「……やはり、切れ味が全く落ちとらんのぅ」
「えっと、そんなことあり得るんですか?」
「あり得る訳が無かろうが、たわけ」
「あ、あはは……」
あの後、58階層における全てのモンスターを大虐殺してみれば、流石にもう芋虫型も飛竜も暫くは湧き出てくる事が無くなった。恐らく長いインターバルに入ったのだろう。
ヴォルフガングドラゴンによって開けられた天井の穴も塞がり、今ではこの階層は元の姿に戻り、全くの静寂に包まれている。
そんな中で行われた一時の休憩、準備時間。
武器の手入れや消耗品の確認、食事、回復、そしてこれこらの作戦の再確認。するべきことは沢山ある。
フィンを含めた幹部達はなにやら『59階層の様子が聞いていた話とは違う』というような話をしているが、その辺りの話に詳しくないユキは取り敢えずと椿との武器についての話に花を咲かせていた。
勿論、こちらの話についても詳しい訳では無いのだが。
「これもその付与魔法が原因かのう。いくら不壊武器とは言えど、普通ならば切れ味が落ちる程度の劣化はするものなのだが」
「私の魔法は剣に依存しているところもありますし、それだけ良い剣を使わせて貰えているということじゃないでしょうか?劣化するにしても遅かったり、切れ味以外の部分から落ちていたり……椿さんの武器なのでこれっぽっちも心配はしていませんけどね」
「それはまあ嬉しい話だが……冒険者が全員お主と同じ魔法を使い始めでもしたら、手前等の商売は上がったりだな」
「ふふ、むしろ剣の需要が増えると思いますよ。安物も高価なものも、私には必要不可欠ですから」
「なるほど、それもそうか」
ユキが椿とそんな雑談の様な話をしていると、ようやくフィンの方から声がかかる。
どうやら全員の準備が完了したらしい。
2人もその場を立ち上がり、隊列の居場所へと足を向けた。
59階層へと続く階段は、寒いどころかむしろ蒸し暑い様な熱気に包まれていた。かつてゼウス・ファミリアが極寒の世界と評したその空間からは、何度確かめても凄まじい熱気と湿気が押し寄せて来ている。
先程まで戦っていたドラゴン達の灼熱とはまた違った、嫌な熱さとでも言うべきだろうか。入口に立つだけでも汗をかきそうになる。
「リヴェリアさん、ダンジョン内の環境が急激に変化するということはあり得るのですか?」
「いや、少なくともそういった現象は私は知らない。だが、ゼウス・ファミリアが嘘の記録を残したという線は無いだろう。ことのつまり……」
ロキ・ファミリアはそのまだ見ぬ世界へと足を踏み入れる。
今は亡きゼウスの眷属達しか目撃していない新世界、どころか彼等が見た物とは全く異なる物へ変わってしまったであろう完全なる未知の世界。
慎重に、警戒を怠らず、一歩一歩と歩んでいく。
「これは、密林?」
「アイズさん!あれって!」
「っ、あれは24階層の時の……!」
「……やはり、この変化に何らかの干渉をしている者が居るな」
極寒の世界では無い、灼熱の世界でも無い。そこは全てを数多の樹木や蔦によって完全なる緑一色に染められた樹海とでも呼べる様な世界だった。
背の高い樹木、極彩色の花々、遥か彼方の四方には緑の壁が聳え立ち、天からは緑の蕾が垂れ下がる。
そんなあまりに異常で、異様な空間。
加えてその森林の奥からは、グシャリグシャリと何か耳汚い悍しい音が聞こえてくる。聞き覚えはなくとも一瞬顔を顰める様なその音に、一向は互いに目を合わせる。
「……前進」
フィンの言葉に全員が樹海の中へと突入する。
湿気と熱が身を削るこの樹海の中、音がする方向に進む度に周囲をなぜか灰のような白い粉が包み込み始め、緑色の世界に少しずつ白色が混じりだす。どこかで見たことのあるその灰は、暫く歩けば草の生い茂っていた地面にすらも積もり、次第に周辺は白い砂漠の様な景色へと変わって行った。
そうして一行が見つけたのは、そんな真っ白な世界の中でも奇妙な形で寄り添い合う緑のモンスター達の集団。その中央に聳え立つ、いつの日にか見た女体型のモンスター。
これだけ離れていてもあれらが何をしているのか分かるというのは、本当に幸福なことであったのだろうか。
少なくともこの地に積もるこれだけの量の白い灰が全て、女体型に自らの魔石を捧げた芋虫型のモンスターの死骸であるなど、誰もが信じたくない事実であったに違いない。
「不味いっ、強化種か……!?」
フィンのその言葉と同時に、"死体の王花"に宝玉が寄生したであろう女体型が叫び出す。
苦しんでいるのか、それとも喜んでいるのか。
感情の分からないその悲鳴の様な叫び声は、けれど彼等が思っていたよりも直ぐに落ち着くこととなった。
