自分もよく知るハイエルフが連れて来た1人の子供。
不思議な話ではあるけれど、知らないはずのその子供を見た瞬間に、何もかもを理解することが出来た。
事情は分からない、経緯も分からない、現状も分からない。それでも分かってしまったのは、自分にとって何より大切で、大切にしなければならなかった筈の唯一の後輩は。大切な何かを失ってしまったということ。
自分が闇派閥への憎悪に取り憑かれ、失敗し、ベルさえ巻き込んで情けない姿を晒して。その末に心を乱され、何が何やらと混乱していた最中に……彼はこうして、自分の身体さえも変質させてしまうような目に遭っていたということ。
「………以上が事の経緯になる」
「……そう、ですか」
そうして聞いた話は、想像していた以上の惨状に彼が巻き込まれていたことを、容易く理解させられるような残酷な内容で。アストレアの存在を匂わせないように多少話を改変しているとは言え、それでも殆どが事実である。
何よりそれを証明するような小さな子供が、そのハイエルフの隣に居た。目の前に座る女が誰なのかもよく分からないような様子で、出されたクッキーを行儀良く食べている可愛らしい子供が。
……そしてその子供には、左腕がない。その事実だけでもう、リュー・リオンの心は裂けそうになる。
「……何をしていたんだ、私は」
「……」
「私は今日まで、本当に、何をしていたんだ……」
「……」
「何故私はユキを1人、戦わせて、伸う伸うと……」
「……」
「わたし、は……」
それ以上の言葉が、出て来ない。
喉元に何かが支えて、唇が動かなくなる。
語られた話を、頭が徐々に徐々に理解していく。表面だけをなぞっていた話が、時間が経つに連れて、少しずつ馴染んで来る。頭が周り、理解が及び、心が付いてくる。
「っぅ……」
込み上がって来る吐き気、今はそれを強引に飲み込む。けれどそれでも身体と心が正常に戻ることはない。冷静になどなれやしないし、むしろ少しずつその揺れ幅が大きくなっていく。
心が拒否していたが故に受け入れ難かったその事実は、それでも決して逃避出来るほど生優しいものではない。
また、家族を失った。
大切で唯一の後輩を失った。
守るべきで、守らなければならない子を失った。
自分はまた1人、生き残ってしまった。
「ぅ、ぐ……」
「大丈夫か……?」
きっと帰って来ると思っていた。
いつものように、『なんだかんだ大変だったけど帰って来れました』みたいなことを言って、ひょっこり顔を出しに来ると思っていた。
そんな甘いことを考えて、今日まで待っていた。
けれど、違ったのだ。そんな未来は来なかったし、甘い考えと言わざるを得なかったし、自分はあまりにも愚かだった。最早その時点で自分は現実逃避をしていたのだ。
あの子がこれから向かう地獄の深さを、あの子が向き合っていた脅威の大きさを、自分は全くもって理解することが出来ていなかった。
「私、は……なぜ、なぜ……!」
「お、おい……!」
今更になって、後悔出来ることが多過ぎることに気付いた。過去の仲間達の幻影を追って憎悪に走っている間、今も残っている唯一の後輩から目を逸らしていた。
……見ていたつもりだった。
だが今の自分では役に立てないことを理由に、ユキであればまたいつものように笑って帰って来ると都合の良い思い込みをして。そうしてやっぱり、見ていなかった。
心配していても、後悔していても、嘆いていたとしても、それでも。
『……いってらっしゃいです、リューさん』
あの病室で最後に言葉を交わした時。先輩として恥ずかしくないようにと、ケジメを付けに行くと言った自分に対して。ユキはいつもの笑みで見送ってくれた。だが自分は結局のところ、彼を見送ることは出来なかった。
知らぬうちに彼は旅立っていたし、自分の頭は闇派閥のことでいっぱいになっていた。ふとした拍子に思い出した彼のことも、胸いっぱいに膨らんだ闇派閥に対する憎悪と結び付けたくなくて、逃げるように頭から消した。
「……あぁ」
だからなのかもしれない。
もしかしたら自分は。
彼に戻って来て欲しくなかったのかもしれないと。
そう、思ってしまった。
「あぁ……!」
彼の先輩として恥ずかしくない自分になるのだと、そう決意した筈だった。けれど結果として自分がしたことは、それとはかけ離れたものだった。今こうしていても何一つとして胸を張って報告出来るものなどない。
だから彼のことを思い出すことを避けていたのではないか。だから彼が戻って来る日を気にしていたのではないか。先輩として相応しくない行いをしていた自分は、何もかもを清算した彼の前に立ちたくなかったのではないか。
それになにより。
「あぁぁぁぁあ………!!!
