白海染まれ   作:ねをんゆう

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157.日はまだ登らない

「一度選んだことを、まだ悩んでいるのかい?リヴェリア」

 

「っ……フィンか」

 

 

 月が照らす静かな夜。

 いつものテラスで静かに寝息を立てる少女のような少年を膝に乗せ、彼女は月を見上げていた。

 月というものは不思議な話ではあるが、自分の心が乱れているほどに、その静謐な姿に目を惹かれてしまう。彼があれほど月を見ていたのは、母親や色のことは別にしても、常に今の自分と同じくらいに心が乱れていたからだったのではないかと。今更になって思ったりもした。

 

「悩んではいない。……後悔も出来ない」

 

「"しない"じゃなくて、"出来ない"か」

 

「ああ、私は他の全てを捨ててこの子を選ぶと決めた。それ故に生じる無責任という烙印は全て受け止める覚悟をした。……つもりだったのだが、いざそのことを考え始めるとな。恐ろしくて仕方ない自分も居る」

 

「アイズとアイナ……どちらも君にとってあまりに重過ぎる約束だからね」

 

「そうだな、私の人生そのものと言っても良い。……つい数年前の私であれば絶対に信じないだろう、その両方を自分の意思で破ることになるなどと」

 

 出会いは突然、それから今日まで1年さえも経っていない。しかし今の自分は1年前の自分とは全く違う、この子を手放すという選択肢は取れない。

 何もかもが中途半端、その状態で自分はこの街を離れて冒険者を辞めるという選択を取ることにした。アイナの病に効く良薬を手に入れることはついぞ出来なかったし、アイズの母親としての役割も道半ばで投げ捨てることになる。

 

 ……それはリヴェリアだって、可能であるのなら3つとも全てを取りたい。何一つだって取りこぼしたくない、全て大切だ。どれも自分の人生を捧げるに後悔のないものばかりである。

 

 だが、それは出来ないのだ。

 

 決して3つ全てを選ぶことなど出来ない。

 

 ユキをこれ以上このオラリオに止めておくことは出来ない。ダンジョンのある場所で育てることは出来ない。そして他の誰かに任せることもまた、出来なかった。多くを経験し、乗り越えたリヴェリアだからこそ。再び彼をこの手から離すということだけは、絶対に出来なかった。

 

「安心して良い、アイナの薬探しは僕達が続ける」

 

「フィン……」

 

「彼女は僕達にとっても大切な友人だ、君が居なくとも諦めるつもりはない。……それに、君が悩んで苦しんで選んだ結論を、彼女が否定する筈もない。それが当初の約束を破るような形であったとしても、むしろ危険から遠のいてくれて彼女は喜ぶくらいなんじゃないかな。なんなら、もう離して貰えなくなるかもしれないね」

 

「……そうなると、私もあの都に住むことになるのか。それくらいで許して貰えるのなら、私は構わないのだがな」

 

 ふよふよと橙色の球体がリヴェリアとフィンの前を飛んでいく。精霊となり果て、常にユキに寄り添っている彼女は、しかし決して何も分からぬ獣になった訳ではない。

 こちらの会話を確かに理解しているし、それに対する反応も動きで示す。つまり穏やかに飛んでいるその様子からして、彼女もまたこの話については特段思うところはないということ。見知らぬ村だろうと街だろうと。リヴェリアがユキを何処に連れて行くとしても、彼女もまた着いて行く。必要なのはそれだけで、それ以外はどうでもいい。彼女にとっては本当にそれだけのこと。

 

「こんな決断をした私が言うのもふざけた話だが、正直心配で仕方がないところもある」

 

「アイナに怒られることがかい?」

 

「……いや、ロキ・ファミリアの将来についてだ」

 

「……」

 

「レフィーヤの様子がおかしい。当然と言えば当然だが、良い方向には進まないだろう」

 

「……まあ、そうだろうね」

 

