「ふぅ、なんとか2人を送り届けることができましたね」
「ああ、何事も無かったようでなによりだ。遠征のスケジュールも明日までに私達が18階層に辿り着けば問題無い。そう急がなくとも大丈夫だろう」
「ふふ、そうですね。あまり無理しても危険ですし、一度地上で休憩してからでも………あ」
「くく、なんだ、腹が空いたのか?だがまあ、そろそろ時間でもあるしな。何処か適当なところに入ろうか」
「うう、恥ずかしいです……」
ベルとリリを彼等のファミリアへと送り届けた帰り道、ユキとリヴェリアは人の少なくなり始めた夜道を歩いていた。
チラホラと暖簾を下ろし始める店も出て来る頃合いだが、勿論夜遅くまで開いている店も多い。
ユキの腹が空腹を訴え始めたこともあり、2人は手頃な店へと入っていく。人の少ない静かな店内で適当なものを注文し、ようやく彼等は一息を吐いた。
「やれやれ、いつものことだが此度の遠征も予定通りにはいかなさそうだな。それもヘスティア・ファミリアの少年を助ける為だと聞いたら、またロキが騒ぎ出すのが目に見える」
「そうですねぇ……ただまあ、私はロキファミリアしか知りませんから。少年君の所属しているような小さなファミリアの雰囲気も知れて、私としては良い経験でした」
「ふむ、それもそうか。あのファミリアは確かに主神も眷属も誠実で、互いに良い関係を築けているようだったからな。零細ファミリア特有とも言えるかもしれないが、ああいった雰囲気は私も好ましく思うよ」
「ロキ・ファミリアにもああいった時期があったんですか?」
「ふふ、どうだろうか。少なくとも我々が入った当時はもう少し殺伐としていたかもしれない。特に私とフィンとガレスが、だが」
「そんな御三方の姿も見てみたかった気もしますね」
「それだけは勘弁だな、あの頃の私の姿など恥ずかしくてユキに見せられるものか。お前は今の私だけを見ていればいい」
「ふふ、なんですかそれは……言われずとも見ていますよ。私にはもう、リヴェリアさんしか見えないくらいです」
「っ……お前は偶に、卑怯な事を言うな」
「私をこんな風にしたのはリヴェリアさんなんですから、責任を取って受け入れて貰わないと困ります」
「その言葉はむしろ女側が言う事の方が多いだろうに……男のお前が責任を取れというのもどうなのだ」
「男でも女でも構わないって言ったのもリヴェリアさんですし?」
「くっ、後で必ず仕返すからな」
そうして2人は周囲からはイチャつきとも取れるような会話をしながら、出てきた料理に舌鼓を打つ。
流石に酒を飲む事はあり得ないので適当な飲み物を追加で頼み、次第に眠気と共に話は下世話な方向へと流れていくのだった。
「……そういえば、女神ヘスティア様もまた独特なセンスをお持ちの方でしたねぇ」
「ああ……神々には不思議な格好をしている者も多いが、女神ヘスティアはなんというか、凄まじかったな」
「ロキ様も普段からかなりラフな格好をされていますけど、ヘスティア様の体格であの格好をなさるのは……少年君も大変そうですよぅ」
「ああも見せ付けるような格好をされてしまえば、ロキが反発する理由もなんとなくだが分かるな。性格面だけで言えばそう相性は悪くなさそうではあるのだが……」
話題の中心は先程出会った少年ベル・クラネルの主神である女神ヘスティアについて。
極めて露出度の高い服装に加えて、その豊かな胸部を謎の青い紐で強調していたりと、あまりにも扇情的な格好をしている女神であった。
端的に言えば目の毒……思春期の少年が共同生活を送るにはあまりに刺激の強いその姿は、強烈な衝撃と共に頭に残っている。
内面は眷属思いの正に善良な女神と言った感じなのだが……如何せんスカートの丈も短過ぎる。
あの様な格好でも白昼堂々と歩けてしまうのが、彼女が神としての価値観を持っているという証拠でもあるのかもしれない。
「……ユキも、」
「んぅ……?」
「ユキも、あれくらいあった方が、その……好ましいと、思うのか?」
「ふぇ……?」
リヴェリアから突然されたそんな質問に、ユキは戸惑う。
