白海染まれ   作:ねをんゆう

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43.家族

18階層の景色というのは、もしかすればそこらの地上の景色よりも美しいかもしれない。

ロキ・ファミリアが18階層を出発する前日。

他の者達が水浴びを楽しんでいる間、ユキはそんなことを思いながら付近を散策していた。

 

ふと横を見れば青々と茂った草木が並び、少し川岸に寄ってみれば川底までも見える様な透明度の高い水が流れている。

人の手が入っていないなどということは無いだろうが、それでも18階層まで来てわざわざ自然を楽しむ者がそう居ないからか、自然そのままの美しさというものがここにはある気がした。

 

「ふぅ、空気が美味しいなぁ」

 

ユキが散策をしている理由は、特に無い。

それは本当にただの時間潰しだ。

皆と水浴びも出来ず、リヴェリアもフィン達となにやら内密な話をしているとなれば、こうなってしまっても仕方がない。

出来ればリヴィラの街にあまり近付きたくないユキは、こうして森の中に居た方が何倍も心が安らぐ。

単独行動をしていたと聞けばリヴェリアがまた嫌そうな顔をするだろうが、そう遠くまで行くつもりも無いので構わないだろう。

予備とは言え、武器もこうして持っている訳で。

 

「むぅ、やっぱりこっちですかね」

 

迷うことなくある一点を目指して歩いていくユキ。

その先に何があるのかは分からない。

ただ、何かに引き寄せられているように足は進む。

まるで誰かに呼ばれているように。

理由も無く、感覚だけを頼りに進んでいく。

 

悪い気はしなかった。

 

それはむしろ、どこか笑って迎えられているような感覚。

嫌な予感どころか嫌な感覚すらも、これっぽっちも感じる事はない。

どころかそこが、懐かしさを感じる自分の居場所のような気さえする。

 

 

 

「……ああ、そういうことだったんですね」

 

 

 

小道を抜けた先にあるその広間へ出た瞬間、ユキは足を止め、そう呟いた。

それを見た途端に、全てを察した。

なぜ自分がここへと来たのか。

一体誰が自分をここへと呼んでいたのか。

そしてどうして、こんなにも自分の心は安らいでいたのかを。

 

「ごめんなさい、ご挨拶に来るのが遅れてしまいました」

 

返答はない。

それでも、ユキはゆっくりとそれに近づいていく。

戸惑うことなく、けれど一歩一歩を噛みしめながら。

 

「以前に来た時から、なんとなく呼ばれている感覚はあったんです。でも色々とあって、結局今日この日まで来ることができませんでした」

 

決してそれは偶然ではない。

初めてアイズと共にこの階層に足を踏み入れた時から、微かにではあるがその感覚は感じ取っていた。

ただあの時もこれまでも、それを確認している余裕が無かっただけで。

こんなものがあると知っていたのならば、こんな場所にあると知っていたのならば、他のどんな用事ごとも後回しにして真っ先にここへ来ていたというのに。

……いや、彼等が今日まで自分達の存在をそれほど主張しなかったのも、もしかしたら自分の為かもしれないが。

そう考えると頭が上がらない。

 

「先輩方、ですよね。きっと」

 

低く積もれた土の山に刺さる、いくつもの武器と一本の旗。

大剣、短剣、杖、斧、弓、レイピア。

そのどれもに長く使い込まれた痕がある。

そして既にボロボロになっているその旗に刻まれた紋章を、他ならぬユキが知らない筈もない。自分の人生の大半を占める人物を指し示したその印を、ユキが忘れる筈もない。

なぜならそれは、ついこの間まで自分の背にも刻まれていたものだったのだから。

 

「……これなら、花の一つでも持って来れば良かったでしょうか。まさか手ぶらで挨拶することになるなんて、夢にも思いませんでしたよ」

 

ユキはその場でしゃがみ込み、瞳を閉じる。

瞬間、光を拒絶した視界の中で、一つの真っ赤な炎が灯った様な気がした。

何処か親しみやすい温かくも、今でも周囲を焼き付くさんとばかりの熱量を誇るそれに、ユキは身構えることなく目蓋の内で静かに見返す。真っ直ぐで、情熱的で、自らも眩いばかりに光り輝いていて……それは正しく、赤い正義とでも言うべきか。

 

『別にいいのよ!正義の為なら仕方ないわ!』

 

「っ」

 

頭の中にたった一言だけ、そんな声が聞こえてきた気がした。

熱を帯び、溌剌とした女性の声。

聞こえてきたのはその一言だけで。

それ以上に何かを知る事はできなかった。

ただそれでも、そのたった一言だけでも、ユキは多くのことを理解できたと思う。

例えば、やはり女神アストレアの眷属には、今も昔も確かに正義の心が宿っていたという事など。

 

