白海染まれ   作:ねをんゆう

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155.告白

「……そか」

 

この3神がこうして静かに顔を合わせるということが、この先の長い時を思ったとして、果たして何度あることだろうか。

普段の様に言い争うこともなく、冗談を言うでもなく、ただ事実だけを淡々と述べたヘスティアと、それを普段以上に感情を隠した様子で聞いていたロキ。

アストレアではなく、ヘスティアがそれを語るからこそ生まれる意味もある。あくまで第三者であり、彼女は賢明で寛容な女神でもある。余計な感情を入れることなく、自分の役割を自覚し、それでいて子供達に対する愛は離さない。だから彼女の言葉は耳に届き、心に届き、理解を促す。心の抵抗を解し、受け入れされる。

 

「……あ〜あ。報われんなぁ、英雄言うんわ」

 

「それは……」

 

「せや、それを決めるんわウチ等やない。せやけど、明らかに見えとった最善には辿り着けんかった。こないな誰も報われへん結果は、ただ死なんかったからマシ……程度の話やろ?」

 

「……みんなそれを薄々分かっていて秘めてるんだ。絶対に子供達の前では言わないでくれよ、ロキ」

 

「言われんでも分かっとるわ。ただ、こういうんを近くで見るとな。……思ってまうやろ、本当に子供等を英雄にしてええんかって」

 

「「………」」

 

繋ぎの英雄アイゼンハートは、自分の頑張りを認められつつも、その直後に命を落とした。

始まりの英雄アルゴノゥトは、猛牛を倒す喜劇を描いた後、次の冒険で容易く散った。

黒火の英雄エピメテウスは、人々を救い続けたその先に"愚物"と蔑まれ絶望に身を落とした。

最強の英雄アルバートは、黒龍を撃退しオラリオに平和を齎したものの結局自らと引き換えた。

 

……なぜ、そうなるのか。

なぜ彼等はそのまま幸福には暮らせなかったのか。リヴァイアサンやベヒーモス討伐に尽力したアルフィアやザルドでさえもその最期は犠牲である。

 

愛染の英雄であるユキもまた、世界の脅威となった姉を救い出すために自分を失くしてしまった。

 

「……きっとそういう子達こそが、英雄になってしまうのよ」

 

「…………」

 

「誰よりも優しくて、誰よりも誠実で、目の前の苦しみを見過ごせない子供達だからこそ、英雄にまで駆け上がって、走り続けてしまう。止まることも出来ずに、最後のその瞬間まで、命を燃やし続けてしまう」

 

「…………」

 

「ロキ、確かに貴女の言う通り。もしかしたら英雄にするということは、悲惨な最後に背中を押してしまう行為でもあるかもしれない。……けど、私達が押さなくても彼等は勝手に走って行ってしまうのよ。私達に出来るのは、ただ側で手を握っていてあげることだけ」

 

アストレアは1人の英雄の隣を歩いた。

だから次はきっと、ロキとヘスティアの番だ。

今度は彼等こそが、自分の愛した子供達が地獄へ向けて歩き続ける道程を共にしなければならない。

 

「……僕は、ベル君をそんな最後に連れて行く気はないぜ」

 

「ウチも、フィンやアイズたん達を犠牲になんかさせる気はない」

 

「そんなの……私だって、そう思って、いたのよ。それでも、結果はこの様。……アリーゼ達を失って、うん。もう2度と大切な子供達を、失いたくないって、思ったのに」

 

「アストレア……」

 

「……クレアをね、私の眷属にするって約束をしたの。襲撃が起きる、前の日に」

 

「……」

 

「ユキと一緒にファミリアを作るんだって、あの子はそう言ってくれた。親を殺めた相手への復讐なんかより、ユキと私と暮らせる幸福な未来を選ぶんだって言ってくれた。私はね、頷いて、抱き締めて、応えたの。これからは貴女も家族だって、私の大切な娘の1人だって。……本当に情けない。結局私は大切な2人の子供達を、どちらも守ることが出来なかったんだから」

 

今考えれば、あの時ああしていればと、いくつも思うことはある。けれど、それももう意味がない。それにその時の自分にとっては、その選択肢こそが最善のものだった。その時にその選択肢を選んだ自分を責め立てることなど、結果を知っている今だからこそ出来る程度の話でしかない。

 

「ユキは……本当に、大切な子だったのよ。彼女から託されて、少しでも長生き出来るようにって、色々なことを教えて。あの子も私を母親の1人だと思ってくれた。嬉しかった。幸せに生きて欲しかった。ずっと側に居て欲しかった。それなのに……」

 

「……すまん」

 

「私だって、私だって助けたかった……!あの子が英雄になり始めた時から、ずっと、ずっとこんな結末にだけは!なって欲しくないって!そう思って、思ってた、だけ、だったのね……」

 

リヴェリアに言ったように、いくらでも言葉だけなら取り繕える。ユキはまだ消えていないだとか。最悪な結末ではないとか。これからまた取り返せるとか。そんな綺麗事はいくらでも並べることはできる。

しかしこれまでの物が消えたのは事実だ。

アストレアがユキと過ごした5年以上の歳月が消えてしまったのは明らかだ。

神にとっては一瞬の月日ではあっても、親子として過ごした月日は何にも代え難い。仮にこれから少しずつ取り戻すことが出来たとしても、以前のユキが果たして本当にそのままの状態で帰ってくるだろうか?

