白海染まれ   作:ねをんゆう

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53.染み込む緑

鳥の囀りが聞こえてくる。

揺れるカーテンの隙間からチラチラと顔を照らす朝の日差し、そして誰かが着替える衣擦れの音。

徐々に覚醒し始める意識に少しずつ入ってくる周辺の情報も、まだ働いていない脳が処理できる筈もなく漏れていく。

それでもその中で一つだけ脳を引き起こす物があるとすれば、今正に自身の身体を心地良く包み込んでくれている真っ白な布から香る匂い。

 

「リヴェリアしゃんの、におい……?ん〜」

 

「あ〜、ユキ?あまりそう嗅がれてしまうと私としても恥ずかしいのだが」

 

「……?リヴェリアしゃん?」

 

「ああ、私だ。おはようユキ、昨日はよく眠れたようだな」

 

「ふへへ、おはようございまふ」

 

朝の寝ぼけ眼のままに身体を起こしたユキ、そうして視界に入ってきたのは目に優しい緑色の後ろ姿。ユキが起きるよりも早く目を覚まし、一通りユキの寝顔を堪能したリヴェリアが着替えを済ませてそこに立っていた。

まだまだ呂律も回っていないユキの愛らしい姿に、腰を屈めて目線を合わせて話しかけるが、ユキはそれを良い事にベッドの上からリヴェリアに抱き付くように腕を伸ばした。

 

「う〜、本物のリヴェリアさんれす……」

 

「こらこら、そう身を乗り出すと落ちるだろうに、全く………今日は私もこの部屋で書類整理をしているだけの予定だ、ユキも側に居てくれるか?」

 

「んぅ、居ます……お手伝いもします……」

 

「そうか。ありがとうな、ユキ」

 

「んぇへへ……」

 

昨日あの後もなかなか寝付かなかったユキであったが、リヴェリアが膝を貸して両眼を掌で覆ってやると、意外にも直ぐに眠りに就いた。疲れ自体はやはり溜まっていたらしく、一度寝付けばそのままかなり長い間眠っていた。

起きた今ではもう朝食には間に合わないが、後で食堂にでも寄れば何かしら残っているだろう。

 

抱き着くユキの背中をポンポンと叩きながら、リヴェリアは彼をベッドの上に戻す。

 

「そういえば、そろそろ神月祭があるな。それにロキも何やらオラリオの外に気分転換に行く、という様な事を言っていた。暫くは楽しみな事ばかりだな?」

 

「ん……リヴェリアさんも一緒れすか?」

 

「ああ、勿論だ。神月祭も当然、お前と一緒に回ってやろう」

 

「ふへへ、嬉しいれす♪……う〜、リヴェリアさん大好きれす〜」

 

「っ……そ、それは私だって、その……お前のことを好いている、が……!」

 

もう本当に今更な話ではあるのだが、"好き"と言われただけで何をそこまで照れる事があるのかと。

あんな事やこんな事はしていないけれど、その一歩手前の事はしている癖に。

 

「よし……じゃあ少し留守番をしていてくれるか?朝食を取りに行きがてら、少しロキに報告だけしてくる。その間に顔を洗って、着替えをしているといい」

 

「うぅ、分かりました……」

 

「ああもう、こんな短時間離れるだけでそう寂しそうな顔をするな。今日はずっと一緒に居られると言ったろう?」

 

「……早く帰って来て下さいね?」

 

「分かっている、私とてそのつもりだ。……全く、いつからこんなにも甘えてくる様になったのだか。個人的には嬉しいのだがな」

 

それは朝起きたばかりなのか、それとも昨日の事があったからなのか、きっとユキ自身にも分かっていない。

けれどやっぱり、以前の様に依存する事にさえも自分を責めていた時と比べれば、素直に甘えてくれるだけ良い傾向になっているのだろう。

2人がそういった関係になれた事だけは、ユキがオラリオに来て精神的にプラスに働いた事の一つに違いない。

それに言ったように、やはりリヴェリアも個人的には素直に甘えられた方が嬉しいものだ。

どころか、できるならもっと……もっと取り返しの付かない所まで引き込んでしまいたいとさえ思っている。

それこそ、もう2度と自分の元から離れられない様な、確かな楔を打ち込みたい。

リヴェリアは密かにそう企んでいる。

依存している事の何がいけないのか?

