白海染まれ   作:ねをんゆう

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44.先輩

リューの説得を行い、再びアリーゼ達に祈りを終えたユキ達は、勝手に話を進めてしまっていた事をベルに詫びながらテントの近くへと戻って来ていた。

それでもユキとリューの話が尽きる筈もなく、2人は近くにあった切り株の上に座りながら話し込む。

流石にそんな2人の話に割って入ることは良くないとベルも察したのか、聞きたい事も色々とあっただろうに彼はその場から挨拶一つを残して去っていった。そんな彼にはまた別の形でお礼をしないといけないと思ったのは、きっとリューもユキも同じ筈だ。

そういうところはこの2人も良く似ていた。

 

「……そういえば、アリーゼ達の声が聞こえるという話を聞きたいのですが。貴方にそういった力がある事は私も初耳でした」

 

「あー……まあ、その、この事については私の中でも一番の秘密と言いますか。元々はこんな感覚は持ってなかったんですよ、これは後から身に付いたものでして」

 

「後天的に?そのような事があり得るのですか?」

 

「いえ、普通ならまずあり得ないと思いますよ?これはただ、私が普通ではあり得ない体験をした、というだけのお話です。それにこんなのはただの副作用に過ぎませんからね」

 

「副作用……貴方にはいったい、何が見えているんですか?どうにも、ただ霊体が見えるといったものとは違うらしい。教えて貰うことはできませんか?」

 

「……いいですよ。そもそも隠していたのも周囲に余計な波風が立たないようにと思ってのことでしたので。直接聞かれれば答えようと、以前から決めていました」

 

聞かれない限りは喋らない。

けれど聞かれたならば素直に答える。

それがユキの基本的なスタイルだ。

だからこそ、レフィーヤは知っているのにリヴェリアは知らない話もあるし、あくまで基本的なスタイルなので感情が昂ってしまった時に思わずリヴェリアに語ってしまった事もある。

ルールではなく、スタイルだ。

そのスタイルに気付くことが出来ない限り、誰もユキのことを本当の意味で知る事はできはしない。

 

「私が見えるのは、一般的には残留思念といった類のものです」

 

「残留思念……確か、命を落とした人間が魂を失ってもなお、その身に宿っていた強い思念だけは残り続ける。そういった話でしたでしょうか」

 

「ええ、正にそれです。ですが、世間一般のイメージとは違って、強い意志があれば生者の物でも残ります。それに思念が残るのは場所ではなく、物や人なんです。例えば先程のアリーゼさん達の思念は、あの武器に強く宿っていました。勿論、リューさんにも武器ほどにでは無いですが、付いていますよ?」

 

「なっ……思念とはそんなに分かれて存在する事が出来るのですか?」

 

「ええ、限度はありますが。あまりに一箇所に強く残り過ぎると、他の場所には散らばらなかったりしますね。逆に強ければ先程のアリーゼさんの様に若干の自我が残る事もあります」

 

そんな話を聞いて思わず後ろを振り返ってしまうのもリューの可愛さの一つだろうか。

アストレア・ファミリアの面々は肝心のリューには殆ど思念を残しては居ないが、それはそれで互いを理解しているというか、信頼しているというか、もしかすればあの場所で待っているという意味なのかもしれない。

本当に、羨ましい関係性だ。

 

「普段はこんなに一つ一つの思念に目を向けたりはしないんです、凄く疲れてしまいますから。その癖、分かる事も多くはありませんし。……ただ、残った思念の性質から、その人物が善人なのか悪人なのか判断とか出来てしまうんですよ。まあ、判断と言うよりは残留思念達による多数決の様なものですが」

 

「……善人か悪人かの多数決、ですか?」

 

「ええ。例えば、

常人(プラス)の思念が好意的(プラス)の感情を抱いていれば『善人』に一票、

常人(プラス)の思念が否定的(マイナス)の感情を抱いていれば『悪人』に一票、

罪人(マイナス)の思念が否定的(マイナス)の感情を抱いていれば『善人』に一票、

罪人(マイナス)の思念が好意的(プラス)の感情を抱いていれば『悪人』に一票。

……ね、簡単でしょう?」

 