 

気付けば、閉じた瞳の中で煌めいていた赤い炎が消えていた。

静かに目を開ければ風に揺られてその印を広げて見せる大旗と、降り注ぐ光を反射して輝く古びた武器達がそこにあるだけ。

もう、あの呼ばれているような感覚は感じない。

まるで一目ユキの顔を見れただけでも満足したかの様に、ユキはまだこれっぽっちも満足出来ていないというのに。

しかし今でもここに眠る者達から温かな目で見られている感覚だけは感じられる。

 

「……複雑なものですね。皆さんがここに眠り、アストレア様がオラリオから出て来なければ、私はあの時に母と一緒に力尽きていた。どんな例え話を持ち出しても、私と皆さんが生きたまま出会う事は出来なかった。人と人との出会いというのは、本当にままならないものです」

 

ユキが今日ここに至るまで、そこには様々な障害があった。

きっと今こうしてこの場所に居合わせる事が出来た瞬間は、ユキが奇跡的にもその障害の全てを乗り越える事が出来たからこそだ。

そしてその奇跡の内には、『アストレア・ファミリアが壊滅している』という条件もあったのは間違いない。

彼等が壊滅する事こそが、ユキが生き残る条件の一つだったのだ。

……だから、どれだけのもしもを考えたとしても、彼等とユキが出会う未来は有り得ない。

 

出会う事が出来るとすれば、それは。

 

「アイゼンハートさん……?」

 

「リュー、さん?どうしてここに」

 

彼等の内の唯一の生き残りである、リュー・リオンしか居なかった。

 

「どうして、アイゼンハートさんがここに?」

 

「いえ、それはリューさんこそ……少年君も」

 

「い、いえ!僕はその、ついでと言いますか!」

 

「私は……」

 

まさかリューも、この場に自分たち以外の者が来ているとは夢にも思わなかったのだろう。それも顔見知りであるユキが、この土山を墓の代わりであると理解して祈りを捧げているなどとは。

しかし一方でユキは、リューの手にある白い花を見て、直ぐに彼女がここに来た理由を察する事が出来た。この場所が恐らく5年以上経った今も荒れ果てていないのは、リューの様に稀に祈りにくる人が居るからなのだろうと。

そして何より、それをしてくれているのが顔見知りのリューであるということに嬉しく思ってしまった。

 

「リューさんも、お墓参りですか?」

 

「ええ……貴方もですか?アイゼンハートさん。貴方はつい先日この街に来たばかりで、彼女達とは面識は無かった筈ですが」

 

「そうですね、確かに今日この日まで面識はありませんでした」

 

「……ならなぜここに?この場所を知る者はそうは居ない筈だ、誰に聞いたのですか?」

 

そう言うリューからは少しの警戒心を感じる。

それはきっと、本当にこの場所を知る人物は殆ど居らず、ユキが怪しい人物に唆されていないか。それとも不明な点の多いユキという人物が何かを企んでいないか、そういった考え故の行動なのだろう。

ユキの企みが良いものであろうとも、この場所を、この場所に眠る者達を巻き込む事は許さない。

そういった責任感からも来る勘違いだ。

 

ただ、それでもユキは動じない。

なぜならリューのそんな勘違いに、背後の土山からなんとなく面白がっている様な、呆れている様な雰囲気を感じるからだ。きっと彼等がこの場に顔を出せるのなら、そんなリューの事を弄りながらも仲裁してくれるのだろう。

彼等がリューと親しくしていたのが、その雰囲気からなんとなく伝わって来る。

 

……そしてもしかして、目の前にいるリュー・リオンこそがユキが探し求め続けていた人物なのでは無いのかと。

そんな想像をすることも、容易かった。

 

「私はですね、この場所に呼ばれて来たんですよ。リューさん」

 

「場所に、呼ばれる……?」

 

「いえ、正しくはここに眠る方々にですね。ずっとそんな予感はしてたんですけど時間が無くて、今日この日にやっと来ることが出来たんです。……ようやく会えました」

 

「……一体誰に?」

 

きっとリューは今、"疾風"と呼ばれる自分に会いに来たのだとでも思っているのだろう。

リューはこれまでそういった刺客に何度も襲われて来た。

そのうち2名は今の同僚だということは置いておいても、かつて闇派閥を壊滅させたリューに恨みを持つ輩は多い。

もしかすればユキもまた、そういった目的があってここに来たのでは無いかと。そんな理論も何もすっ飛ばした反射的な警戒心を抱いているに違いない。

ユキが妙に落ち着いているのもその勘違いを加速させている要因だ。

 

