冒険者達からベルとヘスティアを取り戻し、一息をついていた一行。
一息をつきながらも若干一名心に重傷を負ってしまった者も居たが、一難さってまた一難。
ここは18階層とは言え、ダンジョンの中だ。
誰もが言う。
ダンジョンは弱った者を見逃さない。
安心をして一息ついた時こそが最も危険。
それはきっとこの場においても、例外では無いのだろう。
「っ、揺れてる……?」
「へ?ユキ様は揺れるほどありませんよ?」
「いえあのユキ、その発言に貴女が悲しそうな顔をするのは確実におかしい」
「いやそうじゃないよ!地震!?ダンジョンが揺れてるのかいこれ!?」
「おい……!なんだあれ!!」
見上げれば光を灯す天井に、零したように広がる黒い染み。
そしてそこから生じる巨大な亀裂。
ダンジョンに潜る者達の中で、その亀裂の意味がわからない者は居ない。ただ、それがこの場に現れるのは意味がわからない。
ここは安全地帯、そもそもモンスターが生まれてくる筈がないのだ。
それもこんな、それこそこんな階層主クラスに巨大な壁の亀裂など、絶対に有り得ない。
「おいおい、まさかボクのせいだって言うのかい……?冗談だろ?たったあれだけの神威だってのに、バレた……?」
「18階層の天井は、17階層の床面……まさかとは思いますが……」
ユキのそんな言葉に呼応するかの様に、それは亀裂の隙間から腕を伸ばし、壁面を破壊しながら頭を強引に突き出す。
その体を、その頭を、その人間を模ったダンジョン内でもかなり珍しいモンスターを、リリとヴェルフを除いた者達はよく知っている。
特にベルについてはあれから一度は命辛々逃げ出した経験がある、覚えていない筈がない。
17階層 階層主 ゴライアス
ギルドからレベル4に指定されているダンジョンにおける大き過ぎる最初の門番。
……そして、それはただの階層主では無い。
「お、おい!さっきの冒険者達の所に落ちたぞ!」
「あれは、黒いゴライアス!?そんなもの聞いたことも……!」
「どうして18階層に階層主が!?しかもどうみても普通のゴライアスより強そうです!」
「言ってる場合じゃねぇぞ!おい!」
天面から落ちてきたゴライアス、その着地点には何の因果かベルを襲っていたあの冒険者達が居た。
彼等だってそれなりに実力はある。
しかし、どう見てもそれがこの状況で働いているとは思えない。
逃げ惑い恐れ慄く彼等は、それでもゴライアスの攻撃を避けるのが精一杯の様だった。
凄まじい風圧と共に振り下ろされる漆黒の拳によって彼等は吹き飛ばされ、次第に逃げ場と体力を失っていく。
「は、早く助けないと!」
初めにそれを口に出したのはベルだった。
それはきっと反射的なもので、冷静な思考で発された言葉では無かっただろう。
ただ、その言葉を待っていたかの様に、嬉しそうにそんな彼を見つめている者がいた。
その一方で、その言葉に反応して腕を捉え、険しい表情で彼を見つめる者もいた。
「待ちなさい」
「!?」
「貴方は本当に彼等を助けに行くつもりなのですか?……このパーティで」
リューはそう言ってベルに問い掛ける。
殆どがレベル2以下のこのパーティで、果たして本当にレベル4どころかそれ以上の強さを誇っていると考えられるゴライアスに挑むつもりなのかと。
そしてそれは、覚悟を試すものでもあった。
先陣を切った者として責任を取るつもりはあるのか。
仮に死者が出た場合に、その責任を問われなくとも抱え込む覚悟はあるのかと。
時間は無い、即座に判断を求められる。
ベルはその言葉に、思わず周囲の者達の顔を見た。
誰もが真剣な顔でベルを見つめている。
ベルの判断に従うという意を示している。
少なくとも、ここに居る者達はベルの判断ならば迷いなく付いていくだろう。
リリやヴェルフは勿論、タケミカヅチ・ファミリアの者達だってベル達への借りを返す為に、そうでなくとも彼等の性格から協力してくれる筈だ。
リューだって、彼女の人柄をよく知っているベルは、手伝って欲しいと言えば手伝ってくれるということは分かっていた。
……それならばユキは?