「黒龍の問題も何一つとして解決していない。ダンジョン探索もこれからという時に私は抜けようとしている。闇派閥の問題は終わっても、精霊関連の問題がこれで終わるはずもない。……まだ私が抜けて良いような状況ではないことも、わかってはいるんだ」

 

「そんなに信用できないかい?僕達が」

 

「信じる信じないではなく、現実的な問題だ。どう目を逸らしたとしても、事実はそこにある。……特にユキの関係であらゆる未来を見て来たからこそ、その脅威の大きさから目を背けられない。滅びの種は何処にでも転がっている」

 

「……」

 

 あれだけやり直して、色々な可能性を渡り歩いて、辿り着いた今。果たして自分は正しい道を歩いて来れたのかと言われると、自信を持って首を縦に振ることは出来ない。

 

 こんなことになってしまった現在は決して最善ではなかったろうし、むしろ間違えてしまったのではないかとさえ思っている。まだユキは生きているが、生きているだけとも言えるだろう。多くのものを取りこぼしてしまった。

 本当は今も彼が隣に座っていた可能性はあったかもしれないのに、自分はその可能性を掴むことが出来なかった。

 

 ……分かっている、無駄な仮定だ。

 

 だがそれがどんなに可能性の低い話であったとしても、それを掴めなかったのは自分であり、それによって現状があるとするのなら。リヴェリアにはもう何もかもが悪いようにしか考えられない。良い想像など何もすることが出来ない。ある意味ではレフィーヤと同じくらいに今のリヴェリアは、悪い方向へと思考が向かっている。

 

「心配なら、せめて残っている間くらいは他の団員達にも気を配ってあげて欲しいかな。なにもレフィーヤの様子がおかしいのは"彼女"のことだけが原因じゃないんだ。……この段階で君から役割を任されるとなれば、彼女が責任を感じてしまうのも当然だろう」

 

「……分かっている」

 

 それも、分かっている。

 きっとユキのことは女神アストレアに任せて、自分はここに残ることが最善であることなど。自分はまだ責務を投げ捨てるべきではないし、ユキを選ぶことで世界が破滅へと進む可能性が上がってしまうこともまた。分かっているのだ。

 

「分かって、いるんだ……」

 

 分かっていても、選択肢はあっても、それを選ぶということが出来ないだけで。必ずしも目の前にある2つの分かれ道の両方が、選択肢にはなり得ないというだけで。

 

「明日、今回の件を"疾風"に話しに行くつもりだ」

 

「……大丈夫なのかい?」

 

「そこまで含めて、私の負うべき責任だからな。どこまで話すのかも、既に女神アストレアと調整してある。……複雑な感情はあるが、彼女もまたユキを心配し、その帰りを待っていた1人だ。生きて帰って来た以上、たとえそれがどんな形であったとしても、会う権利はある」

 

「……誰もが諦めてなんて居ない癖に、悲しみだけは丸ごと受け止めようとしている。あまり言いたくはないけれど、それは自傷行為と同じだよ。リヴェリア」

 

「ああ………」

 

 

 

 

「分かっては、いるんだ……」

 

 

 

 誰しもが。

 

 

 分かっては、いる。

 

 

 自分の全てがどうしても、言うことを聞いてくれないだけで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ユキを構築していた破片は確かに残っている。ただその骨格を担っていた柱が消え、土台を残して殆どが崩れ落ちた。落ちたパーツは意識の深層に無秩序に散らばっており、浮かび上がってくることもない。

 故に彼の身体はアストレアと出会うより更に前の時まで遡り、記憶もそこまでのものしか残ってはいなかった。

 

 しかしだからこそ、そこにはユキしか知らない過去がある。むしろ成長したユキでは忘れてさえしまっていた、彼の過去が蘇っている。

 誰も知らない、アストレアと出会う前の彼の境遇。彼が男神エレボスに助け出され、何らかの理由でメーテリアと名乗る母親と出会い、あの焼け落ちた村に住むことになるまでの記憶が、そこにはある。

 

 