ただ……

 

「遅れた事を謝ったら、言われてしまいました。『別にいいのよ!正義の為なら仕方ないわ!』って」

 

そんな自分がよく知っている人の声を真似て、くしゃりと笑うユキの姿を見てしまえば……胸一杯に膨らんだ警戒心など、一瞬でどこかへ吹っ飛んでしまう。

 

「なぜ……あなたが、アリーゼの……」

 

「アリーゼさんって言うんですね……真っ直ぐで、情熱的で、まるで真っ赤な炎の様な人でした。あの炎は色んな人を惹きつける強さがあって、私も一度会ってみたかったですね」

 

「なぜ、なぜ貴方がアリーゼを知っている!私を揶揄っているのですか!?アリーゼはもう……!」

 

「アリーゼさんの思いは、まだここに在りますよ。アリーゼさんだけじゃなく、他の皆さんも。今も後ろで私達のことを見守っていてくれてます」

 

"霊体"などというものは、神が降りて来た今ではさして珍しい話ではない。それでも人の子達にそれを感知できる術はなく、地上に降りて来た神々でさえもそれを見る事は出来ないというのが通説だ。

……だがそれでも、遥か昔からそういったものを知覚する事が出来る存在が歴史の節々に現れているのも確かな話だった。故にリューは考える、もしユキがそういったものが見える人種だとすれば?

 

「貴方は!アリーゼ達が見えるのですか!?」

 

「いいえ、そこまでは。私はせいぜい残った思念の欠片が見える程度です、声が聞こえたのはアリーゼさんの熱意が凄かったからでしょうね。あれだけ嬉しがってくれるのなら、私も来た甲斐があるというものです」

 

「……信じられない」

 

そうだ、そんな話は信じられない。

だが考えてみれば、ユキとリューが出会ったのは本当に偶然だ。

元々ユキは豊穣の女主人でも主人のミアやよく注文を頼んでいたアーニャと仲が良かった。そんなユキとリューを引き合わせたのは他でも無いミアであり、出会った時から朝の訓練をしている間にも何度も2人きりになる時間はあったにも関わらず不審な点は無かった。

つまり、ユキの狙いがリューである事などあり得ない。

 

そもそも、あのミアどころかロキ、リヴェリア、加えて同僚のシルでさえも信用しているこの人物に、今更一体何を疑う要素があるというのだ。むしろリューは知っている筈だ。

このユキという人物のある意味で弱味とも取れる様な話を。

 

ならば、本当に……

 

「本当に貴方は。アリーゼ達に呼ばれたのですか?けれど、なぜ貴方が?」

 

それだけが疑問だった。

百歩譲ってアリーゼ達に呼ばれたのが真実だとしても、ユキが呼ばれたという理由が分からない。アリーゼ達がユキを通して何か伝えたいことがあったと仮定すればあり得るかもしれないが、そうして伝えたアリーゼの言葉があれだ。

それを理由にするにはあまりにも酷過ぎる。

いや、アリーゼならばそんなポンコツをやらかしそうではあるのだが、今回ばかりはそれは無いと信じるとして。

 

「……リューさん。リューさんはどうしてあの時、ミアさんがわざわざ引き合わせる様に私とレフィーヤさんの席にリューさんを押し込んだと思いますか?」

 

「それは……」

 

「少し前の話になりますが、最初に私が豊穣の女主人を訪ねた日。ミアさんに部屋の一室を借りて、ロキ様とリヴェリアさんとお話ししていた事を覚えていますか?」

 

「……ロキ・ファミリアが遠征の打ち上げに来た日の事ですね。なんとなくですが、覚えています。あの日はミア母さんの様子がどうにもおかしかったですから」

 

「それでは……ねぇ、リューさん。リューさんは私と鍛錬をしていた時に、私の事を自分の主神と似ていると言ってくれましたよね。私はもう大体予想が付いていますが、私は一体その誰に似ていますか?」

 

"自分で言うのもなんだか恐れ多いんですけど、思い返すとよく言われていました"

 

そんな言葉を付け加えて、ユキはリューの顔をジッと見つめた。

出来る限り頭の中にその人を思い浮かべて。

極力自分が理想を見た憧れのその人の癖を真似て。

あの神が自分を見ていたときの様な感情と表情をその顔に宿して、その心の内までもあの白さに染め上げて、ユキはリューに笑いかける。

 

「まさか、貴方は……アストレア様の……!」

 