相手が悪人なのか善人なのかを判断する。

そして、それを判断するのはユキでは無くその人物に残る思念達。

そんなあまりにも信じ難い話を、しかしリューは眉を顰めて飲み込んでいく。

その物の捉え方、その価値観や考え方が、この目の前というユキの本質に繋がっている様な気がして。

未だ掴みどころのないユキの本心を知る為に、探る様にしてリューは彼の言葉を引き出していく。

 

「それは……些か判断方法が簡潔過ぎるのではありませんか?それだけで判断できるほど人の在り方は単純では無いといいますか」

 

「ええ、そうですね。ですから思念の数が少ないうちは判断する事は出来ません。……でも、たとえ数が少なくとも、それはその人物が偽る事の出来ない確かな人生の過程を示している。その人間が悪人を脱したいのならば、自分を善人だと言ってくれる思念を増やすしかない」

 

「…………」

 

「多くの思念達が悪だと判断する者を生かしておく事は、より多くの悲劇を生む。多くの思念達が悪だと判断する者は、たとえどんな手を使ってでも滅ぼさなければならない。正しく優しく生きようとする者達の為に、これから世を作る子供達の未来を守る為に」

 

「……アイゼンハートさん」

 

突然豹変したかのようにそんな言葉を並べていくユキの姿に、リューの表情は硬くなっていく。

ユキの言っている事は間違っていない。

その考え方は決して間違ったものではない。

……だが、正義にはなによりも柔軟性が必要だということを、リューは良く知っている。

エルフ出身である自分が過去に陥った過ちから、堅牢な正義が如何に脆いものなのかということを、彼女が一番良く知っている。

だからリューはユキのその語りを素直に受け入れる事ができなかった。

否定はしなくても、肯定はできない。

本当にユキが本心からそう言っているのだとすれば、そんな考え方はアストレアだって肯定する筈が……

 

「なんて、私自身はそんなこと全然考えていないんですけどね♪」

 

「は……?」

 

突然そんな風に両手を上げて笑みを浮かべたユキに、リューは身構えていた身体を崩された。

さっきまでの雰囲気はどこにもない。

というか、それは本当に誤魔化しているとかそういうものでもなくて……

 

「いえ、本当に私はそんなこと思ってないんですよ。悪事を働いた人にも理由はあるでしょうし、そうなった原因もある筈です。その根本を叩かなければ世界は良くなりませんし、生まれたその瞬間から悪事以外に魅力を抱かない、どうしようもない人だっていると思います。この世界から悪を完全に絶やす事なんて絶対に出来ませんし、だからこそ人間は面白いんだと思います。……ふふ、まるで神様みたいな考え方ですけど」

 

「貴方は…………ああ、本当に私は直ぐに忘れてしまう。貴方は神ロキやミア母さん、そしてあのリヴェリア様にも認められた人でした」

 

「そうですよ?それに私にとってアストレア様は、もう1人の育ての親と言っても過言では無いんですから♪そんな私が考え方を違えるわけにはいきません」

 

そうして満面の笑みでユキは笑う。

それこそがユキの本心なのだと、今ならばよく分かる。

……だが、さっきのユキの言葉もまた嘘だとは思えない自分も居た。

だからこそ、リューはユキに"聞く"。

今のリューにはもう、ユキに何かを遠慮する気など無い。

 

「それではさっきのあの言葉は、一体誰の言葉だったのですか?今の言葉が貴方の本心であったとしても、さっきの貴方の言葉もまた嘘のものでは無かったように私には思えた」

 

「……やっぱり凄いですね、リューさん。リューさんくらいになると、そんな所まで分かってしまうんですか?」

 

「いえ、こんなのは勘です。ただ私は、貴方のことをもっとよく知るべきだと、そう思っただけだ」

 

「……そうですか」

 

言葉とは裏腹に、そう言われたユキは何処か嬉しそうだった。

自分の内側に踏み込もうとしてくるリューを、決して拒絶するのでは無く、まるで受け入れるようにして表情を柔らかくする。

なんとなくそれを、待ち侘びていたかのように。

 

「……今の言葉は、私の背に付いている姉の言葉なんです」

 

「姉、ですか?」

 

「ええ。ある街で出会った、どこまで直向きで、真っ直ぐな少女。私はこの背中にアストレア様とロキ様の恩恵以外に、その子の想いも背負って居ます」

 