ただそれの代わりに訪れた静寂と共に、女体型の姿が歪に変わっていく姿だけはとても印象的で……
「ッ!ソウいう、コト、ですカっ…!」
「なっ、ユキ!?どうした、何があった!?」
「大丈夫、デス。コレくらいなラ、抑エ、込め……ます!」
瞬間、まるでその女体型の変化に呼応する様にしてユキの背部からまるでステータス確認の時にリヴェリアが感じた様なあの吐き気を催す感覚が漏れ出してくる。
一瞬それに警戒をしたアイズとレフィーヤ、そしてリヴェリアだったが、ユキは自分の言葉通りになんとか顔を歪めながらもそれを抑え込めたらしい。
……正直に言えば、それが何であるのか、どうして今出て来たのか、聞きたいことは沢山ある。
けれど、今はそれを状況が許してくれない。
目の前で変化する女体型は徐々にその威圧感を増し始め、姿をより人型へと作り替えていく。進化していく。
まるで蕾が花開くような動きをして、それは現れた。
緑色の髪に緑色の上半身。
極彩色の衣を羽織り金色の眼を持つ、女神にも劣らない美貌の持ち主。
けれど下半身はやはり異形の存在で、怪物の下半身と天女のような上半身を併せ持つ歪な生命体。
「なっ、なんだっていうのよ、アレ……」
「……嘘」
ただ呆然と、ティオネは呟く。
そうしてアイズは何かを感じたのか愕然と立ち尽くす。
誰も彼もが分からない。
アレが一体何で、どうやって対応すればいいのかなんて。
だからこそ、不思議になった。
その存在を視認した瞬間に、真っ先に剣を取り出して戦闘態勢に移行したユキの思考が。
「……精霊、ですよね。アイズさん」
「っ!知ってるの!?」
「せ、精霊!?あんな薄気味悪いのが!?」
かつて人の子を助ける為に神が遣わした己の分身たる存在、それが精霊。御伽噺の中に出てくる人類に力を貸す神の僕。
目の前に居る存在こそがそれなのだと、直ぐに分かったのはユキとアイズだけだ。
そしてユキだけは、それが一目で敵であるということを見抜いていた。
「ユキ、なぜお前はそれを知っている」
「……以前に似たような存在を見た事があるというだけの話です。その時の相手はもう少し酷い姿で、知性なんて欠片も残ってはいませんでしたが。果たしてこの個体はどうでしょう」
ユキの言葉に反応する様に、精霊は一行の方へとゆっくりと振り向く。
それから何かに気付いた様に、何かに興味を抱いた様に……そして、何かを羨ましく見るようにして、精霊はこちらへ身を乗り出し、確かに理解の出来る意味のある言葉を、紛れもなくその声帯から放ち始めた。
『アリア!アリア!……エレナ?』
「エレナ?」
『アハッ、アハハハハハハッ!会イタカッタ!会イタカッタ!2人トモ!ココニ居タ!』
「まさか、ユキとアイズのこと……?」
『ネェ!ネェ!貴女達モ一緒ニナリマショウ♪』
「………」
『貴女達ヲ、食ベサセテ?』
「総員、戦闘準備!話は後だ!」
凄まじい数の芋虫型と、精霊の下半身に繋がる強固な触手が波のように押し寄せてくる。
聞きたいことはある、知りたいことある。
けれど、いまはそんなことは言っていられない。
団員達は各々に自分の役割を自覚して動き出す。
「ユキ」
「……後で必ず話します。だってほら、そろそろ私の隠してることも話していかないと、リヴェリアさんに嫌われちゃうかもしれませんし?」
「……馬鹿を言うな、私がお前を嫌うことなどあり得ない」
「ふふ、ごめんなさい。実はリヴェリアさんならそう言ってくれるんじゃないかって期待してました」
「全く、悪い子になったなお前も」
今更ユキが隠している事が一つや二つ増えたところで、リヴェリアは動じたりなどしない。
ユキもまた、リヴェリアのことを信用している。
だからこそ、この場で2人の息が合わないなどと言うことはあり得ない。
2人の仲を引き裂くには、それだけでは足りていない。
『アハ!アハハッ!エレナ、私ヨリモ汚レテル!凄イ!凄イ!ドウシタラソンナニ汚レラレルノ!?エレナヲ食ベレバ私モソウナレルノカナ!?』
「余計なお世話ですよ、見知らぬ精霊さん。クレアは貴女には絶対に渡しません」
精霊の繰り出す強烈な触手による攻撃を、ユキはフィンと共に受け流す。
それだけでもレベル5の冒険者であるティオナ達が受け切れないほどの一撃だ、どれだけ魔石を食って自己強化を行ってきたかなど考えたくもない。
……そして当然、攻撃がそれだけの筈が無いということなど、ここに居る誰もが想像付いている話であって。
「ユキ、君はあの精霊について知っているようだけれど、どんな攻撃をしてくるか想像は付くかい?さっきから親指の疼きが止まらないんだ」