「……そう、思っていたんだけど」

 

「なんや、なんもなかったんか?」

 

「分かったのは、ユキと母親のメーテリアはエレボスの勧めでとある国に身を寄せていたこと。そこで恐らく王の側室扱いで世話を受けていて、"クー"と呼んでいる姉が居たこと」

 

「姉……?」

 

「側室扱いって言ったでしょう?つまりクーは本妻の子のことよ。……そしてきっと、そのクーって子はクレアのことね。そう仮定すると色々と腑に落ちるところがあるから」

 

「ほなその国ってのは……」

 

「とうに滅びたのか、それとも本妻ともども追い出されたのか、逃げ出したのか。ただどちらにしても、そこにユキが関係している可能性は高いわ。……記憶や存在の崩れがそこで止まったのにも、何か理由があるのかもしれない」

 

 掘れば掘るほど何か出てくるということで有名なユキであるが、どうにもまだ掘り尽くすことが出来ていなかったらしい。それを知ることで果たして何か変わるのかと言われれば困るが、まだアストレアも諦めてはいない。

 どんな手掛かりでもいい、今はとにかく情報が欲しい。

 

「ほな一先ず、ここ10年以内に滅んだ国でも探してみるわ。そないな話、そんなに珍しくもないやろ」

 

「……いいのロキ?貴女のところも、その、色々と大変でしょう?」

 

「まあなぁ。せやけど、アナンタに見送った時よりかは余裕はある。それに今更他人扱いなんか出来るかいな、ウチかてまだ諦めとる訳やないんや」

 

「……ありがとう、ロキ」

 

 本来ならば、現状を受け入れて、ここから先をどう最良に持っていくかを考えるべきなのかもしれない。少なくともファミリアの主神としては、1人の団員に入れ込み過ぎるのは良いことではない。それも今は他派閥に移った扱いになっているのだから。

 だがそれは集団を率いる者としての責任ではあっても、そのために個人の感情よりも優先すべきものではないとロキは思う。そんな感情を排斥した選択をするのなら、別に人でも神でもなくて良い。

 少なくともロキという神は、これで満足出来る神ではない。そこに1%でも可能性が残っているのなら、全力で頭を回す。頭を回すだけで可能性を引き上げられるのなら、酒だろうと睡眠だろうと、投げ捨てられる。

 

「そういえば、フレイヤの方はどう……?」

 

「正直、それが1番分からんのや。それとなくヘルメス使って探っとるけど、何の動きもあらへん」

 

「……警戒のし過ぎなのかしら?」

 

「いや、むしろ静か過ぎるわ」

 

「何かあったの……?」

 

「フレイヤどころか、団員自体が殆ど表に出て来とらん。その代わり拠点の中はいつも以上に騒がしい、なんて話を聞いとる」

 

「……何かが起きているのは確実なのね。フレイヤだけでなく、フレイヤ・ファミリアそのものに」

 

「"あっち"の方に直接聞きに行くのもありかもしれんけど、下手に突くと違う地雷踏みかねんしなぁ」

 

 

 ロキも懇意にしている例の酒場、あそこには色々と地雷が埋まっている。それこそ店主と従業員だけでなく、その成り立ちまで含めて。正直現状では、酒を飲みに行くどころか、顔を出しに行くことさえも控えたい。

 

『疾風』への説明をリヴェリアだけに行かせることになってしまったのは、そういう理由も存在した。

 本音を言えばユキのことについて詳細な話をフレイヤに伝えるのは避けたい。だがロキとアストレアはそれによって余計な誤解が生まれることの方をより恐れた。つまりリヴェリアが説明をしに行くのは実質的にリュー・リオンだけでなく、フレイヤに対しても同義である。

 

 ……まあ、小狡い話ではあるが。

 

 今回の件についての経緯を話し、フレイヤに対しての言い訳をしたい。フレイヤの元に行っていれば本当に全てが解決して上手くいっていたのかと、考えさせたい。そういう意図も確かにそこにある。ユキのこれからのことを考えて、変なことだけはしないで欲しいと。暗にそう伝えると言う目的もまたそこにあるのだ。