「い、いや!別に深い意味は無い!……ただ、その、男子というものは基本的に女性の、その、乳房、に?興味があるというでは無いか……?」
「えと……ん……そう、かもしれませんね」
「だとすればだな、ユキも、その、大きい方が好きなのかと……す、少し気になっただけだ!本当に、ただそれだけの話なのだ!あまり気にしなくていい!」
「んむぅ、胸の話ですか……」
そう言って自らの胸をペタペタと触り始めるユキ。
いや、お前に胸は無いだろう。
そんなことも言い出せず、取り敢えず何故か眠そうにしながらも顔の赤くなっているユキの返答を待つリヴェリア。
その行動がもう何かおかしい気もするが、とにかく今は大人しく待つ。
「私は……大きいのがほしかったです」
「は……?」
そしてその返答はやはり、何処かズレていた。
「だって、お母さんもアストレア様も大きくて、ズルいじゃないですか。リヴェリアさんだっておっきいですし……」
「い、いや待てユキ。お前は多分今冷静じゃない」
「むぅ、そんなことはありません。だって大きな胸を持っている人に抱き寄せられたら、誰だって安心感に包まれるじゃないですか。そんなの卑怯ですよ、私だってそんな武器が欲しかったです」
「あー、ええと……お前もそうされたいのか?その、胸の大きな女性に抱き締められるとか」
「へ?いえ、そういった欲はないれす。……あぁ、でも」
「ん?」
「リヴェリアさんに後ろからぎゅ〜ってされるのは好きれす、えへへ」
「………ふぅぅぅぅぅぅ」
深呼吸、深呼吸、リヴェリアは繰り返す。
今更この様なことに動揺する彼女ではない。
理知的なエルフの中でも自分は王族だ。
今更そのことに強い拘りも無いが、種の名誉の為にもそう何度も同じ失敗を繰り返してはいられない。
なに、このようなこと、そう大したものではない。
確かに、確かにだ、この目の前に居る未だに男か女かよく分からない謎の生命体はクソ可愛い。容姿は勿論、言動もそうだし、あの夜から度々こうして自分への好意を零してくれるようになったが為に、思わず心臓が止まりそうになったことだって多々ある。
だが待って欲しい。
いくら可愛くとも、それがこの腹の底から湧き出て来るドス黒い感情に繋がるのはおかしいのではないだろうか。
そこからそこに回路が繋がるのは絶対におかしい。
もう2度だ、2度も間違いを犯してしまっている。これ以上は許されない。
「……なんらか暑くなってきまひた」
「そ、そうか?今日はそんなに暑い日では……っ!?」
パチリパチリと前のボタンを開けていくユキ。
普段は防御性もある白いコートを着ているユキだが、その下はやはり暑いのか薄着であることが多い。
そして、ボタンを外していくことでその厚着から垣間見えてくる白い素肌。
少し火照っているのか赤みがかっており、汗もかき始めている様に見えてしまう。
思わず周囲を見渡すが、どうやらその角度からこの光景を拝めることが出来るのは自分だけの様だった。
すると途端にリヴェリアは注意する気力が霧散しそうになってしまうのだから、なんとも現金なものである。
「ユ、ユキ……!こんな所で脱ぐんじゃない!一体どうした?何か様子が変だぞ?」
「うぅ、わかんないれす……なんらか頭がぼーっとして、胸もドキドキひて……リヴェリアしゃん。わらし、おかひくなっちゃったんれひょうか?」
「な、なにを……ん?」
そこでリヴェリアは気付く。
ユキの方から香ってくる、ほのかな酒の香りに。
しかしそれはおかしい。
遠征に追い付くことを考えて、お酒は頼まなかった筈だ。
リヴェリアは確認のためにユキが飲んでいた果実搾りに、ほんの軽く口を付ける。
「ぁ……わたしのを、リヴェリアしゃんが……」
「……やはり酒が入っている、注文の伝達ミスか。気付かなかった私達も悪いが、困ったものだ」
こうも酔っ払ってしまったユキをそのままダンジョンに連れて行く事は不可能だ。
幸い、18階層のリヴィラの街を出る予定時刻にはまだまだ時間がある。今日は何処かに泊まって、明日ゆっくりと追い付いても十分に間に合うだろう。
それに幸いにもここは宿屋の受け付けもしていた筈、今からホームに戻らなくとも済む。