リヴェリアはそんなユキの小さな欲よりも、もっとエゲツない物をその綺麗な顔の裏に隠し持っているというのに。それに比べればたった1日相手を自分のものにしたいという願いなど、可愛すぎるにも程がある。

 

「ユキ、顔を上げろ」

 

「はい?なんでしょ、んむっ………!?」

 

「ふぅ……ふふ、大人しく留守番しているんだぞ?」

 

「は、はぃぃ……………」

 

この女、目の前の100近く歳の離れた男子を堕として囲い込む気満々である。

 

 

 

 

ユキと別れた後、リヴェリアは真っ先にロキの部屋へと向かっていた。

 

ロキも色々と最近のことに頭を悩ませている様で、なにやら書類を複数手に持ちながらウンウンと唸っており、怠けて酒を飲んでいる余裕すら無い様に見える。

そんな折にやって来たリヴェリアに『丁度良いところに……!』という顔をしたロキだったが、直後にそのリヴェリアの深刻そうな顔を見てまた表情が曇った。

また問題事を持ってきた、という事ではない。

むしろ、問題事にしていた事柄が、もう既に手遅れになってしまったという報告。

きっとこれは、単純に問題が増える事よりもよっぽど聞きたくない事だったに違いない。

その証拠に、リヴェリアの話を聞いていくに連れて、ロキの身体から力が抜けていく。

 

「……リヴェリア。ユキたんの破綻性に、アストレアの考え、それとアストレアの探し物についてやねんけどな」

 

「ああ」

 

「十中八九、リヴェリアの考え通りで間違いないわ。アストレアはそこまで考えてうちに預けた、今はそうとしか考えられん」

 

「やはり、そうか……」

 

「ああもう、ほんまに……最悪や、色々と」

 

ユキの事情を解決する為に、ユキのことを知ろうとした。知ろうとして色々と行動した結果、その行動がユキの破綻を招く結果となってしまった。

どこで間違えたのか?

そう問われれば単純に『ユキに直接話を聞かなかった事』と言えるかもしれないが、そもそもユキは過保護にしなければならない人間だった。

そんなユキに直接話を聞ける筈も無かったのだから、単純にロキ達が間違えたとは言えまい。

 

「……この手紙を受け取ったあの時が、一番の分かれ道やったんかもしれんな。うちはそこでミスった、もう少しアストレアの方にも思考を割くべきやったんや」

 

「それについては誰も責められないだろう。これまでもユキに関係無い事を含めて考えるべき事が多くあった、今日まで気づけなかった私にも責任はある」

 

「それでも……いや、今はそんな事を言うとる暇は無いな。とにかく、まずはアストレアに連絡を取らんと。こうなった以上、早急にアストレアにはオラリオに戻って貰わんとあかん」

 

「神アストレアに……?」

 

リヴェリアにとって、神アストレアがオラリオに戻って来る事はあってはならない事だという認識があった。そうなればユキはアストレアの関係で、正義の立ち位置を望まれてしまうからだ。

だが、ロキはむしろアストレアを呼び戻さなければならないと言う。

それも早急に、今直ぐに。

 

「いくらユキたんが元はアストレアの眷属やったとしても、今はうちの眷属や。それやのにどうしてユキたんが注目されるかって言えば、そのアストレアとアストレアの眷属がこの街に居らんからや」

 

「……つまり、再びアストレア・ファミリアがこの都市に復活すれば、ロキ・ファミリアとして生きるユキへの負担は無くなる。ということか」

 

「せや、今できる最善策はそれしかあらへん。それでも根本的な解決にはならへんけど、やらんよりマシや。アストレアが居るだけでウチもユキたんの為に割ける時間が増えるしな」

 

「なるほど……ならば早急に探さねばなるまい」

 

現状、神アストレアが何処に居るのか知る者は居ない。

それはユキであってもリューであってもそうで、オラリオの外の広い世界で探し出すのは困難を極めるだろう。

それでも、探し出さなければならない。

ウラヌスにでも、ヘルメスにでも、それこそフレイヤにさえも助力を頼んで、なるべく早く見つけ出す必要がある。

 

「後は……根本的な原因をどう取り除くか、やな」

 

「取り除く術があるのか……?私はどうにも、この問題は八方塞がりの様に感じるが」

 

「可能性はある、せやけど時間がかかる。それが本当に出来るのかどうかも、正直なところうちには分からん」

 

「教えてくれ、ロキ。可能性が僅かでもあるのなら、私はそれに賭けたい。ユキの為にも……それに、私自身の為にも」

 

「……まあ、教えるくらいやったらええけど」

 

ロキはそう言って机の中から一枚の紙を引っ張り出す。

それは先日、ユキがレベルアップした際のステータスを写した紙だ。

そしてそれをロキはリヴェリアにも見やすい様に差し出して、スキルの一つを指差した。

 

「緑白心森(ミルキー・フォレスト)、ユキたんに発現した新しいスキルや」

 

「……緑?」

 

「せや、問題はそこや」

 

リヴェリアにとって、そのスキルの名前は異様にも思える。

あれだけ白にこだわるユキ、そのユキのスキルに何故か緑という色が混じっている。それはユキの核とも言える部分だ、なぜそれに色が付いている?