 

 ……それがたとえ彼女の怒りを買うような行いであったとしても、その怒りがユキに向くことはない。ならばそれでいいと、ロキは考えた。

 

 

「実際、アストレアはどう思うんや?フレイヤのこと」

 

「……私は、結局フレイヤと同じ立場なのよ。アナンタでは何も出来ず、ユキに守られた側」

 

「せやから、気持ちがわかるってことか?」

 

「いいえ、だからこそ分からない。だって私は必要でなくとも前線まで首を突っ込みに行くでしょう?子供達の治療もするし、剣だって取る。慣れもあるし、あの時だって役割を持って身体を動かせた。……でも、フレイヤはそうじゃない」

 

「……まあ、そうやな。流石にそこまでする奴の方が神の中でも珍しいやろうけど」

 

「だから私では分からないの。……あの時、あの瞬間に、フレイヤがどんな気持ちでユキのことを見ていたのかが」

 

「……」

 

「私の目には、フレイヤの魅了があの場では効いていなかったように見えたけど。もしかしたら全力を出していなかったのかもしれない。自分の眷属達が来ると信じていたのかもしれないし、何もかも諦めていたのかもしれない」

 

「なんやフレイヤの魅了が効かん状況言うんがもう想像出来んわ」

 

「子供達の死肉と濃密な怨念に支配され、最悪の儀式の場として選ばれた廃街……あの瞬間のアナンタは、小規模の地獄と言ってもおかしくない状態だった。敵も味方も憎悪と恐怖に満ちていて、愛や恋なんていうプラスの感情が入り込む余地なんて一切無かった。もちろん正義や悪なんていうものも、何の役にも立たない混沌の渦中」

 

「……」

 

「だからこそ、それをひっくり返したあの子を見て、アナンタの人々は希望を得た。私はあの子が英雄になってしまったことを確信したし、ユキもまたそれを自覚してしまった」

 

「……同じように、そこでフレイヤが何を感じたのか。それが肝になってくるって訳か」

 

「そういうことよ。……それが愛なのか、恋なのか、恐怖なのか、羨望なのか、感謝なのか、怒りなのか。それ次第でフレイヤの行動はいくらでも変わって来る。だから予想することも難しい」

 

 そもそもあの一件は、あまりにもイレギュラーが多過ぎた。偶然に偶然が重なり過ぎていたし、何よりフレイヤが眷属達の追手を完全に撒くことが出来たのが本来ならばあり得ない。その時点でフレイヤでさえも想定外の連続だった筈だ。

 ……まあ実際、フレイヤ・ファミリアが辿り着いていれば闇派閥達は時期をズラしていただろうし、精霊化したクレアを相手にしていればフレイヤ・ファミリアでさえ全滅していたことを考えると。アイゼンハートという役割の判断としては最善だったのかもしれないが。

 

「ま、せやけど。前に見た反応的にも、悪感情でないことだけは確かやろうな。フレイヤめっちゃ欲しがっとったし、我慢しとるって言うとったし、二つ名変えられてマジ凹みしとったし。リヴェリアにもブチギレとったな、魅了効かへんから駄々もこねとった」

 

「……ふふ、なかなか酷い有様だったのね」

 

「正直、フレイヤ自身も悩んどるんやないかと思うわ。何をどうしたらユキにとって1番良いのか、その答えが出ん。うち等と同じやな」

 

「それでも私達のことは許せないから、協力はしない。答えが出れば私達のことも無視して行動に移す。……そんなところかしら」

 

「……それでどうにか出来るんなら、別にええんやけど」

 

 日はまだ昇らない。

 闇派閥という闇を払っても、進む道のりは暗いまま。ただ一筋の光を求めて歩き続けても、今はそれすら見えて来ない。それでも引き返すという選択をしないのは、ただの現実逃避なのか。

 

 それとも……

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