「ふふ、やっぱりそうだったんですね。アストレア様から言われていたんです。この街には1人だけ以前のファミリアの団員が居て、是非その子と会って仲良くしてほしいと。……ずっとずっと探してたのに、まさかこんなにも近くに居るとは思いませんでしたよ」

 

それを理解した瞬間に、これまでの全ての点が繋がっていく。

あの日ロキとミアが驚愕していた理由も、ユキを見てなんとなく感じていた親近感も、ユキの剣技にどこか既視感を感じていた訳も、そしてなにより……どうして半年前に一度だけ、自分の背に刻まれた恩恵が消えかける様な事があったのかということにも。

 

「アストレア様は!アストレア様は今どこに!」

 

「今はこの街には居ません。私に先にこの街に行くように指示を出した後、数名の護衛を雇ってまた何処かへ行かれてしまいました。……でも、直ぐに追い掛けて来てくれると、そう仰っていましたよ」

 

「アストレア様が、戻って来る……?」

 

「ええ、ですから言われています。自分が家に戻る前に、もう1人の家族と仲良くしておいて欲しいと。……詳しい事情を私は知りませんが、アストレア様はこの5年間、ずっとリューさんのことを気に掛けていました。これは確かな事です」

 

「私、は……」

 

言葉の後ろが消えていく。

その言葉に対して、自分が返せる言葉が何も無かったからだ。

アストレアが自分の心配をしていることなど知っている。どれだけ自分が道を踏み外しても、決して見捨ててくれない事も知っている。

それを知っていながらもアストレアを町の外に追い出したのは、他でも無い自分なのだから。

 

シルと出会い、あの店で働くようになり、あの時に抱いていた黒い感情も今ではずっとマシになっただろう。

意を決して手紙を書いたことだってある。

自分の中でアストレアへの気持ちはそれなりに整理をしてきていたつもりだった。

 

……だが、いざそのアストレアが帰ってくると知った時、まさかこうも動揺することになるなど思ってもいなかったのだ。

それもまさか、新しく出来たその眷属が先にこの街に来ていたなどと。

 

「っ!?え、いや……どんな胆力してるんですかアリーゼさん……」

 

「え?」

 

しかしリューがそんな風に悩んでいると、突然身体を大きく跳ねさせたユキがそんな不審な事を呟き始めた。

ユキ自身も驚いているようで、そしてその後の言葉を聞けばなんとなく原因も分かるだろう。

その原因はきっと、アリーゼだ。

 

「あの、もしかして今のは……」

 

「えっと……憎悪や怨念に染まった思念から『痛い』『苦しい』『憎い』みたいな声を聞く事はよくあったんですけど、ただの熱意と気合で言葉を伝えられるのは初めての経験ですよ。"伝える"というよりは、もしかしたらただ応援してただけなのかもしれませんが……」

 

そう頬を掻きながら笑うユキに、リューはなんとなくその光景が思い浮かんでしまう。

あの団長ならば、やりかねない。

だからきっと妙に彼女の物真似が上手いユキが、彼女が叫んだと思われるその言葉を真似た時、その姿に今は亡き彼女の姿を重ねてしまったのも仕方の無い事に違いない。

 

「『リオン!余計な事は考えない!嬉しい時は喜べばいいの!』……だそうです」

 

「ぁ……」

 

それは、もう何度も言われた事だ。

今だって思い出せば直ぐにその声すらも再現する事ができる。

考え込めば考え込むほど悪い方向へと考えてしまう自分に、アリーゼが言い聞かせる様に何度も言ってくれた言葉だ。

そしてその言葉は、1人になってしまった後にも何度も自分のことを救ってくれた。

彼女はこの世から去った今でも、自分の事を支えてくれている。

 

それをユキの言葉から、生きた言葉として聞いてしまったからだろうか……気付けば見開いたその目からは一粒の涙が零れ落ちていた。

 

「本当に、見つける事が出来て良かったです。よければまた色々と聞かせてください。アリーゼさん達のお話を」

 

「……ええ、勿論です。私も、貴方に会う事が出来て良かった」

 

ようやく見つける事が出来た同胞、同じ思いを抱くもの。

まあそれでも何というべきか……アリーゼの言葉が聞こえていなければ、あれだけ警戒心を抱いていたリューを説得する事は出来なかったのではないかとユキは思った。

アリーゼの言った『余計な事は考えない!』という意味が、なんとなくユキは分かったような気がしていた。

 

……まあ、一番かわいそうなのはこの空間で1人ポツンと立たされていたベルの方かもしれないが。 

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