ダンジョン24階層、リヴィラの街を出た4人は少しずつ会話を取り戻しながらもこれといったピンチもなくスムーズにここまで辿り着いていた。
"中層のモンスターに慣れたい"というユキの要望の下、ここまでは彼女を中心に戦闘を行って来た。
しかしレベルと技術、そして付与魔法をある程度自由に使えるという環境故に特に苦戦することもなく、ベートは最早完全に放置している始末となっている。
……もっとも、彼が手を貸さない理由はそれだけでは無いだろうが。
とにかく、最早ここでも彼女の戦力は過剰になり始めていた。
「フィルヴィスさん、ありがとうございました。魔法の援護、とても助かりました」
「……いや、こちらとしてもあまりにも仕事が無いのでな、これくらいはする」
「うう、同じレベルの筈なのにユキさんの戦闘力がおかしいです。先輩面してた自分が情けなくなってきました」
「あまり気にするなウィリディス。この女が異常に戦闘慣れしているというだけで、むしろお前が正常なんだ」
「あれ?もしかして私さりげなく酷いこと言われてません?」
「テメェが正常じゃねぇことくらい周知の事実だろうが、今更なに言ってんだ」
「ベートさんまで!?誰も助けてくれないんですか!?」
「ウィリディスとは違い、お前は助けなくとも1人で生きていけるタイプだろう」
「テメェの図太さは知ってんだよ、死ぬ一歩手前になってから言え」
「二人とも酷いです!?」
などと言っているが、実際にここまでほぼ無傷で突破して来ているのだから説得力は皆無。
なにせ前方の敵を攻撃しながら後方からの攻撃を見もせず避けてカウンターまで決める変態である。
速度は無くともそんな曲芸染みた真似を戦闘中に敵に囲まれながらも平然とこなすユキの姿を見て、ベートもまたドン引きしていたのだ。
ソロでの戦闘経験だけで語るならば間違いなくこの女は自分よりも上だと。
「……それにしても、やはりと言うべきかモンスターの数が少ないな。まあ、これほどの惨状を見せられれば当然とも言えるが」
「これ、全部アイズさんがやったんですかね?」
「むしろアイズ以外にやれる奴がいねぇだろうが馬鹿エルフ。いいからさっさと行くぞ、何が起きてるか分かったもんじゃねぇ」
「……そうですね、あまり良い予感はしません。急ぎましょう」
ピクピクとその耳を動かしながら先を急ぐベートを追う様にして、他の3人も走り出す。
モンスターの灰と魔石の散らばったパントリーへと続く道を。
ベートの心の内には一つだけ懸念があった。
それはリヴィラの街を出る直前にユキから感じたあの異様な雰囲気。
瞳の奥から感じたあまりにも冷たい圧力。
あれがユキの本性なのかと言われれば、そうではないとベートは断言できる。
彼にだって人を見る目はそれなりにあるつもりだ。
ユキ・アイゼンハートという人間が心の底の方から呆れる程の聖人であるということは知っているし、そういった裏を持つ人間特有の雰囲気が彼には無いということにも気付いていた。
……それならば、あれは一体何なのか?