「ごめんなさい、フィンさん。私が戦った時の精霊は理性が飛んでいましたので、正直アレが何をしてくるのかは分かりません。……ただ」
「ただ?」
「……精霊が使う魔法は、そのどれもが桁外れであるということだけは知っています」
『火ヨ、来タレーーー』
「「「!?」」」
「馬鹿な!?モンスターが詠唱じゃと!?」
「リヴェリア、結界を張れ!他は砲撃で敵の詠唱を止めろ!」
「分かった!」
「は、はいっ!!」
間違いなくこれこそが親指の疼きの正体だと確信したフィンの行動は早かった。
精霊の魔法……それも詠唱魔法など、ユキに言われなくともどれほど恐ろしいものであるか想像するのも容易い。
たとえここで魔剣の全てを使ったとしても必ずここで食い止めなければならない。あれに一度でも魔法を撃たせてはならない。そう思ったからこそ全力掃射を指示した。
だが、それにも関わらず砲撃指示よりも先にリヴェリアに結界を張るように指示をしたのは何故か。
それはただのミスでも何でもない。
彼はなんとなく直感していたからだ。
魔法を使用する相手が、何の対策も行わず無防備に詠唱を行うことなど無いということを。
『ーー猛ヨ猛ヨ猛ヨ、炎ノ渦ヨーーー』
「あ、あれが効かないというのか……」
「総員!リヴェリアの結界まで下がれ!」
「っ、ここからじゃ詠唱を止められない……!」
女体型とリヴェリアの同時詠唱。
しかし互いの呪文が紡がれる中、魔導師であるリヴェリアとレフィーヤは敵のその圧倒的な魔法技術に瞳を震わせていた。
オラリオ最強であり最高の魔導師と呼ばれるリヴェリアをも上回る詠唱速度で唱えられる、身も竦む様な膨大な量の超長文詠唱。
魔導師として今自らの身に装填しようとしている魔法という名の弾丸の大きさの違いが、2人は嫌でも理解できてしまう。
『ーー我が名はアールヴ!』
(不味い……!これでは防げない!)
『ヴィア・シルヘイム!』
そんなもの、もう直感でも何でもない。
どう足掻いても規模が違っている。
もし仮にこれが意味を成したとしても、込められた魔力にこれほどに違いがあるというならば、いくらリヴェリアの最大防護魔法と言えど、壁どころか被害の軽減程度にしかなりはしない。
『ファイアー・ストーム』
詠唱と共に精霊の両手に灯った小さな炎が、たった一息の呼吸に吹かれただけで勢いを増す。ほんの小さな種火だったそれは急激にその勢いを増し、その緑の世界の全てを紅蓮の炎で包み込んだ。
見渡す限りの、赤、赤、赤、赤。
どこに眼を向けても、どこに視線を逃しても、彼等の目には殺意に満ちた炎の姿しか見つけられない。
ビキッ
……そしてついに、これまで一度足りとも破られることの無かったオラリオ最強の魔導師のその結界に、大きな亀裂が生じた。
割れる、ひび割れる、穴が空く、砕け散る。
一瞬漏れた小さな火炎の柱が、リヴェリアの脇腹を掠める。
「ッ、ガレス!アイズ達を守れぇえ!!」
「リヴェリ……!」
紅蓮の炎嵐が結界を突き破って押し寄せる。
寸前、咄嗟にガレスに指示を出すことに成功したものの、誰よりも最前線で結界を維持している必要のあったリヴェリアは真っ先に炎獄の嵐に包まれた。
「ぐぅぉおおおおお!!!!」
「ジジイ!!」
そうして次にその炎獄を喰らったのは、リヴェリアの言葉に即座に反応し二枚の大楯を手に立ち塞がったガレス。リヴェリアの結界すら破った威力を持つそれを、ガレスはその身一つで受け止める。
……だが当然、この広大な空間を焼き払う様な規模の魔法を全て受け止められる筈などない。
大楯は融け、塞ぐものは何も無くなり、それでもガレスは両手を広げて背後への被害を減らそうと抵抗する。
防具も何もかもが溶解し、レベル6のその肉体すらも焦がし、圧倒的な熱量を持って結界に守られていた者達にまで炎の波は襲い掛かる。
「皆さん!武器を盾に!!」
果たして、その瞬間にユキのその言葉通りの対応を出来た者がどれだけいたことだろう。
結果としてこの空間に残ったのは、緑の一つもない赤く焦げた大地と、ただ大地に倒れ伏す事しか出来ない冒険者達の姿だけであった。
『地ヨ、唸レーーー』
「「「「!!?」」」」
だがそんな満身創痍な彼等を、精霊は絶えず追い立てる。
先ほどよりも更に速い速度で行う超長文詠唱。
傷付いた彼等に一切の容赦もなく、魔法と物理の壁を失ったとしても関係なく、最高威力の魔法を叩き込む為に精霊は歌う。
「ラウル達を守れぇぇええ!!」
それはフィンの決死の判断だった。
次の攻撃をまともに受けてしまえば、レベル4以下の者達はほぼ確実に死んでしまう。
誰かを死なせて勝つよりも、全員で生き残って負ける選択肢を彼は何の迷いも無く選んだのだ。
『メテオ・スウォーム』