 

アストレアは涙を零す。

それは何ら不思議なことでもなく、親としては当然の反応だった。アストレアは間違いなく、ユキの母親だった。

 

「……正直なことを言うとな、ウチも薄々感じとるんや」

 

「……何をだい?」

 

「このままやと、フィンも含めて全員黒龍に殺される」

 

「っ」

 

「実力が足りん、全盛期のゼウスとヘラのファミリアには足元にも届いとらん。届いたとしても、それでも足りん。……精々、英雄王とおんなじや。黒龍を一時撃退するためだけの犠牲」

 

「……黒龍が来るって確証はあるのかい?」

 

「リヴェリアが言うとった、ユキたんがアナンタで黒龍を撃退する世界の光景を見たって。つまり黒龍はそのうち間違いなくまたこの辺りに来るってことや。……このままやとウチとフレイヤのとこが、次のゼウスとヘラのファミリアに成りかねん」

 

それはきっと、フィン達ですら薄々と勘付いていることだ。これほど時間が経った今でさえも、彼等はゼウスとヘラのファミリアに追い付けていない。むしろあの時に剣を打つけたザルドとアルフィアにさえ、個人として追い付けているのはオッタルくらいだ。それでもザルドとアルフィアの実力は、その特殊なスキルを考慮すれば、今のオッタルでさえ全盛期の彼等に完全に並び立ててはいないだろう。

……仮に最後のユキくらいの実力があれば黒龍を撃退出来るとして、黒龍の戦闘力はあのクレアが目安になるかもしれない。それではあのクレアに対して今のオラリオがどれほど抵抗出来るかと問われれば、無理だ。為す術もなく全滅する。

 

「ベルくんも、そうなるのかな……」

 

「……ユキたんが言うとったらしいで、今この街で一番それに近いんはベル・クラネルやって」

 

「実際、彼はユキの変化に気付いていた。彼はきっともう持っているのね、英雄の資格を」

 

「……嫌だなぁ。そんな最後が決まっているのなら、今すぐにでも捨てて欲しいよ。でもそれを捨てた結果が今のユキ君なら、きっとそれすら許されていないんだろうね」

 

特にベルに関しては、ユキとは違い、明確に英雄に憧れている。ユキのようにこの道を外れることはまず有り得ないし、最後の最後まで走り続けてしまうのだろう。

……誰の制止すら振り切って。

最後の英雄に、なるために。

 

「……そういや、アストレアはこれからどうするんや?ウチにまだ居るんなら、それでもええし」

 

「本当?ありがたいわ。……一先ず、暫くはユキの側に居ながらリューの様子を見るつもりよ。それから先のことは、あの子の選択次第ね」

 

「リューっていうと、例の酒場のエルフ君だよね?アストレアのところの子だったのかい?」

 

「ええ、ヘスティアのところによくお世話になっているって聞いたわ。ありがとう」

 

「そんなことないよ、むしろ僕達が何度も何度助けられてるくらいさ。ついこの間も、ベルくんを深層で守ってくれていたそうだからね」

 

リューがどうしたいのか、それは彼女の好きにさせてあげたい。彼女がヘスティアのところに行きたいというのなら、アストレアはそれを止めることはない。彼女がそれでも一緒に来てくれるというのなら、連れて行こう。あの酒場に居たいのなら、フレイヤに頭を下げに行くだけ。

 

「ユキたんを連れて行く場所に心当たりはあるんか?」

 

「そうね、確かゼウスが身を潜めていた小さな村があるとヘルメスから聞いたから、そこにでも行こうと思ってるの。……多分リヴェリアちゃんも付いてきてくれると思うけど、いいわよね?」

 

「寂しいけど、仕方ないやろ。引き止める権利もないし、値する理由もない。リヴェリア自身が望んどるなら、そうすべきや」

 

「いいのかいロキ、これで君のところは戦力ダウンだぜ?」

 

「はっ、これを見越して引継ぎはしとったんや。問題あらへん。精々レフィーヤが死にそうになるくらいや」

 

きっと何事もなければ1月も滞在することはない。

闇派閥が消え、平和を得たこの都市。

なるべく何も起きていないうちにユキを連れて行きたい。その間にお世話になった神々に挨拶に周り、事情の説明をする必要もあるのだから。

なるべくアストレアの素性は隠しておきたいが、ウラノスやヘファイストス、フレイヤ辺りにはアストレアが直接赴いて事情説明をする必要があるだろう。最低限の礼儀として。

 

「貴女達も、いい加減に蟠りは解いておきなさいよ。子供達は手を取り合っているのに、主神の貴女達が輪を乱していたら話にならないでしょう?」

 

「「うっ」」

 

「それに、数少ない同志でもあるんだから。同じ危機に直面していて、同じ悩みを抱えてる。……せめて私とユキの経験を活かして欲しいのよ。助けてくれた貴女達には、こんな想いをして欲しくない」

 

「「………」」

 

そう言って、アストレアは立ち上がった。

涙に濡れた頬を拭き、いつもの笑顔を浮かべて手を振り振り返る。

 

「あのね……もしユキと出会っていなかったら、私はこの世界を恨んでいたかもしれない。けどユキがこうなってしまっても、あの子は私にそれを許してはくれない。……自分の中に、こんなにも黒い心があるなんて思わなかった」

 

「アストレア……」

 

「どんなに白い女神でも、子供達と接するうちに反転することもある。貴女達は絶対に、そうはならないで」

 

かつて地上が戦乱に塗れ、人々が欲と血を求め続けていた時代。多くの神々がそんな人間達に失望し天界へと帰っていったが、女神アストレアだけは最後まで地上に残り、正義を説き続けていたという。

……そんな女神でさえ、絶望はする。

果たしてその絶望に、ロキとヘスティアは耐えることができるのか。彼女が残していった言葉は、そんな問いでもあった。


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