ベルはユキの顔を見る。
未だに掴めない彼女という存在。
果たして、自分が頼めば彼女は手伝ってくれるのだろうか?
自分はそれくらい彼女から信用されているのだろうか?
そんな疑問を抱きながら覗き込んだ彼女の表情は……
「〜♪」
何故か彼女は、自分の事を見ながら機嫌良さげに笑っていた。
そして、ベルに見つめられている事に気付いた彼女は、右手で小さく拳を握る。
これはつまり……
「……助けましょう!そして良ければ、皆さんにも手伝って欲しいです」
そんなベルの言葉に、リューは溜息を吐く。
しかしその表情は心の底から呆れているようなものではなく。
「貴方はパーティのリーダー失格だ………ですが、間違ってはいない」
その言葉に、皆の顔に笑顔が灯る。
やるべき事はもう決まった。
彼等の中に、その答えに反対するものなど最初から居なかったのだから。
「……全く、こんな状況で何を嬉しそうにしているのですか。そんなにもクラネルさんの答えが嬉しかったのですか?ユキ」
「もう、そんなの当たり前じゃないですか♪だって少年君の優しさは、初めて見た時から少しも変わっていないんですよ?これは彼が強さから優しさを得ているのではなく、優しさから強さを得ている証明です♪」
「……また難解な話を。準備はいいのですか?本命の武器は無いのでしょう?」
「ええ、ですので今回は出来てもサポートくらいです。スキルの方も使えない相手なので、魔法で撹乱するのが精一杯でしょうか……武器がたくさんあれば話は違いますけど」
「……まあ、無理だけはしないで下さい。というか、怪我一つもしないで下さい。貴方に何かあれば、私がロキ・ファミリアに袋叩きにされてしまう」
「もう、そんなことはさせませんよ。……それに、きっと今回の主役は私ではありませんからね」
「……?」
ユキとリューはそんな話をしながら、先陣を切ってベルと共に走って行ったタケミカヅチ・ファミリアの2人の後ろを付いていく。
今のユキにやれることは少ない。
だが、それでも構わないともユキは言った。
その内容についてはよく分からないが、今は本人に任せるしかない。
「行きますよ!無茶だけはしないように!」
「分かってますよ!任せて下さい!」
速度を上げたリューに、ユキは続いて走り出した。
素の能力でならリューの方が上だが、速度に関して言えば今のユキだって負けていない。
「はァッ!!」「せやぁっ!!」
先にゴライアスの元へ辿り着いていた命と桜花が、その足に渾身の一撃を振り下ろす。
足元を崩せば巨体は崩れる筈だと、そう睨んだ故の攻撃だった。
しかし、推定レベル4を超えた今のゴライアスにその程度の攻撃は通用しない。
命の刀は半ばから折れ、桜花の斧はその刃が完全に捻じ曲がる。
肉を断つ所の話では無く、皮の一つも切り下ろせない様な桁違いの防御力。直後にカウンターのように振り下ろされたゴライアスの一撃によって、2人は大きく吹き飛ばされてしまう。
……そして、そんな彼等に追い討ちをかけるように、次の咆哮(ハウル)が放たれようとする。
「はい!命さんキャッチです!」
「うわぁっ!?ユ、ユキ殿!?か、かたじけない……!」
「いえいえ、それより今は反撃です!私が魔法を付与するので、それでもう一度斬り付けてみて下さい!いいですね?」
「は、え!?わ、私の刀が光って……!?」
「はい!レッツゴーです!ふぁいおー!」
「うわわっ!?」
突然ユキに魔法を付与されて背中を押された命は、ふらつきながらも言われたままに走り出す。
ユキとは大して接触の無かった命だが、彼女がロキ・ファミリアに所属しているレベル4の冒険者であるということだけは知っていた。
故にその名前を信じて彼女はとにかく走り出す。
光っている刀、たとえ折れていてもそれだけでなんとなく凄い気がしてくるものだ。
ヴェルフの魔法で咆哮を爆散させられ、続くリューの顎への一撃で姿勢を崩されたゴライアスの足元に命は潜り込む。
やるなら今しかない。
あの巨体だ、少しバランスを崩せば簡単に転がる筈。
「せぇやぁぁあ!!」
足首の裏、人間で言う腱に当たる部分を命は引き裂く。