なにやら顔を更に赤らめ始めたユキの胸元のボタンをリヴェリアは留め直し、肩を貸しながら会計に向かう。
注文ミスで酒が入っていた事と2階の宿屋の方も使いたい旨を伝えると、店主は快く対応してくれた。
本当に汗を流して夜を過ごすだけの宿泊だが、ユキを休ませるには十分な設備の宿だ。
多少値は張るが、ミスもあってとの事なので多少安くしてくれるとも言う。こうなればもうそれに甘えるしかあるまい。
「ほらユキ、取り敢えずは水を飲んで汗を流してこい。それだけでも少しは違う」
「んぅ……わかりまひた。近くにいてくらさいね、リヴェリアしゃん……」
「ああ、大丈夫だ。ここに居るから安心しろ」
「ふぁい……」
そう言ってふわふわとしたまま浴場へと消えていくユキを見送る。
あの状態で水場へ行かせるのは心配な部分もあるが、いくらユキが相手だとしても水浴びに同席するつもりはリヴェリアには無い。というかそもそも、そんな勇気が今のところ無い。
とは言え、中で倒れられても困るので、こうしてドア一枚隔てた場所で待機しているのが関の山だ。
……それでも中から聞こえてくる水音と鼻歌に妙に生々しさを感じてしまい、ついつい顔を赤らめながら溜息を吐いてしまう訳なのだが。
(いや、本当に何を考えているのだ私は。私も酔っているのか?一度だけとは言え口も付けたからな、そうかもしれない。そうに違いない。そういう事にしておこう。やはり酒は駄目だな)
そこまで強いお酒では無かった筈だが、そうとでも思っていなければやっていられない。
……そういえばあれは間接的なキスに当たるのだろうか?などと考えてしまった日にはお終いだ。
途端におかしな意識をし始めてしまう。
(この薄い扉一枚の向こうを覗けば、きっとユキが本当に男なのかということも分かるのだろう。気にはなる、気にはなるのだが……それを確かめる勇気が今の私には無い!ここまでのことをしておいて、仮にユキが本当は女だったとすれば、私は一体どうすればいいというのだ!いや、むしろ本当に男だった時も私は一体どうすればいいんだ!?どちらにしろどうすればいいんだ!?
……というかむしろ、ここまでのことをしているのに未だに性別を確信出来ていない状況がおかしいだろう!そんなこと普通は有り得るか!)
正直、その点についてはもう誰も否定できない。
(い、いやでも待て。一般的な恋人関係は築き上げる前に相手の性別を確認するか?確認しないだろう。それはそうだ、普通ならそんな必要はないのだからな。あぁ、私の恋人は常識の通じる相手では無かった!
うぅ、別に私としてはユキの性別がどちらであろうとも責任を取るつもりに変わりは無いのだが、やはり性別によって対応も変わってくるというかだな。……そもそも、こうして性別を気にすること自体が古い考えなのか?性別がどうであっても対応は変わらないし、変えない?そんな事が本当に出来るのか?いやでも、性別がどちらでも構わないと言ったのは私の方で……ああ駄目だ、全く分からない)
そんな風にゴチャゴチャとリヴェリアが頭を回していると、丁度ドアの向こう側でユキが寝巻きに着替えている音が聞こえてきた。
どうやら無事に汗を流せたようだ。
ユキの性別を確かめる機会が消えたことで謎の安心感が到来する。
そんなリヴェリアの内心になど気付く筈もなく、浴場の中から肌を火照らした妙に色っぽいユキが出てきてリヴェリアに笑いかけた。
「えへへ、終わりまひたよ〜♪」
「あ、ああ。それなら今日はもう寝ると良い、私もこれから汗を流すからな」
「んぅ、わかりました。向こうで待ってまふから……」
「いや、だから寝ていてもいいと……行ってしまったか。酔った姿も可愛らしいな、あいつは」
多少はマシになったとは言え、まだ少しふわふわとしているユキを見送ってから、リヴェリアはユキが出てきたばかりの浴場へと入った。
うっかり洗って干されているユキの下着等に目をやってしまい慌てて顔を背ける等の事故は起きてしまったが、やはりというか何というか、下の下着まで確認する勇気は結局リヴェリアには湧かなかった。