『別人格』
それが一番すんなりと来る答えではあるものの、その様なことをリヴェリアやロキから聞いた覚えもなければ、ユキ自身もそれらしきことを言ったこともない。
なにより、『本当の悪人であればその場で殺している』などという言葉がもし真実なのであれば、ロキやフィンが彼のことをこの街で自由に生活させているわけが無い。
ならば、あの言葉は真実ではないのか。
いや、あの雰囲気の言葉が嘘ではないことは誰にでもわかる。
それよりも、あの瞬間のユキのことをロキやリヴェリアですら知らないという可能性の方が高いだろう。
そしてそれは、最も考えたくない最悪の事態だ。
「っ」
ベートがそんな事を考えている間にも、パントリーの方面から聞こえてくる複数の衝撃音。
あそこで何かが起きているのは間違いない。
しかしそれよりも、自分程の耳や鼻を持っていないにも関わらず、寸分違わず同じ方向へと目線を向けて睨み付けているユキの方が今は恐ろしい。
リヴィラでは冗談交じりに口にしたが、彼の目には本当に一体今何が見えているのだろうか。
今はそれを考えるべきではないと首を振り、ベートは一層先を急いだ。
「チィッ、なんだあの壁は!邪魔ってレベルじゃねえぞ!!」
「私が斬り飛ばします!皆さんはそのまま突っ込んで下さい!」
「中の人間ごと切るんじゃないぞ!」
「私のことを何だと思ってるんですかフィルヴィスさん!!救いの祈りを(ホーリー)!」
パントリーの入り口を塞ぐ緑色の肉の塊。
絶妙に気色の悪いそれを先行したユキは魔法を付与した2代目愛剣で四角形に切り抜き、そのまま奥に蹴り飛ばしながら後方へと宙返る。
一瞬で行われた一連の動作に目を奪われながらも突入した3人は、そのまま目の前の緑色の空間へと走り出した。
遅れながら3人の後を追うユキであるが、その顔色はあまり優れない。
それは戦闘が行われている場所へ近付くに連れて聞こえてくる悲鳴の数々が原因なのか、それとも他の何かなのか。
剣を握り締める手に力が入る。
頭の中が白く染まっていく。
冷静さを失うことのない様に何度か深呼吸をしながらも、現状の自分の出せる最速のスピードで走り続ける。
緑の壁を何度か抜けた頃、ようやく4人は目的地へと辿り着いた。
そこでは恐らく冒険者だと思われる集団が、怪しいフードを被った人間と、以前嫌という程に見たあの人食花に襲われている光景が広がっていた。
軽く見ただけでも既に負傷者は何人か出ている様で、冒険者達が劣勢であることも明らかである。
その中でも特に青色の髪をした女性の冒険者は腹部から大量の出血をし、今まさに全身白づくめの男にトドメを刺される寸前にまで迫っていた。
「っ、救いの祈りを(ホーリー)!!」
ユキはほぼ反射的にその場を飛び出し、腰から取り外した状態の悪い剣に魔法を付与して投げ付ける。
白光に包まれた剣は超高速でその男の腕へと迫り、男が気付いた時にはその右腕は綺麗な断面を残して切断されてしまっていた。
「なっ!」
「せやぁっ!!」
突然腕を切り飛ばされ動揺する男の懐へと潜り込み、ユキはそのまま全身全霊を以て蹴り飛ばす。
ドッと数mほど吹き飛ばすことには成功したが、やはり大したダメージにはなっていないらしい。
しかしそれでも青髪の女性を救い出すには十分の隙となり、甚大なダメージを受けて座り込んだ彼女にポーションを振り掛けながらその場を後退した。
「……新手か」
「私だけではありませんが……大丈夫ですか?」
「え、ええ」
後方で降りて来たレフィーヤ達が冒険者達に事情を聞いているが、今はとユキは青髪の冒険者の手当てに勤しむ。
「全く冒険者というのは実に忌々しい……やはりまとめて薙ぎ払うしか無いか」
そう言うのは彼女をここまで追いやった元凶であろう白ずくめの男。
男は切り飛ばされた断面の見えるその腕を上げ、ギチギチと緑色の肉を中心にして急激に右腕の復元を始めた。
その異常な再生力にレフィーヤを含めた冒険者達は目を剥き、畏怖と驚愕の意を込めて男を見つめる。
その行動は最早人間では無い。
「貴方は何者なのです、ここで一体何をする気なのですか……!?」
回復した青髪の女性が震える身体を無理矢理に立たせながらそう尋ねる。
すると男はニィッと口角を上げて高らかとこの空間についての自慢を口にし始めた。