「……つまり、貴方には2つの人格がある、と?」

 

「まあ、似た様なものでしょうか。彼女は本当に硬い正義感を持っていて、今はそれが少し捻じ曲がってしまっている。それこそ、思念達に悪と判断される様な人を許す事が出来ないんですよ。だからそんな彼女は、私が悪人を見つけてしまうと前に出てこようとしてしまう」

 

「それ、は……いや、それがもしかして、先程の副作用の根本ということですか?」

 

「はい、その通りです。それに性質が悪いことに、彼女は彼女自身に多くの思念を抱えてしまっていましたから。それ等全部の負の思念を、結果的に私が肩代わりしてしまっています。……私が墓所などに行くと拒絶されてしまうというのは、それが原因です」

 

「そういう、ことですか……」

 

「まあ、そんな彼女を止めることのできない私も悪いんですけどね。今の私はまだまだ彼女に振り回されっぱなしです。本当に情けない話ですけど」

 

ユキから打ち明けられた話は、そのどれもが夢物語の様な話で、けれどそれら全部が点と点を結ぶ要因となってリューの中で作り上げられていく。そして、その理由を理解してしまえば、ユキという人間の本質も少しずつ見えて来た。

 

この人物は……この人間は本当に、心の底から呆れる程に、善人なのだ。

善人であろうとし、善人の在り方を問い、善人と悪人の違いを思考し、その理由さえも追求し、どこまでも寛容に、誰よりも広い心で、この世界の悪と善という道理を受け止める事を努力する善人。

そこに悪意のある企みなどない。

そこに捻じ曲がった正義感など無い。

 

ただその広さ故に抱え込んでしまった黒い異物の存在が、ユキ・アイゼンハートという人間の本質を隠してしまっている。

その異物を知り、異物を取り除いて考えてみれば、むしろこれほどまでに分かりやすい人間も居ない筈だ。

ユキが光の付与魔法を使用できるという所も、思わず納得出来てしまう。

かつての自身の団長が火の付与魔法を使用できたのと同じ様に、使い手にピッタリの魔法だ。

そう思ってもう一度ユキの顔をリューが見てみれば、その微笑んだ顔の見え方も変わって来て……

 

「全く、貴方は一体どれほどの問題事を私に持ち出してくるのですか。私にも許容できる容量というものがある」

 

「えぇ!リューさんから聞いたのに酷いですよ!私だってすっごくドキドキしながら話してたのに!」

 

「ふふ、こんな劇物の様な話をこれだけの短時間で浴びせられた私の身にもなって欲しいですね。リヴェリア様の話題でさえも、まだ10日の猶予も貰えていない」

 

「うっ……そ、そう言われると、また、なんとも言えないのですが……」

 

そして、こんな意地悪な言い方をしても、ユキは素直に本当に申し訳なさそうな顔をする。

……そうだ、これがユキ・アイゼンハートという人物の本質なのだ。

ユキ・アイゼンハートという人物の全ては、本当に見たままの、この全てに集約されている。

そこにおかしな底や汚れなどは無く、異物を取り除いてしまえばそこにはただただ広く輝く真っ白な水面が広がっているのみ。

その白海はどんなに黒い異物でさえも受け入れて、理解しようと、向き合おうと、どれだけ長い時間をかけても寄り添い、少しずつその異物すらも溶かして、自らの一部にしていく。

 

そんな大海が黒く染まってしまうような事があれば、それこそ世界の終わりだろう。

少なくともこの白を染める事は……今のところユキが背負っている巨大な異物でさえもする事が出来ていない。

 

「……アイゼンハートさん」

 

「は、はいっ」

 

「やっぱり、貴方と距離を取る事は難しい様だ。少なくとも私は今、貴方にとても大きな好意を持ってしまった」

 

「あ〜……えっと、嬉しい、です?」

 

「だが、それは決して恋愛感情ではない」

 

「あっはい」

 

引き寄せたり、突き放したり、そんなリューの訳の分からない言動にユキは戸惑う。

しかしその目には確かに自分への信頼の文字が見えていて、ユキは取り敢えず次の言葉を待つ。

 

「ですから……私は貴方の先輩としての役割に居座る事にします」

 