……まさかもうそこまでになるほど核が崩れているのか!?

一瞬そう考えたリヴェリアだが、ロキはどうしてか口角を上げる。

 

「リヴェリアの色が入っとる」

 

「!!」

 

「それだけ白に拘るユキたんが、このスキル名を見ても何の動揺も示さんかった。これ、どういうことやと思う?」

 

「それは……ユキの核となる部分が、崩れかかっていると……」

 

「うちもそう思う。せやけど、その崩れかかった部分を埋める様に、新しい色が入ってきたんやないか?そんでユキたんも、それを無意識に受け入れた」

 

「それ、は……」

 

「ユキたんの周りの状況は悪くなる一方や、それは間違いあらへん。ただ、ユキたんの心の状況はむしろ良くなっとるんや。他ならぬリヴェリアのおかげでな」

 

「っ……!そう、なのか」

 

嬉しい。

リヴェリアは単純にそう思った。

自分がユキの救いになれている、自分の気持ちをユキは受け入れてくれている、スキルに出る程に思ってくれている。

その事実がなによりも嬉しかった。

そしてなによりも、愛おしくなった。

思わず笑みを溢してしまうくらいに。

 

「せやから、そうやってユキたんの崩れた部分を、これからもリヴェリアが埋めてやればええんや。リヴェリアが埋めてやれる限り、大きく崩れる様な出来事でも無い限り、ユキたんの心はどんどん強くなってく」

 

「……何事も無く、というのが一番難しい様に思うがな。そう簡単に平穏を過ごせるなら、私達はここまで苦労しないだろう」

 

「せやなぁ、せやからそれが一番大変やわ。……ちなみに、一番手っ取り早く済む方法もあるんやけど、聞きたいか?」

 

「……まあ、一応聞いておくが」

 

その提案に一層笑みが深まったロキを見て、リヴェリアは訝しげにしながらも茶を片手に尋ねる。

しかしロキだって真面目なのだ。

真面目な話だけれど、リヴェリアが慌てるのが容易に想像できる話というだけで。

 

「なぁに、簡単な話や。はよリヴェリアがユキたんの子供を産んでやればええ!」

 

「ぶふっ!?」

 

予想通り、茶を思いっきり吹き出したリヴェリアを見て、ロキは笑う。

 

「な、な、な、何を言って!?」

 

「簡単な話やん?愛しい愛しい自分の子を持てば自然と心も成長する、それは神も人も変わらへん。それにユキたんは誰かを守る時に強くなるスキル持っとるんやから、それがより顕著やと思うんよ」

 

「うっ……」

 

「つまり、ユキたんの心の問題を手っ取り早く解決するには、リヴェリアがユキたんの子供を産んでやるのが一番早い!」

 

「そ、それは……そう、かも、だが……」

 

顔を真っ赤にしてモジモジとそう言う珍しいリヴェリアの姿に、ロキもまた楽しくなってしまう。

やっぱりこれだけ問題が続いている中で起きたリヴェリアとユキがくっ付くという出来事は、ロキにとって相当に好ましい事だった。

本当に、この様なリヴェリアの姿は見た事が無い。

 

「ま?別にリヴェリアの子や無くてもええんやけどな?その気になってくれるんなら、別にミア母ちゃんの所に居るあのエルフっ娘に頼んだって……」

 

「それは駄目だ!そうなるくらいなら私が……!!」

 

「私が?」

 

「わ、私が……」

 

「ううん?」

 

「わ、私が………う、産む………」

 

「せか!それなら別にええわ!いやぁ、うちも楽しみやわ!ユキたんとリヴェリアの、こ・ど・も♪」

 

「ぐ、ぐぅぅ……」

 

それは別に面白おかしく意地悪している訳でも、二人の仲をネタにしている訳でもなく、ロキにとって何よりの本心であった。

この2人の間に生まれるのならば、それは間違いなく可愛らしい子に違いないと。


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