「ここはプラントだ。食料庫に巨大花を寄生させ、食人花を生産させる。深層のモンスターを浅い階層で増殖させ、地上へ運び出すための中継地点」
「そ、そんなことなんのために……!?」
「決まっているだろう!迷宮都市オラリオを滅ぼすためにだ!!私に永遠を与えてくれた彼女のために、彼女の望みを叶えるために……!彼女の望みを必ずや成就させるために、私は必ずやこの都市を滅ぼすのだ!!」
そう言って被っていた仮面を空へと投げ捨てる男、露わになったその顔に最初に反応したのはアスフィだった。
病的に白い男の顔貌を見て、何か大きな衝撃を受けたかの様に動きを止める。
「……どうして」
フィルヴィスもまた同様であった。
呆然と立ち尽くす彼女のただならぬ様子に、レフィーヤは思わず声をかける。
しかし彼女が顔を覗き込むことも関せず、フィルヴィスは震えた唇を開いてその男の名前を漏らした。
「オリヴァス・アクト……」
フィルヴィスの白ずくめの男に向けられたその名を聞いた瞬間、彼女以外の者達からもざわめきが生まれ始める。
その名前は昔からの冒険者であるならば知らぬ者など居らぬ程の有名な名前で。
「オリヴァスって、まさか『白髪鬼(ヴェンデッタ)』!?嘘だろう!?」
悲鳴の様な声でそう放つ1人の冒険者は、男の顔を何度も見る。
だが、その顔は見間違えでは決して無い。
「オリヴァス・アクト!あの悪名高き闇派閥の使徒にして、『27階層の悪夢』の首謀者の1人……!なぜ貴方がここに居るのです!貴方も貴方のファミリアも、既に消滅したはずだ!!」
27階層の悪夢の首謀者、その言葉を聞いてレフィーヤはフィルヴィスへと振り返る。
彼女の表情は怒りと憎悪に満ちていた。
そんな青髪の冒険者の言葉に対し、オリヴァスは大袈裟な身振り手振りをしながらその場で自分の服を引き裂いていく。
その胸の中央にあるのは、いつか見た極彩色の魔石……忘れる筈もない、あの植物型モンスターが持っていたものだ。
「私は確かにあの日あの時、あまりにも無様に死んだ。だが!彼女の力によって蘇ったのだ!人でありながらモンスターの力も得て、二つ目の命を授かった!私は生まれ変わったのだ!真実を得たのだ!!」
オリヴァスは言葉を発するに連れて正気を失ったかの様にどんどんと何かに酔い痴れていく。
熱く、熱く、彼女とやらへの信仰心を口に出していく。
「彼女は言っていた!空が見たいと!空を塞ぐあの忌々しい都市を滅ぼせと!ならばそれを叶えるのは力を与えられた私の役目だ!彼女が、彼女こそがこの地へと降臨するに相応しい!娯楽だなんだと地上にのさばり、我々に何の利ももたらさない愚かな神々とは違う!彼女は素晴らしい!彼女は至高だ!彼女のためなら私はなんだってしよう!!彼女は私の全てだ!!!」
両手を大きく広げ、脇目も振らずに叫び出した彼の姿は完全に常軌を逸しており、その場の誰しもが彼の言葉に反応することはない。
いや、反応出来はしない。
ただフィルヴィスがそんな彼の姿を見て憎悪の刻まれた表情を深くするだけであり、他の者達はその気持ち悪さに顔を歪めるだけであった。
もちろん、そんなことに気を取られていない彼女1人を除いて。
「そンなコトはどうデもイイんだよ」
「……なに?」
それまでの熱心な言葉の数々をどうでもいい、と切り捨てた人間に対して、オリヴァスは睨みを利かせる。
しかしその人間はその視線に全く怯むことなどなく、徐々にオリヴァスへと近付いてくる。
「ユキさん……!?」
「っ、オイ待て馬鹿エルフ!あいつに近寄んな!!」
「なっ!何を言ってるんですかベートさん!?このままじゃユキさんが……!」
「いいから近寄るんじゃねえ!テメェも殺されてぇのか!!」
「えっ……?」
珍しいベートの必死な形相にレフィーヤは驚愕する。
だがそれでも、彼の言っていることの意味が分からない。
このままでは殺されてしまうのはユキの方なのに、と。
しかし、直後にレフィーヤは気付いてしまった。
ユキから漂う、酷く不快なその気配に。
「あンたは悪人カ?」
「なんだと……?」
「あンたは悪人カ?って聞イてる」
「はっ、私が悪しき人間だと?確かに貴様等からすれば私は悪人だろう、だがこれも彼女のため!崇高なる彼女のためならば私はどんなことにでも……!」
『悪イ奴ナラ、殺サネェトナァ?』
「……は?」
「「「!?」」」
その瞬間、ズチャリ、と何の前触れもなくオリヴァスの首が落とされた。