先程の攻撃では皮一枚すらも断つ事の出来なかった。故に今回はとにかく切断することに集中した、鋭く滑らせる様な一撃だ。
しかしユキによって魔法を付与されたこの一閃は……
『グゥォオオァアッ!?』
「は!?なんだ今の!?魔剣か!?」
「あれは、確かユキの……」
「うわぁ!?私の刀が砂に……!?」
「はい!命さん回収です!」
「も、もうですか!?」
レベル5に相当するであろうゴライアスの足首が眩い光と共に骨部分に達する程まで切り込まれる。仮に命の刀が万全の状態であったのならば、より深くまで斬る事が出来ただろう。
……だが加減が分からず全力で振り下ろされた事によって、命の刀は振り切った瞬間に灰や砂の様に崩れ落ちてしまった。
そんな事に驚いて止まってしまった命を、再びいつのまにか彼女の後ろに回り込んでいたユキがお姫様持ちで回収していく。
サポートというより、ここまで来てしまえば最早介護の領域だ。
まともに戦えないユキは今、延々とこんなことをしながら死傷者を減らすことに尽力していた。
「い、いえあの!ユ、ユキ殿!私はもういいので他の方々を!今の魔法を使えば桜花殿やヴェルフ殿だって!」
「あー……それは無理です。私は命さんなら使えそうだと思って付与しただけなので。恐らく他の方だと振り切る前に刀や剣が灰になります」
「えっ」
命はユキに抱えられながら絶句する。
そんな話は聞いていなかったと。
そもそも自分の刀があんな風になるということすらも聞いていなかったというのに。
「私の魔法は威力は凄いですけど、扱いが難しくてですね……武器に負担をかけると直ぐに壊れてしまうんですよ。見たところ命さんは刀という繊細な武器を主武装にしているからか、私の魔法が十分に使えると判断できたので付与しました。桜花さんに付与すれば2回に1回は失敗すると思います」
「お、桜花殿も刀の扱いはそれなりに優れていると思うのですが……」
「それくらい我儘な魔法ということです。……よし、援軍が来たので私は行きます!また私の魔法が必要になったら言ってください!直ぐに来ますから!」
「えっ、あっ……」
命をゴライアスや雪崩れ込んで来た他のモンスター達から少し離れた位置に置き、ユキは今度はこちらへ向かってきている援軍の方へと走り出す。
その姿は本当に忙しない。
ただ命はなんとなく、あの魔法を付与できると認められた事が自分の努力を認められた様で嬉しく思ってしまった。
……折れてしまっていたとは言え、それなりに良い刀を使っていたので跡形も無くなってしまったのは悲しく思うが。まあ、それは仕方ない。
「ボールズさん!」
「ん?おお!あんたは確かロキ・ファミリアの!あんたが居るって事は他の奴等も……!」
「ごめんなさい!他の皆さんはもう地上に向けて出発しちゃいました!ここには私しか居ません!」
「チッ、まあ仕方ねぇ!お前さんが居るだけマシってもんだ!……それで?用件は!?」
「必要の無かったり使えない剣が欲しいんです!数は沢山あればあるほどいいです!」
「またそれか!わかったから、取り敢えずその辺のを持っていけぇ!倉庫に入れっぱなしで使えなくなったのがそこに纏めて……って、危ねぇ!!」
「へ?」
ボールズ達が魔法の準備と高度からの指示を出している所へ、岩や木々を蹴り上がって来たユキ。
あいも変わらず使えない剣を求める彼女に呆れるボールズであったが、彼はそんなユキが山積みされた使えない剣走っていく最中、突然大楯を持ってユキを庇う様に前方へ躍り出る。
彼がそうした理由は明らかであった。
命の攻撃によりバランスを崩して仰向けに倒れたゴライアス。
そのゴライアスが狙いを定めていた場所がこの場所……偶然かそうでないのか、狙いの先に居たのは丁度武器の山に近寄っていくユキの背中だったのだ。
「ぐぅおっおお!!」
「ボールズさん!」
「こんな所であんたの様な可愛い子ちゃんを見捨てたら、男が廃るってなァァア!!」
「ボールズさん!私はもう退避しましたから大丈夫です!」
「うおおおい!?ちゃっかりしてんなァ!これだから女って奴は……ぐほぁっ!?」
