでしょうか?」

 

「大丈夫ではないけれど、どうしようもないこともあるのよ。ユキの今後については、私とリヴェリアちゃんで考えるわ。……だから君達は、こういうこともあるんだって。それだけを心に留めて、進んで欲しいわ」

 

「進む……?」

 

「そう、ベルくん達にはまだすべきことがあるでしょう?ユキを気にかけて、これから多くの時間をかけてこの子を支えていく役割は、君達の物じゃない」

 

「……」

 

アストレアが言いたいことは、つまり、こうなった以上、ユキとベル達の道が交わることは今後早々ないということ。

だから、1人の英雄の最後としてこういう結末があったと。その事実だけを見て、理解して、心に留めて、これからも歩き続けて欲しい。

 

「……ユキ・アイゼンハートという英雄の物語はこれで終わりなんだろう。だが、ベル・クラネルという男の物語は未だ道半ばだ」

 

「リヴェリアさん……」

 

「アイゼンハートは繋ぎの英雄、始まりの英雄が現れるまでの繋ぎに過ぎない。ユキもまたそうだ。最後の英雄が現れるまでの繋ぎとして、その役割を全うした。……まあ、結局この子は殆ど姉の為に走り続けていた様なものだが」

 

「……その末の結果が、自分は記憶を失って、姉はこんな姿になったなんて、報われたんですかね」

 

「その結果は、彼の人生の最後に彼自身が決めることだよ。それこそ僕達が勝手に判断していいことじゃない」

 

それはユキだけではなく、あらゆる子供達にとっても。人の人生の良し悪しは、本人以外が付けていいものではない。

 

 

 

もう1日だけアナンタに滞在した後、彼等は揃ってオラリオへ戻るための馬車に乗り込んだ。ヘスティア・ファミリアと、他の者達で2台に分けて。乗り込む為に住民達の前にユキは姿を現すこととなったが、彼等もその姿に驚きつつも、しかし手を振り、笑顔を向け、優しく見送る。

ユキの周りのことや街の手伝いなどをしていたマルクは、暫くこの街に残り、戦闘跡地の様子を監視する役割を担い残った。無力を感じた彼は、それでも真面目に自身の役割を成している。彼もまた強い人間だ。もしかすればその内心は少しばかり変わってしまったかもしれないけれど、それでも。

 

「そういえば女神アストレア。このアナンタに住まう人々は、その……」

 

「……生きるための柱を、失ってしまったのよ」

 

「それは、例の……」

 

「ええ。あの殺戮のせいで、彼等は人も神も信じられなくなった。生きる為に必要な目的や支えすら失い、生き残った意味すら曖昧になってしまったの。だから彼等はそれを、信仰する対象を、ユキに対して求めたのよ」

 

「しかしそれなら、貴女も……」

 

「私やフレイヤも、確かに闇派閥に対抗する為に努力はしたわ。けれど結局出来たことは、彼等に恩恵を与えて時間稼ぎの犠牲にすることだけ」

 

「女神フレイヤまで……」

 

「私だって治療はしたし、フレイヤも魅了を使って対抗を試みた。でもね、私の治療では延命にしかならないし、魅了だって濃い憎悪や狂気には通じない。……あの時唯一の希望であったユキが、今は彼等の人生の最後の希望になってる。それは責められるべきではないし、それで生きていけるのならいいと私は思うの」

 

見送りのために街の外に出て手を振っている彼等に、リヴェリアはチラと目を向ける。揃ってニコニコと笑い、彼等の背後に開け放たれている扉からは本当に真っ白な街並みが見えていた。……それを囲んでいる外壁の外面は、これほどまでにボロボロになっているというのに。

 

「ユキは……あの街には、もう戻さない方がいいのだろうか」

 

「この子を神にしたくないのであれば、その方がいいわ。知ってる、リヴェリアちゃん?ユキの一族は子供を神子として3歳までは人から離して育てる」

 

「それは聞いて……」

 

「3つ子の魂は100まで続く、そんな言葉が極東にはあるそうよ。そんな大切な時期を彼等は神子と呼ばれ、本当の神の子のように育てられる。確かに彼等には神の力はないけれど、神になるための素地だけは生まれてしまうのよ」

 

「………」

 

「神子の一族は恐らく、この地に神が降りてくるまでは、私達の代わりをしていてくれたんじゃないかしら。神としての役割を与え、神として信仰を与え、擬似的な神の力をその身に宿した。……過去の英雄の役割を担えた程だもの。そうして民を守っていたとしても、不思議ではないでしょう?」

 

だとしたら、なれるのだろう。

アナンタの街の人々はむしろ、無意識の底ではそれを望んでいる。英雄として祀っているなどと、そんな生易しいものではないとリヴェリアは知っている筈だ。

 

『悪いがそれを聞いちゃあ簡単には通せねぇ。いや、簡単には帰せねぇってのが正しいか』

 

『この街の人間はみんな、あの子に胸を張れる生き方をするって決めてんだ』

 

『ただあの子は生きてるし、祭りの準備も止めない様にって言われてんだ。だったらアタシ達は何も言わずに笑って踊る、それだけだよ』

 

皆が持っているユキの木彫り。

真っ白に修繕された教会に、その中にあるとされるユキの銅像。街長の家と言いつつ、長と言うべき人間は一度も顔を出すことなく……むしろあれでは、あの様子では。

 

「女神アストレア……あの街の、長というのは?」

 

「……あの屋敷は、ユキのためのものよ」

 

「っ」

 

「街長なんて立ち位置の人間は今は居ないの。その役割を担っていた人物は、今も同じ仕事をしているけど、相談役と名乗っているわ」

 

「……彼等は、本当に」

 

神に据える気だった。

少なくとも、頭に迎える気だった。

だからアストレアはあの街では"オラリオに戻る"という言葉を使いはしたが、その後にどうするのかは決して話題には出さなかった。この街に戻ってくるかどうかについては、徹底的に言及することを避けていた。

 

「あの街のことはもう忘れなさい、リヴェリアちゃん。一度狂気に荒らされた人々が、正常で居られる筈がないのよ。ユキをただ1人の人間として育てていきたいのなら、もう近付けてはいけないわ」

 

人は神になる事が出来る。

精霊にだって、させられる。

それはクレアが証明したことであり、それほどに人の想いというのは強い力を持つ。

 

「当然なのよ。子供達の信仰によって、私達は力を得ることができる。それはつまり、貴女達の想いは神の力にもなれるということ。貴女達は神を創ることだって出来る。……そのことは覚えていて欲しくはないけれど、心には留めておいて」

 

存在しないフィアナという女神が、小人族に希望を与え、道を示し続けたように。元は人間でありながら、神の座まで上り詰めた存在が居るように。

……きっと今回起きたことは、この地の歴史としてアナンタで永久に語り継がれることとなるのだろう。そしてユキ・アイゼンハートという英雄の話も、この街を中心に広まっていく。

 

『ならばそれでいい』と、アストレアは最後に答えた。神ではなく、英雄として語られるのであれば、問題はないと。

ユキ・アイゼンハートという人間は生来それほど影響されやすい存在だということを、リヴェリアだけは忘れてはならない。


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