あの深いダンジョンの底で、
宿敵に追い詰められた絶望の淵で、
あまりにも近く死を感じたその状況の中で、
それでも生き残るために全てを賭けたあの瞬間に……
自分が【彼】に、『恋心』を抱いてしまったから。
それを酷く、後ろめたく思ってしまったから。
『会いたくない』と、思ってしまったのだ。
無意識でも、『帰って来て欲しくない』と思ってしまったのだ。
……あれほど周囲からの影響を受けやすいユキ・アイゼンハートという人間に対して。仮にそれが無意識で、どれだけ離れている場所に居たとしても。
絶対に、絶対に。
それは。
それだけは。
思ってはいけない、ことだったのに。
「私の、せいだ……」
「……」
「私のせいで、ユキは……!!」
「……そんなくだらないことを、ユキの前で言わないでくれ」
「っ」
「そんなことを聞かせるために、私はこの子をここに連れて来た訳ではない。……せめてそれは、この子には聞かせず、自分の中だけに潜めておいてくれないか」
「……っ」
きっと、こういうところなのだろう。
彼がこの女性を選んだのは。
そして彼女があの少年に選ばれたのは。
「……ユキ、彼女はユキの先輩だ」
「せん、ぱ……?」
「つまり、まあ、お姉さんだな。……ああいや、違う、そうだな、お姉さんはクレアだったな。ああもう説明が面倒だな、クレアも暴れないでくれ」
「くー、だめ」
「……」
リューをユキの姉だと紹介しようとした瞬間に、橙色の球体が怒ったようにリヴェリアに体当たりを仕掛けて来る。どうやらそこだけは譲ることが出来ないらしく、しかしそんな精霊もユキに摘まれると大人しく彼の頭の上に鎮座した。
最早どちらが姉なのか分からない姿ではあるものの、それでも彼等は確かに、意外と上手くやっているのだ。少なくとも何も知らないユキは、クレアやリヴェリア、他の者達にもずっと可愛がられながら、日々を楽しく過ごしている。
「せ、んぱ……んぱ……?」
「せんぱい、だ。……だがそれより、名前を教えて貰った方がいいかもしれないな。まずは自己紹介をしてみるといい、前に教えたから出来るな?」
「じこしょ………」
「大丈夫だ、ほら。何事もやってみなければな」
「は、はい……」
「……」
以前のような元気の良さとか明るい様子はなく、おどおどとしていて、ずっとリヴェリアの服の裾を摘んでいる。寂しがり屋で、臆病で、消極的で……正直に言ってしまえば、同じ人物であるとは到底思えない。
けれどきっと、それでも変わっていない部分もある。それは例えば、こうして明らかにおかしい様子の自分を見て、恐れながらも、怖がりながらも。それでも心配そうにしていてくれたこととか。
「ゆ、ゆき、です……よ、よろしく、おねが、い?しますっ……!」
「………………あぁ」
「……?」
悔しいのに、悲しいのに、強く、強く後悔しているというのに……そんな姿を見せられては、泣けなくなる。覚えたばかりの挨拶を、必死に思い出しながら言葉にして。ちゃんと全部言えたのか不安そうに首を傾げながら、リヴェリアとリューの顔を交互に見て。
「……リュー・リオン。リューと呼んでください」
「りゅー、さん?」
「っ……ええ、その通りです」
「みゅっ」
ぎゅっと、思いっきり抱き締めることは、もう出来ない。恩恵が初期化されてしまったユキの身体はとても弱々しくて、そんなことをしてしまえば壊れてしまう。だから軽く抱き寄せるだけ。
……後悔なんてものは、手遅れになってからしか起こらない。取り返すためならなんだってすると思えるのに、それがいざ目の前に来るまで何もして来なかったという事実がそこにある。
『もう絶対にこんなことにならないように』『同じことはもう2度と繰り返さない』『必ず今度こそは』
そんなことを思っても、口にしても、結局何の行動も起こしては来なかった。本当に必要であるのなら、本当にそうするつもりがあったのなら、直ぐにでもオラリオを出て女神アストレアを探しに行くべきだったのに。何かしら理由をつけて今日までそれをして来なかったのであれば、結局それは本気ではなかったということ。
他者がどう思ったところで、リュー自身はそうして自分を責め続けるだろう。そこにどんな仕方のない理由を並べたとしても、関係がない。大切な後輩が何もかもを失ってしまったことは事実であり、自分はそれに対して何もすることが出来なかった。
……まあ、これも自惚れである。
リューに本当にそう出来る力があったのかは疑問だ。
だが自惚れであっても、自分にはまだ彼のために何かを出来る余地があった。そこが問題なのだ。何もかもを試して、必死になって手を探し回って、それこそリヴェリアくらいユキが生き残る可能性を最後の最後まで模索し続けたのであれば。後悔はしても、悔しさはあっても、それより悲しみの方が上回り、未来のことに目を向けられる。
しかし何か出来る余地があるままに結末を迎えてしまったリューには、それが出来ない。たとえそれが自惚れであったとしても、自分の選択で1%でも何かが変わる可能性があったのなら……自分への言い訳だけは、成り立たない。
「リヴェリア様……」
