聞こえてくる歓声や森の雰囲気に導かれて2人が走っていると、だんだんとその歓声の中に怒号や攻撃音が交じり始める。
音や声からして、かなりの人数がその場で何かをしているようだ。
明らかに普通では無い。
何か良くない事が起きている。
「っ、これは……!」
「うわぁ」
2人が最高速で森を脱して崖に面した広間へと出てくると、そこでは2つの勢力による乱闘騒ぎが生じていた。
剣も槍も魔法も使う本格的な攻防戦。
しかも片方の陣営は2人も知っているタケミカヅチ・ファミリアとベルの連れであったヴェルフという構成なのだから、間違いなく巻き込まれたのは彼等の方だろう。
彼等が何の理由もなくこんな騒ぎに乗じる筈が無い。
そして……ユキがこの広間に出てきて真っ先に目にしてしまった者こそ、その奥で1人立たずむ、恐らくこの騒動の最初の被害者。
今もフラフラとしながら目に見えない何かに攻撃され続けている少年。
間違いなく、この集団は彼を標的にして集まったものだ。
そんな彼を助けるために、この騒動は起きている。
正に悪意の塊、ユキがこの場に出てきた瞬間にまず驚くでも嘆きでもなく引いてしまったのも当然だ。
「……リューさン。ちょっト……任セてもいいですカ?今の私ガ参加するト、勢イ余ってしまいそうデす」
「!……なるほど、それが貴方の友人という訳ですね。分かりました、貴方はここに」
「ええ……ごめンなさい、不甲斐ないデす」
「いえ、貴方はまずそれを抑えることに集中して下さい。こんな所で暴走されても困る。というか本当に吐きそうな程キツイので早く収めてください」
「酷くナいですか?これデもまだ3割程度デすよ……?」
「……早めに片付けてきます」
「お願いシます……」
いくら思念がそう付いていない相手だとしても、目の前で行われているこの非道を見てしまえば、反応してしまうのも当然の話だ。
ユキの背から漏れ出す嫌な空気。
それは魔法を扱う者や神々にとってあまりにも不快なもの。
リヴェリアの防護魔法を使用していても息苦しいというのに、こんな至近距離で全開されてしまえばリューと言えど確実に吐く。
ベルを助ける事がもちろん最優先ではあるのだが、他の何より今はこれ以上ユキの中に居る友人を昂らせないことが先決だと言う考えも抱きながら、リューはその乱闘に加わる為に走っていく。
……または、近くに居るだけでも息苦しいユキから離れる為に。
「モう、クレア……偶には私ニ任せてよ……」
頑固で融通の利かない友人に語りかけるようにユキは呟くが、彼女はそれに応えてはくれない。
参戦したい気持ちはあるが、今の状態で参戦してしまえば殺してしまう事は無くとも、取り返しのつかない大怪我を負わせる事になってしまうかもしれない。
いくらなんでもそれは許されないだろう。
ユキにできるのはただリューがこの騒動を収めてくれるのを待つだけだ。
情けないが、役に立たないなら役に立たないなりに大人しく待っていることも大切な仕事だ。
リューが現れたことでヴェルフとタケミカヅチ・ファミリアも押してきている。
ベルの方も……丁度今反撃をし始めたところだ。
「見つけたぁ!……って、うわぁ!?なんだいこの臭い!?おぇ、吐きそう」
「ちょ、本当になんですかこの臭い……!?リリの持ってた魔物除けより酷いのですが!?」
「……そこマで言います?お二人とモ」
背後の草叢から飛び出してきた2つの人影。
けれど2人は飛び出してきた瞬間に突然そんな酷いことを言ってきた。
臭いのは知っていたけれど、アイズにも言われたことではあったけれども。
ユキだって身嗜みには気を遣っている。
そんな風に言われてしまえば、たとえ本当の話であったとしても傷付くことはあるのだ。
「って君は、ベル君とサポーター君を地上まで運んで来てくれた子じゃないか!いや、ごめん、なんか本当に臭い!一体何が起きたらこんなことになるんだい!?」
「うぅ、でもなんでしょう……リリはこの臭いを知っているような、どこで嗅いだんですっけ……あ、駄目です、これ本当に吐きそうです」
「私のこトはもう大丈夫なノで、今は少年君ヲ……」
「はっ!そうでした!ベル様!」
「こらー!君達ー!やーめーろーーっ!!」
散々に散々なことを言われ凹むユキだが、まあ仕方がない。
事情は良くわからないが、ベルの主神であるヘスティアがここへ来たということはもう大丈夫だろう。
彼女が来て止めてくれるならばベルも剣を下ろせるだろうし、たとえ相手がヘスティアの言葉に従うことがなくとも……
『ーーー止めるんだ』
人の子に神の神威に逆らえる者などそうは居ない。
「「ひ、ひぃぃい!!」」
「ま、待てお前ら!?お、おい!!」
人と人との争いに神が神威まで使って割り込む事は比較的珍しい事だが、女神ヘスティアはベルの事をそれはもうとても気に入っている。
愛する眷属がここまでのことをされていれば当然善神である彼女だって怒るだろうし、神威くらい使って場を収める事も厭わないだろう。