「……?」

 

そして待った末に出て来た言葉も、やっぱり意味が分からなかった。

 

「ええと……確かに冒険者としても、豊穣の女主人のバイトとしても、アストレア様の眷属としてもリューさんは先輩ですが……それも今更ですよね?私はずっとリューさんのことは先輩だと思ってましたけど」

 

「いや、そうでは無くてですね……!」

 

ここに来て、初めてリューが顔を赤く染めて必死な表情を見せる。

そして、それを見てようやくユキは理解した。

リューには他に何か言いたい事があって、これまでの会話は全てそれを遠回しに言っていたが故に訳の分からないことになっていたのだと。

 

「そうではなくて、なんですか?リューさん。私、リューさんが言いたいことを言ってくれるまで、このまま静かに待っていますよ」

 

「なっ……うぅ……」

 

だから、ユキは逃げ場を無くしてやる。

ただジッとリューを見つめて、彼女が本当に言いたい言葉が出てくるまで、静かにその言葉を待ち続ける。

別にどれだけ時間がかかってもいいと。

その代わり、言うまでこの姿勢のままでいると。

暗にそう伝えるように。

 

「で、ですから……!」

 

「はい」

 

「………な、何か困った事があれば、私に相談しても良いということです!」

 

「……?」

 

「ああもう、どうしてこういう時だけ察しが悪いのですか!」

 

普段のリューからは想像できない程に冷静さを失っているのが良く分かる。

きっと、彼女からしても慣れない行為なのかもしれない。

こうして、誰かの先輩となって後輩に接するということは。

 

「貴方はその、リヴェリア様のこと以外にも色々と問題を抱えているでしょう!それも、一人で抱えるには重過ぎるものを、いくつも……その一つでも私が解決の為に相談に乗るということです!」

 

「あ、ああ、なるほどです」

 

「そうは言っても、貴方は自ら相談に来るタイプではありませんでしたね。……分かりました、週に一度は報告と相談を行う日を設けましょう。その日には報告も行なって貰いますし、私から強制的に何かを聞くことにします。そうでもしなければ、貴方は何も話してくれなさそうだ」

 

「あ、あはは……でも、いいんですか?リューさんも色々と忙しいんじゃ……」

 

「そんなことは問題ない」

 

ユキの心配そうな言葉を遮るようにして、リューははっきりとそう言い切る。

そこだけは焦った感情を打ち消すように、そこだけは笑い事でもなんでもなく、絶対に言っておかなければならないとでも言うように。

リューは真剣な顔をして、ユキの目を覗き込む。

 

「私は貴方の先輩だ。……故に、貴方の為に割く時間を、私は必ず何よりも優先させる。それは私がして貰って来たことでもあり、私のしたい事でもあります。ですから後輩の貴方は、そんなことは気にしなくてもいい」

 

「っ」

 

その言葉に、ユキが一体どれほど心打たれただろうか。

思わず逸らしてしまった視線の先に、ムッとしたリューは回り込む。

そうしてまたユキは視線を逸らし、その先へとリューは回り込む。

そんな事を繰り返しているうちに、思わず笑いを溢してしまったリューにつられて、ユキもまた笑い出してしまった。

 

「リューさんが先輩なら、私のことも"アイゼンハートさん"じゃなくて、"ユキ"って呼んでもらわないといけませんよね♪」

 

「……ええ、是非そう呼ぶことにさせて貰いましょう」

 

やっぱり、出会った頃に互いが思った通りだったのだ。

自分と彼女の相性は、きっと悪くない。




「ユ、ユキが……私以外のエルフとあんなにも楽しそうに笑っている、だと……?」

「おや、あれは……ガレス、確か彼女は……」

「うむ、間違いなく"疾風"じゃのう。打ち解けられているようでなによりじゃわい」

「ば、馬鹿な……ユキが浮気……?いや、そんなことはあり得ない。あのユキに限ってそんなこと……!」

「……何を言っとるんじゃリヴェリアは」

「うん、放っておこう。冷静じゃなくなったリヴェリアの相手をできるのはユキくらいだからね」

「落ち着け、落ち着け私……相手を信用する事も大切な事でだな……」

「やれやれ、先が思いやられるのう」

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