「はい!ボールズさんキャッチです!」
「いや、なんで俺が姫抱きされる側なんだよ!おかしいだろ!いいから早く降ろせ!雑に投げ捨てろ!」
「そんな訳にはいきません!怪我してるかもしれないじゃないですか!気を付けて下さい!」
「おっさんの怪我なんざどうでもいいんだよ!丁重に扱うんじゃねぇ!いいから降ろせっての!あ、あんまり優しくされると惚れちまうだろうが!!」
いい歳こいた片目のオッさんが顔を赤くして(外見は)美少女にお姫様抱っこされている姿はもうあまりにも悍しいというか、みっともないというか、周りからの目線は痛い。
特に真面目に戦っているおっさん連中からすれば本当にこの野郎というか……
「おいボールズ!テメェいい加減にしねぇと溜めに溜めたこの魔法その伸びた鼻っ面に叩き込むぞ!!」
「いい歳こいた中年オヤジがこの野郎!消し炭にされてぇのか!」
「わ、悪ぃ!オイお前ェ等!ゴライアスの周りから退けェ!デカイの行くぞォ!」
「皆さーん!離れて下さーい!」
「いや、あんたもいい加減に俺から離れろォ!?」
「よーし!もう撃っても大丈夫ですねー!?それじゃあ皆さん……ゴー!!」
「だからなんでお前が指示出してんだァァ!」
「「「よっしゃ撃てー!!」」」
「テメェ等もなんで撃ってんだぁぁ!?」
ユキの号令に合わせて、後衛達の魔法が放たれる。
……なぜボールズではなくユキの号令に従ったのか?
そんなもの、美少女に抱えられている情けないオッさんの号令よりも、その美少女の可愛らしい号令の方が何倍もやる気が出るからに決まっているからである。
これには男も女も関係無い。
可愛いは世界を救う。
太古の英雄伝にもそう書かれている。
「よっしゃ命中ぅ!みんな今だぁ!」
「畳み掛けろぉお!!」
「やれやれぇ!ケリ付けちまえぇ!!」
複数の特大魔法を一度に喰らい、膝を突いたゴライアスに冒険者達が再び駆け出した。
小さなクレーターが出来るほどの強烈な威力だ、あれに耐えられたとしても致命傷になっているのは間違い無いはず。
ボールズも魔法使い達も、完全に勝ちを確信していた。
普通のモンスターは当然、本来の階層主であっても今の攻撃には耐え切れず一撃で倒してしまえる威力なのだから。
これでもう立ち上がることすら出来まい、誰もがそう考えていた。
……だが、
『グゥォオァァア!!!』
「なっ!?んな馬鹿な!!」
「あ、あれを喰らって生きてるのかよ!っつーかあれ、傷が……!」
「……間違いありません、自己再生持ちですね。しかも再生力も再生速度も普通のモンスターの物とは桁違いです」
「っざけやがって!そんなの勝てるかよクソ野郎!!」
あれほどの魔法で受けた傷が、この僅かな間で完全に癒えてしまっている。
そして体力すらも削れていないのか、ゴライアスは容易に立ち上がり、怒りからなのか更にその威圧感を増した。
あからさまに先程とは雰囲気が違う。
あれは何かを企んでいる。
いや、企んでいると言うよりは良い方法を思い付いたと表現した方が……
「……っ、皆さん今すぐその場を離れて下さい!!」
「は!?」
「え……」
『オゴアァァアガァアァァア!!!!』
「なっ、巫っ山戯んなぁぁあっ!!!」
両手を握り締め、大きく上空へと振り被って、叩き付ける。
本当に、それだけの行動。
地面を叩き付けた。
ただそれだけの行動なのに、たった1匹のモンスターが世界を揺らした。
「うぁああああ!!」
「いやぁぁああ!!」
「がっ、ぁがぁぁあああ!!!」
ゴライアスを取り巻いていた冒険者達が瓦礫と衝撃波の波に飲み込まれていく。
そしてその波は恐ろしい事に、魔道士達と共に高台から場を見下ろしていたボールズ達の元まで波及して来ていた。
ボールズが咄嗟に構えた大楯の後ろにユキは身を隠し、背後から彼を抑えることでなんとか衝撃に耐える。
ただ、本当に最悪だったのは、彼等がその周囲がよく見える高台に居たことだったかもしれない。
衝撃が止み、砂煙が晴れ、もう一度周囲に目を向けられる様になった時……見えた光景は正に絶望と言うしかない様なものだった。