愛情深い神々ならば同様の事をする者もいる筈だ。
少なくとも、ヘスティアのそういった愛情と怒りのこもった神威を感じ取ったからなのか、ユキの背から漏れ出していた異様な雰囲気は今はもう消え去っている。
できるならもう少し早く引いて欲しかったものだ。
結局ユキはこの争いの最中、何一つすることができなかったのだから。
「……臭いは治まりましたか?ユキ」
「鼻を摘んで来ないで下さいリューさん、もう大丈夫な筈ですから」
「……なるほど、これくらいなら大丈夫ですね。怪我はありませんか?巻き込まれてはいないようでしたが」
「身体の方は大丈夫ですが、心の方はズタボロです」
「ならば問題はありませんね」
「もう少し優しくしてくれてもいいんですよ……?」
涙目になりながら膨れっ面でそう言うユキを、リューは仕方なしといったようにポンポンと頭を叩いてやる。
それだけで少しだが機嫌を良くしてしまうのだから、チョロいというか可愛げがあるというか。
2人がそんなやり取りをしていると、各々にお礼を言って回っていたベルがこちらへ走ってく来た。
全身が濡れているのは、恐らくポーションをぶっかけられたからだろう。特に大きな怪我も無さそうで、あれだけの悪意に囲まれても元気そうにしている。
「リューさん!助けてくれてありがとうございました!それと……あれ、ユキさん?」
「ええ、こんにちは。怪我は、無さそうですね……一応私もリューさんと一緒にここに来たんですけど、ごめんなさい。何もできませんでした」
「い、いえそんな!……でも、ロキ・ファミリアの方々はもう帰還しているんじゃなかったんですか?ま、まさか僕達のことを待ってたりしてます!?」
「いえいえ、もう他の方は出発してますよ。ただ私、帰りはリューさんと一緒に帰るつもりでしたので。ヴェルフさん達には予めお話ししておいたんですけど、少年君とはなかなか会えず言えずじまいでした」
「そ、そうなんですね……よかったぁ」
ユキの存在を視認した瞬間、きっとベルの頭の中にはあのロキ・ファミリアを待たせてしまっているのではないかという不安が過ったのだろう。
二隊行動故にあのタイミングでは流石に待つことはできなかったが、仮に待たれていたらそれはもうベルも大慌てだったに違いない。
さて、そんなベルとユキがこうしてしっかりと会話をするのは久しぶりだ。顔自体は何回か見ているが、その度その度どちらかが忙しかったり、それどころでは無かったり。
だからなのか、ユキはいつも通りニコニコとしているが、ベルの方は少しだけ照れ気味でぎこちない。
ベルからしてみればユキは知り合いの美人で優しいお姉さんと言った所だろうか。思春期の少年からしてみれば少しくらいドキドキしてしまっても仕方のないポジション。
「え、えっと……お久しぶり、です?」
「ふふ、そうですね、なかなかお話しできませんでしたからね。……でも、少し見ないうちにこんなにも男の子らしくなっていて、私は思わずびっくりしてしまいましたよ?さっきの少年君も、と〜ってもカッコ良かったです♪」
「ほ、ほんとですか!?ぼ、僕が男らしくてカッコいい……!」
「ええ。話を聞く限り、少年君はヘスティア様の為に戦っていたんですよね?まるでお姫様を守る騎士様みたいでした♪私と約束した様に、優しい君のまま強くなってくれているみたいで、私は嬉しいです」
「も、もう……褒め過ぎですよ……!」
「ふふ、可愛いですねぇ。抱き締めちゃいましょうか♪」
「それはダメですユキ様ぁぁあ!!!」
「ひゃっ」
……間一髪、本当に間一髪だった。
話の流れからユキがベルに抱き着こうとする寸前に、リリがその間を縫ってユキに抱き着いた。
ベルの代わりにユキに抱き締められるリリ。
そんなリリを見て困惑するベル。
抱き締められるわ、それを好きな人に見られてしまうわで、もう恥ずかしさのあまり頭が爆発してしまいそうになっているリリ。
リリの尊い犠牲によって、最悪の事態だけは免れた。
「あや……もう、そんなに私にこうして欲しかったんですか?リリちゃんは可愛いですねぇ♪」
「サポーター君……いくらなんでも君、それは……」
「リリ助お前……いや、まあ人の趣味はそれぞれだが……」
「これは、セーフなのか……?いや、アウトなのでは?ですがクラネルさんに抱き付くよりもマシに見えてしまうこの不思議……私はリヴェリア様に一体なんと報告すれば」
「………???」
その光景を見て各々が困惑した表情をしているが、リリの犠牲が無ければヘスティアは怒り出し、ヴェルフは勘違いし、タケミカヅチ・ファミリアの面々には2人がそういう関係なのでは無いかと疑われてしまう所だったろう。
今のこの静寂はリリが自身の尊厳を失ったからこそあるのだ。
……当のリリは恥ずかしさと悔しさの上に謎の心地良さと安心感を得てしまって、それはもう複雑な気持ちで腕の中に居るのだが。あの不快の元凶から逃れた今のユキからは、なんだかとってもいい匂いがした。