「うん?」
「私にも……何か、出来ることは、ありませんか……?」
「……ない、な」
「っ」
「ユキのこれからについては、既に考えている。なるべくオラリオとの関わりを作っておきたくはない。……この街に戻るという選択肢も、将来的にユキ自身が望むのならまだしも、極力残しておきたくはない」
「……」
「君に何もかもを捨ててユキを取る選択が出来るのなら、考えても良い。だがそれは出来ないのだろう。君にはまだこの街を、そしてこの店を、捨てることは出来ないのではないか?」
「……っ」
それこそが、リヴェリアとリューの間にある違い。
自分の何もかもを捨ててでも、この子を取ることが出来るのかという分け目。
「気にしなくてもいい、ユキは私が責任を持って育てる」
「……っ、っ」
「無理な話だろうが、それでも敢えて言おう。……この子のことは忘れて、君は君の人生を生きるべきだ」
「っ……私は、必要、ないのでしょうか……?」
「考えれば分かることを1つ1つ丁寧に説明するつもりはない。……だからこそ、考えても分からない理由を1つ、私からは提示しておく」
「……?」
「私はまだユキの恋人という役を諦めたつもりはないのでな。1番厄介なライバルをここで蹴落としておきたいということだ」
「……」
「……いや、今のは笑うところだぞ。半分本気だとは言え、そこまで本気で受け止めないで欲しいのだが」
「半分は、本気なのですね」
「まあ、それはな……」
そこで漸く、気付く。
リヴェリアは恋敵として自分を見ていたことを。真にそう思ってはいなくとも、その可能性はずっと考慮されていたことを。今更になって。
だが確かに、いくら後輩と言えど、距離感が異様に近かったことはリューとて自覚している。そうでなくともユキのスキルによって、それこそベルに対して意識が向くまでは手遅れになりかけるほど魅了されていたというのに。
「リヴェリア様。……ユキを、よろしくお願いします」
「……いいのか、本当に」
「私にその資格はありません。……少なくとも今の私では、この子に悪影響を与えてしまう」
「……」
「私はユキの先輩として、すべきことが出来なかった。恥ずかしいところばかり見せてしまった。半端なことばかりをしてしまった。結果として思ってはならないことを心に抱いてしまった。……アリーゼのようには、出来なかった」
「……場合によっては、これが最後の別れになるかもしれない。それでもいいんだな」
「……よくは、ありません」
「……!」
「よくは、なくても……それでも……それが今のユキの、幸福に繋がるのなら……私は……」
せめて最後は年上らしく。
後輩の幸せのために、この苦しさを飲み込む。
飲み込んで、耐え続ける。
それこそがリューの選んだ、確実に後悔するであろう道。
「……分かった」
「……ユキ」
「う?」
名前を呼べば、不思議そうにこちらを見て。優しく頭を撫でると、嬉しそうに反応を返す。
素直な子だ、愛らしい子だ、けれど臆病で寂しがり屋な子だ。そしてそれはきっと、こうなる前から何も変わっていない。彼は最初の最初からずっとそうだった筈なのだ。そうでは居られない状況に居たというだけで。……それに気付き、寄り添い手を取ることを、自分は出来なかったというだけで。
「何も気にする必要などありません。何も心配する必要などありません。……貴方は幸せになりなさい。沢山の人に愛されて、誰よりも人生を幸福に生きなさい。貴方にはその資格がある」
「りゅー、さん……?」
「……後のことは全て私が引き受けます。私は貴方だけを選ぶことは出来ませんが、それでも貴方が何の憂いもなく笑って生きていく事が出来るように、私が貴方の生きる世界を守ります」
「まも、る……?」
「だから……」
泣くのはもう、これが最後でも良い。
自覚し始めた恋心もまた、今ここで完全に捨て去る。
これから先の自分の人生は、それだけのために費やす。
誓う。
今度こそ、成し遂げる。
成し遂げるから……約束するから……だから……
「っ………さようなら、ユキ」
口元まで出かかった言葉を飲み込み、リューは部屋を出ていく。最後まで名残惜しそうに彼女の指はユキの頭に残っていたけれど、それもゆっくりと離れていく。
リヴェリアはそれ以上に口を出すつもりはなかった。彼女のその選択の是非ではなく、彼女のその覚悟を尊重したかったからだ。
今の自分では駄目だと。
その覚悟も資格もないと。
だがそれでも腐ることなく、彼女は彼女なりに決意をした。それをこの場で否定することなど、出来る筈もない。それにリヴェリアだって、彼女を本当に、完全に拒絶するつもりなどないのだから。
……もしいつか、同じ覚悟を持って目の前に現れてくれたのなら。もしそんな未来があるのだとしたら、そんな時が来てくれたのなら。その時は、きっと。
「……?」
「ん?どうした、ユキ」
「ん……だれか、いた」
「誰か……?そこで話を聞いていたということか?」
「うん」
「……そうか」
時計の針は進んでいく。
しかしその針の進む方向は真逆。
刻一刻と迫る0の文字。
その最後の引鉄を引くのは……